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フェイクな神様

その人を最初に見たのは、SNSだった。リツイートで偶然回ってきたその記事には、『いつも満席になる、自宅サロン』というタイトルが掲げられていた。自宅サロンとは、簡単にいうと『個人宅を開放して、サービスを提供すること』らしい。子育てや介護などで、仕事の量をコントロールしたい女性のビジネスチャンスという意味合いが深く、ネイルやエステ、料理教室や手芸教室など、好きなことを仕事にできるということで、2年ほど前に流行したが、今はあまり話題にならない。ある程度実力のあるところだけ生き残っているということか。

この『いつも満席になる、自宅サロン』はそういう意味で、満席になるだけの惹きつける魅力を持っているのだろう。このサロンは、フラワーアレンジメント教室だった。教えているのは、この『自宅』住人で、品のいいマダムだった。年は40才くらいか。マダムの自宅は一流ホテルのスイートルームみたいな豪華さで、こんな本物の金持ちの記事、いつもならさっさとスワイプして記憶の片隅にも残さないのに、この時だけはなぜかそうはしなかった。何か、気になった。私は画面をくまなく眺めてみた。そして、その理由がわかった。それはマダムが付けていた指輪だった。拡大してみた。


「これ……」


私はおもわず声を漏らした。指輪についていた石はそんなに大きくなく土台もシンプルだったから見逃しそうだったが、よく見てみるとその石は、超希少価値の高額なものだった。土台やデザインから考えると、少なく見積もっても市場価格1500万円はする指輪だと思われた。

高揚しながら、もう一度見る。うん確かにそうだ。宝飾デザイナーだった私にはわかる。とんでもない指輪だと確信した瞬間、私の中に声が響いた。


『あの指輪は、私が持つべきだ。それで全てが解決する』。


私は、マダムの『自宅サロン』のレッスンに、予約を申し込んだ。


本当なら何カ月も待たなくてはいけないのに、たまたまキャンセルが出て、すんなりレッスンを受けられることになった。この幸運からも流れがきていると確信したが、レッスン代を工面するために、また借金しなければならなかった。

1回2時間3万円で計4回の12万円(税込み)。花、花器、ティータイムのお茶とお菓子代含む。定員6人だから、1レッスンでマダムに18万円入る。諸経費が一人当たり5千円として、それを差し引いても15万円。時給7万5千円。いいシステムを作ったもんだな、と羨ましさを通り越して、ただただ感心する。金はさびしんぼうとよく言われるが、本当にそうだ。金は金のあるところに集まる。

私は、洋服や靴バッグをレンタルし、一流ブランドで身を固め、金持ち風に変身した。更に借金の額が増えたが、完全防備は必須だった。準備を完了し、いざ、マダムの自宅サロンへ向かった。


マダムの自宅は、27階建てのタワーマンションの25階だった。マンションの入り口がどこかわからず、迷っていると声をかけられた。マダムの自宅サロンのスタッフだった。手に、事前に送っていた写真を持っていたので、それで私が生徒だとわかったようだ。スタッフはもう一度、私の顔を凝視し、正式にOKを出し、マンション内に入れてもらえた。

エレベーターに乗り、25階へ向かう。玄関の前にもスタッフがいて、また顔を確認された。一見セキュリティーがしっかりしているようで、実は甘々だった。身分証明書の提出はなかったので、住所や氏名はでたらめを書いた。しかも、顔も整形レベルの別人メイクをしているので、私は私ではなかった。


ドアを開けると、部屋かと思うくらい広い玄関があった。靴を脱ぎ、揃え、廊下を進む。突き当りのドアを開けると、息を飲んだ。記事に載っていた、あの部屋があった。肉眼で見るマダムの部屋は、本当に美しかった。大きな窓に囲まれ、都会の景色が一望でき、高級家具がセンスよく置かれ、超豪華なモデルルームみたいな完璧さ。あのバカ高いレッスン代が妥当だと納得させられてしまう、迫力の空間だった。

部屋の中央に、レッスンを行う大きなテーブルがあった。生徒が次々と入ってきた。20~50代の女性で、本物のセレブ感を漂わす人もいれば、私同様精いっぱいのおしゃれをして、この空間に負けないように頑張っている人もいた。みんな、この部屋のトリコになっていた。


