第47話 ヒトラーの野望と闖入者
「ふははははっ! 素晴らしい。そう思わないかね!?」
「うん、そうだね……」
州都ドーチェスター郊外に佇む二人の男。
ご満悦なチョビ髭に、どこか疲れた様子な紳士。言うまでも無く、ヒトラーとテッドである。
彼らの眼前には、広大な牧場が存在していた。
しかし、牧場と言うものの実際に飼われているのは牛や羊の類では無かった。
(安請け合いなんてするんじゃなかった……)
心の中で深いため息をつくテッド。
全ては3年前のヒトラーとの約束が原因であった。
『……そこまで言うなら引き受けても構わないが、一つお願いがあるのだが』
『多少の無理なら聞きますよ。無理難題を言っている自覚はありますし』
『そうか。では馬主になりたいのだが……』
『馬主? そんなことで引き受けてくれるなら喜んで! 予算は財団から出して良いですよ!』
『本当か!?』
自分が不在のドーセットの開発を遅らせないために、テッドはヒトラーにハーグリーヴス財団の運営を要請していた。当初は渋ったヒトラーであったが、破格の役員報酬と願い事を一つだけ叶えることを条件に了承したのである。
鼻先にニンジンをぶら下げられた馬の如く、ヒトラーは猛烈に働いた。
既定方針であったドーチェスター市内の再開発、ロンドンまで至る高規格道路、さらに新市街(予定地)の用地買収とまさに八面六臂であった。
さすがは史実の偉人というべきヒトラーの大活躍であるが、それは内に秘めた彼の野望の裏返しでもあった。テッドが史実ヒトラーについて、もう少し知悉していれば彼の『お願い』を無難なところに落とし込めたであろう。無条件で認めてしまったがために、実現してしまったのが眼前の光景であった。
史実と同じく、この世界のヒトラーも並外れた競馬好きであった。
その暴走する競馬熱は、レースだけでなく馬の血統改良にまで及んでおり、広大な牧場を仕事の片手間で作り上げてしまったのである。
「フランスの名馬が手に入らなかったのが心残りだが、なんたってサラブレッドの本場であるし、豪サラも大量に導入した。これで勝つる!」
予算に天井を設けなかったおかげで、ヒトラーは思う存分に名馬を買い漁り、その金額は牧場を作るよりも遥かに高くついた。フランス・コミューンが閉鎖的なおかげでフランス産の名馬を導入出来なかったのが、テッドにとって不幸中の幸いであった。
(……いや、逆に考えるんだ。牧場の出費は痛手ではあったが、こっちに専念してくれれば政治家になろうなんて考えないはず)
(ヒトラーが政治家になったら、今度こそ円卓の過激派が本気で抹殺しにくるだろう。僕も巻き込まれることになる)
(それに比べれば、駆逐艦1隻分の出費なんて大したことない……はず)
思う存分に血統改良を出来る環境に満足したのか、ヒトラーは以後も財団で辣腕を振るうことになる。確かに手痛い出費ではあったが、その意味では決して無駄では無かったのである。
「ん? なんか音が……?」
請求書を見て現実逃避していたテッドであったが、彼の耳は異音を捉えていた。
それは微かな音ではあったが、確実に大きくなっていたのである。
「ちくしょーめ!?」
「どうどう。落ち着いて!」
「これが落ち着いていられるか!?」
音の正体に気付いて、慌ててその場から逃げ出す二人。
間髪入れずに、傍に大型機が不時着。機体は派手に滑りつつ牧場を破壊していく。それを見て絶叫するヒトラー。
「まずは救助を優先しないと!」
「む……。確かにそうだな」
機体形状が比較的保たれていたためか、クルーは全員生存していた。
全員が重傷で即座に地元の病院に放り込まれることになったが。
『災難だったなテッド君』
「どちらかというと、ヒトラーが災難でしたけどね」
『ははっ、あの伍長殿が絶叫した様は是非とも見てみたかったな』
「それどころじゃないですよ。あの厄介者をなんとかしないと」
怪我人の収容、不時着現場の保全などが一通り終わった後、テッドはロイド・ジョージに連絡をとっていた。
『FAXで送られた写真は目にしたよ。軍関係者にも見せたが、我が国のものでは無いとのことだ』
「やはりそうですか。まぁ、飛んできた方角からして想像はつきますけど」
不時着機は撮影されてFAXで首相官邸に即座に送られていた。
ちなみに、史実におけるFAX開発の最先端は英国である。技術が加速しているこの世界の英国では、WW1の段階で実用的な写真電送を実現しており、報道機関だけでなく家庭への普及も始まっていた。
