第1話 鉄仮面殺人事件
プロローグから2年後になります。
生死問わずの賞金首である悪名名高い盗賊団の首領グリマが
路上で首を切りつけられ殺害されるという衝撃的な事件から2年が経過していた。
王都警察はその事件の犯人とされる正体不明の殺人者
“鉄仮面”を捕えるべく捜査本部を設置し、
スペンサー警部の指揮のもと懸命に捜査を続けているが、いまだに逮捕には至っていない。
それどころか、状況は悪化の一途を辿っていた。
王国を震撼させたグリマの死は“序章”に過ぎなかったのである。
本署4課にある会議室でスペンサー警部やロジャーズ警部補
を含め主要な警官達が集まっていた。
普段はめったに現場に顔を出さない4課課長のモランの姿もあった。
「王都南部の貧民街で昨夜発生した、2人の男が殺害された事件について報告します。」
会議室前方の壇上でロジャーズ警部補が、自身が現場検証の指揮を執っていた
殺人事件について報告を始めていた。
「被害者の身元は特定できました。殺された2人は、大犯罪組織“ディアブロ”で
“人身売買”を統括する幹部のアビダと、その側近兼護衛の“屠殺人”グロメルだと
判明しました…。いずれも生死問わずの賞金首です。」
その名前を聞いて会議室にいる警官は思わずどよめいた。
“ディアブロ”というのは王国最大の“犯罪組織”である。
ありとあらゆる違法ビジネス――例えば麻薬や製造や販売、密輸、人身売買
違法の娼館、そして暗殺業などで莫大な利益を上げ続けており、
ここ10年ほどの間に急速に勢力を拡大し続けている。
現在では王都で発生する重犯罪の実に半数に関与しているとまで言われており
王都警察や、冒険者、賞金稼ぎ達にとっては紛れもなく最大の敵である。
そしてアビダはこの犯罪組織ディアブロにおいて人身売買を取り仕切っている
大幹部でありグロメルはその側近兼護衛だ。
2人とも高額な懸賞金をかけられた悪辣極まりない凶悪犯罪者だった。
王都警察は長年に渡って彼らを追い続けていたが
その居所は全く掴めていなかった。
「あの奴隷商人元締めのアビダと屠殺人グロメルだと!?」
「犯罪組織“ディアブロ”の幹部じゃないか!」
「2人とも王都警察が長年追っていた重罪人だ。」
「犯人はどうやって居場所を突き止めたんだ?我々には影も形も掴めなかったのに。」
「グロメルも殺されたってことは犯人はそれ以上の実力があるってことか…」
警官等は口々に驚きの声をあげた。
「静かに!ロジャーズの報告がまだ途中だ。」
モラン課長が場を鎮めた。
「続けますよ…2人の死因は鋭利な刃物で胸部を刺されたことによる失血死です。
検死解剖の結果、傷はいずれも心臓を貫通していることがわかりました。
さらに、これ以外には特に目立った外傷は見つかりませんでした。
ご存知の通り心臓は、胸骨と肋骨という堅牢な骨で覆われていて、
そう簡単に傷つけられるものではありません。
ですがこの犯人は最初の一撃で、しかも動く相手に対し服の上から…」
「ロジャーズ!」
スペンサーが突然叫んだ。
「肝心なところから話してくれ、“犯人”に関する情報はあるのか?」
そうは言ったものの、スペンサーにはこの事件の犯人が誰なのか、
ある程度予想はついていた。結論を急いがせたのは
その予想が“間違いであってほしい”という一抹の希望から来るものだった。
「…残念ながら、警部、貴方の予想は当たっているでしょう。」
ロジャーズは警部の考えを察していた。
「聞き込みを行ったところ、数人の周辺住民が現場周辺で
不審人物が逃走するのを目撃していました。
その者は魔法使い風のローブで全身を覆い、“金属製の仮面”を被っていたそうです。」
「鉄仮面か…!」
――“またしても”奴か…これで一体何人やられた…?
スペンサーはがっくりと肩を落とした。他の警官達もほぼ同様の反応を示した。
「前述の目撃証言に加え、現場検証の結果、犯人は人気のない路上で
被害者を待ち伏せて奇襲し鋭利な刃物で切りつけるという
“いつもの手口”で犯行に及んだようです。
そして遺体の傍には“グリマ事件”の時と同型の短剣が落ちていました。
加えて、急所を一撃で捕らえるという技術の高さ、被害者が凶悪犯罪者であること…
どこをとっても“奴”が“これまで起こしてきた殺人事件”と酷似しています。
以上の理由により、アビダとグロメルを殺害した犯人もは
“鉄仮面”と見てほぼ間違いないでしょう。」
ロジャーズがそう結論付けると、それを聞いていた警官等は同意するように無言で頷いた。
グリマは一連の連続殺人事件の最初の犠牲者に過ぎなかった。
その後も指名手配中の凶悪犯罪者が他殺体となって発見される事件が
次々と起こったのである。
そのほとんどがグリマの時と酷似した手口であり、
一部の事件では“仮面を被った不審者”が目撃されていた。
「グリマに始まり、放火魔のブレイズに呪殺王バラン。
連続誘拐殺人犯のアンドレイもそう。それに今名前のあがったアビダとグロメル…
我々が追い続けていた凶悪犯罪者が次々と殺されていく…!」
スペンサーは苦虫を嚙み潰したような表情で呟いた。
「王国の歴史上、他に類を見ない異常事態だな…
これで鉄仮面とやらによって殺された犯罪者は何人になった?」
モラン課長が隣に座っているスペンサーに尋ねた。
「…正確な人数はわかっていません。
何しろ多くの事件では有力な証拠がないので
どこまでが奴の仕業かがはっきりしないのです。
