第101話 表裏一体
この世界には善と謂うものがあるだろうか。事故に会いそうな子供を、身を挺して救う。確かに“それらしい”。この世界には悪と謂うものがあるだろうか。か弱い婦女子を暴行して金品を奪う。成る程、“それらしい”。
ではこの世に明確な正義は存在するだろうか。明確な悪は存在するだろうか。割合の問題でしかない。人類ほとんどが凶悪犯ならば、その中に一人存在する万引き犯は正義の人間となるだろう。所謂正義あるところに悪があり、悪があるところに正義がある。どちらか片一方だけが存在することはありえなく。コインに表があれば裏があるように、表裏一体である。
そして正義対悪なんて構図になるのは子供向けの陳腐なストーリーである。明確な悪である魔王が存在して人類に仇為さんとする。正義の心に燃えた勇者がそれを破り大団円。
それほど単純だったらどれほど良かっただろうか。この世界で起こる争いの殆どは双方とも自身が悪いとは思っていない。争いは、戦争は。悪を火種にしない。食い違った正義が火種となる。
■■■ 地下通路先 ロッジ一階部分
煙幕が焚かれる。銀次が用意したこれには毒性はなく、彼が【消滅】の権能を食らった状態で毒を吸い込むと致命打になりうると判断したためである。
銀次は何も見えていない。ただ目を瞑って【消滅】の視界の外に逃げた銀次は鉄線を四方八方に張り、感圧センサーを生成している。
対して小春は再び未来視と【消滅】に専念する。先ほどまでのように地下に銀次本体を置いた場合、【メルクリウス】は無敵を誇る。しかし、油断か慢心か。本体が出てきたことで、未来が分岐した。【メルクリウス】を打倒して、能力を奪い屋敷の加勢に行く。これが分岐1。煙幕の隙を縫って、逃走しセスナで遠い国へ逃げる。これが分岐2。最後に彼の語った悍ましい世界平和計画に賛同し、庇護下に加わる。これが最も行ってはいけない分岐3。
3は論外。出来ることならば1を選びたいが、ここは、2を主眼に置くべきだろう。
一方菖はアキレス腱を破壊されている。銀の触手は屋敷を食らうほど巨大なものから鞭のように暗殺に特化したものまで生成できるらしい。
地を這う亀のように緩慢に、先ほど吹き飛ばした割れたティーセットまで匍匐していく。コーヒーは床にこぼれ陶磁器の欠片も含まれているが関係はなかった。
這いつくばり地べたのコーヒーを啜る。彼女はプライドや矜持などここまで来てどうでもいいと考えていた。目的を達成するためならば、泥水でも啜るし、悪漢にも抱かれよう。
足が再生し、再び移動が可能となった菖だが、桜が銀次に負けた要因の一つに「鉄線」が自由な動きを阻害した点があると考えられていた。この煙の中ではただでさえ見えにくいそれを目視することは不可能に近く、不用意に行動すれば、自滅は免れない。
故に此処は小春を護りながら、音を出さずに、部屋の隅で固まっていることが最善だ。煙幕は密封性の低いこのロッジ、数分もすれば目視可能となる。そうなれば、彼奴の最後。MP5(サブマシンガン)でも殺すことが出来る。
視界が次第に晴れていく。そこにいたのは吹き抜けになった二階の手すりに立っている銀髪の美丈夫と、その周りを囲い、従者のように付き従う戦闘ドローン。青白い光を放つ「カタストロフ」であった。
その機体にプロペラなどはついていない。電磁浮遊で浮くことが出来る最新鋭兵器である。形状は一辺が40cmほどの正八面体の水晶体をしている。これはメーザードローンの派生機体であり、近中距離メーザー照射の出力と射程の比較的向上が認められている。
そしてこの兵器はアメリカだけで作られてはいない。世界のブラックマーケット。兵器の事なら何でもござれの、銀次と友好関係を築いている「ボルゴア共和国」との共同研究で現在地球上に銀次の周りを飛び回っている4基しか存在しない。
「カタストロフ」は未だ試験運用として銀次が所持しているが、その戦闘能力は計り知れない。第一に一定距離に近づいた者は一瞬で沸騰させられ、水蒸気爆発を起こし、四散する。
次に移動面、今までの科学では電磁浮遊は条件付きで浮かせることが関の山だったが、これは銀次の手に装着された手袋のようなコントローラーで自由に動かせる。
そして防御面。特殊な電磁波を流すことにより、運動エネルギーを減衰することに成功。例え狙撃銃弾でもこの「カタストロフ」に接近していく物体は打撃を与えることはできない。
最後に、小型だがレールガンを搭載している。膨大な電力を使うため使用は一度が限度だが、有効射程500m。戦車を前面から貫通できるこのドローンの主砲。
