第82話 合同演習(自援絵有り)
「……時間じゃな」
1929年1月某日午前0時ちょうど。
サックヴィル・カーデン海軍元帥は、懐中時計で時間を確認していた。
「……時間ですね」
同じく腕時計で時間を確認しているのは、テッド・ハーグリーヴスである。
戦闘照明が灯るHMS『ネプチューン』のCICで、二人が時間を確認した意味は一つしかない。
「それでは、お手並みを拝見させてもらおうかの」
「僕はやる気無いんですけどね……」
どことなく楽し気なカーデンとは対照的に、ため息をつくテッド。
特別合同演習『シルエットレインボー』(英軍側呼称)が開始された瞬間であった。
特別合同演習の骨子は、アメリカ艦隊の侵攻を帝国海軍が阻止することである。
今回の演習ではテッドが指揮する英艦隊が、アメリカ艦隊の役を務めることになっていた。
具体的な勝利条件は、攻撃側は東京湾への突入を成功させること。
艦隊を阻止出来れば守備側の勝利となる。
演習期間は1ヵ月。
攻撃側はルートを自由に選択可能であり、守備側は最初から東京湾で待ち伏せすることは禁止されていた。
「艦長、最短距離でマハルリカ共和国へ針路をとってくれ」
「了解です。全艦に通達! 針路250、速力15kt!」
「アイアイサー! 針路250、速力15kt!」
テッドの号令によって、ハワイ近海に停泊していた戦艦『ネプチューン』以下、同型艦の『オライオン』『コロッサス』、航空機補修艦『ペガサス』で編成された英艦隊が進撃を開始する。
「ドーセット公、日本海軍はひっかかるかのぅ?」
「鍵はマハルリカ共和国です。アメリカから見た、あの国の価値を日本側が把握しているか否かですね」
カーデンの疑問に答えるテッド。
今回の演習の肝は、アメリカ艦隊の行動心理をトレースすることにある。
それ故に、日米開戦となった際にアメリカが取り得る行動をしないと意味が無い。ハワイから最短で日本を目指すのもあり得る行動ではあるが、それだけとは限らないのである。
シルエットレインボーは、テッドが立案していた。
史実のレインボー計画の焼き直しであり、フィリピン方面から北上して日本本土に至るルートである。
奇しくも、史実とこの世界のアメリカは状況が似通っている。
ともにフィリピン(マハルリカ共和国)を失っているわけで、奪還を試みてもおかしくはない――という、理屈である。
じつは出来レースであり、テッドは適当なところで帝国海軍に花を持たせる形で終わらせるつもりであった。しかし、簡単に終わり過ぎても意味が無い。
未だに艦隊決戦を指向する上層部は、ハワイ方面に注力する可能性が高い。
平成会派には事前にルートを伝えてはいたが、未だに少数派な彼らでは説得しても押し切られる可能性が高いと踏んでいたのである。
「艦長、異常は無いかな?」
「対空、対水上レーダーに反応はありません。今のところは静かなもんです」
ハワイ沖を出発してから丸二日。
何事も無く平和そのものであった。
「不審な電波とかは?」
「そちらも無しです」
「……」
艦長の報告に沈黙するテッド。
こめかみをマッサージしつつ、ため息をつく。
(いや、こっち方面は警戒が薄いだろうとは思ってたけど。やっぱり平成会は司令部の説得に失敗したのかねぇ……)
ハワイから最短でマハルリカ共和国(旧フィリピン)を目指す場合、南洋諸島を突っ切ることになる。しかし、この世界では日本の海外領土なので発見されるリスクが高い。
(いや、じつは既に発見されていて、敢えて泳がされているのか? そんなことせずに早く終わらせて欲しいんだけど)
艦のクルーに不審がられないように、テッドは飄々と振舞ってはいたが、内心では胃が痛くなる思いであった。
「……ちょっと気分が悪くなったから部屋に戻らせてもらう。艦長、後は任した」
「アイアイサー!」
このまま薄暗いCICに居ても良いアイデアは浮かびそうにない。
テッドは気分転換をするべく、自室へ戻るのであった。
「各地点への配置完了。定時連絡開始」
「第1~第5全ての遊撃艦隊が作戦行動に入りました」
「戦艦部隊の出撃準備完了。いつでも出撃可能です」
横須賀に移転した連合艦隊司令部は喧騒に包まれていた。
戦艦の作戦室に比べて格段に広い室内では、大勢のスタッフがリアルタイムで情報処理に追われていたのである。
連合艦隊旗艦に司令部を置くのが、これまでの伝統であった。
しかし、海外領土を獲得したことによる防衛範囲の拡大で従来からの艦隊決戦思想は破綻してしまった。
限られた戦力で広大な海域を守るためには、充実した通信設備とそれを処理する大勢のスタッフがどうしても必要となる。海軍内部の平成会派が内閣調査部を通して提言した結果、連合艦隊司令部は陸に上がることになったのである。
