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証明した男

 大会当日。

 鳴り止まない熱狂。誰もが優勝を掴もうと気合いの雄叫びを上げていた。

 こうなった原因は俺たちだ。TWAで俺たちがポールに勝ったことで、今じゃポールの絶対王者感は薄れてきていた。努力次第では勝てる。一年生にできて俺たちにできないはずがない、ってことらしい。もう何度も挑戦状をもらった。

 もちろん、逃げるつもりはない。俺もジャックもチェイミーも、やる気は十分。

 レースと違って寮は関係ないし、年齢制限もない。ほとんどの生徒が参加するから、朝から夜中まで、一日かけて大会はある。だから、ノーマンやレーナも、レイチェルも参加する。

 皆んなが競技場でワーワー言ってるのを、俺たちは少し離れたところで見ていた。ちなみに今回の俺たち、はいつもの三人にノーマンとレーナを加えた五人だ。

 ノーマンとレーナは緊張した感じで何度も深呼吸してるけど、俺たちは全然。楽しみですって感じ。


「僕、どのくらい勝ち残れるかな」


 とノーマン。


「せめて三回戦くらいまでは上りたいわね」


 とレーナ。


「それって結構高望みだと思うけど」


 とチェイミー。


「まぁぶっちゃけ、このメンバーで優勝までいけるのはショートだけだしな。さすがに八個上のやつには勝てねー」


 とジャック。


「俺も、そんなに自信はないけど」

「あんなに特訓したのに? やめてくれよ」

「大丈夫。負けるつもりはないから」


 ジャックが口笛を吹いた。


「言うね〜」


 大会開始の爆竹がなった。審査員は数人の先生。審査員長はゲログン。実況は、TWAと同じくマーク・ガーナー。自分は出ないらしい。変なやつ。


「さぁ、始まりました! ニュースルクス毎年恒例、武闘大会!」


 マークはいかにも元気はつらつって感じで叫ぶ。


「今回の大目玉もやはりこの二人! 優勝第一候補ポール・アンダーボルトと、奇跡の異端児ショート・アルマス! 多くの生徒の間で、再戦が期待されています!」


 少しむっとした。当たり前だけど、ポールの方が先に名前を呼ばれたことに。おまけに、ポールは優勝第一候補で、俺は取ってつけたような肩書き。奇跡だって? 勝ったのは俺なのに。


「トーナメントを順当に進めば、二人は決勝戦で当たることになります! しかし今回は他寮も交えての大会。誰が優勝カップを手にするのか、誰にもわかりません!」


 誰かは知らないけど、早速試合が始まった。さらにワーワー声がうるさくなった。

 かき消されないように、レーナが叫ぶ。


「それじゃあ、私たちも行くわ! 私のノーマン、試合順が早いの」

「オーケー。頑張って」

「もちろん! ポールにだって負けない!」


 レーナは両手を前でぐっとして笑った。順当に進めば、レーナとポールは三回戦で当たる。

 もちろん、ノーマンの気合いは十分だ。二人は緊張を捨てて競技場に向かった。

 振り返ってノーマンが言った。


「絶対勝つから、よく見てて!」


 レーナも続く。


「また後で、いい報告をしに会いましょう!」


 俺は大きく手を振って二人を見送った。ジャックとチェイミーは案の定興味がなさそう。俺が二人の仲直りしてから、結構関わることが多かったし、話す機会も増えたけど、未だにいまいち仲良くならない。四人ともいいやつだから、すぐにわかり合うって思ってたのに、甘かったらしい。

