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第54話 情報収集


「ドーセット公! 臨時代理大使就任とのことですが、何か一言お願いします!」

「震災直後の多大な支援が評価されたということなのでしょうか!?」

「今日は奥様はご同伴されていないのですか!?」


 どこからともなく湧いて出る記者たちに引き攣った笑顔を見せるテッド。

 『犬も歩けば棒に当たる』という格言があるが、最近の彼はまさにそれであった。


 庶民の生まれでありながら、多大な功績によって公爵に叙勲された立身出世の権化であり、さらに返礼使節団で裕仁親王と友誼(ゆうぎ)を結び、とどめに関東大震災で真っ先に駆け付けた歩く特ダネ大辞典である。常日頃ネタに飢えている記者たちが放っておくはずがなかったのである。


 日本語に堪能であることが知れ渡っていたことも状況に拍車をかけていた。

 親日派をアピールするための日本語が逆に仇となっていたのである。


「……すみません。今はプライベートなので勘弁してもらえませんか。じゃ、そういうことでっ!」

「「「あっ!?」」」


 しかし、所詮は素人。

 脱兎のごとく逃げるテッドに、記者達はあっさり振り切られるのであった。


(よし、つけられてないな……)


 念のために尾行を警戒していたテッドであったが、漂ってきた香りに足を止める。懐中時計を見てみれば、時刻は既に12時過ぎ。目の前の掘っ立て小屋には、『一皿20銭ライスカレイ』という看板が掲げられていた。


「おっちゃん! カレー大盛り!」

「あいよっ!」


 流暢(りゅうちょう)な日本語と、金髪碧眼というギャップに一瞬驚く店主であったが、客あしらいに忙しいためか何も言わずにメニューを運んでくる。


「こ、この味は……!」


 一口食べた瞬間に、懐かしさを覚える味。

 見た目は生前に自炊したカレーとそん色無く、そして味は……。


(この味、業〇カレーだ!?)


 思わず口走りそうになって、慌てて言葉を飲み込む。

 生前、利用していた〇務スーパーで、コスパが良くてついつい買っていたカレールゥの味そのものであった。


 テッドは知る由も無かったのであるが、大阪の薬種問屋である大〇屋(史実のハ〇食品の前身)に、平成会がアイデアを持ち込んで世界初の業務用インスタントカレールゥとして販売されていた。味が似通うのは当然のことであった。


「おっちゃん、お代わり!」

「あいよっ!」


 (むさぼ)るようにカレーを喰らう。

 ご飯が硬くてパサパサ、ついでに少々黄ばんでいたが、美化された生前の思い出の前には些細なことであった。


「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁ!?」


 しかし、夢中になり過ぎて周囲への警戒を緩めた代償は大きかった。

 翌朝の朝刊の一面トップに、カレーを貪る姿を大写しで晒されたのである。


 新聞に派手に書き立てられてからというもの、テッドはホテルに引き籠った。

 しかし、それは彼が暇を持て余していることを意味しない。


「失礼致します。ドーセット公宛ての郵便小包をお預かりしています」

「ありがとう。そこに置いておいて」


 荷物を持ってきたベルマンの退室を見届けると、テッドは小包を確認する。

 その中身は分厚い辞書であった。


 辞書を開くと中身は切り抜かれており、切り抜かれたスペースに書類が隠されていた。臨時代理大使としての仕事は皆無であっても、平成会との交渉役としての仕事があった。というよりも、そちらが本命なのであるが。


 平成会との交渉で巧く立ち回るためにも、正確な情報は欠かせない。

 そのため、テッドには定期的にMI6から情報が回されることになったのである。







(今回はアジア情勢か……)


 機密書類を読み進めていくテッド。

 北京政府崩壊後の中国は群雄割拠であり、次の政権を担うべく軍閥の覇権争いが激化していた。


(中国大陸でドイツの影響力が急速に拡大している、か……)


 この状況に巧みに付け込んでいるのがドイツであった。

 第1次大戦によって、全ての植民地を失ったドイツに中国人民は好意的であった。そのためか、他の列強とは違って暴動や襲撃に遭うこともなく、順調に商売が出来たのである。


 大陸の安い人件費につられてドイツ国内の有力企業が次々と進出していた。

 新天地を求めて進出の勢いは増大の一途だったのである。


 人件費が安くても現状では軽工業が関の山である。

 しかし、大陸に進出したドイツ企業は教育機関を作って優秀な職工の確保に努めていた。現状はともかくとして、将来的に軽工業から重工業にシフトしていくのは確実な情勢であった。


(ドイツが各軍閥に軍事顧問団を送り込んで、しかも兵器を売り捌いているか。まぁ、ここは史実通りと言えるけど……)


 大英帝国と互角に戦って講和に持ち込んだドイツを、軍閥の軍関係者は高く評価していた。この機を逃さす、ドイツ軍は大規模な軍事顧問団を軍閥に派遣。兵士の訓練とセットで大量のドイツ製兵器を売り込んでいたのである。


 最初は小銃や手りゅう弾といった軽火器がメインだったのが、最近では重砲や戦車まで売り込んでいた。さらには、軍艦まで売り込まんとする鼻息の荒さである。


(まさか、この時代にI号戦車を見ることになるとは……!?)