「A50地点で、米海軍と思われる駆逐艦を視認。そのままハワイへ入港する模様」
「G36地点より定時連絡。異常無し」
「C20地点で発見した船影は民間船であることを確認。警戒態勢を解除せよ」
帝国海軍側は、ハワイから日本に至る海域を碁盤の目の如く区切り、その一つ一つの全てに艦を配置していた。かつて日露戦争でやった鉄壁の哨戒網の拡大版である。
帝国海軍関係者はこの布陣に絶対の自信を持っていた。
遠からず、英国艦隊を発見出来ると思っていたのであるが……。
「何故見つからない!?」
「闇夜に乗じてすり抜けたとか?」
「そんな馬鹿なことがあるか。全ての哨戒を潜り抜けるなどあり得ない!」
ハワイ沖から進発した英艦隊を捜索すること3日間。
影も形も捉えられない事態に、連合艦隊司令部は焦り出していた。
「……大規模に迂回しているのではないでしょうか」
「「「!?」」」
一人の海軍軍人の発言に注目が集まる。
彼は平成会派の軍人であった。
「……その根拠は?」
「我々がハワイ方面に注力するであろうことは、イギリス側は百も承知でしょう。で、あれば裏をかくのではないかと」
「それは我々だって考えた。しかし、現実問題として油槽船無しではハワイまでの最短ルートでさえギリギリだ。あり得ない」
『素人はひっこんでろ』とばかりの態度を取る軍人たち。
しかし、彼は食い下がる。
「今回の演習は、米海軍の行動シュミレートが目的のはずです。アメリカだったら、どうするかを念頭に置くべきでしょう」
「む……」
「米国はヴィンソン計画なんてキチガイじみた計画を実行出来るんですよ? オイラーだって山ほど準備するでしょう」
平成会派の指摘は理に適っていた。
しかし、理性では認めても感情では納得出来ない。新参な若造に指摘されれば、なおさらである。
「だ、だが、今回の演習で英国側はオイラーを用意していないはずだぞ!?」
「それこそがドーセット公の策だとしたらどうです?」
「「「!?」」」
絶句しつつも、納得してしまう司令部のスタッフたち。
彼が海軍関係者にどのように思われているのか、如実に示す光景であろう。
連合艦隊司令部で勤務する軍人は総じてエリートである。
将来を嘱望される人材であり、将来のコネ作りのために上官に連れられて英国大使館詣でをした者が多かった。
上官の話を横で聞くか、あるいは直接話せば気付けることであるが、テッドは異常なほどに帝国海軍の事情に詳しかった。兵器のスペックはもちろんのこと、艦内の食事メニューや最近のニュースなどにも興味津々で、詳細を根掘り葉掘り聞いてくる。
テッドの為人を知っている海軍軍人ほど、現在の状況は彼の手のひらとしか思えなくなった。彼らの脳裏には、やたらと上手い日本語で高笑いしているテッドの姿が思い浮かんでいたのである。
「……そうだな。南洋諸島での哨戒を強化しよう。まだ間に合うはずだ」
「即刻、呂号潜の出撃を命じます」
「鳳翔も派遣しましょう。搭乗員の練度は充分ですから、哨戒範囲を広げることが出来ます」
「他に手は無いか? この際なんでもやるぞ!」
ドーセット公の名前が出ことで、艦隊司令部は冷静さを取り戻した。
ここからが本番とばかりに、あらゆる手段を使って追い込みをかけることになるのである。
「ほっほっほ、見事に策が的中したのぅ」
「いくらなんでも、簡単に裏をかかれ過ぎじゃないのかなぁ……」
ハワイから出発して1週間後。
英艦隊は、マハルリカ共和国近海に到達していた。
「裏をかけたのは、燃料問題が大きいじゃろう。この艦隊は異常なほど足が長いからのぅ」
「そうなんですか?」
「なんじゃ、そんなことも知らんで作戦立案しとったんかい」
「いや、艦長に相談したら大丈夫って言われたので……」
テッドの言葉に呆れてしまうサックヴィル・カーデン海軍元帥。
旗艦『ネプチューン』以下、同型艦の『オライオン』『コロッサス』は大規模近代化改修適用艦であり、機関が大型艦船用デルティックに換装されていた。航空機補修艦『ペガサス』も同様である。
史実の英国が世界に誇る変態ディーゼルがデルティックである。
その開発は、1943年に高速魚雷艇で使用する高出力軽量ディーゼルエンジン開発委員会が発足したことから始まっている。
このエンジンが変態呼ばわりされる原因は、その独特な駆動機構である。
直列6気筒の対抗ピストン式ディーゼルをクランク軸で三角形に連結、ギアトレーンで単一の軸に取り出すという仕組みをアニメーション化するとシリンダーの動きが気持ち悪いことこの上なしである。
