サナトリウム
目に映るのは月光に照らされた洋館だった。
和風屋根のエントランス。しかし、建物の全容は洋風造りの館だ。
「まさに明治の欧化主義が広まった時代に建てましたという感じね」
明治16年に日本の外務卿井上 馨による欧化政策の一環として、国賓や外国の外交官を接待するため、外国との社交場として建設され、使用された有名な西洋館が存在する。
その洋館を中心にした外交政策を『鹿鳴館外交』という。
その目的は欧米諸国との間の不平等条約を改正する狙いがあったが、明治20年、条約改正の失敗で外務卿井上 馨が辞職したことで『鹿鳴館時代』も幕を閉じることになった。
明治23年からは華族会館として使用されるようになったが、しかし昭和16年に取り壊された。
エントランスの柱にタクティカルライトの光を当てる。そこには大理石のプレートに『深鼓守療養所』と書いてある。
――和洋折衷のサナトリウム……。
サナトリウムはかつて結核治療用の施設閉じて長期的な療養を必要とする人のために造られ、治癒率が高まって以降は聖心疾患や認知症、脳卒中の後遺症などの治療、療養施設となった。
――因みに日本初のサナトリウムは明治20年に倉敷由比ヶ浜に建てられた結核療養所だったはず。では、此処は?
この洋楽は欧化主義が広まった時代のものだ。
――孤島の迎賓館? でも、このような島に?
しかし、目の前の建物が何を目的にしたものであれ、当時の面影などない。癒しと憩いの場でもあったのだろう庭園は雑草に覆われ、花壇は組んだ煉瓦が崩れている。お洒落なベンチは腐り落ちて、東屋は蔦が絡み付いて一部では、蔦で完全に覆われてしまいカーテンのようになっている。それはサナトリウム自体にも言える。
杜の中に在っても日差しで暖かく、夏は木々が作る木陰で涼しく、秋は紅葉、冬は物悲しいかもしれないが、どんな季節でも陽光を浴びて白く輝いていたはずの壁には蔦で覆われ一面が緑。瓦は落ち、窓は割れ、エントランスだけしか今は判らないけれど梁と柱は欠けている。腐り、虫に喰われ、一部が木屑となって落ちている。
――小説家朝霧さんが物語の舞台に選んだのは此処で間違いないわね。では、学者の稲村さんと、助手の根堅さんが調べようとしていたのは海石島の独特の風習と代結山と深鼓守ノ森で執り行われていた儀式か。
元々、綺麗な三角錐の山には神が宿る、降臨すると云われている。
――間違いなく土地神関連ね……。
顔には出さないけれども、内心では顰めっ面になる。
――厄介なことを。
そんなことに兄の手を煩わせないで欲しい。そう思ってしまった。
――これだけ死の気配が濃いいと……。
神の性質も変質しているに違いない。そして、神隠しにあった者たちは資格もないのに杜、山にはいり、神域の境界を―― 現世と幽世の境界線を越えてしまったのだ。
私は両手を自由にするために、剣帯のタクティカルライトホルダーにライトをセットして前方を照らすようにする。
――何かしらね、この開発力は……。
霊力登録者の霊力に反応して霊光を照射して霊を寄せつけない、という代物だ。
――私の場合斬った方が早いのだけれど……。
先ほどまでは言ってしまえば、島民であっても遊び半分で訪れて自ら命を絶ったものでも、後に呼ばれたものであっても有象無象だったから斬らなかった。
全て相手していたら切りがないから。ただ、それだけのことだ。
――此処からはそうはいかないわね。