 まぁそれでも、顔合わせるたびに悪態ついて喧嘩(主にジャックとレーナ)することはなくなった。十分進歩かもしれない。


「とりあえず、飲み物買ってこようぜ」


 ジャックがそう言って、俺とチェイミーは頷いた。だいぶ寒くなってきたけど、今日は晴天だし、こんなに盛り上がる場所にいたら、さすがに暑い。

 そのとき、ちょうどいいタイミングで風が吹いた。寒すぎず暑すぎず、心地いい。

 ……いや待て。前言撤回。

 風は全身をはうスライムのようにねっとりと体にへばりついて、背中にぞくりと寒気が走った。ジャックとチェイミーも同じらしい。目を見開いて俺を見ている。

 空を見上げると、さっきまで雲一つなかったのに、今じゃ曇っていて薄暗い。皆んなの騒ぎ声はいつのまにか聞こえなくなった。


「そのときが来たぞ」


 不気味な声が、どこからともなくそう告げた。

 いつからいたのか、不の黒いオーラをもとった骸骨が、ゆっくり俺たちに向かって歩いている。


「僕の挑戦を受けろ」


 足が止まって動けない俺たちに、骸骨が手を伸ばした。なぜか右腕が三番ある。それぞれの頭の上に乗せた。

 その瞬間、映像が流れ込んできた。

 競技場は相変わらずの熱狂。俺たち三人は、ノーマンたちの応援に向かった。

 レーナがラファエル寮の四年生と戦っていた。太っていて大きいだけ。レーナの敵じゃない。攻撃を上手に交わしながら、何度も切りつける。デブは鎧を着ているから、ほとんどの攻撃は跳ね返されるけど、それでもレーナは鎧の間を器用に狙っている。


「そこまで!」


 レーナが勝った。ステージの上で、俺たちを見つけて笑顔で手を振った。やっぱり、顔はさすが美少女。普段の性格を忘れて、思わず見惚れそうになる。


『幸せなどない』


 さっきの声が、頭の中に響いた。

 その瞬間、反対側の観覧席が爆発した。そこにいた観客はおそらく即死。近くにいた人はぶっ飛んだ。生徒は一瞬で悲鳴を上げて、一目散に反対側に逃げ出した。先生たちが叫ぶ。


「監督生は引率を! 落ち着いて! 冷静に避難するのです! 大広間へ!」


 また爆発した。今度は競技場内だ。逃げるために列を作っていた数十人は血を吹き出してふっ飛ぶ。

 大混乱だ。もう誰も、誰の言うことも聞かない。悲鳴を上げて、そこかしこに、蜘蛛の子散らすみたいに逃げ出した。

 俺たち三人の足は動かなかった。ステージ上で、逃げる生徒に押されてレーナが倒れた。助けに行きたい動けない。一体なにがどうなってるんだ?

 百人近くは競技場を抜け出して校舎の方に走ったはずなのに、そっち方面からも悲鳴が上がった。大量の生徒が競技場に逆流する。一匹のライオンを連れて。

 金色のタテガミと真っ赤な瞳を持っていて、体は普通のライオンの二倍はある。恐ろしく獰猛で俊敏。爪と牙で皆んなを引き裂いていく。

 爆発はなおも続く。凶暴ライオンに得体の知れない爆発。逃げ道がない。せめてライオンだけでも止めようと、先生も向かうけど、ライオンは速いし、生徒が邪魔で近づけない。遠距離からの天術も、生徒を巻き込むハメになるから撃てない。

 勇敢にも立ち向かう生徒は何人かいたけど、剣も弓も、体に当たっても火花を散らすだけでまるで効かない。

 ディーノが生徒の間を抜けてライオンの前に立った。


「皆んな下がって!」


 そう叫んで、橙色の雷撃を放った。

 残念。これも効かない。ライオンは雄叫びとともに金色の波動を口から放った。

 バリアを張って、最初は耐えたディーノも、やがて押し負けてふっ飛んだ。仰向けに倒れたディーノに、ライオンはそのまま襲いかかった。

 聞き慣れないディーノの苦痛に耐える悲鳴。気味の悪い骨をむさぼるそしゃく音。

 悲鳴が止まった。ディーノは上半身を丸々失くして倒れている。

 今すぐにでも走ってぶん殴りたい。もしくは、「逃げろ!」と叫びたい。だって、すぐそばにレーナがいる。ディーノとライオンを見て腰を抜かし、震えたまま体が止まっている。