しかし、その性能は本物である。
単一の直6対抗ピストン式ディーゼルを三角形に連結することで、単純に出力は3倍となる。同出力のドイツ製エンジンの半分の大きさで、同時期で同出力のエンジンと比較しても20%の重量しかない。
そんなチートなエンジンは、この世界では魚雷艇用のエンジンとして既に実用化されていた。デルティックを大型化して、燃費重視の2サイクル低速ディーゼルに仕様変更したのが大型艦船用デルティックなのである。
極めて燃費に優れた変態ディーゼルに換装した結果、FRAM適用された艦は驚異的な航続距離を持つに至った。クイーンエリザベス級戦艦は15ノットで3万2千浬を航行可能であり、これは余裕で地球1周が可能な距離である。
この数値は史実のアイオワ型戦艦(14890浬/15kt)をはるかに上回る数値であり、ポケット戦艦ことドイッチュラント級装甲艦(21500浬/10kt)すら上回る数値である。
艦船用デルティックの泣き所は、劣悪な整備性である。
エンジン単体の信頼性は確立されてはいるものの、構造が複雑過ぎて現場での定期メンテナンスが難しいという欠点があった。
史実ではアッセンブリごと交換することで信頼性を確保した。
しかし、大型艦船用デルティックは図体が大きい分、アッセンブリ単体でも巨大である。
巨大なアッセンブリを艦内に入れるには、艦体に別途開口部を作るしかない。
それくらいならば、丸ごと交換したほうが早いという結論に至ったのである。まさに英国面的発想と言える。
FRAM適用されたQE級は煙突周辺を簡単に取り外せる構造に変更された。
事前に交換用のエンジンを用意さえすれば、その日のうちに交換と試運転まで済ませることが可能になったのである。
「……とはいえ、ここから先はさすがに警戒しているでしょう。いいかげん、裏をかかれたと気付いたでしょうし」
「少なくとも島嶼伝いのルートは発見してくれと言ってるようなもんじゃのぅ」
テッドの推測は的中していた。
連合艦隊司令部は、北太平洋海域に展開していた艦艇を引き上げて南方へ展開させるべく動いていたのである。
「沖縄と小笠原諸島を結ぶラインが危険です。双方に潜水艦基地がある」
「サブマリンに位置を打電されたら面倒じゃ。実戦だったら問答無用で沈めるが、演習だとそうもいかんのぅ」
立派な髭を弄りつつ、ぼやくカーデン。
潜水艦の通報で十重二十重に囲まれたらゲームセットなのである。
「位置を打電する前ならば、ジャミングするという手もあるんですけどね」
「そんなことをすれば、こちらから位置を発信するようなもんじゃろ」
「ですよねぇ。やはり、小笠原諸島東海域にまで迂回すべきかなぁ……」
テッドは、帝国海軍が使用する周波数を周知していた。
それ故に通信妨害は容易であったが、何もない大海原で妨害電波を発振しようものなら速攻で位置を特定されかねない。
(いや、むしろバレて欲しいんですけど。この爺さまを騙すのは難しいな……)
内心でため息をつくテッド。
もちろん、カーデンにバレるような愚は侵さない。
「そんな悠長に迂回する時間は無いぞ。ここからはスピード勝負じゃて」
「最短でフィリピン海を突っ切るしかないですかねぇ……」
海図を睨むテッド。
結局、フィリピン海を最短距離で進むルートを彼は選択したのである。
「艦長、フィリピン海を突っ切る。時間との勝負だから急ぎで!」
「アイアイサー! 全艦に通達! 針路045、速力25kt!」
英艦隊は増速して日本を目指す。
どのような形でも構わないから、早く演習が終わって欲しいと切に願うテッドであった。
「第2遊撃艦隊、現在房総半島南20浬に展開中」
「あのドーセット公が沿岸沿いに来るわけがない。もっと南に展開させろ!」
「勝連要港部より入電。現在哨戒中の呂号潜より不審な艦艇の発見報告は無しとのことです」
「もっと広域を哨戒させろ! 見つければ勝ちなのだから全速で水上航行してでも見つけ出せっ!」
演習開始10日目。
連合艦隊司令部のスタッフは殺気だっていた。
不審な艦影を見つけては、勇んで突撃して空振りを繰り返す。
こんなことが続けば、ストレスも溜まろうというものである。
「……そもそも、ハワイ方面の警戒を解いたのは正しかったのか?」
「ひょっとしたら、我々が警戒を解くまでドーセット公は耐え忍んでいたのではないか?」
「だとすれば、今すぐ艦隊を引き返したほうが良いのでは?」
ストレスは、やがて不安と不満へと転化する。
司令部のスタッフの視線が、平成会派に集中することになったのである。
(え、ちょ、なにこの流れ?)
