第83話 テッド・ハーグリーヴス待望論(自援絵有り)
「ふぅ……平和だねぇ……」
1929年2月某日。
テッドは、大使館の執務室で思わず呟いていた。
思い返せば年末のクリスマス開戦や、年始の特別演習、さらには海軍の艦載機開発に巻き込まれたりと忙しい日々であった。2月に入ってようやく落ち着いた日々を過ごせるようになったのである。
(もうこんな時間か。今日のスイーツはなんだろうなぁ?)
気が付けば、だいぶ陽も傾いていた。
時計を見れば、ちょうどおやつ時である。
「テッド、アフタヌーンティーにしましょう」
「ちょ、マルヴィナ!? その恰好は!?」
ドアがノックされ、紅茶セットとスイーツを載せたワゴンといっしょにマルヴィナが入室してくる。しかし、テッドはマルヴィナの格好を見て驚愕していた。
マルヴィナはいつものメイド服では無かった。
褐色のスイカップには白いチューブブラが食い込み、裾の短い橙色のチョッキはパッツンパッツンで身体のラインを隠しきれていない。下半身は橙の腰布と白のショーツといったヘソ出しスタイルで、鍛え抜かれた腹筋を惜し気もなく晒していたのである。
「似合うかしらテッド?」
「元ネタも犯人も分かったけど、ここまで来ると犯罪だよ!? いや、似合ってるけどさぁ……」
思わず目をそらしてしまうテッド。
なんとも目のやり場に困ってしまう格好であった。
コスチュームの仕上がり自体は素晴らしく、きっちり小道具も揃えているので安っぽいコスプレには見えない。
しかし、ちょっと動くだけでスイカップが躍動し、目を逸らせばバキバキの腹筋とおへそが目に入ってきてしまう。世が世なら痴女扱いされても不思議ではない。
去年の冬コミで味を占めたのか、最近のマルヴィナはメイド服に拘ることが無くなっていた。本職の仕立て屋とそん色ない腕を持つキャサリン・サンソム女史が、あれこれとマルヴィナに服を作っているからである。
「……おぉ、今日はキャロットケーキなんだ」
「ニンジンが安く手に入ったから作ってみたわ」
生地にすりつぶしたニンジンを混ぜたのがキャロットケーキである。
ニンジンを混ぜることによって材料が柔らかくなり、出来上がったケーキも柔らかく濃密な食感となる。
帝都でニンジンが安いのは、去年から一部開業した帝都高速のおかげであった。
今が旬の千葉県産のニンジンが、トラックに山積みにされて帝都に大量に流入していたのである。
さらに言うならば、平成会の肝いりで開設された東京都中央卸売市場の影響も大きい。大規模な卸売り市場が開設されたことで、安定した供給が実現していたのである。
「はい、あーん」
マルヴィナは、フォークに刺したキャロットケーキを突き出す。
何処なく周囲を気にするような様子ではあったが、観念したようにテッドは口を開ける。
「……美味しい」
「まだまだあるわよ」
「え、ちょっ、まさか全部食べさせる気!?」
「うふふ……」
マルヴィナの剛腕がテッドの左肩まで回り込む。
既に右肩はスイカップに完全に包み込まれており、逃げることは不可能であった。
それから1時間もの間、キャロットケーキとお代わりの紅茶まで『あーん』されることになる。傍から見ればリア充爆発しろであるが、実際テッドはリア充で幸福であった。
しかし、テッドは知らなかった。
彼があずかり知らないところで、自分を巡って激しい争奪戦が起きていることを。
テッドが英国海軍予備員士官として海軍に召集されたことから、水面下の動きが一気に燃え上がった。我も我もと、あちこちの陣営がテッドを引き入れるべく動き出していたのである。
「ありがとうございます元帥。無理を言ってしまいました」
『なんの。久しぶりに面白い体験が出来たわい』
受話器越しに、ノイズ混じりの豪快な笑い声が響く。
ヨーク公アルバートは、サックヴィル・カーデン海軍元帥から報告を受けていた。
(さすがは先生。元帥のお墨付きをもらえたようで何よりです)
国際電話を終えたアルバートはご機嫌であった。
