第53話 臨時代理大使
(どうしてこうなった……)
帝国ホテルのスイートルーム。
そのデスクでテッドは頭を抱えていた。
スイートルームの入口には、墨痕鮮やかに『駐日英国大使館』と書かれた木札が掲げられていた。英国大使館は帝国ホテルに移って業務を再開していたのである。
『うぅ、ドーセット公。後を頼む……』
『チャールズ卿!? メディック、メディーック!?』
事の始まりは、全権大使のチャールズ・エリオットが過労で倒れたことであった。現状の帝都では彼の健康を取り戻すことは難しいということで、本人の希望で奈良へ疎開することなったのである。
『辞令を見ましたけど、これはどういうことですか!?』
『あくまでも臨時だよテッド君。非常時とはいえ、全権大使が不在なのは具合が悪いからな』
『それは分かりますけど、なんで僕何ですか!?』
そうなると問題になるのが大使の後任である。
円卓はチャールズの離任が一時的なものであると考えており、臨時代理大使にテッドを指名したのである。
たとえ臨時とはいえ、はいそうですかと簡単に引き受けられるものではない。
当然ながら、テッドは電話先のロイド・ジョージに喰ってかかった。
『……いろいろ理由はあるのだが、君が日本で最も有名なイギリス人であるからだよ』
『それはどういうことです?』
『君の英雄的行動は、こちらでも大きく報道されているぞ? 臨時大使就任に文句を言う日本人は存在しないだろうな』
『えぇー!?』
テッドは、史実を知るが故に事前準備をすることが出来た。
しかし、何も知らない人間からすれば恐るべき先見性と実行力なのである。
特に、テッドが香港の中国戦隊を迅速に動かしたことによって、戦艦『長門』は秘匿速力を発揮せざるを得ない状況に陥った。ちなみに、長門は本来の姿ではなく、後の大改装で様相を一変させることになるのであるが、それはまた後の話である。
『まぁ、最大の理由は日本政府からの強い意向があったことなのだが』
『なんで日本政府が関わってくるのです?』
『分からん。どうも、通常とは違う権力ルートによる決定らしい』
『……ひょっとして、平成会が絡んでたりします?』
『いや、彼らは関わっていないようだ』
意外なことに、今回の件に平成会は関わっていなかった。
早々に情報は掴んでいたものの、消極的賛成に留めていた。復興予算で散々にテッドに苦労をかけた負い目があったのかもしれない。
なんにしろ、特に断る理由が無いのに日本政府の要請を断ろうものなら、国際問題化待った無しである。彼に出来たことは、受話器を片手に呻くことのみであった。
臨時代理大使とはいえ、その権限に変わりは無い。
しかし、普通は経験を積んだ幹部職員が臨時大使に就任するものである。
「というか、本来ならサンソム卿がなるべきでしょう!? なんで僕が!?」
「私もそうなるかと思っていたのですが、こればかりはどうにも……」
テッドの愚痴を聞くサンソムも困惑していた。
英国政府も当初はサンソムを臨時代理大使にするつもりであった。臨時代理大使には日本側からの外交使節の長として承認が不要なので、通達すれば事足りるはずだったのである。
円卓も当初は政府の方針を支持していた。
しかし、日本側から逆にテッドを臨時代理大使に出来ないかと打診されたことで考えを改めた。
臨時代理大使は日本側の意向を尊重する必要は無いし、そもそもこのような要求をすること自体がルールに反する。しかし、それを否定する理由も無いのである。
石油王で爵位持ちで、さらに王室や英国の政財界に知己があり、とどめに今回の活躍。過去にはイスラエル建国にも関って、周辺国家との折衝も経験している。本人にその自覚が全く無いのであるが、じつに外交官向きな人材なのである。
外交官としての経験が、政治の世界でプラスとなるのは間違いない。
史実においても、広田弘毅や吉田茂のように外交官としての経験を総理大臣として活かしたケースがある。
テッドが、臨時代理大使として実績を上げられなくても問題は無い。
今後の英国の世界戦略において、極東アジア方面における重要な駒が日本である。最悪でも、日本でコネを作ってくれれば後々で大いに役立つことになるであろう。
