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第42話 怒髪天


「この度は誠に申し訳なく……」

「いやいや、こちらもハメを外し過ぎましたのでお気になさらず。痛たたっ……」


 日本滞在3日目。

 早朝にもかかわらず、赤坂離宮には珍田捨巳(ちんだすてみ)が今回の『乱痴気騒ぎ』の謝罪に訪れていた。


 史実の皇太子裕仁親王の欧州訪問において、珍田は訪欧供奉長を務めていた。

 この世界では皇太子の日本訪問イベントの総責任者であり、立場的には妥当なのであるが……。


「それにしても、どうやって此処の状況を知ったのです? 朝起きたら誰も居なかったのですが?」


 テッドの疑問はもっともなことであった。


「未明に匿名で電話がありましてな。それで此処の状況を知った次第です」

「匿名って……怪しいとは思わなかったのですか?」

「仰る通りです。しかし、相手はこちらの疑問にはっきり答えてくれました。仮に無駄足でも損は無いと判断したのです。どのみち、本日は参上する予定でしたし」

「なるほど」


 彼は一切合切の後始末を引き受け、手際良く片付けていった。

 さすがは、史実で霞ヶ関で一番の切れ者と評されていただけのことはある。とはいえ、頭の中では別のことを考えていた。


(未明の匿名電話の主は日本人ではない。流暢ではあったが、微かな英語訛りがあった。おそらくは英国大使館の関係者か……)


 彼は今回の件を深く憂慮していた。

 匿名電話の内容を信じるのであれば、お互いに無かったことにするのが無難な落しどころであろう。実際は平成会の暗躍(ハニトラ)が不発に終わっただけなのであるが、そんなことを彼は知る由も無かった。


(そもそも公式訪問で乱痴気騒ぎとか醜聞が悪過ぎる。ブン屋に漏れようものなら国際問題だ。それを嫌ったのであろうが……)


 日英同盟を締結しているとはいえ、両国は対等な関係とは言い難かった。

 英国は日本にかなり配慮してくれてはいるものの、現状で世界最強の英国と対等な関係を築くこと自体が無理筋である。史実において、『アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく』と言われていたことがあったが、そんな表現が生温いくらいに英国の影響力は絶大であった。


(今回の件で、英国側から何らかの提案が出されてもおかしくない。そして、それを拒むことは許されないだろう……)


 悲壮な覚悟を決める珍田。

 しかし、テッドからの提案は意外なものだったのである。







『内平かに外成る』

『地平かに天成る』

『小渕恵三』 

   

 翌日。

 東京朝日新聞、讀賣新聞の朝刊にとある広告が掲載された。わずか3行の文章であったが比較的目立つ場所に掲載されていた。


(これが意味するものは何だ? 何かの暗号なのかもしれんが……)


 テッドからの依頼で広告を掲載した珍田は、広告の意味を察しようと必死であったが、切れ者と称される彼の頭脳をもってしても理解することは出来なかった。それも当然の話で、これは平成会へ向けたメッセージだったのである。


 最初の2行は平成の年号の由来である。

 『史記』五帝本紀の『内平外成』、『書経』大禹謨の『地平天成』からとっており、二つ合わせて『内外、天地とも平和が達成される』という意味になる。3行目は新年号の発表時の官房長官(後の第84代内閣総理大臣)である。


 要するに平成会の存在を把握しているぞというメッセージである。

 本来はここまで露骨な手段を取るつもりは無かったのであるが、多少リスキーでもテッドは平成会との接触を優先していた。


「これくださいな」

「まいどっ! あんた異人さんなのに日本語達者だねぇ」


 皇太子が公式訪問しているということもあって、帝都はお祭りムードであった。

 通りには屋台が多数出店し、美味しそうな匂いを漂わせていた。


 そんな屋台の一つで焼きおにぎりを買うトレンチコートの紳士。

 言わずもがなテッド・ハーグリーヴスである。


 彼は平成会と接触するべく自らを囮にして単独行動に勤しんでいた。

 ちなみに、表向きは体調不良で療養ということになっており、諸々の根回しに珍田ら関係者が奔走したのは言うまでも無いことである。


(同じ転生人なんだし、接触さえ出来れば何とでもなるだろう。いや、なんとかしないと……)


