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天上の桜   作者: 乃平 悠鼓
序章
3/198

いつかのあの日《三》

「なん…で……、すって……」


 上界の南東に位置する此処(ここ)(すめらぎ)の住む離宮・蒼宮(そうきゅう)で、女仙(じょせん)であり離宮のすべてを取り仕切っている花薔仙女(かしょうせんにょ)が、(わず)かによろめき手にしていた花器を落とした。


「皇様は、そのまま紫微宮(しびきゅう)に連れて行かれました」


 あまりの惨事(さんじ)朦朧(もうろう)としかけた花薔だったが、()()()と言う言葉に、ハッとして前を見た。


「なぜ、紫微宮に」

「血まみれだったのです。沙麼蘿公女(おじょうさま)の血を浴びて、皇様は()()()()()()()のでございます」


 離宮の窓から、天都(てんと)の端の一角に漆黒(しっこく)の闇が見えた花薔は、急ぎ下働きの者に様子を見に行かせた。だが、戻って来たその者の言葉に、花薔は震える右手で己の胸元をグッと掴んだ。


「あぁ……、御嬢様」


 大事にしていた沙麼蘿は亡くなり、皇も紫微宮に連れて行かれたと言う。鶯光帝(おうこうてい)は、自然の摂理や法や秩序にそぐわぬ者を酷く嫌う。そのため、命を奪う血を持つ沙麼蘿を毛嫌いしていたし、父親の地位が低くしかも(わずか)といえど(まだら)の血を引き継いだ皇を(うと)んじていた。

 今までは、鶯光帝の妹であり皇の母親である聖宮(せいぐう)の力を持って、この蒼宮に幽閉と言う形で難を逃れてきた。聖宮亡き後も、仏人(ぶっじん)である沙麼蘿が居たからこそ、離宮も皇も護られてきたのだ。


「一体、どうすれば」


 ままならぬ考えの中立ち尽くす花薔の耳に、中庭から二頭の大神(オオカミ)の遠吠えが聞こえた。


須格泉(すうの)琉格泉(るうの)


 仏界(ぶっかい)より贈られた二頭の大神。その遠吠えに導かれるように庭へと向かってみれば


『あぁ…、悲しい……。なぜ奪う、私の大切な者達を。(あのひと)蒼光帝(そうこうてい)横死(おうし)し、聖宮(せいぐう)早世(そうせい)した。この上、沙麼蘿まで夭逝(ようせい)しようとは……。なぜ私が愛しむ者を奪う。あぁ……愛しい子達。まさかこの上、皇まで奪おうと言うのか……』


 誰かの泣き声と共に、ポタポタと目の前の桜から、赤い光り輝く粒のような物が落ちてくる。まるで、満開に咲き誇る桜の木から花弁(はなびら)が舞い落ちてくるように。


(なみだ)……」


 それはまるで、桜の泪だった。美しい薄い桃色の花を咲かす桜の大木が、嘆きに震え、真っ赤な血の泪を流しているように花薔には見えた。

 花薔は桜の木の下へ足を進め、根元に落ちていた赤い粒を手に取った。透明だが、真っ赤な血のような色で、だがキラキラと輝き、どれも皆桜の花弁の形をしていた。


「これで、皇様をお救いできます。感謝致します、天上の桜よ」


 花薔は、落ちてくる真っ赤な泪の粒を拾い集めると、(きびす)を返して紫微宮へ向かおうとした。


「入れていただけますでしょうか。今、紫微宮は大変な騒ぎでございます」


 幾多の兵が逝ったのだ、当然のことだろう。だが、なんとしても鶯光帝に会っていただかねば。花薔がそう決意した時、そろりと二頭の大神が彼女の両端にやってきた。


「一緒に、行ってくれるのですか」


 大神達が頷く。この大神は、下界の狼とは訳が違う。仏界に住む神の使いであり、あの大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)に仕える大神の(おさ)女帝(エンプレス)の子供である。この道界では、仏界の使者、あるいは友好の印として位置付けられている。


