第107話 国家への一撃
「クーデター」それはフランス語で「国家に対する一撃」という意味を持つ。武力によって政権を奪取するという非合法なもので、日本においてそれが成功した事例は存在しない。
現状の政権に不満を持つ有志達が奮起し一堂に決起する。平和な国、日本にてそれを考える人物は少ない。仮にいたとしてそういった革新派思想を持つ人間には公安警察が目を光らせており、実行に移すのは難しい。『特務』としてもその力不足は痛感していた。
しかし、「能力者」が出現し、その管理権限が防衛省特務に一任されたことで事態は急変する。公には出来ない異能の力。それを御するためには同じく公にできない影の力が必要だという事で、管理を任された特務は躍進した。
そして今、特務に加わった“世界最強”によって特務第一部隊は「未来党」及び支持者に対して「一撃」を与えられるだけの武力を手に入れた。
■■■ 遠見邸襲撃 以前 国会議事堂
議事堂に一発の銃声が響く。既に大戦は始まっている世界で、悠長にも対話、講和の論争が繰り広げられている議事堂に、日本陸軍のデザインを基調とした黒い軍服を着た士官が天井に向けて拳銃を発砲した音である。
胸には金色の飾緒が付けられており腰には帯刀。特務士官のみに与えられる、日本改革のための制服である。その士官の前方には些か場違いな蒼い少年がガムを噛みながら、ポケットに手を入れて退屈そうにあくびをしていた。
「本日、現時刻をもって、我々『特務』が国の主導権を握る。対話の意思はない。今から日本は生まれ変わるんだ。戦争の出来ない国から自分たちの力で国を護ることのできる国へと変貌する。歴史の転換点だ」
議員の半数は獅子ヶ谷で構成されている。その人外じみた身体能力は国政にかかわっている為政者でも、デスクワークで多少腕が鈍っていたとしても。「拳銃ごとき」で制圧されることなどあり得ない。
威嚇射撃を行った特務士官を制圧するために獅子ヶ谷は机を蹴っていた。入り口付近に陣取るその国の異分子に土を舐めさせるため。左右から、それも中空から蒼時に迫る。
瞬間、二名の獅子ヶ谷の首が弾ける。本来なら慣性に則って蒼時に突撃してくるはずの男は、途端に推進力を失い、零したトマトのように潰れ落ちる。嫌な音と共に生命としての終わりを迎えた。
「神堂さん。護衛をお願いいたします」
「ああ。いいよ。国が変わる歴史的瞬間だ。俺も存分に堪能させてもらうよ。全員殺してもいいのか?」
「降伏した議員は殺さなくて大丈夫です。主に『未来党』その獅子ヶ谷が……」
次の瞬間、蒼時に話しかけていた士官はショットガンのような暴力的な威力を持つ獅子ヶ谷の跳び膝蹴りで蒼時の眼前から一瞬にしていなくなる。壁まで吹き飛ばされ、内臓が攪拌されたその士官は即死していた。
「……いや。議事堂を落とす程度の事に何故特務が苦慮していたのか多少は理解ができた。これは簡単には落とせないかもしれない」
蒼時の蒼色の瞳が獅子ヶ谷の動きを追う。しかし素人の動体視力ではとても捉える事は出来ずに。蒼時も致命傷を受け……。
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蒼時の蒼色の瞳が獅子ヶ谷の動きを追う。素人の動体視力でも捉える事は出来、ナイフで反撃する。蒼時が最大脅威だと認識した獅子ヶ谷は、全兵力でもって彼の打倒に注力した。
【時不知】の権能は圧倒的であった。時間にして僅か10分ほどで国会議事堂は制圧される。残ったのは獅子ヶ谷とは関係のない震えている議員と「無音の砲撃」で穴の開いた議事堂の天井。そして何名かの特務士官であった。
国会中継は依然続いていた。この作戦は国会議事堂、首相官邸、テレビ局の三面同時攻撃。本来公共の電波に乗せて放映してはいけない過激なシーンが地上波に乗って全日本に送り届けられた。
「クーデターは成功した。国民の皆さま。今、世界は大戦で大混乱なのはご存知の通りだと思う」
特務第一部隊の隊長はカメラの前に立って演説を行う。それは堂に入った熱弁で、日本国民に訴えかける。全力で拳を握りしめそれを顔の前に出し、このクーデターの正当性を主張する。
「現刻を持って、この日本は我々軍部が掌握した」
「もう、世界各国では戦争が始まっている。今まで通り米国におんぶにだっこでは我々は国を護れない」
