第41話 ハニートラップとその対策
(ちょ、人多すぎぃ!?)
その光景にテッドは圧倒されていた。
眼下の眺めは、人、人、人である。世界巡幸の歓迎行事に集まった人々は数千人に達していた。
比較的平穏だった初日とはうってかわり、二日目は朝から多忙であった。
馬車で赤坂離宮へ移動する道筋には、早朝だというのに日の丸とユニオンジャックを振る人々で埋め尽くされていたのである。
赤坂離宮に到着すると即歓迎イベントであった。
バルコニー(車寄せ)から愛嬌を振りまくエドワード皇太子とマウントバッテン卿。テッドも手を振ってアピールする。若干笑顔が引きつっていたが、誰にも気付かれ無かったのは幸いであった。
その後も帝都各地での講演や歓迎イベントでスケジュールは埋まっていた。
それこそ、分刻みで帝都の各所を飛び回るハメになったのである。
「申し訳ないが、そのような話は聞いていない。出直すがよろしかろう」
真昼間の赤坂離宮。
その西門前で守衛は困惑していた。
彼の目の前には、N・M・ロスチャイルド&サンズの社員がいた。
この会社は輸入品の納入のために以前から頻繁に出入りしており、そのこと自体は珍しいことではなかった。
しかし、納入の際には事前に通達が来るはずであり、今回はそのような話を彼は聞いていなかった。それ故に生真面目な守衛はマニュアル通りの対応をしたのであるが、片割れの男は流暢な日本語で食い下がる。
「そう言わないでくれ。サプライズなので内密にと頼まれたんだ」
「さ、さぷらいず?」
「気になるなら後で英国大使館に確認すれば良いだろう。言っておくが、これは大英帝国宰相からの特命だぞ?」
「と、特命!?」
高級そうな紙に、これまた大仰なサインの入った書面を守衛に見せつける男。
今回のためにでっちあげた偽書であるが、守衛は英語が理解出来なかった。悲しきかな、根は真面目でも小心者な守衛は男の弁舌とはったりに押し切られてしまったのである。
「……よし、誰もいない。手早く頼むぜ」
「分かってるわ」
首尾よく守衛を突破した二人は、部屋の『クリーニング』を開始する。
言うまでもなく二人はシドニー・ライリーとマルヴィナであった。
シドニー・ライリーが見張っている間に、マルヴィナが手慣れた様子であちこちをひっくり返す。隠しマイクは配線をナイフで切断。隠しカメラはフィルムを引っこ抜いて元の場所へ戻す。さらに棚の中も確認して毒物などが無いか確認していく。
寝室だけでなく、ホールやトイレなども根こそぎ調べ上げる。
二人が西門から堂々と出て行ったのは、それから1時間後のことであった。
このような事態になったのは、時系列を1ヵ月ほど遡る必要がある。
今回の訪日に関しては、全日程を英国大使館で宿泊することが日本政府に事前通達されていた。平成会が仕掛けてくるであろうハニトラ対策であるが、関係者からすれば多大な費用をかけて改修した赤坂離宮が使われないことは、とても容認出来るものではなかった。
日本側の必死の説得に英国側も困り果てた。
王族の公式訪問として相応しい待遇をしたいと言われると断る理由が見つからないのである。まさかハニトラを警戒していますなんて言えるわけがない。
そんな状況を打開したのは、マルヴィナからの国際電話であった。
この世界の英国では世界に先駆けて国際無線電話サービスが始まっており、船舶電話で植民地や自治領の回線に接続されていた。そのため、インド洋上のレナウンからロンドンの首相官邸まで直接電話をかけることが出来たのである。
「……別に隠したわけではないぞ? テッド君が教えなかったのは君に余計な心配をかけたくなかったのだろう」
電話越しにハニトラの件を問い詰められたロイド・ジョージは渋い顔であった。
(性格からして隠し通せないだろうとは思ったが、バレるのが早すぎだろう!?)