あとは如何にして、テッドを王立海軍兵学校に放り込むかである。
ダートマスへ入学するには、18歳~39歳で最低限の学業要件、精神的及び肉体的なテスト、基礎体力検査、その他いくつかの精神適正検査をクリアする必要がある。しかし、テッドであれば余裕でクリア出来るとアルバートは確信していた。
実際、テッドの海軍軍人としての適性は高かった。
バーティツ師範で肉体的には頑健であるし、自前の漁船で豊富な洋上作業経験を持ち、世界巡幸におけるHMS『レナウン』での艦隊勤務ぶりは艦の幕僚からも高い評価を得ていたのである。
「……で、メイリック卿。可能でしょうか?」
「可能かどうか以前に前例が存在しないのですが……」
ダートマス校長のシドニー・メイリックは口を濁す。
いきなり呼び出されたかと思ったら、開口一番に特別カリキュラムを組めと言われて困惑していたのである。
ダートマスの士官教育の期間は30週間である。
航空パイロットを目指す場合は、さらに19週間が必要となる。
「……なんにせよ、ドーセット公が直接受講することが最低条件です」
「通信教育でなんとかなりませんか?」
「なりません。士官教育を何だと思っているんですか」
アルバートの無茶ぶりに呆れてしまうメイリック。
王族が庶民と同等に軍人教育されているというのに、テッドだけ特別扱いするわけにはいかないのである。
(先生がずっと本国に居てくれれば良かったのに)
ため息をつくアルバート。
彼の誤算は、テッドが駐日全権大使になってしまったことであった。
いずれ自分の部下として迎えようと考えていた矢先にテッドは遠い日本へ旅立った。アルバートは必死になって政治工作をしたものの、特別記念観艦式にかこつけてRNR士官にすることが精一杯であった。
RNR中佐として演習に参加したテッドは、歴戦の元帥のお墨付きを得た。
海軍軍人として優れた適正を持っているのは間違いない。自らの部下に相応しいとアルバートは再認識していたのである。
「ドーセット公の立場であれば、戦争になれば海軍士官に転身せざるを得ないと思いますよ?」
アルバートの様子をみかねたのか、メイリックが助言する。
実際、史実においては100人のRNR士官(the hungry hundred)が正規の海軍士官に転身している。第1次大戦以前のことであるが、前例がある以上不可能では無いのである。
(それだと戦争が起きるまで無理じゃないか。そんな悠長なことをしていたら、先生が他に取られてしまう!)
アルバートの懸念は正しかったが、自業自得であった。
彼が先走ってテッドをRNR士官に任命したことは、他陣営を刺激してしまったのである。
なんのかんの言ってもテッドはチートオリ主であり、その才能は各分野で必要とされていた。これまでは暗黙の了解で手を出さないようにしていたものが、アルバートの先走りによって紳士協定が解禁されてしまったのである。
(だいたい日本に6年もいることがおかしい。そろそろ交代すべきなんだ)
全権大使の任期は特に定められていない。
列強の大使であれば、政権の交代や本国の政策に変更があった場合に交代するのが常である。
しかし、現在の英国はロイド・ジョージによる長期政権が続いていた。
政権は交代しないし、政策も不変。テッド本人も交代を願い出ているわけではないので、大使の交代は不可能であった。
(せめて休暇とかで一時帰国でもしてくれれば、やりようもあるというのに)
休暇による大使の一時帰国は認められているが、この時代では難しかった。
本国から日本まで船で往復するだけで3ヵ月はかかってしまうのである。
飛行機を使えばその限りではないが、この時代の飛行機は信頼性が低かった。
墜落事故などは日常茶飯事であり、とてもではないが全権大使の移動に使えたものではなかった。
(飛行船という手もあるけど……)
この時代で最速で長距離を移動出来る手段となると飛行船しかない。
ドイツ帝国が現在運用している世界1周飛行船『カイザー ヴィルヘルム2世号』は3週間で世界1周が可能であった。その正体は、アルザス・ロレーヌ地方と共に戦時賠償で分捕ったジャンヌ・ダルク級航空戦艦だったりするのであるが。
