第80話 一般参加(自援絵有り)
「お、落ちた……」
1928年6月下旬。
執務室のデスクで、テッド・ハーグリーヴスは突っ伏していた。
デスクの上に放置されている小さな茶封筒。
中身はコミケの落選通知であった。
(去年の冬コミは参加出来なかったから、今回こそはと思ってたのに……)
テッドは、クソ忙しい業務の合間に睡眠時間を削ってまでネームを考えていた。
しかし、その努力は全て水泡に帰してしまったのである。
(もう新刊作る気力も無いし、しょうがないから過去本を委託しようかな……)
サークル参加出来ないのならば、別のサークルに委託するしかない。
テッドはコミケに当選した知り合いの同人作家に電話をかけようとしたが、途中で思いとどまる。
(……たまには、サークルじゃなくて一般参加も悪くないかも。気になるサークルもあるし)
この世の終わりのようだった表情は何処へやら。
一転して、明るい表情となったテッドは書類との格闘を始めるのであった。
「おー、これはなかなか……」
7月中旬。
夏コミのカタログが到着して、早速テッドは目を通していた。
「サークルカットだけを見てもレベルが高いなぁ。これは本国のコミケも、うかうかしてられないな……」
カタログに載っているサークルカットは画力が高いものばかりであった。
キャラクターも史実の2次創作から完全オリジナルまでバリエーションに富んでおり、英国のコミケに勝るとも劣らないものに仕上がっていたのである。
「テッド、そろそろアフタヌーンティーにしましょう」
銀盆にティーセットを載せたマルヴィナが入室してくる。
デスクにケーキスタンドを置き、手慣れた様子でカップに紅茶を注いでいく。
「あらテッド、これは何?」
「ん、コミケカタログだよ。今年の夏コミは一般参加しようと思ってさ」
デスクの片隅に放置されたコミケカタログに気付くマルヴィナ。
手に取ってパラパラと中身を確認していく。
(……!)
マルヴィナの優れた動体視力はショタ専門のサークルを見逃さなかった。
読み流しているふりをしながら、サークルの情報を頭に叩き込んでいく。
「テッド、わたしもコミケに参加するわ!」
「……先に言っておくけど、今回はヤクザをぶちのめすことは出来ないよ?」
マルヴィナの突然のコミケ参加宣言に、テッドはジト目で釘を刺す。
3年前の夏コミで大立ち回りをした結果、後始末に(シドニー・ライリーが)苦労させられたことを忘れていなかったのである。
「わたしを暴力メイドか何かと思ってない? 純粋に欲しい同人誌があるから参加するのよ」
『あれは暴力とかいうレベルじゃないだろ』という言葉を辛うじて飲み込むテッド。素人ならばともかく、荒事になれたプロたちを100人以上半殺しにしたことが公になれば、間違いなくギネスブックに載ることであろう。
「あ、でもメイド服は禁止ね。あれは目立ちすぎるから」
「なんですって!?」
テッドのメイド服禁止宣言に驚愕するマルヴィナ。
彼女がメイド服に拘るのには理由があった。
「メイド服以外に外向きに着れる服を持ってないのよ!?」
「えええええええ!?」
マルヴィナの身長は2m近い。
この時代であれば、男性でも稀な体格と言える。それ故に、衣類は全て仕立て服になってしまうのである。
「いや、まだ時間あるし仕立ててもらえば?」
「この国のテーラーは紳士向けばかりで、女性の細かい注文に応えてくれるテーラーなんていないわよ!?」
史実21世紀ならば女性向けビッグサイズのカタログ通販もあるが、この時代にそんな便利なものがあるわけもない。となれば、仕立ててもらうしか無いのであるが……。
「何よりも、知らない男に身体を触られるのに耐えられない。うっかり後ろに立たれたら裏拳を叩き込んでしまうかもしれないし……!」
「ゴ〇ゴかよ……」
服を仕立てる際には、どうしても無防備な瞬間というのが発生してしまう。
被害妄想極まれりであるが、元暗殺者のマルヴィナには耐え難いことであった。
「んー、そういうことならキャサリン女史に頼もうか? あの人は普段からコスプレ衣装作っているから、マルヴィナの注文にも応えられると思うよ……って、マルヴィナ?」
言葉が終わる前にマルヴィナはテッドの目の前から消えていた。
恐らくは、服の注文に行ったのであろう。
(ま、いいか。とりあえず、コミケ期間中は休めるようにお仕事を頑張らねば!)
