第11話 Sirの誤算
ペンタゴン地下30階。存在しない階層の一室で固定電話から報告を聞いている金髪のオールバックの男性。表情には焦り、混乱、恐怖様々なものを浮かべていたが、総じて苦い顔をしていた。受話器を置き、机に向き合いブツブツと念仏のように独り言を吐く。
「おかしい。おかしい、おかしいおかしい。人体模倣程度の能力であの試練を突破できるはずがない」
Sirにとってあの30の試練は体のいい厄介払いだった。能力者を米軍が欲しているのは紛れもない事実であったが、コピーが軍の中枢に潜り込まれたら厄介だと判断したからだ。
それだけではない。彼にとって誤算だったのは、この依頼を達成してしまったことよりも寧ろ、この依頼自体がいまだ得体も知れない外部の能力者に漏れ出てしまったことであった。軍部でも特に際立って特殊なこの部隊では、珍しくはないものの、それでも殺しの依頼は必ずSirの承認を得なければ有り得ない。超法規的な措置ほど厳格な規律を持たねば殺人鬼と変わりない。だから今回の依頼も外部に出るわけがなかった。
……上層部の一声がなければ。
(上の馬鹿ども、能力者を『有効な新兵器』としてしか認識していない)
(それはただの一面に過ぎない。『意思のある兵器』の恐ろしさをいまだ軽視している……。引き金を引けば相手を殺すことの出来る道具ではない。完全に掌握できるなど何故思うのか……)
切り取られたドレッドの右腕の写真と、日本から取り寄せた首なし死体の写真を見比べる。
「……まさか、フェイク能力……?」
「漸く気付きましたか、秘密主義が仇になりましたね。あと終わりました30回」
唐突にかけられる後ろからの男性の声。聞き覚えがあるその声の主に拳銃を抜き振り返る。そこには件の銀髪紅目の人物が立っていた。
(何故だ? ファントムフロアには誰であろうと通すなと釘を刺してある。表の二人は何をやっているんだ?)
「ほんと、貴方たちってすぐ銃に頼りますね。そんな豆鉄砲で私を斃すことができないことぐらい、聡明な貴方なら理解しているはずでしたが……。思い違いでしたかね?」
わざとらしい笑みを浮かべながら、さも非武装であるかのように両の腕をあげている銀次。彼にとってはこの状況でもSirのこめかみに拳銃を突きつけているのに等しい。
「一つ忠告を。その銃声は貴方とあなたの部下を死なせる狼煙になります」
「なんでここに入ってこれた? ……と聞くのは無粋かな?」
「いえ、当然の疑問でしょう。今回私はここに呼ばれていない。となると考えられる可能性は……」
「「能力」」
毅然とした態度を崩さないSirと飄々とした様子を隠さない銀次。同じ単語が重なったが、両者の想像していることには差異があった。
「私は部下にどんな見た目の人間も通すなと厳命している。たとえ私の姿をしていても必ず証明書を確認させるように言っている。端的に聞こう、Mr.銀次。君の本当の能力はなんだ?」
「クイズにしましょうか。あと拳銃しまってくださいよ。腕疲れるでしょう」
対峙している相手の余裕さから本当にこの拳銃で制圧できないのはSirも感じ取っていた。素直に納め、テーブルを中心に二人の男性が座る。前回の尋問室での立場とはまるで逆。銀次が問いSirが答える。足を組んで横柄な態度をとる銀次に対し、Sirは白旗の意も兼ねて両腕を机の上においてある。
「ヒント1。私は見かけを自由に変えられます。これは話した通り事実です」
「ヒント2。私は前回、喉が渇いていなかったにもかかわらず水を要求しました」
(おい。おいおいおいおい。まさか、まさかとは思うが)
「液状化……?」
「流石。正解にたどり着くのが早いですね。水道が通っているかを確認するためでした、あれは。おかげでここにも侵入可能なことがわかりましたよ」
不敵に笑う銀次だったが、その目は急に細められる。その細長い紅瞳に内包しているものは不信、懐疑、憤怒。どれともとれるし、どれとも取れない。
「29回目の殺し、あれ。貴方ですよね? 私を殺すように仕向けたのは」
「そうだ」
「あら、意外にも即答。拍子抜けしちゃいますね。理屈を捏ね回してうやむやにするものだと」
「正直に言って、人間模倣の能力者ならば必要なかった。むしろ邪魔になる。あんな手品程度の能力者」
銀次は頬杖をつきながら、組んでいる足を組み替える。顔が掌に触れ、つぶれた頬は不平の色こそあったものの口を尖らせているだけに済んでいる。
「へぇ……。その場しのぎの嘘をつかないことに関しては評価しますよ。私も矛をしまいます。と言ってもいつでも出せるんですけどね。葉巻もらえますか?」
「ああ、シガーカッターを今持ってくる」
「必要ありませんよ」
指を立て、「ピッ」という音とともに葉巻が切り落とされる。
「これが私の『液化金属』の能力の一つ。ウォーターカッターのようなものだと思っていただければ。私が人間模倣程度の能力で暗殺者を志願したとでも?」
「随分と交戦的なんだな。血気盛んなのは、若者の特権だ」
「もうそんな歳でもありませんし、私は争いが大嫌いなんですよ。誤解がないように明言しておきますが」
「そんな殺人特化の能力を選んでおいてそれを言うか?」
「事故ですよ。まさか本当にこんな能力が手に入るなんて思っていませんでしたしね。しかし、自分の能力をそのまま公言する人間なんてそういないでしょう?」
葉巻に火をつけ一服する銀次。紫煙が尋問室に広がる。その質問に対しバカにしたように鼻を鳴らすSir。
「いや、存外君が初めてだよ。大きすぎる力を手にしたゆえの慢心か、自分のほうから嬉々として話してくれたよ。……しかし」