コネの中には、当然平成会も含まれている。
先年の世界巡行のような短期間ではなく、日本に腰を落ち着けてじっくりと平成会とのコネづくりに邁進して欲しいという円卓の思惑があった。
さらに言うならば、平成会の手足であるJCIAの注目を集めさせるという目的もあった。MI6の商売敵であるJCIAであるが、規模は未だ小規模ながら優秀な諜報組織であった。
平成会の注目がテッドに集まれば、自然とJCIAの目もそちらへ向くことになる。朝鮮半島で実施している核開発や、新型兵器のテストから目をそらさせるには好都合であった。
ロイド・ジョージは嘘は言っていなかった。
日本政府からの打診があったのは事実である。本当のことを全部言わなかっただけなのである。
臨時大使に就任したテッドの最初の仕事は、各国大使館への挨拶回りであった。
帝国ホテルは避難してきた各国大使館の寄り合い所帯となっていたために、面会そのものは難しいものではなかった。
「臨時とはいえ、貴方が英国大使になるとは心強い。この度は災難でしたが、お互い頑張りましょう!」
「ど、どうも……」
テッドが差し出した手を両手でしっかり握りしめる。
彼に尻尾があれば大きく振り回していたであろう。完全に好感度MAXである。
イスラエル大使は、建国時代にテッドの下で働いていた男であった。
当然ながら、テッドの功績をよく知っていた。とはいえ、このように友好的なケースは例外中の例外である。
「これはこれはドーセット公。大使就任おめでとうございまっ、ぐへっ!?」
「てめぇじゃねぇ! どうも、フランス・コミューンのぉっ、ぎゃぁぁぁ!?」
「「やんのかごるぁ!?」」
フランス大使館に挨拶に行ったら、目の前で乱闘が勃発。
いい年した大人の殴り合いを鑑賞するハメになった。
フランス大使館では、フランス・コミューンとフランス共和国の勢力争いが激化していた。
もともと、フランス大使館ではコミューンの支持者が多かった。
しかし、英国はフランス共和国のみ承認し、コミューンは承認しなかった。日本も同様のスタンスのため、フランス・コミューン大使館を新たに設置することは出来なかった。
コミューン派はこれに強く反発し、事あるごとにその正当性を主張した。
帝国ホテルの一室に水と油の両派が押し込められた以上、争いが起きるのは不可避だったのである。
「チャオ! 今度飲みに行きませんか? ここのバーには美味しいワインがあるんです…って、ぎゃぁぁぁ!?」
「……貴方の血のように赤いワインが飲みたいわね」
イタリア大使は、テッドを小僧と侮ったあげくに同伴していたマルヴィナをナンパしようとして捻じりあげられた。イタリアは戦勝国の立場でありながら、その恩恵にほとんどあずかれなかったために、英国に対してドライな対応を取る傾向が強かった。
「貴公がドーセット公か。よろしくお願いする」
「ど、どうも……」
ドイツ大使からは、威嚇せんばかりに敵意をむき出しにされた。
この世界のドイツは、史実とは異なり英国と対等な立場で講和したので、未だにライバル心高めであった。
「可及的速やかに皇帝一家を返還願いたい!」
「いや、それを僕に言われても……」
ソ連大使からは嫌味を言われた。
これは致し方ないであろう。ガチで英国がやらかした案件であるし。
「これはこれはご丁寧に。短い間でしょうが、よろしくお願いします」
「は、はぁ……」
アメリカ大使からは慇懃無礼な態度を取られた。
モンロー主義を拗らせたことによって、英国とアメリカとの関係は疎遠化していたので致し方なしであろう。
(こんな面倒くさい連中と付き合う必要があるのか。ストレス溜まるな……)
内心でため息をつくテッド。
一筋縄ではいかないだろうと思ってはいたが、ここまでとは思っていなかった。
腐っても、彼らは国家を代表する全権大使達である。
平時ならば、ここまで露骨な態度を取ることは無いのであるが、関東大震災による被災によって精神的な余裕を失っていた。そのはけ口が、臨時大使とはいえ異様に若く、外交官としては無名なテッドに向けられてしまったのである。