開始時間ぴったりに、マダム登場。


おー・・・

なんだ、この貫禄は・・・きれいとか若いとかそういう感想がどうでもよくなる富裕層のオーラ・・・


圧倒されそうになるのを必死に堪え、私はマダムを観察した。服もメイクも完璧な仕上がりだった。そして指を見た。あの指輪をしていた。よかった。別のものをしていたら、ここまでの準備が全部ムダになってしまうと少しドキドキしていた。ピアスやネックレスは、その日の気分で変えることが多いが、指輪はわりと毎日同じものをつける率の高いアクセサリーだと思っている。マダムは、あの指輪を記事の取材の時につけていた。だからそうとう気に入っているものだと考えられた。この一か月間に及ぶ4回のレッスンの間くらいは、つけ続けるにちがいない。


レッスンを始める前に、マダムは私たちに話をした。フラワーアレンジメントが人生を変えてくれることや、家に花がある生活がどれだけの幸運をもたらすかなどを、自分の経験から語ってくれた。要約すると、フラワーアレンジの依頼先の会社社長に見初められ、結婚し、こんないい暮らしをしている、ということだった。マダムは今もこんなに美人なんだから、若い頃はそりゃ引く手あまただっただろう。結局マダムが言ったことは、『私は、言い寄ってきた男たちの中の一番金持ちを選んだ成功者』ということだ。私の中のひがみ翻訳機がそう訳した。

いよいよ成功者マダムのレッスンが始まった。定員6人という少人数なだけあって、マダムは一人一人に声をかけながら丁寧に指導した。私にも優しかった。一目見て、私が初心者だと見抜き、基本的な花の配置を教えてくれた後、マダムは微笑みこう言った。


「後はあなたが思ったまま生けてくれたら、お花さんたちが喜ぶから」


オハナサンタチガヨロコブ・・・。36年生きてきて、こんな上品な言葉を直接言われたのは初めてだった。パンチを食らったような感覚に陥ったが、私は咄嗟に静かな笑みを作り頷いてみせた。変なリアクションをして、マダムに不審がられてはいけない。

私は頑張って、花をオアシスというアレンジメントで使われるスポンジに刺していった。でも私の視線は、花ではなくマダムの行動や指輪にくぎ付けだったので、アレンジメントはさんざんの出来になってしまった。周りからも失笑を買った。でもマダムは、私のその作品を見て、


「初めてにしては、とてもいいですよ。センスを感じます」


と、優しく言ってくれた。そのおかげで生徒たちも失笑をやめた。


1時間ほどでフラワーアレンジメントのレッスンは終了。その後、マダムを囲んだお茶会となる。どちらかというと、そちらの方がメインと言っても過言ではなく、生徒たちの顔にも、待ってました感が垣間見れた。ふわふわした雰囲気の中、私は次の行動に移った。お茶の準備をするために部屋を出たマダムの後を、追いかけたのだ。


「手伝います!」


私の声に、マダムが振り向く。


「そお。ありがとう」


なんの疑いもなく、マダムは申し出を受け入れた。私はこの時初めてマダムの顔をちゃんと見た。記事での印象やレッスンの時は40歳くらいだと見積もっていたが、近くで見ると45才以上いや、50才かもと思った。肌に細かいしわが刻まれていて、化粧でカバーしきれない乾燥が見て取れた。高級エステに通っていても、肌は正直に時間を物語るということだろうか。

キッチンも、予想通りの豪華さだった。他にスタッフがいることを予想していたが、誰もいなかった。


「じゃあ、そこのお皿並べて、ケーキをセットしてくださる?」

「あ、はい!」


私は、重ねて置いてあったお皿を一枚ずつ並べ、箱に入っていたケーキを乗せていった。

『このケーキ皿も、一枚何千円もするやつだ。これを売ったら、いくらになるだろう』

私の頭はそんな計算ばかりしていた。脳内で電卓が鳴りやまない。気を取り直して、マダムの指輪をじっと見つめた。細かいデザインを頭に刻み込む。マダムは、紅茶を用意していた。茶葉を入れたティーポットに沸騰したお湯を注いでいく。紅茶のいい香りが鼻腔をくすぐり、おもわず目を閉じた。と、その時、持ち上げていたケーキが揺れた。