気合を入れ直して仕事を再開するテッド。
1日だけのサークル参加とは異なり、今回の一般参加では2日間フル参加するつもりであった。そのためにも、今のうちに仕事を片付けておく必要があったのである。
「……服を作って欲しい?」
夏コミ向けのコスプレ衣装を縫っていたキャサリン・サンソム女史は、押しかけてきたマルヴィナの頼みに目を丸くしていた。
(身長6フィート5インチ、体重は290ポンド。スリーサイズは上から53、30、46インチってところかしら?)
戸惑いながらも、キャサリンはマルヴィナの肉体を観察していた。
熟練した服職人ともなると、観察しただけで大体の寸法を見切れると言う。コスプレ衣装を作り続けてきた彼女の技量は、一流の仕立て屋に勝るとも劣らないレベルに達していたのである。
「他ならぬマルヴィナちゃんからの頼みだし、引き受けても良いわよ。早速採寸といきたいのだけど、その前に見せてもらいたいものがあるわ」
「?」
「ほら、マルヴィナちゃんって、身体を動かすのが得意なんでしょ? 身体の動きを阻害しないためにも、どの程度動けるのか見せて欲しいのよ」
キャサリンの言葉は半分は本当である。
徹底した採寸と、関節の可動域を見越して生地に余裕を作っておくことで着心地を保証するのが仕立服なのである。
残り半分は興味本位であった。
大使館内に居れば漏れ聞こえてくるマルヴィナの武勇伝が事実なのか知りたかったのである。
「そういうことならば……」
得心したマルヴィナは、立ったまま右足を上げ始める。
ゆったりとした動きで右足は上がり続け、やがて天を突く。史実で言うところのIバランス、それもバレリーナがするような見事なものであった。
「凄い凄い! マルヴィナちゃん凄いわっ!」
拍手喝采のキャサリンを無視して、マルヴィナは次の動きに移る。
おもむろに倒立し、その状態で180度開脚する。これだけなら体操選手ならやってやれないこともない。しかし、凄いのはここからであった。
「えええええええ!?」
驚愕するキャサリン。
倒立したまま両手で身体を回しつつ、開脚した両足をぶん回す――史実某格ゲーのス〇ニング〇ードキックである。
「……ふっ!」
回転を止めたマルヴィナは、開脚していた両足を閉じて倒立状態に戻る。
そして、左足を地面に向かって跳ね上げる。
「きゃー!? ジャパニーズニンジャよーっ!?」
そのまま反動を利用して連続バク転に移行するマルヴィナ。
そこまで広いとは言えない室内で、障害物に注意しながら連続バク転をし続ける彼女の運動神経と三半規管は常人のレベルを遥かに超えていた。
「……!」
バク転を止めて、連続パンチにキックを織り込んだラッシュに移行するマルヴィナ。彼女の超人的なフィジカルは、竜〇乱〇をリアルで再現してみせたのである。
「凄い凄い凄い! これだけアクションが出来るなら、ヒーロー系のコスプレならなんでもこなせるわね!」
「……えっ?」
キャサリンの言葉に嫌な予感を覚えてしまうマルヴィナ。
残念ながら予感は的中していた。
「黒人系の、しかも女性ヒーローのコスプレなんて難易度高いけど万事任せてちょうだい!」
「いや、その、待ってください。コスプレ服じゃなくて外向けの普段着が欲しいのですけど……」
「えっ? いっしょにコスプレしてくれるんじゃないの?」
「そんなこと一言も言ってません!」
冷や汗を流すマルヴィナ。
気付かなかったら、コスプレで夏コミに参加することになっていたであろう。
「……なるほど。外向きの普段着が欲しかったわけね。それなら最初に言ってくれれば良いのに」
どことなく、がっかりした様子のキャサリン。
最初から云々と言っているが、この場合はマルヴィナは悪くない。というよりも、問答無用でコスプレ服と勘違いしてしまったキャサリンがおかしいだけである。
「前回とは違って、一般参加なのであまり目立ち過ぎるのは良くないんです。なんとかなりませんか?」
「その身体を飾るのに相応しいコスプレのアイデアが浮かんでいたんだけどなぁ……しょうがないわねぇ」
これほどの逸材を目の前にして、コスプレさせられないことにため息しか出ない。それでも、キャサリンはマルヴィナの衣装作りを了承したのであった。
「ところで、どんな服が良いの?」
