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天上の桜   作者: 乃平 悠鼓
第二章
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第七部 厄災の大地《九》

 沙麼蘿(さばら)は、すぐさま右手の(てのひら)氷龍神剣(ひょうりゅうしんけん)を出現させ(かま)えた。氷龍神剣から氷龍が現れれば、(すめらぎ)は迷いなくその冷氣を天上界へと上げるつもりだ。

 “沙麼蘿に常識を覚えさせよ”、それはことあるごとに仏界が皇に言ってきたことだが、幼い沙麼蘿にそれを教えなかったのは誰かと皇は思う。生まれて間もない沙麼蘿を異端(いたん)禁忌(きんき)の生き物として隔離(かくり)し、閉じ込めた。

 まぁそれも、仕方がないことだと思わない訳ではない。下級神では沙麼蘿の睛眸(ひとみ)の力に耐えられず消えてしまうだろうし、かと言って上級神に子育てなどできるはずもない。だから、皇と言う(てい)のいい存在を見つけ、聖宮(せいぐう)と皇に丸投げしたのだ。

 だが、聖宮も皇も “常識” と言う聞こえだけはいい(おり)の中に沙麼蘿を閉じ込めることはしなかった。“自分達が無傷でいたいのなら、それだけの働きはしろ” 皇は、意味深な双眸(そうぼう)で月を見上げる。それをどう取るかは、仏界しだいだ。

 魔神の足が(わず)かに動き、熱を持ち始める。体を(おお)っていた氷にヒビが入り、溶け始めた。


「いいだろう、どちらが先に根負けするか」


 氷龍神剣で魔神を氷漬けにし下界が凍りつくのが先か、下界から上り立つ冷氣で天上界が凍りつくのが先か。沙麼蘿の手が静かに動き、その剣先から冷氣がたちこめる。その時


『やめよ!』


 天上界から誰かの声がして、月から強い金色(こんじき)の光が()れ始めた。その光は、焼け野原の真っ暗な大地に()やしを与えるかのように降り注ぐ。


「あた、たか…い…」


 光は村人達の身体だけではなく心にまで降り注ぎ、全ての希望となって(さら)に輝きを増す。生きとし生けるものが、突然現れた希望の光に両手を合わせ涙して月を見上げる中、月から(かす)かな音が()れ聞こえて来る。神が、降臨(こうりん)するのだ。

 月から真っ先に姿を現したのは、恵みの風と雨を吹き出す風袋(かざぶくろ)(かつ)いだ風神と、小さな太鼓(たいこ)の連なった連鼓(れんつづみ)背負(せお)った雷神の姿。どちらも鬼神の姿で(にら)みをきかせている。


「本当に、降りて来るのか」


 千手観音(せんじゅかんのん)尖兵(せんぺい)である風神雷神が姿を現しても、まだ皇が千手観音の降臨を信じることができないのは、この後出て来るであろう二十八部衆の中に帝釈天(たいしゃくてん)大梵天(だいぼんてん)がいるからだ。千手観音の眷属(けんぞく)である天部二十八部衆の内、誰か一人でもかければ千手観音の降臨はない。

 次に月から現れ出たのは、密迹金剛力士みっしゃくこんごうりきし那羅延堅固王(ならえんけんごおう)、広く民が言うところの金剛力士(こんごうりきし)仁王(におう)である。そして四方を守護する提頭頼吒天(だいとらたてん)毘楼勒叉天(びるろくしやん)毘楼縛叉天(びるばくしやてん)毘沙門天(びしゃもんてん)が現れる。民が言う東方の持国天(じこくてん)、南方の増長天(ぞうちょうてん)、西方の広目天(こうもくてん)、北方の多聞天(たもんてん)四天王(してんのう)だ。

 その後に続くのは、(たたか)いの神とは(えん)所縁(ゆかり)もない大弁功徳天(だいべんくどくてん)神母天(じんもてん)摩和羅女(まわらにょ)婆藪仙人(ばすうせんにん)。千手観音の尖兵と言われる二十八部衆だが、(まも)(たたか)うだけではなく、千手観音の降臨を示す楽団のごとき音楽や、千手観音の意向を表すために二十八部衆は存在するのだ。そのため、楽士(がくし)と真の護衛(ごえい)を任された外敵(がいてき)と闘う神々が次々と続く。