『やはり、カエル喰いどもの仕業と?』
「でも違和感があるんですよね。こうなんというかデザイン的なものが……」
テッドは違和感を感じていた。
不時着した機体は双発の大型機であったが、エンジンは空冷レシプロエンジンであった。彼の史実知識だと、欧州の軍用航空エンジンはWW2に至るまで液冷レシプロが主流なはずであった。
『ふむ、そこらへんの疑問は調査チームが解明してくれることを信じよう』
「何時到着するんです?」
『明日の早朝には到着するはずだ。今、大急ぎで準備をしているところだ』
不時着した機体には国籍を示すものは一切無かった。
クルーへの尋問には今しばらくの時間が必要であり、調査チームによる早急な技術調査が待たれていたのである。
「ふぅ……」
連絡を終えて憂鬱なため息をつくテッド。
ロイド・ジョージには話さなかったが、彼には懸念すべきことがあった。杞憂に終わって欲しいと願いながらも、傍に控えるセバスチャンに指示を出す。
「……セバスチャン。例のお客さんの容体は?」
「傷の手当は終わり、意識の回復を待つだけとの報告を受けております」
「ならば、こちらに移送することに問題は無いよね?」
「可能ではありますが、得体の知れない者を屋敷に入れるのは承服しかねますな」
テッドに苦言を呈するセバスチャン。
ドーセット公爵家の家宰の立場からすれば、得体のしれない連中を屋敷に収容するのは避けたかったのである。
「あの機体とクルー、どうみてもまともじゃない。彼らの上司が証拠隠滅を図るかもしれない」
「襲撃の可能性があると?」
「僕としては、あいつらがどうなっても知ったことでは無いのだけど、病院だと無関係な人が巻き込まれるかもしれない」
「……確かにその通りですな。このセバスチャン、汗顔の至りです。院長とは個人的な知り合いですので、上手く取り計らってくれるでしょう」
その日のうちに、クルー達は公爵邸に移送された。
セバスチャンが院長と知己であることに噓偽りはなく、煩雑な手続きは全て省略されたのである。
「襲撃者が来ると仮定して、彼らに病院からこちらに移送されたこと伝えることは出来る? 被害を少なくするためにも、真っすぐこちらに来て欲しいし」
「新聞で取り上げてもらうのが手っ取り早いかと思われますが」
「移送した理由が必要になるなぁ。まさか襲撃の可能性を恐れてなんてこと言えないし……」
「瀕死の重傷で病院も匙を投げたが、最新の医療設備のある公爵邸なら治療可能なんてのは如何ですかな?」
「それでいこうか」
「我ら一族も市井でそれとなく噂を流します。まず間違いなくこちらの意図は伝わることでしょう」
この時代の情報拡散ツールは、なんといっても新聞である。
英国に限ればラジオという選択肢もあった。この世界で世界初のラジオ局となったBBCを筆頭に、ロンドンではラジオ局が乱立していたのである。
戦後になってからは、地方でもラジオ局の開設が相次いでおり、ドーセットにも最近ラジオ局が開設されていた。しかし、襲撃者がラジオを確実に聴く保証が無いために却下された。
次善の策として浮上したのが、地元民に扮したセバスチャンの一族が吹聴して回ることであった。アナクロということなかれ、おばちゃんの噂話の拡散力がシャレになってないことから分かるように、地味ながらも有効な情報拡散手段なのである。
「へぇ。事前に話は聞いていたけど、こいつはなかなか……」
事件の翌日。
白衣を着た男が、牧場に不時着した機体を容赦なく調べ回っていた。
「あ、ジェフリー。来てたんだ」
「おぉ、マイフレンド! 久しぶりだな」
男の名はジェフリー・ナサニエル・パイク。
史実では氷山空母やパイクリートで名を遺した発明家である。
この世界では数少ないテッドの親友であり、円卓所属のマッドサイエンティストである。
同い年で妙にウマが合うのか、二人でつるんで暴走することが多かった。その結果、出来上がったシロモノは敵も味方も震撼させてしまうという、じつにはた迷惑なコンビであった。
「……で、この機体について何か分かった?」
「ご丁寧にパーツ単位で痕跡を消していて、現時点ではなんとも。少なくても大英帝国で作られたモノじゃない」
「やっぱり、カエル喰い?」
「カエル喰いが、こんな実用一点張りなデザインにするわけないだろ。あいつらなら、無駄に曲線とか装飾を入れるし」
