第37話 暗黒新大陸
「アメリカ支部の報告によると、今回のエピデミックの死者は300万人を超えています」
「そんなにか!?」
「現地メディアの報道を集計しただけですが、これを下回ることは無いでしょう」
1919年10月。
この日の円卓会議の議題は、アメリカのエピデミックの経過に関することであった。MI6の責任者であるマンスフィールド・スミス=カミング中将の報告に、驚愕する円卓メンバー達。
この時点で一部の地域を除き、アメリカのエピデミックは収束に向かっていた。
しかし、そこに至るまでの損失は天文学的なものであった。
「この事実を裏付けるように、労働省移民局が動いています」
「アメリカが移民を募集していると?」
「連中、よっぽど追い詰められているな……」
300万人という前代未聞の犠牲者数もさることながら、その内訳が青年層に集中していたことでアメリカ社会は崩壊寸前であった。手っ取り早く労働力を確保するべく、アメリカは大々的な移民募集を開始していたのである。
「確かにその話なら外務省にも来ている。国籍や人種を問わず、受け入れ無制限という馬鹿げた話がな」
カミングの発言に続いたのは、アーサー・バルフォアである。
史実のバルフォア宣言で有名な彼は、この世界では円卓のメンバーであり、ロイド・ジョージ内閣で引き続き外務大臣を務めていた。
「移民の募集はかけているが、反応は芳しくない。他国の外務省にも問い合わせてみたが同様のようだ」
「意外ですな。いつの時代にも食い詰めた人間はいる。新天地で一旗揚げようと考える人間は多いだろうに」
「人種を問わないとなると、ユダヤ人が殺到しそうなものだがな……」
この時期、我らが主人公テッド・ハーグリーヴスは、イスラエル建国の真っ最中であった。
彼の暗躍(笑)によって、アメリカから脱出しようとしたユダヤ人はもちろんのこと、世界各地に散らばるユダヤ人もイスラエルに集結しつつあった。
アメリカ風邪が、質の悪い風土病であるという噂が世界中に広まったことも移民から忌避される原因であった。なまじ北米で封じ込めることに成功してしまったことが、噂の信ぴょう性を上げてしまったのである。
ユダヤ人以外の移民希望者に忌避された結果、アメリカの移民事業は失敗に終わった。アメリカは自国民のみでエピデミックからの復興を余儀なくされたのである。
「エピデミックが終焉した以上、諸州への速やかな支援を実施するべきだ!」
「今回のエピデミックで受けた被害の補償する法案の整備を急ぐべきです」
「女性の社会進出と権利の向上を急ぐべきです!」
エピデミックのために機能停止していた連邦議会も再開されていた。
議題は当然ながら、エピデミック被害からの速やかな復興を実現するための法案作りに集中していたのであるが……。
「このようなときに大統領が執務不能とは……」
「神はこの国を見放したというのか!?」
議会が提出した法案に大統領が署名することによって、初めて法律として機能する。しかし、28代大統領ウッドロゥ・ウィルソンは、脳梗塞を発症して入院中であった。
「落ち着け! このような状況で我らが浮ついていては何も出来んぞ」
「副大統領!?」
浮足立つ大統領側近を叱咤するのは、副大統領のトーマス・ライリー・マーシャルであった。
「イーディス夫人と話はついた。以後は彼女が大統領職を代行することになる。我らはそのサポートに回る」
「大統領が職務不能なのを公にして、副大統領が職務を代行するべきでは?」
「未だ社会が混乱状態だというのに、これ以上の混乱は許容出来ない。それに、いざというときのトカゲのしっぽ切りは必要だと思わないかね?」
「「「!?」」」
マーシャルの発言に驚愕する側近たちであるが、一連のエピデミック被害で大統領が激しく非難されることは理解していた。民主党の上層部も同様であり、政策の失点を回復しつつ、責任を大統領に押し付けることに腐心していたのである。
「大統領が回復して職務可能になればそれで良し。回復しなかった場合は……」
「……しなかった場合は?」
「彼女が主治医と結託して、大統領が職務不能なのを良いことに国政を壟断したと糾弾されることになる」
残酷な話であるが、政治の世界とは得てしてそのようなものである。
とにもかくにも、アメリカのエピデミックからの復興は始まったばかりであった。
「ボス、今日の新聞見ましたか? 復興債とやらが発行されるみたいですぜ」
「復興債だと? 見せてみろ」
シカゴに本拠を置くギャング『シカゴ・アウトフィット』の本部では、ボスのジョニー・トーリオが、部下のアル・カポネから報告を受けていた。
「……アル、今すぐに動かせる金はどれくらいだ?」
「100万ドルは動かせますが、まさか……!?」
「そのまさかだ。こいつは金になるぞ!」
復興に向けて最初に行われたことは、復興債の発行であった。