(なんか親の仇のような勢いなんですけど!?)
(うちらが悪いとでも言うつもりかこいつら!?)
平成会派のモブたちは困惑する。
このままだと、つるし上げ待った無しである。
(そもそも、事前の予定ではとっくに発見されてるはずなのに、あの人頑張り過ぎなんだよっ!)
テッドと平成会派の間では事前に『ブック』の取り決めが為されていた。
いわゆる、最初は強く当たってあとは流れでというヤツである。
平成会派は、テッドが取るルートを事前に知らされていた。
帝国海軍側が対応を誤れば、さりげなく助言することで恩を売るはずだったのである。
テッドの指揮能力が高いのか、はたまた帝国海軍側の索敵能力が低いのか。
原因は不明であるが、未だに英艦隊は発見されていないのである。
テッドからすれば、実戦経験豊富な海軍元帥がお目付け役であるために手加減が出来ないだけであった。しかし、そんな事情を平成会派が知る由も無い。
「……君たちは何をしているのかね?」
決して大声ではない。
しかし、その場によく通る声を聞いた瞬間、司令部のスタッフは硬直した。
従兵と共に司令部に入室してきたのは、谷口尚真海軍大将であった。
連合艦隊と第一艦隊司令長官を兼務している谷口は、海軍省での用事を済ませてから様子見に来たのである。
谷口は『海の乃木』と称されるほどの謹厳実直な性格である。
兵学校長時代には生徒の鉄拳制裁を禁止しており、そんな彼の前で平成会派をつるし上げようものなら、どうなるかは火を見るよりも明らかであった。
(((た、助かった……)))
谷口の登場で、殺気立っていた空間が嘘のように浄化されていく。
平成会派が安堵したのは言うまでも無いことである。
「ふむ、未だに英艦隊は補足出来ないか……」
「も、申し訳ありませんっ!」
「君らが謝ることでは無いだろう。ここは、ドーセット公の手腕を褒めるべきだ」
英艦隊を補足出来ないことを谷口は叱責しなかった。
彼もテッドと直接の面識があり、その能力を評価していたのである。
「諸君、時間は我らの味方であることを忘れてはならぬ。それを忘れない限り必ず勝てる。ベストを尽くせ」
谷口の一言で奮起する司令部のスタッフたち。
帝国海軍の総力を挙げた山狩り――もとい、海狩りが始まろうとしていた。
「電源車接続!」
「モーター回すぞぉ! プロペラから離れろっ!」
電源車が接続されたのを確認したパイロットは、機内のスタータースイッチを押し込む。プロペラが回り始めたのを確認し、点火スイッチを入れると唸るような低周波と共に排気管から煙が噴出し始める。
「チョーク外せっ! 離陸するぞ!」
メカニックが車輪止めを外すと、機体は弾かれたようにダッシュする。
飛行甲板を半分ほど残して、『ソードフィッシュ』攻撃機は悠々と離陸していく。
「さすがに練度が高いですねぇ」
「本国艦隊所属なだけはあるのぅ」
航空機補修艦『ペガサス』の発艦作業を、テッドとカーデンは旗艦『ネプチューン』の艦橋から見守っていた。空は雲ひとつない晴天で波は穏やか、機体が発艦していく度に艦上のクルーからは歓声があがる。じつに長閑な光景であった。
しかし、艦内のCICに戻れば空気は一変する。
薄暗い室内は、情報を処理するオペレーターたちが殺気だっていたのである。
「!? MADに反応あり!」
「ペガサスに位置を通報しろ!」
史実よりも15年早く完成してしまったソードフィッシュは、様々な装備を搭載していた。機体下部後方に装備されている磁気探知機もその一つである。
「5番機より敵潜発見の報あり。位置は――」
「針路270に変針! 速度そのままで、敵潜から距離をとれ!」
通報を受けたテッドは、直ちに艦隊針路を変更させた。
網を張っていた呂号潜の隙間を縫って、英国艦隊は北上していく。
「レーダーに反応。潜望鏡です!」
「直ちに位置を通報。このままだと母艦の位置がバレるから迂回しながら帰投するぞ!」
ソードフィッシュは、機首下部に空対水上艦艇 レーダーも装備していた。
放射されるセンチ波は、水面上に露出している潜望鏡を容易く捉える。
「2番機より潜望鏡発見の報あり。位置は――」
