第64話 それぞれの陣営の思惑(自援絵有り)
「わたしは2枚目のほうが良いと思います」
「陛下と同じく、わたしも2枚目が良い感じですなぁ」
「僕も2枚目ですね。3枚目も捨てがたいですけど」
宮城の一室。
テーブルに据えられた蓄音機から流れる玉音を、今上天皇、珍田捨巳侍従長、テッドの3人が熱心に聞き比べていた。
「では、多数決で2枚目を採用とします」
テッドが厳かに宣言する。
蓄音機からレコードを外し、専用の容器に厳重に密封していく。
「……これで、関東軍が降伏してくれると良いのですが」
「そうですな。無用な犠牲を出さないに越したことはありません」
複雑な表情でハーブ茶を口にする今上天皇。
その横で、お茶請けのパウンドケーキを食べるのは珍田である。
茶葉をセレクトしたのはテッド自身である。
乾燥に潤いを与えるだけでなく、炎症を鎮める効果もあるマーシュマロウは喉を使った後に飲むのに最適であった。
ちなみに、マルヴィナが焼いたパウンドケーキがお茶請けである。
野菜を練りこんだ生地は、優しい甘さでハーブティと見事に調和していた。
「大丈夫です。史実でも陛下の玉音放送に国民はひれ伏しましたからね」
テッドがやたらと自信満々なのは、史実を知るが故である。
実際、関東軍相手に絶大な威力を発揮することになるのである。
「それにしても、音質が素晴らしい。まさかこの時代にビニール盤が実用化されているとは……! 対抗してCD作りたいけど、要素技術は……うーん、今はまだ無理か……せめて、ビー〇ル〇が世に出るまでには実用化せねば……!」
彼とて、中身は史実21世紀の日本人である。
わざわざ楽団を呼んだり、ホールに行かずとも自室で気ままに音楽を聴きたいときだってある。ちょっとばかり夢と希望が膨らみまくって、妄想を垂れ流したとしても、誰が責められようか。
この世界の英国では、塩化ビニルの大量生産技術が既に確立していた。
第1次大戦中には、代用品の材料として積極的に活用されたのであるが、そこに目を付けたのが平成会であった。
英国から技術供与を受けた平成会では、塩ビパイプやビニールハウス等、様々な用途に活用した。その中にLP盤の生産も含まれていたのである。
事の発端は、平成会のレコードマニアの取り組みであったが、最終的に平成会全てを巻き込む一大事業となった。
ウ〇ーク〇ンなどで普段から音楽と身近な生活を生前に送っていた者からすれば、この時代は殺風景に過ぎる。そんなわけで、レコード製造メーカーを買収すらして実用化に血道をあげたのであった。
ビニール盤は、シェラック盤よりも安価で大量生産に向いていたが、現状では未だに高嶺の花であった。この問題を解決するために開発されたのがソノシートである。
ソノシートは、史実では1958年にフランスで開発された。
通常のレコードと異なり、容易に曲げることができる程度に薄く柔らかい構造で運搬に適しており、しかもLP盤よりも桁違いに安く作れる。その代償として、音質は悪かったのであるが。
史実においてソノシートは、雑誌の付録として使用がメインであった。
この世界の日本では、役者の声や流行歌、果てはRPGのリプレイなどなど、音が出る画期的なアイテムとして、あっという間に市民権を得ていったのである。
さらに、レンタルビデオならぬレンタルレコード店が続々と開店、メーカーの企業努力で蓄音機の価格破壊も進んだ結果、戦前において一家に一台を達成することになるのである。
「……こほん、失礼しました。とにかく、陛下の玉音と降伏ビラがあれば効果てきめんです。即刻、関東軍は降伏することでしょう!」
我に返ったのか、咳払いをして強引に話題を戻すテッド。
((ふ、不安だ……))
自信満々なテッドに、今上天皇と珍田の思いは共通であった。
しかし、それを表に出さない程度には彼を信頼していたのである。
「やれやれ、出世出来たのは嬉しいが、素直に喜べないな……」
「他の派閥の連中からは、親の仇のごとく睨まれるしな」
「恨むのなら、ドーセット公を暗殺しようとした永田と石原のせいだろうに」
帝都の陸軍省の一室。
殺風景な室内では、真新しい階級章を付けた男たちがぼやいていた。
彼らは平成会に所属しながらも、軍人になった奇特な人間の集まりである。
現在の陸軍はドーセット公暗殺未遂に端を発した大粛清の真っ最中であり、彼らは意に沿わない出世をするハメになっていた。
「最近やたらと注目されてるような気がするが、うちらって派閥なのか?」
「人数的に派閥どころか、サークルと言われても違和感が無いんだが?」
「向こうはそうは見てないんですよねぇ……」
彼らは陸軍内では平成会派として認知されていた。
今回の一件で注目されているとはいえ、人数的にも影響力的にもまだまだ弱小派閥であった。
「「「……とりあえず仕事するか」」」
ため息をつく平成会のモブ軍人ズ。
大粛清によって陸軍が混乱の渦中であったとしても、事態は待ってくれないのである。
「確か、連れて行くのは近衛師団だったな。内訳は?」
「歩兵2個連隊に、砲兵に工兵、戦車1個中隊です。それにプラスして、現地で1ヵ月は行動出来るだけの物資もですね」
彼らの目下の任務は、中華民国へ派遣する近衛師団の輸送計画の策定であった。
本来ならば、師団に必要な需品の手配や輸送計画は陸軍運輸部の担当であるが、肝心の運輸部は大粛清に巻き込まれてそれどころでは無かった。
中華民国への近衛師団の派遣は至上命題であった。
しかし、煩雑な輸送計画を短期間で完成させるなど無理筋である。誰もが失敗すると分かっている案件を好き好んで引き受ける人間もいない。で、あればどうするか?
