第五夜 血の痕
「死のトンネルって知ってますか」
「止まれ、止まってくれ」
「来てくれたんですね、ありがとうございます。案外優しいんですね。もしかして、私に惚れちゃったとかですか」
「そんなんじゃない。ただ、これ以上失いたくないだけだよ」
妖怪、それは人の世に潜む異形の者。
そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する彼らもまた、
怪物と呼ばれた──
稲穂が風になびく午後三時。それを窓から見て、憂介は言う。
「そろそろ、収穫の季節か」
「そうだね」
「あの小僧にも、新米を食わせてやりたいな」
「何だかんだ気に入ってるんじゃん」
「そんなんじゃない。ただ、あいつは俺の飯を美味いと言った」
「何それ」
典子がクスリと笑った。階段を登る足音がし、扉が開く。
「お疲れ様です」
そこにいたのは巧だった。典子は小走りで奥に何かを取りに行く。
「そうそう、戦いをサポートするメカを作ったんだ」
彼女の手に人形が握られていた。胴体には、あのベルトに似た三角形の部品が付いている。
「守りたい人、いるんでしょ」
彼女が人形を手渡した。彼はネジの円錐を差し込み、回す。現れた鎧に人形を突っ込むと、それは動き出し鎧に飛び込んだ。
「ヨロイドール。モンスターシンボルを差せば、勝手に動いて守ってくれる」
「ありがとうございます」
「ほら、力を見せてやりなよ」
典子が言うと、人形は典子に殴りかかる。後ろに吹き飛ばされる彼女を背に、人形は巧のもとへと向かってきた。
「よかったじゃん、懐いたみたいで」
彼は両手で受け止める。
「お願いしたいことがあるんだけど、いいかな」
人形が頷いた。と、呼び鈴が鳴る。扉の向こうには、ひどく冷めた目の青年がいた。中に通し、憂介は話を聞く。
「どうされました」
「血を吸われました」
「吸血鬼、ですか。それはいつ頃のことです」
「八十年ほど前からずっと。あの頃はどうかしてました。抵抗できなかったし、しようとも思わなかった」
「それは吸血鬼の持つ、魅了という力でしょう。あなたのせいじゃない」
「ようやく離れてくれたのですが、代わりにある少年が血を吸われてます」
「どこにいるか分かりますか」
「わかりませんが、現れるであろう場所はわかります」
支度を始めた憂介が、巧に腕輪を渡す。そして依頼人の方を今一度向き、言った。
「そうそう、報酬は先払いでお願いします」
「そんなに僕が信用できませんか」
「いえ、ただ払う前に死なれたら困るので」
「わかりました。が、そうならないよう頼みますよ」
「いえ、死ぬのは依頼が達成された時です」
「何故ですか」
「怪異を封印して、世界を元の形に戻すんですよ。普通なら、あなたはいつ死んでもおかしくない年だ」
「じゃあ、今のままなら」
「いえ。血を吸われなければ吸血鬼との繋がりは消えていき、最後にはただの人間に戻ります。魅了が解けたのがその証拠。早かれ遅かれ死ぬんですから、賢い選択を期待してます」
青年は少し考え、それから答えた。
「わかりました。これで大丈夫ですか」
札束を手渡す。憂介は頷き、受け取った。青年に案内され、彼らはその場所に向かう。
使われなくなったビルの中、二人は密やかな行為に及ぶ。華奢で中性的な少年が目を閉じて待っている。陰鬱で妖艶な少女が彼の首に噛みつく。それは彼女の食事であり、彼らが主従関係にある証でもあった。人に見せられないような醜く背徳的な行為。それだけに、現れた侵入者に対し狼狽していた。巧が少女に円錐を突き刺そうとする。が、無数のコウモリに分裂して避けられる。少年を取り残しコウモリが飛び去った。彼は腕輪に円錐を差し込み、回転させる。天板の満月が輝く。モンスター・サプライズド・ユー。腕輪が告げる。
「返身」
狼の速度で追跡する。はるか上空、蝙蝠が集まり人の形を作ってゆく。ふわふわと浮遊する彼女めがけて跳躍するが、バラバラと分裂され捉えられない。
「これなら」
石を投げる。彼女は分裂して避け、人の形に戻ろうとする。その瞬間、巧は跳んだ。
「集まろうとする瞬間なら、あるいは」
空の円錐を差す。天板がコウモリの羽のように変わっていく。後には一匹の蝙蝠だけが残った。憂介が到着する。
「終わったか」
「はい」
その後ろから、被害者の少年が駆けてくる。そして、巧に掴みかかった。
「なんで、なんで恵を、こんなこと」
「彼女が人に危害を加えたからです」
「危害って、何を言ってるんですか」
「あなたも被害者の一人でしょう」
「違うんです、彼女は悪くないんです」
「なんで、魅了は解けているはずなのに」
「そんなんじゃありません。ただ、愛しあってました」
巧は言葉を失う。
「恵のいない世界に価値はない。恵のところに行きます」
少年は懐から銀の杭を取り出し、自らの心臓に打ち込んだ。
「何を」
「やめろ」
憂介も巧も間に合わない。彼は血を吹き出して死んだ。血しぶきが巧の顔にかかる。立ち尽くす巧に憂介は言う。
「あの様子じゃ、止めたとしても廃人だった。仕方のないことだ」
「でも」
「理想を持つのは素晴らしいことだ。が、現実はそう甘くない」
逃げ去る巧を、憂介はただ見ている。少年の亡骸に、一匹の蝙蝠が留まった。
依頼人と典子は、ふたり待っていた。しかし突然に依頼人が苦しみだす。急激に老化していく彼は語る。
「どうやら、終わったようだ。ざまぁないな、僕を捨てたあの女が死んだ。そして僕も死ぬ。もう全て終わりだ」
「捨てた、ねぇ。案外、彼女なりの優しさだったのかもよ。人並みに死ねるなんて幸せじゃあないか」
倒れ込んだ彼を見下ろし、彼女は哀しげに言った。
典子のもとに、憂介が戻ってくる。
「巧は」
「逃げられた」
「追わないの」
「追えねぇよ」
「いいの、どうせ腕輪も持ち逃げされたんでしょ」
「大丈夫だ、手はある」
二段ベッドの下から、妹の寝息が聞こえる。
「眠れない」
呟いてみても返事はなく、代わりに窓から瑠璃が現れた。
「いつになく弱ってますね」
「何の用だ」
「今なら取り入るのも容易いと考え、参上した次第です」
「帰ってくれ。君の求めるような僕はもういない」
「何かあったんですか。聞かせてください」
「死んだんだ。良かれと思ってたんだけど、何か間違ったらしい」
「どうせ一人殺してるんですから、そんなに気にすることありませんよ」
「本当にデリカシーがないな」
「それに、巧くんがいなかったら私は死んでました」
「今の僕には、救えないよ」
「じゃあ、次に何かあったら死んじゃいますよ私」
「彼に任せることにした」
人形を手渡し、説明する。
「この円錐形の部品を差せば、動き出して守ってくれる」
「これが呪いの人形というやつですか。興味深いです」
円錐を差し、回してみる。動き出す人形に彼女は感嘆した。
「動いた、すごい」
「任せたよ、僕なんかよりもずっと頼もしいからね」
しかし、彼女は人形を突き返す。
「受け取れません」
「どうして」
「こんなところで折れる巧くんは見たくない」
瑠璃がベランダから跳び去る。巧はただひとり天井を眺めていた。
嘘も真実も消え去って、混沌だけが後に残った。
次回「化け狸」
君のいない夜を駆ける。