「戦争は嫌いだ。誰が好き好んでするものか。しかし、だからと言って有事の防衛手段なしに対話、講和、交渉をしているだけならば。この日本は地図から消えることとなる」
なおも演説を続ける。握りこぶしにもより一層力が込められているようだ。
「我々は憂国の愛国者。国民各位に通達する。平和とは無償ではない。この国でそれを実感するのは難しいかもしれないが。我々は多くの犠牲のもと安寧を得ているんだ」
隊長は以前喪った愛娘の事を思い出すが、一瞬の停滞の後、顔をあげる。
「戦ってくれ。……何も、竹槍を構えて戦地に赴けと言っているわけではない。国民一人一人が出来る事。情報戦、食料の備蓄、兵器の増産。この大戦に勝つために最大限の努力を惜しまないで欲しい」
眼を閉じ深く息を吸ったあと、高らかに宣言する。
「日本国は米国、ロシア、中国に向けて宣戦布告を行う!」
蒼時は、自分の役目は終わったので、新しく取りだしたガムを噛み退屈そうに特務第一部隊隊長の演説を聞いていた。彼が本当に興味があるのは、戦争の勝ち負けでも、より多くの人間の殺戮でも、世界の混乱でもない。
ただ、世界が“どういった回答”を自分に出すのか。その一点だった。高校生というまだ人生の可能性が無限に存在する人物が何を思い、この特務に協力しているのか。それを知る人間は少ない。
■■■ 8年前 神堂蒼時 10歳
努力とは無償ではない。
努力すればするほど、実らなかった際の徒労は大きくなる。その失敗は自身の無能の確かな証左となり、脳にこびりつく。
今度はそれを恐れ、最初ほど努力をしなくなる。そうすれば結果は悪くなり、さらに無能の烙印が頭に刻み込まれる。そうやって腐っていく人間は決して少なくない。
神堂蒼時も最初から排他主義を掲げていたわけではなかった。
歳若くして価値観の相違を埋める努力を早くも放棄していたに過ぎない。
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「昨日のサッカー見た?」
「見た見た。ドイツのキーパー強すぎだろ」
サッカー好きな純朴な少年。それが幼き日の蒼時であった。クラスの中でも運動神経は良いほうで、男子からも女子からも。先生からさえ好かれ厚遇されてきた。そして彼は多様性を重視する人物だった。差別が嫌いな蒼時は一人でいる大人しい子にも分け隔てなく接し、余りものを作らないように注力した。
いじめのきっかけとはどんなものがあるだろうか。容姿、体系、性格、嗜好、性別。本当に些細なことでそれが始まってしまう。
クラスでもカースト上位に属していた蒼時はそのグループで暴行を多人数から受けている友人を発見した。そして暴力をふるっている側。それもまた蒼時の友人だった。
「おま……! 何してんだよ!」
「そいつが今月の500円払わないっていうから、肩パンされるならいいよってことでやってる最中。蒼時には関係ないだろ」
「500円? なんで払わなくちゃいけないんだ?」
「友達料金だよ。イケてる俺らのグループでお喋りしたいって言ったのはそいつだぜ?」
小学生にとってひと月500円の出費は決して安いものではない。しかしそうではない。そこが問題ではないのだ。友人関係とは金を払ったから構築されるものではない。
お互い一緒にいて楽しいから。何かの課題に当たった時に一緒に問題解決を模索できるから、人は群れるのだ。
「……何の真似だよ。蒼時」
「殴るんなら、俺を殴れ」
その台詞は蒼時が至極真面目に言い放ったものだったが、リーダー格の琴線に触れたらしい。彼は腹を抱えて笑い出す。
「ヒーローみたいじゃないか。アオトキマン参上! ってか?」
取り巻きも冷笑し、嘲笑し、あざ笑った。いじめられっ子を助ける正義のヒーローがまさか自分たちのグループにいるとは思わなかったのだろう。ひとしきり笑い終えると、リーダーは踵を返して教室を出ていく。
「あ、そうだ。今月から二人で千円でいいよ、友達料。蒼時が全部カバーしてもいいんだぜ」
残されたいじめられっ子と蒼時はしばらくの沈黙の後、蒼時が手を伸ばす。いじめられっ子は小さく「ありがとう」と言ったのちに罰が悪そうに教室を出ていく。
蒼時は先生に相談した。しかし、それくらいの小競り合いはよくあるものだとして、対応を検討するというありがたい言葉を頂いただけに過ぎなかった。
