第四部 幻想の箱庭に咲く華《二》
「道士!」
山茶が宿坊の広間に駆けつけた時、李緑松は弟子達と共にいた。参拝者達を前に、弟子の一人が宿坊の説明をしているのを、後ろで聞いていたのだ。
「季道士、そいつは人間じゃない! 敵だ! 玄奘様の敵だ!」
勢いよく駆け込んできた山茶の言葉に、その場にいた全員が驚いて、山茶が指差した方を見つめた。そこにいたのは、参拝者達と一緒に佇む一人の女。
ごく普通の、何処にでもいる町娘のようだった。一緒にいる他の者達と変わらぬ黒髪、黒い双眸の、二十歳を少し過ぎたくらいの女。
半色の、町娘と同じような姿をして、何食わぬ顔で自分を指差す山茶を見つめている。
「いきなり、何をおっしゃるのです。童キー様」
その声は優しげで、怪しい所は一つも見受けられない。だが
「御使い様が言ったんだ! 間違いない!」
山茶のその言葉に、道士や兄弟子達の表情が変わった。それを瞬時に見て取った女は、その姿に似合わぬ態度で
「チッ」
と、舌打ちした。そして今までとは打って変わった表情で
「邪魔な子ね」
そう言って、山茶を睨め付ける。だが、次の瞬間持っていた上着を目の前で振り上げると、町娘だったその姿は沙麼蘿が着ているような襦裙へと変わっていた。
半色のその襦裙の裾には、山々の刺繍が施され、その上には十五夜の月が描かれている。そしてその手には、鞭を持っていた。
鞭は、本体が柔軟で折り曲げられる。女の鞭は、鋼鉄を鍛えたものをつないで作られている剣鞭。希少な兵器で、剣と鞭を組み合わせできている物だ。
前方は長さ三尺ほどの剣、柄頭に長さ五尺少々の鋼鉄の環を繋いだ鞭が接続されている。
剣術の刺す・斬りつける・軽く突く・受ける・回転させる、といった技に加え、鞭のほうり投げる・引き抜く・打つ・払う、絡める、と言ったこともできるものだ。
「やっぱり、御使い様の言ったとおりだ」
「間に合った、とでも思っていて童キー様?」
揶揄を含んだような女の言い方に、山茶が眉を寄せる。女は “ふん” と鼻で笑うと
「全然、間に合っていないわ」
と言い、口角を上げた。
「皆、逃げて!!」
「参拝者をこちらに!!」
山茶と緑松の声が重なりあい、弟子達が素早く動き出す。その女は、近くに参拝者がいるにも拘わらず、鞭を回し緑松目掛け投げつけた。だが、
「させるかーーー!!」
と言って現れたのは、悟空だった。如意金箍棒で素早く鞭を振り払い、参拝者をつれ緑松の回りに集まった弟子達の前に走りよる。
悟空は、如意金箍棒を構え女と見合う。見た目は、いかにも普通の人間の女。それは、目の前で鞭を持ち、構え合っても変わらない。だが、沙麼蘿は斑だと言った。その時
「お前のおかげで、力が上がったわ。」
女はそう言って、面白そうなものを見るようにして、悟空を見た。
女は斑の中でも、特殊な能力を持っていた。斑とは、邪神達が天上界の神仏と戦うために造り上げた一つの兵器のようなものだ。
邪神や鬼神、道神や仏神、妖怪など様々な力を持つ者達を、本人の意志とは関係なく拐い掛け合わせ、更にはまたそれを掛け合わせ誕生させた者達。
その多くは強大な力を持つが、無理な掛け合わせにより喜怒哀楽の一部が欠けていたり、心を病んでいたり、短命だったりと、難があると言う。
斑の特徴は、身体の何処かに必ず斑が出ること。多くは、髪や睛眸や爪に現れる。
だが、目の前の女はどうか。髪も睛眸も黒一色、爪も人間とかわりない。見た目は、まったくの人間そのもの。
しかし、その身体や力は、すべてに溶け込むと言う。人間の中に混ざれば人になり、妖怪に混ざれば妖怪になり、神仏に紛れば神仏になる。また、力も同じ。回りの人間に力の強弱があっても、必ず中間地点の力を持つようになる。
今、人間ばかりで多少の力の強弱しかなかったこの場所に、突然氣の塊のような悟空がやってきたことで、この場の力の平均がぐっと上がった。それは、人間ほどの力しかなかった女の能力を、格段に上げた。
今の女は、人間と悟空の中間ほどの力を得ている。そこへ
「李道士!!」
飛び込むように、玄奘がこの場に入ってきた。
「ほら、また私の力が上がったわ」
女はそう呟くと、入ってきた玄奘の顔を見た。そして目を細めると
「そうか、お前が玄奘三蔵法師。天上の桜の鍵を持つ者」
と、呟いた。女が玄奘に向き直ると、玄奘も確認するように女の姿を見つめる。
「斑、か」
そう言葉に出して言った玄奘に、女はまるで自己紹介をするかのように
「如何にも、私は斑。そして、お前の首を取る者」
と、言うが早いか、鞭の剣の部分を持ち玄奘の目の前まで進み出てきた。
玄奘は直ぐ様、己の帯革の尾錠の前で両手を交差させ双剣を掴むと、それを自分の顔の前で交差させ女の剣を防いだ。
「参拝者を安全な所へ! 道士は観世音菩薩の所へ行って下さい! 悟空、頼む!!」
玄奘は叫びながら、皆に指示を出す。
言われた悟空の方は、“えっ?” と言う顔をして
「玄奘は!」
と、大声で言った。玄奘は不敵な笑みを見せると
「お前達がいなければ、私とこいつの力は互角だ」
と言い、女を見る。“早く行け!” そう言って全員を急かす玄奘に
「そうね。邪魔者達が消え去れば、私と貴方の力は互角。でも、私は強いわよ」
女は玄奘を見据え、笑みを見せながら言った。
「私を、殺生を嫌う普通の僧侶だと思うなよ」
全員を外に出した玄奘は、笑みを浮かべる女と対峙した。
佇む→しばらく立ち止まっている。じっとその場所にいる
御使い→使者、神の使い
睨め付ける→にらみつける
施す→飾りや補いのために何かを付け加える
一尺→ここでは23.1センチ
揶揄→からかうこと、なぶること
眉を寄せる→不快の念などから眉の寄ったような表情をすること
見合う→互いに相手を見る。顔を見交わす
難→欠点
紛れ→他に入り交じって区別がつかなくなること
向き直る→身体を動かして向きを変える
如何にも→常識や予想の通りであるさま。まことに。おっしゃるとおり
対峙→向かい合ってそびえること。対立する者どうしが、にらみ合ったままじっと動かずにいること
次回投稿は17日か18日が目標です。