(……爆発が怖いからやっぱり却下で)
しかし、アルバートは史実のヒンデンブルク号爆発を知っていたので却下した。
この世界では未だに爆発事故は起きていないが、今後事故が起きないことを保証するものでは無いのである。
アルバートが悩んでいるころ、他陣営も動き出していた。
純粋な好意が暴走したアルバートとは違い、こちらは打算と欲望まみれであるから必死であった。その暴走は各方面を巻き込んでいくことになるのである。
「……なんとしてもドーセット公を貴族院に縛り付ける必要があるのだ!」
初代ヘイルシャム男爵ダグラス・ホッグは、貴族院議員たちに吠える。
貴族院大法官でもあるホッグが、ここまで焦るのは貴族院の弱体化が史実よりも進んでいたからである。
史実19世紀から20世紀初頭にかけての貴族院は、保守党が政権にある時は協調し、自由党が政権に就くとその改革の妨害にあたることが多かった。この世界でも同様の流れを辿っていたのである。
しかし、この世界ではロイド・ジョージによる自由党政権が10年以上続いていた。長らく敵対し続ければ当然ながら疎まれるわけで、貴族院を骨抜きにする法案が審議にかけられていたのである。
この状況を打開するには、若くて力ある貴族を貴族院に加える必要があった。
有能で財力もあるテッドは、うってつけの存在だったのである。
「ドーセット公は一代貴族です。貴族院に所属するのを認めるわけにはいきません!」
「先例を認めてしまえば、一代貴族をとおして政府が貴族院を自由にコントロールする危険があります。断じて認められません!」
「憎きロイド・ジョージの懐刀と言われる若造を貴族院に入れたら、ロクなことにならん!」
出席している貴族院議員からは反対意見が相次いだ。
彼らとしても、感情論だけで反対しているわけではない。そこには歴史的な理由が存在したのである。
英国の貴族(世襲貴族)は自動的に貴族院議員となる。
それに対して、一代貴族は貴族院議員になることは出来なかった。庶民と同じく立候補して庶務院議員に当選する必要があったのである。
19世紀半ばに起きたウェンスレーデール事件が、貴族院が一代貴族に対する扱いを決定づけた。当時の貴族院が一代貴族に反対した主な理由は以下のとおりである。
1.世襲の原則は革命に対する強力な防塞である。
2.政府に実質的な一代貴族任命権を認めることは、貴族院の独立性を脅かすことになる。
3.世襲貴族は金持ちだが無能、一代貴族は貧乏だが有能と国民から囁かれることは認めがたい。
4.独立した判断を下せるのは富める者のみである。
5.政府は有能だが貧乏な者を一代貴族にすることによって貴族院を自由に操縦できるようになるのではないか。
……1、2、5はともかく、3と4は理屈ではなく感情論のような気もするが。
ともあれ、このような歴史的理由によって議員たちはテッドの貴族院入りを猛反対していたのである。
「ドーセット公が一代貴族だと誰が公言した?」
「「「え……?」」」
唐突なホッグの問いに、困惑する議員たち。
彼らは、テッドが一代貴族であることを全く疑っていなかったのである。
史実においては、保守党が自由党との連立を拒否したためにロイド・ジョージ内閣は総辞職に追い込まれた。表向きの原因は、希土戦争においてロイド・ジョージがギリシアを支持し、保守党がトルコを支持したことが原因とされる。
しかし、その裏には売爵スキャンダルがあった。
政局上の都合でロイド・ジョージは独自の政治資金をつくる必要があり、その手段が爵位を売って貴族を量産することだったのである。
このとき粗製乱造された貴族が一代貴族であった。
ドーセット公が一代貴族呼ばわりされる原因である。
「一代貴族なら公爵になるわけないだろうが。そんなことも分からんほど耄碌したのか?」
ホッグの声はどこまでも冷たかった。
彼は、テッドが叙勲された経緯を調べ上げていたのである。