蒼時はクラスメートに話を回した。誰も彼も話は聞いてくれるものの自らが当事者となるのはまっぴらなようで、協力は得られなかった。
蒼時は親にも聞いてみた。そこではいじめられる方が悪いと父親は日本男児の心得を説き、母はそんな事より最近100点を逃しているテストについての小言をねちねちと晩飯の最中に説教された。
周囲の人間が頼れないとなるといよいよ彼は歴史に学ぶことにした。図書館へと走り、心理学の本や倫理、集団行動に関する人類史の書物から答えを得ようとしたが、徒労に終わった。
そも人一人の力で世界を変えるなんて無理筋な話であった。社会がこれほど努力してもいじめを根絶できていないのだから。まだ10歳の蒼時にはどうすることもできないと結論した。
人は見たいようにしか見ないし、感じたいようにしか感じない。それを愚かと思ったこともあったが、結局、個人に民意を変えることなんて出来やしない。蒼時の場合、「学級」がその民意だった。
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その翌週。いじめられっ子は給食の時間に蒼時に向かって歩いてくる。蒼時はようやく自分の努力が実を結んだのだと喜んだ。そうした彼の頭には牛乳が掛けられていた。顎より白い液体がしたたり落ちるのを感じながらも耳だけは鮮明に聞こえていた。いじめっ子たちの醜悪な笑い声が甲高く響く。
いじめられっ子は報復を恐れ、いじめっ子の傀儡となっていた。蒼時に対して牛乳をかければやめてやるといわれていたのだろう。こうして蒼時は人を救う事を諦めた。
■■■ 5年前 神堂蒼時 13歳
地方から都内の中学に進学するが、そこでもグループ分けはあった。リア充グループ、不良グループ、オタクグループと。蒼時はオタクグループに属する事になる。彼らはいじめなどをする人物は居なかった。笑い方に癖のある人物だったが皆心根は優しい人物の様だった。
「蒼時殿! 深淵龍アビスドラグーン召喚ですぞ」
「お前、引き強いんだよなあ……」
教室の後ろの方でカードゲームをやっているグループだった。そのオタクの界隈に属することも心地が良いと思って、半年ほど過ぎたところで異分子が入ってくる。そのカードゲームをやっている女子が入ってきたのだ。
垢抜けない感じの女子ではあったが、顔は整っていて、いかにも根暗の好きそうな女子だなと蒼時は感じていた。しかしそれがグループ崩壊の前兆だとは気づかなかった。
またもグループ内排他が始まったのだ。小学生の頃のように暴力に訴えかけたものではなかったが、陰湿さはその時よりも上だったかもしれない。陰で他の人間の悪いうわさを流す。陰口を女の子と一緒になって笑いあう。
誰も彼もオタクグループは女の子の取り合いになり、カードゲームは目的ではなく手段と成り下がった。蒼時の友人があれ程大事にしていた「深淵龍アビスドラグーン」はその女子への貢物の一枚となって消えていった。
結局その女の子がリア充グループのスポーツマンと付き合って収束するも軋轢は完全には消すことができずに、次第に話すことも少なくなり、疎遠になっていった。
ここで蒼時は小学生時代の自分が間違っていた事に気づく。排他とは忌むべきものではなく必要なものだと。異分子が混ざると平穏は崩れ去る。そのことに気付き、彼は群れる努力をすることを諦めた。
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家庭環境も決して良いものとは言えなかった。経済的にはひとりっ子で比較的裕福な家庭だった。しかし、思想が両親ともに強かった。大人になれば「未来党」に入れるんだと口酸っぱく言っている父と、遊びは許さず、良い大学に行って良い会社に勤めることこそ日本人の幸せだと説く母からの叱責を常に受けていた。遊んでいたカードゲームは無断で捨てられており、トラブルになるも父の鉄拳制裁で沈黙させられる。
この日本は村社会だ。どこにいたって、なにかの村には所属しなくては生きていけない。
村には掟がある。小さい村にも、大きい村にも。家族にも学校にも会社にも社会にも国にも世界にも、掟がある。
窮屈だった。生まれてこの方ずっとずっと。
■■■ 1年前 神堂蒼時 17歳
