第68話 昨日はお楽しみでしたね?(自援絵有り)
「はい、テッド。あ~ん」
「あ、あーん……って、マルヴィナ。これは恥ずかしいよ……」
リンゴを片手に、躰を寄せてくるマルヴィナ。
豪奢なソファは、柔らかくも決して沈み過ぎることなく、大柄で重い――もとい、筋肉質な彼女を優しく受け止める。
ソファだけが特別なわけではない。
そこにあるもの全てが王侯貴族が過ごすような空間と化していた。
テッドとマルヴィナは、ウォッチガードセキュリティの慰安旅行に参加していた。どうせ金を出すのだからと、開き直ってスタート地点の漢城から慰安旅行特別列車(エスケーピングコリアン号)に乗車していたのである。
二人が乗っているのは、編成の最後尾に連結された特別車である。
本来は朝鮮王族が使用するためのものであるので、この豪華さも当然のことであった。
「……でもまぁ、これが北朝鮮だとは信じられないなぁ」
「そうなの?」
「僕の生きていた世界だと、ここら辺は禿山だったはずだからね」
時速130km/hで過ぎ去っていく車窓からの景色は、緑の山々である。
牧草しか生えていないとはいえ、史実では禿山だった景色が緑化されているのはテッドの想像の範囲外であった。
朝鮮半島を実質的に支配している極東朝鮮会社(FEKC Far East Korea Company)が朝鮮半島で開発に着手したころから、朝鮮半島の緑化が進められていた。
もちろん、善意ではない。
雨が降る度に土砂崩れが頻発する鉱山では、安心して採掘出来ないからである。
緑化は、空飛ぶ巨大な怪鳥――シエルバ W.11T エアホースによって大規模かつ迅速に実施された。史実では、タンガニーカ落花生計画の農薬散布機として完成しながらも計画の白紙化によって破棄されてしまったのであるが、この世界では本来の用途で大々的に使用されたのである。
緑化の方法は肥料・種子・養生材を上空散布するというシンプルかつ確実なものであった。散布した種子は、王立植物園の植物学者がセレクトした品種であり、土地の痩せた朝鮮半島でも問題無く成長していったのである。
(〇ィ〇ドウ〇XPの壁紙みたいな光景だなぁ……)
未だにまばらな部分も目立つものの、緑化開始から3年で朝鮮半島の禿山は緑の丘となった。もっとも、テッドの第1印象は史実の某OSの壁紙であったが。
「うーん、思っていたのと違うなぁ……」
「何が違うの?」
その後、列車に揺られること3時間余り。
途中で幾度ものマルヴィナの誘惑――もとい、肉体言語に屈しそうになりながらも列車は釜山に到着。ここからは船である。
「いや、生前から憧れだった鉄道連絡船に乗れたというのに、車内から出られないってのはあんまりだなと……」
「そんなこと言っても、船内に客室設備は無いのだからしょうがないじゃない」
「それはそうなんだけど……」
船と言っても乗り換えるわけではない。
日本と朝鮮の鉄道は標準軌であるため、列車ごと船に積み込む車両航送が実現していたのである。
しかし、この世界の日本と大韓帝国には制式な国交が結ばれていないために人の行き来は皆無であった。この世界の釜関連絡船は、朝鮮半島からの資源輸出に特化した航路となっていたのである。
「退屈ならば運動をしましょう」
「えっ?」
言うが早いか、マルヴィナはテッドを押し倒す。
こうなると、体格も膂力も劣るテッドは逃げられない。
「そんな、まだ日が高いのに……!?」
「問答無用」
「っあーっ!?」
テッドたちが乗船している『福江丸』には最初から客室設備は備えられていなかった。ウォッチガードセキュリティの面々は、列車に乗ったまま8時間かけて海を渡ることになったのである。
『……大英帝国を代表して、ウォッチガードセキュリティの皆様を歓迎致します。此度の慰安旅行で、日本の皆様との良き関係を築けることを切に願っております』
格調高いキングズイングリッシュがホーム内に響き渡る。
下関駅では、『英国全権大使』による歓迎式典が開催されていた。
「おぉ、さすがというべきか。良く化けたなぁ」
「そうね。わたしも遠くからなら分からないわ。近くなら匂いで分かるけど」
「なにそれ怖い」
テッドとマルヴィナは、ウォッチガードセキュリティの面々に紛れ込んでいた。
単体では目立つことこの上ない両名であったが、ウォッチガードセキュリティの連中に囲まれると埋没してしまう。
テッドの隣に立つマルヴィナは男装していた。
