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天上の桜   作者: 乃平 悠鼓
第一章
22/203

第二部 白木蓮の女怪《九》

前回、前々回ほどではないものの、残酷な場面や可哀想な場面があります。ただ、これがないと終わらないので、ご了承下さいませ。m(__)m

「何だよ、何だよこれ!! あの()が、何をしたって言うんだよ!! こんな目に()わなけゃならないほど、何か悪いことでもしたのかよ!!」


 女怪(にょかい)を取り囲む薄赤い壁に映し出されたあの日の真実を見て、悟空は怒り心頭(しんとう)に叫んだ。


「自分達が力を(ほっ)するばかりに何も知らない少女の身体に雪魂(せつこん)を植え付け、その身体を乗っ取ったあげく、雪魂に養父母(りょうしん)や村人達を(あや)めさせ生き血をすいとり、まだ(わず)かに残った少女の魂に血の泪を流させる。邪神(じゃしん)が好んでやりそうなことだ」


 淡々と見たままを言葉にした八戒だが、その両手は爪の後に血がにじむほど、悔しげに握りしめられていた。


「大好きな親を、自分に優しくしてくれた人を、その手が殺めて行くんだ。幼い心は切り裂かれ、奪われてすでにないはずの身体からも血が流れ続ける。苦しかっただろうな、辛かっただろうな。いや、違うな。今もまだ、苦しみ続けている」


 大柄な武人である悟浄の睛眸(ひとみ)も、痛ましげに揺れた。


「俺達があの時、何の迷いもなく玉英(ぎょくえい)を倒していたら、玉英の苦しみは終わっていたのか」


 ポツリと、後ろにいた緑松(りょくしょう)の弟子の一人が呟く。


「可哀想に、玉英」


 赤ん坊の頃から玉英を知っている緑松には、玉英の苦しみが手に取るようにわかり、その双眸(そうぼう)から涙を流した。その時


「違う! そんなことで、玉英の苦しみは消えるのか!! いや、消えるはずがない! 苦しんだままじゃ、あんまりだろう……」


 目の前を壁に阻まれながらも、こちらへこようと爪をふるう玉英を見つめながら、玄奘が言った。


「ならば、いったいどうすると言うのだ」


 何か面白いものを見たように、ニヤリと口角をあげた沙麼蘿(さばら)の言いように


「この結界をとけ。」


 と、玄奘は呟く。そして、


「確かに、私達はことの本質を見誤(みあやま)ったかも知れない。それが、玉英を苦しめたことも確かだ。だが、それが何のためだったかと聞かれれば、今日この日のためだったと答えるだろう。あの日、あの時だったら、玉英の魂を助けてやることはできなかった。だが、今なら身体を取り戻してやることはできなくとも、苦しめられてきた玉英の千分の一、万分の一でも癒してやることができたなら、今日まで待たせた意味もあるはずだ。いや、あると思いたい。」


 と言った。


「ずいぶんと独りよがりなことだ」


 沙麼蘿は、トゲのある言い方をして玄奘を見る。


「あの時の自分には、なんの力もなかった。だが、今は違う。私を天上の桜の護り人と言うのなら、お前が鍵を護る鬼だと言うのなら、私にその力をかせ! その借りは、天上の桜を護りきることで返す!!」


 玄奘の言葉に、沙麼蘿は “フン” と鼻をならすと


小賢(こざか)しいことを。いいだろう、高僧と言う身でありながら、自らが血にまみれることを(いと)わぬお前の言うことだ、力を貸してやる。結界を外す」


 と言った。そして沙麼蘿の指先が再び印を結び、それが薄赤い壁のよえな物に向けられると、スッーと結界が消え去って行く。

 玄奘は結界が消え去って行くさまを見つめながら、己の帯革(ベルト)尾錠(バックル)の前で両手を交差させた。そしてその両手の(てのひら)を開くと、そこに双剣が現れる。玄奘が現れた双剣を掴み取った瞬間、目の前の結界がすべて消え去った。


紅流児(こうりゅうじ)!!」


 玉英の鋭い爪先が、玄奘の首めがけ襲いかかる。だが、その爪先が玄奘に届く前に


「う…っ……!」


 玄奘の双剣が玉英の身体を(つらぬ)いた。美しい玉英の顔が歪み、その身体から臙脂(えんじ)色の血が、まるで綿雪が舞うように地面に落ちて行く。


「すまない、遅くなって」


 “そっかぁ、紅流児の御師匠様(おっしょうさま)は、すごいお坊様だったんだね。紅流児も大人になったら、立派なお坊様になるんだ。すごいね! 私もここで頑張って、大人になったらお父さんとお母さんに楽をさせてあげるんだ! 紅流児はいつか、此処(ここ)を出て行くんでしょ? でも、またいつでもいいの。此処に立ち寄ってね。お父さんとお母さんに楽させてあげてる私を見に戻ってきて、ね!”