「針路120に変針! 速力は維持!」
本日何度目かの変針に、うんざりとした表情となるテッド。
しかし、帝国海軍が本気になって十重二十重の哨戒網を敷いているのである。この程度で終わるはずも無かった。
「閣下! HF/DFに反応あり。現在方位計測中……方位確定! 針路030です!!」
ハフダフは短波方向探知機である。
その名の通り、無線が飛んでくる方向を探知する装置である。
この世界の英国は、他国よりも10年以上無線技術が先行していた。
世界に先駆けて実用的な無線方向探知機を既に完成させていたのである。
「電波の発振位置は?」
「1号機と3号機の計測データと照合しています……位置確定しました。位置は――」
「針路戻せ! 速力25に増速っ!」
ハフダフは、艦船だけでなく航空機に搭載出来るほどに小型化されていた。
三角測量の原理で電波の発振位置を特定することが可能となり、迂闊に電波を発振した潜水艦を回避するのに大いに役立っていたのである。
「というか、ソードフィッシュ万能過ぎでしょ? 一人何役やってんだか……」
半ば呆れたようなテッドの独白であるが、決して大げさなものではない。
その能力は、この時代において比類なきものであった。
特に本国艦隊のソードフィッシュは、エンジンが軽量大出力のターボプロップに換装されていた。ペイロードに余裕が出来たために、MAD、対水上レーダー、ハフダフの同時装備が可能になったのである。
これに加えて、魚雷や爆弾、ロケット弾などの武装も搭載可能であった。
この時代において単体でハンターキラー戦術を成し得る唯一の機体として完成していたのである。その分、一人当たりの仕事量が激増してクルーの教育が大変なことになってはいたのであるが……。
「先行している7号機より、戦艦を視認したとのことです」
「振り切るぞ! 針路070! 全速前進!」
ソードフィッシュ隊の活躍により、艦隊は隙間を縫うようにして哨戒網をすり抜けていく。しかし、それも次第に限界に達しつつあった。
「というか、元帥も手伝ってくださいよ!?」
「ほっほっほ、お主の能力を計るのがヨーク公からの頼みなのでのぅ。さぁ、頑張れ、頑張れ!」
「うわぁぁぁぁぁんっ!?」
時間が経てば経つほど、包囲が狭められていくのは明白であった。
将棋の盤面で言えば、詰み寸前というヤツである。
しかし、様々な思惑のおかげでテッドは簡単に投了することが出来なかった。
英艦隊は東京湾を目指してひたすらに突き進むのであった。
「英艦隊を補足しました。北緯20度、東経136度。沖ノ鳥島北方の海域です!」
「「「おおおおおおおお!」」」
連合艦隊司令部は、英国艦隊発見の報に沸き立っていた。
あとは艦隊を派遣して包囲してしまえば、ゲームセットである。
(このまま降伏してくれると良いのだが……)
しかし、平成会派のモブたちは不安であった。
これまでの状況を鑑みると、テッドがこのまま素直に降伏してくれるとは思えなかったのである。
「レーダーに反応。方位020、距離35000! 敵速20kt!」
「以後、敵艦隊をAと呼称する」
ネプチューンのレーダーは、接近する艦隊を探知していた。
今までの待ち伏せとは明らかに違う状況に、オペレーターの声にも緊張が混じる。
「これは……完全に捕捉されたなぁ……」
「むしろ遅いくらいじゃ。ジャパニーズネイビーの索敵力は低いのぅ」
CICでため息をつくテッド。
無言で『もう投了してもいいですよね?』とカーデンに訴えたのであるが……。
「さぁ、ここからが本番じゃぞ! お主の操艦センスを見せてくれ」
テッドの無言の訴えを、あっさりとスルーするカーデン。
半世紀もの軍歴を持つ彼にとって、結果が分かっていたとしても安易な降伏など論外であった。演習であれば、なおさらである。
「艦影視認! 英艦隊です!」
「頭を抑える。面舵一杯!」
「面舵一杯、ヨーソロー!」
エイブル――『長門』『陸奥』『伊勢』『日向』『扶桑』『山城』で構成される戦艦部隊は、丁字戦法で英国艦隊の頭を抑えようとしていた。
(よし、完全に頭を抑えた。これで終わりだ!)
