私と兄
兄のクルーザーに乗り込む。
私が持ち込んだ食料と水は三日分。
稲村さん所有のクルーザーで調査しているうちに、補佐の者たちが兄のクルーザーへ運び込んだようだ。丁度良いので拠点とする。
兄はあまりものを持ち込まなかったのだろう。必要なことは頭に入っているだろう。補足ならば手持ちの手帳に書かれている筈だから此処には無いのは当然だった。
……何故、お役目用の戦闘服が学園の制服でなければならないのか疑問で仕方がない。
裏にはびっしりと魔除けの呪いが刺繍されている。片方だけに巻くガーターリング。膝下までのストッキングのようなタイツのような生地の靴下。どうせなら全て被って欲しい。こう言えば必ず「生の太ももにガーターリングを片方だけ巻くから良いのよ」と返される。
登山だろうが平地だろうが走破出来る丈夫な黒革のショートブーツ。
あのお方は変なところに拘る。勘弁して欲しい。鬼斬りの私に何を求めているのかわからない。頭が痛い。
邪魔になるがリュックに軽食、水筒、登山用ロープに生理用品、救急用品が入っているのを確認する。本当に最低限必要なものしかない。
最後に剣帯をして佩く。取り回しが利くように打刀より短く脇差しより少し長めの刀、銘を〈彩輝〉という。
〈彩輝〉は『鋒両刃造』と呼ばれる造りとなっている。鋒が両刃となった独特の造込みとなっていて、これは奈良末期から平安時代中期にかけて、主に刺突を目的とした直刀から切断を目的とした湾刀の過渡期に双方を目的として考案されたもので、この造込みの代表作が小烏丸だ。故に小烏造とも呼ばれている。
外は暗い。タクティカルライトの灯りをつけ、行って来ます、と無人の船内に告げる。
私がそう言える家族は母と兄だけだ。
「……霧?」
島に着いた時は月も星も良く見えたはずが、霧が出て翳ってしまった。
漁港の直ぐ側には作業場兼店舗だろうか、船屋に似た建物が並んでいる。やはり長い年月を風雨に晒されて朽ち果てている。
かつては賑わい活気に溢れていたであろうアーケード街のような市場。屋根には穴が空き、梁が腐り落ちている。店はシャッターが適当に閉められたのか、もしくはもう島には戻れない、戻ることはないと割りきったのか、開いたままになっていた。
足場に気を付けながら短いアーケード街を抜け、沿岸沿いの道に出る。
「地図では右に沿って歩けば代結山へと続く深鼓守の杜の入り口に行き着くはずね」
――何事もなければ、だけれど……。
稲村さんが感じていた気配は正しい。海石島に近付くほどに死の気配が濃くなった。複数の人の気配―― 視線を感じた。
彷徨い、迷い、同胞を求めている。負の感情に餓えている。私を捕らえようと手を伸ばしてくる。足首を掴もうと地面から手が現れる。生が羨ましい、だからお前も死ねと命を欲してくる。海から這い出てくる。
ゾロゾロ、ゾロゾロと私の後を追ってくる。集まってくる。
顔が潰れたらもの。首が折れた者。四肢が折れちぐはぐにも拘わらず迫ってくる。顔はこちらに向いていても背中を向けて追ってくる者もいるようだが。匍匐前進で追ってくる。腐ったような臭いに磯臭さが混じる。投身自殺をした者たちの浮かばれぬ霊。
自殺の名所と云われるのも当然だ。これだけの強い念が集まっているのだから同じ思い―― 悩みを持つ者を引寄せる力も強くなる。自殺の名所とは自殺者が多いならではない。呼び、呼ばれ、応じてしまう場所だからだ。
中にはこんな筈では、死ぬつもりは、などと嘆く霊がいる。
――ならば遊び半分で訪れなければよかったのよ。
胆試しで心霊スポットに来て行方不明になったのは彼らのことだろう。
怖がる者を見て嗤う者、彼らには最初から度胸などないのだ。
そんなことでしか度胸を見せられないような薄い矜持など早々に捨てるべきだ。
「いざとなれば真っ先に逃げるのは誘った者の常なのよね。そして逃げ遅れたか、仲間からはぐれて置き去りにされて、呼ばれて投身自殺した、といったところね」
そして、置き去りにした者を呼んだ。
救えない。救うことなどしない。切りがない。土地ごと浄化など出来ない。する気もない。
私に慈悲はない。情もない。相手にしない。行く手を阻むなら斬る。
足を掴もうとするものを踏み砕く。
波の音が思考を奪おうとしてくる。いや、波の音に紛れた使者からの誘い、か。意識を持っていかれないように魔除けの呪いを唱える。
しばらく歩き、深鼓守の杜に着いた。石垣と標識がなければ、そこが入り口だとはわからなかっただろう。
兄さんはこの奥に建つ洋館のようなサナトリウムに向かったはずだ。そのサナトリウムが朝霧という小説家が物語の舞台に選んだ場所だ。
鬱蒼とした森に霧が立ち込めている。
私が杜に入るのを拒んでいる。ビシ、バシと警告音を発して来ている。
霊力を一瞬、解放する。ザザザザザ、と複数の気配が遠ざかる。鞘当てのようなものだろう。これで互いに相手を消すべき敵という合図になった。
伸びた蔦や根、濡れた石に足を取られないように歩く。腐り交差するかのように倒れている木。その木は別の木々に辛うじて支えられ、大人が一人四つん這いでようやく通れる隙間がある。
隙間を潜り抜けて汚れを払う。
「オぉオォォ……」
枝が折れ首を吊った者が落ちた―― アヒルが水中に沈み混んでから浮上するように顕れた霊を飛び退きながら斬る。
この世に残りたい、生が羨ましい、未練などを断ち切り、魂そのものを斬った。
鬼斬りに斬られた悪霊は成仏出来ず、極楽であれ地獄であれ逝くことも出来なければ輪廻の環にも還れない。
「っ!!」
首を吊った瞬間は霊の記憶。落ちたのを視せたのは土地の記憶。
――私に入ってこないで!!