その答えは生贄を用意することであった。
平成会派は、最初から貧乏くじを引かされていたのである。
しかし、陸軍の大多数は平成会派を甘く見ていた。
ここから、彼らの大逆襲(?)が始まったのである。
「……と、すると数字はこんなもんか。ぽん、ぽん、ぽんっとな」
数字が配列されたボタン群――史実で言うところのテンキーで数字入力をすると、目の前の蛍光表示管に瞬時に数字が表示される。
「うーん、やはり電卓に比べると見劣りするというか……」
「文句言うな。この時代なら画期的なんやぞ!? それともタイガー計算機を使うか?」
「あれは勘弁してくれ。ハンドル回し過ぎて腕が痛いのを思いだしちまう」
モブたちが扱っているのは、平成会が試作した電子計算機であった。
完全オリジナルというわけではなく、史実21世紀に造られた真空管コンピューターのパクリである。
オリジナルとの最大の違いは、使用されていた550個のソ連製真空管(表示部を除く)をVFDに置き換えたことである。
VFDは、原理的には3極真空管の一種である。
真空管よりも小型軽量で省電力、発熱も無いと良い事尽くめであるが、特筆すべきはその寿命である。
軍用メタルGT菅でも3000時間で玉切れしてしまうのに、VFDだと標準品でも10万時間は使用に耐える。事実上、玉切れは無いも同然であった。
テンキー入力対応、表示部分を10進数表示と浮動小数点に対応させるなど独自の改良が施された結果、電卓と同等の使い勝手と、デスクトップパソコン並みのサイズにまでダウンサイジングすることに成功した。この時代なら、間違いなくオーパーツの類である。
輸送計画は、煩雑な計算の集合体である。
瞬時に答えを導ける電子計算機の威力は絶大であり、彼らは期日内に輸送計画を策定して周囲の鼻を明かしたのであった。
この偉業が陸軍内で知られるに及び、他の派閥から複雑な計算問題の処理の依頼が舞い込んだ。民間からも依頼が来るようになり、仕事量は右肩上がりに増えていったのである。
電子計算機を量産して他派閥にも使用してもらおうとしたのであるが、彼らは計算結果を求めていても自ら使おうとはしなかった。民間企業は、それなりに興味を示してくれたものの、高価で用途が限定されるために導入には二の足を踏んでいたのである。
「毎日毎日計算処理ばかり。こんなの軍人の仕事じゃないだろ!?」
「文句を言わずに手を動かせ! 期日に間に合わなかったら、どやされるくらいじゃ済まないぞ!」
「俺は前線で華々しい活躍がしたいんだよ! 火葬戦記に憧れているんじゃーっ!」
陸軍内で平成会派=計算屋という認識が完全に出来上がってしまった結果、前線任務を希望しても強く慰留されることになる。生前は自衛官だったり、バリバリのサバゲーマーだった彼らにとって、甚だ不本意なことであった。
脳筋で肉体派なモブにとっては不幸なことであったが、逆に言えば頭脳労働系のモブにとっては理想的な環境であった。数字に強いということで、技術開発や新戦術の理論構築などに関わるポストに優先して配属されることになるのである。
「……」
ため息をついて、ヴィルヘルム2世からの親書をデスクに放り出す。
総督府の執務室で蒋介石は頭を抱えていた。
親書の内容は以下の二つである。
・日本軍を中華民国へ迎え入れて満州の関東軍を排除させる。
・軍事顧問団は、再編成して日本軍と共に作戦行動を行う。
(この地に日本軍を招き入れろだと? そんなことをしたら民衆が暴発してしまう……)
一致団結するのに一番手っ取り早いのは、共通の敵を作ることである。
大日本帝国中央情報局によって散々に引っ掻き回された結果、軍閥だけでなく地域間での紛争が多発していた。そういう連中をまとめあげるために、蒋介石とドイツの軍事顧問団は関東軍を徹底的に悪役に仕立て上げたのである。
意外なことであるが、満州に居座る関東軍は中華民国へちょっかいを出したことは無い。これはクーデターで失脚した前関東軍司令官である武藤信義陸軍大将の方針に寄るものであった。
史実において武藤は、下士官出身でありながら元帥号を賜った唯一の陸軍軍人であり、人格者として名が通っていた。そんな彼が、満州の地で皇軍の狼藉を許すはずもなく、地元民への狼藉に対しては士官下士官の階級を問わずに厳罰に処していたのである。
結果として、国境付近での諍いは皆無となった。
初期の関東軍は中華民国の人民にそれほど認知されていなかったのである。
そのような状況であったから、あることないことを吹聴して悪役に仕立てるのには、それなりの苦労と時間が必要であった。もっとも、いったん勢いがつくと坂を転がるように対日感情は悪化していったのであるが。
(ドイツの軍事顧問団は国民に受けが良いから、ひとまとめにすればなんとかなるか……?)