「お願い致します」


 一人と二頭は、急ぎ紫微宮へと向かった。









「何故(アレ)は生きている!! あの沙麼蘿(ばけもの)の血を浴びてなお、何故生きているだ!!」


 鶯光帝の声が、紫微宮に響きわたった。


「鶯光帝、花薔仙女が参りました」


 扉の外で、側近(そっきん)の声がする。


「今はそれどころではない。女仙の相手など、してはおられぬ」


 “追い返せ”と言わんばかりの鶯光帝の言葉に、“ですが…”と戸惑いの色を見せた後


「大神を連れて参っております」


 と、声が返ってきた。


「この、大事の時にか」


 嫌悪(けんお)に顔を歪めた鶯光帝だが、大神の名を出されては無下にもできず、花薔を連れて来るように命じた。


「花薔、なんとした」


 玉座に座る鶯光帝の眼差(まなざ)しは、何処までも冷たかった。だが、花薔は()()に気づかぬように平伏(へいふく)しながら言った。


「桜が……。蒼宮のあの桜が、泪を流したのでございます」

「なんだと!」


 鶯光帝は双眸(そうぼう)を見開き、ガタンと音を立てて玉座から立ち上がる。


「こちらを」


 花薔は、三方(さんぼう)のような台に持参した桜の泪を載せ、(うやうや)しくそれを鶯光帝に差し出した。側近(そっきん)の者がそれを受け取り、鶯光帝に差し出すと、鶯光帝はかけられていた布を外し、()()を見た。


「なんだこれは! これは泪などではない。血だ、あの妖樹(ようじゅ)の血ではないか! なんと浅ましい」


 と、声を(あら)らげた。そして側近に目配せし、桜の泪を遠ざけさせる。


「桜が、泣いていたのでございます。何故、愛しい子達を奪う……と」


 “まさか”と、鶯光帝は平伏する花薔を見た。


「愛しい子……達、だど。それは……」


 平伏したまま、顔を上げることもなく、花薔は答えた。


「沙麼蘿公女(こうじょ)と、皇様のことにございます」


 一瞬押し黙った鶯光帝だが、静かに玉座に座ると


「皇を蒼宮に連れて帰れ。今、すぐにだ!」


 と、言った。そこには“面倒ごとは御免だ”との意思が込められている。


「はい。確かに(うけたまわ)りました」


 花薔は深く頭を下げて、玉座の間を退出していった。

 鶯光帝は玉座に身体をあずけると、静かに吐息をはく。蒼宮の桜を初めて見た時、あまりの異様な姿に、全身が粟立(あわだ)つのを覚えた。それはまるで、血濡れの桜だった。薄紅色などではなく、赤紅色の真っ赤な桜。おぞましかった、何よりも。

 赤紅は厄災(やくさい)の色だ。その後、父の蒼光帝は命を落とし、仏界から沙麼蘿がやってきた。やっと蒼宮の桜が薄桃色の花びらに変わったと言うのに、赤い猩々緋(しょうじょうひ)色の(きぬ)を着て、その睛眸(せいぼう)は紅色だった。おぞましい、と思った。そしてまた()()()()()()()()()が起き、沢山の命が散った。

 そして今日、また赤紅が舞った。兵達が流した赤紅、沙麼蘿が散らした赤紅、皇の赤紅に染まった()()姿()。何よりもおぞましいのは、蒼宮の桜の血の泪だ。また、厄災が起こる。鶯光帝は激しい頭痛に襲われた。


「鶯光帝、この桜の泪如何(いかが)致しましょうか」


 近づいてきた側近に


「下界に下げ渡せ」


 とだけ、鶯光帝は答えた。それは、この上界にあってはならぬ物。この世界を、混沌に導く物だ。


「よろしければ、一度こちらでお預かり致しましょう」


 穏やかな笑みでそう声をかけてきたのは、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)だった。


「よい、のか」

「事情はかの者より聞き及びました。一度仏界にて、浄化致しましょう」


 側近から桜を受け取ると、観世音菩薩はそれを童子(どうじ)に持たせ、仏界へと帰って行った。


「頼む」


 誰もいない部屋に、鶯光帝の声だけが響いた。

女仙→女性の仙人

斑→違った色が所々にまじっていたり、色に濃淡があったりすること・ぶち。ここでは様々な種族の血が混ざりあうこと

大神→上界に住むオオカミ

横死→事故や殺人などの不慮の死

早世→若い時に死ぬこと

夭逝→年わかくして死ぬこと

踵→かかと

平伏→両手をつき頭が地面につくほどに下げて礼をすること・ひれふすこと

妖樹→人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす不思議な力を持つ非日常的、非科学的な樹木

粟立つ→恐怖や寒さなどのため毛穴が収縮して皮膚一面に粟粒ができたようになる・鳥肌が立つ

猩々緋色→(あけ)のなかでも特に強い黄みがかった朱色



序章は次回で終わりです。8日までには更新できるといいな。

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