カタログスペックだけを並べただけでこの新兵器の恐ろしさが伝わるだろう。菖は長年の実戦経験で、あの青白い燐光を放つ「カタストロフ」に勝利することが出来ない事を理解した。
同じく小春も、【メルクリウス】がどうしてこうも簡単に兵器を持ち込めるのか甚だ疑問だったが、彼女の予知で、この状態の打破が不可能なことを悟る。
「や、やばい……。あの水晶。全部私より強い。桜と椿と束になっても勝てない」
手すりの上から俯瞰している銀次は煙が晴れたことで、彼女たちの位置を視認した。防衛に「カタストロフ」を2基だけ残し、残りを彼女たちの方向に向かわせる。
「ああああああッ!!」
菖は壁を思いっきり蹴り飛ばしその反作用で、大楯で「カタストロフ」を撃滅せんと、突撃する。せめて一機でも相打ちになってくれれば……。
しかし大楯は彼の兵器に接触する前に運動エネルギーを失う。速度が殺されているようだ。進めば進むほど力が減衰し、到達できない。どれだけ力を込めてもびくともしない。
「私の捨て身が、相打ちにさえ……ならな……」
直後、菖の肉体が弾ける。超高出力メーザー光線によって、体内の水分が気化して圧倒的体積膨張により炸裂する。
「うん……。初動としては問題なし。遠見小春。私は能力だよりでこの戦場に立っているわけではない。コネクションを作り、自身の弱点を分析し、新技術の開発をする」
銀次は愛おしそうに、淡く光る、「カタストロフ」を左手で撫でながら、それを愛でている。
「まるで、そんなの……」
「能力みたい……だろ? 運動エネルギーの減衰も電磁浮遊における三次元機動も公にはなっていない技術だ。私が米国から得た膨大な資金をとある国に投資してね。その見返りだ」
「……。もういいですよ。終わりにしましょう。私が死ねば、母屋で戦っている残存兵力は助かります」
「いや? 助からないよ? 私もそうだし、他の筆頭能力者も殺戮を止めないだろう。だって君の身体はここで消滅させるしね。死体が残らなければぺんぺん草も残らないほど闘争は続く」
小春は顔面を蒼白させる。わずかな生き残りさえも許してはくれないのだという。
「な、なんでっ! 私は貴方に何かした? どうして無意味に人を殺すの?」
「無意味なんかじゃないさ、君が協力してくれれば希望は残る。未来視でもそう見えたんだろう」
歯噛みし、鋭い瞳で小春は銀次を睨みつける。
「しつこい男はモテないですよ。拒否すると言ったでしょう。貴方の計画に関しては」
「そうかあ、友人は大事じゃないのかな。桜、椿、菖みんな助けられるよ?」
「くどい」
小春が拳を振りかぶる。ただの少女の一撃だ、何の脅威にもならない。と、銀次は高をくくっていた。小春はここに来るまでの地下通路であるものを拾っていた。
砂が銀次の目を潰す。ガキの喧嘩と変わらない、単調で単純で捻りのない策が「逃走」の目を初めて作り出した。銀次は暗闇の中、「カタストロフ」に全方位メーザー照射を命令しようとしたが、却下した。万一まだ小春が視認していれば自分も死ぬ。
ロッジが開け放たれる音がした。正面出口から彼女は去っていく。そこでようやく銀次は能力を取り戻し、視界も晴れた。しかし、彼は急ぐことなく、指輪で指示を飛ばす。
「聞こえているか椎口。今から言う座標に降りてきてくれ」
小春はまた走り出した。セスナまで距離は遠くない。幸いにもまだ銀次は追いかけてきていない。緊急時用に菖が用意した物だから即座に発進できるようになっているだろう。管制塔からのサポートは【ウィルス=エクス=マキナ】によって妨害されるため、これは何世代前もの化石じみた飛行機である。
簡単な飛行機の操縦なら小春にも可能だ。既に滑走路に合わせてある機体に乗り込む。スロットルを3秒進め、油圧と油温のメーターを確認。ヨークを引き戻し、滑走路を進んで行く。
「ファイア」
短く告げられた“発砲”の号令。「カタストロフ」より放たれるレールガンは今離陸をするために加速しているセスナの尾翼を破壊した。
それでもバランスは崩れなかった。ユーラシアまで持つかはわからないが、小春が諦めていないならば、可能性が残っている、という事なのだろう。
しかし、それでもどうしようもない。“2位”に加えて“3位”まで擁しているこの米国陣営から逃れられることなどできなかった。
上から押しつぶすように重力がかかり、セスナは地面から浮いたと同時に叩きつけられる。機体の外に投げ出され、頭から血を流す小春が見上げたのは栗色の髪の毛が跳ねている、女性。
心底醜悪な顔をしているのだろうと思い、死ぬ前に一度拝んでやろうとよくよく顔を見るがその表情は悲痛に染まっていた。
面食らってしまった。先ほどの桜を潰し殺したのはこの女で間違いないだろう。なのになぜこんな哀しそうな表情が出来る?
