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最終夜 憂き世を駆ける


「よく聴け、人間ども。もうすぐ人の世は終わる。この塔から放たれる光が地上を満たし、人間を妖怪へと進化させる」



「最後は、真っ向勝負のど真ん中だろ」


「僕は、もう一度、人として生きられるかな。きっとすぐには無理だ。僕は人間じゃなくなってしまった、酷いことだってたくさんした。でも、いつかきっと」


「はい。巧くんの方が動きが速いので、多くの人を救えます。それに、やっぱりヒーローが似合うのは巧くんです」



妖怪、それは人の世に潜む異形の者。

そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する彼らは──

 地下室には、瑠璃と老人が立っている。はじめに言葉を発したのは瑠璃だった。


「おじさんを、返してください」

「浄御原はすでに死んだ。お前も見ただろう。返すなど出来るはずもないのに、どうしてそんな馬鹿げたことを」


見え透いた挑発だった。それでも、怒りに任せることはできない。震えた声で、瑠璃は返答する。


「わかってます。だから、だからせめてこの悲しみを断ち切りたい」

「仇討ちのつもりか。浄御原がそんなこと望むかねぇ」

「望んでなくたっていいです。ただ、これ以上悲しむ人を増やしたくないだけですから」

「私を倒して何になると」

「この塔を止めます」


瑠璃の言葉を聞くと老爺はわざとらしくため息をつき、芝居がかった調子で語り始める。


「それは一時凌ぎに過ぎない。確かに私は妖怪たちの不満を煽った。だが燻っていた怒りは炎となり、近いうちにこの世界を焼き尽くす。そこに私はもはや必要ない」

「なら、何度でも戦います。巧くんなら、きっとそうするから」


彼女はベルトに骨の円錐を差し、回す。スターティング・アップ。ベルトが告げる。


「葬着」


鎧を纏う。骨に全身を覆われた、堅固な姿。瑠璃が駆け出し、老爺へと向かっていく。老爺はただ佇んでいた。振るう拳の一撃は、確かに彼を捉えたはずだった。しかし手応えがない。手の先が微かに湿っている。


「掴みどころがないから、ぬらり、ひょん、とすり抜ける。よく言ったものだ」

「水、ですか」

「気づいたところで、私に触れることはできぬ。そして気づいたということは、ここで死ぬことが決まったということだ」


老爺が液体に姿を変え、瑠璃に纏わりつく。振り払おうとするが離れてくれない。


「何ということはないですよ。この鎧に、入る隙はありませんから」

「本当にそうか」


彼女の全身を這いずり回る水が、何かを見つけたように動きを止める。


「穴はある。無いはずがない。中で呼吸をしている限りな」


その弱点に、瑠璃自身でさえ気づいていなかった。首の後ろあたりから、生温い液体が侵入する。そして鼻と口を覆われ、呼吸ができなくなる。酸欠で意識が遠のくと同時に、死という言葉が思い浮かんだ。しかし頭が上手く回らず、実感に結びつかない。父の無念を晴らせず、巧や憂介とも会えず、この塔を止めることだってできないかもしれない。そう理解してはいた。それでも、抗う術はない。瑠璃が倒れ込む。葬着が解けると、中に入っていた水が再び人の形に戻ってゆく。


「洗面器ほどの水で死に至る、人間とは脆いものだ。だが私とて完全には程遠いと、浄御原との一戦で思い知らされた」


地上へと向かう。それは塔の光を浴びることで、さらなる力を手にするため。階段を昇り地上に出ると、夜景は真っ白に染まっていた。人影はない。彼は塔の頂上を見上げ、そこに向かって流れていこうとする。


「待て」


それを遮ったのは瑠璃だった。いや、正確には瑠璃ではない。瑠璃の体に宿った狐が、彼女の体を動かしているのだ。


「なぜ、なぜお前が」

「さあ、さっぱりわからん。しかし、我が宿主に危害を加えたお前は敵じゃ」


雷が落ちる。それは一瞬の出来事。老爺を直撃し、水の塊が崩れていく。


「馬鹿な、この私が」


亡骸は空気に溶け、塵も残らなかった。ぬらりひょんの弱点である雷を、瑠璃の中の狐は操ることができた。彼女こそが切り札だったのである。再び瑠璃が倒れ込む。



 そして再び目を覚ました時、彼女は真っ暗な室内にいた。


「瑠璃、起きたのか」


巧の声がする。


「あの、ここはどこですか。あの後、どうなったんですか」

「ここは例のシェルターの中だよ。街の皆を避難させた後、塔の前に言ったら瑠璃が倒れててさ。あの塔はもう破壊した、というより既に壊れていた。いつ機能停止してもおかしくない状態だった、とでも言えばいいか。とにかく、全ては終わった」

