第二十二夜 表狸一体
「モールス信号か。キリフダハ、オマエダ、ハコブネヲ、ヒラケ。だとよ」
「あんな建物、前までありましたっけ」
「仁さん、さようなら」
「『塔』の起動を早めただけだ。完全に破壊されその機能を停止する前に、すべては終わるのだ」
妖怪、それは人の世に潜む異形の者。
そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する
彼らもまた、怪物と呼ばれた──
塔の上から、声が夜に響きわたる。
「よく聴け、人間ども。もうすぐ人の世は終わる。この塔から放たれる光が地上を満たし、人間を妖怪へと進化させる」
それを聞いた瑠璃は、憂介に言う。
「行きましょう」
「ああ」
二人はバイクに跨り、憂介がバイクを発進させる。夜だというのに、塔の放つ光が街を青白く照らしていた。それはさながら白夜のよう。夜の住人を照らす光は、昼の住人に真っ黒な影を作ろうとしている。光が少しずつ強くなっていく。それは時間切れがそう遠くないことを表していた。真っ白な街を行く人はまばらだが、それでも確かに混沌が流れていく。一刻も早く、最高速度でバイクが駆ける。その時、進路上に一匹の大きな狸が現れた。突っ込むのは危険と判断した憂介はバイクを停め、二人は降り立つ。それから彼は瑠璃に言った。
「瑠璃、ここは危険だ。下がっていてくれ」
「でも、あの塔を止めるのに間に合いますか」
「先に行くなんて言わないでくれよ」
「嫌です。私だって戦いたいんです。日常を守るために」
「君の軽率な行動で、何度ピンチに陥った」
「でも、これを使えば」
瑠璃はベルトを取り出す。それを見た憂介は目の色を変える。
「お前、なんでそれを。そいつを使えば、本当に化物になっちまうぞ」
「もう遅いですよ」
目を伏せた彼女を見つめ、彼はため息をついた。
「どうせ止めても止まんないんだろう。お前といいあの小僧といい、近頃の若者はどうしてこうも厄介なのかねぇ」
「さあ。若さゆえの過ちってやつじゃないですか」
「これが若さか、ってか。すぐに追いつくから、好きなだけ間違ってこい」
瑠璃が走り出す。狸はそれを追いかけようともしない。憂介は違和感を覚え、口に出す。
「追わないのか」
「ああ。俺は端から、この作戦には興味がない。お前をぶっ殺せればそれでいいんだよ」
「そうか。ならお前は敵じゃないんだな」
「わかんねぇぜ。お前が俺と戦う気になるなら、どんな悪事でも働くさ」
狸が瑠璃の背中に飛びかかる。
「そうはさせない」
憂介はベルトに蟷螂の円錐を差し、回す。モンスター・サプライズド・ユー。ベルトが告げる。
「葬着」
鎧を纏う。左腕の鎌から衝撃波を放ち、狸を撃墜した。
「前言撤回。お前が人間を傷つけるなら、お前は人間の敵だ。そして俺の敵だ」
「けっ、ようやくやる気になってくれたか」
「ああ、望み通り引導を渡してやる。逃げるなよ」
「言われねぇでも」
「まあ、予防線は張らせてもらうがな」
そう言うと憂介はベルトの円錐を蜘蛛のものに換え、狸と自身の周りに糸を張り巡らせる。
「これで逃げられまい。残念だが、死んでもらうほかないようだ」
「やってみろよ。やれるもんならな」
蜘蛛の巣というリングに閉じ込められても、狸は何ら揺らいでいなかった。無数に増殖し、四方八方から憂介へと飛び込む。それが彼の得意とする幻覚攻撃だと、憂介はすでに見抜いていた。
「なら、全方向に薙ぐまでだ」
円錐を氷に換え、氷の剣を生み出す。狸の飛び込んでくる瞬間、一回転するように腰を捻り横一文字に剣を振るった。だが感触はない。
「なんだと」
「頭の上がガラ空きだぜ」
憂介は頭上からの一撃を浴び、バランスを崩し倒れ込む。足がうまく動かないため、立ち上がれない。死を覚悟し、彼の中に恐怖が叫びだす。それをかき消すため、少しでも死を先延ばしにするため、憂介は言葉を紡ぐ。
「なぁ、なんでそんなに俺に執着するんだ」
「お前が典子を殺したからだろ」
「違う、俺はやってない」
「ああ、知ってたよ。そんなのはどうでもいいんだ」
憂介は混乱する。彼は狸の殺意が、自分が典子を殺したという誤解からくるものだと思っていた。しかしそうではないと彼は言う。混乱はそれそのものを吐き出すこと以外を許さない。
「どういう、ことだよ」
「お前を殺せれば、俺はどうでもよかった」
「だから、なんで俺を殺したいんだよ」
「羨ましかったんだよ」
それは狸の本音だった。圧倒的優位にあるという余裕から、つい本音を漏らしてしまったのだ。しかし一度吐き出された言葉は戻らず、ただ流れ出していく。
「俺はずっと羨ましかった。妖怪と人間のくせに、仲良くしようとしていることが。そしてムカついた。そんなことが出来るわけねぇってな。典子に絡んだのも、敗北感を消したかったから。典子が人を襲ったって聞いた時、ざまぁみろって思ったよ。端から無理な話だったんだ。人間は人間どうし、妖怪は妖怪どうしで生きていくべきなんだよ。だから、お前を殺さない限りきっとイライラは消えねぇ」
「なんで、無理なんて言うんだよ」
「無理だったんだよ」
「無理だったって」
「死んだんだよ。昔ある人間と仲良くなって、その人間が死んだ。それだけの話、よくある話だよ」
