第十部 残花、その名残を 《三》
細長い山道を抜け次の街へと向かう。そこに会話はなく、幾分かの重い空気すら感じられる。そんな中、もう少しで街へ続く大きな道に出ようかと言うとき、沙麼蘿が立ち止まり道とは違う方向を見た。僅かに遅れ、琉格泉もその気配を感じて沙麼蘿と同じ方向を見つめ、琉格泉の頭の上にいた玉龍もそれに気づいて、“びゅ!” と鳴いた。
「宿屋を血の海にしたくなければ、黙ってついてこい」
沙麼蘿が玄奘にそう告げると、琉格泉が案内するように道なき道を進んで行く。
「おい、何処に行く気だ!」
「街へ行くんじゃないのか、姉ちゃん!」
突然、方向を変え歩き出した琉格泉と沙麼蘿に気がついた悟浄と悟空が叫ぶ。そんな中、朝食の時に聞いた不穏な話を思い出し八戒は顔を曇らせ、玄奘は黙って沙麼蘿の後を追い歩きだした。
そこは、今にも崩れ落ちそうな廃墟だった。昔は色鮮やかで、さぞや美しい寺であっただろう。悟浄の最後の別れの場が廃墟とは言え寺だとは、なんと言う巡り合わせだろうか。
「おい、待てよ! 何だってこんなところに…」
悟浄はそう言いかけて、目の前の廃墟を見て押し黙った。廃墟の一角に見えたのは、白百合色に小花の舞う刺繍が施された服を着た女。その女は、僅かに笑みを湛え佇んでいたが、振り向き玄奘一行を見つけるとニヤリと笑った。
「まぁ、偶然かしら。今夜あたり、宿屋に行こうかと思っていたのよ。本当は、もう少し遊んでいてもよかったの。でもねこの身体、もたないんだもの」
花韮はそう言うと悟浄の顔を見て
「悟浄、姉さんのところに来る気にはなった。姉さんね、いつも貴方を待っていたのよ、本当よ。だって悟浄は、そんな奴等より姉さんの方が大切でしょう。私も、弟の貴方が大切だもの」
と優しく言った。その言葉に、思わず悟浄が “姉貴” と言って、花韮に近付いた。そんな悟浄の行動に、花韮は笑顔を見せる。だが、その顔は反対に冷たげな顔にも見えた。花韮は、悟浄から玄奘に視線を移すと
「ねぇ、三蔵を食らえば上仙になれるて本当?」
と聞いた。その花韮の問いを玄奘は顔色一つ変えずに聞き、悟空や悟浄や八戒は驚きの表情で玄奘を見る。
「この魂を吸いとっても、所詮は宝具止まり。でも、三蔵を食らって上仙になれるのなら、それも悪くはないと思うのよ。何処まで行っても道具として使われるより、上仙になって自由に生きる方がいいかも知れないし。 ねぇ悟浄、どう思う」
「姉貴、何を言って…」
姉と同じ顔した女が呟く。確かに姉であるはずなのに、その口から紡ぎ出される言葉の数々は自分の知る姉からはほど遠い。花韮は悟浄に向かってニッコリ笑うと、歩みを進めて悟浄の前に立つ。そして、自らの白い手を悟浄の頬にあて、その耳元で囁く。
「さぁ悟浄、早く三蔵を姉さんのところに連れて来て。屍だって、かまわないから」
花韮の声が悟浄の頭の中で響き渡り、まるで霧が立ち込めるような錯覚に囚われる。酷く耳鳴りがして、悟浄の意識が朦朧としてくる。
“姉…貴……” と、悟浄が呟く。目の前で微笑む姉は、小さい頃からよく見慣れた優しい姉だった。昔、よく村の周りを姉の後をついて回った、あの頃のような。
“これから先、例え私が何を言っても、聞く耳を持っては駄目” 何か、姉に言われたような気もするが、今はその言葉も思い出せない。
「悟浄、これを貴方にあげるわ。一思いに三蔵の胸にこの剣を突き立てて、私のところに連れて来て。貴方の、その手でね」
いつの間にか、花韮の手に握られていた一つの短剣。花韮はその短剣を、悟浄の手に握らせる。朦朧としたままの悟浄が花韮の言葉に “コクリ” と頷き、渡された短剣を握りしめた。それが合図のように、花韮の後ろから現れた仲間の男達が次々と玄奘達を取り囲む。
短剣を片手に、悟浄が玄奘達に近付いてくる。だがその睛眸には彩りがなく、虚ろだった。見るからに様子のおかしな悟浄に
「どうしたんだよ、悟浄」
と、悟空が言った。だが、その問いに悟浄の答えはない。まるで悟空のことなど目に入っていないかのように、目の前を通りすぎる悟浄に
「おい!」
と、悟空が叫んだ。その声に反応したのは、悟浄ではなく自分達の周りを取り囲んでいた花韮の仲間達。手に持つ武器を振りかざし、次々と玄奘一行に襲いかって行く。
それらを相手に、悟空と八戒が反撃を開始する。悟浄の態度を見れば、宝具の元になるほどの大きな華魂ともなれば、人を操ることさえ簡単だったのだと言うことがわかる。
「玄奘、矢は放たれた。もう後戻りはできない」
沙麼蘿は玄奘にそう言うと、前に出てその姿を変えた。猩々緋色の衣が風に舞い、灰簾石色の艶やかな髪が翻る。そして右手の掌を開くと、手首につけられていた白金の腕釧が微かに光を放ち白刃が現れた。沙麼蘿が剣を構えた時
「お前の相手は、この俺だ!!」
と悟浄の父親が姿を現し、刀を振りかざした。その男の刀が沙麼蘿を狙い、沙麼蘿の剣が刀を受け止める。とたん、刀と剣が激しくぶつかり合いブォーと二人の氣が舞い上がった。
幾分→いくらか。少し
上仙→仙人の最上位
所詮→最後に落ち着くところ
屍→死骸
朦朧→ぼんやりとかすんではっきり見えないさま。意識が確かでないさま
虚ろ→内部がからであること。また、そのさま。心が虚脱状態であること
翻る→風になびいて揺れ動く。ひらめく
白刃→鞘から抜いた刀。抜き身
次回投稿は22日か23日が目標です。