彼は、テッドが機密文書の内容をマルヴィナには秘すること、そしてそれは失敗するだろうと予想していた。事実、そのとおりになったわけであるが、文書をデリバリーして数日持たずに発覚するのはさすがに予想外であった。
「……別行動するから通訳も兼ねた応援を寄越せと? 分かった。手配しよう」
それでも、当初の予定通りに大使館に宿泊するのであれば、問題は無かったのである。交渉はこちらに不利であり、無下に断ると今後の外交にも影響を与えかねない状況であった。彼女の提案は渡りに船だったのである。
「ふぅ……」
受話器を置いたロイド・ジョージは憂鬱であった。
新たな国際問題になりかねない火種が撒かれたのであるから当然であろう。
彼女自身はハニトラの経験は無いものの、過去に籍を置いていた特務機関でレクチャーを受けており、ハニトラ潰しにはうってつけの人材といえた。しかし、彼女はテッド絡みだと暴走する懸念が少々、いや、かなりあった。
こればかりはストッパー役に期待するしかないのであるが、彼女を御せる人間などそうはいない。かくして、ドーセットで諜報任務に就いていたシドニー・ライリーは急遽呼び戻されて機上の人となったのである。
円卓と平成会の代理戦争と化した関係者たちの行き詰る交渉の結果、初日のみ英国大使館で宿泊とし、残る日程は赤坂離宮での宿泊となった。
この期に及んでも、テッドにはハニトラに対する危機感はほとんど無かった。
生前は女性にもてたことが無いので、ハニトラに対してイマイチ実感が湧かなかったのである。史実のソ連や中国のハニトラの手口を知っていれば、少なくとも油断はしなかったはずなのであるが……。
「あっはっは、いいぞ、良いぞ~!」
畳の上で艶やかに踊る芸者に惜しみない拍手を送るマウントバッテン。
踊る芸者の背後では三味線や小鼓による雅な曲が演奏される。
晩餐後の赤坂離宮の大ホールでは畳が敷かれ、典型的な芸者遊びが繰り広げられていた。
「先生、ライスワインって美味しいですね!」
「日本酒ってこんなに美味しかったんだ。飲まず嫌いだったなぁ……」
皇太子とテッドは日本酒を楽しんでいた。
生前はウィスキー派だったテッドであるが、この時代の風味豊かな日本酒に感動していた。ウィスキーと違って、アルコール度数が低く飲みやすいためか、二人でどんどん杯を空けていく。
「さぁさぁ、どうぞどうぞ」
そんな二人を見て、芸者も積極的に酌をする。
「うほっ!?」
「あらやだ。失礼しました」
酌をする際に芸者が体勢を崩して、胸がテッドに押し付けられる。
彼女は謝罪するが、離れようとせずにむしろ体を密着させた。着物の胸元から見える絶景に、さらに鼻の下を延ばしてしまう。ここで行動を起こしていたら、この先の悲劇は回避出来たのであろうが、神ならぬぽんこつオリ主チート枠な彼には望むべくも無かった。
「……あれ?」
気付いたときには彼は芸者に取り囲まれていた。
慌てて周囲を見渡すとエドワードとマウントバッテンは酔い潰れていた。ちびちび飲むウィスキーと違い、口当たりが良いからといって、ぱかぱか飲むと何時の間にかに深酒して泥酔してしまうのが日本酒の恐ろしさである。
「公爵さまぁ……」
「お情けをいただけませんか……」
「授かった稚児は、責任を持って育てますから……」
テッドを取り囲んだ芸者たちは平成会の手引きで集められた遊女崩れであり、破格の報酬に釣られて今回のハニトラ作戦に参加していた。種をもらうことが出来れば、今後の生活と養育費の面倒を見ると言われれば、生活苦に喘ぐ彼女らに拒否する理由は無かった。
「ちょ、待っ……!?」
距離を取るべく立ち上がるテッドであるが、彼も相当に深酒していた。
既に意識が朦朧としており足元がおぼつかない状態で、そのまま足を滑られて転倒してしまう。そこに芸者たちが襲い掛かる。
「うぅ、そこはらめぇっ!?」
下半身のこそばゆい感触。
カチャカチャというベルトを外す音。
「それっ! ひん剥いちゃえっ!」
そんな声を聞いた気がしたテッドは、そのまま意識を手放した。
「よぅ。待ってたぜ」
夜更けの赤坂離宮。
時間にして20時ごろであるが、この時代だと周囲は真っ暗である。そんな中、周囲を憚りながら出てきた男をシドニー・ライリーは待ち受けていた。
スタンドカラーシャツに着物と袴、ブーツを履いて頭にはハンチング帽子を被る典型的な書生スタイルであるが、あまりにも場違いである。どうやら、この日本人はTPOを弁えていないようである。
「お目当てが失敗したという顔だな。どうせ、あのメイドに邪魔されたのだろう?」
「貴様……!」
シドニー・ライリーの挑発に激昂する男。
持っているステッキを振りかざす。
「!?」
嫌な予感がして、とっさに飛び退る。
その瞬間、月光に煌めく白刃がシャツのボタンを斬り飛ばす。男が持っていたのはステッキではなく仕込み杖であった。
「次は外さん……!」
「おいおい。紳士といったらステッキだろう? そんなのは邪道だぜ」
「黙れ!」
「たわっ!? 血の気多すぎだろう!?」
迫りくる白刃をかわし、あるいは手持ちのステッキで弾くシドニー・ライリー。
なんのかんの言っても、彼はMI6のダブルオーナンバーズの筆頭であり、その戦闘力もマスタークラスであった。
「これで終わりだ!」
渾身の突きを男は放つ。
しかし、同じタイミングでシドニー・ライリーも突きを放っていた。
「ぐっ……」
リーチの差で渾身の刃は届かず、彼の鳩尾にはシドニー・ライリーのステッキがめり込んでいた。しかし、男はニヤリと嗤う。
「その首もらったっ!」
