第57話 信任状捧呈式(自援絵有り)
『信任状捧呈式まで1時間以上あるというのに、英国大使館前は群衆で埋め尽くされています!』
1925年1月某日。
N〇Kのアナウンサーによる実況が、電波の波となって日本の津々浦々に木霊する。
英国からの技術導入&平成会の技術チートのおかげで、史実よりも5年以上早くラジオ放送が始まっていた。ラジオ局が続々と開局し、大学野球、大相撲、売れっ子役者によるTRPGリプレイの実況等、多数のチャンネルが生まれていたのである。
(ああああああっ!? こうなるって分かってたのに!? 分かってて全力で逃げたのに逃げきれなかったーっ!)
執務室から外の様子をチラ見すれば、人、人、人の大群衆である。
テッド・ハーグリーヴスは頭を抱えていた。
関東大震災から2年近く経過し、帝都の復興も軌道に乗り始めていた。
英国大使館も本館の復旧にとどまらず、新館の増築や本国と交信可能な電波塔の建設、さらにスタッフの大幅増員などを経て、大使館機能を強化していたのである。
そうなると問題となるのが、現在空位となっている駐日英国全権大使である。
テッドの立場は臨時代理大使であり、正規の全権大使に引継ぎをする必要があった。
(チャールズ卿の容態が急変したから嫌な予感はしてたんだ……)
前任者であるチャールズ・エリオットは、被災によって健康を損ねたために奈良へ疎開して療養生活を送っていた。以後、テッドは彼と定期的に手紙を交わしていたのであるが、月一で送られてくる文面からは順調に回復しているとのことで安堵していたのである。
状況が変化したのは3ヵ月前であった。
届いた手紙には、健康状態が悪化して当面の復帰は絶望的であり、そのことを詫びる内容が記されていたのである。
テッドが慌てたのは言うまでもない。
チャールズが復帰すれば、お役御免と思っていたのである。
途方に暮れていたところに本国からの信任状が届いて、彼の退路は完全に塞がれた。当然ながら、ロイド・ジョージに猛抗議したのであるが……。
『なんで僕の名義で信任状が届いているんです!? あくまでも臨時代理のはずでしょう!?』
『いつまでも同盟国の全権大使を空位にしておくわけにはいかないのだよ。儂としては、チャールズ卿が復帰するまで待ちたかったのだがな。それに……』
『それに?』
ロイド・ジョージは言葉濁す。
受話器越しだというのに、嫌な予感を禁じ得ないテッド。
『……チャールズ卿の後任候補を何人か日本政府に打診はしたのだが、悉くアグレマンが得られなかったのだよ』
アグレマンはフランス語で、同意や承認を意味する。
外交用語の一つであり、国が外交使節を派遣する際に、任命する人物について前もって相手国に求める承認のことである。
ロイド・ジョージは嘘は言っていない。
ただ、提出した後任候補のリストにテッドの名前も含まれていただけである。
下手に新しい大使を派遣されるよりも、テッドが正規の大使に繰り上がってくれたほうが日本政府にとっては都合が良かった。関東大震災の救援で活躍して庶民からの人気が高く、知日派であることが知られていることも後押ししていた。
これに加えて、摂政宮として国事行為を代行している裕仁親王の意向が強く働いていた。むしろ、後任はテッドであると思い込んでおり、後任リストの件を聞いて驚いていたのである。
(臨時大使でもクソ忙しかったのに、全権大使とか面倒極まりないじゃないか!? やりたくねぇぇぇぇぇぇっ!)
