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天上の桜   作者: 乃平 悠鼓
第一章
53/203

第五部 天の原と戦の原に舞う紅の花《十》

 辺りが静まりかえり、満月に近い月が夜空に浮かぶ頃、沙麼蘿(さばら)琉格泉(るうの)翡翠観(ひすいかん)の大地に降り立った。下界には不釣(ふつ)り合いな猩々緋(しょうじょうひ)色の(きぬ)が風に舞い、琉格泉がその衣に(たわむ)れるように動く。

 ナタより(すめらぎ)からの言伝(ことづ)てを聞き上界に向かったのは夕暮れ時のこと。上界での滞在(たいざい)(わず)かなものだったが、下界では(たたか)いの後始末(あとしまつ)粗方(あらかた)終え、(みな)寝静まっているようだった。


「ぴゅ!」


 “お帰りー、早かったね!”と、近くにある小さな池のほとりで、玉龍(ぎょくりゅう)人参(にんじん)の輪切りを頬張(ほおば)りながら気の抜けたような声をかけた。


『こんな夜更(よふ)けに、お前は何をしている』


 パタリとその場で仰向(あおむ)けになり美味しそうに人参をかじる玉龍に、(いぶか)しむように琉格泉が言った。


「ぴゅ、ぴゅぴゅ!」


 “ぼく、ぼくはずっと悟浄を見てたよ。だってさ、気になるでしょう!” そう言う通り、玉龍から少し離れた場所では悟浄が胡座(あぐら)をかき池をじっと見つめている。琉格泉はその顔を上げ沙麼蘿を見つめると


悟浄(アレ)に言うのか』


 と、聞いた。“何を” と言わずとも、沙麼蘿に感じられたように、琉格泉にも同じように感じられたのだ。玄奘は聞いた、“アレは悟浄の家族か” と。確かにアレらは悟浄の姉と父親だった。だが……。

 沙麼蘿は琉格泉を見ると、静かにその首を降る。まだ早い、悟浄はこれからその真実を自分の目で見、考え決断しなくてはならない。それが、どんなに残酷(ざんこく)な未来であったとしても。そこに、他人が口出しすることなどできるはずがないのだ。

 猩々緋色の衣が真っ赤な襦裙(じゅくん)に変わり、灰簾石(タンザナイト)色の髪と双眸(そうぼう)紫黒(しこく)色と黒檀(こくたん)色に変わった頃、悟浄は立ち上がり振り返った。

 一瞬、はっとした素振(そぶ)りを見せた悟浄だったが


「おっと、お早いお帰りで。上界てぇのは、案外近いのか」


 と、言った。上界にいた時間がどれだけ短かったのか、悟浄は知らない。それでも、自分の感情を隠しおどけて見せる悟浄に沙麼蘿は


「これから修羅(しゅら)の道を歩むお前が、いつまでそんな口をたたいていられるか」


 と呟く。僅かなその呟きを、悟浄は聞きのがさなかった。


「あの二人は、姉貴と親父は、間違いなく俺の、俺の姉貴と親父だったか」

何故(なぜ)そんなことを聞く。わかっているのだろう、あれが自分の親姉弟(おやきょうだい)だと言うことを。これからお前が、どんな道を歩むのか」


 そんな沙麼蘿の言葉に、悟浄は(まゆ)を寄せる。


「言ってくれるぜ。姉貴はな、優しい人だったんだ。親父から護身術くらいは教えられていたが、あんな(ぶき)を持って躊躇(ちゅうちょ)なく人に投げつけられるような、そんな人じゃなかった。親父だって飲んだくれの男だったが、御袋(おふくろ)を、家族を愛してた。息子の俺に、あんな憎しみの目を向けるような、そんな人じゃなかったんだよ。あれは本当に、俺の姉貴と親父なのか」


 母親や姉、村人達が理不尽(りふじん)にその命を奪われ、悟浄はその命を奪った者達と(たたか)うために玄奘達と一緒に旅をしているのだ。すべての根源(こんげん)であると思われる、“天上の桜” の鍵を持つ玄奘を護りながら。

 だが、この天上の桜の鍵をめぐって、よもや生きていた姉と父親と敵対関係になろうとは、誰が予想できただろうか。今の自分は、玄奘達と姉や父の間で板挟み状態だ。共に旅をしている玄奘達と、共に生きてきた家族。そのどちらかを取れと、誰が自分に言うのか。