 あの時、そう言って笑った玉英の姿が、玄奘には見えた気がした。その時


「ごめん…ね……。苦し…めて……、ごめ…んね……。紅…流…児……。」


 伸ばされた指先が、そっと玄奘の頬に触れた。


「玉…英……!」


 見つめた玉英は、あの日と同じような顔をして、臙脂色の泪をこぼしていた。かって、村人達を襲った狂気に歪んだ顔は、何処(どこ)にもない。

 “あぁ、そうだった” と、玄奘は思う。玄奘の知っている玉英は、何時(いつ)だって他人を思いやることができる優しい娘だった。村の子供達にイジメられ辛い思いをしている自分のことではなく、御師匠様を亡くして悲しんでいる玄奘を気づかい、励ましてくれるほどに。

 玄奘の睛眸(ひとみ)から、一筋の泪がこぼれ落ちた。


「傷…つけて……、ごめ…んね……。ただ…、()いた…かった……、紅流…児に……。私…を……、殺し…て…欲し…かった……。私…を…、解放…して…欲し…かった……」


 そう言うと、玉英は夜空を見上げ


「ごめん…ね……、お父…さん……お母…さん……。親…孝行…してあ…げられ…なくて……、ごめん…ね……。村の…皆……、酷い…ことを…して…ごめん…なさい……。どう…か……、どう…か……、私…を…許…し…て……」


 と言った。雪魂(せつこん)に身体を奪われた偽りの玉英ではなく、本当に僅かに残った嘘偽りのない玉英の心。泪に濡れる双眸(そうぼう)には、悲しい安らぎと、悲しい優しさが入り乱れていた。

 玉英の頬をつたう泪に、偽りはない。愛する何よりも大切だった養父母(りょうしん)(あや)め、村人を襲い、村を崩壊させた。この十二年、紅流児や道士様達を苦しめ続けてきた。

 大人になったらまた会おうと約束したのに、一生懸命生きて行くと約束したのに、お父さんとお母さんに楽させると約束していたのに、何一つ守れずに、皆に辛い思いばかりを押しつけた。

 玉英は、最後にもう一度紅流児を見つめる。


「ごめん…ね……、紅流…児……。ごめん…なさ…い……、道士…様……。この…身体は…地獄の…業火(ごうか)に…焼かれ…消え…去っても……、心…は……、心…だけ…は…皆の…側に…いて……、今度…こそ…皆を…守る…と…約束…する…から……。きっ…と…守る…から……、だか…ら……、私…を……、許し…て……。紅…流…児……」


 最後に、玉英の手が玄奘に伸ばされた。その手を、玄奘が掴もうとしたが、玄奘の指が玉英に届くことはなかった。後ろに倒れゆく玉英の胸元の雪魂が光る。雪魂が、玉英の最後に残った魂の欠片(かけら)を吸い込もうとしているのだ。

 玄奘は思わず叫んだ。


「沙麼蘿ーーー!!」


 雪魂が魂を吸い込む前に、沙麼蘿は


「オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク」


 と呟くと、素早く印を結ぶ。そして、己の右手を玉英の胸元にかざした。玉英の身体を優しい愛染朱(あいぜんしゅ)の光が包み込む。

 玄奘はとっさに数珠(じゅず)を掴むと、般若心経(はんにゃしんきょう)を唱え始めた。玉英の身体が地面に崩れ落ち、そして……。

 玉英の睛眸が閉じられる直前、沙麼蘿は握りしめたままの右手を玉英に向かって差し出した。


「欲しいか、あの養父母(りょうしん)と共に生きる、そんな未来が欲しいか。欲しければ、願うがいい。どんなに時間がかかろうとも、天上の桜は、その願いを叶えよう」


 握られた沙麼蘿の手が光り輝き、何かがその手の中に現れる。沙麼蘿が指を開くと、そこには赤い色をした桜の花びらの形の水晶(クリスタル)のような物が見えた。

 玉英は、朦朧(もうろう)とする中で、その花びらに手を伸ばす。優しかった養父母(りょうしん)の姿がそこに見えた。もう一度、生まれ変わることができるなら、今度こそ幸せに暮らしたい。お父さんと、お母さんと、そんな未来が、欲しい。

 玉英の最後の願いは、天上の桜に届いた。桜は輝きを増すと細かな粒子となり、玉英の身体の中に消えて行く。そして玉英の手が、力なく地面の上に落ち、その睛眸が閉じられた。

 玉英の身体もまた、粒子のようになり雪魂の中に消え去って行ったのでる。


「玉英ーーー!!」


 雪魂だけが残されたその場所で、玄奘の叫び声だけが響き渡った。

 玉英の、その名残(なごり)を。



次回投稿は31日か8月1日が目標です。

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