この世界では円卓の介入で政局が安定しているために、わざわざ貴族を粗製乱造する必要性は無かった。つまり、テッドは世襲貴族として公爵に叙勲されていたのである。
テッドの(表ざたに出来ない)実績を鑑みれば、公爵叙勲は当然であった。
むしろ足りないとさえ言える。
特に召喚スキルは脅威であり、テッドを他の列強に取られるわけにはいかなかった。世襲貴族として、英国に縛り付けるのは必然なのである。
当時のテッドは貴族に対して苦手意識があったので、世襲貴族であることは公表されなかった。仮に公表したとなれば、めんどくさい連中が、めんどくさい案件を持ち込んでくるのが確実だったからである。
「ドーセット公は世襲貴族だったのか!? そういうことならば、大歓迎ですぞ!」
「彼のような若くて有能な世襲貴族が来てくれれば、貴族院の未来も明るいですな」
テッドが世襲貴族と知った瞬間に手のひらを返す貴族院の議員たち。
当時の判断が間違っていなかったことを如実に示す光景であろう。
(こういうクズどもはさっさと退場して欲しいものだが。しかし、こういった手合に限って議席にしがみつくからな……)
ため息をつくホッグであったが、すぐに頭を切り替える。
貴族院の総意として円卓に提出するべく、意見の取りまとめを始めるのであった。
「いやぁ、凄い大きさだね」
「ハーランド・アンド・ウルフのドライドックよりも確実に大きいです。世界記録更新ですね」
多種兵器研究開発部部長のジェフリー・ナサニエル・パイクと、主任研究員のネヴィル・シュート海軍少佐は、完成しつつある巨大ドックを見て歓声をあげていた。
眼前に広がっているのは、長さ600m、幅80m、深さ11mもの超巨大ドックである。史実21世紀の2万4000TEU型コンテナ船を建造可能なサイズであり、この時代の戦艦を3、4隻同時建造することなど容易いことであった。
二人が今いる場所はポートランド島である。
この島はドーセットの港町ウェイマス南方約6キロメートルにあった。名称こそ島であるが、本土とは幅200メートル足らずの細長い砂州で連絡しているので徒歩で渡ることも不可能では無い。
全島が石灰岩で構成されており、ポートランド島は採石業が盛んであった。
しかし、テッドによる内政チートのおかげで大量の石灰岩が必要となり、島内の目ぼしいところは採掘し尽くして現在は無人島と化していた。
「しっかし、空が見えないってのは妙な気分だよねぇ」
「それはしょうがないでしょう。此処を発見されるわけにはいきませんからね」
二人が空を見上げれば、大量の柱とネットが視界を埋め尽くしていた。
ネットには入念なカモフラージュが施されており、上空から見ても違和感を感じさせないものになっていたのである。
「さて、祭壇はこれで整った。あとはマイフレンドの帰還を待つのみだね」
「そうですね。以前召喚したものはあらかた解析し尽しましたし、なによりも直接召喚するのを見てみたいです」
この世界では第1次大戦以前にDMWDが設立されていた。
本来の目的は史実と同様であったが、いつしかテッドが召喚したものを解析することが主目的になっていたのである。
テッドが召喚した兵器類は、DMWDで解析され、その技術はオーバーテクノロジーと呼称された。解析が終わった兵器はOTとセットで史実で製造したメーカーへ譲渡され、英国企業の技術は他国に比べてはるかに進んだものとなっていったのである。
しかし、OTの使用には円卓の事前許可が必要であった。
考え無しにOTを使用した製品を市場に流してしまうと、余計な混乱を巻き起こすと考えられたからである。
『今回の救出作戦を成功させたら、召喚スキルを使用することを確約します』
ロマノフ皇帝一家救出部隊派遣と引き換えに、テッドは2回目の大規模召喚を確約した。これを受けて円卓では召喚リストを作成したのであるが、各分野からの要望を全部乗せしたことで前回よりも大規模なものになるのは確実であった。