「わしの学校で、これ以上好きにはさせん」


 そのとき、なによりも恐ろしい声が聞こえた。世界が震えた気がした。あまりの迫力に、生徒も先生も動きを止める。

 デルマートが見たことないくらい怒っていた。ライオンもデルマートを見てうなった。標的を一人にしぼったらしい。

 生徒の逃げる対象も変わった。ライオンからデルマートへ。誰も近づかないように一目散に駆け出した。レーナもなんとか立ち上がって逃げた。

 勝負は一瞬だった。ライオンが飛びかかったと思ったら、天空から柱のような、どでかい金色の閃光が落ちて、ライオンは消し炭になっていた。

 そして、それを合図にするかのように、競技場中が爆発した。

 流れ込んだ映像はこれで終わり。

 俺たち三人は、目の前に骸骨がいる不思議空間に戻ってきていた。俺もふくめて三人とも、顔は青ざめて体中が震えている。


「三人で。僕の挑戦を受けるがいい!」


 そう言い残して、骸骨は消えて、空も晴れた。また、平和な熱狂が聞こえる。

 ジャックが呟いた。


「……今のは、脅しか」


 チェイミーがうなずく。


「つまり、死にたくない、死なせたくないなら挑戦を受けろってことね」


 さっきまで骸骨が立っていた地面に、手紙が落ちていた。広げて中を見る。

 こう記してあった。


 慎重に挑め、この試練

 神の如き力の化石

 掲げる者は幸か不幸か

 噴き上げるは己が力の反逆、そばにあり


「子ども騙しの安い暗号ね」


 チェイミーは手紙を読んでわずか一秒でそう言った。


「わかるのか?」

「当然でしょ。四大天使の中で、美徳に慎重をおくものはミカエル。ミカエルは元々、『神に似た者は誰か』って意味だから、神の如き力っていうのはミカエルのこと。化石はつまり石像ね。ミカエルの象徴と言えば天秤。幸か不幸かはそういうこと。掲げるっていうのは腕を上げてるってことでしょ? つまり、腕を上げたミカエルの石像がある場所にいるってこと」

「けど、それってルシフェル街にいくらでもあるだろ?」


 ジャックがそう言うと、チェイミーは首を振った。


「だから最後の文章よ」

「噴き上げるは己が力の反逆?」

「そう。そこのそばにあるって書いてあるでしょ?」

「けど意味がわかんねーなぁ」

「二人も確実に見たことがあるはずよ。ミカエルの支配元素は火。反逆、つまりそれと相反する者って言えば?」


 ジャックは答える。


「……水?」

「そう。正解。そしてそれが噴き出すわけだから?」


 俺は手を叩いた。


「駅から学校に来る途中に見た! 噴水前のミカエルの石像か!」

「そう。ルシフェル街じゃカップルたちの人気スポットね」

「俺たちがそこに行って、挑戦を受けてクリアすれば終わり。誰も傷つかない。もしくは、俺たちだけ逃げるかのどっちかだな。先生にちくったりしれば、その瞬間ドカンッ! だろうし」