長門艦長井上継松海軍大佐は、この時点で演習の勝利を確信していた。しかし……。
「え、英国艦隊が陣形を変更しています!」
「なんだと!?」
単縦陣だった英国艦隊が横に大きく距離を取っていく。
その様子は、百年前のトラファルガー沖の再現であった。
「ほっほっほ、まさかネルソン・タッチとはのぅ!」
「あぁもぅ、こっちは必死なんだから爺さんは黙ってて!」
横4列となった英艦隊は、丁字戦法の隙間を抜いて全速力で北方へ退避していく。抜かれた側は、各艦が独自に回避運動をしたせいで大混乱に陥った。
ネルソン・タッチは丁字戦法の正反対と言える陣形である。
当時は戦列艦の時代であり、両舷にしか大砲を装備していない軍艦は並走して撃ちあっていた。
イギリス海軍提督ホレイショ・ネルソンは、多縦列による分断作戦を実行することで数的劣勢を挽回するとともに、早期に接舷してフランス艦隊の逃走を阻止したのである。
「まぁ、これであちらさんはしばらく立ち直れないでしょ。今のうちに距離を……」
安堵するテッド。
しかし、帝国海軍はそんなに甘くは無かった。
「新たな反応あり。方位340、敵速30kt!」
「ふむ、先ほど違って艦の間隔を詰めておるな。これではネルソン・タッチは無理か」
帝国海軍の素早い対応に感心するカーデン。
そんな彼をジト目で見つめつつ、アイコンタクトするテッドであったが……。
「ほっほっほ、あきらめたらそこで試合終了じゃよ?」
「こ、この期に及んでまだやれと……」
この時、テッドは脳内で何かが切れる音を聞いた。
なかなかに大きい音だったので、きっと切れたのは糸ではなくザイルか何かであろう。
「ほ、本当にやるんですか……!?」
「このままだと、あの爺さん相手に延々とやり合うハメになるよ?」
「わ、わかりました」
艦長をひっ捕まえて小声で指示を出すテッド。
合同演習は最終局面に進もうとしていた。
「英国艦隊視認しました。距離2万!」
「艦の距離を限界まで詰めさせろ。今度はすり抜けさせるな! 後続の部隊にも、そう伝えろ!」
戦艦『金剛』艦長池中健一海軍大佐が檄を飛ばす。
ネプチューンのレーダーが捉えた艦隊は、『金剛』『比叡』『霧島』『榛名』で構成される高速戦艦部隊と、それに追従する水雷戦隊であった。
後詰として控えていた池中は、事の顛末を知るとすぐさま対策を取った。
各艦の艦長と相談したうえで、艦の相互距離を限界まで詰めたのである。
この時点で各艦の間隔は20mを切っていた。
一歩間違えれば衝突の恐れがあるが、艦隊将兵の高い練度によって実現していたのである。
帝国海軍側は十分な対策を取って待ち受けていた。
しかし、それは英国艦隊が無策であることを意味しない。
「閣下、準備完了しましたが……本当にやるんですか?」
ネプチューンの艦長は、戦々恐々であった。
経験豊富な彼が恐れるくらいに、テッドの作戦は無茶なものだったのである。
「くどい。ここまで来たらやるしかないんだよ」
テッドの目は完全に座っていた。
彼を知っている人間だったら、完全にブチ切れていることを察したであろう。何を言っても無駄なことも。
こうなったら、嵐が過ぎ去るまで大人しくしているしかない。
巻き込まれた将兵は、誠にご愁傷様としか言いようが無い。
「よし、針路そのまま、全速前進!」
横一列のまま突撃を開始する英国艦隊。
蒸気タービン艦とは次元が違う加速で、あっという間に最高速に達する。
「押しとおるつもりか!? ぶつけてでも止めろ!」
それを見た帝国海軍側は、衝突に備えさせる。
艦の損傷は避けられないが、そもそもぶつけてくる方が悪いのである。
「総員、何かに捕まれ! 耐衝撃防御!」
しかし、テッドは艦を衝突させるつもりなど毛頭なかった。
自らも手近なパイプに捕まると、続けて号令を下す。
「全艦ピッチフルリバース!」
艦を推進させる巨大な可変ピッチプロペラのピッチがマイナスいっぱいにまで変化する。最大推力で航行した状態で、いきなり後進になったらどうなるか?