さらに言うならば、英国が独り勝ちしている状況が影響していた。
第1次大戦で完勝してしまったために、大勢の国家を潜在的に敵に回していたのである。
(た、退屈過ぎる……)
外交官デビューしたテッドの目下の仕事は、時たまあがってくる書類にサインすることであった。親善イベントでもあれば外に出る機会もあろうが、関東大震災からの復興中にそんなイベントなどあるはずもなかった。
「……で、サンソム卿は何をやっているんですかねぇ?」
「来るべきコミケに備えてコスプレの練習ですが何か?」
「うん、聞いた僕が馬鹿だったよ」
赤いコートに赤い帽子、そして眼鏡。
史実の某吸血鬼漫画のコスプレをしているのを見てため息をつくテッド。
部屋の片隅で、不気味な笑みを浮かべながら足踏み式ミシンを巧みに操作しているキャサリン・サンソム女史は敢えて目に入れないようにする。縫っているのは女性用のコスプレ衣装で、どう見ても露出過多な気がするのであるが関わらないのが最良であろう。
平成会の暗躍によって、史実の名作のパクリ――もとい、リスペクトされた作品が青少年に大人気であった。過去にテッドが英国や、その周辺国でやったことを平成会も現在進行形でやらかしていたのである。
特に時代設定が近い大正浪漫な歌激団や、軍艦の擬人化は大人にも熱狂的なファンが多く、一大ブームとなった。この両作品はトレーディングカードゲーム(TCG)として、この世界で初めて世に出たゲームでもあった。
ちなみに、トレカは某野球チップスのように駄菓子のおまけとして売られていた。熱中のあまり、いい歳した大人が駄菓子屋で箱買いするという、じつに大人げない光景があちこちで見られたのである。
「そうは言いますが、読書をしているドーセット公も人のことを言えないのでは?」
「これはゲームブックだから良いの!」
「……なおさらダメじゃないですか」
左手に本、右手に鉛筆を持ちつつ苦しい言い訳をするテッド。
デスクに置かれたアドベンチャーシートはびっしりと書き込まれていた。
史実におけるゲームブックの流行は、ファミコンの爆発的ブームとも重なっている。高価なゲームソフトをいくつも購入出来ないために、安価に雰囲気を味わえるゲームブックが売れたのである。
この世界においては、ファミコンを作るべく日々邁進している平成会の一派が、せめて雰囲気だけでも味わいたい一心でゲームブックを発刊していたのであるが、思っていた以上の売れ行きを示したために、調子に乗ってシリーズ化していた。
ゲームブックの売れ行きに黙っていられなかったのが、平成会の一派である『TRPG普及委員会』であった。史実において、ゲームブックの普及がテーブルトークRPGの入門書の役割を担ったことを知っていた彼らは、後に続けとばかりに某剣の世界を舞台としたTRPGを発売したのである。
当初はTCGに押されて売れ行きは芳しく無かったのであるが、ラジオによるTRPG実況が始まると一気に知名度が上昇した。TRPGリプレイ集が爆発的な売れ行きとなり、当時の人気役者達の声が吹き込まれたリプレイレコードもプレミア価格が付くほどであった。
一人で遊べるゲームブックとは違い、GMを含めて3、4人は必要となるTRPGはTCGほどのヒットにはならなかったが、一定の市民権を得ることに成功した。その結果、この世界における日本のRPGはTRPG全般を指し、ド〇クエなどはテレビゲームRPGと呼称されることになるのである。
この他にも、史実の某玩具メーカーが得意とした伝統玩具を商業玩具化する手法でニュータイプな玩具が次々と発売され、これまた爆発的ヒットとなっていた。
当然ながら、裏で糸を引いている平成会には莫大なロイヤリティが入った。
それを元手に企業の買収や技術開発を積極的に進めていたのである。
「……いやぁ、皇居の中ってこうなってるんですね」
「皇居? 此処は宮城ですよ?」
「あ、すみません間違えました。日本語難しいですね……」
案内する珍田捨巳は怪訝な表情をしたが、すぐに歩みを再開する。
(やばっ、皇居って戦後の呼び名だったのか……)