「そこはお任せします。あまりこういうのには詳しくないので……」
お任せと聞いてキャサリンの目が怪しく光るが、マルヴィナは気付くことが出来なかった。2か月後に衣装が出来上がった時には、既に手遅れだったのである。
『旦那様、周囲クリアです。いつでもどうぞ』
「了解。門を開けて」
テッドの言葉が終わるや否や、大使館の正面ゲートが開く。
待ちわびたように飛び出したのは、テッドが自ら運転するオースチン・7である。
「……マルヴィナ、狭くない? もっと大きな車のほうが良かったんじゃないかな?」
バックミラー越しに、テッドは後部座席のマルヴィナを気遣う。
セブンの後部座席は、大柄なマルヴィナによって完全に占拠されていたのである。
「10分足らずの距離にリムジンを出すほどでは無いでしょう。それに……」
「ん?」
「いや、なんでもないわ」
『小さい車のほうが距離が近いから』という言葉を飲み込むマルヴィナ。
周囲を気にせず、テッドに密着出来る状況を彼女は楽しんでいたのである。
「ここらへんで良いかな?」
テッドは、コミケ会場から離れた場所にセブンを路駐する。
ここからは徒歩である。
「着いたよ。車回収しておいて」
『了解しました。旦那さま』
軍用トランシーバーでメイド部隊を呼び出すテッド。
今回は完全に私事であるのでMI6のエージェントは使えないのである。
車を回収するのは帰りは乗車出来ないからである。
窮屈なセブンの二人乗車に戦利品まで載せるスペースなど存在しない。
最初から大型車に乗って来れば良いだけの話なのであるが、マルヴィナの我儘故に致し方なしである。テッドは、テッドで久しぶりの運転を楽しんでいたのでなおさらであった。
「うわ、凄いあの外人さん」
「凄く似合ってる……」
行列に並ぶとマルヴィナは周囲から注目を浴びた。
それもそのはずで、白地を基調にした柄物の着物姿だったのである。
キャサリンが作った衣装はB〇E〇CHの四〇院〇一の着物姿を再現したものであった。
史実21世紀ならば完全にコスプレであるが、この時代だと着物姿の女性は未だに多い。元ネタに気付けた人間もほとんどいなかったために、単純に着物を上手く着こなしている外人さんという程度の評価に落ち着いたのである。
「キャ〇バ〇かな……?」
「いや、バー〇ィじゃないか?」
「そもそも、あんな格好してたっけ?」
ちなみに、マルヴィナと同じくらいにテッドも注目されていた。
ベストにスラックス、そして変装用にグラサンを装着しただけなのであるが、金髪にグラサンとくれば黙ってられない人間もいる。この世界でも順調にガ〇タは増殖しているようである。
(そろそろ時間かな……)
懐中時計の針は9時55分を指していた。
コミケ開場まであと5分である。
この頃になると、二人に向けられていた視線は雲散霧消していた。
時間潰しのネタには適当であっても、それ以上のモノでは無かったということであろう。
『ただいまより、第13回コミックマーケットを開催致します』
屋外スピーカーからアナウンスされた直後に正面ゲートが開く。
地獄の釜の蓋が開いた瞬間であった。
「おわっ!? マルヴィナ!?」
「テッド!?」
動き出した行列に飲み込まれ、マルヴィナと距離が開いていく。
周辺は満員電車並みの人口密度である。一度離されてしまうと合流は不可能であった。
(ま、いいか。こんな事態も想定して落ち合う場所は決めてあるし)
マルヴィナとはぐれてしまっても、テッドは慌ててはいなかった。
二人はコミケ会場の構造を知悉しており、合流ポイントをあらかじめ設定していたのである。
そもそも、今回のコミケは二人とも別行動するつもりであった。
二人の嗜好があまりにも違い過ぎて、いっしょにサークルを回ると非効率極まりないのである。
お目当てのサークルを全て回るには、最初から別行動することが必須なのである。たとえ別行動で全日程をフルに使っても全て回りきれるかは微妙であったが。
「これください!」
「ありがとうございます!」
頒布価格きっちり硬貨で会計するテッド。
後ろの客の迷惑になるので素早くその場を離れる。
生前はコミケの常連だったテッドは、財布に大量の硬貨を用意していた。