 ジャックは俺を真っ直ぐ見る。


「どうする? ショート」

「大会出場は取り止め。俺たち三人で皆んなを助ける。教えてやろう、俺たち三人にできないことはないって」


 二人は笑って頷いた。


「急ごう。記憶が正しけりゃレーナの試合まで時間はそんなにない」


 勢いよく駆け出した。

 武器は三人とも持っている。準備はなにもしなくても万端だ。


「あのライオン」


 チェイミーが言った。


「ネメアの獅子ね。恐ろしく硬い毛皮を持ってるの! 剣じゃ倒せない」

「じゃあ」


 ジャックが言った。


「戦わなくていいように祈ろう!」


 大賛成。あんなものを見せられた後で、あの凶暴ライオンと戦えって言われたら、勝てる気がしない。

 全速力で走ったから、大体三十分くらいで噴水に着いた。近くには観光客の女の人以外は誰もいない。


「君、もしかしてショート・アルマス? 背丈もオッドアイも噂通り!」


 女の人が俺を見てそう言った。


「まぁ、そうですけど。ていうか、早くどこかに逃げた方がいいですよ」

「すごーい、大英雄の息子。都市伝説。生で見ちゃった!」


 ダメだこいつ。話が通じない。


「いやぁ、本当にすごいよ」


 女は、寒気がするような気色悪い感じでニヤリと笑った。俺の経験からすると、こういう笑い方をするやつは大抵なにかある。


「きちんと約束守って。ちゃーんと死ににきてくれるんだもん」


 具体例としては変形。

 女の体がどんどん大きくなって、下半身も変化する。服は破けて丸見え。背中から鷲の翼が生えて、下半身はライオンの体。

 チェイミーが言った。


「スフィンクスね」

「大正解。よく僕の挑戦を受けてくれる気になったね!」


 ジャックが信じられないって顔で言った。


「スフィンクスって僕呼びなのか……」


 スフィンクスはすぐにむっとなった。


「あっ、それ! いけないの? 女が僕呼びじゃ。いつも皆んなに指摘される。僕は自分の好きを貫いてるだけなのに!」

「いや、そんなことは……。いいんじゃない?」

「天使にしては話がわかるね、あなた」

「あはは、ありがとう」

「それで?」


 チェイミーが聞く。


「あなたの挑戦ってなにかしら?」

「そんなの決まってるじゃない! なぞなぞよ!」


 俺とジャックは顔をしかめた。頭を使うのは苦手。反対にチェイミーは得意げだ。


「正解すれば勝ち、でいいの?」

「もちろんだよ。てことで第一問!」

「ちょ、ちょっと待って」


 スフィンクスが首を傾げた。ついでに俺とジャックも。


「第一問って、いくつか問題があるの?」

「うん。けど、なんで?」

「だってほら、伝説では、なぞなぞは一問で」

「難易度アップのためよ。有名になりすぎたのよね。あんなの伝説通りじゃみーんな答えれるじゃない! でも安心して! あなたたちには特別難しい問題を用意してるわ!」

「わーい」


 ジャックはわざとらしくバンザイする。


「すげーうれしー……」


 それを見たチェイミーは、あきれたようにため息をついた。


「もういいわよ。私が全部とくから。問題をお願い」

「そうこなくっちゃね。まずは第一問。朝は四本、昼は二本、夜は三本。これなーんだ?」

「人間でしょ。ていうか、伝説通りじゃない」

「大二問! 上は洪水、下は大火事。これなーんだ?」

「お風呂、ね」

「パンはパンでも食べられないパンはなーに?」

「フライパン。というかこれって──」

「パンはパンでも空を飛ぶパンはなーんだ?」

「ピーターパンね。でも──」

「すごい! また正解! じゃあ次は」

「ちょっと待ってったら!」


 変だ。チェイミーは全問正解してるのに、カンカンに怒っている。


「なぁに?」

「なに、じゃないわよ。ふざけてるの? これのどこが難問? 全部ウィキペディアにのってる問題ばかりじゃない」

「第五問!」

「ちょっと!」

「剣も弓も銃も効かない、すごく硬い毛皮を持っていて、金色のタテガミに赤い瞳。これなーんだ?」

「ネメアの獅子ね。ていうか、さっき映像を見せてきたのはあなただし、なぞなぞでもないじゃない」

「次は最終問題よ!」


 チェイミーは疲れたようすで、またため息をつく。


「もういいわよ。勝手にして。どうせ正解するんだから」

「いいえ、それは違うわ!」

「は?」

「この問題の解答者はもう決まってるの。あなたじゃないわ!」


 スフィンクスが俺を見て笑った。


「あなたよ。ショート・アルマス!」

「でも俺、残念ながら頭悪くて」

「大丈夫よ! すごく簡単だから!」

「あはは、助かる」

「てことで、最終問題!」


 スフィンクスは自分で「ジャァジャンッ!」と効果音をつけた。そして次の瞬間、チェイミーが悲鳴を上げた。チェイミーとジャックの体に蛇が縄みたいに巻きついた。二人は必死に抵抗してどたばたしてるけど、効果は薄そう。二人の体が浮いて、スフィンクスの前に並ぶ。