「まだ、幾許(いくばく)かの時間はある。よく考えるんだな、自分の進むべきその道を」


 沙麼蘿はそう言うと、琉格泉と玉龍を連れその場をあとにする。その後ろ姿を、悟浄はじっと見つめていた。









「気をつけて行きな。いいかい、何かあればすぐに白水観(びゃくすいかん)か翡翠観に連絡をよこすんだよ」

「そうですよ、玄奘。相手がはっきりしたのです、自分達だけでなんとかしようとは思わず、連絡してきなさい」


 敵の襲来(しゅうらい)から数日、翡翠観の一部の修理を終え旅の準備を整えた玄奘達は、翡翠観の道門の前にいた。玄奘の身を案じる丁香(ていか)緑松(りょくしょう)の言葉に(うなず)く玄奘。その玄奘の姿を確認し、沙麼蘿に向かって


「沙麼蘿公女(こうじょ)、玄奘のことよろしくお願いいたします」


 と、緑松と丁香は頭を下げた。まだ早朝の薄暗さの残る中、見送りは緑松と丁香、そして僅かな弟子達だけだ。


「旅が終わったら、また帰ってきてくれよな! ハムちゃんも、体に気をつけるんだぞ!」


 名残惜(なごりお)しそうに声をかける山茶(さんさ)


「ぴゅ!」


 “お前もな!” と、玉龍(ハムちゃん)も別れを惜しむ。餞別(せんべつ)にもらった野菜を山ほど鞄に詰め込んで。


「では李道士(りどうし)(こう)道士、行ってまいります」


 こうしてこの翡翠観の道門を李緑松と黄丁香に見送られ旅立つのは、七年前と同じだった。あの時と違うのは、玄奘一人ではないと言うこと。玄奘には仲間がいる。“この旅で必ず天上の桜にたどり着く” 玄奘はそう心に決めて、仲間達と翡翠観の道門を出た。

 道門を出る寸前(すんぜん)、沙麼蘿は振り返り朝月夜(あさづくよ)に双眸を向ける。花薔(かしょう)堂室(へや)から下界に戻る途中、沙麼蘿は蒼宮(そうきゅう)の池にちょっとした仕掛けを(ほどこ)した。

 阿修羅(あしゅら)宝具(ほうぐ)を身につける(すめらぎ)であれば、その力を借りて月を通して下界が見渡せるようにしたのだ。下界が夜になれば、月が出ている間は池に下界の風景が映る。

 月を通して、沙麼蘿と皇の睛眸(ひとみ)が重なりあったような気がした。




「皇様、下界へ降りる準備が整いました。いつでも命令があれば下界に向かえます」

「そう、か」


 蒼宮の庭で池を見ていた皇に、妾季(しょうき)が声をかけた。


琅牙(ろうが)が下界の商人と(つて)をもちました。それらを通じて、公女に資金の提供(ていきょう)も可能です」

「わかった、下界では何をするにも金子(きんす)が必要だそうだからな。(みな)にご苦労だったと伝えてくれ」

「はっ」


 去って行く妾季を見ていた皇は、また池に視線を戻す。だが、すでに下界では月は姿を隠したらしい。“フッ” っと笑った皇は、天を(あお)いだ。


 皇が下界に降りることで、新たな道界と仏界の思惑(おもわく)、そして霊獣(れいじゅう)までもが動きだすのだ。そして地上は、更なる混沌(こんとん)に包まれる。







不釣り合い→釣り合わないこと。ふさわしくないこと。また、そのさま

戯れる→遊び興ずる。無心に遊ぶ

言伝て→伝えたい言葉を他の人に取り次いでもらうこと。また、その言葉

粗方→ほぼ全部に近いさま。おおかた。

訝しむ→不審に思う

胡座→座り方のひとつ。両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで座る座り方

双眸→両方のひとみ

躊躇→ためらうこと。ぐずぐずすること

理不尽→道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま

根源→物事の生じたそもそものはじまり。おおもと

板挟み→板と板の間に挟まれて身動きできない意から、対立する二者の間に立ってどちらに付くこともできず、苦しむこと

幾許か→明確ではない数量や分量、程度などを示す表現。いくらかの

襲来→激しい勢いでおそいかかってくること。来襲

名残惜しい→別れがつらく、心残りのするさま

餞別→遠方に旅行する人や転居・転任などする人に、別れのしるしとして金品を贈ること

朝月夜→朝方のまだ残っている月

施す→効果・影響を期待して、事を行う

伝→離れている人に音信などを伝える方法・手段。また、仲立ち。自分の希望を達するための手がかり

金子→おかね

仰ぐ→上を向いて高い所を見る。見上げる

混沌→入りまじって区別がつかず、はっきりしないさま




◎言い方について


神仏の住む所→天上界・天界・上界

(主に、下界に住む者が天上界・天界などと言うことが多く、邪神や鬼神は上界・天界などと言うことが多く、神は上界、仏は天界と言うことが多い)


人間が住む所→下界・地上


邪神・鬼神が住む所→下界・修羅界



住む場所や位、環境によって言い方がことなりますm(__)m



次回投稿は3月8日か9日が目標です。


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