 機密書類に添付された写真とスペックを見て驚愕するテッド。

 ドイツは戦時中より戦車を開発していたのであるが、『TOG2ショック』により全て白紙にされて新規で戦車開発を行っていた。


 戦後に国内配備が開始された新型戦車は、英軍のカーデン・ロイド豆戦車を主敵に想定しており、確実に捕捉・撃破するために史実よりもエンジン出力を向上させて、速力アップを果たしていた。


 結果として、快速軽戦車をこの時代に手に入れることになったドイツ陸軍であるが、彼らの本命はTOG2クラスの重戦車であり、あくまでも補助戦力に過ぎなかった。現状では使い道が無いので、輸出して恩を売ると同時に実戦データを取ることを目論んでいたのである。


 本命の重戦車であるが、ドイツの技術力をもってしても難航していた。

 80トンクラスの超重戦車の足回りの開発も困難であることはもちろんのこと、そもそも国内のインフラがその重量に耐えられ無かったのである。


 敵地でインフラ破壊が問題にならない状況だったからこそTOG2は輝いた。

 そうでなければ、さすがの英軍も持て余したであろう。実際、持て余してイスラエルへ譲渡した分以外は兵員輸送車や弾薬運搬車に改造してみたものの、使い勝手は今一つであった。


 ドイツ式の装備と訓練を積んだ軍閥の兵士は短期間で精強な兵士となった。

 その結果、軍閥同士の争いが激化する悪循環となったが、血を流すのは現地の軍閥兵であるから問題は無かったのである。


 軍閥の覇権争いは、ドイツ軍に貴重な実戦データをもたらした。

 大陸は兵器実験場となり、その成果は着実にフィードバックされていくことになるのである。







(……で、こちらはお隣の半島事情か)


 生前の嫌な記憶があるので関わりたくないのであるが、立場上そういうわけにもいかなかった。ため息をついて書類を読み進める。


 この世界では併合されていないので、未だに大韓帝国として独立国であった。

 放置されているといったほうが正しい表現であろうが。


 現在は、極東朝鮮会社(FEKC Far East Korea Company)が独占的に半島内の開発を進めていた。開発に着手して2年も経っていないというのに、既に利益の目途が付いているのは、流石は植民地経営に手慣れた大英帝国といったところであろう。


(雲山金鉱は黒字見込みか。荒稼ぎしてるな~)


 平安北道雲山郡の雲山金鉱は、東洋一の金鉱である。

 史実では、1939年に日本鉱業がアメリカから買い取ったのであるが、その時点で八ヶ所の鉱脈には、合計800トン以上の金が埋蔵されている計算であった。


 大規模な機械掘りを導入した結果、金の採掘効率は飛躍的に跳ね上がった。

 さすがに初年度は設備投資で赤字になったものの、今年は第1四半期の段階で既に黒字転換が見込まれていた。環境破壊以前に、禿山だらけでまともな環境が存在しないために、公害を考慮する必要は無いことも利益率を押し上げる要因となっていた。


 その他の鉱物資源の採掘も今年に入ってから始まっていた。

 こちらも数年で軌道に乗るであろうとのレポートが添えられていた。


 朝鮮半島北部は地下資源の宝庫であり、朝鮮半島の地下資源の七〇%以上の鉱物資源が北部に偏在している。


 マグネサイトをはじめ、重石、タングステン、モリブデン、黒鉛、銀、鉄、鉛、亜鉛、アルミニウム、石炭など、経済的に価値ある多様な種類の地下資源が埋蔵されており、これらは英国と日本に輸出されることになる。


(ダム建設は若干の遅れか。この程度なら問題は無いかな?)