まるで抱き合わせ商法であるが、こうでもしないと近衛師団が上陸した途端に民衆がテロに走る恐れがある。自分たちで火をつけたので自業自得であるが。
『関東軍を撃滅するために日本の近衛師団を受け入れる。これは以毒制毒である』
蒋介石は、近衛師団を受け入れる旨を演説したのであるが、これに対する反応は激烈であった。以毒制毒――いわゆる毒を以て毒を制するというわけであるが、理解は出来ても納得出来ない民衆が大多数だったのである。
行き過ぎた反日感情に反比例するように、対独感情は天元突破していた。
『世界に冠たるドイツ帝国ならば、日本鬼子なんて一捻りだ!』
――とは、当時の中華民国の世論の大多数であり、ドイツが日本を討ってくれるという期待も対独感情を後押ししていたのである。
ドイツ側としては通商路が英国と日本の影響下であるために、中華民国と日本との争いは歓迎出来るものでは無かった。しかし、ドイツの軍事顧問団も反日感情を悪化させた一因であるので、無関係を装うわけにもいかなかった。
ドイツ帝国の威光を中華民国に知らしめつつ、日本もけん制出来ればベストである。かといって、ドイツから見れば中華民国は世界の果てである。軽々しく軍隊を派遣するわけにもいかなかった。
考えに考え抜いた結果、ドイツ帝国はマッケンゼン級巡洋戦艦を派遣した。
見も蓋も無い言い方をすれば、砲艦外交である。元々、通商路防衛も兼ねて建造された艦なので一石二鳥であった。
マッケンゼン級の31cm連装垂直2連砲3基12門を前部に集中配置した異様な外見はインパクト抜群であり、中華民国の民は熱狂的に歓迎したのである。
それに対して、日本の海軍関係者は冷めた目で見ていた。
大艦巨砲主義の信奉者からすれば、マッケンゼン級は邪道だったのである。
しかし、何も知らない大多数の日本人からすれば脅威に映った。
海軍も新型戦艦の予算をゲットするために、この機会を利用することになる。
『日本鬼子の施しなど絶対に受けるものか!』
荒れ狂う反日感情は、中華民国の選択肢を狭めていった。
災害が発生しても日本からの援助を断らざるを得なくなり、日本から経済援助を受けたくてもこちらからは頼めなかったりと、後世の政治家と官僚達は随分と蒋介石を恨んだという。
「義兄上、ただいま戻りました」
「ご苦労だったな顯㺭。さっそく報告を聞こうか」
満州国亡命政府の執務室では、溥儀と顯㺭――川島芳子が久しぶりの再会を果たしていた。
「……というわけで、満州国の閣僚と官僚の協力を取り付けました。我らが政権を掌握しても混乱は最小限に抑えられるでしょう」
「すまないな顯㺭。わたしが直接動けないばかりに、苦労をかける」
「それは言わない約束ですよ義兄上」
溥儀が表だって動けないために、彼の名代として川島芳子は暗躍していた。
もっとも、彼女は現在の立場を楽しんでいた。流石は、史実で東洋のマタ・ハリと言われただけのことはある女傑っぷりである。
「計画が順調なのは分かった。ところで話は変わるのだが……」
「はい?」
「ドーセット公の為人を知りたい。顯㺭は直接会ったのだろう?」
『油田を献上する』なんて手紙をもらって、気にならないはずがない。
テッドが信用に値する人物なのかどうか、直接会った人間に問いただしたくなるのも無理もないことであろう。
「ドーセット公ですか。物凄く良い人です!」
「……思いっきり、私情が入ってないか?」
「わたしの行く道を示してくれた恩人でもあります。彼のおかげで、どれだけ救われたことか」
「おーい?」
熱弁する姪にジト目になる溥儀。
そんな彼をしり目にヒートアップしていく。
「ドーセット公は、わたしを女だと侮らずに交渉してくれました」