高校生になり能力を手に入れる。その頃には政治や経済。そう言った事に関心を持つことも多くなり、「世界をより良くするために」その力を行使する事になる。
「外国人参政権」
「人種差別問題」
「性差別問題」
そのどれも、自分と違う考えを持った人間を処分することでしか、世界はより美しく、住み良いものにならないと、蒼時は考えていた。
しかし「美しい」とは、どういう状態なのか。
「住み良い」とは、どういう状態なのか。
答など、ない。
しかし世間はまるで、解があるかの様に宣う。
なるほど、あると言うならば、それを実行してやろう。そうする能力は、手に入れたのだから。
法は民意だ。
その意味で、司法は多数決だ。
人に人は裁けない。
だから法という多数決に、それを代行させている。
必要ない。
そんな必要はもはやない。
実行に足る力は、今や俺が持っている。
(かつて俺は民意に叩きのめされた)
(だが俺にはもはや適用されない)
(多くの人が正しいと思うことを俺が守ってやる)
(殺人という禁忌に、俺手ずから犯してまで、守ってやるのだ。文句は言うまいな。やり方に)
世界が是としたものを厳密に守る世界を力ずくに創る。
そうして出来上がった社会は彼をどう非難するのだろうか。
蒼時は見てみたかった。
世界が望みを叶えた時、次に望むものは何か。
より美しく、より住み良く。
本当にそうなった時、蒼時は殺戮者であり、庇護者。悪魔であり神。
どんな民意で、蒼時と対峙するのか。
それが見てみたかった。
「これでよかったんだろ?」
「俺は民意に従ってるだけだ」
「変えられないだろ? お前たち凡夫には」
故に蒼時は神を自称する。
■■■ クーデター成功後 防衛省特別庁舎
蒼時は整然と並んでいる特務隊員の眼前で高説を述べる。すでに彼の前で緊張から煙草に火をつけた隊員は殺されている。何が彼の琴線に触れるかわからない。おびえながらも、新しい特務部隊長の言葉に傾聴していた。
「右向いても左向いても自分勝手なクズばっか。なんだよ獅子ヶ谷って。未来が読めるならば国民のために使うべきだろう。それを一族で保有しやがって」
先日壊滅した国会の獅子ヶ谷に対して吐き捨てるように言い放つ。それに対して特務は敬礼の姿勢を崩さない。
「客は神だと勘違いしている馬鹿。ダブルスタンダードに気づかないノイジーマイノリティ。政治家の汚職に腐敗。目を覆いたくなる。世界には想像を絶する馬鹿が掃いて捨てるほどいる。そいつら一人一人に俺の思想を伝えるより殺した方が早いだろ?」
一堂に声を合わせて肯定する。
「有志たちよ。ともに頑張ろうじゃないか。この世界からゴミを無くす。崇高な理念とともに」
またも声を合わせて肯定する。壊れたスピーカーのように。
■■■ 神堂家 自宅 居間
実態のない正義。
実態のない価値観。
正義感は誰しも持っている。しかしそれを貫く者は、そう居ない。ましてやそのために躊躇いなく命を奪う者など、この日本にあって数える程だろう。
にも関わらず。
彼の正義には実態がなかった。
友人が黒人差別で片腕を動かせなくなった、訳では無い。
政治家の腐敗により、恋人の死を隠蔽され、捜査もろくにしないまま時効を迎えた、訳では無い。
彼の価値観には。
彼の正義には。
実態などなかった。
彼の思う美しさを、偶然貫き通せるだけの暴力を得たがために、ただ振りかざすだけの正義。
それが神にならんとする少年の中身だった。
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居間に整然と並べられている二人の男女。眠っているようで微動だにしない。しかし本来ならば呼吸による胸の動きはあっていいはずだ。だが、それもない。
当然である。彼らは蒼時が殺害した両親なのだから。「須臾の刻」で時間を停滞させ、永劫失われることのない遺体となっていた。それに向けて蒼時は帰りの挨拶をする。
「ただいま。母さん、父さん。見ていてくれよ俺の雄姿を」
「さて、この力で世界を壊すのは容易いことだ。けれど容易いからこそ、やり方に拘るのが面白い。折角だ、君たちが「正しい」と信じてきた民意を、俺が体現してやろうではないか。なぁに、正しい事を遂行するだけだ。間違っているとは言うまいね。いや言わせない。この力は神の力。守るのは人の掟。君たち世界は、何と言って神たる俺を留めるのか、その日が待ち遠しいよ……」