ステッキを片手で掴みつつ、がら空きの首元へ白刃を振るう。
シドニー・ライリーは慌てずに柄のスイッチを握りしめる。
「ぐわっ!?」
「……ま、俺も邪道なんだがな」
高圧電流で男は気絶した。
シドニー・ライリーのステッキは、瞬間的に150万ボルトもの高電圧をたたき込めるスタンステッキであった。
(……分かっちゃいたが身分証なんて気の利いた物は持ってやがらないな)
気絶した男のボディチェックをするシドニー・ライリーは内心でため息をつく。
(こうなったら個人的なコネに頼るしか無いか)
テッドとは別アプローチから平成会との接点を探っていたシドニー・ライリーであるが、彼の予想以上に平成会の動きは急激かつ過激であった。事ここに至って、最後の手段を行使することを決意したのである。
「……で、おまえさんは何をしてるんだ?」
テッドの身を案じて舞い戻ったシドニー・ライリーが目にしたものは、ボロ雑巾の如くホールの片隅に転がる男女と、生まれたての小鹿のように震える芸者たちであった。
ボロ雑巾は、時折呻き声を出すので生きてはいるらしい。
彼らはJCIAのエージェントであった。
芸者たちは、ホールの片隅に潜んでいたメイドが半殺しにするのを目の前で目撃していた。震え上がるのも無理もないことであろう。
「ちょうど良かった。通訳をお願い」
「え?」
言うが早いか、マルヴィナは震えている芸者を引っ掴む。
「ひぃっ!?」
悲鳴をあげる芸者に構わず後ろから胸を掴む。
彼女は、お酌するどさくさに紛れて胸を見せてテッドを誘惑していた。マルヴィナ的には有罪である。
『こんな貧相な胸で、わたしのテッドを誘惑したんだ……?』
「や、やめて!?」
耳元で囁くマルヴィナ。
その目からは、ハイライトが消えていた。
彼女は胸をまさぐりながら、指で敏感な先端部分も絶妙に刺激する。
恐怖と指で与えられる快楽で哀れな芸者の頭はぐちゃぐちゃになり、やがて限界を超えて気絶した。
マルヴィナが、かつて所属していた組織(MI6の前身の一つ)は、破壊工作だけでなく潜入工作も重視していた。この場合の潜入工作とは、直接的なものでなく間接的なものであり、ぶっちゃけると床上手が重要視されていた。
彼女の場合は、肌の色が潜入工作に向かないということで破壊工作が大半だったのであるが、それでもそこらの遊女が裸足で逃げ出すくらいのテクニックは持っていたのである。
『あなたの顔はテッドの好みじゃないわ……』
『こんなサイズじゃ、わたしのテッドのアレは受け止めきれないわよ……?』
『あなたの肌は綺麗ね。でも、テッドは褐色肌が好みなのよ……』
一人一人、快楽と恐怖で芸者の精神を確実に折っていく。
芸者にとっては災難以外の何物でもないが、最も不幸だったのはマルヴィナの言葉を翻訳させられたシドニー・ライリーであろう。
(帰りたい……)
鬼と化したマルヴィナを唯一止められる存在は昏倒していて役立たず。彼の悲痛な思いを理解してくれる人間は、その場に存在しなかった。
「しかし、これは後始末が大変だな……」
ため息をつくシドニー・ライリー。
辺りを見渡せば、泥酔&昏倒している3人と放心している芸者たちに、ボロ雑巾がダース単位で転がっていた。
「というか、誰もいないのか? これだけ騒ぎになれば人が出てきそうなものだが……」
彼が知る由も無かったのであるが、この世界の赤坂離宮は完成直後で平成会がハニトラを仕掛けるには絶好の物件であった。それ故に、体裁を保てる最低限の人員しか配置されておらず、その大半も住み込みではなく他所から通っていたのである。
数少ない住み込みの世話人も、待機命令が出されてその日は不在であった。
夜の赤坂離宮の住民は、今この場に居るのが全てだったのである。
「……朝になったら人が来るだろうから、それまで放置するしかないか。とりあえず3人を寝室へ運ぼう」
「テッドはわたしが運ぶわ」
「即答かよ。そう言うとは思ってたが」
泥酔した皇太子を肩の上に担ぎ上げるシドニー・ライリー。
いわゆるファイヤーマンズキャリーというやつである。この技術は、全身の筋肉の中で最も強い大腿四頭筋を使って相手を肩に担ぎ上げるため、比較的軽く持ち上げて速く退避することが出来る。
その名のとおり、火災現場で消防士が怪我人を運び出すために使われることからこの名がついたのであるが、実際の火災現場では高熱や有毒な煙が充満した高い場所に怪我人を晒してしまう運び方であるため、使用の場は限られていたりする。
「……そんな担ぎ方で大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。テッドは軽いもの」
マルヴィナはテッドを『お姫様だっこ』していた。
大の大人を、背筋をほとんど反らさないで抱えることが出来るのは、彼女の筋力のなせる業である。
「……ふっ」
テッドを抱えるというより、横向きにハグするマルヴィナ。
メイド服に隠された爆乳が、彼の半身に押し付けられる。傍から見てると、とてもエロい光景である。
「……うふふっ」
歩きながらも背筋を反らさず、テッドの身体を擦り付けるように動かす。
その様子はマーキングをするが如くである。ハイライトが消えて瞳孔が開いた、いわゆる逝っちゃった目をしている彼女を見たら、地獄の悪鬼羅刹すら逃げ出すこと請け合いであった。
「知らない天井だ……」
ベタなお約束をしつつ目覚めるテッド・ハーグリーヴスであるが……。
「痛っ……!」
頭痛に襲われて頭を抱えてしまう。
典型的な二日酔いの症状である。
(昨日どうしたっけ……?)