一拍おいてSirは不快感を隠すことなく思いのたけを銀次にぶつける。
「羨ましいもんだな。何の努力もなしに強大な力を手に入れたラッキーな奴は」
銀次の眉がピクリと動く。それから瞬きを一つするまでの間、彼から表情は失われた。
「降って湧いた能力を振りかざして大立ち回り。なるほど、その通りだ」
銀次はバツが悪そうな顔で頬を掻く。それと同時に敬語がとれる。
「ところで、だ」
紅い眼はSirを捉えた。
「Sir。質問だ。努力をしたのならば、結果に結びつくのか?」
回答を待たずに言葉を続ける。
「容姿、身長、筋力知力。社交性。そうした能力の一つ一つが努力である。と、それに過ぎない話だと痛感しているのだよ。Sir」
軍人として半生を過ごしたSirは淡々とした語り口の中に、僅かに憤りと、悲哀が含まれていることに気づいた。
「勿論、『運』もそうだ。天賦のものか、後天なのか。その差異だ。人が能力を活かし社会に貢献する。私が能力を振るい、人を殺す」
Sirは何も答えることができなかった。
(これだ。これが単なる兵器と能力者の違いなのだ)
「Sir、正しいも間違いもない。そういうものだ。だから理不尽ではある。しかしそういう風にできているのだ、この世界は」
(……ッ! こいつの能力が『液状化』であるなら、一個師団にも及びうる戦力。戦力の大きさ自体ではない。そんな武力を持った男がこの言葉を吐く。これが、これこそが能力者の恐ろしさだ。掌握など、できはしないぞ、司令部……)
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「……天運。も確かに才能の一つだな。明確な定量化が難しいがね」
「才能の定量化ってのがそもそもナンセンスなんですよ。ゲームみたいに頭の上にパラメータがあるってわけでもないに」
「げーむ……に関して私はよくわからんね、ピコピコいうあれか?」
「さっき私を若者扱いした理由がほんの少しわかりましたよ……」
銀次の首元から二本の銀の触手が生える。それは地を這い、壁を這い、水場から器用にも二人分の水を汲んで戻ってくる。
「そんなこともできるのか、万能だな。もしかするとだが初対面の時点で君はいつでも私を殺せたと?」
「ええ。利があるなら殺し、無いなら殺さない。当然では?……ところで」
親指で扉を指し、顎をしゃくり後ろを見る銀次。
「表の軍人二人は私のことをどこまで知っています?」
「私以外に君の本当の能力を知る者はいないよ」
「……本当?」
「ああ」
目の前の男に生殺与奪を握られている。その緊張からくる喉の渇きか、Sirは水を一気に飲み干す。一度殺された仲だ、銀次も当然警戒する。
「電話を貸していただいても?」
「? ……構わないが。そこの固定電話を使ってくれ」
国際通話をとある女性につなぐ。4回目のコール音の後に彼女は応答する。
「もしもし」
「あ、銀次さん! お久しぶりですっ!」
その晴れやかな声は電話越しでさえ、彼女の太陽のように明るくなった表情を読み取ることができた。
「えーと。黒崎さん……。何から話せばいいか」
「……あーそういうことですね。完全に理解しました」
「! 君の能力、電話越しでも……」
「ええ、可能ですよぉ。詐欺にも遭わない。安心安全!……でも」
「協力するのには条件があります」
(やはり、無条件で。とはいかないか。まあ今は数十万ドルの手持ちもあるし、ここでの投資は先のリスクを減らすには必要な先行投資……)
「……悲しいですね。悲しいです。貴方の過去がわかってしまう私だから悲しいです。条件と聞いて、いの一番にお金の話になってしまうのは……うぅ」
電話越しに彼女の嗚咽が聞こえてくる。いきなり泣き始めた彼女にビビり散らかす銀次。蚊帳の外のSir。
「ど、どしたの黒崎さ……」
「それなんですよ!」
「ふぁっ!?」
「“切羅”って呼んでくれないと協力してあげませーん」
(そういえば、そうだったな。彼女、とても面倒くさい子だったなあ……。あ。これも聞こえているのか……)
「聞こえてますよー。めんどくさいぞー」
「わかったわかった。切羅。用件を頼めるか?」
「あいさー。ちょっとSirに一言挨拶してもらってもいいですか?」
銀次は受話器をSirのほうに向ける。
「Sir、一言『こんにちは』と」
「こっちは夜ですよー」
「……『こんばんは』と」
「コ、コンバンハ……」
「……あ、その人嘘ついてないですよー。その人以外に貴方の『液化金属』を知っている人はいないみたいです。後、秘密裏に申し上げたいことがあるので、後で連絡しますね」
「ありがとう、助かった。それならばこちらから連絡するよ」
(支給された携帯電話や軍の固定電話で連絡するのは少し怖い。いいな、切羅?)
「了解でーす。待ってますね、あなたから連絡来るまでスマホの前で正座してます」
「寝なさいよ。若いころの夜更かしはいけないよ。日本時間で明日の昼にでもかけるから」
「お気遣いありがとうございます。ではまた」
「おやすみ、切羅」
「三回も下の名前呼んでくれた! っッくうぅ~! 今日は貴方の夢を見て眠れそうです! おやすみなさい!」
受話器を置くとともに笑顔をSirに向ける。
「ああ、本当によかった。罪もない軍人を殺さないで済んだ……」
(待ってくれ。こいつ既に能力者の仲間までいるのか?)
「じゃあ第二次圧迫面接と洒落込みましょう。今の暗殺業界はどうも売り手市場みたいですね? 私に限っては」