テッドからすれば、当たり前の対応をしただけである。
しかし、彼女にとっては新鮮で画期的なことであった。
この世界の日本は、西園寺公望と平成会のやらかしで女性の地位が向上していたが、まだまだ男尊女卑の傾向が強かった。しかし、テッドの中身は史実21世紀の日本人である。女性に対する態度も価値観も当然そっち寄りであった。
「なんといっても、わたしのことをかっこいいと言ってくれましたし……!」
これもまたテッドからすれば、当然の反応である。
史実21世紀の日本では、男装の麗人は完全に市民権を得ていたのであるから。
「わ、分かった。ドーセット公が信用出来る人間というのは理解した。ところで、その恰好似合っているな。新調したのか?」
このままだと延々と話を聞かされそうだったので、強引に話題を変える。
しかし、これがまた藪蛇であった。
「分かりますか!? これは宝〇歌劇団のスタァの劇衣装と御揃いなんですよ!」
そう言って、黒色のパンツスーツを見せびらかす。
シルエットがはっきりと出ており、一見で専用に仕立てられたものと分かる。
『未婚の女性だけで構成された歌劇団がある』
テッドの言葉に川島芳子は衝撃を受けた。
交渉成立後に少し時間があったので二人で世間話に興じたのであるが、そのときに飛び出た発言である。男装の麗人なのだから興味を引くだろうくらいにしか思っていなかったのであるが、彼女はどっぷりとハマってしまったのである。
この世界の〇塚歌劇団では、サク〇大戦が演劇になっていた。
サ〇ラ大戦だけでなく、ベ〇ばらや艦〇れも演劇化されて大盛況であった。もちろん、平成会の仕業である。
商魂たくましい地元のテーラーは、これに便乗。
劇場側と契約して、劇衣装のレプリカを販売をしていた。それを知った彼女は一着仕立てたのである。
ちなみに、仕立てたのはマ〇ア・タ〇バナが着ていた衣装である。
黒に銀色の縦じまが入った生地を、レディス用のパンツスーツに仕立てたシロモノであり、小物としてモデルガンとホルスターまで付属していた。
武装する必要がある彼女には、ホルスター付きのパンツスーツは好都合であった。カッコよさと実用性を満たす衣装であり、お気に入りの衣装として彼女は頻繁に着ることになるのである。
「……冗談はここまでにして真面目に応えますが、ドーセット公は大英帝国の全権大使です。その彼が保証するということは、大英帝国が保証するも同然。疑う余地は無いでしょうに」
「いや、確かにそうなんだが……」
「英国王ジョージ5世を筆頭にロイヤルファミリーと親密で、ロイド・ジョージ首相やチャーチル海軍大臣とも個人的に親交のある人物ですよ? おまけに石油王としての名声もある。これでも信用出来ないと?」
「あっ、はい、すみません。疑って悪かったです……」
恩人を疑うような言動をしたのが運の尽きである。
未来の満州国皇帝は、己が姪に完膚なきまでに論破されたのであった。
「遠征軍はどうなっている?」
「はっ、順調に編成は進んでいると参謀本部より報告を受けています」
ドイツ帝国ベルリン王宮の一室。
ヴィルヘルム2世は、中華民国で編成されつつあるドイツ帝国陸軍遠征軍の進捗について、ヒンデンブルグ大統領に問いただしていた。
「ならばよし。編成が終わり次第、関東軍に攻撃を仕掛けよ」
「なっ!? 日本の近衛師団と合流するのでは無いのですか?」
カイザーの言葉に目を剝くヒンデンブルグ。
しかし、目の前の敬愛する国家元首は気にすることなく言葉を続ける。
「……仮に余が、近衛師団を自ら率いて反乱部隊の鎮圧に向かうとする。どうなると思う?」
「陛下の御威光にひれ伏して、即刻降伏するでしょうな」
「それよ。いくら関東軍とやらが精鋭部隊であると言えど、ヤーパンのエンペラーが直々に近衛師団を率いて鎮圧するとなれば即刻降伏するであろう」