「デスヨネー」
偏見も甚だしいが、航空黎明期のフランスはデザイン優先で実用性は二の次の傾向があった。しかし、目の前の機体は実用的なデザインで、見るからに高性能そうであった。
「それに、この空冷エンジンはざっと見積もっても500馬力は出せる」
「それって凄いことなの?」
「この時代だと最強クラスかな。大英帝国を除けば、だけど」
事も無げに言うジェフリーであるが、ロールスロイス・マーリンが既にロールアウトしており、計画中の新型機に軒並み搭載されることになっているからこそ、吐けるセリフであろう。
ちなみに、マーリンの正当進化版と言えるグリフォンや、超絶高回転型エンジンなセイバー、さらにバルチャーと言ったキワモノまで開発が進められており、しかも実用化目前であった。変態ディーゼルに至っては、史実よりも20年以上早く先行量産型が魚雷艇に搭載されていたりと、まさにやりたい放題であった。
チート国家は論外にしても、この時代に500馬力級の航空レシプロエンジンを作れる国は列強以外にはあり得ない。しかし、カエル喰いやクラウツは液冷レシプロが主流であり、選択肢から除外される。であるならば、それ以外の列強が犯人ということになるのである。
「訓練中の機体が、ライミ―どもの地に不時着したのは事実なのか!?」
「訓練場所からあまりにも距離が離れている。何かの間違いではないのか!?」
「……残念ながら事実です。現地の新聞で報じられています」
フランス某所。
インターナショナルのレコードがかかる一室で、空軍将校たちが深刻な表情で顔を突き合わせていた。
「雲海の中を計器飛行するのは、やはり無理があったか……」
「前大戦では、ライミ―どもが長躯ベルリンへの夜間爆撃を成功させているのだぞ!? 我らに出来ないはずはない!」
「わたしもそう思いますが、まずはこの一件をどう処理するかが大事かと」
彼らは、今や主流派となった空軍の戦略爆撃マフィアである。
戦後のフランス・コミューンでは、軍隊はフランス人民軍に刷新された。特筆すべきは、陸軍航空隊が空軍として再編されたことであろう。
塹壕戦の悪夢を未だに引きずる軍首脳部は、塹壕を無効化出来る手段を欲していた。フランスは戦前から航空先進国であり、その手段を航空機に求めたのは、ある意味自然なことであろう。ジュリオ・ドゥーエの戦略爆撃に関する書籍に影響を強く受けたこともあり、急速に戦略空軍化していたのである。
「困りますよ、うちの製品でなんてことしてくれたんです!?」
「……貴殿には、外で待つよう伝えたはずだが?」
突如として、荒々しく開けられるドア。
入室してきたスーツ姿の男を、部屋の住人はしかめっ面で歓迎する。
「それどころじゃありません! アレには我が社の最新技術が投入されているのですよ!?」
「分かっている。だからこそ、善後策を協議しているのだ」
なおも言い縋ろうとするスーツ男は、従兵によって退室させられる。
その後ろ姿を冷たい目で一瞥する軍人たち。
「ふん、資本主義の犬めが……」
「まったくもって嘆かわしい。だが、彼らの手を借りないとどうしようもないのも、また事実だ」
「……で、どうします?」
「機体もクルーも秘密裡に処分するしかあるまい。それも早急に、だ」
「陸軍に借りを作ることになりますが、やむを得ませんな」
戦略空軍を志向するにあたって最大の問題は、国内の飛行機メーカーの大半がフランス共和国に亡命してしまったことであった。生産ラインは残されていたため、既存の機体の生産には問題無かったのであるが、新型機の開発は絶望的であった。
残る手段は輸入することであるが、英国からは思いっきり睨まれているし、フランス共和国は論外、ドイツに依頼するわけにもいかないわけで、万事休すであった。しかし、とある国の企業が積極的に売り込んできたことで、フランス・コミューンは急速に空軍戦力を整えつつあったのである。
「旦那様、奥方様。動きがありました」
「……詳しくお願い」
「はい。本日早朝、ウェーマス沖で漂流するボートを多数発見しました」
「またえらく直球な……」
不時着事件から三日後。
領内に張り巡らされた独自の諜報網は、不審船の情報をキャッチしていた。
「しかし、ウェーマスか。近すぎるな……」
「はい。既にドーチェスターに潜伏しているものと思われます」