 鴨緑江(おうりょくこう)に建設中の水力発電用のダムも概ね順調であった。

 史実の水豊(すいほう)ダムであるが、この世界では10年以上も建設が前倒しされていた。


 表向きは英国人居留地のインフラ整備のための電力確保とされていたが、本当の目的は核開発のための電力確保であった。ダムが完成しないことには、ウラン濃縮が出来ないので最優先で工事が進められていたのである。


(南部の開発は一筋縄ではいかないと思っていたけど、なんとかなりそうだな)


 半島北部の開発と並行して南部の開発も進められていた。

 しかし、半島南部は土地が痩せていて農業に適さない場所であった。史実では、朝鮮総督府が客土と大量の追肥をしてようやく稲作が可能になったのである。


 朝鮮総督府のやり方は多大な予算と人員、そして時間が必要となる。

 当然ながら却下であるし、そもそも英国紳士は米を食さない。


 そんなわけで、王立植物園(キューガーデン)の植物学者に半島でも生育する牧草を見繕ってもらい、その種子を半島南部に散布していた。牧草の発育は良好であり、翌年から試験的にショートホーン、ヘレフォードといった肉用牛の飼育が予定されていた。


 ちなみに、これらの牛はコリアンビーフとして日本に輸出されることになる。

 『韓牛』ブランドで販売される牛肉を見て、テッドと平成会の面々は複雑な心境になったのであるが、それはまた別の話である。







(スティンソン・エアクラフト・カンパニー? ハドソン・モーター・カー・カンパニー? 聞いたこと無いのだけど……)


 フィリピン方面の情報を読み進めて顔をしかめるテッド。

 歴史好きでミリオタであっても、アメリカのマイナー企業は知らなかったのである。


 現在のフィリピンには、アメリカから中小企業がこぞって進出していた。

 アメリカの国内市場はマフィアと組んだ大手企業の独占状態であり、生き残るために国外に、さらに言うならば唯一の植民地であるフィリピンに活路を見出していたのである。


(フィリピンにアメリカから大量に資金流入? いったい何が起こってるのやら……)


 これらの資金は、マフィアと関係を持たない資産家がフィリピンへ逃亡する際の海外送金であった。警察すら買収してしまうマフィアの権勢に逆らうのは愚の骨頂と悟った彼らは、アメリカを捨てつつあったのである。


 この機会を逃さずに動いていたのが初代自治領大統領のマニュエル・ケソンであった。将来の独立に備えて、フィリピンに基幹産業を誘致するために優遇政策を実施していたのである。


 技術と資金の流入、さらに優遇政策のおかげでフィリピンの工業化は急速に進められた。自動車、造船、航空産業といった重工業が勃興し、東南アジアにおける有力な国家になっていくのである。


(フィリピンでマッカーサーが士官学校の校長? 史実だとマニラ軍管区司令だったはずだけど……)


 フィリピン関連の情報で、特に目を引いたのがダグラス・マッカーサーの動向であった。


 史実においても、この時期はフィリピンに居たので、それ自体はおかしいことではないのであるが、この世界のマッカーサーはフィリピンに設立された士官学校の初代校長に就任していたのである。


 史実で陸軍士官学校(ウェストポイント)の古い体質を改善した彼の辣腕は、フィリピンの地においても遺憾なく発揮されており、近代的軍隊に対応した優秀な軍人が育ちつつあった。


(アメリカの有名軍人がフィリピンで活躍って、火葬戦記かな?)


 マッカーサーだけではなく、アイゼンハワーやジョージ・パットンなど優秀な軍人がフィリピン陸軍(予定)に移籍していた。海軍でもこの動きは顕著であり、ウィリアム・ハルゼーやレイモンド・スプルーアンスといった叩き上げで有能な海軍軍人がフィリピン海軍(予定)で活躍していたのである。


 アメリカ軍人がフィリピンで活躍しているのは、ケソンの友人であるマッカーサーと、その兄であるアーサー・マッカーサー3世の働きかけによるものである。海軍大佐であるアーサーは、良識ある海軍軍人に声をかけてフィリピン行きを勧めていた。


 マフィアやギャングが幅を利かせる現在のアメリカ軍は、良識のある軍人には耐え難いものであった。軍縮によるポスト削減と給料の遅配も慢性化しており、さっさと見切りをつけて退役するか、フィリピンで新たな軍務に就くかの2択しか無かったのである。


 マッカーサー兄弟の呼びかけによって大勢のアメリカ軍人が家族共々、フィリピンに移住していた。彼らはフィリピン軍(予定)の基礎となり、東南アジアでも有力な軍隊を築き上げることになる。


 国軍の創設が急がれたのは独立を見越したこともあるが、スポンサーの意向も強く働いていた。資金を出しているのは、アメリカから逃げてきた資産家達であり、当然の如く反米志向であった。


 旧アメリカ軍人達も同様であり、アメリカからの侵略に対抗するべく戦力の整備が進められていった。ケソン自身も独立が空手形になるのを恐れており、国軍創設に拍車をかけていたのである。