「「「どわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」」
正解は『全速前進から全速後退になって、殺人ブレーキがかかる』である。手近なものに捕まっていたにも関わらず、CIC内では吹き飛ばされる者が続出した。
「バウスラスター右全開!」
そんな状態でも、テッドは指揮を取り続ける。
急減速した艦隊は、バウスラスターで無理やり舳先を曲げていく。
「方位080! フルアヘッド! 全速離脱!」
予測出来ない機動に、敵艦隊は完全にオーバーランする形となった。
その間に英国艦隊は海域を離脱することに成功したのである。
「……これはさすがに無理でしょ?」
「ほっほっほ、儂もそこまで鬼ではないぞ」
「どの口がほざくんだか……」
大島沖20kmの海域。
英国艦隊は、帝国海軍の艦艇に十重二十重に包囲されていた。事実上、合同演習が終了した瞬間であった。
「というか、なんで無傷なんです?」
たんこぶをさすりながら、カーデンに愚痴るテッド。
艦の急制動に耐えきれず、捕まったパイプで頭部を強打していたのである。
「昔、似たような経験があってのぅ。慣れじゃよ慣れ」
「うわぁ、そんなのに慣れたくないなぁ……」
CICに居た人間の大半が負傷したというのに、この男だけは無傷であった。
ご老体であるので真っ先に心配したというのに、損した気分である。
「……で、試験の結果はどうだったんです? いや、怖いからやっぱり良いです……」
「そう言うな。今からでも王立海軍兵学校に入学して正式に海軍軍人を目指さんか?」
「絶対にノゥ! 僕には海軍軍人は向いてませんってば!?」
いろいろな意味で利用価値が大きいテッドは、本国で取り合いとなっていた。
海軍畑を歩むヨーク公(史実のジョージ6世)も、テッドを海軍に引き入れるべく画策していたのである。
繰り広げられる争奪戦を本人が自覚したのは、本国へ一時帰国したときであった。お忍びで帰国したのに何故かオファーが山ほど届いたり、領内に不審者が激増してテッドを悩ませることになるのである。
以下、今回登場させた兵器のスペックです。
HMS ネプチューン
排水量:38500t(常備)
全長:210.8m
全幅:31.7m
吃水:8.8m
機関:大型艦船用デルティック16基4軸推進
最大出力:208000馬力
最大速力:31ノット
航続距離:15ノット/32000浬
乗員:1060名
兵装:45口径38.1cm連装砲4基(SHS対応)
50口径13.3cm連装両用砲8基
40mm6連装機銃12基
40mm単装機銃11基
装甲:舷側330mm(水線部主装甲) 152mm(艦首尾部)
甲板150mm
主砲塔330mm(前盾) 279mm(側盾) 114mm(天蓋)
主砲バーベット部330mm(砲塔前盾) 254mm(甲板上部・前盾) 178mm(甲板上部・後盾) 152mm(甲板下部・前盾) 101mm(甲板下部・後盾)
CIC200mm(側面) 76mm(天蓋)
レーダー:281型1基
277型1基
284型1基
285型8基
大規模近代化改修が適用されたQE型高速戦艦。
機関の換装、艦首の成形とバルバスバウの装備、砲塔換装によるSHSへの対応、箱型艦橋とバイタルパート内へのCICの設置、レーダーの装備、対空火器の増設などで完全に別物と化している。
箱型艦橋の設置に伴い、司令塔は撤去されている。
艦橋そのものは断片防御程度の装甲しか施されていないが、戦闘はCICで行うので問題は起きていない。
CICは従来のバイタルパート内部に配置されており、側壁200mm、天蓋76mmという重防御である。機関部の上に位置しており、甲板装甲とCIC、さらに機関部自体の装甲も合わせると、これを抜くのはかなりの困難である。
燃費に優れるディーゼルエンジンを機関に採用したことにより、従来の常識を超えた航続力を持つに至っている。世界各地に植民地や自治領を持つ英国にとって、これは非常に都合の良いものであった。
※作者の個人的意見
原型よりも1万tほど太っていますが、CIC区画の挿入やらエンジン換装による軽量化やら、その他諸々で相殺した結果です。
足は速いわ、長いわ、しかも甲板装甲が鬼強いから逃げに徹されると撃沈は困難。
意識したわけではないですが、ポケット戦艦の超教化版になってしまいました。
FRAM適用のQE型を通商破壊に使用したら、敵対した側は悲鳴をあげるでしょうねw
HMS ペガサス
排水量:21580t(常備) 29600t(満載)
全長:220.8m
全幅:32.6m
吃水:7.8m
機関:大型艦船用デルティック16基4軸推進
最大出力:200000馬力
最大速力:33ノット
航続距離:15ノット/32000浬
乗員:1100名
兵装:45口径10.2cm連装高角砲8基
40口径4cm4連装対空機関砲5基
装甲:舷側100mm(機関部)
飛行甲板76mm(最厚部)
艦隊に随伴して航空機の補給及び修理にあたる航空機補修艦の2番艦。
同型艦は『ユニコーン』
正規空母5隻分を支援する能力があり、長期作戦を行う空母艦隊にとっては必要不可欠な存在である。簡易空母としての運用も可能であり、正規空母の代わりに運用されることもあった。実際、同型艦の『ユニコーン』は、フランス・コミューンによるスペイン侵攻時には、ヘリ空母としてバレアス海に展開している。