 ハニトラ(未遂)を受けておきながら、甘い考えであると言わざるを得ないが、下手に敵に回すと面倒な存在なのもまた事実。さらに言うならば、タイムリミットも迫っていた。残り10日で平成会と交渉を持つ必要があった。平成会と同様に、テッド自身にも焦りがあったのである。







「獲物はどいつだ?」

「あのトレンチコートの男だ。」


 焼きおにぎりを頬張るテッドを尾行する二人の男。

 その目は剣呑であり、とても堅気には見えなかった。


「ここで()るか?」

「まだ人通りがある。もう少し人気の少ないところへ行くまで待とう」


 新聞に掲載されたメッセージの真意を知り、主流派は争う愚を理解した。

 しかし、収まらないのがハニトラで嵌めようとして失敗した過激派連中である。


 交渉する意思が確かめられたのは喜ばしいことであるが、だからといってハニトラで陥れようとした事実が消えるわけではない。手打ちの条件として実行犯を差し出せと言われたらどうなるか。罪人として裁かれるならまだマシで、政治案件で闇から闇へ葬られる可能性が非常に高かった。


 一応弁護しておくと、過激派とてあそこまでやるつもりは無かった。

 もっとソフトにネチネチとハニトラするつもりだったのである。しかし、初日にトラップ諸々を全て無効化されてしまい止む無く強硬策に出たのである。その結果は悲惨なものであったが。


 過激派が生き残るには、テッドを抹殺するしか無かった。

 男たちは過激派に雇われた始末屋だったのである。


「っ!? おいっ!?」

「何があったんだ?」


 馴れ馴れしく話しかけてきた男を唐突に捩じ上げるテッド・ハーグリーヴス。

 じつは男の話を聞いて激怒していたのであるが、離れた二人からは完全に死角で見えていなかった。


「なんだぁ? 済州人かよ」

「また密航してきやがったのか」


 男の悲鳴を聞いて相手が何者か理解する二人。

 獲物(テッド)は男の関節を極めたまま何処へと去っていく。


「……どうする?」

「どうもこうも追うしか無いだろう。始末しないと報酬は出ないんだぞ」


 テッドと男を追う二人組(始末屋)

 彼らは街の中心からやや外れた古い建物が立ち並ぶ一角へ足を踏み入れていった。







「今日の売り上げも好調だな」

「まったく日本人は舶来品という言葉に弱いな」

「商売敵がいなくなった今がチャンスだ! ガンガン刷ってガンガン売るぞっ!」


 江戸時代末期から立つ古びた2階建て木造建築。

 インクの匂いが充満する室内ではロウ原紙を鉄筆で削るガリガリという音が響き、天井には多数の紐が張り巡らされて印刷されたザラ紙が吊るされていた。


「この調子ならば済州島独立も近いな」

「独立したら、役人になって贅沢三昧だ!」


 男たちは済州島独立運動組織の構成員である。

 その実態は、ただのチンピラであるが。


 この世界の日本は、平成会の暗躍によって大韓帝国を保護国化せずに済州島の租借のみに留めていた。この方策に対しては方々から強い反対意見が出たのであるが、まともな史実知識を持つ日本人ならば朝鮮半島とは絶対に関わろうとは思わないわけで、将来的には正しい選択と言えるだろう。


 租借地となった済州島は海軍基地として整備が進められた。

 現地民の本土への行き来は禁じられていたのであるが、無駄に行動力のあるKの国の民は職と食料を求めて大挙して密航した。当局が事態を把握したときには、既にまとまった数が密入国していたのである。


 基本的に密入国者は強制送還なのであるが、強制送還しても再犯しないとは限らないし、軍事基地化するのならば現地民は少ないに越したことは無い。その他様々な思惑によって、済州島からの密航者は帝都の一角に集められた。彼らは『済州人』と呼称され、日本政府から捨扶持を与えられて最低限ではあるが生活を保障されていた。