カイザーの見立ては間違っていない。
実際、後に関東軍は近衛師団に無条件降伏したのであるから。
「確かにその通りと愚考致しますが……それと先ほどの件と、どのような関係が?」
「ヤーパンの近衛師団よりも先に関東軍を撃退すれば、後の交渉で有利に立てるであろう。上手くすれば満州の油田を手に入れることも出来るやもしれぬ」
満州は、ドイツが租借するべく日本政府と交渉が進められていた。
その時点では油田は発見されておらず、戦後復興によるドイツ経済の余裕の無さもあって費用面で折り合いがつかないまま平行線を辿っていた。
満州の油田発見の報に歓喜したカイザーであったが、その喜びは続かなかった。
租借の件は白紙とされ、満州を国として独立されることになったからである。当然ながら、油田の所有権は満州国側となる。
ドイツ帝国は、中華民国と同様に満州国とも友好関係を築こうと考えてはいたが、それでも油田は喉から手が出るほど欲しい。少しでも手に入れられる可能性があるならば、試さずにはいられなかったのである。
「関東軍とやらは、ヤーパンでは精鋭なのだろうが我が陸軍の前では敵ではなかろう」
「確かに。先の戦争でも、イギリスのおまけでしたからな」
「同盟国のよしみで、戦果をかさ増ししてもらったのだろう」
「戦場の都市伝説というやつですな。さすがに俄かには信じられません」
戦地は、日常とは違う狂気に包まれている。
その結果、多くの都市伝説や怪談が生まれるのである。
軍刀で頭から臍まで斬られて即死したとか、小銃で軍刀の一撃を受けてもそのまま押し切られて頭部をカチ割られて死亡したとか、擲弾筒のピンポイント砲撃で銃座を潰されたり等は、その一例と言える。残念ながら、全て事実だったりするのであるが。
日本軍の活躍は地味ながらも重要なものばかりであった。
しかし、同盟国として相応の活躍をしてもらいたいという政治的な要求を優先した結果、無理やり華々しくしてしまったために、見る者が見れば不自然な部分が目立ったのである。
第1次大戦中に、英国が盛んにプロパガンダ放送をしていたことが、情報の信ぴょう性を低下させてしまったのは皮肉と言うべきであろう。
「そもそも、イギリスの卑劣な作戦が無ければ戦線は抜かれなかっただろうに。思い出すだけでも忌々しい……!」
カイザーの恨み節は、あの時戦場にいた全てのドイツ将兵の思いでもある。
ドイツ軍陣地の地下にまで達するトンネルに一千トンもの爆薬を封入して爆破、大規模な地盤沈下を引き起こして塹壕ラインを無効化するという空前絶後の作戦の前には、日本兵の獅子奮迅の活躍も霞んでしまったのである。
戦後のドイツ帝国陸軍は英国海外派遣軍を最大の脅威とみなし、その戦力分析に余念がなかった。戦後の軍縮による英軍の払い下げ兵器を入手して徹底的に研究していたのである。
その一方で日本は海軍はともかく、陸軍は3流とみなされて軽んじられていた。
史実と異なり、ドイツよりも英国との技術交流が強化された結果、ドイツ側に日本軍の情報が入ってこなくなったのが原因である。
第1次大戦後は平成会チートによって大幅に強化されているのであるが、もちろんドイツ側は知る由も無い。いくつもの齟齬が積み重なった結果、ドイツ帝国陸軍遠征軍に多大な災厄が襲い掛かることになるのである。
「あらためて命じる。編成が終わり次第、即刻関東軍を叩け!」
「仰せのままに」
ドイツ帝国陸軍遠征軍は近衛師団を待たずに満州国へ侵攻することになる。
その知らせを受けた現地の蒋介石が、頭を抱えたのは言うまでもないことである。
(編成が終わり次第、関東軍を叩けだと? 簡単に言ってくれるな……!)
