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天上の桜   作者: 乃平 悠鼓
第一章
27/203

第三部 川辺の水落鬼《四》

「きりがない」

「まさか、これが水落鬼(すいらくき)とは」


 玄奘と八戒の前に立ち(ふさ)がる水落鬼は、双剣(そうけん)()りつけても(せん)で射っても、すぐに何事もなかったかのように傷が消え去る。


「いつから水落鬼は不死身になった」


 玄奘は、自ら右手首に腕釧(ブレスレット)のように巻きつけていた玻璃(すいしょう)の数珠を外すと、右手に持つ(ジエン)(つか)の部分にそれを巻きつけた。そして、剣を握り直し躊躇(ちゅうちょ)なく水落鬼を斬りつける。


「駄目か」


 呪いや精神的な支配なら、この数珠の力が作用して、何かしらの変化があるはずだ。だが、目の前の水落鬼には何の変化も見られない。


「下がって下さい!」


 玄奘に向かって手を伸ばそうとしていた水落鬼に、八戒は自らの(ゴン)を引いた。()(えが)き水落鬼の右腕に突き刺さった箭は、すぐに引き抜かれ傷も消え去る。


「いったい、どうすれば」


 雨はますます激しさをまし、視界を奪い足元の自由をも奪っていく。まるで、誰もいない空間に、水落鬼と共に閉じ込められたようだ。









「あ、あんたは……!」


 悟浄が璃葉(りよう)を背負い、母親の手を引いて船の乗客達に追いついた時、すでに皆は近くの村にたどり着いていた。村では乗客達の話を聞き、雨の中村長をはじめ数人が外に出てきている。


「無事だったのか、あんた。水落鬼(すいらくき)はどうなったんだ!」

「まだ水落鬼は上にいる。いいか、お前達は家に(こも)り出てくるな」

「だが……」


 知らない人間を、村人達が受け入れてくれるだろうか。船の乗客達は皆、不安で顔を曇らせた。それを見ていた悟浄は璃葉を降ろすと


「この村の村長はいるか!」


 と、言った。出てきたのは白髪混じりの男。悟浄は上に水落鬼が三体おり、また離れた場所にも数体の水落鬼がいることを包み隠さず話した。

 その上で、見ての通り自分は傭兵(ようへい)であること、それなりに腕がたつこと、上でそれなりの腕と思われる三人が戦っていることを伝え、水落鬼は自分達がなんとかするから、船の乗客達を一時村の家に入れてやって欲しいと頼んだ。村長はしばし考える素振りを見せたが


「船の乗客達を家に入れてくれるなら、俺達は水落鬼と戦う。だが、それが叶わないなら、戦わずして逃げる。この村に水落鬼がくれば、村は全滅だ」


 と言う、悟浄の(おど)しにも近い言葉におれた。そして、村の家に乗客達を別け入れていた時


「いーやー、はなしてー!」


 と言う璃葉の声が響き渡る。


「璃葉!!」

「いくー! いくのー!!」


 声のする方に悟浄が目をやれば、きた道を戻ろうとする璃葉と、その手を握りしめ必死に止めようとする母親の姿があった。


「どうした!」

「悟浄さん、璃葉が! 璃葉が!!」


 “はなしてー!” と、璃葉が暴れている。


「璃葉、どうした!」

「ないのー! ないのー!! とうさんのかたみの、はいぎょくがないのー!!」

「璃葉!!」


 母親は、泣きそうな顔で璃葉を見つめた。

 璃葉達家族は、南の土地で小さな店を営んでいた。それが三ヶ月前、仕入れに出ていた父親が盗賊に襲われ他界したのだ。

 荷物はすべて奪われていたが、(ふところ)の奥に入れていた佩玉(はいぎょく)だけが形見として戻ってきた。その日から、璃葉は佩玉を “父さん” と言って、大切に持っているのだと言う。今は、西側にある母親の実家に向かっている途中なのだ。


「璃葉、よく聞け! 父さんがいなくなったばかりなのに、お前にまで何かあったら母さんがどれだけ悲しむと思う。父さんだって自分の佩玉のせいでお前に何かあったら、死んでも死にきれない! 俺が、後でさがしてくる。だから今は、中に入れ!」

「う…うわぁーーーん」


 璃葉がその場に座りこんで、“とーうさーん、とーうさーん” と泣きはじめた時


「びゅーーー!!」


 と、何処(どこ)からか鳴き声が聞こえた。悟浄や母親、璃葉までがびっくりして辺りを見回すと、璃葉のすぐ側に小さな小さな薄汚れた何かが “ハァハァ”と肩で息をしながら、璃葉を見上げていた。

 見たこともない生き物に、ピタリと泣き止んだ璃葉。その小さな薄汚れた生き物は、自らが斜め掛けした鞄の中に手を入れると、()()を取り出して璃葉に差し出した。


「とーうさん……」


 ソレは、見間違えることなどない父の形見の品。翡翠(ひすい)の玉に、菜の花色の紐が如意結(にょいむすび)でつけられた、父さんの佩玉だった。

 小さな薄汚れた生き物は胸を張り、“受けとれよ” と


「ぴゅ」


 と鳴いた。ピタリと泣き止んだままだった璃葉は、恐る恐る手を出して父の形見の佩玉を受けとると


「もってきてくれた…の……?」


 と、首を傾けた。“もう、落とすんじゃないぞ” と言うように、偉そうに鳴いた小さな生き物は悟浄を見ると


「びゅ」


 “早く戻った方がいいよ” とでも言うように鳴いた。“はっ” と我に戻った悟浄は、村長に “皆を頼む” と言うと、走ってきた山道をまたかけ上がって行った。

 そしてまた、その薄汚れた小さな生き物も、悟浄の後を追うように走り出す。


「あ、ありがとー! ネズミさん!!」


 勝手にあの生き物をネズミと判断した璃葉は、激しくなる雨音に負けないように、走って行くネズミに聞こえるように、大きな声で叫んだ。

 その声に、ネズミは一度だけ振り返ると璃葉を見て


「ぴゅ」


 と鳴いて、小さな手を振った。









「お前、何者だ」

「ぴゅ」


 悟浄の言葉に小さな生き物は、“えっ、ぼく” と鳴く。だいたい、動物と意思疎通(いしそつう)ができるなどあり得ない。


「ぴゅ」


 “ぼくは、だだのハムスターだよ!” と、全速力の中元気に答える小さな生き物。


「何処までついてくるきだ」

「ぴゅ」


 “水落鬼の所までだよ。ぼくは役に立つからね” そう言って、一人と一匹は走る。


 激しい雨の中、幾つかの落雷が落ちていた。


箭 → 矢

柄 → 刀剣などの手で握る部分

躊躇なく → ある物事に対して迷わずに、また即座に判断するさま

佩玉 → おびたま

如意結 → 物事が願い通りに進行することを意味する結び

意思疎通 → 互いに考えていることを伝え理解を得ること、認識を共有すること、などの意味の表現



次回投稿は30日か31日が目標です。

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