いくら駄々をこねたところで、ここまで来たら逃げることは出来なかった。
テッドに出来ることは、覚悟を決めてモーニングコートに袖を通すことのみであった。
『我ら大英帝国の同盟国である日本。その日本に派遣された全権大使の認証式がまもなく始まろうとしています……』
ロンドン近郊のウィンザー城の一室。
深夜だというのに、5人の男がラジオに耳を傾けていた。
日本との関係を重要視する英国は、現地に英国放送協会を派遣して信任状捧呈式のラジオ生中継を実施していた。時差の関係で深夜の放送となってしまったものの、その内容は本国及び自治領や植民地にまで放送されていたのである。
「やれやれ、これで未来の宰相への道は確かなものとなったな」
「大使を勤め上げたら、自由党入りですな」
「ドーセットから出馬すれば当選確実だし、これまでの実績を鑑みれば、即大臣にしても問題無いだろう」
豪華な一室の中央に据え付けられた、これまた豪華なテーブルとソファー。
その片側に座るロイド・ジョージとチャーチルはご機嫌であった。
多少趣味に走り過ぎているとはいえ、地元のインフラ開発に惜しみなく私財を投じているテッドは、ドーセットの住民からは慕われていた。そのため、地元から出馬すればトップ当選は確実であった。
これまでの実績を鑑みれば即大臣、そうでなくても党内の重役を任せても問題無い。与党自由党はもちろんのこと、ライバルである保守党もテッドを引き入れるべく既に動いていたのである。
テッドはドーセット公爵であるため、貴族として貴族院に所属することも可能であった。当然ながら、貴族院もテッドを引き入れるべく暗躍し始めていた。
捕らぬ狸のなんとやら。
テッド本人の意思なんぞ完全に無視して自由党、保守党、貴族院がパワーバランスを考慮した壮絶な綱引きを繰り広げていたのである。
「儂としては侍従長として、傍にいて欲しいのだがな。倅の面倒を見てもらいたいし」
反対側のソファの真ん中を占拠するのは、現国王であるジョージ5世である。
鍛えられた体躯は、髭面と相まってザン〇エフの如しである。本家と違って髪はふさふさであるが。
史実の最期を反省して健康オタクとなった彼は、トレーニングだけでなく食事にも気を使っていた。日本食がヘルシーとテッドから聞いて積極的に取り入れており、その様子が世間に広まったことで日本食ブームが巻き起こった。この世界の英国では、寿司や天ぷらが既に浸透していたのである。
「僕も先生には傍に居て欲しいなぁ。新作も欲しいし」
ジョージ5世の右隣に座るのは、長兄のエドワードである。
テッドの同人誌の虜となってしまい、女癖の悪さが矯正された彼は、次期国王として着々と実績を積み重ねていた。
ちなみに、史実の失敗を繰り返さないために、彼に近づこうとする女性は例外なくMI6の監視下に置かれることになっていた。生来の女好きが潜めた現状では、彼に接近出来る女性は資産家か王族関係者くらいしかいないのであるが、万が一ということもあるのである。
「僕は先生に海軍に来て欲しいな。結婚出来たお礼も言いたいし……」
こちらは、ソファの左端に座る次男のアルバートである。
史実ではジョージ6世となるはずであったが、ウィンザー公のフラグが折れたので心置きなく海軍畑を歩んでいた。
1923年には、史実同様にストラスモア・キングホーン伯クロード・ボーズ=ライアンの末娘エリザベスと結婚式を挙げていた。史実と異なるのは、エリザベスが同人活動に嵌っていて、熱烈な恋愛結婚となったことであろうか。
二人の出会いはコミケであった。
そういう意味では、コミケを実現したテッドはキューピット役と言っても過言では無いのである。
不幸?なことに、テッドは魚好きが高じて自前の大型漁船を所有していた。
船上活動も豊富であり、英国海軍予備員の資格があった。このことが原因で、後にRNR士官として海軍に登用されることになるのである。
(!? 何か寒気がするな……)
地球の裏側から発せられた、大物政治家とロイヤルファミリーから邪念で寒気を感じるテッド。気のせいだと思いながら、ずれたトップハットを被りなおすのであった。
『……ところで、ドーセット公は大の親日家とのことですが、そこらへんはどうなのでしょう?』
『はい。ドーセット公が親日家であることは事実です。ライスカレイが大好物で、大盛りでお代わりしていたくらいですからね』
帝都の丸の内の平成会館。
その一室では、ラジオ実況をBGMにパーティが開催されていた。
「ドーセット公の大使就任に乾杯っ!」
