第3話 催涙スプレー(自援絵有り)
パラメトロン計算機を召喚してからというもの、テッドには悩みがあった。
マルヴィナのスキンシップが過剰を通り越したレベルになっており、しかも内容がエスカレートしていたのである。
偶然を装いつつ背中に爆乳を押し付けたり、股間に手を這わせてきたり。
その都度止めるように強く言っているのであるが、マルヴィナはまったく意に介さない。
さすがに、メイドとしてある程度のTPOはわきまえているのか外では手出ししてこないものの、最近はそれすら怪しくなってきていた。家の中に至っては、もはや安全地帯は寝室のみであった。彼が貞操の危機を感じたのも無理からぬことであろう。
自衛策としてテッドは、彼女が家にいないときを見計らって、寝室に鍵を付けた。錠前屋に頼んで、シリンダー錠の最新式のやつを5つも付けさせたのである。しかし、彼は失念していた。マルヴィナが普通のメイドではないことを。そして、病的なショタコンであることを。今の彼女は、極上の肉を前にした肉食獣だったのである。
(鍵掛けよし。これで安眠出来る……!)
寝室のドアの施錠を確認して、ベッドに潜りこむ。
ここ連日の翻訳作業で疲れているせいか、テッドが眠りにつくのにさほどの時間はかからなかった。
(ん……?)
彼がその音に気付いたのは偶然であった。
カチャカチャと小さな音であったが、皆が寝静まった夜半過ぎであるためか、不思議と耳に届く。自然に音の聞こえる方向に目がいくと、寝室ドアの一番上の鍵がカチャリと回転した。
(んなぁーーーーーっ!?)
思わず、出かけた声を必死に押し殺すテッド。
彼は知る由も無かったのであるが、メイドになる前のマルヴィナは、政府の特務機関に所属するエージェントであった。潜入工作任務の経験もあり、ピッキング技能を身に着けていたのである。
ショタ狂いでブーストがかかっているのか、ドアの鍵が全て開錠されるのに5分もかからなかった。熟練の錠前職人顔負けの速度である。いや、本職でもここまで上手くいくか怪しいものである。テッドに出来たことは、ドアに背を向けてシーツを被って震えることだけであった。
キィと小さな音がして寝室のドアが開く。
テッドからは見えなかったが、ドアの前にはメイドが一人。誰であるかは、言うまでもない。
その立ち姿は、妖しいオーラでも立ち上っていそうな雰囲気である。写真集を出したら、きっと大層な人気が出ることであろう。残念ながら、鼻から出ているもののせいで、台無しになってはいたが。
(き、来た……!?)
同じ部屋にいるというのに足音をまったく出さないのは、マルヴィナがエージェントとして優れている証といえた。にもかかわらず、テッドが彼女の接近を察知出来たのは、興奮した息遣いが近づいてくるためである。時折、ふふふとヤバげな声も混じる。下手なホラー映画なんてレベルじゃない怖さである。
(寝たふり、寝たふりをしないと……!?)
必死に寝たふりをするテッドが、被ったシーツが震えているのがバレバレであった。
そんな様子を、心底愛し気に眺めるマルヴィナ。しかし、彼女はシーツを引っぺがすことはしなかった。やろうと思えば、簡単に出来たのであるが、彼女はそんな無粋なことをするつもりは無かった。
(!?)
テッドは背中の感触に困惑した。同時にそれは恐怖に変わる。
シーツを被って視界がほぼゼロである状態では、何をされているか分からない。人というものは、何が起きているのか分からないことに対して恐怖を抱くものなのである。
マルヴィナは、シーツごとテッドに抱き着いていた。
もちろん、積極的に胸を押し付け、さらにシーツで見えなかったが、脳内に刻み込まれた彼のショタ体型から判断した位置に手をやることも忘れない。
「はうっ」
中身は青年であるとはいえ、ショタ化した肉体に精神を引っ張られているためか、恐怖と快楽の狭間であっさりと精神的限界を超えて気絶したのであった。
「うふふ……」
マルヴィナは妖しい表情で、テッドに抱き着き続ける。
その様子は、肉食獣がマーキングをするが如しであった。
思う存分、テッド分?を堪能したマルヴィナは、鼻血の付いたシーツと気絶したテッドの下着を交換する。ここらへんの証拠隠滅能力も、彼女のエージェントとしての能力の高さの証左であろう。
ちなみに、この時代の下着は紳士淑女問わず、ユニオンスーツと呼ばれる肌着素材で出来たツナギのようなものであった。当然、更衣には手間がかかるのであるが、気絶した本人に一切気取られることなく易々とやってのけるあたり、メイドとしても非常に優れた技能を持っているといえよう。
「……」
処置を済ませたマルヴィナはドアを閉める。
再度ピッキングして、外からドアの鍵を全て施錠。完全犯罪の成立であった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!?」
気絶から目覚めるテッド。
傍にいるであろうマルヴィナから逃げるべく、ベッドから飛び出す。
(あれ?)