爆乳をさらしで潰し、髪は結い上げてベレー帽で隠す。元々が大柄で筋肉質なので、それだけでも見た目は完全に男性と化していたのである。
「それにしても、よくもあそこまで声真似出来るよなぁ。目の前で話されると不気味なことこの上ない……」
「わたしは騙されないわよ? 声真似しようとして力が入っているせいで、自然体のテッドの声を身近で聞いていると違和感を感じてしまうのよ」
「……〇田〇夫とク〇カンの違いってやつなのかなぁ?」
マルヴィナは酷評しているが、聞き比べても分からないくらいのレベルの声真似である。身近な人間ですら騙されるレベルであり、何も知らない人間なら絶対に気付けないであろう。
「……あれはテッドが緊張したときにする仕草ね」
「え? そんなことしてたっけ?」
「無意識でしてしまう仕草は、他人から指摘されないと分からないものよ」
目の前の全権大使が、唇を舐めたのを見逃さないマルヴィナ。
自分では気づけない無意識の仕草を指摘されて驚くテッド。
「完璧とは言えないけど、あの短期間でよくぞ化けたと思うわ。あれなら何も知らない人間は気付けないでしょう」
「そりゃもう、大金を積んだからね。これくらいはやってもらわないと困るよ」
歓迎の挨拶を続けている全権大使は、奇術師ジャスパー・マスケリンの変装であった。背格好だけでなく、声帯模写と仕草を真似ることで完全にテッドに擬態していたのである。
史実ではマジックギャングとして有名なジャスパー・マスケリンであったが、その働きに応じた名誉を得ることが出来ずに失意のうちに亡くなった。
円卓で史実の最期を知った彼は、承認欲求の鬼と化した。
奇術師として己にひたすら磨きをかけて、大舞台に立てる日を渇望していたのである。
(お、スポンサー様が見ておられる。ここは完璧に演じて見せねば……!)
そんな彼であるから、今回の影武者の依頼は渋った。
それはもう、けんもほろろな対応だったのであるが……。
『依頼を受けてくれたら、日本武道館で奇術ショーを開催するのを全面的にバックアップする』
――との、テッドの言葉であっさりと翻意した。
彼は自らの奇術師としての技量に絶対の自信を持っており、同盟国で大規模な興行を成功させれば本国へ凱旋出来ると考えたのである。
当然のことながら、イベント開催にかかる費用は全てテッドの負担である。
慰安旅行とは別件で大金が必要になることに頭を抱えたのであるが、もはや退けないところまで来てしまった。毒を食らわば皿までである。
ちなみに、日本武道館で奇術ショーを開催することが後に大問題となる。
日本武道館は史実では戦後オリンピック期の建設であるが、この世界では既に完成していた。当然ながら平成会の差し金であろうし、頼み込めばすんなりと了承をもらえると思っていたのであるが……。
『悪い事言いませんから、日本武道館の使用は止めてください』
『なんでさ? 今の帝都に規模的に適当な多目的ホールはあそこしかないでしょ?』
『いや、その、確かにそうなんですけど……』
『……ひょっとして、裏事情とかあるの?』
『あそこは確かに平成会が関わっていますが、とある団体からの脅し――じゃなかった、陳情で建てられたものなんですよ』
『じゃあ、そっちに頼みに行ってくる!』
『ちょ!? 止めてください!? たとえドーセット公でもタダではすみませんよ!?』
奇術ショーの開催予算を少しでも削るべく腐心するテッドに、平成会からの警告は届かなかった。とんでもない修羅場にテッドは放り込まれることになるのであるが、それはまた別の話である。
(あれがテッド・ハーグリーヴスか……)
アグネス・スメドレーは、望遠レンズを付けたグラフレックスで被写体を捉える。ファインダー越しに映る英国全権大使は、非の打ち所がない紳士ぶりであった。
史実と同様に彼女は女性ジャーナリストとして活動していた。
あくまでも表向きは、であるが。
(本部からは要注意人物とのことだったけど……)
スメドレーは、コミンテルンの協力者である。
ジャーナリストとして方々に取材する傍ら、コミンテルン本部の指令を受けて情報収集を行っていた。
この世界においても、第1次大戦後にコミンテルンが結成されていた。
史実と異なるのは、欧州で大英帝国が睨みを利かせているために、その活動範囲が縮小かつ限定的なものにならざるを得なかったことであろう。
