第十一部 泥中蓮花《六》
沙麼蘿が右足で地面を二度叩くと、その足元から冷氣が漂い、立ち上り始めた。沙麼蘿が操るのは氷龍だけではない。足元から立ち上った冷氣は、そのまま薄氷を張るように辺り一面に広がって行く。
ちょうど大地に広がる氷が邪神達のすぐ近くまでに迫った時のこと、沙麼蘿が頃合いを見計らっていたかのように、今度は左足の足裏で地面を三度叩いた。すると、薄氷を張るような大地の上に、青白い炎が昇り立つ。
「さぁ、来れるものなら来てみよ。この冷たい炎の海を渡って」
ゆらゆらと揺らめくそれは、一面に広がる青白い炎。氷の大地の上を、それとは違う相反する力が駆け抜ける。それはまるで、氷の海の上に咲く青白い炎の花のようだ。冷たい見た目とは違い炎なのだから、触れたものは当然焼き尽くす。氷と炎、相反する力を沙麼蘿はさも当たり前のように一緒に操る。
氷の大地だけでも、ここに足を踏み入れたものは凍りつき、前に進むことはできないだろう。だがカラダが残ることで、それが邪神達の手足として使われることもあるかも知れない。ならば全て燃やしてしまえばいいと沙麼蘿は思った。
しかしそれは、時間稼ぎにしかすぎないこともまた、沙麼蘿はよく知っている。皇が来なければ、氷龍を呼び出すことはできないのだから。邪神達だけではなくあれだけの妖魔がいるのだ、翼のある妖魔なら地を駆けることもなく此処まで飛んで来れる。
それだけではなく様々な姿形の妖魔達は、大きなモノなら火の海に入ってもすぐには燃え尽きない。体か燃え尽きる前にその体を土台として、次の妖魔が火の海に入り先に進む。そしてまたその体が燃え尽きる前にその妖魔を土台にして次の妖魔が先へと繋がって行けば、いつかは沙麼蘿の目の前まで辿り着く。
そうなれば、それらの体を踏みつけて邪神達までがこちらに辿り着くだろう。それを迎え討てるのは、今は沙麼蘿一人しかいない。
「大丈夫かしら」
「お嬢様は、誰よりも強くあらせられます。ですがもし何かあるようでしたら、私が参ります。その時は後をお願いしますね、百花羞」
「はい」
二重に張られた結界の中から、聖宮は心配げに沙麼蘿の後ろ姿を見つめた。確かに、沙麼蘿が強いのはわかってはいる。それでも聖宮にとっては、幼子だったあの頃の印象が強いのだ。
何かあれば自分が行くと花薔仙女は言うが、彼女はただの仙人にすぎない。蒼宮で暮らすにあたり護身術程度の習いはしたにせよ、それで邪神達と闘えるはずもない。百花羞にしても、片時雨の村で持っていた羽衣はもうない。此処には、邪神達と対等に闘えるような人や武器などないのだ。
翼を持つ妖魔が、空を駆け抜けるようにして此方に向かって来る。それを沙麼蘿は舞うようにして、手に持つ氷龍神剣で薙ぎ払う。地上では火の海をものともせず、次々と獣の姿をした妖魔達が雪崩を打つように入って来る。あの数では、すぐにでもこちらに辿り着けるモノが出るかも知れない。
沙麼蘿は妖魔を斬り倒しながら、再び左足で二度地面を叩いた。それにより、更に青白い炎が勢いよく昇り立つ。炎の威力を上げ、何とか巨大な妖魔を一刻も早く焼き尽くしたい。どれくらいの闘いが続いたか、翼のある妖魔は全て斬り倒した。だが…。
沙麼蘿の舌打ちが響き、その手が目の前の火の海に沈む大型の妖魔の体の上を駆けて近づいて来る小型の妖魔を斬り倒す。だがそれは、一頭や二頭ではない。それでも沙麼蘿はその手をとめることなく剣を振るい続ける。しかし
「来る」
沙麼蘿の目の前ではなく少し離れた場所からこちらを狙う妖魔達の中から、小さな獣の姿をした妖魔が火の海に沈みながら燃えている大型の妖魔の体の上を駆け抜け、ちら側へと出そうになる。その時、黄金に輝く一筋の光が火の海から外に出ようとした小さな妖魔を叩き落とした。それにより、火の海に落ちた小型の妖魔の体はすぐに燃えて消え去る。
「須格泉!」
『此方は任せろ!』
それは、沙麼蘿と何時も一緒にいる銀色の毛並みを持つ大神琉格泉の双子の兄弟、皇と片時も離れることなく側にいる金色の毛並みを持つ大神須格泉だった。
狼よりも大きな須格泉や琉格泉ではあるが、ここにいる大型の妖魔よりは小さい。大型の妖魔が相手では苦戦を強いられるだろうが、今のところは大型の妖魔の体の上を駆け抜けられる程度の大きさの妖魔だけだ。あちらは須格泉に任せても大丈夫だろう。
だがついに、燃えながら崩れて行く大型の妖魔の体の上から、邪神の男が一人沙麼蘿の目の前に現れた。振り上げた互いの剣と剣がぶつかり合い、沙麼蘿の髪が白金色に双眸が鳩の血色に変わる。
「いくら見た目を変えようとも、裏切り者のその色は隠せまい、阿修羅一族」
灰簾石色の髪と双眸から変わった沙麼蘿の色を見て、邪神の男が呟く。だが沙麼蘿はその言葉を聞き、面白そうに笑ってこう言った
「勝てないと、わかったか」
と。途端に、邪神の男の顔色が変わる。
「なんだと!」
「修羅界の王であった阿修羅の血族に、ただの邪神如きが敵うとでも思ったか」
パリンと何かにひびが入る音がして、邪神の男が持っていた剣が二つに割れた。そして、その男の身体に沙麼蘿の持つ剣が突き刺さる。
「そんな鈍物で、この阿修羅が宝刀氷龍神剣を、本気で受け止められるとでも思ったか」
邪神の男の身体が傾き火の海に落ちるとほぼ同時に、後ろから新たな邪神が走り寄って来るのが見えた。ここからは、おそらく遊んでいる暇などないだろう。沙麼蘿は、妖魔達の体を踏みしめて次々と此方に向かって来る邪神達を見据えた。
鈍物→切れ味が悪く価値の低い刀剣
次回投稿は26日か27日が目標です。