ベッド上には自分一人であり、ドアもきちんと施錠されていた。シーツも乱れていない。
「な、な~んだ。夢かぁ」
盛大に安堵のためいきを吐き出す。
しかし、彼は見てしまった。ため息とともに頭を下げた視線の先に、小さいながらも血痕が付着していることに。いうまでもなく、マルヴィナが拭き忘れた鼻血の跡であった。そのことに思い至ったテッドの顔面は蒼白となる。
(やばい、このままだと冗談抜きで喰われる…!?)
テッドはマルヴィナが嫌いなわけではない。
むしろ、長身爆乳ついでに褐色と、容姿的にはドストライクである。
21世紀の日本人からすれば、メイドさんに尽くされるのは最高のシチュの一つであろう。ジャンル的にはおねショタ(メイドVer.)ものであろうか。多少どころか、かなり歪んでいるような気もするが。
おねショタものは、転生前の彼も大好きなジャンルであり、今は亡き遠い世界に置いてきたエ〇同人コレクションでも、大きな割合を占めていた。しかし、それは第三者として見れるから楽しめるのである。いわば、安全な檻の外から肉食獣を眺めるイメージであろうか。テッドとしては、自らが対象になるのは全力でノーサンキューなのである。
ここで、もし最善の手を選べるのだとすれば、テッドは円卓に無理を言ってでも、マルヴィナを遠ざけるべきであった。しかし、脳内会議の結果、最善であるはずの手段を真っ先に排除した。彼は円卓で、無用な借りを作るのを避けたかったのである。もっとも、ここでマルヴィナの排除を実行したところで、彼女はあらゆる手段を行使して無効化してしまう未来が待ち受けているのであるが。
円卓とのパワーバランス云々だけではなく、心情的な理由もあった。テッドからすれば、メイドとしても護衛としても有能なマルヴィナを簡単に手放せなかったのである。それに、通常体系に戻ればいつもの鉄面皮に戻るはずなので、それまで(貞操的な意味で)サバイバルすれば良いと判断したのである。
サバイバルのために、テッドが最初に考えたことは護身用の武器を入手することであった。手頃な護身用武器として、彼はスタンガンを望んでいたのであるが、この時代にはまだ販売されていなかった。
なお、史実で確認出来る一番古いスタンガンの記録は、アメリカのテキサスで1917年に牛追い用に採用されたキャトルプロッドであり、未だ10年近くの歳月が必要であった。召喚魔法で現物を召喚すれば済む話なのであるが、ショタ形態では使えないためにあきらめるしかなかったのである。
ネバーギブアップとばかりに、次に考えたのは催涙スプレーであった。
これもスプレー缶を作れずに挫折しかけたのであるが、彼はビールのビン詰め技術を流用することを思いついた。この時代には、現在と同じ栓抜きで開ける王冠栓が実用化されており、この栓に一工夫すれば簡易スプレーが作れる目途がついたのである。
容器に目途が立ったならば、次は中身であった。
催涙スプレーの主成分はカプサイシンであり、これは唐辛子から抽出出来た。
ロンドン市内のデパートで購入した唐辛子を細かく刻んで、少量のビールに浸して一晩置くと、アルコールにカプサイシンと色素が溶け出して赤いビールとなる。これをビール瓶の底に入れ、後は普通にビールを充填して栓をすれば完成である。使用するのは、特注で作ってもらった王冠栓であり、これは、漫画道具作成でお世話になった職人を拝み倒して、作ってもらった物であった。
テッド謹製の催涙スプレーは、栓の中心に細長いパイプが貫通しており、パイプはビン底近くまで伸びていた。外部に露出している部分の根本に近い場所に開閉式のバルブがついており、ここを捻ると内部に充填された炭酸ガスの力でカプサイシン溶液を噴霧する仕掛けであった。なお、ビールといっしょに充填されているため、使用前に振ると内部圧が上がって威力・射程共に増大する特徴があった。
(来た……!)