日本においても、コミンテルンの該当国からの入国者は大日本帝国中央情報局と公安の厳しいマークに晒された。そんな中、アメリカ人であるスメドレーはノーマークだったので重宝されていたのである。
(そして、こいつらが本命のウォッチガードセキュリティか……)
カメラを濃紺の服を着た集団へ向ける。
スメドレーの任務は、ウォッチガードセキュリティに関する情報収集であった。
1925年にソ連は赤軍を朝鮮半島に派遣したが、朝ソ国境付近において壊滅した。当時のソ連は、赤軍を派遣したこと自体を闇に葬り去ったので捕虜交換も出来ず、ウォッチガードセキュリティの存在すら知り得なかったのである。
派遣した部隊は当時の極東ソ連軍の精鋭であり、赤軍上層部は恐慌状態に陥った。ついでに、スターリンの逆鱗に触れて多数の将官がシベリア送りにもされた。
その後の調査で、派遣した赤軍部隊がウォッチガードセキュリティに殲滅されたことを突き止めたのであるが、大韓帝国はソ連との国交を断絶したために以後の調査は難航していた。
そのウォッチガードセキュリティが、慰安旅行のために来日するという。
情報収集の絶好のチャンスであることは言うまでも無いことである。
(えっ?)
ファインダー越しに感じた違和感。
慌てて、カメラを向け直す。
(気のせいか……いや……まさか、そんな……)
被写体は、ウォッチガードセキュリティの隊員であった。
ベレー帽に隠れて見えづらいが、金髪碧眼の白人に見える。あらためて演説台に立つ男と白人を見比べたが、完全に一致していた。
(偶然の一致? それとも影武者?)
悩むスメドレーであったが、重要なのはそこでは無い。
どちらが本物なのか、である。
普通に考えれば、演説台に立つ男が本物であろう。
しかし、ここで彼女はあることに気付く。
(隣の黒人は何処かで見たような気がするわ……)
必死に記憶を辿る。
180を優に超える大柄でマッシブな褐色肌の持ち主であり、細長い鼻梁と切れ長の眼をしたハンサムである。一度見たら忘れられないはずであるが……。
(ま、まさか、ハーグリーヴス婦人……!?)
ありえないと内心で全力否定する。
しかし、よく見れば髪をアップにして帽子に隠しているように見えるし、胸元が不自然に膨らんでいる。
(そ、そんなことあるわけ無いわよね……)
力無くホームの柱にもたれかかる。
あり得ないことが目の前で繰り広げられていることを理解してしまったために、彼女の正気度は容赦無く削られていたのである。その表情は青ざめ、両足は生まれたての小鹿の如く震えていた。
(そうだ、夫に話そう……)
SAN値直葬を喰らったスメドレーは、足取り重くホームを歩く。
その行先は公衆電話であった。
「よくぞ集まってくれた! 我が精鋭たちよ!」
多少、いや、かなり芝居がかった口調で吠える眼鏡をかけた男。
ノリノリに見えなくもないが、じつはヤケクソ気味なだけである。
眼鏡をかけた男――眼鏡くんは平成会の面子の中で最もプレゼン力に優れた男である。この手の説明会に引っ張りだこであり、テッド・ハーグリーヴスを接待した男として平成会内部では有名人であった。
歓迎式典の真っ最中であったが、鉄道関係者は鉄道省の一室に集められていた。
全員が、鉄道省と私鉄に所属しているエース級のスジ屋である。
ちなみに、スジ屋というのは列車運行図表を作成する職人のことを指す。
列車のダイヤを作成する専門家であり、複雑なグラフ状の線(筋)を引くことからスジ屋と呼ばれているのである。
「すみません、今回呼ばれたのはどのような用件なのでしょう?」
集められた者の疑問は当然のことであろう。
彼らは、何も聞かされずに招集されたのである。
「……あなた方には、エスケーピングコリアン号のスムーズな運航のための補助についてもらいます。まずは手元の資料の1ページ目を開いてください」
眼鏡くんお手製の資料に目を通したスジ屋たちに動揺が広がる。
彼らの目に映ったのは、機関車牽引式の長大編成であった。
「すみません、この列車の軸重だと一部通過出来ない路線があるのですが?」
「その場合は、私鉄沿線を利用して迂回してもらうことになります」
エスケーピングコリアン号の仕様を見た鉄道省のスジ屋から疑問の声があがる。
この軸重では、幹線の通過は問題無くても支線の通過には支障をきたす恐れがあったのである。
日本国内の標準軌化は既に完了していたのであるが、応急工事で暫定的に対応した箇所も多かった。そのような場所は、保守点検時に工事して対応することになっていたのである。