(……アメリカ関連の情報も請求しておいたほうが良さそうだな)


 テッドの請求によって、MI6から廻されたアメリカの内情に彼は驚愕することになる。それは、彼のイメージである史実アメリカとは程遠いものであった。







(……ソ連は筆髭(ふでひげ)が権力を掌握か。大粛清待った無しかなぁ)


 ソ連の最新情報を読んでため息をつくテッド。

 生前にH〇I4大好きだった彼からすれば、スターリンが政権を取る(イコール)大粛清のイメージなのである。


 この世界では、ニコライ2世とその家族が英国に亡命しているために、ソ連の国家としての正当性が疑われている状況であった。


 これに加えて、前任者のレーニンがフィンランド内戦に首を突っ込んでフィンランド赤軍が文字通り消滅。その後を引き継いだスターリンの苦労は、並々ならぬものだったのである。


 実際、政敵によるスターリン批判は日に日に高まっていた。

 劣勢を挽回するために、史実よりも前倒しで大粛清が開始されたのであるが……。


(まさか、扶桑がここまでソ連を警戒させるとは。スーパー扶桑は伊達では無いってことか)


 返礼使節団によって、その存在が明らかになった戦艦『扶桑』は、欧州列強に『フソウショック』を巻き起こした。名ばかりの列強だと侮っていた極東の島国が、とんでもなく強大な戦艦を建造していたのである。各国はその対応に追われることになり、ソ連でも大粛清を一時的に棚上げして超フ級戦艦の建造を急いでいた。


 ちなみに、『スーパー扶桑』は最近大流行している戦艦を擬人化したトレカに出てくる扶桑の平成会における通称である。史実艦〇れに比べて大火力となり、(胸部)装甲も増加して自信満々な表情、さらに高い戦闘力で大人気であったが、史実を知る者からすれば圧倒的にコレジャナイ感があった。


(トロツキーの所在が(つか)めない? 粛清されたわけじゃなさそうだけど……)


 スターリンとの権力争いで失脚したトロツキーは、厳重な監視下に置かれていた。しかし、彼とて筋金入りの革命闘士である。シベリアへ向かうとそのまま(たくみ)に行方をくらましていたのである。


(トハチェフスキーが死亡。処刑じゃないのが妙だし、何よりも……)


 ミハイル・トハチェフスキーは、史実では赤いナポレオンとまで称されたソ連軍人である。


 赤軍の機械化を推進して、数々の画期的戦術理論を編みだしていた。彼の『縦深戦術理論』は、その後の軍事理論に大きな影響を与えるほどのものであり、まさに赤軍の至宝であった。


 添付された現地新聞の切り取りには、トハチェフスキーが視察中に崩落に巻き込まれ、同伴していた部下達共々、生命は絶望的であると報じられていた。現場が極めて峻険(しゅんけん)な場所であり、遺体の確認は不可能であるとも。


(いや、これってどう考えても生存フラグだろう!?)


 ラノベ脳なテッドからすれば、どう考えても二人は生きているとしか思えなかった。しかし、それを証明する材料は何処にも無い。


(一応、報告しておこうか。しかし、まともに取り合ってくれるかどうか……)


 頭を抱えるテッド。

 彼の懸念が的中するのは、それから数年後のことであった。







(で、今度は帝国陸海軍か……)


 興味津々に報告書を読み進めるテッド。

 なんだかんだ言ってもミリオタであるので、この世界の日本の軍備には興味があったのである。


(陸軍は師団数が少なすぎて国防に苦慮している、か……)


 現時点での帝国陸軍の師団数は20個師団であった。

 史実の日中戦争前の師団数が17であったことを考えれば、多少なりとも増えてはいた。しかし、史実よりも大幅に領土が広がってしまったために、これでも不足気味であった。


 だったら、師団を増やせば良いじゃないかという話であるが、事はそんなに単純ではない。この世界の帝国陸軍は平時は志願制なのである。人件費は最低限度に抑えられているとはいえ、一銭五厘の消耗品というわけにはいかなかった。


 ちなみに、各種資格がタダで取れて美味い飯が食えるということで、家を継げない次男三男には大人気であった。後世においても、経済不況時の駆け込み寺と化して応募が殺到することになるのである。


(でもまぁ、これで大陸から撤収する良い言い訳にはなるか)


 日露戦争に勝利したことで南満州の権益を確保していたものの、その経営は(かんば)しいものでは無かった。ドイツ人とは対照的に、現地の中国人に日本人は蛇蝎(だかつ)(ごと)く嫌われており、陰に日向に嫌がらせをされていた。