「じゃあ、これからは一緒にいられるんですね」


瑠璃はただ嬉しかった。しかし返された答えは、彼女の予期しなかったもの。


「ごめん、それはできない」

「なんでですか」

「こんな姿で、人の世に戻れるわけがないだろ」


体内の妖怪を解放しても人の姿を保っていた瑠璃と違い、巧は獣のような姿をしている。


「そんなの、どうだっていいじゃないですか。どこか人の来ないような場所で、たとえば陰陽堂だっていいじゃないですか」

「理由はそれだけじゃない。僕は許されないことをした、だから罰を受けなきゃいけない」

「罰って、なんですか。まさか」


死ぬつもりなんじゃ、そんな不安が彼女の脳裏をかすめた。


「僕は出頭するよ」

「でも、妖怪だったら人の法で裁けないんじゃないですか」

「人として過ごしていた頃に、アキを殺してしまった。これは法に裁かれることだ。だから遅くなるけど、いずれ戻ってくるから」


瑠璃は巧と離れたくなかったが、それ以上に巧の意思を否定してまで引き留めたくなかった。締め付けられるような胸の奥から、彼女は言葉を絞り出す。


「絶対、戻ってきてくださいね」


思いがけず涙声になってしまった。



 それから幾らかの時間が過ぎた。陰陽堂の改修工事が終わり、少しだけ綺麗になった部屋を憂介は一人見つめている。平日の午後というのもあり、依頼人が来る様子はない。目の前のテーブルには、食べ終えた昼食の食器が載っている。左手で持ち上げ、杖をつきながら台所まで歩いてゆく。洗い物をするにも、片手しか使えないのはどうにも不便だった。そして実感する。戦いで失ったものの多さを。食器を水に浸し、応接間へと戻る。ソファに腰掛け、すぐ横に話しかける。


「なあ、典子」


しかし返事はない。典子のいない日常というのも、未だ慣れないものだった。一人寂しく座っていると、眠くなってきてしまう。暖かな春がもうすぐそこまで迫っていた。うつらうつらとしていると、扉が開く。


「どのようなご用件で」


が、依頼人ではないと彼はすぐに気づく。セーラー服を着た少女。それは瑠璃だった。


「よく来たな、小娘。学校はどうした」

「今日は半休だったんです」

「だからって、他にやることはないのか」

「もっと嬉しそうにしてくださいよ。女子高生が介護しに来たんですよ」


瑠璃は不機嫌そうに頬を膨らませる。撥ねつけるように憂介は言った。


「前も言っただろ、介護は要らないし一人で生活できるって。だいたい、お前みたいな小娘が来たところでいい歳した大人が喜ぶと思うか」

「こんなに可愛い私の何が不満ですか」

「ナイスバディな美女がいい」

「私だって、脱いだら凄いですよ。なんなら今ここで脱ぎましょうか」


彼女がセーラー服に手を掛けると、憂介は顔を赤らめた。


「馬鹿、客が来たらどうすんだ。あらぬ誤解なんて勘弁してくれよ」

「どうせ誰も来ませんよ。というか、客が来なかったら裸見てもいいと思ってるんですか」

「お前が言い出したんだろ」

「前途ある若者をひん剥くのは、流石に有罪ですよ」


付き合いきれない、というより居た堪れないような気持ちから、憂介は話題を変える。


「前途といえば、将来のことは考えてるのか。春から高三だったよな」

「両親を失ってから、家族というものを追い求めていたんです。だから、誰かの家族になってあげたいって思いまして。児童養護施設で働きたいと思ってます」

「素敵じゃねぇの」


と、扉が開く。


「どのようなご用件で」


客人に座るよう促した。客人は体格がよく、頭にタオルを巻いた男。いかにも漁師といった風貌だった。


「船が破壊された。何か恐ろしい化け物に」

「わかりました、行きましょう」


バイクを走らせ、埠頭へと向かう。そこは巧と初めて出会った場所だった。海からサメが飛び出す。それを迎え撃つために、憂介はベルトに円錐を差す。モンスター・サプライズド・ユー。ベルトが告げる。


「葬着」


鎧を纏う。白も黒も混ざった姿。サメの鼻先を殴ると、血が吹き出した。逃げるサメを追って海に飛び込み、二撃目を加える。ほどなくして、動かなくなったサメが海上に浮かんできた。堤防をよじ登り、憂介が上陸する。


「これで依頼は果たしました。報酬の方ですが、一括の他に分割払いにも対応してまして」


説明をしていると、一陣の風が吹き抜けた。


「おい、今のって」

「どうしたんですか、憂介さん」


その風に乗って、狼の鳴く声が聞こえたような気がした。

半年間ありがとうございました!

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