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第二十一夜 破滅の塔

「第一問。あなたは治療を求めるか」


「まず、憂介さんが気を失ってから二日が経ちました。両脚と、それから左腕が壊死していて、命に関わる状態だったので切り落としたそうです。そしてそこから先の治療を、憂介さんの意識が戻るまで待っていたわけです」


「体は強化されているようだが、大したことねぇな。仁さんの得意だった、動きを読んでくるような恐ろしさがない。所詮お前はパチモンってこった。パチモンになら容赦する必要はねぇよな」


「海の底で、せいぜい長生きしてくれ」


妖怪、それは人の世に潜む異形の者。

そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する

彼らもまた、怪物と呼ばれた──

 黒戸を海底に葬り去った帰り、二人は歩く。葬着を解除すると、憂介の手足は千切れたままだった。杖をつき、ゆっくりと歩く。彼に歩調を合わせて歩く瑠璃が言った。


「そういえば、ポケットに妙な紙が入ってたんですよ。ほら、あの、なんとか信号みたいな」


瑠璃が取り出した紙を、憂介は左手で受け取る。


「モールス信号か。キリフダハ、オマエダ、ハコブネヲ、ヒラケ。だとよ」

「やっぱりよくわかりません。もしかしてって思ったんですけどね」

「もしかして、何だよ」

「おじさんがこっそりポケットに入れていった、秘密のメッセージかと思ったんですけどね。アイシテル、とか」

「それはそれで気持ち悪くないか」

「そんなことないです」

「なら、嘘でもそう読んでみせればよかった」

「もう遅いですよ。それにしても、どういう意味なんでしょうか」


彼女はため息をつき、顎に手を当てて考える。憂介が口を開いた。


「そのおじさんとやらの仕業だとしたら、切り札は瑠璃、お前ってことになるな。それで問題は、方舟を開けってところがよく分からん。『を』の位置から『開け』ってのは間違いないだろうが、まさか方舟を開きにしろってことじゃあるまいし。方舟ってのが違うとしたら、『ね』を『運ぶ』ってことかもしれない。根っこか、或いは『音色』の『音』か。もっと前から区切り方が違って、『切り札は尾。前田は小舟を開け』なんて文章なのかもしれないがその場合前田って誰だという話になるし」