「兄さん!!」
私の眼が兄さんを捉える。何故、と疑問に考えるより先に私は叫ぶ。
兄さんを追いかける。
「何処にいるのですかっ!! 何故、連絡を断ったのですか!! 帰ってこないのですか!!」
しかし、追いかけた先に兄の姿は無かった。兄は歩いていた。走って追いかければ必ず追い付けたはずだ。それが追い付けず、兄の姿は消えた。幻だったかのように。
「幻!?」
そうだ。私が視たのは幻だ。兄さんの残留思念を視せられた。
後手に回っている。忌々しさに奥歯を噛み締める。
――やはり私ではまだ兄さんに遠く及ばない……。
私たち兄妹の家は古くから、この世に在らざるモノ―― 只人には視ることの出来ないモノを視て、それらを退治する家に生まれた。
俗にいう“お化け”や“幽霊”を視て降伏の太刀を担い退治するのだ。現在は降伏の銃も弾も用いられているけれど。
除霊や成仏をさせるのではなく、斬ることで終わらせるのだ。例えるなら桃太郎とか。鬼を斬り斃して退治している。
それが私たちが生まれた千羽家のお役目である。
私たちは“霊”や“妖怪”、“化生”、“魑魅魍魎”をまとめて“鬼”と云い、“鬼”を斬り退治する私たちのことを“鬼斬り”と云う。
私たちの家―― 千羽家には家族という概念がない。鬼斬りの才と鬼を視る力―― “見鬼”の才能があるか否か。才能が有っても使えるか否か。それだけの繋がりだ。
私たち兄妹の父―― 千羽 常朗は千羽本家の生まれで、当代だ。
私、千羽 真弓美を産んだ母は千羽家の分家も分家、その端に申し訳ていどに引っかかる家の生まれで、名を葵という。
私は、と言ったのは兄とは母親が違う異母兄妹だからだ。兄の名は龍馬という。麒麟児になるように、だとか。
名前が麒麟では動物園のキリンと笑われてしまうからな、と兄は笑っていた。
何気に歴史好きには、琴線に触れる名前である。私の密かな趣味に兄は朗らかに笑い、私に子が出来たら願いをこめて付けてやればいいとまた笑う。
――子なんて考えられないし、親子の情を持てるか怪しい。
けれど、私にも母と兄だけには親兄妹と慕う情がある。
――子を成せば情は生まれるものなの?
わからない。人に仇為す鬼ならば身内すらも斬らなければならないのだ。だから……母や兄に情があると知られてはならない。心の奥深くに沈めて隠さなければならない。
因みに異母兄姉、弟妹は他にも存在する。才能があるかないかの試されて篩にかけられる。
霊力、見鬼、武術……。上は下を蹴落とし、下は下剋上を狙う。
若手であろうが兄は老手、中堅どころの誰よりも才があった。見鬼の才も、霊力も誰よりも強かった。天剣流剣術は二十歳過ぎで修めた秀才だった。
私の母親の家の格から、私は大したことがないと思われていたが、同世代と兄と同世代の者たちより才があった。
次期当代と見なされていた龍馬兄さんに私は手解きを受けた。
私は、龍馬兄さんよりも才があった。兄が二十歳を過ぎて修めた流派の剣術を私は既に修めている。
家格を問題にして文句をいう者たちは現れるだろうが―― 実力主義を敷いているのは老手のお歴々なのだから、文句があるのならば自ら守ってきたルールを彼らは覆すしかない。
ようやく足場の悪い石の階段が終わり、開けた場所に出た。