 武力で不満分子を鎮圧しようにも、現地にはドイツ人が大勢いるために思い切った手段が取れなかった。無理に鎮圧してドイツ人を巻き込もうものなら、欧州列強から難癖を付けられるのは確実である。関東軍のストレスは溜まる一方であった。


 同じ条件で商売をしても、ドイツ人は上手くいくのに日本人は陰湿な嫌がらせをされるわけで、満州は移民からも忌避されつつあった。満州以外にも開拓中の新領土はいくらでもあるのである。


 これらの一連の動きに焦りを見せていたのが、関東軍内部の満州国建国派である。後に追い詰められた彼らは拙速に走り、その結果は悲惨なものとなる。


 大陸からの撤収が完了した際には、関東軍を解体して各地に振り分ける予定であった。しかし、それでも師団数が足りないのは明らかなので、不足分を火力の向上で補うしか無かった。平成会は『弾幕はパワーだぜ!』を合言葉に火力増強に邁進していたのである。


(って、マジかよオイ……)


 添付された写真を見て驚愕する。

 そこには、史実のAK47を箱型弾倉にしたような自動小銃が写っており、『TYPE80 automatic rifle』と但し書きが付いていた。こんなものを作るのは、当然の如く平成会の技術陣であった。


 八〇式自動小銃は、第一次大戦時にBEF(英国海外派遣軍)が使用したバトルライフル(Rifle No.4 Mk 3)に刺激を受けて開発されたものである。史実AK47を丸パクリした結果、アホみたいに頑丈でローコストな小銃に仕上がっていた。


 弾薬は従来の三八式(史実の九九式)と共通であった。

 弾薬をそのまま使えるメリットが如何に大きいかは言うまでもないことである。


 この弾薬は開発中の軽機関銃にも採用されており、制式採用されれば分隊支援火器として運用される予定であった。これによって、歩兵小隊の大幅な火力の引き上げが達成出来ると平成会は考えていた。


(チハ……だよな? 微妙にイメージが異なる気がするのだけど……)


 添付されている写真には、『unknown』の但し書き。

 迷彩も施されておらず、試験中を隠し撮りしたと思われる写真には、見た目は新砲塔チハのような戦車が写されていた。


 史実の鋲だらけの外観とは一線を画しており、溶接仕上げですっきりとして見るからに強そうである。この新型戦車は、後に『八七式中戦車』として制式採用されることになる。


 この他にも、各種支援車両や重砲の開発も急がれていた。

 その火力増強は留まるところを知らなかったのであるが、弾薬消費量も激増して主計士官の頭を悩ませることになる。







(ふーむ、海軍内部の主導権争いが激化している、か……)


 海軍の主流派というのは、この時代だと概ね鉄砲屋(砲術関係者)のことを指す。戦艦が主力の時代なのであるから、ある意味当然のことであろう。


 帝国海軍の戦術は、はるばる来航してくる敵艦隊を日本近海で迎え撃つことが基本であった。日本海海戦の如く、主力である戦艦を全部集めてぶつければ事足りたのである。


 しかし、史実よりも広大な海外領土を得てしまったことにより、この戦術は破綻しようとしていた。


 北はカムチャッカ、南は南洋諸島を含む西太平洋の大部分を防衛することになると、戦艦のような大型艦を少数精鋭で配備するよりも、より小型な軽巡や駆逐艦を大量に配備したほうが現実的との意見が強まっていたのである。


(帝国海軍の戦艦戦力は大したものなのだけど、ロイヤルネイビーと比べてしまうと微妙な気がする……)


 この世界のロイヤルネイビーは、手持ちの戦艦全てをQE(クイーン・エリザベス)型高速戦艦と置き換えてしまうという変態的なことをやらかしているが、それを他国の海軍に当てはめるのは大きな間違いである。


 ちなみに、QE型は30隻以上建造されていたりするのであるが、あまりに数が多すぎて某トレカ用に描き分けるのがめんどくさいと平成会から筋違いの苦情がテッドにいってたりする。本当にどうでもよいことであるが。


 それはともかくとして、帝国海軍で主力となっているのは、金剛型4隻、扶桑型2隻に加えて伊勢型2隻の計8隻である。全艦が36サンチ(14インチ)砲を搭載しており、26ノット以上発揮可能な強力な戦艦である。特に扶桑型と伊勢型は4連装3基12門という大火力であった。


(こいつが、ウォー様をぶち抜いていった長門か……)


 添付されている写真には、関東大震災救援の際にニアミスした長門が写っていた。長門型(史実天城型)は世界初の41サンチ(16インチ)砲搭載艦であり、30ノット超の速度発揮が可能な超高速戦艦である。