それでなくても、日本は地盤が軟弱で諸外国よりも軸重が低めに設定されているのである。そんなところに、欧州式の重量級機関車を走らすこと自体が無謀であった。
ちなみに、安定陸塊である朝鮮半島は地盤が固く安定しているために重量級の機関車を走らせることに何の問題も無かった。史実でKの国が〇GVもどきを走らせている理由の一つである。まぁ、最大の原因は反日であろうが。
「そ、その場合のダイヤはどうなるのでしょう?」
「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応してもらうことになります。そのために、スジ屋の皆さんに集まってもらったのです」
「そんな無茶な!?」
フ〇ーク准将と化した眼鏡くんの言葉に、スジ屋たちから悲鳴が上がる。
エスケーピングコリアン号は全長320メートルもの長大編成であり、日本が誇る超特急『燕』の2倍以上の長さである。そんなものが、日本全国の鉄路を走り回るというのは鉄道関係者にとっては悪夢でしかない。
「〇っとけダイヤならなんとかなるだろ」
「いやいや、カメ〇オ〇ダイヤという手も……」
「何を言う。逝け〇分かる〇ダイヤをだな……」
混乱状態に陥る鉄道省と私鉄のスジ屋を他所に達観しているのは、平成会所属のスジ屋である。生前の彼らは〇急や小〇急、名〇のカオスな状況で鍛えられた強者だったので、この程度では動揺などしないのである。
しかし、彼らの状況認識はまだ甘かった。
エスケーピングコリアン号は遅延や早着が頻発し、その場の都合で行先が変更されることも日常茶飯事であった。リアル桃鉄待った無しのカオスな状況に、さすがの彼らも絶叫することになるのである。
「尾崎さん。電話の対応をお願いします」
「誰からです?」
「それが女性からとしか……英語なので、尾崎さんにお願いするしかないんです」
「……分かりました」
大阪朝日新聞の編集部。
記者である尾崎秀実は、女性からの電話を受けていた。
「ハロー?」
『あぁ、やっとつながった。ホツミ、久しぶりね……』
「アグネスか!? 何処からかけてるんだ?」
『下関ステーションよ。ウォッチガードセキュリティの取材をしているの』
この世界では尾崎とスメドレーは夫婦であった。
史実よりも出会った時期が早かったことと、平成会によって国際結婚の関連法律が整備されていたことが大きな原因である。
ちなみに、史実の尾崎秀実は実の兄の嫁と不倫の末に結婚したあげくに、スメドレーとも情交を重ねた女癖の悪い人物であったが、この世界の二人は思想的にも恋愛的にも相思相愛なラブラブカップルであった。
「ウォッチガードセキュリティ……と、いうことは例の件か?」
英語で会話しているので、内容バレするリスクは低いのに自然と小声になる。
尾崎もスメドレーと同様にコミンテルンの協力者であった。
『ウォッチガードセキュリティにテッド・ハーグリーヴスがいたの!』
「いや、歓迎式典の主賓なんだから、いるのは当然だろう?」
自分の知る彼女らしくない言い回しに、尾崎は顔をしかめる。
『違うの! ウォッチガードセキュリティの隊員に彼がいたの!』
「……要するに、全権大使は影武者で当の本人は隠密行動をしていると?」
『だから、そう言ってるじゃないのっ!』
「いや、言いたいことは分かるんだが、理解するのを拒否したいというか……他人の空似の可能性だってあるだろう?」
普通ならば一笑に付すような内容である。
しかし、愛する妻の尋常でない様子を感じ取った尾崎は明晰な頭脳をフル回転させる。
(アグネスの言うことが事実であるならば、全権大使とウォッチガードセキュリティに何らかの関係があるのは確実だ)
(朝鮮半島の争乱に彼が関与していたとみるべきだろう)
(しかし、現在の全権大使は英国本国に極めて太いパイプを持つと聞く。とすれば、本国の指令無しに動くとは思えない……)
ここまで考えて尾崎は戦慄する。
考えれば考えるほど、最悪な未来しか想像出来なくなってしまったのである。
現在のソ連は、西ヨーロッパ方面で圧力をかけられており、その対応に苦慮していた。西欧諸国の盟主的な立場となったドイツ帝国が、周辺国を巻き込んでソ連との対決姿勢を打ち出していたからである。
(日本が大陸から撤退したことで本部は楽観視しているようだが、それは間違いなので無いか?)
