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天上の桜   作者: 乃平 悠鼓
第一章
42/203

第四部 幻想の箱庭に咲く華《九》

文中に、“朱夏(しゅか)を過ぎようかと” と言う表現がありますが、“五十代くらいの年齢” をイメージして書いています。

「姉貴!」


 と呼ばれた花韮(かきゅう)は、(いぶか)しげに声がする方向を見つめた。声の主、悟浄を見る花韮の双眸(そうぼう)は冷たく、その睛眸(ひとみ)には何の感情もない。

 だが……、幾度(いくど)かのゆっくりとした(まばた)きを繰り返した後、花韮はとてもわざとらしい芝居じみた素振りで


「まぁ! 悟浄、悟浄なの!」


 と、悟浄の名を叫んだ。もう会えないと信じて疑うこともなかった姉が、自分の名を呼びその双眸を自分に向けている。


「姉…貴……」


 思わず、片手を花韮に向かって差し出した悟浄を見て、花韮はニッコリと微笑(ほほえ)んだ。


「本当に悟浄なのね。見違えたわ、立派になって」


 悟浄がよく知る優しい姉の顔をして、花韮はそっとその目頭を(ぬぐ)う。立派に成長した弟の姿に、感涙(かんるい)するように。


「姉貴、やっぱり姉貴なのか! 無事だったのか!」

「えぇ、父さんが助けてくれたのよ」

「親父が!」


 あの時、悟浄の腕の中で力なく崩れ落ちた花韮。その花韮が昔と何一つ変わらず優しい笑み(たた)え、そっと悟浄に向け手を差し出す。


「さぁ悟浄、こっちへ来て。姉さんに顔を見せてちょうだい」


 花韮の白い指先に、悟浄はまるで夢でも見ているかのように、ふらふらと前に進みでた。だが、しかし……。


()()()()()()()()()、ね」


 と続けた花韮の声には、冷たい(とげ)のようなものが感じられ、悟浄は眉をひそめる。そして立ち止まり、今一度花韮の顔を見た。

 そこに立つ人物は本当に自分の姉なのか、と。“姉貴は、あんな冷たい刺のある物言いができたか?” 悟浄の胸に一抹(いちまつ)の疑念が生まれる。

 その時、沙麼蘿(さばら)はじっと二人のやり取りを見ていた。そして(さぐ)るように、花韮の睛眸(ひとみ)の奥を見つめる。ほんの、ほんの一瞬、沙麼蘿が(わず)かに眉を寄せたのを、玄奘は見逃さなかった。その時


「花韮!!」


 花韮の名を呼び、突如(とつじょ)として姿を表したのは鬼神(きしん)だった。月白色(薄い青みを含んだ白)の髪に紅葉色の双眸をした、朱夏(しゅか)を過ぎようかと言うくらいの男。


「親父……」


 悟浄の思い出の中にある父親の姿とまったく変わることなく、その男は花韮の横に立つ。酒好きで、気づけば何処(どこ)に行ったのか分からないほど自分勝手な父親だった。だが家族には、思いやりのある優しい人だったことだけは確かだ。

 その大柄な男をみれば、悟浄は父親似なのだろうと分かる。それまで悟浄を見つめていた花韮は父親に向き直ると、とても嬉しそうに声をかけた。


「父さん、悟浄よ! 見て、悟浄がいるの!」

「悟浄……だと」


 弟との再会を喜ぶ花韮とは打って変わって、悟浄と言う名を聞いた途端(とたん)父親の顔は憤怒(ふんぬ)形相(ぎょうそう)に変わる。


瀕死(ひんし)のお前を置いて、自分だけ安全な場所に逃げた悟浄か!」

「な…っ…!」


 思ってもいなかった言われように、悟浄が僅かに声を上げた。自分だけが安全な場所に逃げたと、()()()()()()()()()()あんたが言うのか、と。

 どれだけの時がたっても忘れはしない。悟浄と花韮を守るため、自ら犠牲になって息絶えた母。あの時、どれだけ父の姿を捜し叫んだことか。


何処(どこ)に……、あの時、あんたは何処にいたんだよ!! あんたが! 親父さえいてくれたら、お袋だって村人だって、助けられたかも知れねぇのに!」


 悟浄は自身の両手を握りしめ、父親に思いのたけをぶつける。あの時、目の前で繰り広げられる惨劇(さんげき)の中で、何度も父を呼んだ。


「どうせ、朝から酒でも飲んでたんだろう! 親父のせいで村が襲われたって言うのによ! お袋があんなふうに死んだのは、親父のせいじゃないか!!」

「見苦しいぞ悟浄! 母親を、姉を見捨てたお前が、どの口で俺にものを言う!」


 まるで(ののし)り合うような言葉の応酬(おうしゅう)に、花韮が声を上げる。


「父さん、やめて」

「花韮、何故(なぜ)(かば)う。瀕死のお前を置いて自分だけ逃げたんだぞ! 母さんとお前を置いて逃げる、それが自分の家族に対してすることか! この虫けらが!!」


 まるで憎い(かたき)を見るように、父親は悟浄に(するど)い視線を向ける。それは、親が子に向ける視線ではない。


「父さん。仕方無かったよ、あの時は」


 取り成すように、花韮は優しい声で父親に話しかける。だが、次にその口から出た言葉は、信じられないものだった。


「それにね、父さん。悟浄は若様の役に立ってくれるわ。だって、三蔵を連れて来てくれるんですもの」

「何、三蔵だと」

「えぇ、そうよ。そこにいる三蔵よ」


 花韮の指先が玄奘に向けられ、父親と言われるその男の視線が玄奘を捉えた。()()が誰のことなのかは分からない。だがいつの間にか、悟浄が玄奘を差し出すかのような会話になっている。


「チッ」


 納得いかないとばかりに吐き捨てるように舌打ちしたその男は、己の息子である悟浄を憎々しげに見て


「これで、お前の罪が消えると思うなよ!」


 と、叫んだ。“罪…だと。自分のことを棚に上げてか” 何処まで行っても、二人の意見が重なりあうことはもうない。かけ違えたボタンは、今となっては戻ることができない所まで来てしまったのだ。

 花韮と悟浄達を見つめていた沙麼蘿と華風丹(かふに)が僅かにその(かお)を上げ、同じ方向に視線を向けた。見上げた空の彼方から、シャンカラシャンカラと音がする。

 華風丹は “ふっ” と笑い、沙麼蘿を見た。

感涙→感激、感動のあまり流す涙

眉をひそめる→心配事や不愉快なことがあったと感じたことを言う慣用的な表現

一抹→ほんのわずか、かすか

月白色(げっぱくいろ)→月の光を思わせる薄い青みを含んだ白色

紅葉色→晩秋の赤く色づく(カエデ)のような、あざやか赤色

朱夏→季節の「夏」を示す言葉。転じて人生の真っ盛りの年代、主に壮年時代を示す言葉として用いられる

憤怒→大いに怒ること

形相→顔かたち、表情。恐ろしい感じや不気味な感じがする場合に用いる

瀕死→死にかかっていること、死にそうであること

惨劇→悲惨な内容の演劇。転じて殺人などのむごたらしい出来事

応酬→互いにやりとりすること。また、相手のやり方にこたえて、やり返すこと



次回投稿は28日か29日が目標です。

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