「銀次さん。もう、いいじゃないッスか……。彼女はもう戦えないッスよ。自分たちに関わらないと言質をもらって、遠くの国に逃げてもらえば」
「私はもう彼女の大事な人を殺しすぎた」
「は、はい。そうッスね……」
「歴史だが、まだ子供だったからと言って源頼朝を殺さなかった、平清盛はのちに一族を彼によって滅ぼされることになる」
「源氏と平氏の争いですね……。でもまだこの子は15……」
「頼朝は当時13だったよ。これほどまで、恨みを買っている少女を生かしておくのはあまりに危険だ」
銀次と椎口が言い争っている。この隙に何とかならないものかと小春は頭を回すが、もう疲れてしまっていた。桜たちも誰一人として守れなかった。本当に自分は疫病神だと再認識した。
銀次は大きくため息をつく。苛立ちを隠せない様子である。
「僕が年寄りや子供に特別優しい人間だと思っていたか? 違う。子供を殺さないのは敵たりえないからだ」
畳みかける。
「能力を得ただけの子供なんて1番厄介だろう。倫理観も道徳心もない。そして何より損得勘定の計算ができない。1番面倒くさい」
なおも畳みかける。
「甘さが我々一派の最大の弱点になるんだ。これは遊びじゃない。戦争なんだ」
椎口は何も言えなくなってしまっていた。俯き目を伏せる。リコルテ戦でのマスターの損失が彼女の心に深い傷を残していた。自由意志を剥奪され戦争の道具にされているプラーマを殺せなかった。エドワード達は視えていなかったから何とか殺せた。
その差なのである。目の前の人間を殺すことには大変ストレスを感じるが、どこか知らないところで人が死ぬのには心も痛めない。結局は自己満足に帰結するのだと。
銀次は拳銃を抜いていた。小春の頭に向ける。
「最後に言い残したことはあるか?」
これが銀次の出来る最大限の優しさだった。
「貴方だけは、この大戦を生き残ってはいけません。何とか考え直してください」
「それは拒否する。ではお疲れさま」
銃声と共に“10位”【消滅】遠見小春が死亡。彼女の手から零れ落ちたストラップを踏み潰して、銀次は後方を振り向く。薄明の夜明けとともに作戦が終了した。
■■■ 中国 北京
品種改良による羽の生えたグンタイアリはもうすでに市中に分散してしまっていた。黒龍最悪の置き土産がここ中国の首都より始まろうとしていた。しかし、事態は最悪の一つ前の状況で終息した。
ロシアが運用可能にしてある二つの核ミサイルのうち、一つを北京に打ち込んだのだ。核熱でグラウンドゼロは蒸発。一匹たりとも【蟲の王】権能所持のグンタイアリを逃すことなく焼却した。
これは人類にとっては英断だった。地球の支配種族が人間から蟲にとってかわられようとしていたのだ。今この瞬間を逃せば、核でも対応しきれなくなる。
だが中国国民としては「仕方ないね」で済ませられることでは当然ない。首都に対しての核攻撃。有史以来三度目の核爆弾の投下である。もしリコルテ=クラスニーが居なければ、即座に報復核攻撃が飛んでくるだろう。
中国は対ロシア戦線をより強固なものにして、能力者の発見と、ロシア陣営へのスパイ行為に対して報奨金も払うことにした。
もとより敵対はしていたものの、その怨嗟はより深い溝となり、中国陣営は筆頭能力者を失い、それでもなお戦争は続ける。機甲部隊が中国とロシアの国境に迫っていた。
■■■ 遠見邸正面
蒼時は噴水広場から双眼鏡で母屋を見ていた。そこから映る光景は地獄と形容しても生ぬるいものだった。化け物の触腕と、頭に電極の刺さった強化人間。飛び散る血潮にあふれ出す臓物。吶喊する黒服に、壊れ行く母屋。怒号、咆哮、絶叫。
まるで蠱毒かといったように、地獄の窯の“底も底”を覗いているようだった。
「そろそろいいかな」
「神堂さん、どうしてここで待機なんでしょうか?」
「知らなくていいよ。あとちょっと俺から離れて」
訊ねる特務を軽くあしらい、蒼時は地面を足で小突く。
予備動作なしで館とプラーマ、「名状しがたき者」、多数いる黒服とおそらくは小春まで。後方にそびえる山ごと削り取っていた。音もなく、その攻撃は全てを消滅させた。
「一応、確認はしようか……。これで遠見小春が残ってたら嫌だしね」
蒼時のプランは筆頭能力者の一網打尽。“10位”【消滅】と聞いてのこのこやってきた能力者を屋敷ごと消失させることが彼の作戦だった。少なくとも“2位”は撃破できただろうと満足げに歩き始めるが、それは薄明などというささやかな夜明けではない。閃光といったほうが正しいだろうか。爆音と核熱が旭川一帯を吹き飛ばした。史上四度目の核が日本に……。
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「核……? ふざけんなよ。面倒くさいんだよね、高速で動いている物体を迎撃するのは」
蒼時がコインを弾き、次の瞬間、それは消滅していた。空から迫る弾道ミサイルを撃墜して。人知れず旭川に迫った核は迎撃される。それと時を同じくして、朝日が差し込んでくる。一日の始まりと共に遠見邸攻城戦の終わりが告げられた。