『ユニコーン』とは異なり、機関には大型艦船用デルティックが採用されている。
その結果、戦艦部隊に追従出来る長大な航続力を得ることに成功している。
※作者の個人的意見
ユニコーンは蒸気タービン艦ですが、こちらはディーゼル艦です。
将来的にはともかく、この時代の軍用機にカタパルトは不要なのでこっちのほうが使いやすいです。
フェアリー ソードフィッシュ MK.3
全長: 11.22m
翼幅: 13.9m
全高: 3.8m
空虚重量: 2030kg
最大離陸重量: 4410kg
エンジン:アームストロング・シドレー マンバ 軸出力1320馬力+排気推力
最大速度: 272km/h
巡航速度: 230km/h
航続距離: 2780km(増槽込み)
実用上昇限度: 7500m
乗員: 3名
搭載量: 1500kg
武装 7.7mm 機関銃 2門
航空魚雷 or 250ポンド爆弾4発 or 500ポンド爆弾4発 or RP-3ロケット弾16発
円卓チートによって、15年ほど早く世に出てしまったストリングバッグ。
史実のソードフィッシュのエンジンをターボプロップに換装し、大出力に対応すべく機体の補強を実施した機体である。
Uボート探知用にASVレーダーとHF/DF(短波方向探知機)、さらにMAD(磁気探知機)まで装備しており、複葉機ながらUボート探知に猛威を振るった。後の改良型では、潜航中の新型Uボートを撃沈するために対潜ロケット弾発射機とモリンズM型57mm自動砲の運用能力が追加されている。
※作者の個人的意見
この時代に、単機でハンターキラー戦術が出来るオーパーツ的機体。
パイロットがレーダー手兼任、観測員がHF/DF要員兼任、後部機銃手がMAD要員を兼任というとてもブラックな機体ですw
テッド君にやる気が無かったのは、この後に平成会との技術供与の交渉が控えていたからです。あんまり勝ちすぎると、あれもこれもと技術提供せざるを得なくなるので、適当に花を持たせるつもりでした。
>マハルリカ共和国
この世界のフィリピンは、1927年にアメリカから一方的に独立を宣言しています。
>横須賀に移転した連合艦隊司令部
具体的な場所は、海上作戦センターに移転する前の場所です。
>海域を碁盤の目の如く区切り、その一つ一つの全てに艦を配置していた。
日露戦争では、このような哨戒はされていなかったという話もありますが敢えて採用しています。レーダーが無い時代ならば、これ以上確実な索敵方法はありませんし。
>ヴィンソン計画
自援SS『変態アメリカ国内事情―アメリカ海軍の逆襲編―』参照
>大規模近代化改修
元々はクイーンエリザベス型高速戦艦の近代化改修を指していましたが、後に同様の改修を施した他艦種の艦艇も含めるようになります。
>このエンジンが変態呼ばわりされる原因は、その独特な駆動機構である。
参考動画:h ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm14434259
これを見れば、あなたもデルティックが大好きになるはず。共に英国面に堕ちましょうぞ(*´ω`)
>これは余裕で地球1周が可能な距離である。
史実の伊400型は地球を1周半出来るだけの航続力(37500浬/14kt)があり、日本の内地から地球上のどこへでも任意に攻撃を行い、そのまま日本へ帰投可能だったりします。なので、拙作のQE型が飛びぬけておかしいとか、そういうことは無いのです。
>丸ごと交換したほうが早いという結論に至った
参考動画:h ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm14589470
史実でもエンジン丸ごと交換して対応しているので、ノープロブレムですよ!(マテ
>勝連要港部
沖縄県勝連半島に設置された潜水艦基地。
拙作のオリジナル設定です。
>ソードフィッシュ
英国の誇る究極万能機。
この世界では、円卓の技術陣によって史実よりも早期に実戦化されたあげくにターボプロップ化までされています。
複葉機なので出力に比してペイロードは優秀なのですが、ターボプロップ化によってエンジン重量は半分以下になり、出力も倍増して兵器搭載量が凄いことになっています。
>磁気探知機
史実の日本はMADを『KMX磁気探知機』の名で太平洋戦争に実戦投入しています。終戦間際に戦果を挙げた数少ない兵器です。
>空対水上艦艇 レーダー
史実のソードフィッシュに装備された水上警戒レーダー。
主に潜望鏡探知でUボート狩りに猛威を振るいました。
>HF/DF
電波が飛んでくる方位を知ることが出来る装置。
この世界では、ソードフィッシュに搭載出来るほどに小型化されています。
>丁字戦法
日本海海戦で有名になった戦法です。
アルファベットのTじゃなくて、漢字の丁だったことに気付いたのは割と最近のことだったりします(;^ω^)
>ネルソン・タッチ
ググっても、艦これのネルソンばっかり出てきてしまう…_| ̄|○
>「昔、似たような経験があってのぅ。慣れじゃよ慣れ」
カーデンは、本編第11話『前弩級艦 VS 巡洋戦艦+超弩級艦』で似たようなことをやらかしていますw