「「「かんぱーいっ!」」」
真昼間だというのに、ビールで乾杯する平成会のメンバー達。
部屋の壁には、墨痕鮮やかに『祝!ドーセット公全権大使就任』と横断幕が掲げられており、お祭りムード一色であった。
「いやぁ、ダメ元でお願いした甲斐があったな!」
「臨時大使が務まったのだから、全権大使もひょっとして……なんて思ってましたが、まさか実現するとは思いませんでしたねぇ」
「ドーセット公には、いざというときのお守りになってもらわなければならない。大使就任は必須だろう」
テッドの全権大使就任を画策したのは平成会であった。
平成会の意向をドーセットの日本領事館経由でロイド・ジョージに伝えた結果、後任候補リスト入りすることになったのである。
「……政府機関になったとはいえ、我らの立場はまだまだ盤石とは言い難いからな」
「正確には政府機関への出向、ですけどね」
内閣直属のシンクタンクである内閣調査部が設立されて、平成会の活動はそちらがメインとなっていた。スタッフは平成会のメンバーで占められており、必要に応じて外部から人材を招聘する形となっていた。
「総理に直言出来る立場となったので、以前に比べればやり易くなりましたね」
「今まで、こちらの政策を実現させるのに民間レベルで、いろいろと根回しする必要がありましたからね」
「確かにそのとおりだが、元老院の威光が効いていたときより無茶はやりづらいな」
平成会の施策によって、この世界の日本は短期間に国力を強化出来た。
これは元老院の威光があってこそのものであった。原内閣は調査部に理解を示してくれてはいるものの、以前のような横紙破りが出来ないので、もどかしく思う場面も多々あったのである。
「まぁ、実績を積み上げれば発言力は強化されます。そのためにも、今が踏ん張り時です」
「そのためにも、ドーセット公には手元に居てもらわないと」
「確かに。あの人ならば多少の無茶ぶりはなんとかしてくれるでしょうし」
いざというときは、テッドに全力で縋るつもり満々である。
彼らは決して無能ではない。しかし、悲しいかな。モブである彼らは史実の偉人に勝てないのである。
史実の偉人に勝つには、テッドをぶつけるしか無い。
これからの平成会にとって、テッドは必要不可欠な存在なのである。
「幸いにして、円卓は我らに興味を示しているようです」
「皇太子殿下のドーセットご逗留の件もそうだったが、今回の件が了承されたのも頷けるな」
「つまりは、ドーセット公にとっては平成会との繋がりを強くする好機です。彼にとっても、悪い話ではないと思いますが?」
「〇-メル仲介人ヤメロ!」
爆笑する平成会メンバー。
既にだいぶ酒が入っているようである。
ちなみに、この時代のビールはドイツのラガービールに近い。
史実20世紀後半の主流である淡泊な国産ビールとは違い、芳醇で濃厚な味わいでアルコール度数は高めである。生前のペースでパカパカ飲むと悪酔い不可避であった。
「ううう……明日から、また残業漬けの日々が始まるぉ……」
「ちくしょーっ! 飲まなきゃやってられるかーっ!」
「酒だっ! 酒持ってこーいっ!」
内閣調査部に持ち込まれる案件は増える一方で、疲労と精神的ストレスは右肩上がりであった。史実よりもマシとはいえ、未だに娯楽の少ないこの時代では、飲み会はストレス発散の数少ない手段なのである。
「「「……」」」
結局、全員酔い潰れてしまった。
翌日は全員二日酔い待った無しであろう。
酒臭さと、うめき声で満たされる一室。
そんなことはお構いなしに、ラジオは信任状捧呈式の模様を実況するのであった。
『ドーセット公は宮様と親しくされているとのことですが、そのへんはどうなのでしょう?』
『そもそも、お二人の交流は返礼使節団の派遣で、宮様がドーセットの地にご逗留されたことに始まり……』
国会議事堂の一室に置かれたラジオ実況をBGMに茶をすする二人の男。
総理大臣の原敬と、帝都復興大臣の後藤新平である。
「……庶民の出でありながら、ドーセット公爵に成りあがった男、か。一筋縄ではいきそうにないな」
「英国で石油王となり、イスラエル国の建国にも関わっているとは。貴族に叙せられるのも納得ではあるな」
テッドの略歴を見て、二人はためいきをつく。
外務省から送られてきた資料には、彼の実績が列挙されていたのである。
「ん? 世界巡幸に参加? ドーセット公は、以前にも訪日経験があるのか……」
「そういえば、3人いたような気がするな。エドワード王太子とマウントバッテン卿が目立ちすぎて気付かなかったが」