 現時点で世界最強の戦艦であることは疑い無いものであり、上述の戦艦群を加えると極東方面における帝国海軍の戦力は他勢力とは隔絶していた。しかし、海外領土が広大過ぎて戦力的な価値が下がっていたのである。


(どう見ても特型駆逐艦だよなぁ……)


 添付されている写真には、屋根付きの艦橋が特徴的な駆逐艦が写されていた。

 発言力を強化しつつある水雷屋の自信の源が、現在就役中の新型駆逐艦であった。


 平成会が、藤本喜久雄(当時中佐)に依頼して設計させたことにより、史実よりも進水が大幅に前倒しされていた。後の懸案となる溶接強度問題も、テッドが仲介した英国からの技術導入により問題無いレベルに達していたのである。


 新型駆逐艦は画期的な重武装、良好な凌波性を併せ持った新世代の戦力である。、戦艦1隻作る資材で20隻は配備出来るので水雷派の鼻息は荒く、『これからは水雷屋の時代』と堂々と広言する始末であった。


 これに対して、どん亀乗りや飛行機屋も黙っていなかった。

 ドイツから分捕った戦利品の解析や、英国からの技術援助によって潜水艦や飛行機の国産化に成功していたのである。彼らは性能向上に血道をあげており、日進月歩の勢いであった。


 各派閥はお互いにてっぺんを取るべく壮絶な覇権争いに興じていた。

 同時に大蔵省へのアピールも忘れていない。最後にモノを言うのは結局は予算なのである。


 日に日に不利になっていく鉄砲屋であったが、黙って引き下がるほど潔くは無かった。新型戦艦の建造を強く働きかけ、予算上の問題で無理と分かるとイタリアもびっくりな魔改造をしていくことになるのである。


「……」


 報告書を読み終えて、ため息をつくテッド。

 機密書類は辞書に隠して厳重に封をしたうえで金庫に放り込む。


(思っていた以上に、史実との乖離(かいり)が進んでいるなぁ。今までは割と好き勝手やれていたけど、今後はそうはいかないかも……)


 不幸なことに、テッドの懸念は的中することになる。

 改変されつつある歴史の荒波は、より荒れ狂い、嵐となって世界を覆っていく。その猛威の前では、オリ主チート枠なテッドと言えど翻弄されるしか無かったのである。






以下、今回登場させた兵器のスペックです。


I号戦車


全長:4.02m  

全幅:2.06m  

全高:1.72m  

重量:5.4t  

速度:48km/h

行動距離:140km

主砲:MG17 シュパンダウ重機関銃

装甲:6~13mm

エンジン:クルップM305A 4ストローク水平対向4気筒空冷ガソリンエンジン80馬力

乗員:2名


ドイツ陸軍が戦後に開発した軽戦車。

英国から『カーデン・ロイド戦車』を輸入して研究した結果、足回りは極めて似通った構造となっている。


敵が投入してくるであろうカーデン・ロイド戦車を確実に始末出来るだけの火力を確保するために、第1次大戦末期に開発されたマウザーM1918の弾丸を流用した機関銃を新規に開発している。


中国大陸における軍閥同士の争いに投入されたが、戦車としては早々に性能不足を露呈してしまった。各種改良が実施されたものの、最終的には偵察車両としての運用がメインとなっている。



※作者の個人的意見

史実のI号戦車の速度と火力を若干向上させたものです。


主砲はオリジナルで、マウザーM1918の弾丸を使用した重機関銃です。

1917年に採用されたのでナンバリングはMG17にしているのですが、ドイツの機関銃のナンバリングは年代だったり、口径だったりで良く分かりません…(汗


この世界のドイツでも第1次大戦中に独自の戦車開発をしていたのですが、いわゆるTOG2ショックで全て白紙になってしまいました。ちなみに、切り札として投入した『象撃ち銃』はTOG2相手にかすり傷にもならなかったので、当時の担当者が発狂しています(酷


戦後になってから、カーデン・ロイドを輸入して研究した結果、史実よりも大幅に前倒ししてI号戦車が完成。これをそのままスケールアップしてTOG2クラスの重戦車を開発する予定だったのですが、足回りが重量に耐え切れずに難航しているのが現状だったりします。


大陸の軍閥の覇権争いで、コンバットプルーフされて各種改良型の開発が捗りそうです。それでも、車体の大きさ故の限界があるので早々に大型化していくことになるでしょう。


『ノモンハン』も経験するでしょうから、早々に重戦車構想は捨てさって機動力を重視するようになるかもしれませんね。下手すりゃ戦前に3号とか4号が主力になっている可能性も…(白目






