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天上の桜   作者: 乃平 悠鼓
第一章
36/203

第四部 幻想の箱庭に咲く華《三》

 誰もいなくなった宿坊(しゅくぼう)の中に響き渡るのは、玄奘の双剣と女の剣鞭(けんべん)がぶつかり合う音のみ。

 女は前方が剣であるにも(かか)わらず、(ピエン)をぐるぐると旋回させつつ確実に一瞬の隙をみて、玄奘に攻撃を仕掛ける。彩蝶双飛(さいちょうそうひ)と言われるその(わざ)は、身体の左右それぞれの側で旋回する鞭が、蝶が花の間を舞うさまに似ていることから名付けられている。

 柔軟な本体である鞭を使用しているにも拘わらず、その動きはあたかも棒状の武器を回転させているようにも見え、すばやい回転は相手の幻惑を誘い、また攻撃力へも生かすことができるのだ。

 この女の力は周囲に同化する。だとすれば、今のこの女の力は自分と同じだ。とは言え、若い女の身でありながらここ(まで)容易(たやす)く鞭を使えるとは。鞭だけでなく、剣の腕前も相当なものだ。この歳で、どれだけの特訓を受けてきたのか。だが、


「潜り抜けできた修羅場の数が違う」


 自分が今まで歩いてきた道のりを(おも)い、玄奘が呟いたその時


「お前のようにぬくぬくと庇護(ひご)されてきた者に、身を削りながら生きてきた()()が、負けるはずがない!」


 と、女が言った。そう、本当にこの()()は、身を削りながら生きてきた。身を削り取られながら息絶えた弟。自分に(まだら)としての力、“周囲と同化する” この力があるともっと早くわかっていれば、弟は生きていられたかもしれない。いいえ、死なせはしなかったのに。


「ぬくぬくと庇護、だと」


 玄奘は、目の前に立つ女を見た。自分は、御師匠様(おっしょうさま)と兄弟子達の血の上に成り立っているのだ。だから、自らが血濡れることを(いと)わない。


「ぬくぬくと、庇護…か」


 玄奘は、乾いた笑いを浮かべた。


「玄奘三蔵、お前の首を取る。そして、天上の桜の鍵を貰うわ」


 この世界は力がすべて。力さえあれば、栄耀栄華(えいようえいが)は思いのまま。望む世界を、望むものを、すべて手に入れることができる。

 それが、天上の桜を手に入れることにかかっているのだとしたら、それを手に入れるために手段は選ばない。女は、鞭を握り直し玄奘を見た。そして


(まい)る」


 そう言うと、女の鞭の剣先が玄奘の身体目掛けて放たれた。









「ぴゅ」


 そのたった一鳴きに、“うわ〜、立派な観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)だね” と言いきった玉龍(ハムスター)は、供え物が置かれた長い台の上に乗り、光輝く観世音菩薩の仏像を見た。

 中央に置かれた長い線香には火がついており、辺りは線香の香りに包まれている。宿坊では激しい戦いが繰り広げられ、人々は命からがら逃げているだろうに、此処(ここ)は何事もなく静かで、まるで別世界のようだ。


 どれくらいの時を置いてか、琉格泉(るうの)がするりと入ってきた。そして間を置かずして、八戒と悟浄が白水観(びゃくすいかん)(こう)丁香(ていか)と数人の弟子達を連れて入ってくる。


沙麼蘿(さばら)

「連れてきたぞ」


 八戒と悟浄の言葉に、観世音菩薩の仏像を見つめていた沙麼蘿はそっと振り返り


(ネズミ)が、また増えた」


 と、言った。この道観には、少し離れた場所とはいえ孤児院もある。


「全員を、何処(どこ)かに避難させた方が」


 そう問いかけた八戒に


「適は少数精鋭(せいえい)、狙いは玄奘のみ。黄丁香と()緑松(りょくしょう)以外は、人質に取る気はない。それ以外には玄奘の心は動かない、そうわかっている」


 そう、敵の数は少数だ。玄奘のいる場所以外に、奴らがやってくるとすれば此処のみ。こちらの方が守りやすい。

 二手に別れることにはなるが、この翡翠観(ひすいかん)と丁香の白水観には()()がいる。()れからも、天上の桜の鍵を手に入れるため、緑松と丁香を人質に取らないと、誰が言いきれる。

 だから、二つの道観には()()がいるのだ。おいそれと、この場に入ることが出来ない()()が。沙麼蘿は、じっと観世音菩薩の仏像を見た。


「玄奘と緑松は、大丈夫なのかい」


 丁香達は、翡翠観の前までたどり着き長い階段を上ろうとした所で、大神(オオカミ)と会った。その後、緑松の所へ向かった玄奘と悟空と別れ、丁香の所へやってきた悟浄と八戒に連れられ、裏から翡翠観に案内され今に至る。

 此処にくる道すがら簡単な今の状況は聞いたのだが、二人はどうなっているのか。


()()()()、な。だが心配はない、悟浄と八戒が行く」

「玄奘と揃いも揃って人使いが荒い」

「行きますよ、悟浄」


 あの時、離れを出た悟浄と八戒は玄奘から “黄道士を頼む” と言われ、丁香の元へ急ぎ向かい守りながら此処へ連れてきた。だが、沙麼蘿は事もなげに “行け” と言う。

 そして、出て行った悟浄と八戒と入れ替わるように、悟空が緑松と数名の弟子を連れて駆け込んできた。


「遅くなった。でも参拝者の避難と、お弟子の人達の避難も終わった! オレ、玄奘の所に行ってくる」


 今きたかとおもえば、悟空は直ぐ様(きびす)を返し、さっさとこの場を後にする。


「丁香、此方(こちら)に来ていたのか」

「あぁ、緑松は無事だったかい」

「何とか、な。御使(みつか)い様」


 この場に来て丁香と無事を確認しあった緑松は、沙麼蘿を見つめた。


「この翡翠観と白水観には護りが必要だ」


 事あるごとに、翡翠観と白水観を狙われ人質として取られては、余計な手間が増えるばかりだ。


「しかし、如何(いか)にして」


 緑松の言葉に、沙麼蘿は静かに口角をあげ供え物が置かれた台を飛び越えると、


「こうしてだ」


 と、高く上げた右の(かいな)を観世音菩薩の仏像の胸元に振り下ろし、飾りつけられていた瓔珞(ネックレス)をその手で掴んだ。




容易い→わけなくできるさま、容易である、やさしい

修羅場→血みどろの激しい戦いや争いの行われる場所。しゅらじょう

庇護→弱い立場のものをかばって守ること

乾いた笑み→人間味や人情の温かみを感じさせない笑みや笑い声。冷たい感じの笑い方などを形容する表現

栄耀栄華→今を盛りと時めくこと、また非常にぜいたくなこと

参る→「行く」「来る」の意の謙譲語、「行く」「来る」の意の丁寧語

精鋭→強くて、勢いのいいこと。また、そのさま。えり抜きのすぐれた人・兵士

踵→かかと

如何に→状態などについての疑問を表す。どのように、どんなふうに



次回投稿は23日か24日が目標です。

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