「あ!!」


ケーキは手元から消え、足元で無残につぶれていた。バカだ、私。いつもこうなんだ。大事なところでミスをする。本当にバカすぎる。マダムに呆れられた。出て行ってと言われる・・・。


「うわぁ~。おもいっきりつぶれちゃったね」


マダムはそう言うと、満面の笑顔で私を見た。


「服、汚れなかった?」


その顔は嫌味でもなんでもなかった。シンプルに心配している人間の顔。失敗したのに、気遣われるなんて初めてだった。


「大丈夫です! すみません。ケーキ、私の分いりませんので」


そう言う私に、マダムは明るく、


「私と半分こしましょ。今日昼ごはん食べすぎちゃって。1個は多いなって、思ってたの」


と、また笑顔。私のための優しい嘘だとわかった。


その後のティータイムで、私とマダムは半分のケーキを食べた。マダムは、ケーキのことには一切触れず、生徒たちとの会話を楽しんでいた。そんな中私は、キッチンでの出来事を思い返していた。


マダムは床に落ちたケーキを、キッチンペーパーでささっと拾い床もきれいに拭いてくれた。私がやります、と言うタイミングを与えない素早さだった。

そしてその後、マダムは手を洗った。その時、あの指輪を外し、流しの前のカウンターに置いた。手を洗い終え、タオルで拭いて、また指輪をはめた。


半分のケーキを食べながら、私はそのことばかり考えていた。

1回目のレッスンが終わり、家に帰ると、久しぶりに工具を取り出した。アクセサリーを作る工具だ。


今から、マダムがしていたあの指輪のフェイクを作る。


生で見た、あの指輪を頭に思い浮かべる。デザインは完璧に覚えているし、マダムの指のサイズも見ただけで把握できている。材料も山ほどある。私は、レッスン最終日までにあの指輪を完璧に再現し、マダムが指輪を外した時に、すり替える。そして本物を売って、800万円の借金を返すんだ。


私の借金の原因は、独立に失敗したからだった。

2年前。宝飾デザイナーとして腕にもセンスにも自信があった。会社に縛られず、自由に私にしか生み出せない作品を作りたいという気持ちが抑えきれなくなった。厳しい上司にもうんざりしていた。私は思い切って退職し、貯金と退職金を使って、私が制作したジュエリーだけを扱うアクセサリー店をオープンさせた。でも、ブランド力もなく、宣伝も下手だったため、客が来なかった。資金が尽きてくると、生活費を削り、足りなくなってきたら借り、なんとか2年間続けたが、ついに1カ月前に閉業した。残されたのは、借金と、大量の在庫と高スペックの工具。再就職する気にもなれず、どん底の時に、あのマダムの記事に出会い、指輪を見た。そして、『フェイクを作って、すり替える』というアイデアが浮かんだのだった。

金持ちが数えきれないほど持っている指輪の一個が、偽物に変わったとしても罰は当たらない。『盗むんじゃない、すり替えるんだから』。そんな、とんでもなく都合のいい理論を掲げ、フェイクを作るモチベーションとした。


2回目、3回目のレッスンも、無事にレッスンを受けることができた。指輪も同じモノをしていた。そして、常にお茶の準備を手伝い、お手伝い係として定着させることにも成功した。

マダムは、レッスン中は花のことをよく話したが、お茶になると、自分から話すことはほとんどなく、生徒の話をよく聞いた。マダムは生徒一人一人に対して、自分の大事な親友であるかのような態度で話を聞く。マダムはカーストの最上位にいるのに、私たち平民と同じ目線に立っている。少なくともこのレッスンの2時間は。芝居か天然なのか判断できないが、生徒としてはこんな気持ちのいいことはなかった。気がつけば、みんなマダムの信者になってしまうのだ。

私もマダムのことが好きになった。好きになっても借金は減らない。だから私は、黙々とフェイクを作り続けた。レッスンと食料の買い出し以外は外出せず、創作に熱中した。集中しすぎると、肩や首がガチガチになる。頭痛もしてくる。痛さに耐えられなくなって、椅子の背もたれに寄りかかる。すると目線の先に、レッスンで作ったフラワーアレンジメントがあった。ガーベラを使った可愛らしくてカラフルなアレンジメント。