八〇式自動小銃


種別:軍用小銃

口径:7.7mm

銃身長:416mm

使用弾薬:三八式普通実包(史実九九式普通実包)(7.7mm×58)

装弾数:30発

全長:870mm

重量:3700g(弾薬除く)

発射速度:毎分600発前後

銃口初速:740m/s

有効射程:400m


1920年(皇紀2580年)に制式採用された突撃銃。

平成会の技術陣が、史実のAK47をベースに開発した。


AK47をベースにしているが、使用弾薬の形状の違いのために箱型弾倉が採用されている。元が元なだけに、その信頼性は折り紙付きで前線の兵士からは絶大な信頼を勝ち取ることになる。



※作者の個人的意見

安くてタフな突撃銃を作るならAKをベースにするしかありませんよね。

当時の日本人の体格でフルオート射撃を御せるか心配になりましたが、セミオートならなんとかなるでしょう。同じ弾薬を使用する史実の四式自動小銃だって一応成功していますし。






試製中戦車(八七式中戦車)


全長:5.55m  

全幅:2.33m  

全高:2.23m  

重量:16.2t  

速度:50km/h

行動距離:200km

主砲:47mm戦車砲 

装甲:25mm/25mm(車体正面/側面) 20mm(車体背面) 

   25mm/25mm/10mm(砲塔正面/砲塔側面/砲塔天蓋)

エンジン:試製統制型八二式発動機空冷4ストロークV型12気筒ディーゼルエンジン(過給機付き)280馬力

乗員:4名


1927年(皇紀2587年)に制式採用された中戦車。

10年以上早く実現してしまった、新砲塔チハたんである。


テッドが仲介した英国からの技術導入により、鋲止めが廃止されて全面的に溶接によって組み立てられている。


エンジンは、平成会が原乙未生(当時少佐)に研究を依頼して史実よりも早期に統制型ディーゼルが採用されている。


史実と異なるのは、部品の品質が向上したために信頼性確保のために低性能を甘受する必要性が無くなったことである。この世界の統制型ディーゼルでは予備燃焼室を採用せず、その分性能が向上している。


当初は榴弾の運用がメインであったが、対戦車戦闘用に徹甲弾も後に配備されている。良好な機動性により、一線を引いた後も偵察車両として用いられることが多かった。



※作者の個人的意見

チハたんは弱くなんてありません!

少なくても、登場した時点では世界水準だったのです。そんなわけで、ちょっとだけ登場時期を早めてみました(10年がちょっととか言っちゃダメ


史実でもチハたんに統制型ディーゼルを積む計画はありましたし、実際に九七式中戦車を流用した装甲工作車に搭載されてたので、統制型ディーゼルを積むことは自体は問題無し。この世界だと史実よりも高性能な統制型が出来ちゃってるので、そいつを積んでしまえば良好な機動力が確保出来ます。


対戦車戦闘の要となる徹甲弾ですが、史実で試作されたタングステン弾芯の徹甲弾で1500mで45mmを抜いていますので、側面狙いなら史実M4にも対抗出来るでしょう。






伊勢


排水量:36600t(常備) 

全長:210m 

全幅:30.1m

吃水:8.7m

機関:艦本式重油専焼缶10基+艦本式タービン4基4軸推進

最大出力:82000馬力

最大速力:26.5ノット

航続距離:14ノット/8000浬 

乗員:1190名

兵装:45口径36cm4連装砲3基

   50口径15cm単装砲16基

   40口径8cm単装砲4基  

   40口径8cm単装高角砲4基 

   53cm水中魚雷発射管単装6基

装甲:水線330mm

   甲板75mm

   甲板側面230mm

   主砲塔305mm(前盾) 130mm(天蓋)

   主砲バーベット部300mm

   司令塔330mm


伊勢型戦艦1番艦。

同型艦は『日向』


前級の扶桑の改良型であり、装甲配置の適正化や機関出力の向上によって速度が若干増えている。文献によっては、扶桑型3番艦と書かれていることもある。


英国からの技術導入によって、400mm厚の甲板を作れるようになったために、最初から一枚板の装甲になった。その分、同じ装甲厚でも実質的な防御力は増している。



※作者の個人的意見

この世界の伊勢も日向も瑞雲祭りとかしません(断言

最後まで正統派な戦艦として頑張ってもらいます。






長門


排水量:47600t(常備) 

全長:252.37m 

全幅:32.26m

吃水:9.45m

機関:艦本式重油専焼缶19基+艦本式(高圧低圧)タービン8基4組4軸推進

最大出力:141000馬力

最大速力:31ノット

航続距離:14ノット/8500浬 

乗員:1800名

兵装:45口径41cm連装砲5基

   50口径14cm副砲16基

   40口径12cm単装砲4基  

装甲:舷側254(傾斜12度)

