第四夜 眠る街
「あれを処分してください」
「まがりなりにも命があるんですよね。あんまりじゃないですか」
「よく聞け小僧。お前がそいつのためにできることは、そいつの命を無駄にしないことだけだ」
「お前なんかを殴ったら、あいつの気高い魂が汚れる」
妖怪、それは人の世に潜む異形の者。
そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する彼らもまた、
怪物と呼ばれた──
広い土地の中、二人は実験する。憂介が氷の円錐を差し込み、回す。モンスター・サプライズド・ユー。ベルトが告げる。
「葬着」
鎧に飛び込む。雪のように白く優雅な姿。空気中の水分を凍らせ、剣と盾を生み出した。観察する典子が言う。
「なかなか使い勝手が良さそうだね」
「あまり大きいのは作れないがな。凍傷にはなりたくない」
巧はアキの葬式で、見知らぬ少女に話しかけられた。眼鏡の奥、見透かすような目をした少女。
「ねぇ」
見慣れた制服だったので、同じ高校の生徒であることを窺い知る。アキの友人だろうか。巧は記憶を探ってみるが、見たことがあるような無いような、思い当たるものはなかった。その誰かに話しかけられ、彼は困惑していた。
「あなたが、殺したんでしょう」
顔中から汗が噴き出す。得体の知れない彼女を前に、彼は何も言えなくなる。
「いえ、正確にはあなたの中の狼が。知ってるんですよ、彼女が消えた日に近隣で獣の鳴き声が聞かれたことも、その日あなたがアキと一緒にいたことも」
「なぜ、そう思うんですか」
「私、都市伝説とか好きでして。巧くんって、ミステリアスっていうか、こう人間離れしてるから、もしかしてと思っていたところに今回の事件ですよ。もう私、確信しちゃいました。これは運命だって」
「もしそうだとしたら、どうしますか。あなたの友人を奪った僕を責めますか」
「よけい好きになります。人一人、それも幼馴染の命を奪って何食わぬ顔で暮らしてるんですよ。最高に狂ってて素敵です」
目を伏せる巧に、彼女は駆け寄る。
「大丈夫ですか。具合悪いんですか、あっちで休みますか」
「いえ、大丈夫です」
二段ベッドの上、妹は語る。
「お兄ちゃんと瑠璃さんが友達だったなんてね」
「瑠璃って、誰」
「お葬式で仲良く話してたじゃん」
「いや、全然知らない人だったけど」
「あの人おかしくて有名だから、やっぱりお兄ちゃんと波長が合うんだなって」
「ひどくないか」
眠りにつく。
それからというもの、巧が一歩外に出ると彼女は現れた。
「おはようございます。意外と朝早いんですね。てっきり夜行性だと思ってました」
「お昼ですね。一緒にお弁当食べましょうよ。お弁当はやっぱりアレですか、生肉ですか」
「今帰りですか。私もです、奇遇ですね。ほら早く帰りましょうよ、日が沈む前に」
朝から晩まで付きまとってくるが、立場が立場なので無下にはできない。心身を磨耗しながら一日を終える。深い夜の中、二段ベッドの下の妹に愚痴をこぼす。
「なんか、つきまとわれてんだ」
「お兄ちゃんのストーカーなんて、物好きもいるもんだね」
「まったくですよ」
聞き飽きた声がし、暗闇の中に眼鏡が光る。
「お前、どこから入ってきた」
「窓が開いてたので」
「ここ二階だぞ」
「よじ登っちゃいました」
「もう寝るから帰ってくれ」
「ベッド派なんですね。それも二段、下は妹さんの領域ですか。ふむふむ」
「ふむふむじゃないよ」
「わかりましたよ、もう。おやすみなさい、また明日」
窓を開きベランダを飛び降り、彼女は立ち去った。
「ふぅん、なるほどね」
下から妹の声がした。
朝が来た。日常は止まってくれない。巧は学校に向かうため、家を出たところで瑠璃に遭遇してしまう。
「おはようございます」
「どうしてこうも僕に執着する」
「執着したいからです」
「君が僕に謝罪を求めるならそうするし、弱みに漬けこむなら言われるがままにする。それ位、僕に負い目がある。君はどうしたいんだ」
「ただ、一緒にいたいだけです。巧くんの生き様を見ていたいんです」