「待ってください」


瑠璃が顔を上げ、彼の言葉を遮った。


「方舟って、確か聖書にエピソードがありましたよね」

「ノアの方舟か。ノアの作った方舟が洪水から人々を守った、って話だな」

「もし方舟が、災いから人を守るものを暗示しているとしたら」

「それが仕舞われているなら、開けというのにも合致する」

「謎が解けましたね」

「いや、まったく。結局それが何なのか、何故お前が切り札なのかも分からずじまいだしな」


落胆したように瑠璃は黙り、そのまま二人は何も言わずに帰っていった。



 夜が明けた。魚の干物をかじりながら、憂介は眠っている瑠璃を呼ぶ。


「起きろ。悪いが、行かなきゃならない場所がある」


起き上がり、伸びをすると彼女は訊いた。


「どこに行くんですか」

「仁さんの墓だ。死体はあるべき場所に返さなければならない」

「でもこの事態をどう説明するんですか」

「和尚さんなら、きっと分かってくれるさ。こっち寄りの人間だからな」

「ということは、もしかしてお祓いなんかもしてもらえますかね。私や巧くんの中に宿った妖怪を」

「行って訊いてみないことには」

「わかりました。支度するんで待っててください」


彼女が支度を始めると、憂介は仁の遺体を担いで降りていく。準備が終わり外に出ると、遺体を背負いバイクに跨った憂介がいた。


「もしかして、死体を挟んで三人乗りですか」

「大丈夫だ。まだ朝は早い、そうそう人には出くわさない」

「そういうことじゃなくてですね」

「いいから、行くぞ」


彼女が渋々乗ると、バイクは走り出す。まだ陽は東の空遠くにあった。柔らかな白い景色が流れていく。


「思ったんですが、私が切り札ってことは私に宿った妖怪に関係あるんですかね」

「その可能性は高いと思う。埋めたのもそのおじさんなんだろ。どんな妖怪かにもよるが」


一瞬だけ言い淀み、それから瑠璃は口を開く。


「詳しくは分かりませんが、男を惑わす妖怪って言われました」

「そいつは怖いな。気をつけないと」


冗談めかして言う憂介に、嫌悪を滲ませた声で彼女は言う。


「笑いごとじゃないんですよ。私って、何なんでしょう」

「男を惑わす妖怪なら、玉藻御前の話が有名だな。モンスターシンボルに封じられたってことは、似たような力を持つ下級妖怪だと思うが」

「そういうつもりで言ったんじゃないんですが」

「さあ、お前が何だろうが別にいいんだが」


バイクが赤信号で止まる。ふと、瑠璃は目の端に見慣れない建物を見つけた。窓のない真っ白な建物。


「あんな建物、前までありましたっけ」

「最近できたってだけじゃないのか」

「いえ、でも妙なんです。窓もない、入り口もシャッターが下りていて、まるでシェルターみたいなんですよ」

「シェルター、ってことは何かから守るってことだよな。方舟、まさか」


進路を変更し、その建造物の前にバイクを止める。しかし扉は固く閉ざされ、開くことはなかった。


「開かないな」

「開かないですね」


シャッターの横に、電子ロックの制御装置を見つける。カードキーを差し込む口があった。


「やっぱり、違うんじゃないのか」

「ですかね」


二人は再び寺へと向かう。


「和尚さんって、どんな人なんですか」

「変な奴だよ」

「なんか、変な人とばっかり知り合いじゃないですか」

「昔から、妙な縁には恵まれるんだ。お前も含めてな」

「類は友を呼ぶってことですかね」

「違う、断じて違う」


寺の前にバイクを停め、憂介は義手を付け替える。それから二人は遺体を運びながら、墓の間を通って寺に入っていく。その中に彼はいた。坊主頭に尖った目つき、和尚というよりは殺し屋のようだった。憂介が声をかける。


「和尚さん、お久しぶりです」

「久しぶり。二度と会いたくなかったぜ」

「あの、弔ってもらいたくて」

「誰をだ」

「仁さんです」

「だから誰だそれは」

「俺の師匠で、父でもあった人です」

「馬鹿か、その仁はもう死んだだろ」

「それが、もう一度死んだんです」

「どこの世界に二回死ぬ人間がいるんだよ」

「仏教は輪廻転生じゃないんですか」

「悪いね、俺は信心深い方じゃないんだ。俗世が嫌いだから坊主やってるってだけでね。だからあんまり揚げ足取ると殺生な真似もしちまうかもしれん」

「相変わらず尖ってますね。いつか破門されますよ」

「いいんだよ、俺の話は。それで、どういう事情だ」


憂介は一連の出来事を説明する。それを肯定するでもなく否定するでもなく、ただ和尚は聞いていた。


「なるほどな。死体が実際にある以上、現実だと認めざるを得ない。ただ、土葬はやってないんだがな。臭くなるし」

「大丈夫です」


そう言って憂介は車輪の円錐を取り出し、ベルトに差す。モンスター・サプライズド・ユー。ベルトが告げる。


「葬着」


現れた鎧へと歩いていく。熱く滾る炎の姿。


「これで燃やせば」

「室内ではやらないでくれよ。木造建築はよく燃える」


外に場所を移し、仁の遺体を燃やす。煙が空に昇ってゆく。憂介は合掌する。


「仁さん、さようなら」


仁の墓からは骨がなくなっていた。和尚はそこに遺骨を入れ直し、経を上げる。そしてそれが終わると、今度は瑠璃が口を開いた。


「あの、すみません。妖怪について聞きたいんですが」

「俺はオカルトは好かん」


拒む和尚に対し、憂介がフォローを入れる。


「まあまあ、お願いしますよ。きっと重要なことなので」

「わかったよ」


瑠璃に憑いた妖怪のことを話すと、少しだけ考えた後に和尚は言った。


「憂介の言う通り、妖狐の線が濃いだろうな。まあ人を化かすのが鉄板なんだが、切り札っぽくはないわな。じゃあ、稲妻を操ったって話はどうだ」

「面白いですね」


瑠璃が興味を示す。


「稲荷といえば狐だろ。稲荷は食物の神で、五穀豊穣をもたらしたという。稲妻ってのは稲の妻と書くくらいだから、窒素とかを上手いことやって作物に良い影響を及ぼす。その両者が結びついて、稲妻を操るなんて言われてるってのがタネなんだが」