内心で冷や汗をかくテッド。
ちなみに、史実において宮城と称するのは明治21年からであり、昭和23年に廃止されて皇居と呼ばれるようになった。そのため、戦前は宮城の呼び名が一般的であった。
それはともかく、何故テッドが皇居を案内されているのかは1時間ほど時系列を遡る必要がある。
『半年ぶりといったところですか。お久しぶりですなドーセット公』
『貴方は……珍田伯爵! お久しぶりです。あのときは本当にお世話になりました』
相変わらず暇を持て余しているテッドであったが、その日は珍しく来客があった。先年の世界巡幸や、その後の返礼使節団で散々にお世話になった珍田捨巳であった。
『ところでドーセット公。お時間はありますかな?』
『え? いやまぁ、こんな状況ですし時間だけなら有り余っていますけど……』
『それは良かった。これを機会に宮城の案内をと思いましてな』
『いや、ご厚意は嬉しいのですが、そこまでしてもらうわけには……』
『皇太子殿下来訪時にドーセット公は病気で臥せっておられたではないですか。これを機会に是非』
はっきりと暇と言ってしまった手前、断るのは難しかった。
そんなわけで、珍田の案内で皇居内を散策することになったのである。
「……さて、ここらへんで良いでしょう」
広い皇居の敷地の一角で珍田は立ち止まり、誰かに言い聞かせるように話し始める。
「内平かに外成る 地平かに天成る……でしたな。以前言われたのが気になって調べてみたのです」
「史記の内平外成、書経の地平天成。これが元になっているのではないかと」
「この二つの故事から導き出されるのは平成です。平成といえば、慶応改元の際にも候補になったとか。結局、明治が採用されたわけですが」
「つまり、過去に平成という年号は存在しない。では未来ならばどうでしょう?」
珍田は、ある程度以上の確信をもって言葉をぶつける。
対するテッドは、内心の動揺を表に出さすに反論する。
「……まるで、僕が未来の日本から来たような言いぶりですが、そのようなことを本気で信じているのですか?」
「確かに荒唐無稽ではありますが、そう考えるといろいろと納得出来るのですよ」
「仮にそれが事実だとしても誰も信じないし、狂人扱いされるだけですよ?」
論ずること自体が無意味として、話題を打ち切ろうとするテッド。
しかし……。
「そんなことはありません。少なくとも私と珍田は信じます」
「……え?」
物陰から出てきた人物に彼は絶句したのであった。
旧江戸城西の丸に1888年に落成したのが明治宮殿である。
京都御所を模した和風の外観に、椅子やシャンデリアのある洋風の内装という和洋折衷の様式の木造建築であり、表宮殿と奥宮殿が接続してひとつの建物として構成されている。
表宮殿が天皇が日常の政務を行う御座所や儀式の場であるのに対して、奥宮殿は天皇の御所として作られており、テッドが連れ込まれたのは奥宮殿のプライベートな一室であった。
「人払いをしましたので、ここには誰も来ません。それでは話してもらいましょうか」
「あの、その、陛下……じゃなかった、殿下? このような与太話を本気で信じておられるのですか?」
ニコニコ顔な裕仁親王に対して、顔面蒼白なテッド。
「珍田から報告を受けたときには驚きましたが、元日本人なら日本語が堪能なのも納得いきます」
「日本語が上手い外国人なんて、この時代にはそう多くないにしても、外交関係者ならそれなりにいるでしょう!?」
焦りのあまり感情が出てしまう。
『この時代』なんて口走っている時点で白状したも同然である。
「いや、私も日本語が話せる外国人はそれなりに知っていますが、ここまで自然に意思疎通出来た人間はいませんでしたな」
「うっ……」
必死の反論も珍田に敢え無く粉砕される。
史実のアメリカ国務省の外国語習得難易度ランキングで、唯一カテゴリー5+に位置付けられているのが日本語である。
日本語を学ぶ外国人が最初に直面するのが、使用文字の多さに起因する多言語に比べて桁外れに多い必要語彙である。しかし、最大の難関は主語の省略なのである。
