第十三夜 歩く屍
「私のこと殺してよ」
「何か理由があるんだろ。俺はそう信じてる」
「信じたいだけでしょう。そんなの都合いい夢だ」
「殺さない。だから、生きて償え。その長い命で、自分の罪を埋め合わせろよ。また罪を犯しそうになったら、いつでも僕が殺せるんだからさ」
妖怪、それは人の世に潜む異形の者。
そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する彼らもまた、
怪物と呼ばれた──
鬼火に照らされた地下室に、異形の者たちが詰まっている。彼らの視線の先には玉座。そこに座っていた老人が立ち上がり、演説を始めた。
「諸君、我々妖怪は強い。それに比べて人間のなんと貧弱なことか。それだけではない。弱くて狡くて卑怯で、そのくせお天道様の下をふんぞり返って生きている。そんな奴らのために、どうして妖怪は影に潜む。なんと不健全なことか。今こそ、立ち上がるべきなのだ。妖怪のための世界を作るため」
歓声が上がる。
「人間を許すな。人間を許すな。人間を許すな」
夜が明けた。憂介は自室の布団を畳み、身支度をして部屋を出る。事務所の中は、窓からの朝日に照らされていた。典子の寝床であるソファに近づく。
「まだ寝てるのか、珍しいな。起きろ」
呼びかけるが反応はない。揺らしてみても彼女は目覚めず、代わりにボールのようなものが転げ落ちる。近づいてみると、それは切り離された頭だった。
「何だよ、これ」
ボロボロと、死体が崩れてゆく。その中に小さな狐が倒れていた。彼は辺りを見回しながら、震えた声で言う。
「驚かそうとしてるんだろうが、効かねぇよ。見てるんだろ、出てきてくれよ、なあ、典子」
返事はなく、静まりかえった事務所の扉が開かれる。
「いくら呼んでも来ることはない。彼女は死んだ」
そこには白衣の男、黒戸がいた。
「お前、まさか」
「私ではない。彼だ」
黒戸の後ろからもう一人の男が現れる。白いスーツに白髪の彼を、憂介は知っていた。それは彼の師匠であり育ての親、仁だった。
「どういうことだ」
「蘇ってもらった。ついでに頭の中を弄って、扱いやすくしたが」
「そんなこと」
「目的の前では小さなことだ。なかなか便利なもので、こいつも用意できた」
彼はベルトを取り出し、仁に渡した。五角形のバックルに五芒星が描かれている。
「そのベルトとブレスの原型を作ったのは、そこで死んでいる狐ではない。開発者を墓から生き返して、新しく造らせたんだ」
憂介は彼を睨みつけ、叫ぶ。
「お前だけは、許さねぇ」
バックルに車輪の円錐を差し込み、回す。モンスター・サプライズド・ユー。ベルトが告げる。
「葬着」
鎧を纏い飛びかかるが、仁に阻まれる。姿を似せた傀儡にすぎない、そう知ってはいても体が動かない。氷の円錐を腕輪に差す。モンスター・サプライズド・ユー。
「重葬」
一秒、氷で仁の足をとる。二秒、車輪で走り黒戸に迫る。
「なぜ殺した」
「人間を守る、なんて言ったからだ。私たちに素直に従っていれば、こうはならなかったものを」
「たちって、どういうことだ」
「妖怪連合。私は妖怪と手を組むことにしたんだ。こいつと引き換えにな」
そう言って彼は円錐を取り出す。腰には五芒星のベルトが巻かれていた。円錐を差し込み回転させる。天板の眼が回る。スターティング・アップ。ベルトが告げる。
「葬着」
鎧に飛び込む。全身に眼のついた不気味な姿。放たれた眼が床に、壁に、天井に張り付いて走ってゆく。それは虫の大群のようだった。
「よく見えるよ、君の弱点が。そして君にとどめを刺すのは、彼だ」