公式記録では、テッドは訪日3日目で病床の身となり、最終日まで療養となっている。
しかし、実際は平成会過激派殲滅のために派手に立ち回っていた。
JCIAの証拠隠滅と、接待役である珍田捨巳伯爵の関係各所への箝口令によって闇に葬られていたが。
「原さん、このドーセット公の為人はどんなものなのだ?」
「わたしも直接会ったことは数えるほどしかないが、印象としては穏やかな紳士であるな。ただ……」
「なにか懸念があるのか?」
原は被災した帝都の視察で、直接テッドと会ったことがある。
その時に感じたのは得体のしれない違和感であったが、口で上手く説明出来なかった。
「……平成会が英国全権大使の後任として、彼を強く推挙していた」
「ほぅ。あの連中が何の理由も無く推すとは考えづらいな」
一方で、後藤は平成会とそれなり以上の付き合いがあるために、彼らの性根は見切っていた。何のかんの言っても、合理的な判断を下す連中である。彼らのやることに意味の無いことは存在しないと考えていたのである。
「じつは震災善後処理公債を英国の銀行団が引き受けてくれたのは、ドーセット公の働きが大きいのだよ」
「むぅ。儂は、てっきり平成会が直接英国政府と交渉したものかと思っていたが……」
「平成会が彼に依頼して、英国の銀行団を動かしたらしい」
史実においては、欧米の銀行団が震災善後処理公債を引き受けている。
しかし、その利率は途上国並みの高さで設定されて、日本は返済に長らく苦しんだのである。
この世界においては、英国の銀行団が年利1%という破格の条件で引き受けていた。テッドの働きかけによるものであることは言うまでも無いことである。
「これほどまでの人間が、何故平成会に黙って従っているのだ?」
「さぁ? 弱みでも握られているのではないか?」
二人は、テッドと平成会のパワーバランスを誤解していた。
何も知らない人間からすれば、平成会がテッドを扱き使っているように見えるのである。
「……直接話せば分かるかもしれんな。正式な全権大使となれば、適当な名目で面会することも出来るだろう」
「そうだな。早速伺いを立ててみるか」
テッドが原と後藤に圧迫面接される未来が確定した瞬間である。
(なんだろう? また嫌な予感が……!?)
史実の偉人に完全ロックオンされて悪寒を禁じ得ないテッド。
しかし、出発時刻になってしまったために、馬車に乗り込まないわけにはいかなかったのである。
『ドーセット公がご乗車された馬車が、今大使館を出発致しました! 宮城にまで至るまでの沿道は大群衆ですっ!』
帝都霞が関の海軍省。
その一角にある軍令部の総長室のラジオが、信任状捧呈式の模様を実況していた。
「いや、まずは目出度い。ドーセット公ならば信が置ける」
ニコニコ顔なのは、部屋の主にして軍令部総長の山下源太郎海軍大将である。
「そのとおりですな。ドーセット公ならば信用出来ます」
「あの御方が全権大使であれば、英国との同盟関係も安泰でしょう」
同席している幕僚達も追従する。
とはいえ、ただのおべっかではなく本心である。前年のロンドン海軍軍縮会議において、その内情を暴露してくれたテッドを帝国海軍は完全に信用していたのである。
「こうしてはおれん。早速お招きを……いや、こちらから伺うのが筋であるな。何か手土産が欲しいところだが……」
「総長、ドーセット公は魚料理が大好物との新聞記事があったようながします」
「そういえば、魚料理で宮さまと意気投合されたとの話もありましたな」
「それだっ! 我が郷里の名物を持っていくとしよう」
後日、軍令部御一同は山下の郷里名物である米沢鯉を手土産に英国大使館を表敬訪問した。このときのために、わざわざ地元から米沢鯉を生け簀で陸上輸送して取り寄せたのである。
新鮮な米沢鯉に感激したテッド自身が包丁を振るい、鯉こく、鯉南蛮、鯉の甘露煮、鯉の赤ワイン煮などなど、鯉料理のフルコースを御馳走した。双方の好感度が大幅アップしたのは言うまでもないことである。
「……信任状捧呈式のパレードが始まったようだな」
同じ海軍省でも、軍令部とは離れた一角にある人事局。
その部屋の主である左近司政三少将は、目の前の海軍軍人に語り掛ける。
「ドーセット公は、帝国海軍に理解ある人物と聞いています。まずは目出度きことかと」
「うむ。それに君も無関係では無い」
「と、言いますと?」
「山本大佐。君を駐英大使館付武官に任ずる。正式な辞令は追って通達されるだろう」
史実では、2度の渡米経験がある山本五十六であるが、この世界では2度目の渡米はイギリス行きに変更となったのである。