サークル主にも、他の客にも迷惑をかけないように釣銭無しできっちり会計することを心がけていたのである。
ちなみに、この世界の日本における同人誌の価格は10銭から20銭が相場であった。10銭硬貨を用意しておけば、大抵は事足りるようになっていたのである。
しかし、史実の10銭硬貨は時期によって大きさも材質も異なっていた。
これでは不便なので、平成会が介入してこの世界では銅貨に統一された。
銅貨が採用されたのは資源備蓄が目的でもあった。
有事の際には鋳潰して軍事用に転用することが見込まれていたのである。
デザインに関しても平成会の意向が反映されていた。
フォントが隷書体からゴシック体に変更され、左読みに変更されたのである。
結果的に、この世界の10銭硬貨は史実の10円硬貨に非常に似通ったデザインとなった。大きさ、重量もほぼ同一であり、テッドも最初に見たときには戸惑ってしまったくらいである。
硬貨だけでなく紙幣のデザインにも平成会は関与していた。
額面は漢字と数字の併記となり、全体的なレイアウトも史実20世紀後半のデザインに似通ったものとなったのである。
紙幣に関しては偽造防止技術が積極的に導入された。
生前に造幣局に勤めていた平成会のモブが全面的に協力して、深凹版印刷や白黒すかし、マイクロ文字などが既に実用化されていたのである。
平成会がここまで偽札対策に力を入れたのは、史実21世紀の日本の紙幣に比べると対策がお粗末で危機感を持ったからである。さらに言えば、カ〇オスト〇の城の見過ぎとも言えるであるが。
しかし、偽造防止技術の早期導入は大いに役立つことなった。
ソ連が経済の攪乱を狙って、国家規模で偽札作りをしてきたからである。
ソ連版ベルンハルト作戦とも言うべき大量の偽札は、マルク、クローネ、ポンド、円など多岐に渡った。ドイツ帝国と二重帝国諸国連邦の経済は混乱し、深刻な社会不安を巻き起こすことになったのである。
英国は史実におけるベルンハルト作戦の直接の被害者であるため、円卓は徹底的な対策を講じていた。そのため、ポンドと円に関しては偽札被害は抑えられたのである。
(あ、チャールズ卿から頼まれた分も確保しておかないと)
チャールズ卿――チャールズ・エリオットは、先代の駐日全権大使である。
引退した現在は奈良に在住し、思う存分に仏教の研究に打ち込んでいた。
宗教関係の同人誌は、この世界においてもマイナーな存在であった。
この時代の宗教のタブー故に商業誌には載せられないディープかつ専門的な記述がなされていることが多く、研究資料としての価値があったのである。
「わざわざ東京からコミケカタログを取り寄せて、こっちに注文する元気があるなら現役復帰してくれないかなぁ……」
思わずぼやいてしまうテッド。
史実どおりならば、あと数年で余命が尽きるので文句も言えなかったのである。
この時のテッドは知る由も無かったのであるが、この世界のエリオットは史実よりも長生きであった。研究成果である『Japanese Buddhism』(日本仏教)を自ら刊行して天寿を全うすることになるのである。
(離されてしまったわね……)
周囲よりも頭一つ分は高いマルヴィナは、圧倒的なフィジカルで参加客の激流に耐えていた。彼女は激流に逆らって、お目当てのサークルを目指して進撃を開始したのである。
「これちょうだい」
「は、はい……どうぞ」
ずずいっと迫るマルヴィナに、完全に腰が引けているサークル主。
着物を着た大柄な褐色美女が寄ってきたら、こういう反応になってしまうのも止む無しであろう。彼女自身は毛ほども気にしてはいなかったが。
史実21世紀ならばともかく、この世界ではショタはマイナーなジャンルであった。周囲にいる客はまばらで、サークルを徘徊するマルヴィナは目立つ存在だったのである。
「……!?」
マルヴィナは、まったくノーマークだったサークルに平積みにされている同人誌に衝撃を受けていた。表紙の内容に身に覚えがあったのである。
(あの時と状況が一致し過ぎている……まさか……)
コートを着た大柄な黒人女性に、白人の男の娘が嬲られる様子が件の同人誌の表紙に描かれていた。画力も素晴らしく、マルヴィナの嗜好にどストライクではあったが……。
(あれ? ひょっとしてこの人……?)