そうなると問題になるのが、召喚を実際に行う場所である。
広大なスペースが必要なのは当然であるが、今回の召喚ではいろいろとヤバいものが召喚対象になっているので人目に触れることは避ける必要があった。
円卓はいくつかの候補地を選定し、最終的に残ったのがポートランド島であった。事前にテッドの了承を得たうえで数年前から工事を進めていたのである。
ポートランド島が選ばれたのは地理的な条件だけでなく、ドーセット領の特性が関係していた。旧ドーセット公爵家が作り上げた諜報網が、現地では未だに機能していたのである。
この諜報網のエージェントは全て現地民で占められており、その結束は非常に強かった。ヒューミントによる情報収集が主であったが、ドーセット領内に限って言えばMI6に引けを取らない情報収集能力を持っていたのである。
諜報網の元締めは、ドーセット公爵家の家宰であるセバスチャン・ウッズフォードであった。情報漏洩その他のトラブルにも即座に対応することが可能と考えられていたのである。
「新しい研究所も完成するし、俺らも荷造りしないといけませんね」
「引っ越しかぁ、めんどくさいなぁ……」
秘密ドックが完成したことにより、DMWDもポートランド島へ移転することになった。研究施設は秘密ドックに併設され、本来の歴史では計画のみで終わった兵器や、存在するはずのない兵器を解析していくことになるのである。
『ドーセット公 東京聖アンデレ教会を訪問される』
『講道館に殴り込み!? 黒帯姿のドーセット公、見事な投げを披露』
『衝撃スクープ ドーセット公に愛人の影』
『今週のマルヴィナ夫人のベストコーディネイトは?』
山積みされた週刊誌を、領民たちは争うように取っていく。
今週の『週刊ドーセット公』(Weekly Duke of Dorset)もテッドの話題が多めであった。
領主が長期間不在のため、ドーセットの領民たちには不安が広まっていた。
少しでも不安を和らげるために、現地の日本領事館はテッドの日常を週刊で伝えていたのである。
「おぉ、領主さまがお元気そうで良かった……」
「さらっと愛人疑惑が出ているじゃないか!?」
「何言ってんだ。ブリテン貴族として愛人の一人や二人、いない方が不自然だろ」
「それもそうかぁ」
この週刊誌はドーセット領内では無料で配布されていた。
大勢の領民たちは、テッドやマルヴィナの近況を確認出来て安堵していたのである。
「でも、そろそろ帰って来て欲しいよな」
「大事なお役目とは知っているけど、もう6年も戻ってないしなぁ」
「お世継ぎがいないのも心配だわ……」
無料配布は領事館側の好意であったが、それだけが全てではない。
本国からの暗号を受信することが目的であった。
週刊誌の編集は日本で行われ、データを受け取った領事館によって刊行された。
原稿はラジオファクシミリによって英国まで無線で送信されたのである。
この時代のFAXはアナログ回線であり、送信音からデータを再現するのは簡単であった。無線であれば傍受はさらに簡単であり、機密性など皆無に等しいのである。
領事館が何らかの暗号を受信していることをMI6は把握していた。
しかし、如何なる解析手段を用いても内容を把握することが出来なかった。
送受信したFAXは寸分無く再現出来た。
しかし、文章にも画像にも暗号らしきものは存在しなかったのである。
『駄目です。文章をコンピュータで総当たりしても何も出てきません!』
『そんなわけあるか!? 絶対に暗号が隠されているはずだっ!』
『画像に隠されているのでは?』
『顕微鏡で画像を確認していますが、それらしいものは……』
MI6の暗号技術者たちを悶絶させている暗号は、平成会のみが運用出来る特殊なものである。その見た目は、史実で言うところの5×5ピクセルの圧縮フォントであり、特定の時代の日本人以外には模様にしか見えない。
ちなみに、特定の時代の日本人というのは具体的にはファミコン世代である。
D〇Ⅱでパスワードを間違えまくったキッズだけが、圧縮フォントを文字として認識出来たのである。
