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第十夜 迷い道

「いいじゃあないか、贅沢は人を堕落させる。幸せは、貧しさの中にこそ埋もれてるものよ」


「このままじゃ話は平行線だ。どうしても困るなら、始末してしまえばいい」


「父が、鬼に憑かれたんです。事業が成功してから人が変わってしまって」


「嬉しかったよ。最後に、祝ってもらえて」


妖怪、それは人の世に潜む異形の者。

そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する彼らもまた、

怪物と呼ばれた──

窓から朝日が差し込む。ちゃぶ台の上に、二人分の食事が載っている。瑠璃と、その斜め向かいに座る中年。それは彼女の親代わりだった。両者の間に会話はない。


「いただきます」


彼女が言った時、彼はすでに食事に手をつけていた。食事を終え、家を出る彼を横目で見ている。彼女は二人分の食器を片付け、支度を始めた。小さな溜息をし、家を出る。空はどこまでも青い。巧の背中を見つけ、小走りで駆けていった。



星に照らされた夜の中、瑠璃は立ち尽くしている。


「あれ、おかしいですね」


彼女は夜道に慣れていた。それに加え、よく知った道を歩いていたはずだった。それなのに、彼女を囲む景色は見慣れないもの。来た道を引き返す。しかし元の道に帰ることはできず、知らない景色が続く。何かが起きている、彼女は直感した。


「方角は」


空を見上げる。北極星も、カシオペア座も見つからない。星の並びに法則性は見当たらず、光の粒を散らしたようだった。


「道がダメなら」


塀に上がり、そこからさらに屋根へとよじ登る。街を見下ろすが、知っている景色はどこにもない。ふと、思い出す。前にもこんなことがあったことを。


「いるんでしょう。隠れてないで、出てきてくださいよ」


精一杯の強がりを言葉にする。当然のごとく返事はない。人形を取り出し、円錐を差し込み回転させた。鎧を纏った人形が動き出す。彼は茂みの奥に入り込み、一撃を加える。狸が吹き飛んだ。


「やっぱり、あなたでしたか」

「よく分かったな。が、これで終わりじゃない」


彼の背後から一人の女が現れた。後ろに結んだ黒い髪が揺れている。


「ありがとうね、餌を誘いこんでくれて」

「これは貸しだからな。覚えておけよ」


二者は知り合いのようだった。あまりに異質な彼女に、瑠璃は訊く。


「誰ですか、あなた」

「あなたは、牛や豚に自己紹介するの」

「ならいいです。敵だってことはわかりました」

「逃げてもいいわよ。逃げられるなら」


そう言うと女は服を脱ぎ始めた。と同時に、怪物の身体が露わになる。輪郭こそ人間のそれに似ていたが、鱗に包まれた真っ黒な表皮に赤い光が脈うっている。


「何してるんですか」

「服に血がついたら困るもの」


走り出そうとする女の前に、人形が躍り出た。潰そうとする彼女の前を動き回り、翻弄する。その隙に瑠璃は逃げ出す。人通りのない暗い街に、足跡だけが響く。景色は見慣れたものに戻っていた。彼女は向かうべき場所へと走る。いつの間にか、足音が二つになっている。振り向くと、捕食者が舌なめずりをしていた。


「いい、すごくいい。恐怖が良いスパイスになる」

目の前には塀があり、彼女との距離はそう遠くない。塀を登る時間はなく、人形はすでにダウンしたようだった。


「終わりね。楽しかったわ、お嬢さん」

「そいつはどうかな」


女がくずおれる。その背後にいたのは、瑠璃のよく知った人物だった。


「おじさん」

「父さんと呼べ」

「なんで、来たんですか」

「父親が娘を助けに来るのは、当然のことだろう。逃げよう」


彼は彼女の手を引く。だが、瑠璃はその手を払った。


「すみません。その前に、やらなきゃいけないことがあります。父さんは早く逃げてください」


瑠璃が塀を登る。父もまたそれを追った。そこは巧の家。彼女は樋をよじ登るが、はっと振り返った。視線の先の父親は何も言わない。


「怒んないんですか」

「何か考えがあるんだろう、それなら否定はせんよ。その代わり、取り返しのつかないことをした時は覚悟しておいた方がいい」


拳を握りしめて見せた彼に、瑠璃は笑った。


「わかってます」


二階のベランダから巧の部屋に侵入する。


「起きてください、大変です」

「なんだよ、もう」

「妖怪です。人を食べる危ない奴です」


巧は飛び起き、支度を始めた。空の円錐をポケットに入れ、蝙蝠の円錐をベルトに差し込む。天板の蝙蝠が回転する。スターティング・アップ。ベルトが告げる。


「葬着」


現れた鎧を纏う。黒い体に真紅のマントの、高貴な姿。ベランダから飛び立ち、上空から夜の街を見下ろす。すぐにそれを見つけた。逃げる男を追いかける影を。人に似た形をした彼女へと、巧は叫ぶ。


「何をしている」

「また、活きの良いのが来たわね。共食いの趣味はないのだけれど」

「僕とあなたは違う」

「そうかしら。同じ怪物でしょう」

「僕は人間だ」

「だから人を守ると。それは自己満足じゃなくって」

「人が死ぬんだぞ、止めるに決まってる」

「よく言うわね。動植物を殺しても、何も思わないくせに」

「生きるためなんだ、仕方ない」

「なら、私が人を食べるのも仕方ないとは思わないの」

「それもまた、人が生き延びるためだ」

「結局エゴじゃない」


巧の心に迷いが生まれる。その隙を突いて、彼女は逃げ去っていった。彼の後ろから瑠璃が走ってくる。


「封印できましたか」

「逃げられた」


伏し目がちに答える巧に、瑠璃が詰め寄る。


「追わないんですか」

「追って、いいんだろうか」

「それが正しいと信じるなら、そうすべきです」

「それが、わからないんだ」

「ここで動くのが、巧くんの面白いとこでしょう」

「君が思うほど、僕は面白い人間じゃない」

「でも、誰かが傷つくなら」

「それがかえって誰かを傷つけることになるかもしれない。狼の力を使わないと、きっと見つけられないから」


ポケットの中で、月の円錐を握りしめる。と、男が瑠璃を呼んだ。


「おい、帰るぞ」

「すみません、そろそろ行かなきゃいけません」


真っ黒な闇の中、巧だけが取り残される。



二段ベッドの下から、妹は問う。


「何かあったの」

「何もない。寝ろ」

「嘘だね。絶対に何かあった」


一瞬の沈黙の後、言葉を選びながら巧は言った。


「同じ人の形をしてても、分かり合えなかった」

「そんなもんだと思うけど。誰とでも分かり合えるなんて、幻想でしかないよ」

「なら僕は、どうすればいい」

「好きにすればいい」


彼は眠りにつき、彼女はただひとり闇を見つめる。


「こんなに近いのに、何もわかってないんだからさ」



瑠璃とその父は、暗い道を歩いていた。はじめのうち会話はなかったが、やがて彼は口を開く。


「なんか、ごめんな」

「謝らないでくださいよ。どうせ悪いと思ってないくせに」

「これ以外のやり方を知らないんだ。これからも、方法が見つかるまでは」

「別にいいですよ。今さら変えられても困ります」

「そうかい」


ポツリポツリと、途切れ途切れに会話する。二人の向かう先に朝日が昇ろうとしていた。

右も左もわからないまま、闇の中の光を探せ。


次回「闇を裂いて」


君のいない夜を駆ける。

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