(ひょっとして、英国は朝鮮を拠点にして極東方面からソ連を締め上げるつもりなのではないか?)
ドイツ帝国の動きに、英国の影があることをコミンテルン側は突き止めていた。
極東方面でも同じことが起きない保証はどこにも無いのである。
(現時点ではともかく、将来的には中華民国と満州国がソ連の背後を脅かしかねない)
(西側からはドイツ帝国を筆頭とした西欧諸国連合が、東側からは中華民国と満州国、これに加えて大韓帝国までもが加わるとしたら……)
尾崎の脳裏に浮かんだのは、東西から挟撃されるソ連の姿であった。
彼は軍事的常識には疎かったが、それでもソ連の行く末は想像出来た。
「……アグネス。事態は想像以上に深刻のようだ。本部に指示を仰ぐから、君は連中に張り付いてくれ」
『分かったわ』
電話を終えた尾崎は、急用が出来たと同僚に言い残して外出する。
尾行を警戒しつつ、彼が向かった先は駅前のタクシー乗り場であった。
「出してくれ」
「了解。仕事ですか?」
タクシー乗り場で、尾崎は黒塗りのAA型に乗り込む。
この運転手も、コミンテルンの協力者である。
「ああ。適当に市内を流してくれ」
「了解」
シンクロメッシュ機構を採用した変速機は、流線形のボディを滑らかに発進させる。この世界ではAA型が既に販売されており、先行しているライバルの日産オースチンに比べて本格サイズで装備も豪華であった。
史実同様に、当初は官公庁やタクシー会社向けの販売だったのであるが、オースチンに飽きた富裕層が飛びついて爆発的な売れ行きとなった。そのため、最近の大阪では見かけることが多い車種である。
「あぁもう、相変わらずこいつの解除は面倒だな……」
「我慢してください。バレないように偽装するの大変なんですよ?」
愚痴を言いつつも、尾崎が前部座席の背面側を弄ると隠された通信機が飛び出てくる。この車両は見た目こそ普通のタクシーであるが、コミンテルン本部と直接交信出来るように通信機材が搭載されていた。
「ハローCQ ハローCQ ハローCQ。こちら、オットー。オスカー、タンゴ、タンゴ、オスカー……」
時間も惜しいとばかりに機材を弄る。
既に何度も通信しているのか、手慣れた様子である。
ちなみに、尾崎が使用しているコールサインは単なるコードネームである。
これは身元がバレないようにするための配慮である。
この世界のアマチュア無線は、史実戦後に準ずる法改正が既になされていた。
比較的簡単に無線免許の取得が可能になったのであるが、コールサインと住所が紐づけされてされているので、コールサインを聞かれたら身バレする危険性があったのである。
『……同志、音声通話ということは緊急の案件か?』
多少ノイズが入っているものの、それでも聞き取るのに問題は無い明瞭な音声がレシーバーから聞こえてくる。走行中のタクシーから発信された短波は、遠く離れたソ連の地まで到達していたのである。
「英国全権大使がウォッチガードセキュリティに同行中。両者が関係している可能性極めて大と思われる」
『それは確かな情報か?』
「同志スメドレーが、直に確認した。現在も貼りついている」
『……了解した。至急、同志スターリンに指示を仰ぐ』
尾崎は通信を終了すると無線機材をシートに収納する。
さらに、カメラを取り出して車窓から市内を撮影し始める。
「尾行はついてないか?」
「今のところは大丈夫です」
ルームミラーで頻繁に背後を確認する運転手。
モータリゼーション化が著しいとはいえ、史実日本に比べれば車種のレパートリーが少ないために、同色同車種が道路を占拠していた。そのため、尾行されると分かりづらかったのである。
「念のため、遠回りして駅前までやってくれ」
「了解」
今のところは疑われていないようであるが、いつ公安の取り調べを受けるか分からない。多少不審なことをしていても、取材で押し通せるように常日頃からアリバイ作りに励んでいたのである。
「はい、あーん」
「あ、あーん……」
目の前に差し出された、とらふぐの唐揚げを口に入れるテッド。
プリプリした歯応えと白身魚の淡泊な味わいに、サクサクでカリッとした衣の食感は絶品である。
「おいしい?」
「うん。凄く美味しい」