暗号の内容は機密度は高いものの、構成は平文であった。
領事館のモブ職員は特別なツールなど介さずに解読していたのである。
「……旦那さまは、相変わらずお元気そうで何よりですな」
州都ドーチェスター郊外にあるドーセット公爵邸。
その一室では、セバスチャン・ウッズフォードがため息をついていた。
デスクに投げ出された週刊誌の傍には、民事裁判の書類が山積みされていた。
本人が居ないことを良い事に、主人の名誉を棄損する記事を書いているマスゴミどもへの鉄槌なのであるが……。
(やはり、旦那さまがいないと進まないか。書面のやり取りだけでも時間がかかりすぎる)
民事裁判の場合、本人不在でも訴訟代理人を立てることが可能である。
本人の出頭が必要な場合があるが、今回の裁判は特例として陳述書のみで済ませることが出来た。
しかし、日本からのテッド直筆の陳述書を届くのを待つ度に裁判は中断された。
短期間で終わるはずの裁判は未だ終わらず、その間にも誹謗中傷記事は増えていくのである。
(一度旦那さまに戻ってもらうことが最善であるが、難しいでしょうなぁ)
再びため息をつくセバスチャン。
しばし黄昏た後、書類整理を再開したのだった。
「……その話は事実なのか!?」
「イギリス本国では、まことしやかに囁かれているそうだが決定的なソースが無い」
「冗談じゃないぞ。ドーセット公がいなくなったら、いろいろと面倒なことになる」
永田町のブラック社畜――もとい、内閣調査部ビル。
その一室では、平成会のモブたちが深刻な表情で顔を突き合わせていた。
彼らを悩ませているのは、全権大使交代の噂であった。
近いうちに、テッドの代わりに新しい大使が着任するというのである。
「イギリスでは政変が起きるのか?」
「いえ、ロイド・ジョージ政権の支持率は安定しています。ただちに政権交代はあり得ません」
「じゃあなんでドーセット公が交代することになるんだよ?」
現状での大使交代は限りなく低いと平成会は考えていた。
しかし、噂が流れているのは事実なのである。
「大日本帝国中央情報部を動かして裏取りをするべきでは?」
「いや、事の次第が判明するころには手遅れになっている可能性がある」
「これはもう平成会だけの問題ではありません。急いで動く必要があるでしょう」
結局、平成会は噂を事実として扱うことにした。
テッドの交代を阻止するために、各方面への働きかけを強化していったのである。
「……これは美味しい!」
ふんわりしっとりと焼き上げたスポンジ生地に、純生クリームとマダガスカル産バニラが織りなす濃厚かつ、ふくよかな香りが口いっぱいに広がる。宮内省御用達のコロンバン商店のショートケーキは絶品であった。
「「……」」
今上天皇と鈴木貫太郎海軍大将は、その様子を黙って見守っていた。
二人は、とある事案を確認するためにテッドをお茶会に誘ったのである。
「ところでドーセット公。じつは……」
「よい。侍従長、わたしから話そう」
「はっ」
沈黙を破り、侍従長が話しかけたのを今上天皇が止めた。
玉顔で真っすぐ見据え、改めて話しかける。
「ドーセット公、近いうちに英国に戻るというのは本当ですか?」
「は?」
この時のテッドの顔は見ものであった。
侍従長は『鳩が豆鉄砲を食らったような顔だった』と後に述懐することになる。
「……その様子だと本当に知らないようですね」
「初耳ですよ。誰がそんなことを?」
困惑の表情を浮かべるテッド。
その様子を見た今上天皇は、彼が嘘を言っていないことを確信した。
「それを聞いて安心しました。あとは任せてください。ドーセット公はわたしが守ります!」
「え? それは……」
『どういうことです?』と、テッドの口が動く前に侍従長が動いた。
「ドーセット公、紅茶のお代わりは如何ですかな?」
「あっ、はい。いただきます」
その後は普通にお茶会して終了となった。
今上天皇の言葉は気になっていたが、仕事に忙殺されてテッドは忘れてしまうのであった。