「おい! 二人になにするんだ!」

「問題! 怪物があなたの友達二人を人質に取りました」


 スフィンクスが不敵に笑う。

 俺の後ろで獣の──つい最近聞いたばかりの獣のうなり声が聞こえた。ジャックとチェイミーは俺の後ろを見て、呆然としている。

 俺はゆっくり振り返る。

 スフィンクスは続けた。


「怪物は言います。その獣を殺せば、二人を解放してあげましょう!」


 血に飢えた赤い瞳が俺を見つめる。牙も爪も、俺を引き裂くのが楽しみで輝いている。金色タテガミの眩しい光は、俺の無力を無情にも照らし出す。


「さぁ、あなたはどうする?」


 俺は剣を力強く握った。


「ちなみにこの問題は証明問題! 僕に獣を倒すところを見せたら合格よ!」


 俺が一番最初に思いついた答えは単純明快。ただがむしゃらに突撃して切ることだった。もちろん不正解。

 剣は毛皮に当たって、火花を散らして鈍い音を出しただけだった。めちゃめちゃ硬い。手がしびれる。攻撃した俺の方がダメージを受けるなんてあんまりだ。ライオンが少し体を動かしただけで、俺は簡単にはじき飛ばされた。

 ライオンは俺を見て再びうなる。ひとまず逃げよう。俺は急いで噴水の反対側に回った。少し考える時間がほしい。

 スフィンクスは愉快そうに笑った。


「あら、それがあなたの答え? とっても勇敢な行動ね!」


 まて、イラつくな。単純な挑発だ。今出たら死ぬ。考えろ、どうやったら勝てる? 二人を助けるんだ。

 おい。考えたって無駄だろ。俺はチェイミーほど頭は良くないし、ジャックみたく悪知恵が働くわけでもない。自慢できるのは剣ぐらい。けど、あいつは硬くてどんな武器もまるで効かない。たかが子どもの剣じゃ切れるわけない。

 いやいや、考えなきゃ始まらない。俺はもっと強いやつと戦ったことがある。こんなやつに負けていいはずがない。


「ちなみに、ペットを呼ぶのも禁止。それから助けもどうせ来ないわ。邪魔されないように、ここの周りには結界を張ってあるの! 安心して戦って!」

「余計な気づかいどうもありがとう」


 こんな凶暴ライオンだって生き物だ。弱点がないわけない。そうだ。目はいくらなんでも切れるはず。

 ライオンを見た。相変わらず大きくて、俺が少しでも噴水から離れた殺そうとしている

 弱点をつく。もちろん、近づけたら、の話だ。

 俺は自分の得意な武器が剣なことを呪った。弓なら、離れたところから目を攻撃できたかもしれないのに。

 天術を使うか? ついさっき、ディーノがそれで負けたのに? バカみたいだ。

 ついに豪を煮やしたのか、突然ライオンが雄叫びを上げた。口から出た波動は噴水を破壊した。俺の盾はこれでない。

 俺はその場から急いで逃げた。新しい盾探しの旅だ。けど、この辺には何もない。

 俺はミカエルの石像を睨んだ。剣を掲げて自信満々って顔。のんきなやつだ。俺なんか、今ここで殺されそうになってるのに。

 ライオンが俺に飛びかかった。俺はその下をくぐるようにスライディングして避ける。オーケー。俺の得意なことリストに、『敵の攻撃を避ける』が追加された。

 ライオンは口を大きく開けた。のどちんこまで見える。ていうか、これだ。そもそも目は小さすぎる。標的にするには相性が悪い。けど口の中ならわりと広い。それに、口の中ならさすがに切れるはずだ。

 そしてもちろん、近づけたら、の話だけど。

 ライオンがもう一度飛びかかった。爪が俺を襲う。そして残念なことに、今度は完璧には避けられなかった。体を四本の線で切られた。ほんのかすり傷だけもめちゃくちゃ痛い。あと少し体を引いてなかったら、肉をはぎ取られているところだった。