主語をあいまいにしたり、省略するのは日本語の大きな特徴の一つである。
『主語+動詞+目的語』がほぼ絶対な英語に対して、日本語は主語が誰なのかを文の流れで解釈する必要がある。日本語を学ぶ外国人からすれば、これはとても難解なことなのである。
外交官として世界各国の公使や領事を歴任し、外国人の話す日本語のレベルを熟知している珍田からすれば、テッドの日本語は完璧過ぎた。少なくても日本で10年以上生活しないと身に付かないレベルであり、世間で公表されているテッドの身上からしてあり得なかった。
そもそも、日本語が話せるのであれば世界巡幸の時に何故使わなかったのか。珍田が怪しみ、その職権をフル活用してテッドを調べれば調べるほど不可解な点がぼろぼろ出てきたのである。
珍田はテッドを調べ上げるにあたって、JCIAではなく駐英日本大使館の職員を動かしていた。そのため、平成会は珍田がテッドを調べていることを把握していなかった。もっとも、そのころの平成会はテッドの扱いをめぐって内紛状態だったので、それを知ったところで具体的なアクションを起こしようも無かったのであるが。
珍田と同様の思いを抱いている『史実の偉人』は大勢いた。
彼らも平成会を怪しんでおり、あの手この手で接触を図っていくことになる。
『全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる』は、シャーロックホームズの名言であるが、テッドと平成会の存在はまさにそれだったのである。
「なるほど、ドーセット公と平成会は21世紀の人間だったというわけですか」
「あの元老院が頼みとしたのも頷けますな。革新的な政策を誰が考え出したのか疑っていたのですが……」
テッドに洗いざらい吐かせて驚嘆する裕仁親王と珍田。
珍田だけならともかく、裕仁親王相手に白を切る度胸を元日本人のテッドは持ち得ていなかった。
「ドーセット公。同じ日本人として我が国のために働いてくれませんか?」
「……殿下。いえ、あの世界に生きた者として、敢えて陛下と御呼びしますが、僕のいた世界では442連隊の逸話があります」
「それはいったい何なのですか?」
「442連隊はアメリカの日系人部隊です。彼らはアメリカへの忠誠を証明するために過酷な戦場で戦い、その多くが帰らなかった」
「……」
第442連隊は、史実第二次世界大戦中のアメリカ陸軍の連隊である。
士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されており、ヨーロッパ戦線で枢軸国相手に勇戦敢闘した。
その激闘ぶりは、連隊の死傷率314%という数字が如実に語っている。
アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊であり、彼らの活躍は後世の日系人の地位向上に大きく貢献したのである。
「魂は日本人といえど、この世界の僕は英国で生まれ育ちました。友人恩人も大勢いますし、嫁さんも英国人です。日本のためだけに働くことは出来ませんよ」
「そうですか……そうですよね。ドーセット公、貴方が正しい」
「あ、誤解しないでください。英国は日本と敵対することはありません。むしろ、国益に合致する部分が多いので共存することが可能です」
目に見えて落ち込む裕仁親王に、慌ててフォローを入れるテッド。
「植民地経営は最初こそ莫大な利益が出ますが、最後は大抵赤字経営です。英国はそんな厄介者をいつまでも抱えてはいられないのです」
「つまり、英国は中国に手出しをする気は無いということですか?」
「あそこは広すぎます。英国もですが、日本が手を出したところで圧倒的な人口差に飲み込まれてしまうでしょう」
英国としては、アジア方面は日本に任せるつもりでいた。
身も蓋も無い言い方をすれば、植民地や自治領を独立させるのに腐心しているのに、アジアのことなど構っていられないということである。
「しかし、陸軍は大陸に、特に満州へ積極的に関与しようとしている……」
「僕の世界でも、満州は日本の生命線と言われてましたからね。ですので、その前提を覆すことから始めるべきかと」