時刻は夜半過ぎ。
いつもなら、夢の世界(最近は悪夢だが)に旅立っている時間であるが、テッドは寝室のドアの前に陣取って待ち構えていた。
耳を澄ますと、相変わらず足音が全く聞こえない。興奮した息遣いだけが近づいてくる。そして、ドアが開錠される。上から順番に、しかも以前よりも速い。カチャン、カチャンと音がして鍵が開かれる度にテッドは震えが止まらなくなったが、ここで退くわけにはいかないのである。
そしてドアが開く。
ドアの前に立っているのは、妖艶な雰囲気を醸し出しているマルヴィナ。ピンクっぽいオーラが吹き荒れるのが見える気がするくらいヤバい。相変わらず、鼻血ドバドバなのが非常に残念ではあるが。
そのエロチックさに、思わず硬直してしまったテッドであるが、思い直してビール瓶を振り、噴出孔をマルヴィナに向けてバルブを開く。距離は10フィート足らず。必中距離である。
催涙スプレーは狙いたがわずマルヴィナの顔面に命中し、テッドは、彼女が怯んだすきに脇を抜けて部屋から脱出を図る。しかし、彼女は片手ですくい上げられるような形で楽々とテッドを捕獲した。
「そ、そんな!? 催涙スプレーが効かないなんて!?」
「……ふむ、何かビールに混ぜ物をしたようですが、こんなもので何をするおつもりで?」
「え?」
テッド謹製の催涙スプレーは、ビン内に充填された炭酸ガスとビール内の炭酸を併用することで射程距離を延ばすことが可能であった。しかし、カプサイシン溶液とビールの比重は同一であり、ビンを振ると混ざり合ってしまう。結果、ちょっぴり辛目なビール噴出スプレーとなってしまったのである。射程を伸ばすことだけを考えていたテッドの失敗であった。
「……さて、悪い子には躾が必要ですね」
「!?」
マルヴィナの物騒な台詞に、全力で逃げだそうとするテッド。
しかし、悲しいかな。ショタ化した彼は非力であった。女性とはいえ、鍛えられたマルヴィナの腕力には到底かなわなかったのである。そして、テッドを左手で小脇に抱えたまま、鍛えられつつも女性らしいラインを持った右手が優美に弧を描く。
「痛ぁぁぁぁぁいっ!?」
ピシャーン! と周囲に響きそうな、実に痛そうな音が続く。
テッドから見えなかったが、マルヴィナは実に良い笑顔をしながら、尻たたきを続けたのであった。
「うぅ、昨日はひどい目に遭った……」
あの後、マルヴィナに文字通りの100叩きをされたテッドは、涙目であった。
途中で叩き方に変化を加えてきて、痛みに慣らさないようにするあたり、きっと彼女は上級者なのであろう。もう少しでいらんことに目覚めさせられるところだったと後に彼は述懐している。
なお、アイデア倒れに終わった彼の催涙スプレーであるが、後に改良された製品が出回ることになる。とはいっても、催涙スプレーとしてではなく、スプレー缶の代用としてであるが。
史実におけるスプレー缶は1920年ごろには試作品が出来ていたとされるが、本格的な実用となると、第2次大戦中に米軍が使用した殺虫・虫除けスプレーが最初とされている。現在のスプレー缶と比べると頑丈な鉄製で重たいシロモノであった。
テッドのスプレーは、史実のスプレー缶に比べれば低圧力で飛距離は短いものの、十分に実用範囲であったし、中身が空になったらビンを回収して栓をすれば、再利用も可能であった。そのため、様々な用途に使用されることになる。このことに気を良くした彼は、ショタ形態になっているときは、史実の知識を生かした珍妙なシロモノを発明することが趣味になるのであるが、それはまた後の話である。
年末なので、ちょいとペースが落ちていますが第3話はいかがでしたでしょうか?
マルヴィナさんの変態っぷりだけがクローズアップされてしまいましたが、彼女だけが変態ではありません。これからもっと増えます(吐血
それにしても、年末で忙しくて小説もお絵かきもロクに出来やしない・・。( ´Д`)=3