軍事顧問団あらため、ドイツ帝国陸軍遠征軍司令部の執務室。
部屋の主であるマックス・ヘルマン・バウアー大佐は、参謀本部からの電報を見て苦虫を嚙み潰したような表情になっていた。
(どうも上層部は日本陸軍を甘く見ているようだが、とんでもない。あいつらは我がドイツ陸軍とも比肩する連中だぞ……)
バウアーは、あのときの戦場で生き延びた数少ない軍人である。
彼は、日本兵の悪鬼羅刹ぶりを直接目の当たりにしていた。
日本兵は極めてコンパクトな火力投射手段を持ち、どうみても命中率は悪そうなのに悪魔的な技量で銃座を粉砕していった。接近戦で返り討ちしてやると意気込んだが、小柄な日本兵に逆に圧倒されたのである。
彼自身、塹壕内でRoterTeufel(赤い悪魔)に追い回された時には、何度死を覚悟したか分からない。
ちなみに、ロータートイフェルはドイツ側のコードネームである。
サムライソード1本で戦場を闊歩し、返り血で全身が真っ赤に染まったヤバいやつであった。今でもドイツ兵のトラウマとなっており、悪魔の如く忌み嫌われていた。
「司令。御呼びでしょうか?」
物思いにふけるバウアーの前に現れたのは、彼の副官である。
隙の無い身のこなしは、如何にも前線の叩き上げといった雰囲気をまとっていた。
「編成を変更する。化学兵器部隊と戦車隊を全部持って行く」
「なっ!? どういうことでありますか?」
「事情が変わったのだ。我らがカイザーは、日本軍の撃滅を望んでおられる」
「降伏勧告の御供では済まないというわけですか。そういうことでしたら、出し惜しみをしたら負けますな」
副官もバウアーと同じ戦場で生き延びた軍人である。
それだけに、日本軍相手に油断することは無かった。
「ガス砲弾とボンベ全部持っていくのですか。正気の沙汰とは思えませんが、あの日本軍相手ならそれくらいは必要でしょうな……」
副官からの命令に、化学兵器部隊の指揮官はため息をつく。
彼もまた、あの戦場で生き延びた軍人であった。
「しかし、あの時とは違います。今度は返り討ちにしてやります」
化学兵器部隊は、日本軍からの鹵獲兵器を独自に改良した兵器を装備していた。
演習における運用実績は上々であり、支援火力として大いに期待されていたのである。
「戦車隊を全部持って行くとは豪気ですな」
副官からの命令を受けた戦車隊指揮官は呆れていた。
軍事顧問団の指揮官の中で、彼は唯一日本軍と戦闘した経験が無かった。それだけに、日本軍を侮っているところがあった。
「噂に聞く日本兵が強いといっても、生身で戦車には勝てますまいに」
彼の言葉は、決して根拠のない発言ではない。
第1次大戦でTOG2に蹂躙されたドイツ帝国陸軍では、歩兵が戦車を撃破するのは不可能では無いにしても、極めて困難であると認識されていたからである。
戦後のドイツでは戦車の研究開発が本格化したのであるが、ドイツの技術力をもってしてもTOG2クラスの超重戦車を実用化するのは困難を極めた。苦肉の策として、英国から輸入したカーデン・ロイド豆戦車をたたき台にして開発されたのが1号戦車である。
戦車クルーの養成と運用ノウハウの蓄積も兼ねて軍事顧問団には大量の1号戦車が配備されていた。これらは、遠征軍に昇格する際に戦車大隊として再編成されたのである。
一部を除けば、ドイツ軍人は日本軍を決して侮ってはいなかった。
彼らは常に最悪の状況を想定していた。それが報われるかは別問題であったが……。
「まさか本当に近衛師団を派遣してくるとはな。ブラフだと思っていたのだが」
「あんなおもちゃの軍隊に負ける気なんぞしませんが、相手が近衛だと知った瞬間に兵たちが降伏しかねませんよ」
新京の関東軍総司令部。
その一室で、永田鉄山と石原莞爾は頭を抱えていた。
彼らにとって不幸中の幸いだったのは、満州国内に戒厳令が発令されていたことであった。情報が統制されているために、関東軍の将兵は近衛師団が派遣されてくることを知る由が無かったのである。
奉天軍閥内部では、関東軍に対して公然と反旗を翻す者すら現れていた。
溥儀による満州国亡命政府宣言と、川島芳子による切り崩し工作が原因であることは言うまでもないことである。
最近は表立って反抗しなくなったものの、サボタージュや密通などで国家の運営に多大な支障をきたしていた。このような状況で、関東軍は戒厳令を発令せざるを得なかったのである。
「……同志からの報告によると陛下自ら近衛師団を率いるわけではない。交渉の余地はあると考えるべきだろう」
「問題は、何を交渉の材料にするかですな。こちらの手札はあまりにも少ない……」
今上天皇が近衛師団を率いることをあきらめたのは、テッドによる死に物狂いの説得があったからであり、交渉の余地があるはずもない。しかし、溺れる者は藁をもつかむ。このような状況であっても、永田も石原もあきらめていなかった。