「なら僕は、何をしてあげればいい」
「ただ生きているだけで、それで十分です」
「そう、それなら僕は君に何もできないよ。失望させる以外は」
「気にしなくていいんですよ、勝手に期待しているだけですから」
彼が歩き出すと、彼女もついてくる。
「そういえば、死のトンネルって知ってますか。長距離トラックの事故が多発してるらしくて、死神が出るなんて言われてるんですよ。この近くなんですけど見に行きませんか」
「映画に誘うくらいの軽さで言うんじゃない」
「ではでは、今日の深夜二時に糸杉トンネルで会いましょう」
「勝手に話を進めるな。糸杉トンネルって、たしか高速道路のところじゃなかったか」
「大丈夫です、バレないように忍び込むので」
「そんな危ないことしないでくれ。死神関係なく死ぬぞ」
「やめません。心配なら付いてきてくださいよ」
「行けたら行く」
巧はそう言うと、早足で瑠璃を振り切る。学校に着き、そこからは夕方まで日常を演じた。帰る時になると彼女は来るはずなのだが、その日に限っては現れなかった。
深夜一時、巧はベッドを抜け出す。妹の声がする。
「こんな時間にどこ行くの」
「ちょっと野暮用でね」
「そう。なら止めないけど、机の上に忘れ物してるよ」
机上には腕輪と満月、それから空の円錐が載っていた。腕輪を巻き、円錐をポケットに入れる。
「ありがとう」
用意していた靴を履き、ベランダに結んだロープで降りる。そして彼は、夜の街を走り出した。
深夜二時の高速道路を、瑠璃は歩く。トンネルの中を一歩ずつ進む。自らの足音だけが反響する。中ほどまで進んだところで、彼女は眠気に襲われた。道に倒れこみ意識を失う瞬間、こちらに向かってくるトラックの音を聞いた。
「返身」
巧は駆ける。狼の瞬足でトラックを追い越す。トラックに向き直り運転席に目をやると、運転手は眠っていた。そして進む先には瑠璃がいる。
「葬着」
天板のネジが回り、現れた鎧に飛び込む。そして円錐を親指で弾いた。ウルドライブ。腕輪が告げる。
「止まれ、止まってくれ」
フランケンの剛力でトラックを止める。葬着を解き、瑠璃に駆けより揺さぶった。やがて彼女は目を覚ます。
「来てくれたんですね、ありがとうございます。案外優しいんですね。もしかして、私に惚れちゃったとかですか」
「そんなんじゃない。ただ、これ以上失いたくないだけだよ」
二人の遣り取りを遮るように、魔物が飛来する。それは羊のような、人間のような姿だった。
「あぁもう、せっかく寝せてあげたのに」
「何を言ってる、危ないだろ」
「ここを通る人は、みんな疲れてる。眠らせて疲れを取ってあげようと思ったんだけどなぁ」
「なら、ここじゃないどこかでやってくれ。あんたのやり方は間違ってる」
「もういいよ。君も、おやすみ」
眠気に襲われる。すぐさま巧は腕輪に円錐をはめ込み、回す。満月が輝く。モンスター・サプライズド・ユー。ベルトが告げる。
「返身」
右手の爪を左腕に突きたて、なんとか眠気を振り払った。跳躍して距離を詰め、空の円錐を突き刺す。天板が羊の顔のシルエットに変わっていく。怪異は封印され、後には一匹の羊が残った。
灯りが消えた部屋の中、典子は闇と対話する。
「ようやく、私の目的が果たせそうだ」
「諦めたのではなかったのか」
「諦めてない、待ってただけ」
「あの餓鬼が貴様を超えるとは思えないが」
「あいつは強くなるよ。向こう見ずだから、気をつけなきゃいけないけど」
「理解できないな。なぜあの餓鬼のためにそうまでする」
「わからなくていいよ。そのうち、手伝ってもらうかもしれないけど」
ロープを登り、巧は部屋に戻る。眠れない妹が二段ベッドの下段で蠢いていた。
「眠れない」
「寝ろ」
「眠れる話して」
「嫌だよ」
腕輪に円錐を差し、回転させる。天板の羊頭が回る。モンスター・サプライズド・ユー。葬着し、睡魔の力を借りて彼女を眠らせる。静かになった部屋で、彼もまた眠りについた。
突き立てた刃の先から血は流れ、消えない染みを遺して消える。
次回「血の痕」
君のいない夜を駆ける。