「なあ、本当に無理なのか」
「お前を許そう、なんて言うつもりか。残念だが、それは敗者には許されねぇ言葉だぜ」
「さあ、どうかな。勝つと思っている時が一番危ないもんだ」
「勝ってそれで何なんだ。上からかける優しさなんて、傲慢と何が違うんだよ。俺かお前が死ぬまで、俺たちは終われないんだ」
「わかってるさ」
憂介は地に伏したまま、ベルトの円錐を抜く。氷の円錐を口に咥え、左腕に差し込む。それからベルトに真っ黒な円錐を差し、義手で回転させる。モンスター・サプライズド・ユー。
「重葬」
腕の力で鎧に飛び込む。牛鬼の力を得た彼は立ち上がり、リングの糸を毟り取った。そしてそれを弦とし、氷の弓矢を作り出す。そして蜘蛛の糸を背にし、背後からの奇襲を防ぐ構えに入った。ギリギリと弓を引く。
「だが、当たらなきゃ意味はないぜ」
再び無数に増殖し、狸が飛び込んでくる。しかし憂介はごく冷静だった。彼の目が光り、彼の中の牛鬼が喋りだす。
「お主、もう少し焦ったらどうなんだ」
「焦る必要はない。落ち着いて、心の目で見ればいいんだ」
「そんな特別な技があったとはな」
「ないさ」
「なら、なんでそう自信があるんだ」
「戦ってみて、何となくだけど分かったんだ」
弓を引く手を離す。
「最後は、真っ向勝負のど真ん中だろ」
弓が狸の脳天を貫いた。
「どうしたら、俺たちは友達になれたんだろうな」
憂介は一瞬だけ狸の亡骸に目を落とし、それからゆっくりと歩きだす。蜘蛛の巣を千切り、真っ白な夜を塔に向かって進んでゆく。
瑠璃は塔の前へと辿り着いていた。彼女が向かったのは、正確には塔ではない。塔のすぐ近くにあった、彼女の義父が隠れていた地下室。煙で満たされたそこには、浄御原が紙切れのように転がっていた。
「大丈夫ですか、おじさん」
触れた瞬間、その冷たさに泣きたくなった。死んでいる。
「なんで、なんで」
ただ、胸が痛かった。それでも、立ち止まってはいられない。あの塔を止めるための制御装置を探さねばならない。そうでなければ、あの塔を破壊する手段を。それに、泣いている間にいつ襲われるかも分からない。ここは敵の本拠地なのだから。彼女は彼の胸ポケットに、何物かが入っていることに気づいた。引き出してみると、それはカードキーのようだった。
「これ、もしかして」
制御室の鍵だろうか、そう考え片っ端から扉に試す。しかしどの扉も開くことはない。彼女は今一度カードを見直し、考える。鍵にはエー・アール・ケーと書かれている。アーク、方舟の意だ。暗号のことが頭をよぎる。ハコブネヲ、ヒラケ。人を妖怪に変える光なら、窓のないあの建物は避難所としてこれ以上ない。そのカードキーが、あの方舟を開けるとしたら。彼女が階段を昇り方舟に向かおうとした瞬間、階段を降りてくる何者かを見つける。
「誰」
「敵じゃないよ、多分」
それは巧だった。
「君を悲しませるものを壊しにきただけだ」
「そんな巧くん、私は大嫌いです」
瑠璃はベルトに骨の円錐を差し込み、回す。スターティング・アップ。
「葬着」
鎧に飛び込むと、彼女はベルトの円錐を回す。何度も、何度も。フル・ドドド・ドライブ。巨大な骨が突き出していく。そしてそれに合わせ、瑠璃は巧の周りを動き回る。彼の進路を妨害するように。骨が巧の道を塞いでいき、最後には囲んでしまった。ただ、一方向を除いて。その隙間を逃げ出そうとする巧の前に、瑠璃が立ちはだかる。衝突は避けられない。次なる攻撃に備える巧を、瑠璃は抱きしめた。柔らかく、温かな抱擁。巧が面食らう。
「なんで、こんなこと。君にはいつも驚かされる」
「ただ、私の手の中にいてほしいだけです」
「なんで、こんなになった僕を」
「どんなになっても、巧くんは巧くんです」
巧の目から、止めどなく涙が溢れる。
「僕は、もう一度、人として生きられるかな。きっとすぐには無理だ。僕は人間じゃなくなってしまった、酷いことだってたくさんした。でも、いつかきっと」
「楽しみに待ってます」
そこに、何者かの笑い声が響く。
「良いものを見せてもらったよ」
そこには老爺が立っていた。
「誰だ」
巧が叫ぶ。
「さあ、何と名乗ったものか」
「お前は何者だ」
「妖怪連合の長をやっておる」
「どうしたら、あの塔は止まるんだ」
「止める方法などない」
しかし瑠璃は知っていた。あの塔から人々を救い得る方舟の存在を。彼女は巧にカードキーを渡す。
「真っ白い、窓のないビルに向かってください。このカードキーできっと開きます。そこに人々を避難させれば、あの光から守れると思います」
「なんだそのフワフワした頼み事。それに、僕にもう一度人を助けろって言うのか」
「はい。巧くんの方が動きが速いので、多くの人を救えます。それに、やっぱりヒーローが似合うのは巧くんです」
「なんだよそれ」
巧は走り出そうとするが、老爺の方に目をやる。
「なら、アイツはどうする」
「私が決着をつけます。そうしないといけないような気がするんです。おじさんを狂わせたのは、きっとアイツですから」
今度こそ巧が去り、地下には二者だけが残された。
最終回予告
青空に吠える狼は、きっと笑っているはずだ。
次回「憂き世を駆ける」
君のいない夜が明ける。