「閣下。失礼します! 中華民国側の国境付近に部隊が集結し始めていますっ!」
善後策を検討していた二人であったが、唐突なドアノックで中断される。
入室してきたのは関東軍の情報士官であった。
「中華民国が、この状況でうちに手を出す理由が見当たらないのだが……」
「あちらさんだって、国内の足場固めをするのを優先しなければならないはずです」
北伐を完遂させたとはいえ、完全に国内の治安が回復したわけではない。
未だに僻地では抵抗を続ける少数の残党もおり、それらを鎮圧するために中華民国軍が派遣されていた。
中華民国がちょっかいを出すことが出来ないと見切ったからこそ、このタイミングで二人はクーデターを起こして満州国を建国したのである。
「所属は分かるか?」
「目視で確認したところ、ドイツの軍事顧問団だと思われます」
「なんだと?」
想定外な答えに困惑する永田と石原。
二人して無言となる。
「……いや、永田さん。これはチャンスかもしれませんよ?」
先に沈黙を破ったのは石原であった。
「おそらくですが、彼らは功に逸ったのではないかと」
「近衛師団が来る前に動いて、取り分を主張するつもりか。分かりやすいな」
永田も得心する。
テッドの暗躍も、カイザーの思惑も知る由の無い二人であったが、ドイツ帝国陸軍遠征軍の行動を完全に読み切っていた。
「で、あるならば、我らの取る選択肢は一つしかありません」
「ドイツ相手に勝利する。いや、ただ勝利するだけではない。完全勝利をおさめたうえで近衛師団を交渉のテーブルにつかせる」
方針が決まると行動は迅速であった。
なんのかんの言っても、二人は有能なのである。
直ちに参謀に集合がかけられ、迎撃計画が練られていく。
国境から新京に至るまでのルートには、偵察兵が貼りついてリアルタイムで状況を報告する体制も整えられた。
十重二十重の包囲網にドイツ帝国陸軍遠征軍は突き進んでいくことになる。
その先に待ち受けるのは、破滅の二文字であった。
以下、今回登場させた兵器のスペックです。
マッケンゼン
排水量:33000t(常備)
全長:227.0m
全幅:30.4m
吃水:8.7m
機関:重油専燃缶32基+パーソンズ式ギアードタービン4軸推進
最大出力:92000馬力
最大速力:29ノット
航続距離:14ノット/8000浬
乗員:1227名
兵装:70口径31cm連装垂直2連砲3基
45口径15cm単装砲12基
45口径8.8cm単装砲8基
航空機20機(ハンザ・ブランデンブルク W.12 索敵・弾着観測・防空兼用)
装甲:装甲帯100~300mm
主甲板30~80mm(後部飛行甲板除く)
主砲塔270mm(前盾) 230mm(側盾) 230mm(後盾) 80mm(天蓋)
主砲バーベット部270mm(最厚部)
司令塔300mm
ドイツ海軍が建造した超フ級戦艦の1番艦。
同型艦は『プリンツ・アイテル・フリードリッヒ』『グラーフ・シュペー』『フュルスト・ビスマルク』
当初の計画では15インチもしくは16インチ砲を搭載した真っ当な巡洋戦艦になるはずであった。しかし、搭載する予定の砲は未だに設計段階であった。建造が急がれる状況で、新型砲の完成をいつまでも待つわけにもいかず技術者達を悩ませていた。
技術者達の救い?となったのが、テッド・ハーグリーヴスが描いたSF同人誌であった。生前に架〇機の〇で見た『フ〇ン・デ〇・タン 〇ァハ〇』が忘れらずに描いてしまったシロモノなのであるが、それがどういうわけかドイツにまで流れていたのである。
『連装垂直2連砲』『ペーネミュンデ矢弾』のアイデアは、ゲルマン技術者達を大いに刺激した。特にペーネミュンデ矢弾は、詳細な形状まで描かれていたために労せずに完成にまでこぎ着けた。ライフリングを廃した滑腔砲であるために製作が簡単だったことも原因である。
砲身は28cm砲をボーリングして31cmに拡大され、ライフリングを廃して内部はクロムメッキでピカピカに磨き上げられた。この砲を垂直に束ねたのが垂直2連砲である。この砲を連装するので砲塔につき4門、3基合計12門の火力を発揮可能であった。
ペーネミュンデ矢弾は、全長2mというこれまでの砲弾の常識を覆す長さである。
砲弾の径は100mm程度であるが、砲弾の中ほどにあるサボと後端のフィンによって砲身内で支持されている。この砲弾はロケット推進が組み込まれており、発射されて数秒後に点火して推力を発揮した。
極めて細長く、空気抵抗の少ない形状のペーネミュンデ矢弾は、1400m/sという驚異的な初速とロケット推進により最大射程150kmという空前絶後の長射程を達成している。この世界の戦艦砲の射程としては、現時点においては世界最長である。