「満州は朝鮮半島を守る盾として欠かせない場所です。陸軍の言い分も、間違ってはいませんよ?」
「この世界では朝鮮半島は英国の影響下にあります。つまり、朝鮮半島有事の際には英国が動くことになります」
史実の『満州は日本の生命線』という言葉は、資源的な意味よりも地政学的な意味が大きい。ロシア(ソ連)の南下政策で朝鮮半島が支配されない為にも、日本の安全保障に満州は欠かせない場所だったのである。
しかし、この世界の朝鮮半島は英国の影響下である。
朝鮮半島に手を出そうものなら、世界最強の大英帝国を敵に回すことになる。日本にとって、これ以上ないくらいに強力な安全保障であった。
「なるほど、朝鮮半島を守る必要が無いから、必然的に満州の重要性も低下するわけですね」
「満州で手に入る資源は、カナダとオーストラリア、さらに朝鮮半島から安価に輸入出来ます」
日英同盟によって、カナダとオーストラリア、さらに朝鮮半島から友好価格で資源を輸入することが出来るのに、わざわざ満州で資源開発する必要は無いのである。
「これで陸軍が大陸に深入りする理由が無くなります。しかし、彼らをどうやって説得したものか……」
「拡大した領土の防衛を優先するといえば文句も言えないでしょう。むしろ足りないくらいでは?」
この世界の日本は、台湾、海南島、南満州の権益と樺太全土、カムチャッカ半島の領有権、遼東半島の租借権、さらに南洋諸島まで手に入れていた。その領域は広大であった。満州だけにかまけている場合ではないのである。
「大陸から撤退するときには、満州はドイツに権益ごと租借してしまえば良いでしょう。譲渡ではなく租借なので、反対意見も出にくいはずです」
「租借させれば確実に利益は出るし、ドイツが中国に深入りしてくれたらソ連に対する盾としても使えますね」
「万が一のために、日本海を聖域化する必要がありますけどね。そこらへんは海軍に頑張ってもらうということで」
裕仁親王は、テッドの献策の真の狙いを瞬時に理解していた。
さすがは皇太子時代から英明と評されていただけのことはある有能さであった。
テッドの献策は、後に平成会によってブラッシュアップされて実行された。
中国大陸で、史実の独ソ戦の地獄が再現されることになったが、日本は泥沼の消耗戦に引きずり込まれることなく東に目を向けることが出来たのである。
「……結果的とはいえ、殿下がドーセット公を臨時代理大使に推したのは正解でしたな」
「単に思い付きだったのですけどね。臨時とはいえ肩書があれば、お茶とかで宮中に呼びやすくなりますし」
「えっ?」
いきなりの重大発言をテッドの脳は理解出来なかった。
いや、理解するのを拒否したというのが正解であろうか。とはいえ、事の詳細を問いたださずにはいられなかった。
「あの、その、今回の臨時代理大使の就任はひょっとして……」
「はい。私が珍田にお願いしました」
「やっぱりぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
現実逃避しても結果は変わらなかった。
戦わなくちゃ現実と。
「珍田伯爵もなんでこんな無茶苦茶を引き受けたのです!? 臨時とはいえ、こんな人事が通るはずないでしょう!?」
「正規の外交ルートだと時間がかかるし、そもそもまともに取り合ってくれるとは思えないので、ロイド・ジョージ首相に直接手紙を出したのですが、まさか了承をもらえるとは思いませんでした……」
「あのクソ爺、僕を売りやがったなぁぁぁぁぁぁっ!?」
繰り返すが、ロイド・ジョージは嘘は言っていない。
日本政府からの要望があったのは事実である。極めて個人的な意思を、思いっきり拡大解釈した結果ではあるが。
昭和陛下にバレました。
臨時代理大使から臨時の文字が取れる日も近いですね!(白目
このままだとタイトル詐欺に成りかねないので、いつかは英国に戻るでしょうが、それまでは平成会とタッグを組んで頑張ってもらいますw
でも、陛下と気軽?にお茶したり意見出来たりする外国人って、君側の奸扱いされてもしょうがないだろうなぁ(意味深