マルヴィナの様子に、サークル主も思い当たったらしい。
その場で二人とも固まったように動かない。
「「あ、あの……」」
意を決した言葉は同時であった。
「……お先にどうぞ」
「は、はい……その、秋葉原のお店でお会いしませんでしたか!?」
サークル主は平成会の女性モブであった。
当時は、アイドルデビューを目指して秋葉原のメイドカフェで働いていた。
あれは忘れもしない、とある冬の日。
2時間ぶっつづけの生ライブで喉と体力の限界にチャレンジしていた時、彼女は己の信じる道を見つけてしまったのである。
元来の腐女子の素質か、はたまた分泌されたアドレナリンの影響か。
異常なほど感覚が鋭くなった彼女は、マルヴィナとテッドの変装を見破り、二人のやらかしを見て舞台上で興奮していたのである。
興奮が良い方向に作用したおかげで、長時間生ライブは大成功に終わった。
店長からは激賞され、特別ボーナスも出た。しかし、彼女は店を辞めて同人作家として食べていく道を選んだのである。
幸いなことに、夏コミに受かった彼女は同人作家デビューを果たした。
しかし、現実は非情であった。迸る情念を筆に載せた同人誌が、全く売れなかったのである。
(やっぱりダメなのかな……あたしには才能無いのかな……)
彼女は同人作家としてやっていく自信を無くしかけていた。
そんな時に出会ったのが、マルヴィナだったというわけである。
そして気付いてしまう。
普通に考えて、同人の、それもエロ同人のネタにされた本人が作品を目にしてしまったらどうなるかを。土下座せんばかり、いや、実際に土下座して許しを請うサークル主であったが……。
「素晴らしいっ! 素晴らしいわっ! これこそがわたしが求めていたものよっ!」
しかし、マルヴィナの反応は想像を斜め上にいくものであった。
「この本を買うわ。観賞用・保存用・布教用で全部よっ!」
「えええええええ!?」
サークル主は初参加で背伸びしてしまい、大量に持ち込んでしまった同人誌の始末に困っていたところであった。マルヴィナの申し出は、まさに女神の慈悲だったのである。
「あなたたちっ!」
叫ぶと同時にフィンガースナップするマルヴィナ。
同時に、何処からともなく身辺警護のために潜んでいた私服のメイド部隊が現れる。
用意した同人誌は200部であったが、20人もいれば一人辺り10冊で済む。
持ち帰りを想像して憂鬱になっていた大量の在庫は、あっさりと掃けてしまったのである。
「こ、こんなにいただけませんっ!?」
マルヴィナが手渡してきたのは、硬貨ではなく札束であった。
厚さからして、ざっと50枚はある。手持ちが全て売れたとしても、こんな金額には絶対にならない。
「いいから取っておきなさい。この同人誌にはそれだけの価値があるわ」
見上げるような大女、しかも外人が強引にお金を手渡してきたら断るには相当な胆力が必要となる。実際、サークル主は押し切られてしまったのであるが、受け取ってからどうしたものかと悩んでいたのである。
「どうしても気になるというのならば……そうね、余ったお金で同人誌を刷って送りなさい。住所は……」
見かねたマルヴィナが助け舟を出す。
良心が咎めていたサークル主は、手放しで提案を受け入れたのであった。
その後、同人誌は無事に大使館に送り届けられた。
大使館宛ての荷物なので、厳重なチェックが必要なところをマルヴィナが強奪しようとして騒動になったのは割とどうでも良い事であろう。
男の娘同人誌は、メイド部隊に配られて急速にファンを増やしていった。
翻訳スタッフの手によって、英語に翻訳されてドーセットにまで広がっていったのである。
「やぁ、マルヴィナ。その分だと、お目当てものは手に入ったみたいだね」
「えぇ、とっても素晴らしいものを手に入れることが出来たわ」
お昼時になるとコミケ内の人の動きも多少は落ち着いてくる。