「駐米ではなく、駐英ですか?」
「不満そうだな?」
「いえ、そういうわけでは……」
山本は過去のアメリカ視察で、油田や自動車産業、飛行機産業とそのサプライチェーンに強い印象を受けていた。その反面で、英国は図体がデカいだけの老大国というイメージを持っていたのである。
「そういう貴様にこれを渡しておく。機密事項であるから後で返せよ?」
そう言って左近寺が山本に手渡したのは、大きくて分厚い茶封筒であった。
「これは何なのですか?」
「内閣調査部とJCIAがまとめた英米の国力・軍事力の報告書だ」
報告書は数百ページにわたる大ボリュームであった。
山本は数日間寝る間を惜しんで読みふけり、駐英大使館付武官を快諾することになるのである。
『英国大使館を出た馬車は、桜田門に差し掛かろうとしています。沿道は日の丸とユニオンジャックの大乱舞ですっ!』
帝都の三宅坂に所在する参謀本部の一室。
開け放たれた窓からは、街頭ラジオによる実況と沿道からの歓声が聞こえてくる。
「ふん、世間は呑気なものだな」
「まったくです。こちらの苦労も知らないで……いや、知ろうともしない愚物が多すぎます」
ソファに座る二人の陸軍軍人――永田鉄山と石原莞爾は、憤懣やるかたない様子あった。彼らは陸軍大臣に直訴してきたのであるが、その結果は散々なものだったのである。
二人が焦るのには理由があった。
満州の治安が急速に悪化しており、このままでは総力戦どころでは無かったのである。
満州に住む中国人にとって、日本人は既に侵略者であった。
極一部の例外を除けば、侵略者には抵抗するのが人の歴史である。いわゆる、抗日パルチザンである。
初期のパルチザンの活動は、ソ連国境付近に限定され規模も小さなものであった。そのため、関東軍は当初は無視していた。単に治安維持に余裕が無かったとも言えるが。
しかし、パルチザンは爆発的な勢いで規模を拡大していた。
気が付けば、H〇I2も真っ青なパルチ祭りが絶賛開催中だったのである。
抗日パルチザンの裏で糸を引いているのは、ソ連であった。
欧州方面では、英国が主導してソ連に圧力をかけていた。満州が日本の勢力下に収まるようなことになれば、東西から挟撃されることになる。これはソ連にとって容認出来るものではなかったのである。
治安維持に余裕が無い状況で、抗日パルチザンの跋扈は致命的であった。
直ちに関東軍を増強しなければ、取り返しのつかないことになる。そういう意味では、永田と石原の危惧は正しいものだったのである。
しかし、政府と陸軍上層部の考えは異なっていた。
内閣調査部によって内閣へ提出された『満州の取り扱いに関する方策』を両者は支持していたのである。
この方策は、テッドによる裕仁親王への献策を平成会がブラッシュアップしたものである。
日本が満州を領有し続けることによるメリットとデメリットが列記されており、最終的にデメリットが勝るのでドイツに満州を権益ごと租借させて日本は大陸から撤退すべきと結論付けられていた。
そもそも、史実の『満州は日本の生命線』という言葉は、資源的な意味よりも地政学的な意味が大きい。ロシア(ソ連)の南下政策で朝鮮半島が支配されない為にも、日本の安全保障に満州は欠かせない場所だったのである。
この世界の朝鮮半島は、極東朝鮮会社(FEKC Far East Korea Company)によって、開発が進められていた。あくまでも民間による開発という触れ込みであったが、FEKCは英国政府が筆頭株主の国策会社である。事実上、朝鮮半島は大英帝国の影響下であった。
つまり、半島有事の際には英国が動くことになる。
それ自体が日本にとって、強力無比な安全保障となるのである。
満州からは鉄鉱石と石炭が豊富に産出するが、朝鮮、オーストラリア、カナダ、その他英国の自治領から友好価格で資源を購入出来る現状では、満州に拘る必要性は薄かった。
現地では、抗日パルチザンに資源輸送のトラックを度々焼き討ちされる状況であり、海外から資源輸入したほうが安くついたのである。
なによりも、中央からの命令を度々無視して動こうとする関東軍に、政府も陸軍上層部も愛想が尽きていた。今回のパルチ祭りは、関東軍のはしご外しをする良い機会だったのである。
海外から安全確実に資源輸入するためには、なんといっても海軍力がモノを言う。海軍の予算は増額され、さらに戦艦関連の予算を削ってまでワークホースとなる特型駆逐艦の量産が強行されていた。