ウェーマスは、ドーチェスターから真南に位置する港町である。
直線距離にして10km足らずであり、徒歩でもドーチェスターに至るのは容易であった。
「目的は匿っているクルーと、牧場の不時着機の始末かな?」
「おそらくは」
「……一刻の猶予もないか。『コードレッド』を発動する。速やかに準備を」
「了解しました」
コードレッドは、3年前の円卓過激派襲撃事件を教訓に制定されたコードである。出入口は全て施錠、戦闘要員は全武器使用許可というガチな立てこもりモードである。これを抜くには、軍隊でないと不可能であろう。
「……旦那様、少々困ったことになりました」
「この期に及んで困ったこととか、厄介ごとの予感しかしないんだけど?」
「ヒトラー殿が『断固死守する』と言って、牧場から離れようとしません」
「……」
籠城準備のさ中の報に、思わず頭を抱えてしまうテッド。
当初の予定では、牧場は放棄するはずであった。不時着した機体の調査は終わっていたので処分してくれるなら、それに越したないくらいに考えていたのである。
「しかたない。うちから武装したのを牧場に派遣して」
「そんなことをすれば、こちらが手薄になりますぞ?」
「今後のことを考えると、彼を失うわけにはいかない。それに多少人手が減っても、この屋敷の防御力でなんとかなるでしょ」
「その通りかもしれませんが、敢えて主人を危機に晒すことは承服しかねます」
渋い表情のセバスチャンであったが、テッドの拝み倒しに最終的に了承した。
かくして、防衛側はやりたくもない二正面作戦をすることになったのである。
「「「……」」」
深夜のウェーマスに上陸した私服姿の一団。
黙々と船に積んでいた折り畳み自転車を組み立てていく。
自転車の軍事利用は19世紀末には既に研究されていた。
史実だとフランス陸軍で、1886年にいくつかの実験部隊が設置され、1895年には世界初の折り畳み自転車も試用している。彼らもその流れを汲む部隊であった。
直線距離で10km足らずといっても、その道のりは決して平たんなものではない。自転車には武器弾薬を満載したバッグが装着されており、その重量は一般人ではまともに走らせることすら難しいシロモノである。しかし、彼らは平然と自転車を駆っていた。
「……ふぅ~!」
「効くな……!」
「良い……!」
道半ばでの小休止。
彼らは荷物から注射器を取り出すと、手慣れた様子で静脈注射をする。あきらかに異様な光景であった。
注射器の中身はコカインが主成分である。
現在では麻薬として認知されているコカインであるが、開発当初は局所麻酔やモルヒネ中毒の治療薬として使用されていた。
コカインには、強い覚醒作用と多幸感をもたらす作用もある。
それに目を付けたのが、対独復讐を最優先に掲げるフランス・コミューンである。
人間は、酒や薬物、狂信的思想によって肉体の限界を超えることが出来る。
先の大戦で、死兵と化したフランス義勇軍が最たるものであろう。
まともな手段では、ドイツ軍の塹壕陣地を抜くことは難しいと考えた人民陸軍は、フランス義勇軍が戦場で見せた奇跡を、よりお手軽に、かつ大量に再現しようと試みたのである。
コカインだけでなく、非承認な未知の薬物も継続的に投与されたことにより、飛躍的な身体能力向上を果たしていた。訓練された兵士としての技量に加えて、超人的な身体能力を手に入れた彼らの戦闘力は驚異的なものであり、まさに一騎当千と言っても過言では無かったのである。
陸軍上層部では、彼らを『イデアル部隊』と称して、ゆくゆくは大隊規模にまで拡充することを考えていたが、そのためには有無を言わせない実績が必要であった。
事前の情報では、ドーセットはド田舎であった。
それ故に証拠隠滅が容易く、最悪目撃者を全員消せば問題無いとされた。今回の一件は難易度的には程よい感じであり、テスト戦闘に最適と判断されていたのである。
あり得ないスピードで酷道を走破した一団は、ドーチェスターに近づくと二手に分かれる。片やドーセット公爵邸、残りはヒトラーの牧場を目指す。今、最大の危機が迫ろうとしていた。
ほのぼの内政チートが始まるはずだったのに、どうしてこうなった?_| ̄|○
ちなみに、イデアルはフランス語で『理想的な・最高の』という意味があります。
フランス人民軍の期待の大きさを物語る命名ですが、彼らが『最後の大隊』になれるかは神のみぞ知るというやつです(オイ