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天上の桜   作者: 乃平 悠鼓
第一章
46/203

第五部 天の原と戦の原に舞う紅の花 《三》

(すめらぎ)


 玉座の間を出て、紫微宮(しびきゅう)の廊下を歩いていた皇に声をかけたのはナタだった。ナタの声に歩みを止め、皇は振り返る。

道観(どうかん)(まも)りを持ち、下界へ行って参ります」

「そうか」


 “時を見て下界に降りてもらう、ナタとよく話し合い公女(こうじょ)に力を貸すように” などと口では言いながら直ぐにその機会がこないことは、皇にもよく分かっている。

 恐ろしいのだ、皇と沙麼蘿(さばら)が一緒になった時、自分達にどんな害が及ぶのか。皇も沙麼蘿も、この世界をどうこうすることなど考えていないと言うのに。それを思い、皇はフッと笑った。

 自分と沙麼蘿に対する信頼感など無いに等しい、そんなことは分かりきったことだ。ナタが手に持つ “護り” を見れば、これを自分に持たせることなどあり得ない。


「どうかしたのですか?」

「いや」


 フッと笑った皇の姿に首を傾けたナタだったが、皇は何事もないと言うように呟く。


「何か、公女にお伝えすることは」


 ナタの言葉に何もないと言おうとして、皇はふと動きを止めた。


花薔(かしょう)容態(ようだい)が思わしくない。そうとだけ、伝えてくれ」

「それだけで」

「あぁ。それだけで、沙麼蘿にはすべて分かる」


 自分のことは伝えずとも、沙麼蘿には分かっている。だが、花薔は……と考えて、皇は花薔仙女(せんにょ)のことだけをナタに頼んだ。


「では、行って参ります」


 軽い一礼をして(きびす)を返そとするナタに、皇はふと思い出したように


何処(どこ)から降りる」


 と聞いた。ナタは少し不思議そうな顔で “朱雀門(すざくもん)ですが” と答える。その言葉に皇は


「ほかの門から行け」


 と、(けわ)しい表情で言った。


「それは、いったい……」


 突然の言葉に困惑(こんわく)の色を見せるナタに、皇は(けわ)しい表情のままで


「朱雀を、信用するな」


 と言った。


「何を言うのですか! 霊獣(れいじゅう)朱雀に対しそのようなことを!」


 思わず、皇に意見するような言葉がナタの口を()いて出た。だが、皇はひどく冷たい顔をして


()()()、霊獣だと」


 と、呟く。アレはあの日、天都(てんと)(はし)にある何処までも続く緑の野原で皇に言ったのだ。


『大切なものを奪い取られる気持ちが、お前にもわかったか!』


 と。その燃えるような紅緋(べにひ)色の大きな(からだ)で。その大きな、太陽のような琥珀(こはく)色の睛眸(ひとみ)で。









 火を放ちながら空を飛ぶ火輪(かりん)に乗り、(あま)色の衣を(ひるがえ)しナタは地上に降り立った。翡翠観(ひすいかん)の中庭では(すで)に、()緑松(りょくしょう)(こう)丁香(ていか)平伏(へいふく)してナタを待っていた。


「また会いましたね、白水観(びゃくすいかん)の黄丁香」


 ナタは平伏して自分を待っていた二人の道士(どうし)を見つけ、見知った方の丁香にまず声をかけた。丁香は “はい” と言葉を返す。そしてナタはその横で平伏する人物を見つめ


「お前が、翡翠観の李緑松か」


 と言った。緑松は平伏したままの姿で


「はい。私が李緑松でございます、ナタ太子」


 と答え、その頭を上げた。しかし、その睛眸(ひとみ)を見ることは(おそ)れ多く感じられ、ナタの天色の衣の上に咲くように見える白蓮華(びゃくれんげ)紅蓮華(ぐれんげ)を見つめる。


鶯光帝(おうこうてい)の意により、この翡翠観と白水観の護りを持って来ました。既に阿修羅王(あしゅらおう)より護りを頂いたと思うがそちらは地下に、此方(こちら)は敷地にある四隅(よすみ)と中央近くにある(はしら)の中に入れよ。それにより、此処(ここ)翡翠観と白水観は護られよう」

「ははっ」


 ナタの言葉に、緑松と丁香は額を手の甲に押し付けるように深く平伏する。その二人の元に、ナタの部下が “護り” の入った袋を二つ持ちやって来て、それぞれの前に置く。その袋を二人が手に取るのを確認し、ナタは玄奘達に向き直った。そして


「そうそうに、奴らの奇襲(きしゅう)を受けたようですね。公女(こうじょ)がいれば心配はないでしょうが、これからは気をつけて行きなさい」


 と声をかけると、建物の入り口近くに琉格泉(るうの)と共に立つ沙麼蘿の元へと足を向ける。


仏界(ぶっかい)を、(おど)されたのですか」

「私が、か」


 真面目な顔でナタが聞けば、沙麼蘿はさして気にした様子もなく “あれは、蜃景(しんき)の言葉を見聞きした仏神(ぶっしん)達が、かってに慌てふためいただけだろうに。大袈裟(おおげさ)なことだ” と呟く。


「ですが、おかけで皇の下界への降臨(こうりん)が許可されました。これで、公女のお力を解放出来ましょう」


 そう口にしたナタだったが、ふと思い出したように


「皇からの伝言がございます。花薔仙女(かしょうせんにょ)の容態が思わしくない、と。それだけで、公女はお分かりになると言われました」


 と、言った。沙麼蘿はナタに


「そうか、わかった」


 と返事をしたが、感情など無いはずの沙麼蘿の表情が少し曇ったように感じられ、ナタは不思議に思う。そして、一つの言葉を(つむ)いだ。


「公女、一つお聞きしても。何故(なぜ)、霊獣朱雀を信用してはならないのですか?」


 と。沙麼蘿の、誰からそんな話をと言う雰囲気を感じ取ったナタが


「皇に言われたのです、朱雀を信用するなと。朱雀門を使うな、と」


 そう言えば、沙麼蘿はそっとその一言を返した。


「それは、朱雀が天人(てんじん)達を恨んでいるからだ」


 と。あの日、天人達は大切なものを朱雀から奪ったのだ。あの時の、つんざくような悲鳴(ひめい)にも似た朱雀の鳴き声を、沙麼蘿はまだ覚えている。だが、それ以上の答えを、沙麼蘿がナタにすることはなかった。





容態→身体の状態。特に病気のありさま。病状

踵→かかと

険しい表情→表情や雰囲気が鋭く険しい感じになるさま

困惑→どうしてよいかわからなくてとまどうさま

口を衝いて出る→すらすらと口から言葉が出る。また無意識に思いがけない言葉が出る

紅緋色→冴えた黄みの赤色。英名ではスカーレット

天色→晴天の澄んだ空のような鮮やかな青色

翻す→風が旗などをひらめかせる

平伏→両手をつき頭が地面につくほどに下げて礼をすること。ひれふすこと

畏れ多い→身分の高い人に対して失礼だ

奇襲→相手の油断、不意をついて、思いがけない方法でおそうこと

慌てふためく→あわてて騒ぎまわる。うろたえて、取り乱す

大袈裟→実際よりも程度を甚だしく表現するさま

降臨→天上に住むとされる神仏が地上に来臨すること

表現が曇る→気落ちした様子の暗い表情になるさま

紡ぐ→言葉をつなげて文章を作る



※大神の名前について

エスペラント語の『太陽→スーノ』『月→ルーノ』から当て字で『スウノ→須格泉』『ルウノ→琉格泉』にしています。



次回投稿は22日か23日が目標です。

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