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天上の桜   作者: 乃平 悠鼓
第一章
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第八部 幻影の瞬き 《六》

大勢至菩薩は観世音菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍です。

 門を開け中に入ると、しばらく歩く。その中を、女帝(エンプレス)が奥にある扉に向かって走る。その後を追うようにやって来た大勢至菩薩は、下界へとおりるための最後の扉であるそれの向こう側が、騒がしいことに気がついた。


「……?」


 (いぶか)しげにその扉を見つめる大勢至菩薩に促され、門番が扉を開けると……。




 やっと扉までたどり着いた琉格泉(るうの)だったが、須格泉(すうの)の切り裂かれた片目から溢れ出る血を見て理性がとんだ。須格泉の傷はかなり深く、息も荒い。琉格泉は激しい唸り声をあげ、聖獣達に闘いを挑む。

 まず、須格泉を足で踏み潰している聖獣を、その爪を振り下ろし傷つける。傷つけられた聖獣の、その叫び声が聞こえた。その後は、何をどう闘ったのか覚えていない。だが、途中からは須格泉も起き上がって共に聖獣と闘っていた。そしてしばらくたった時、向こう側から扉が開いた。




「お前達、いったい何をしている! 共に、この世界に住まう聖獣ではないか!」


 大神(オオカミ)はもっとも聖獣に近い生き物であり、中でも大勢至菩薩の大神は聖獣と等しい能力を持っている。この須格泉と琉格泉も、元は大勢至菩薩の大神・女帝が生んだ子だ。女帝は物凄い形相で門の外へ走り出ると、我が子を攻撃しようとしていた聖獣を威嚇(いかく)する。


「下がれ、聖獣! この二頭は、此処(ここ)へ来てもよいのだ。この、勢至菩薩が許す。」


 大勢至菩薩の命令に、聖獣達は静かにその場から姿を消して行く。須格泉だけでなく、琉格泉ももはや傷だらけだった。その中でも、須格泉は重症である。女帝は我が子に近づくと、悲しそうに一声鳴いた。そしてその傷を舐め始める。


「どうしたと言うのだ、お前達」


 大勢至菩薩が、女帝や須格泉・琉格泉に近づき声をかけた。片膝をつき手を差し出せば、血濡れた毛並み。


『大…勢至菩薩。お願いが、ございます。幸泉(こうせん)の実を…、一つ分けていただきたい…』

「幸泉の実が欲しくて此処まで来たのか」


 汚れたその毛並みを撫でてやれば、力なく言葉を(つむ)ぐ二頭の大神。


『我らには…、時間がない。大勢至菩薩、幸泉の実を…!』

「お前達、幸泉の実を何に使う」

沙麼蘿(さばら)が、鬼神に神殺しの銃で撃たれた。傷口が大きく、このままでは命が危ない』

『せっかく…、再び(せい)を得たのに、消えてしまう…』


 大勢至菩薩は、一つ吐息をはく。たった一つの幸泉の実をもらうためだけに、これだけの傷をおったと言うのか。


「沙麼蘿のために、そんな思いまでして幸泉の実を取りに来たと。何故(なぜ)(すめらぎ)を通して、釈迦如来(しゃかにょらい)に申し出なかった」


『沙麼蘿はもはや虫の息で、皇から力を貰わなければ命を繋ぐことができない』

『皇は…、沙麼蘿の元を…離れられない』

「だから、お前達二頭だけで来たと言うのか。」


 大勢至菩薩は、道界との友好の印を渡したいと言われ女帝の生んだばかりの子を渡した。だがそれは、大勢至菩薩が進んでしたことではない。ましてや、この仏界に住むすべての大神は大勢至菩薩の(もと)にあり家族も同然だ。それが、聖獣と闘い互いを傷つけ合うとはどう言うことか。それも、沙麼蘿のために。

 大勢至菩薩にとって、沙麼蘿はあまり関わりがない。阿修羅(あしゅら)釈迦如来(しゃかにょらい)眷属(けんぞく)で、千手観音(せんじゅかんのん)を守る者。愛染明王(あいぜんみょうおう)は、公の場以外では言葉をかわすこともあまりない。沙麼蘿は心がなく、子供の頃は釈迦如来の下におり、ある年頃を過ぎてからは道界にいた。その沙麼蘿のために、琉格泉と須格泉は傷ついたと言うのか。我が、大神が。

 大勢至菩薩は、無謀なことをした二頭の大神を哀れに思い悲しんだ。他の大神同様自らの側に置いておけば、平穏な日々を過ごせたであろうものを。我が身が血に濡れるようなことは、させなかったものを、と。


『大勢至菩薩。この子らに、幸泉の実を渡してやって欲しい』


 傷つき血に濡れた我が子の身体を舐めながら、女帝は懇願(こんがん)した。


「女帝…。いいだろう、わかった」


 大勢至菩薩は、何かあきらめたように懐から小さな包みを取り出すと、その中から一粒の実を取り白い紙で包む。


「持って行くがいい」


 大勢至菩薩にしてやれることは、もうないのだろう。琉格泉にそれをもたせると、“傷の手当てをしよう”と二頭を見た。だが、二頭は静かに首をふる。休んでいる暇などない、今は一刻を争う。早く皇と沙麼蘿の元に帰らなければならない。


『お行き、私の可愛い子達。その代わり、体だけは大切にして』


 久しぶりに会った母は、優しかった。幼い頃に別れ、長い間顔さえ見たこともないと言うのに。だからこそ、その優しさが何倍にもなって琉格泉と須格泉の心に響いた。だが二頭は、女帝とたいした言葉を交わす時間もなく、天界を後にする。


「女帝よ、お前は私を恨むか。釈迦如来と観音に、お前の子を渡した、この私を」


 大勢至菩薩の言葉に、女帝は首をふる。あの二頭は、他のどの大神よりも生き生きとしているように見えた。人がどう見るかではなく、本人がどう生きるのか、それが何よりも大切だ。あの二頭を見れば、一目でわかる。琉格泉と須格泉は、どの大神よりも自由に生きているはずだ。

訝しい→物事が不明であることを怪しく思うさま。疑わしい

威嚇→威力をもっておどすこと

懇願→誠意をこめて頼むこと



次回投稿は6月30日か7月1日が目標です。

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