「良かった。はい、あーん」
「い、いや、自分で食べれるから……」
隣に座るマルヴィナは、テッドの意志などおかまいなしに料理を勧めてくる。
彼女の褐色肌は赤みを帯びて火照っており、その傍には一升瓶が数本転がっていた。気のせいか、目も座っているように見える。
「あーん」
「い、いや……」
「あーん」
「……あーん。ん、おいしい」
職人業の極致とも言える極薄のふぐ刺しを、マルヴィナは箸で器用に掴む。
彼女の雰囲気と圧力に逆らえないテッドは、目の前に差し出されたふぐ刺しを口に入れるのであった。
(それにしても、なんでこうなった……)
テッドは、目の前のカオスな光景に頭痛を覚える。
浴衣姿のゴツイ男たちが、ご機嫌に大騒ぎしていたのである。
慰安旅行初日の宿泊先は、下関の春帆楼であった。
史実では100年以上の歴史を持つ由緒ある旅館であり、下関の迎賓館の異名を持つ超高級旅館でもある。
当然ながら、宿泊費用はかなりの金額となる。
300名もの大所帯が完全貸し切りというだけでもヤバいというのに、それに加えて……。
「あ、ちょっと!? わたしは仕事なのでお酒は勘弁してくださいっ!」
「まぁまぁ、そう言わないで一杯くらい良いだろ?」
「ちょ、もがもがもが!?」
強引に酒を飲まされている平成トラベルの通訳兼ツアコン。
彼が、お大尽なコースを設定したせいでバカ高い宿泊費用がさらに跳ね上がっていたのである。
「テッド……」
「ちょ、マルヴィナ!? みんな見てるし!?」
マルヴィナが右手でテッドを抱え込む。
空いてる左手は股間に伸びる。
「……此処じゃ無ければ良いのね?」
「えっ?」
言うが早いか、テッドをお姫様だっこして宴会場をダッシュするマルヴィナ。
目の前で騒ぐウォッチガードセキュリティの隊員を、器用に避けつつ、避けれない輩は蹴り飛ばして驀進する。
「ふ、ふふふ……着いた……」
「あの、マルヴィナさん?」
お姫様抱っこしたまま、一気に部屋まで到着する。
相変わらず驚異的なフィジカルである。さすがに、呼吸は乱れて汗だくであったが。
「さぁっ! 犯るわよっ!」
「ちょ、待って!?」
浴衣を一気に脱ぎ去るマルヴィナ。
その下は際どいデザインをした黒い勝負下着のみ。息つく暇もなくマウントポジションに移行する。
「んむーっ!?」
そのまま両手でがっちりとテッドの頭部を固定して、正面から熱いキスを敢行する。呼吸が出来なくなって混乱するテッド。
しかし、マルヴィナも無事では済まなかった。
日本酒を一升瓶で数本空けた状態でテッドを抱えて全力移動した結果、一気に酔いが回ってしまったのである。
「「……」」
マルヴィナはテッドを圧し潰すようにして昏倒した。
テッドも酔いと呼吸困難で意識消失してしまい、二人とも仲良くおねんねするハメになったのである。
ウォッチガードセキュリティの隊員たちも同様であった。
飲み慣れない日本酒を、口当たりが良いからとパカパカ空けてしまったために、全員が二日酔いで地獄の苦しみを味わうことになったのである。
結局、翌日出発のはずが急遽予定を変更することになった。
予定が狂ってしまい、関係者は埋め合わせに奔走することになったのである
ウォッチガードセキュリティの慰安旅行は波乱の幕開けとなった。
しかし、こんなものは序の口に過ぎなかった。さらなるトラブルとハプニングで、関係各所を振り回していくことになるのである。
以下、今回登場させた兵器のスペックです。
福江丸
総トン数:2910t
全長:118.0m
全幅:15.85m
機関:過熱器付き乾燃室円缶6基+川島式2段減速歯車付衝動タービン2基2軸推進
最大出力:5800馬力
最大速力:18ノット
航海速力:15.5ノット
貨車積載数:ワム換算42両
この世界の釜山―下関航路に投入されている鉄道連絡船。
同型船は『久賀丸』『ツブラ丸』『椛丸』『奈留丸』『多々良丸』『尾根尾丸』『若松丸』
史実では計画のみに終わった釜関航路の鉄道連絡船として建造された船であり、多数の同型船が昼夜を問わず朝鮮半島から資源を満載した貨車を積んで対馬海峡を横断している。
現時点では大韓帝国と日本との間に正式な国交は樹立されていないため人員の行き来は考慮されておらず、純粋に車両渡船として完成したために客室設備は最初からオミットされている。