 体は震えるし、剣は重い。俺の全身が、「今すぐ逃げろ!」と叫んでいる。黙れ。二人を見捨てていいわけがない。

 考えてもなにも浮かばないなら、考えないで戦った方がよっぽどいい。

 俺は雄叫びを上げて、もう一度ライオンに襲いかかった。

 何度弾かれても関係ない。ライオンの周りをちょこまか動いて、ライオンの攻撃を避けながら、とにかく切りつけた。火花は何度も散るけど、やっぱり全く切れない。

 足がもつれて動きが一瞬止まった。その隙にライオンが俺の左腕を噛んだ。死ぬほど痛い。けどチャンスだ。俺は剣を右手で逆手に持ち替えて、ライオンの左目を突き刺した。ライオンは悲鳴を上げて、後ろに下がった。俺もその隙に後ろに下がる。

 左腕は焼けるような痛い。血はダラダラと流れ続けている。腕一本に対して奪ったのは目を一つ。超効率が悪い。おまけに俺は、さっきの連打と痛みでもう気絶しそうだ。状況はさっきよりも不利かもしれない。ライオンは目をやられたことで、もうカンカンだ。

 剣じゃ勝てない。このまま戦ってもどうせ負けて三人とも死ぬ。だったら、一か八かだ。

 俺は剣を捨てて、意識を力に集中させた。想像するんだ。ライオンが大気に押されて、ぺちゃんこの圧迫死するイメージ。

 地面も空気も、ここら辺の空間が全てが揺れ出した。ライオンが牙をむき出しにして俺に襲いかかる。けど、俺の周りの丸い膜に防がれた。今の俺はライオンと同じで攻撃が効かない。