 金毘羅王(こんぴらおう)満善車王(まんぜんしゃおう)五部浄居天(ごぶじょうごてん)畢婆迦羅王(ひばからおう)金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)散支大将(さんしたいしょう)沙羯羅龍王(しゃがらりゅうおう)難陀龍王(なんだりゅうおう)迦楼羅王(かるらおう)金大王(きんだいおう)摩睺羅王(まごらかおう)満仙王(まんせんおう)摩醯首羅王(まけいしゅらおう)乾闥婆王(けんだつばおう)緊那羅王(きんならおう)

 そして、外敵と闘う神として最後に登場して来るのが、言わずと知れた阿修羅王(あしゅらおう)である。阿修羅は三面六臂(さんめんろっぴ)(すで)に鬼神の姿をして登場する。(かつ)て、容貌醜怪(ようぼうしゅうかい)札付(ふだつ)きの外道(げどう)とまで言われた、闘いを繰り返す事しか知らない修羅界(しゅらかい)(あるじ)としての顔だ。


「いよいよ来るのか」

帝釈天(たいしゃくてん)大梵天(だいぼんてん)のことか」


 皇の呟きに、思わず玄奘も声を上げる。高僧である玄奘三蔵ですら、帝釈天や大梵天など見たこともないし、その降臨ですら書物の中でしか知らない。しかも、大梵天は天部とは言われてはいても、その存在は別格中の別格。


我等(われら)上界に住む者達ですら、大梵天の姿を見た者は(ほとん)どいない」


 皇の言葉が終わるか終わらないかの内に、月から信じられないような真昼にも近い輝きが溢れ出す。今、この月を見上げる全ての下界の人間が、初めてその姿を見ることが許されたのだ。


「出るぞ!」


 皇の言う通り、輝かしいばかりの光の中から最後の二神が姿を現す。帝釈天と大梵天である。帝釈天は輝かしい光を背にし、あの須弥山(しゅみせん)権威者(けんいしゃ)として登場する。神々の王と言われ常に下界に目を光らせ、仏の教えを悪しき者達から護っているのが帝釈天だ。

 対して、輝かしい光が白夜(びゃくや)の光のように澄み渡り、透明な光となった時に姿を現したのは大梵天。その存在を目にした途端(とたん)、下界の人間達が次々と平伏(ひれふ)して行く。まかさ生きている内に、その姿を見ることがあろうとは。その姿は、明らかに他の神々とは違う。大梵天は、この全ての宇宙の中心に位置する存在だ。

 全ての天部衆が煩悩(ぼんのう)を持ち、そこから脱しきれない存在であるのに対し、大梵天は(すで)(さと)りを開き、全てのものを生み出す創造神(そうぞうしん)であるとすら言われる。その姿は四面四臂で、清廉(せいれん)だった。

 そして、全ての二十八部衆が姿を現し神々しい音楽が終わりをむかえた頃、金色に輝く月の光が一際(ひときわ)強く輝き、その中央に真っ黒な固まりが見えた。


「降臨するぞ、千手観音」


 それは沙麼蘿の声だった。沙麼蘿は釈迦如来(しゃかにょらい)の眷属として仕えていた時、千手観音に会ったことがある。多くの菩薩(ぼさつ)が存在する中で、何故(なぜ)千手観音にだけ降臨の(さい)に厳しい決められごとがあるのか、なぜ数多(あたま)の尖兵が必要なのか。下界の人間は知ることになる、本当の千手観音『十一面(じゅういちめん)千手千眼(せんじゅせんげん)観自在菩薩(かんじざいぼさつ)』の降臨を。

異端→正統から外れたこと

禁忌→タブー。忌み嫌って、慣習的に禁止したり避けたりすること

体のいい→表向きで言うのにはちょうどいい、他人に聞こえがいい、と言った言い回し

双眸→両のひとみ

尖兵→軍隊の行動中、本隊の前方にあって警戒·偵察の任に当たる小部隊

楽士→音楽を演奏する人

三面六臂→三つの顔と六つの腕

醜怪→並外れてみにくいこと。また、そのさま

外道→道理に背く考え。また、その考えをもつ者。災いをなすもの

権威者→権威のある人。権威を持った人

煩悩→仏語。心身を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用

悟り→仏語。物事の真の意味を知ること

清廉→心が清らかで私欲がないこと。また、そのさま



次回投稿は24日か25日が目標です。



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