「タネって、じゃあ迷信なんですか」

「さあ。妖怪だって迷信だと思ってたくらいだから、俺には何とも言えん」

「ありがとうございました」


二人は寺を後にする。街は既に昼になっていた。


 同時刻。鬼火に照らされた地下室、その隅の小部屋で彼らは密談していた。浄御原が口を開く。


「いよいよこの日が来たわけだが、手順は分かるよな」


それを聞くのは二匹の妖怪。暗闇から覗く目と、継ぎ接ぎだらけの服を着た老爺。


「今夜祝宴が開かれ、明日になれば『洪水』が始まる。そうなれば人の世は終わる。止められるのは今しかない」

「誰の世になろうと、吾輩には関係のないことだ。ただ、狐を殺したあやつらの思う通りにことが運ぶのは少々不愉快だ」


暗闇の目が言う。


「儂は、ある人間に救われた。だから、それに報いることができればよい」


老爺が続く。それを聞き、浄御原は再び話しはじめた。


「動機は何でもいい、計画を確認しよう。まず暗闇が明かりを消し、下級妖怪たちを操って陽動を起こす。ガードのゾンビ兵は機能しない、黒戸に細工しておいてもらった。それから貧乏神、金目のものを破壊できるんだったよな。あの塔の制御装置には、かなり費用が掛かっているらしいからな。壊してくれ。そして俺が、コイツでぬらりひょんにとどめを刺す」



 そして夜が来た。祝宴の灯が消えると同時に、辺りは混乱に包まれる。再び明かりが灯ると、数千もの妖怪が一斉にぬらりひょんへと飛び込んでいく。ぬらりひょん、掴みどころのなさからそう呼ばれるようになった妖怪連合の首領。襲いかかる妖怪たちをスルスルと躱し、傷一つ付けないまま倒していく。倒された妖怪たちは溺れたように気を失っていた。その時、制御室から煙が噴き出す。計画は上手く進んでいる、あとは自分がとどめを刺すだけだ。ぬらりひょんの本質は水、電気分解してしまえば跡形も残らないはず。すべては上手くいっている。陰から様子を窺っていた浄御原は、そう思い込んでいた。


「おい、浄御原よ。隠れてないで出てくるがいい」


ぬらりひょんが、確かに彼を呼んだ。浄御原の胸にまず訪れたのは混乱、それから絶望だった。


「なぜ知れている、とでも思っているのだろう。水は掴めず、どこへでも流れ込む。貴様らの会話は筒抜けだ。それにしても」


淡々と喋っていたが、その時ばかりは少し残念そうに浄御原には聞こえた。


「なぜ、私を裏切った」

「娘が反抗期でね。全く困り物だよ」


浄御原がスタンガンを使おうとするが、電気が流れない。細工をされていたようだった。


「いいんだよ、俺は死んでも。瑠璃の望んだ世界が遺せれば」

「それが『塔』を止めることだと。だが、それも叶わない」


地下室が揺れはじめる。浄御原が叫ぶ。


「何をした」

「『塔』の起動を早めただけだ。完全に破壊されその機能を停止する前に、すべては終わるのだ」


浄御原の体内に、ぬらりひょんが入り込む。息ができない。声も出ない。


「すまん、瑠璃」


そう心の中だけで言うと、彼は息絶えた。



 鳴り響く轟音に呼ばれるように、憂介と瑠璃は外に出る。満月に照らされた夜空に、巨大な円錐形の『塔』がそびえ立っていた。

きっと分かり合えたはずなのに。


次回「表狸一体」


君のいない夜を駆ける。

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