合流した二人が邪魔にならない場所を確保すると、何処からともなくメイド部隊が現れる。
メイド部隊は手慣れた様子でテーブルと椅子をセッティングしていく。
仕上げにサンドイッチが満載のバケット、ティーセットを配置すればランチタイムの準備は完了である。
「「「それでは、失礼いたします」」」
出て来たときと同じく、唐突に消えるメイド部隊。
元暗殺者のマルヴィナが仕込んだだけあって、気配の消し方は一流であった。
「あー、きゅうりサンドが喉に沁みるなぁ……」
キューカンバーサンドをぱくつくテッド。
みずみずしい食感と水分が、喉の渇きを癒していく。
「テッド、そんなものばかり食べても力が出ないわよ? もっと肉を食べなさいよ」
対するマルヴィナは、ローストビーフのサンドイッチを豪快に喰らう。
サンドイッチと言いながらも、ハンバーガーにも引けを取らない分厚さである。
「いや、暑いし、喉が渇くのはしょうがないでしょ。むしろ、なんでマルヴィナが平気なのが疑問なんだけど……」
日本の夏にスリーピースを着る無謀さを知るテッドは、半袖シャツにベスト、スラックスと動きやすさと快適性を重視していた。それでも、汗だくになっていたが。
夏コミでは熱中症を防ぐための水分補給が必須と言える。
そのような環境で、着物姿のマルヴィナが平然としているのにテッドは納得いかなかったのである。
(じつは中身がサイボーグだったり、ター〇ネー〇ーだったりしないよな?)
そんな失礼なことをテッドが考えている間にも、マルヴィナは健啖ぶりを発揮してサンドイッチを平らげていく。気が付けば、大半のサンドイッチが彼女の胃の中に消えていたのである。
「……ところで、午後からどうするの?」
食後のティータイム。
紅茶を飲みながら、マルヴィナはテッドに今後の予定を確認する。
「今日欲しかったサークルは全部回ったからなぁ。午後からはコスプレ会場に寄ってサンソム卿を見てから帰ろうかな」
「なら、わたしもいっしょに行くわ!」
マルヴィナの態度に驚くテッド。
惰性で付き合ってくれるかもと思っていたが、ここまで積極的になるのは想像の範囲外であった。
「……意外だな。マルヴィナはコスプレに興味無いかと思ってた」
「キャサリン女史には服を作ってもらったし、それくらいはしないと罰が当たるわよ?」
「なるほど」
テッドは知らなかったが、マルヴィナの着物には仕掛けが施されていた。
炎天下でも快適に過ごせるように、着物のあちこちに氷嚢を仕込めるようになっていたのである。
洋服ほど露骨に全身のラインが出ない着物だからこそ出来た芸当であるが、マルヴィナの身体の動きを阻害せずに冷却効果を最大限発揮出来るようにするために製作者のキャサリンは苦心していたのである。
着物に仕込んでいた氷嚢は炎天下では2、3時間で溶けてしまうのであるが、その都度メイド部隊を呼び寄せて氷嚢を交換していた。護衛というよりも、便利な小間使いとしてメイド部隊を扱き使っていたのである。
大半の客が帽子と団扇が手放せなかったというのに、マルヴィナは汗一つかかなかった。全身クーラーが効いていた彼女は、快適にサークル巡りをしていたのである。
(うわぁ、ここは相変わらず盛況だなぁ。暑いのにご苦労さんなことで……)
立ちポーズする者、アクションする者、それに群がるカメコたち。
3年前と変わらぬカオスな空間に、テッドは内心で苦笑せざるを得なかった。
「テッド、見つけたわ。あそこ!」
マルヴィナが指差した先には、周囲とは隔絶した完成度を誇るコスプレをするカップルがいた。言うまでもなく、サンソム卿夫妻である。
「おぉ、ドーセット公。わざわざ、ありがとうございます」
テッドに声をかけてきたのは、ジョージ・ベイリー・サンソム卿である。