既に実用的な船舶用ディーゼルエンジンが実用化されているのに、敢えて石炭蒸気タービンを使用しているのは朝鮮半島から産出される安価な石炭を燃料にしているためである。
石炭焚きの船ではあるが、給炭作業の省力化やメカニカルストーカー(自動給炭装置)の採用など新機軸を多数取り入れた結果、従来船よりも低燃費で航海速力に優れる船であった。
※作者の個人的意見
モデルにしたのは、史実の青函連絡船である石狩丸(初代)です。
以前のさんふらわぁ丸と同じく、ディーゼルを積んでも良かったのですが、それじゃ面白くないので理屈をこねて石炭焚きにしてみましたw
実際、石炭なら100%国内自給出来ますし、この時代なら重油よりも石炭のほうが安価ですからね。でも、尖閣油田が本格稼働したら重油専燃化されるかもしれません。
トヨタ AA型
全長:4.78m
全幅:1.73m
全高:1.73m
重量:1.5t
速度:120km/h
エンジン:A型水冷直列6気筒OHV 80馬力(グロス値)
変速機:前進3段・後進1段 (フルシンクロメッシュ)
乗員:5名
この世界におけるトヨタの初の量産車。
平成会内部のトヨタ愛好者からの極秘の資料&技術提供により完成までこぎ着けた。
英国から導入したマザーマシンがメートル法に対応していたため、史実のインチでは無くメートル法で設計製造がなされている。トヨタ愛好家がコネを利かせて英国本国から大型プレス機を大量に導入した結果、大量生産が可能となり後に大幅な値下げが実現している。
史実オリジナルに比べて性能が向上しているのは、使用部材や燃料の高品質化が大きい。
『ダブルクラッチの車なんて運転する自信が無い』
――という、平成会ユーザーの声も取り入れて当時は先進的であった変速機のフルシンクロを実現させている。
この時代では、海外から輸入される高級車を除けば最高峰の性能を誇る国産車であり、ライバルの日産オースチンを駆逐していくことになる。多数のボディカラーや、フェートン仕様など派生車種も充実している。
当初は史実同様に官公庁やタクシー会社向けであったが、医者や弁護士といった裕福な層がオースチンからこぞって買い替えた。ライバルの猛追に焦った日産は、オースチンに変わる車を急いで開発することになる。
コミンテルンに改造された車両は、ベンチシート形状の前部座席の背もたれ部分に短波送受信機が内蔵されており、走行中に無線交信が可能になっている。なお、アンテナは天井に沿うように実装されており、こちらもぱっと見では分からないように偽装されている。
発信源は分からなくても電波の探知そのものは容易だった史実とは異なり、この世界の日本はラジオやアマチュア無線の電波銀座とでも言うべき状態であった。それ故に、発信そのものを探知することすら難しい状態であった。まして、車両に搭載して移動しながら通信されると特定は絶望的であった。
JCIAや公安はその対策として、史実の電波監視システムであるデューラス(DEURAS:Detect Unlicensed Radio Stations)の整備を急ぐことになる。
※作者の個人的意見
平成会のトヨタ党が関わってしまったせいで、オリジナルよりも高性能になってます。フルシンクロなので、ダブルクラッチ要らずで運転も簡単!AT限定?(´・ω・`)知らんがな
この世界では、日産がフォード、トヨタがシボレー的な立ち位置です。
というか、史実でもそのまんまな気がしますけど。
他のメーカーについても、本編でちょくちょく描写していくつもりです。
モータリゼーション全般を自援SSで書くのも面白そうですね。
いよいよ、慰安旅行編の開始です。
初っ端から波乱含みですねw
>〇ィ〇ドウ〇XPの壁紙
思い浮かぶのはあの光景です。
思い浮かばない人は、ググるとよろしいですよ(*´ω`)
>〇田〇夫とク〇カンの違い
おいらはどっちも大好きなのですが、前者のほうがアドリブで笑わせてくれましたねぇ。
>日本武道館
現時点であまり書くとネタバレになるので書けませんが、大日本武徳会武道専門学校(武専)が関わっています。この世界の武専は、マッチョな詰襟が大勢いる〇塾のようなヤバい連中です(酷