「議題は聞かされていませんが、集まった面子を見れば想像はつきます。先生は渡しませんよ……!」
「マイフレンドには、早急に召喚をやってもらわねば。これは将来の世界大戦に必用なことなのだよ」
「世襲貴族が貴族院に所属するのは当然のことだ。この戦い、負けるわけにはいかない……!」
1929年3月某日。
ロンドンの首相官邸の大会議室に、関係者が勢ぞろいしていた。
「……これより、円卓の緊急会議を開催する。皆の建設的な議論を期待する」
うんざりとした表情のロイド・ジョージ首相により、円卓会議の開会宣言がなされる。舌戦と言う名の口喧嘩のゴングが鳴らされた瞬間であった。
「ドーセット公は海軍がもらいます。これは確定事項です!」
「若造はすっこんでおれ! 貴族が貴族の義務を果たすためにも、ドーセット公は貴族院がいただく!」
「DMWDは、そこまで拘束する気は無いよ? 1回ポッキリで良いんだよ?」
建設的な議論をと言った瞬間にこれである。
こうなることは分かりきっていたので、ロイド・ジョージは諦観していた。
(もう少ししたら落ち着くだろう。それまでは放置だな)
適当なところで自分の用意した妥協案を飲ませようと考えていた。
しかし、唐突なノック音がロイド・ジョージの思考を中断させた。
「閣下、大変です! 今しがた、日本大使館から緊急の書面が届きました」
入室してきた秘書は目の前の口喧嘩に呆気にとられたが、気を取り直すと書面をロイド・ジョージに渡す。
「なんだと!?」
訝し気な表情で書面に目を通したロイド・ジョージは、その内容に絶句した。
当然ながら、ロイド・ジョージに皆の注目が集まる。
「日本政府から正式な通達があった。テッド君に代わる全権大使にはアグレマンを承認しないそうだ」
アグレマンはフランス語で外交用語の一つである。
派遣国が派遣する全権大使に対して、接受国が外交使節団の長として承認することを意味している。
「……分かりやすく言えば、テッド君に代わる全権大使の派遣は認めないということだ」
日本政府がアグレマンを認めないと新たな全権大使を派遣出来ない。
その場に居た関係者全員が絶句したのは言うまでも無いことである。
「バカ騒ぎに日本政府、いや、平成会が気付いたのだろう。余計なことをされる前に手を打ってきたということだ」
「「「……」」」
ロイド・ジョージの指摘に、ヨーク公アルバート、大法官ダグラス・ホッグ男爵、DMWD部長ジェフリー・パイクの三者は黙り込む。必死になって打開策を考えるも、これでは選択肢以前の問題である。
(時期をみて病気療養の名目で帰国させようと思ったが、これでは……)
ロイド・ジョージも焦っていた。
日本政府がここまで強硬な対応を取るとは思っていなかったのである。
「あーっ! あった! あの手ならいけるはず!」
お通夜のような雰囲気を吹き飛ばしたのがジェフリー・パイクであった。
彼は自分のアイデアを自信満々に公開したのである。
「君、それは違法とは言わんがグレーゾーンだろ……」
「でも、他に手が無いような気もします」
「日本政府を説得するまでは止むを得んだろう」
パイクのアイデアに対する反応は様々であったが、全体的には賛成が占めていた。この時代では常識的にあり得ないだけに、アリバイが完璧であることが大きかった。
「パイク君、君のアイデアを採用しよう。予算は出すから準備を進めてくれたまえ」
「わかりました! よーしっ、やるぞーっ!」
お墨付きをもらって、意気揚々と出て行くパイク。
時間がもったないとばかりに、大車輪で準備を進めるのであった。
「ヨーク公、貴方にも動いてもらいますぞ?」
「分かっています。潜水艦と浮きドックの派遣を急がせます」
そう言って、アルバートも退室する。
久しぶりに再会が叶うからか、その後ろ姿はどことなく浮かれているように見えた。
「日本政府が、平成会が侮れないことは分かっただろう? 今後はバカ騒ぎは自粛するのだな」
「……」
ロイド・ジョージの言葉にダグラス・ホッグは押し黙る。