 済州人の中でも独立志向の強い連中が結成したのが済州島独立運動組織である。

 さすがは斜め上を行く民族というべきか、保護してくれた日本政府に全面的に喧嘩を売っていた。済州島は租借地であり、その主権はともかく名目上は大韓帝国の領土のままなのであるが、史実でも併合と植民地の区別がついていないので致し方なしであろう。


 彼らは済州島の独立を掲げ、日々精力的に活動していた。

 その実態はエロ画集の製作と販売であったが、彼らからすれば立派な政治活動であった。


 さらに言うならば、彼らの手口は平成会過激派(エロ同人系)の二番煎じであった。テッド・ハーグリーヴスの来日を知った過激派は慌てて店じまいをしたのであるが、そんなことを知る由の無い済州人たちはライバルが減ってこれ幸いとばかりに活動を活発化させていたのである。







「お? もう戻ったのか」


 入口からの物音に、休憩がてらに一斉に手を止める男たち。


「いつもより随分早いな」

「それだけ好評だったということだろう。煽り文句が効いたんだろう」

「本人が聞いたら激怒ものだろうが知ったことではないな。うちらは真似しただけだから罪は無い」


 ウェーハッハッハと嗤う男たち。

 その瞬間、激しい音と共に戸が打倒され、目の前に何かが投げ出された。


「「「(キム)!?」」」


 放り込まれたのは、エロ画集の販売に出ていた金何某(なにがし)であった。

 ボロ雑巾の如く惨状を呈してはいたが、時折痙攣しているので死んではいないらしい。


「……ここが諸悪の根源か」


 その後ろから姿を現したのは、悪鬼羅刹の如く表情をしたトレンチコートの男。

 『お兄さん、良いモノありますよ』と言われて興味本位で見てしまった本がエロ同人で、『かのロード・ドーセットも絶賛』なんて煽り文句が入っていれば、ブチ切れるのも当然であろう。


 そして彼は見てしまった。

 天井から吊るされたエロ画が、自作同人(テッド作)のキャラを脱がせて爆乳化したものであることを。


「ここまで僕をコケにしたおバカさん達は初めてだ……!」


 怒りのオーラが云々というのは割とよくある表現であるが、彼の場合は本当にオーラが噴き出ていた。魔力が暴走して体外に放出されているだけで見た目はともかく無害なのであるが、そのインパクトは絶大であった。


