第三部 川辺の水落鬼《四》
「きりがない」
「まさか、これが水落鬼とは」
玄奘と八戒の前に立ち塞がる水落鬼は、双剣で斬りつけても箭で射っても、すぐに何事もなかったかのように傷が消え去る。
「いつから水落鬼は不死身になった」
玄奘は、自ら右手首に腕釧のように巻きつけていた玻璃の数珠を外すと、右手に持つ剣の柄の部分にそれを巻きつけた。そして、剣を握り直し躊躇なく水落鬼を斬りつける。
「駄目か」
呪いや精神的な支配なら、この数珠の力が作用して、何かしらの変化があるはずだ。だが、目の前の水落鬼には何の変化も見られない。
「下がって下さい!」
玄奘に向かって手を伸ばそうとしていた水落鬼に、八戒は自らの弓を引いた。弧を描き水落鬼の右腕に突き刺さった箭は、すぐに引き抜かれ傷も消え去る。
「いったい、どうすれば」
雨はますます激しさをまし、視界を奪い足元の自由をも奪っていく。まるで、誰もいない空間に、水落鬼と共に閉じ込められたようだ。
「あ、あんたは……!」
悟浄が璃葉を背負い、母親の手を引いて船の乗客達に追いついた時、すでに皆は近くの村にたどり着いていた。村では乗客達の話を聞き、雨の中村長をはじめ数人が外に出てきている。
「無事だったのか、あんた。水落鬼はどうなったんだ!」
「まだ水落鬼は上にいる。いいか、お前達は家に籠り出てくるな」
「だが……」
知らない人間を、村人達が受け入れてくれるだろうか。船の乗客達は皆、不安で顔を曇らせた。それを見ていた悟浄は璃葉を降ろすと
「この村の村長はいるか!」
と、言った。出てきたのは白髪混じりの男。悟浄は上に水落鬼が三体おり、また離れた場所にも数体の水落鬼がいることを包み隠さず話した。
その上で、見ての通り自分は傭兵であること、それなりに腕がたつこと、上でそれなりの腕と思われる三人が戦っていることを伝え、水落鬼は自分達がなんとかするから、船の乗客達を一時村の家に入れてやって欲しいと頼んだ。村長はしばし考える素振りを見せたが
「船の乗客達を家に入れてくれるなら、俺達は水落鬼と戦う。だが、それが叶わないなら、戦わずして逃げる。この村に水落鬼がくれば、村は全滅だ」
と言う、悟浄の脅しにも近い言葉におれた。そして、村の家に乗客達を別け入れていた時
「いーやー、はなしてー!」
と言う璃葉の声が響き渡る。
「璃葉!!」
「いくー! いくのー!!」
声のする方に悟浄が目をやれば、きた道を戻ろうとする璃葉と、その手を握りしめ必死に止めようとする母親の姿があった。
「どうした!」
「悟浄さん、璃葉が! 璃葉が!!」
“はなしてー!” と、璃葉が暴れている。
「璃葉、どうした!」
「ないのー! ないのー!! とうさんのかたみの、はいぎょくがないのー!!」
「璃葉!!」
母親は、泣きそうな顔で璃葉を見つめた。
璃葉達家族は、南の土地で小さな店を営んでいた。それが三ヶ月前、仕入れに出ていた父親が盗賊に襲われ他界したのだ。
荷物はすべて奪われていたが、懐の奥に入れていた佩玉だけが形見として戻ってきた。その日から、璃葉は佩玉を “父さん” と言って、大切に持っているのだと言う。今は、西側にある母親の実家に向かっている途中なのだ。
「璃葉、よく聞け! 父さんがいなくなったばかりなのに、お前にまで何かあったら母さんがどれだけ悲しむと思う。父さんだって自分の佩玉のせいでお前に何かあったら、死んでも死にきれない! 俺が、後でさがしてくる。だから今は、中に入れ!」
「う…うわぁーーーん」
璃葉がその場に座りこんで、“とーうさーん、とーうさーん” と泣きはじめた時
「びゅーーー!!」
と、何処からか鳴き声が聞こえた。悟浄や母親、璃葉までがびっくりして辺りを見回すと、璃葉のすぐ側に小さな小さな薄汚れた何かが “ハァハァ”と肩で息をしながら、璃葉を見上げていた。
見たこともない生き物に、ピタリと泣き止んだ璃葉。その小さな薄汚れた生き物は、自らが斜め掛けした鞄の中に手を入れると、ソレを取り出して璃葉に差し出した。
「とーうさん……」
ソレは、見間違えることなどない父の形見の品。翡翠の玉に、菜の花色の紐が如意結でつけられた、父さんの佩玉だった。
小さな薄汚れた生き物は胸を張り、“受けとれよ” と
「ぴゅ」
と鳴いた。ピタリと泣き止んだままだった璃葉は、恐る恐る手を出して父の形見の佩玉を受けとると
「もってきてくれた…の……?」
と、首を傾けた。“もう、落とすんじゃないぞ” と言うように、偉そうに鳴いた小さな生き物は悟浄を見ると
「びゅ」
“早く戻った方がいいよ” とでも言うように鳴いた。“はっ” と我に戻った悟浄は、村長に “皆を頼む” と言うと、走ってきた山道をまたかけ上がって行った。
そしてまた、その薄汚れた小さな生き物も、悟浄の後を追うように走り出す。
「あ、ありがとー! ネズミさん!!」
勝手にあの生き物をネズミと判断した璃葉は、激しくなる雨音に負けないように、走って行くネズミに聞こえるように、大きな声で叫んだ。
その声に、ネズミは一度だけ振り返ると璃葉を見て
「ぴゅ」
と鳴いて、小さな手を振った。
「お前、何者だ」
「ぴゅ」
悟浄の言葉に小さな生き物は、“えっ、ぼく” と鳴く。だいたい、動物と意思疎通ができるなどあり得ない。
「ぴゅ」
“ぼくは、だだのハムスターだよ!” と、全速力の中元気に答える小さな生き物。
「何処までついてくるきだ」
「ぴゅ」
“水落鬼の所までだよ。ぼくは役に立つからね” そう言って、一人と一匹は走る。
激しい雨の中、幾つかの落雷が落ちていた。
箭 → 矢
柄 → 刀剣などの手で握る部分
躊躇なく → ある物事に対して迷わずに、また即座に判断するさま
佩玉 → おびたま
如意結 → 物事が願い通りに進行することを意味する結び
意思疎通 → 互いに考えていることを伝え理解を得ること、認識を共有すること、などの意味の表現
次回投稿は30日か31日が目標です。