今回の情報漏れが自らの失敗にあることを悟ってしまったからである。
テッドが知らない間に始まった事態は、ターボがかかって加速していった。
彼が気付くことになるには今しばらくの時間が必要であったが、気付いたときには既に手遅れだったのである。
テッド君の一時帰国フラグが立ちました。
どんな手段で帰るのは次回のお楽しみということでw
>世が世なら痴女扱いされても不思議ではない。
今の時代ならば、服装だけでなく性格も炎上案件でしたよねぇ。
>キャサリン・サンソム女史
相変わらずコスプレ衣装作ってます。
ちなみに、小道具については夫のサンソム卿が作っています。
>帝都高速
土地の収用がスムーズに進んだので、急ピッチで工事が進んでいます。
東京湾横断トンネルについては、未だ調査の段階だったりします。
>ヨーク公アルバート
史実のジョージ6世です。
この世界だと海軍畑ですが、この時代の階級についての資料が見つかりません。おそらくは、海軍大佐だとは思うのですが。
>『カイザー ヴィルヘルム2世号』
ドイツ帝国がアルザス・ロレーヌ地方といっしょに戦利品として分捕ったジャンヌ・ダルク級です。性能的には史実アメリカのアクロン号なので、ツェッペリンと大差無かったりします。
>一代貴族
史実ではロイド・ジョージが爵位を粗製乱造して売爵スキャンダルにつながるわけですが、一代貴族の爵位は男爵のみです。最初から公爵として叙勲されたテッド君は一代貴族ではなく世襲貴族ということになります。
>ハーランド・アンド・ウルフ
英国の重工業メーカーです。
史実では北アイルランドのベルファストに世界最大のドライドックを保有しています。
>ジェフリー・ナサニエル・パイク
パイクリートで有名なステレオタイプなマッドサイエンティスト。
この世界では、テッド君の親友だったりします。
>ネヴィル・シュート
パンジャンパンジャンパンジャンパンジャン
>ポートランド島
史実だと英海軍の基地があったり、同島で客死した帝国海軍軍人の墓があります。
この世界では、石灰岩を掘りつくした穴ぼこだらけの無人島です。
>大量の柱とネットが視界を埋め尽くしていた
中から見ればネットと林立する柱しか見えませんが、上空からみれば周囲の自然と完全に溶け込んでいます。
↓イメージ的にはこんな感じです。
オーマー大佐のカリフォルニア偽装大作戦〜スミソニアン航空博物館
h ttps://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/4e941b8d066f3c9cc0e50f43b6729c18
>オーバーテクノロジー
ド直球なネーミング。
同じ地球人の技術なので、某スパロボのEOTほどじゃないですw
>東京聖アンデレ教会
聖公会に所属する教会です。
この世界の日本では、聖公会はカトリック以上の勢力を持っています。
>『講道館に殴り込み!? 黒帯姿のドーセット公、見事な投げを披露』
プーチンと同じく、後に段位を追贈されることになります。
>史実で言うところの5×5ピクセルの圧縮フォント
平成会にしか使えない最強の暗号かもしれませんw
これを洋服の柄とかに仕込まれたら、英国紳士が解読するのは不可能でしょう。
↓イメージ的にはこんな感じです。
h ttps://ameblo.jp/voyage011/entry-12793388572.html
>コロンバン商店
史実では1924年にショートケーキを考案して宮内省に納品しています。
コロンバンの創業者である門倉國輝はフランスで菓子作りを学んでいますが、この世界ではフランス・コミューンのせいでフランス共和国(旧アルジェリア)で修行しているという設定だったりします。
>今回の情報漏れが自らの責任であることを悟っていたからである。
貴族院で議員を集めてたあげくに、口止めもしてなかったので言い訳できません。
余計なことをしやがってくれたせいで、ロイド・ジョージに睨まれることになります。