 体が悲鳴を上げだした。いや、俺の口からも悲鳴を出してたかも。とにかく、全身が裂ける寸前で痛い。とくに左腕は、さらに傷が広がって血が勢いよく噴き出した。

 俺は右手をライオンに突き出した。この空間中の大気が、渦を巻いてライオンに集まる。体が締めつけられて悲鳴を上げている。

 空間支配の自己防衛本能。左腕の傷が、今度はだんだんふさがり始めた。そしてそれに比例するように、体の激痛は増していく。

 あともう少しだ。そんなことを考えながら、ずっと力をライオンに向けた。

 体感十分。俺の中でプチッとなにかが切れる音がした。身体的にも体力的にも、俺は限界を迎えた。

 揺れはおさまった。

 俺は全身から噴水みたいに血を噴き出して、前に倒れた。

 ライオンが怒りに任せて叫んだ。残念ながら倒せなかったらしい。後ろの右足を引きずってるけど、左目以外は、相変わらず一滴たりとも血を流していない。

 ははは。どうやら本当に死ぬらしい。

 ジャックとチェイミーは俺を必死に呼んで叫んでいる。「逃げろ!」とかなんとか。無茶言わないでくれ。そんなことできる力があったら、とっくにしてる。

 スフィンクスが笑った。


「どうしたの? これが全部なわけじゃないでしょ。まだあるでしょう? あなたの力」


 ダメだ。俺が死にかけてるせいで、意識ははっきりしてるのに、どんどん遠のいていく。

 やめろって。必死にうったえる。二人に見せるわけにはいかないんだ。


「見せてよ。あなたの中にある、その炎」


 火柱が四方に上がった。

 うるせぇよ、死にかけは黙って見てろ。そう言われた。

 意識が完全に奪われた。

 傷だらけの体で、平然と立ち上がる。

 スフィンクスは嬉しそうに笑った。


「お久しぶり! 何年ぶりかしら。フェニーチャー様」

「あ?」


 フェニーチャーは俺のせいで超不機嫌。「おっ、こんなところにちょうどいいうさ晴らし発見!」って感じでライオンを睨んだ。

 ライオンは吠えて、波動を吐いた。フェニーチャーも右目から赤い波動を放って、相殺した。


「死んでろ、ザコネコ」


 火柱がライオンを襲った。ライオンは悲鳴を上げてのたうち回る。必死に逃げるけど、その度に新しい火柱が立って飲み込まれる。

 そうして、十秒も経たないうちにライオンは消えた。


「結局硬いだけ。毛は燃えやすくていいなぁ」


 フェニーチャーはスフィンクスを見た。


「さぁ、お前のくだらないなぞなぞに答えてやったぞ。早く二人を解放しろ」

「さすがです! フェニーチャー様!」


 ジャックとチェイミーに巻きついていた蛇の縄が取れる。二人は急いで俺の後ろに逃げた。


「そしてありがとう! あなたは僕と一緒に来てもらいますよ。あの方の元へ」


 体がぐいっと前に引っ張られた。

 意識の奥に引きずり込まれる。気づけば俺は、意識の中の真っ白な空間の中いた。フェニーチャーと初めて会った精神世界だ。

 フェニーチャーは俺から前に少し離れたところで、背中を向けて立っている。俺とフェニーチャーは、金と赤が入り混じったエネルギーで繋がれている。そして今、その繋がりが引っ張られて千切れそうになっている。

 フェニーチャーは必死に抵抗してるけど、見えない力でどんどん俺から離れている。フェニーチャーの前。もっと奥。精神世界のその先で、スフィンクスが前足で手招きしている。


「フェニーチャー。さぁ一緒に来て! ショート・アルマスとの繋がりを切るの!」


 取られてたまるか。俺は切れないように繋がりを掴んで引っ張った。


「あなたの力なら、あの方はすぐにでも力を取り戻すことができる! だから、来い!」


 フェニーチャーを引く力が強くなった。

 俺は必死に抵抗した。とにかく引っ張る。俺の体の中から、フェニーチャーが連れてかれようとしている。


「やだ。ショート・アルマスったら! なぜ抵抗するの? あなたにとっても邪魔なはずでしょ! 僕の好意に感謝しなくちゃ!」

「邪魔?」

「だってそうじゃない。あなたは悪魔を体に飼っている限り、本当の意味で天使の仲間にはなれないもの! 人間界にも、天界にも、魔界にも、あなたの居場所はないわ! でも、フェニーチャーが抜ければ話は別、でしょ?」

「ふざけるな! フェニーチャーを利用したいだけのくせに。大体、フェニーチャーはまだ完全に復活してない。消すには絶好の機会だ。十年前に裏切ったやつなんて利用するだけして消すつもりだろ!」

「あら。それがなにか問題ある? だって、悪魔なんてどのみちあなたの敵よ? 厄介払いは早いうちにしとかなくちゃ!」

「フェニーチャーは敵じゃない! 少なくとも、俺にとっては友だちだ。ずっと一緒の体で過ごしてきた。もう何度も助けられた。ついさっきだって!」

「そんなの自分が巻き添えくらいたくないからに決まってるじゃない!」

「かもね。けどどうでもいい。俺はそれで助けられたから。友だちが利用されて殺されそうになるのに、黙って見過ごすわけにはいかないだろ!」


 フェニーチャーが、俺を見て笑った。


「生意気言うな、ガキ」


 俺とフェニーチャーの繋がりが火柱のように燃え上がった。さっきまでよりもずっと太い。少なくとも、そう簡単には千切れそうにない。

 フェニーチャーがスフィンクスに向かって炎を放った。


「スフィンクス。お前にとっておきのクイズを出してやる」


 フェニーチャーが言った。


「俺とお前、どっちが強いでしょう?」


 精神世界が崩れて、意識が現実に帰っていく。完全に戻る寸前、スフィンクスの声でこう聞こえた。


「やだわ。残念ながら、あなたたちだったみたいね。フェニーチャーと、ショート・アルマス」


 戻ったときには、スフィンクスは灰になっていた。意識はもう俺のものだけど、翼が三本はえて、右腕は肩までフェニーチャーのものだった。

 そしてそれは、残り火のように少しずつ消えて、やがて俺の体になった。

 どうやらさっきので、スフィンクスにかなり力を吸われてしまったらしい。フェニーチャーは体力切れで眠っている。そして俺も、限界だ。元々力は使い果たしてたし、本来動ける体じゃない。

 俺は振り向いて、ジャックとチェイミーを見た。二人ともわかりやすくて助かる。驚いてる。そして少なくとも、引いてない。

 それを見て、俺は、どこか安心して、意識を失いながら──倒れた。




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