憂介が振り向いた先、仁がベルトに円錐を差す。天板には手が象られている。円錐を回転させる。スターティング・アップ。ベルトが告げる。
「葬着」
鎧に飛び込む。手足がすらりと伸びた、格闘向きの姿。憂介の背後から黒戸が言う。
「なあ、私たちと手を組まないか」
「嫌だね。俺はお前が大嫌いだ」
重葬はすでに解かれていた。しかし氷は残留し、仁の足を縛っている。振り向くことは許されず、仁は虚空を睨み続けている。黒戸と一対一の戦い、憂介はそう思い込んでいた。黒戸の方へと突っ込む。その瞬間、思わぬ方向からの一撃に憂介は倒れる。背後には体を捻じ曲げ、腰と腕があらぬ方向に曲がった仁がいた。黒戸が嘲笑う。
「死人に痛みはない。多少の無茶は効くんだよ」
「だが、まだ負けちゃいない」
憂介は仁の足元に転がり込み、凍った床を殴る。
「凍った床は、砕けやすくなる」
床にヒビが入り、仁もろとも落ちていく。
「これで一対一だ」
彼は黒戸の胸ぐらを掴み、顔を殴った。さらに彼を床に放り、踏みつける。そんな中、一つの眼が床穴から外に出ていったことに憂介は気づいていない。
灰色の朝の中を、巧は歩いている。ふと、見覚えのある女性とすれ違う。
「あら、また会ったわね」
「お前は」
身構える。それは人食いの女だった。
「そんなに警戒しないで。戦うつもりなんかないのに」
「なら、なんで」
「なんでも何も、たまたま会っただけ。そうだ、自己紹介してなかったわね。私は朽縄。よろしく」
警戒を解かない巧に、朽縄は続ける。
「そうだ、丁度いいから話してしまおうか。私と一緒に、新しい世界を作らない」
彼女の提案に、彼は戸惑う。
「どういう意味だ」
「人間を消し去って妖怪の世界を作るの。そうすればあなたも、人の間で怯えなくて済む」
「悪いけどそれはできない。僕はこの世界が好きだから」
「それは残念。死んで」
朽縄が飛びかかってくるのを紙一重で避け、巧はベルトに円錐を差す。スターティング・アップ。ベルトが告げる。
「返身」
鎧が体に纏わりつく。狼の速度で背後を取り、捕らえた。
「進化したのね。侮っていたわ」
そう言うと、巧を易々と振りほどく。倒れた彼を見下ろし、彼女は言った。
「あのお方は殺せと言ったけれど、あなたをここで殺すのは惜しいと思わないでもない。それより、お仲間さんが大変みたいよ」
「どういうことだ」
立ち上がる。
「行けば分かるわ」
「本当だろうな。逃げるための嘘じゃないだろうな」
「なら、ついて行くと言ったら」
巧の背後、壁に張り付いた眼に朽縄はアイコンタクトを送った。
「どうにも気に障るけれど、死なれたら困るものね」
声にならない程度の呟きを漏らすと、二人は走りだした。
タイル張りの床に血溜まりが広がっていた。鎧が割れている。憂介は黒戸に乗り、何度も何度も殴打する。
「なぜ殺した。死んでしまえ、死んでしまえ」
扉が開き、二人の男女が現れた。巧は目の前の光景に理解が追いついていなかった。
「憂介さん、なんで」
「典子が死んだ。こいつが殺した」
「だからって、そんなに怒りに任せて」
「なら、こいつを野放しにしろって言うのか」
「それはそれ、これはこれです。そいつを殺して何になるんですか」
「何にもならねぇよ。だが俺は許せない」
「落ち着いてください」
「お前に何がわかる」
憂介が声を荒らげ、巧の方に向かっていく。その隙を突き、気を失ったフリをしていた黒戸が立ち上がった。
「見える、君たちの死角が」
床の穴に飛び込み、逃げ去る。彼らが気付いた時には遅い。伸ばした手が空を切る。
「やられた」
そしていつの間にか、朽縄も消えていた。
運命は車輪を外れ、心さえ引き裂いていく。
次回「車裂き」
君のいない夜を駆ける。