今回はB〇EA〇Hの阿〇井恋〇のコスプレで参加しており、黒染めの衣装と蛇〇丸、胸元から見える刺青まで完璧に再現していた。
「あら、マルヴィナちゃん来てくれたのね。嬉しいわっ!」
マルヴィナに声をかけたのは、キャサリンである。
こちらは朽〇ル〇アのコスプレで参加しており、黒染め衣装に白羽織、袖〇雪、その他小物類も完璧であった。
「ところでマルヴィナちゃん、良いアイデアがあるのだけど……」
「……?」
テッドに背を向けて、ぼそぼそと話をするマルヴィナとキャサリン。
気になってしまうが、声が小さくて聞き取れない。
「「……」」
欲望丸出しな二人の視線。
テッドの防衛本能が悲鳴をあげる。
急ぎ、この場を離れようとしたその瞬間にマルヴィナが指パッチンをする。
「「「旦那さま、お許しください……!」」」
瞬時に現れるメイド部隊。
四方に撮影用のスクリーンを展開し、周囲の目を絶つと問答無用でテッドをひん剥いた。
「ちょ、おま、なにするだぁぁぁぁぁぁ!?」
「「「すみません、奥方さまからの命令ですので」」」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
この間、じつに40秒。
目深に被った帽子に甚平、下駄を履いた怪しげな人物――テッドは強制的に浦〇喜〇のコスプレをさせられてしまったのである。
(うぅ、もうお婿に行けない……いや、もう結婚してるけど!?)
未だに混乱するテッドに、マルヴィナは寄り添って腕を組む。
彼女は夜〇のコスプレをしているので、ある意味原作再現と言えるであろう。
(せっかくだからとドーセット公の衣装も作っておいたけど無駄にならないで良かったわぁ)
そんな二人を眺めて悦に浸るキャサリン。
普段は自分と夫の分しか衣装を作らないのであるが、今回は自分の仕事をテッドとマルヴィナに納めることが出来て大満足であった。
キャサリンは、かねてより二人にコスプレ衣装を着せたいと思っていた。
マルヴィナの影に隠れがちであるが、テッドもコスプレ映えする肉体美を持っていることを知っていたのである。
ちなみに、無断で衣装を作っていたので彼女はテッドの採寸は一切していなかった。今回のコスプレが着物だったのでギリギリまでサイズを詰める必要は無く、目検討でテッドのサイズをある程度見切ればなんとかなったのである。
(次回のコミケでは、二人に筋肉が躍動するコスプレを着せてあげなきゃ……!)
早くも冬コミに思いをはせるキャサリン。
マルヴィナを説得出来ればテッドにコスプレを強要出来るので、いかに彼女を言いくるめるか算段を巡らすのであった。
『テッドの3サイズ? 上から……』
『……マルヴィナちゃん、なんでそんなに詳しいの?』
『テッドのことなら、あそこのサイズまで把握しているわ』
『なにそれ怖い』
マルヴィナを味方にした時点で、テッドはコスプレから逃げられなくなった。
たとえテッドが嫌がって採寸を拒否したとしても、身体の隅から隅まで把握しているマルヴィナがデータを提供した。おかげで、キャサリンのコスプレ製作は大いに捗ったのである。
この事態に平成会と日本政府、コミケ運営委員会は頭を抱えることになった。
テッドのサークル参加を防ぐことは出来ても、一般参加を止めることは不可能だったのである。
平成会としてはテッドの機嫌を損ねたくないし、政府側が警備上の問題があるから止めてくれと言っても、自前で警護部隊を用意されるとどうしようもない。コミケのルールを侵してもいないので、運営委員会も何も言えなかったのである。
とはいえ、さすがのテッドも周囲の意見を完全に無視することはしなかった。
当日は影武者に派手に動いてもらってアリバイ作りに励んだり、変装して身バレを防いだりと、あの手この手でコミケに参加していくことになるのである。
テッド君がコスプレ沼にハマることが確定しましたw