それは、どんより曇ったこの作業場の、唯一の明るさだった。私は、頭痛のことも忘れて、おもわず見入った。

そういえば、生徒たちも同じことを言っていた。

レッスンで作ったフラワーアレンジメントを家に持って帰り、テーブルに置く。すると、今までなんの違和感もなく暮らしていた日常が、変に思えてきて、もっとこの花に合うような、きれいな部屋にしたくなるのだと。そして、掃除を始め、いらないものを捨て、家がすっきりと整っていく。その勢いでいい家具を買った人もいた。そうなると、自分自身もきれいにしたくなり、食べ物を見直したり、下着を全とっかえしたり、ダイエットを始めたりしていた。そんな、お花がもたらしてくれる素晴らしい報告がたくさんあった。中でもすごかったのは、このタワーマンションに引っ越すと言い出した人がいたことだ。その時はみんな思わず拍手して『いいね』『素敵』と声をあげた。マダムのレッスンは、生徒の生活全体をいい方向へ変えていくのだった。


『もし、もっと早くマダムに出会っていたら、私の人生、変わってたんだろうか?』


そんな考えが浮かんで、私は首を振った。時間は戻らない。取り戻せないなら、奪うしかない。私はまた、フェイク作りの没頭した。


レッスン最終日。私は完璧に作り上げたフェイクの指輪を持って、マダムの家へ向かった。

いつものように笑顔で迎えてくれるマダム。本当にいい人だ。でも、いい人が損をするのが、この世の常なのだ。

最後のフラワーアレンジメントの花は、色とりどりのスターチスだった。


「スターチスは、長持ちするお花さんなので、ここでの思い出も長持ちさせてくださいね」


マダムのその言葉に、頷いたり、微笑んだり、寂しげだったりする生徒たち。そんな中で私だけは感傷に浸ることなく、この後の段取りを頭の中で復習していた。

レッスンが終わり、お茶の時間となった。

私はいつものように、マダムとキッチンへ向かう。こうやって、数10センチ前を歩くマダムの後ろ姿を見ることは、もう一生ないのだな。そう思うと、感慨深いものがあった。

キッチンに入ると、私は不自然にならないように、先にケーキの方へ向かい、用意を始めた。マダムも紅茶を準備し始める。ホッとする、ここが最初の絶対に外せないポイント。私がケーキを担当しなければ、作戦は大きく狂ってしまうのだ。

私はケーキを床に落とした。いよいよ開始だ。


「あ。ごめんなさい!」


わざとらしくならないように、驚いたフリをする。

するとマダムは、初日と全く同じリアクションで、服が汚れてないかと聞いてくれ、キッチンペーパーで素早く落としたケーキを拾って、床を吹いてくれた。その動作があまりにも初日のまんまなので、ロボットなのか? と疑うくらいだった。

マダムは、掃除し終えると指輪を取り、前のカウンターに置くと、手を洗い始めた。私はそれを見ると、何気にしゃがみ、手につけておいたケーキの生クリームを床になすりつけ、こう言った。


「あ、まだ床にクリームがついてる・・・キッチンペーパーお借りしていいですか?」


すると、マダムは、


「大丈夫。私が拭くから」


マダムは洗った手をタオルで拭きながら、キッチンペーパーを取って、やってきた。予想した通りの行動だった。初日の印象でマダムは、生徒であれ、客である私に掃除は絶対にさせないと思ったのだ。

マダムは床にしゃがみ、キッチンペーパーで拭いた。

私はその隙にカウンターへ移動し、置かれたままだった指輪と、ポケットに入れていたフェイクをすり替えた。

マダムが立ち上がった時には、私はカウンターから離れた位置に移動していた。そして、


「本当にお手数かけて、すみません」


と、申し訳なさそうな顔を作って言った。完璧だった。

カウンターの上にあるフェイクは、見た目本物と全く同じだ。改めて、自分の技術を褒めたくなる。でも大事なのは、ここからだ。マダムが、指輪をはめた時、違和感を持たれるか、否か・・・。

マダムが、再度手を洗いタオルで拭く。そしてとうとう、指輪をはめる時がきた。私はその様子を、スローモーション画像のように見た。自信はあったが、やはり心臓が飛び出るくらいドキドキしていた。マダムは指輪をはめると、なんの疑いもなく、紅茶を入れる作業に戻った。最大の山場を無事に越せた。私は全身の力が抜けそうになるくらい、安堵した。私の自信作は、マダムの指で輝いていた。