   甲板95mm

   主砲塔305mm(前盾) 152~190mm(側面) 127mm(天蓋)

   司令塔254~330mm


長門型戦艦1番艦。

同型艦は『陸奥』


実質、史実の天城型戦艦の改良型である。

計画では、41サンチ3連装5基15門(!)という空前絶後の大火力戦艦となる予定であったが、肝心の3連装砲塔が試作段階で不具合を連発、さらに想定よりも重量過多となったために、連装砲塔が採用されたという経緯がある。ただし、バーベット径は余裕を持たされており、将来の換装に対応出来るようになっている。


英国からの技術導入により、高圧缶と大出力蒸気タービンの信頼性の醸成に成功しており、これ以後の海軍艦艇のハイパワー化が一気に進むことになる。



※作者の個人的意見

巡洋戦艦ではなく、高速戦艦として完成したので戦艦の命名規則を適用しています。


計画では4隻作る予定だったのですが、戦略の見直しによって2隻は計画段階で中止になっています。その分、空母を作るわけですが純粋に空母を作るとなると『赤城』と『加賀』の名前が使えないことになるわけで、この世界の艦〇れには二人はいないことに。なんてことだ…_| ̄|○


近代化改装してからが本番です。

41サンチ3連装4基12門で30ノット超の高速戦艦とか、周辺国からすれば脅威以外の何物でも無いですよねw






吹雪


排水量:1680t(基準) 1980t(常備)

全長:118.5m

全幅:10.36m

吃水:3.2m

機関:艦本式重油専焼缶4基+艦本式タービン2基2軸推進

最大出力:50000馬力

最大速力:38ノット

航続距離:14ノット/4500浬

乗員:207名

兵装:50口径12.7cm連装単装砲3基6門

   7.7mm単装機銃2基 

   53cm3連装魚雷発射管3基

   爆雷投射機2基


吹雪型駆逐艦の1番艦。

この世界では起工が大幅に前倒しされており、同型艦が続々と建造されている。


英国からの技術導入によって溶接による強度不足は克服されており、後の第4艦隊事件でも損傷は比較的軽微にとどまった。このことで溶接に自信を付けた海軍は、ブロック工法を積極的に採用していくことになる。


現時点では掛け値なしに世界最強の駆逐艦であり、海軍内部での水雷屋の発言力が飛躍的に高まるきっかけとなった。



※作者の個人的意見

この時期に特型を大量建造出来れば、大いに戦力になるでしょう。


コスト的には、もっと小型な艦を量産するべきなのでしょうが、全天候性を考慮するとポケット軽巡な特型が最低ラインでしょう。船体形状が複雑で、工作に手間がかかるので大量生産向きじゃないのですが、そこはブロック工法でなんとかなるはず。


本文で描写したフィリピンに艦艇を大量に輸出することになるので、ここらでブロック工法に習熟してもらわないと困るわけです。タイとかオーストラリアにも輸出するので、日本の造船業はウハウハですねぇ……。

周辺国家と日本の軍備について書いてみました。

アメリカがやくざ国家と化した反動で、フィリピンがモロに影響を受けてしまいました。このまま一気に工業化していくことになるでしょう。


まぁ、アメリカの最終変身も間近なんですけどね。

早く平和補正を外さないと……(邪笑


フィリピンがアメリカからの圧力に対抗するために、日本との関係強化→日比安保締結→集団的自衛権発動で対米戦争……なんてことにならないことをお祈りします(オイ


日本の軍備は平成会チートに、英国からの技術援助の大盤振る舞いでヤバいことになり始めました。この勢いでいくと、開戦前にはマジで紺〇艦隊になっちゃいそうです。火葬兵器がいっぱい増えるよ!(ワァイ

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弾薬のせいでAKというよりFG42に近い銃ですね... 肝心の弾薬が間違ってます... アサルトライフルの優位性の原因って使用弾薬がライフル弾より装薬量が少ない弾薬を使う事ですから。 しかも、よりによ…
[良い点] 楽しく拝見しておりますが、この時代はまだ気楽で結構ですね。カレーは日英共通の趣味ですし、更に食道楽シリーズを続けてはいかがでしょう? 朝食における卵は卵かけご飯かポーチドエッグのどちらが良…
[一言] >>ドイツ軍の機関銃 口径とか由来不明の連番っぽいのを使うのは再軍備宣言以降に空軍が主体として制式化された航空機関銃/砲です。 陸軍は一貫して開発年度の下二桁ですし、陸戦用機関銃を母体として…
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