ですが“犯罪者が、正体不明の何者かによって殺された未解決の事件”は…
この2年で100件に及びます。」
「たった2年の間に100件…紛れもなく王国史上最悪の連続殺人事件だ。
これほどまでに多くの殺人を起こしているというのに、この鉄仮面なる犯人に関して
手掛かりは得られていないのかね?」
モランは苛立ちを抑えきれない様子でスペンサーに問いかけた。
スペンサーは焦りから思わず視線を逸らした。その顔には冷や汗が浮かんでいた。
何しろ、鉄仮面の正体は2年が経った今も“全く不明”なのである。
もちろん王都警察は、懸命に捜査を続けている。
にも関わらず鉄仮面の正体にまるで近づけていないのは、
どの現場にも有力な証拠がほとんど残されていないためだ。
一部の事件においては
「現場からさほど遠くない場所で仮面を被った不審な人物を見た」
という程度の曖昧な目撃証言が出ているが、
それ以上の決定的な証拠は何も残っていなかった。
「鉄仮面の正体は、残念ながら現時点で全く不明です。
今わかっているのは奴が凄腕の剣士で、卓越した殺しの技術を持っていることと、
奴が狙うのは犯罪者だけということです。それに警察が居場所を把握していない
犯罪者を何十人も手にかけていることから独自の情報網を持っていると思われます。」
スペンサーは力なく答えた。
「既にわかっている事ばかりじゃないか。つまり随分前から
何も進展していないということかね?」
モランはスペンサーが返す言葉もないのを見て取ると今度はロジャーズに尋ねた。
「ロジャーズ、この分野の質問は王都警察屈指の魔法使いである君に聞くのが最善だろう。
鉄仮面が転移魔法を使っている可能性はあるだろうか?
もしそうなら奴が神出鬼没なのも、残っている証拠が少ないのもうなずける。」
転移魔法はその名前の通り、ある場所から別の離れた場所へ
一瞬で移動するというもので、ほんの一握りの一流の魔法使いにしか使えない
超高等魔法である。つまり、鉄仮面がこの魔法を使った形跡があれば
容疑者は大きく絞られることになる。
しかし、この説は既に検証され、そして否定されていた。
「…その説は検証されていますが、残念ながらこれまでに
奴が転移魔法を使ったという形跡は確認されていません。」
ロジャーズの答えはモランを刺激しないよう言葉を選びながら答えた。
この魔法は非常に魔力の消費量が大きく、使用すれば魔力の残渣が
周辺に必ず残るのだが、鉄仮面が関わったとみられる一連の事件で残渣が
検出されたことは一度もなかった。
「そうか…奴が仮にこの魔法を使っているなら、かなり容疑者が絞られると思ったのだが…」
モランは今度は会議室を見渡した。多くの警官は、
モランと目を合わせないように下を向いていた。
それは誰も彼を納得させるだけの答えを持ち合わせていないことを示していた。
モランはそれを悟ると、一同を叱咤するように声を上げた。
「この鉄仮面なる殺人鬼が只者でないことはわかる。犠牲者の人数の多さ、
殺しの頻度、技術、証拠の少なさ、どれをとっても過去に例を見ない異常さだ。
しかし、だからと言ってこの殺人鬼をこれ以上野放しにしていては犠牲者は増える一方だ。
それに捜査が難航していることは世間にも広まっていて王都警察への風当たりも
次第に強くなってきている。いいか、鉄仮面は絶対に我々の手で逮捕しなくてはならん!
王都警察の威信にかけてだ!」
モランは一呼吸おくと更に続けた。
「この鉄仮面に関して、何か気づいたことがある者はいるか?
些細なことでもいい、思いついたらこの場で発言してくれ。」
しばらくの間は誰も声をあげなかった。再び重苦しい空気が会議室を覆った。
スペンサーは俯きながら、誰かがモランを納得させる答えを
出してくれることを祈っていた。
やがて一人の警官が沈黙を破った。
「課長、鉄仮面に関して、一つ心当たりがあります。」
声を上げたのはシャノン巡査部長だった。
中性的な容姿に似合わず王都警察屈指の凄腕の剣士であり、
鉄仮面と“戦える”であろう数少ない人物と評されていた。
まだ若く少し前まで無名に近い存在だったが、
鉄仮面の戦闘力の高さが明らかになるにつれ急速に発言力を増していた。
スペンサーは一抹の期待を抱いてシャノンに視線を合わせた。
他の多くの警官も同様だった。
シャノンは部屋中の視線が自分に注がれるのを気にも留めず話を続けた。
「この鉄仮面事件は犯人の戦闘力や殺しの技術の高さに目が行きがちですが、
それ以上に特徴的なのは、犯人の“情報収集力”でしょう。
前から言われていますが鉄仮面がこれまでに殺してきた犯罪者達は
王都警察や冒険者、賞金稼ぎ達が血眼になって探してきたにも関わらず
居所がわからなかった者ばかりでした。
特に今回のアビダに関しては10年近くに渡って
居場所どころか尻尾さえ掴めなかった男です。」
「…今更その話かね。」
モランは不満げに答えた。
「奴が一体“どうやって”犯罪者の居場所を突き止めているのかは
捜査が始まった当初から議論されているが、いまだに答えが出ていないことだ。
シャノン、君には何か心当たりがあるのかね?」
「ええ、ありますよ。」
シャノンは挑戦的な笑みを浮かべながら言った。
「正攻法で考えてもわからないでしょう。
少なくとも現時点では証拠が少なすぎるのでね。
そこでちょっと考え方を変えてみましょう。
“誰なら”潜伏している犯罪者たちの居場所を知っているでしょうか?」