自分の家に着いた時、完全に緊張の糸がほどけて、ソファにどっかと寝ころんだ。そして、笑いが込み上げてきた。大きな仕事をやり遂げた! 最高で最低な感動を抱いて、私はすり替えた指輪を見つめた。



しかし、喜びはここまでだった。マダムの指輪は、偽物だった・・・。



「これ、ただの人工石だよ・・・幻のあの宝石にめちゃくちゃ似てるけどね」


知り合いの宝石鑑定士の言葉を、私は信じなかった。マダムの指輪が偽物? そんなのはありえない・・・心の中が煮えくり返った。

何度も確認してもらったが、彼が嘘をついているようには見えなかった。しかも、マダムの指輪についていた人工石より、フェイクで使った天然石の方が値段が高かった。


「本当に良くできてる人工石だなぁ。逆に貴重かも。どこで入手したの? 本当は君が作ったんじゃないの?」


答えられずにいる私に、彼は、1万円で買い取る、と言った。

1万円・・・。市場価格1500万円の品だと思っていた指輪が・・・。売れば少なくとも借金800万円全額返金は確実だと思っていた指輪が・・・。しかも、レッスン代や洋服やメイクにかけた代金、そしてフェイク作りに使った材料と時間、それらがしめて、1万円だとは・・・。結局大損をしたのは、私だった。


正直、1万円でも喉から手が出るほど欲しかったが、私は売らなかった。


鑑定士が帰った後、指輪を眺めた。マダムはこれが安い人工石だと知って身につけていたのだろうか? それとも本物だと騙されて買わされたのだろうか?

私はもう一度、マダムの自宅サロンの記事を見ようと、SNSを開いた。すると、記事が新しくなっていた。マダムは変わりなかったが、部屋の置かれている家具が全部違うものになっていて、違和感しか残らなかった。


「これ、やっぱりモデルルームじゃない?」


そういえば、タワーマンションで『自宅サロン』なんか営業していいのか? レッスンで家に入る時にマンションのエントランスにスタッフを配置したりしなければいけないし、結構大掛かりなのに? 私はふと気がついた。もしかしたら、あの『自宅サロン』は、タワーマンションを売るための客集めなのではないか。マダムはそこに雇われた偽マダムではないか、と。

生徒の中で、「このタワーマンションを買う!」と豪語していた人がいた。あの人は、マンション側の『自宅サロン』営業に、まんまと引っかかったということではないか? マダムは、タワーマンションの住人ではなく、ただの雇われた役者なのではないか? それなら、指輪が安物だった説明がつく。だいたい、いつも満席なのに、たまたまキャンセルが出て、レッスンの予約が取れたことからして、都合が良すぎた。そうやって、人気があると装い人を集め、高い授業料をせしめた上にマンションまで買わせるとは、なんとうまい商売か・・・。

まあ、全部私の想像だけど、真実はそんなに遠くないように思える。もう真相を知ることはできない。だけど、マダムは本物の先生だった。日常に光をくれた、素晴らしい先生だった。私は、SNSの中のマダムを拡大し、指輪を見た。それは、丹精込めて作った私の指輪だった。今まで学んできた技術を総て込めた逸品だった。それをマダムがつけてくれている。それだけが、今の私の誇りのように感じた。


私は、最後のレッスンで作った、スターチスのアレンジメントをテーブルに置き、眺めた。

私は、大きな失敗をし、大きな借金を抱えているけれど、なんとか乗り越えられるような気がしてきた。なんの根拠もないけど、この美しいものを見ていると、そんな気持ちが湧いてきた。

ありがとう、マダム。私は私を、あきらめないことにします。もう一度で生きてみます。


おわり



この作品は、失敗した人の再生物語です。

自分をあきらめ、卑屈になり、損得ばかり考えてきた主人公が、マダムと出会って、実は偽物のセレブで、結果大損したけど、逆にそのおかげで、人生をやり直す強い気持ちを持つことができました。

結局、損して得取れということなのかもしれません。


毎月4日、18日に、短編小説を投稿しています!

もし、この物語が気に入ったら、これまでの作品も読んでいただけると嬉しいです!!

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