 鬼気迫る表情とセリフに特殊効果(オーラ)まで付いた恫喝に、済州人たちは恐慌状態となった。辺りのものを派手に倒しながら手近の階段で2階へ逃げていく。


「ぜったいに許さんぞ、虫けらども! じわじわとなぶり殺しにしてくれる!」


 哀れな獲物を追い詰めるべく、テッドはゆっくりと階段を上がっていく。

 怒りのあまり、テーブルから落ちた灯油ランタンからのパチパチという音や煙は目に入らなかったのである。







「は、早く武器をっ!?」

「今出すから待てっ」


 恐怖のあまり逃げ出した済州人であるが、武器を手にしたことで立ち直る。

 自衛のためにそれなりに武器の用意はしていたのである。一部の武器は明らかに過剰であるが。


 彼らは階段を上ってくるテッドを待ち伏せる。

 ゆっくりではあるが、確実に近づく床板の軋む音。


「喰らえっ!」

「ふんっ!」


 繰り出されるこん棒を素手で受け止め、へし折る。


「死ねぇぇぇっ!」

「むぅんっ!」


 その隙に振り下ろされた長ドスは、使い手に確かな感触を伝えた後に無情にも砕け散る。


「この化け物め!? くたばれぇぇぇっ!」


 入手経路不明なMP18(サブマシンガン)の連射は、弾道の悉くを見切って避けられる。

 その動きは人間のレベルを超えていた。


「終わりか? ではそのまま死ね……!」


 追い詰められた彼らの瞳が絶望に染まる。

 目の前の男が腕を一振りすれば、簡単に首が飛ぶ(物理)であろう。


「ぬ……!? うがぁぁぁぁぁっ!?」


 腕を一閃しようとしたその瞬間。

 テッドの様子に変化が起きる。その隙をついて、死に物狂いで逃げ出す済州人たち。


「痛い痛い痛いぃぃぃぃ……!?」


 激痛にのたうち回るテッド。

 その正体は全身筋肉痛であった。彼は怒りで無意識に魔力を使って肉体強化をしていたのであるが、その反動がきてしまったのである。







「……いったい何が起こっている?」

「分からん。こっちが聞きたいくらいだ」


 件の始末屋二人組は、外から様子を観察していた。

 怒声に悲鳴、さらに銃声らしき音まで聞こえてくる。明らかに尋常ではない。


「おい、済州人たちが逃げ出してくるぞ」

「ほっとけ! それよりも……うん? 焦げ臭いぞ?」


 1階から出火した火は瞬く間に燃え広がった。

 老朽化した木造建築であることに加えて、室内にはざら紙と可燃性の油性インクが大量に貯蔵されていた。これで燃え広がらないほうがおかしい。


 誰かが通報したのか、俄かに周囲が騒がしくなる。

 二人は消火作業と野次馬のせいで距離を取ることを余儀なくされた。


「……駄目だ。怪我人にそれらしい人間は見当たらなかった」

「だとすれば、焼け死んだ可能性もあるか」

「お、手を汚さずに済んだってことか?」

「阿呆、どうやって死んだことを証明するんだ。このままだと報酬は手に入らんぞ」

「……つまり、本人の遺品なり死体の一部を持ち帰れと? なぁ、やっぱこの依頼降りないか?」

「馬鹿野郎、今更そんなこと出来るわけないだろ!?」


 捜索の手間を想像してげんなりとした表情になる二人。

 なお、消火に手間取り完全に鎮火したのは2時間後。さらに警察の調査諸々で、彼らが火災現場に入れたのは翌日のことであった。


「やっぱり何も無いな」

「目ぼしいものは官憲にかっさらわれたか……」


 金物回収や物取りに交じって遺品を探す二人。

 予想通りというべきか、捜索は難航していた。死体が完全に炭化するほどの火災だったのである。原型を留めているものを見つけることさえ困難であった。


「……おいっ!」

「どうした?」

「これを見ろっ!」


 始末屋の片割れが見つけ出したのは、半分以上が焦げて炭化していたが、それでもなお原型を留めるトレンチコートの一部であった。






以下、今回登場させた兵器のスペックです。


MP18


種別:軍用短機関銃

口径:9mm

銃身長:201mm

使用弾薬:9mmパラベラム弾

装弾数:32発 (スネイルマガジン)

全長:818mm

重量:4350g

有効射程:100m


史実同様、第1次大戦時のドイツ軍に大量に配備されていたが、この世界では英国無双でドイツは終始守勢だったために使用される機会は多くなかった。戦後も引き続きドイツ軍に大量配備されている。



※作者の個人的意見

サブマシンガンの始祖ですね。

この世界だとステンガンに先を越されているので二番目です(酷


ちなみに入手経路ですが、欧州に出征していた日本兵が個人的にお持ち帰りしたのが人づてで済州人たちが手に入れたという流れです。史実WW1で連合軍兵士がルガーを持ち帰ったのと同じですね。ちなみに無許可で所持してるので、官憲にバレたら当然しょっ引かれますw

というわけで、引き続き日本滞在編です。

テッド君がヤバいことになっていますが、新しいキャラシーを用意……なんてことにはなりませんのでご安心くださいw


済州人というのは、拙作独自の設定です。

ほら、直接描写するといろいろ煩いのが湧くかもしれませんし(マテ

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― 新着の感想 ―
[一言] そうかあ…テッド君は時間限定で超野菜人ごっこできるのかあ…いいなあ(ぉ (なおセリフは冷凍庫様の模様)
[一言] 平成会過激派……早まりやがって……!
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