全長は長いものの、細長く容積が小さいペーネミュンデ矢弾は艦内に大量に搭載することが可能であった。長射程と大量に搭載出来ることは、陸軍から求められた支援砲撃能力に合致するものでもあった。
本命の対艦船においては、その長射程を活かしたアウトレンジ戦法が求められた。
アウトレンジするためには敵を早期に発見すること、相対距離を維持するための速力が必要となるが、速力はともかくとして150kmという射程は見通し距離を遥かに超えており、目視以外の索敵手段が必要となった。
当時のドイツにはレーダーの概念すら存在しておらず、索敵手段は航空機に頼ることになった。本級の艦体後部には大型格納庫設けられており、マッケンゼン級は水上機母艦として20機程度の運用が可能であった。
速力があって偵察・通信機能も充実していたことから旗艦として運用されることが多く、良くも悪くも非常に目立つ艦であった。その特異な形状は各国から様々な憶測を呼ぶことになる。
中華民国と満州国と正式に国交が樹立されると、通商路防衛と砲艦外交を兼ねて日本近海まで足を延ばす機会が増えたのであるが、ドイツからスエズ運河を経由して中華民国、満州国まで至る一万浬以上の道程にはオイルタンカーが必須であった。
※作者の個人的意見
『フ〇ン・デ〇・タン 〇ァハ〇』最高です。
他に言うことはありませぬ…!(マテ
ペーネミュンデ矢弾については、超細長い弾体を高初速で撃ちだすことで長射程を達成していますが、上昇から落下に転ずる段階で不安定になって命中精度は悪化すると思います。どちらかと言うとAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)のように目視で直接狙ったほうが命中させやすいかと。まぁ、陸軍を支援する分には問題は無いでしょうけどね。艦隊戦は……その、お察しください?(哀
こんなキワモノが日本近海まで出張ってきたら、注目の的間違いなしです。
方向性は違うけど、砲艦外交は成功ってことで……(酷
足が短いことを問題にしましたが、当時のタービン艦としては水準以上の航続距離です。ドイツからスエズを経由して中国まで至る道のりを防衛しろってのが無理筋なだけですw
ドイツの技術力は世界一ぃぃぃ!なので、さっさとディーゼルに換装しようかと思ってます。ここでデータを取れれば、航路防衛艦(仮称)にも活かせますし。
史実における塩化ビニルの発見は19世紀なので、この世界の英国の技術力をもってすれば第1次大戦時に大々的に使用しても問題ナッシングです。ちなみに、テッド君が平成会に技術の大盤振る舞いをした結果、日本に塩化ビニルの製造技術が渡っていたりします。あとは音楽に飢えた平成会が暴走するだけで、あっさりとLP盤が完成してしまったわけです。
史実の玉音放送は雑音交じりで音質が劣悪なので、LP盤が実用化されたらクリアな音質で陛下の玉音を前線に届けることが可能になります。聞いた兵士は感極まることになるでしょう。
ソノシートは、おいらが子供のころに小学〇年生の付録に付いてて遊んだ記憶があります。確か、ドラ〇も〇(〇山〇ぶ〇Ver.)の声だったはず。この時代に実用化されたら、爆発的に普及すると思います。
平成会派のモブ軍人ズが使用していた電子計算機もモデルはこれだったりします。
h ttps://gigazine.net/news/20211010-ena-computer/
↑を蛍光表示管にそっくり置き換えたのが今回描写した電子計算機となります。
蛍光表示管にしたのでコンパクト化と長寿命化を達成しましたが、唯一の欠点(?)は箱を開けると表示管のせいで眩しいことくらいでしょうか?w
心情がバラバラな味方を一致団結させるのに共通の敵を見出させるというのは、古来よりよく用いられている手法です。一番身近な例は、反日で国を治めているお隣さんですね。この世界の中華民国はあれと同等か、それ以上の反日感情に染まってしまっているので、今後は様々な制約が出てくることでしょう。
男装の麗人とくれば宝塚!
そんなわけで、川島芳子がどっぷりとハマってしまいましたw
史実の宝塚も戦時中は軍事色の強い作品を上演していたとのことなので、サ〇ラ大戦だけでなく艦〇れとも相性は良さそうです。この時代ではアニメはまだ無理なので、いろんな作品が演劇化されることになるでしょう。
カイザーが暴走したのは、どさまぎで油田が手に入ると判断したからです。
油田の場所が分かっていれば不法占拠もあり得たのですが、さすがにテッド君は警戒して伝えませんでした。なので関東軍を殲滅して、その見返りに油田を求めるつもりなのです。
デスノボリが大漁旗の如くたなびいている遠征ドイツ帝国陸軍ですが、最終的にはやっぱり以下略です。生き残りをかけて死に物狂いで襲撃してくる関東軍相手にどれだけ持ちこたえられるかが、作者の腕の見せ所ですね。