>アグネス・スメドレー
史実だと尾崎秀実の愛人ポジのような気もしますが、彼の正妻は不倫で略奪婚だからこっちが本命なんですかねぇ?この世界では史実よりも早く出会っているのと、平成会の女性権利向上政策のおかげで国際結婚がしやすくなったので、速攻でラブラブカップルになっていますw
>コミンテルン
大英帝国が睨みを利かせているので、こそこそと活動しています。
主な構成国は、ソ連、フランス・コミューン、そしてアメリカです。アメリカが構成国になっているのは、史実と同様にアメリカ共産党がコミンテルンのアメリカ支部だからです。とはいえ、FBIに睨まれているせいで地下での活動を余儀なくされています。現時点では、ですが……。
>大韓帝国はソ連との国交を断絶
別に英国が大韓帝国に指示したわけではありません。
ウォッチガードセキュリティが、あまりにも一方的に赤軍を殲滅したのにビビッて忖度しただけです(棒
>眼鏡くん
相も変わらず便利屋として扱き使われています。
そこはかとなく、リスペクト元の某総理を彷彿させるのは気のせいですかね……?
>スジ屋
列車のダイヤを組む鉄道にとっては無くてはならない職業です。
21世紀になっても、紙と鉛筆と定規で日々戦う人々でもあります。
>高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応
分からない人は銀英伝を見るべし。
って、そんなことしなくても単独でネタとして成立しちゃってますねw
>リアル桃鉄待った無し
あっちはゲームだから、スゴロクゲームとして成り立つけど、リアルであんな列車運用されたら鉄道関係者が死ぬでしょうね。主にスジ屋さんが臨時ダイヤを組むのに血反吐を吐きそう……(哀
>ドイツ帝国
英国がドイツをヨイショしたのと、ヴィルヘルム2世の性格もあって最近は欧州の盟主を気取っています。ちなみに、二重帝国は未だに健在です。カール1世の奮闘もあるのですが、ソ連という共通の敵が存在することが大きいです。崩壊することになったら、欧州の盟主さまに全てを押し付ければ済むので問題無しです。そのために、盛り立てたのですし……(冷笑
>トヨタ
トヨダではありません。
トヨタです。理由も史実と同様です。
>AA型
史実でトヨタが再現したAA型に近いです。
使用部材の品質や部品精度が史実よりも向上してしまったせいで、予期せぬパワーアップを果たしました。この時代の車としては運転しやすいほうですが、生前にAT限定だった人には厳しいでしょうねw
>日産オースチン
この世界の日本で最初に量産された自動車です。
オースチン7を日本向けに若干手直したモデルで、最初はノックダウンから始まりましたが現時点では完全に国産化されています。
>音声通話
通常は暗号モールスを使用するのですが、今回は緊急事態なので音声通信となりました。使用する電波が短波なので、アマチュア無線で海外と交信するようなイメージですね。
>公安
史実の特高警察です。
有能さも引けを取りませんが、史実よりは人道的なはず。主に拷問的な意味で(震
>とらふぐの唐揚げ
筆者の近所に店が無いから食べれません(´;ω;`)
ネットを漁るとレシピはあるので、気が向いたら作ってみようかな……。
>春帆楼
日本のふぐ料理公許第一号の老舗ふぐ料理店です。
伊藤博文が愛した店として、現在は高級旅館として100年以上の歴史がある由緒正しいお店です。そんなところに完全貸し切りで300人以上宿泊とか、いったいどれだけお金がかかるのやら……。
>平成トラベルの通訳兼ツアコン
慰安旅行の案内人兼通訳兼監視役。
同一人物というわけではなく、現地で合流という形となるので大勢います。今後も死なない程度に酷い目に遭うことが確定していますw
>日本酒
日本酒は悪酔いしやすいと言われていますが、じつは日本酒はストレートで飲む酒としてはかなり度の強い酒だったりします。ウィスキーはストレートだったら、ちびちび飲みますし、ロックや水割りにするとアルコールは薄まります。口当たりが良いからと調子に乗って飲みまくるから二日酔いになってしまうわけです。