とはいえ、安全保障上の観点から自前での資源確保と備蓄は重要である。
平成会は尖閣における油田開発を筆頭に、獲得した海外領土の埋蔵資源調査を進めていた。
資源備蓄においては、史実と同様に戦略資源を規定して国内に備蓄を開始した。
特に船舶の稼働には欠かせない石油は、国内に石油備蓄基地を分散して建設して石油備蓄に励んでいた。銅、アルミ、ニッケルなど希少金属も同様である。
「……このままだと、陸軍は海軍の風下に立たされてしまう」
「陸軍あってこその日本です。このままだとアジアの盟主になることなど……」
焦燥に駆られる永田と石原。
総力戦だの、最終戦争だの、大義名分で彩られてはいたが、結局の本音はそこであった。
史実の戦後日本のようにシーレーン重視にシフトしつつある現状を、統制派(満州派)は容認出来なかったのである。
『御車寄でドーセット公が下車されました! これより、ドーセット公は宮中へ赴くことになります』
洒落た内装のカフェの一角に置かれたラジオが、宮中へドナドナされるテッドの様子を実況する。
「おっ、ラジオでパレードをやってんぞ!」
「このドーセット公って、震災のときにえろぅ活躍してたって話だのぅ」
「確か、平民上がりで貴族さまになったとか言うてたな」
「ってことは、田舎もんか」
「おいおい。俺らも田舎もんじゃろが」
和気あいあいと、方言丸出しでコーヒーを飲むのは陸軍の青年将校達である。
店内を見渡せば、ほぼ全ての客が軍服姿であった。
此処は偕行社が経営するカフェである。
偕行社は、いわゆる陸軍の士官クラブであり、師団司令部所在地に設置されていた。
帝都を防衛するのは、陸軍第1師団である。
彼らも第1師団所属の尉官クラスであった。
史実において、第1師団は二・二六事件を引き起こした青年将校の多くが所属していた師団である。つまりは、皇道派の温床といっても過言では無いのであるが、この世界では事情が異なっていた。
皇道派の青年将校らは、昭和初期の東北の農村の悲惨な実態を身近で見聞きしていた者が多く、その原因を財閥・重臣・官僚閥に求めた。彼らを討てば無条件に事態が好転すると考えていたのである。
しかし、この世界では平成会が元老院の印籠をちらつかせて、朝鮮半島への深入りを回避した。朝鮮半島開発に使われるはずだった莫大な予算は、東北地方の開発に投下されたのである。
『こんなパサパサな米食えるかっ! コシヒカリを食わせろ!』
さらに言うならば、コシヒカリを欲した平成会メンバーの思惑もあった。
平成会は東北に農場試験場を作り、寒さに強くて美味しい品種を作るのに没頭したのである。
1920年代に入ると、東北地方の生活レベルは劇的に改善された。
農業インフラの近代化と冷害に強い稲の投入によって、東北の農村の暮らしは格段に豊かになったのである。むしろ、諸地域よりも先進的な部分も出始めており、周辺地域からの人口の流入が始まっていた。
平成会の奮闘は、結果的に裕仁親王の名声となった。
劇的に変化していく東北地方の開発に興味を持たれて、幾度も東北行啓を行っており、東北民が誤解してしまったのである。
『摂政の宮さまのおかげで東北は救われた』
――とは、当時の東北民の偽らざる心情であり、裕仁親王への親愛度は天元突破していた。そんな彼らが多く所属する第1師団も、皇室や皇族を熱烈に信奉する将兵が多かったのである。それだけなら、特に問題は無かったのであるが……。
「宮さまに不敬をしなければいいがのぅ」
「んだんだ。もしそうなったら……」
「そうなったら?」
「……宮さまに付く悪い虫は排除するまでよ」
将校の一人が村田刀をわずかに抜き、現れた白刃に自身の顔を写す。
行動原理が過激なドルオタのそれである。武力を伴っているのが、シャレになっていないが。
この世界の皇道派は、基本的に良い奴らである。
ただし、皇室の権威を毀損するようなことがあれば、即座に牙を剝く物騒な連中でもあった。
(!? また寒気が!? いつから僕はニ〇ータイプになったんだか……)
何度目かの寒気と悪寒に辟易しながらも、明治宮殿の長大な廊下を歩むテッド。
ひたすらに重い足取りで目指すは、裕仁親王の待つ鳳凰の間であった。
テッド君が逃げ切れずに全権大使になりました.
これからは、毛嫌いしていた政治案件に首を突っ込むことになります。
任期を全うしても、政治から逃げられそうもありませんけど(酷
そもそも帰れるのか微妙ですが。
平成会が全力で阻止するでしょうし。
……まぁ、本国で何かが起きて、緊急帰国するのはあり得る未来なのですけどね(ボソ