サークル参加にコスプレと、これからのコミケでのご活躍をお祈りいたします(合掌
>コミケの落選通知
コミケ開催の2ヵ月くらい前に届きます。
落選すると小さい茶封筒ですが、当選すると大きい封筒が届きます。
>サークルカット
コミケカタログに載せるサークルを紹介する文字とイラストです。
>仕立て服
英語の『Bespoke』が由来です。
職人と話ながら詳細を詰めていくということで英国ではオーダーメイドを意味しています。
>「ゴ〇ゴかよ……」
『俺の後ろに立つな』が有名ですが、じつは原作では一度も言っていないというトリビアが。
>キャサリン・サンソム女史
筆頭書記官ジョージ・ベイリー・サンソム卿の妻。
この世界ではコスプレ職人と化していますが、史実では夫と共に日本研究の第一人者だったりします。
>熟練した服職人ともなると、観察しただけで大体の寸法を見切れると言う。
元ネタは『王様の仕立て屋』の織部悠です。
衣装ネタはだいたいこの作品から拾ってきています。
>ス〇ニング〇ードキック
いかにマルヴィナさんのフィジカルが超人的でも完全再現は無理です。
リアルであの技をやるとなったら、倒立したまま足を振り回すカポエラみたいな感じなりそうです。
>竜〇乱〇
格ゲーにおける乱舞技の元祖。
ガロスぺでお世話になったけど、SFC版だとイマイチ迫力がなぁ……。
>オースチン・7
自援SS『変態紳士の領内事情―モータリゼーション編―』で出したセブンとは別物です。
あちらは2シーターのオープンカーでしたが、こちらは屋根付きのセダンです。全幅が1m程度しか無いので後席のマルヴィナさんはめっちゃ狭かったでしょうね……。
>メイド部隊
ヤクザなど素手で瞬殺出来るメイド姿の殺戮機械。
諜報戦闘警護となんでもござれなマルヴィナさんの私兵です。
>四〇院〇一の着物姿
イメージはBLEACH卍解バトルの着物姿です。
派手だけど、この時代なら着物姿の女性も多いのでそこまで目立つほどじゃありません。中身のせいで目立つのはしょうがないですけどねw
>金髪にグラサン
ガンダムだと圧倒的にクワトロ大尉なのだけど、バーニィも捨てがたいです。
>10銭硬貨
時期によっては大きさやデザインどころか材質まで変わってしまう硬貨。
平成会は自販機を早期導入したいので、この世界の日本では貨幣デザインの統一化が進められています。
>カ〇オスト〇の城の見過ぎとも言えるであるが。
でも実際、国家レベルで偽札作りをされると厄介なんですよね。
史実でもベルンハルト作戦なんてのもありましたし……。
>ベルンハルト作戦
実際にやらかしたナチス版カリオストロ。
あまりにも精巧な偽札で英国は戦後に紙幣を回収して真贋問わず処分するハメになりました。経済的打撃と社会不安に加えて、ポンドの失墜と英国の受けたダメージは甚大でした。
>『Japanese Buddhism』(日本仏教)を自ら刊行して天寿を全うすることになるのである。
史実だと病没して未完だったのを、部下のサンソムが完成させています。
>秋葉原のメイドカフェ
第76話の『聖地巡礼』を参照。
周囲の客からは見えていませんでしたが、舞台で歌っているメイドさんからはモロ見えでしたw
>指パッチン
指パッチンと言えばポール牧!
異論は認めない!
>氷嚢
現在のコミケでも半分凍らせたペットボトルに氷水を入れたのが重宝されています。
全身に仕込むとなったらかなりの重さになりそうですが、マルヴィナさんのフィジカルならノープロブレムですなw
>浦〇喜〇
夜一を出した以上は彼も出さないと片手落ちでしょう。
結果的に今回のコスプレはBLEACH一色になりました。
>身体の隅から隅まで把握しているマルヴィナがデータを提供した。
第2話の『パラメトロン』を参照。
テッド君が寝ている隙に隅から隅まで調べ上げています(怖