アルコールが抜けきらない頭を回転させるが、なかなか考えがまとまらない。
(確か、お酒飲んで、酔って、押し倒されて……あっ!?)
慌てて、身体を確認するテッド。
服装は昨夜のまま、とくに乱れた様子は無く一安心である。ズボンの一点に染みがあったが、彼はスルーした。
(けど、妙な違和感があるんだよな……二日酔いだからかなぁ?)
テッドが気付けないのは当然のことで、違和感の正体は皮膚にあった。
服に隠れて見えないので気付けないだけである。
『……』
意識の無いテッドを寝室のベッドに横たえるマルヴィナ。
その顔を至近距離で眺めていた彼女であるが、やがて妙案を思いついたとばかりに口元に笑みを浮かべる。
過去にも披露した強制脱衣術。
相手を起こすことなく、服を剥ぎ取る驚異の技である。
あっという間にマッパになったテッドに彼女は近づく。
肌を舐めて唾液で濡らしてから、すぼめた唇を密着させて強く吸う。
『……!』
同じ場所を繰り返し吸うことで、痛みを与えることなく濃いキスマークが完成する。胸、背中、太もも、腕、腕、腹、腰と、次々にキスマークを付けていく。彼女としては全身に付けたかったのであるが、顔と首についてはギリギリ思いとどまった。
キスマークを付けたら、服を着せてミッションコンプリート。
テッドが寝ている間に行われた完全犯罪であった。彼がキスマークに気付くことが無ければ、平穏な一日が送れるであろう。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
もちろん、そんなことはあるはずもなく。
テッドの絶叫で日本滞在3日目が始まるのであった。
以下、今回登場させた兵器のスペックです。
スタンステッキ
種別:護身用武器
放電出力:150万ボルト
全長:920mm
ハンドル幅:120mm
シャフト径:30mm
全備重量:840g
テッドが召喚したバトン型スタンガン『TMM マグナムXバトン』を円卓の技術陣が解析して作りだした護身用武器。
円卓チートをもってしても、オリジナルの出力とサイズを再現することは不可能であったが、性能を確保するためにステッキサイズにまで大型化することで逆に隠密性をあげるという英国面的発想で実用化にこぎ着けている。
電極はステッキの先端部だけでなくシャフト部分全体に施されており、本体を掴んできた人間を感電させることが可能なのはオリジナルと同様である。バッテリーのため普通のステッキに比べて倍近く重くなっているが、本体が頑丈なために鈍器としても使用可能である。
作者の個人的意見。
弾が出ない鈍器です(マテ
ステッキサイズのスタンガンって有りそうで無いですよね。
アニメだとヤッ〇ーマンでシビレステッキとかありますけど、大きすぎるのがネックなのかなぁ?
日本滞在2日目にして、いきなりテッド君が災難に遭ってますが仕様なのであきらめてください(酷
果たして、平成会のトラップは決まるのか?
それとも罠はハマって踏みつぶすミン〇ス理論が炸裂するのか?
それとも鬼と化した女豹がハニトラを完全粉砕するのか?
あるいは、恋の両生類が暴走するのか?
以前予告した上の3つは書いてみました。
全部書きたかったのですが、書き切れませんでしたので最後のやつは後日扱いです。
でも、どう転んでもテッド君が悲惨なことになるのは避けられないような気が……(滝汗