いくら崇高な理念とやらがあっても、先立つものが無いと復興は進まないのである。
利回りを高めに設定したおかげで飛ぶように売れたのであるが、購入者の大半はギャングやマフィアといった裏社会の住民であった。彼らは、闇酒で得た莫大な利益を復興債に突っ込んだのである。
高利回りで利益になるため、こぞって買い求めるアメリカの闇勢力であったが、目的はそれだけでは無かった。彼らとて、これ以上の国内の混乱は望んでいなかったのである。寄生虫は宿主が健全であってこそ存在出来る。彼らなりの愛国心とでも言うべきであろう。
「……復興債の売れ行きは良いが、これって償還額がヤバくないか?」
「売れてくれないと困るから、利回りを相当高くしたからな。今後の償還を考えると頭が痛い」
「このままだと、将来的に償還するための予算を確保するために、新たに起債するハメになるぞ……!?」
復興債が飛ぶように売れているというのに、財務省の官僚は憂鬱であった。
順調に売れたおかげで、連邦政府は復興のための予算を得たが、あまりの高利回りのために将来的にデフォルトする可能性が既に指摘されていたのである。
「……今からでも利回りを下げることは出来ないか?」
「ハドソン川の河口に浮きたいのなら止めんぞ」
「ジョ、ジョークに決まってるじゃないか……」
大口購入者の大半が、ギャングやマフィアであることは政府関係者には公然の秘密であった。相手が相手なだけに、下手に償還を遅らせようものなら命の保障は無かった。そのため、他の予算を削ってでも償還に応じる必要があったのである。
復興債はエピデミックからの復興に重要な役割を果たした。
しかし、その高利回りによって生じる膨大な償還額は次第に予算を圧迫していった。膨大な償還に対応するために、新たに起債するという悪循環に陥ったのである。
裏社会の住民たちは、復興債の償還による利益でM&Aを繰り返して表社会でも急速に影響力を強めていった。質の悪いことに、ギャングやマフィア傘下の企業群はほとんど納税しなかったため、連邦政府は更なる税収不足に陥ることになる。
「乗車券を拝見します」
「あっ、はい。これです」
「……確認しました。良い旅を」
車内で乗車券を確認した車掌は女性であった。
男性用の制服をそのまま着用しているため、男装の麗人ということで乗客からは大層な評判となっていた。
運行を再開したサザン・パシフィック鉄道では、大々的に女性職員が採用された。車両整備や荷役などにも女性が採用されたのは決してうけ狙いなどではなく、切羽詰まった人材不足によるものであった。
アメリカ風邪で青年層が壊滅してしまった結果、あらゆる分野で女性の社会進出が加速した。鉄道だけでなく農業や工業といった肉体労働にも女性が積極的に採用された。皮肉なことであるが、社会崩壊寸前になったことで既存の人種差別や特権意識が吹き飛んでしまったのである。
教職や連邦職員といった、従来は白人にしか就くことが出来なかった職業にも黒人が続々と採用された。今までは黒人の身で成功するには、スポーツか音楽関係しか無かったのであるが、国が亡びるかの瀬戸際に、人種や性別、肌の色などは些細なことであった。
「やったぜ! これで俺も将校さまだぜ」
「出世したんだから奢ってくださいよ。サー!」
「あっはっは! よぅし、お前ら俺に続けっ!」
「「「イエッサー!」」」
同様のことは軍隊にも起こっていた。
エピデミック以前の反戦運動の盛り上がり、軍縮、さらに軍事費カットによる給料の遅配、ダメ押しでギャングやマフィアからのヘッドハンティングなど、ありとあらゆる逆風が軍部に吹き荒れた結果、有能な白人将校は軍に見切りをつけて悉く退役してしまった。
軍に残ったのは行き場のない黒人兵士が大半であった。
このような状況では軍として機能出来るはずもなく、軍上層部は不承不承ながら人種差別を撤廃して昇進させた。その結果、多数の黒人将校が誕生することになったのである。
ニューヨーク州をはじめとした東海岸の州では、黒人への投票権の付与も積極的に検討された。
アメリカでは、南北戦争後に制定された憲法修正第15条によって、黒人の投票権は認められていた。しかし、合衆国に復帰した南部諸州では黒人差別が始まり、15条の定義が甘いことを良いことに、州法で投票権を無効化することがまかり通っていたのである。
これには人種差別撤廃以外にも目的があり、投票権を餌にして南部の黒人たちを呼び寄せる意図があった。実際、投票権が付与されることを聞きつけた黒人たちは南部から東海岸へ大移動して、貴重な労働力として東海岸諸州の復興に貢献したのである。
これら一連の動きは、結果だけを見れば史実の公民権運動を先取りしていると言えた。このまま上手くいけば、史実を40年先取りした社会が実現する可能性はそれなりに高かったであろう。もっとも、人の夢と書いて儚いと読むように、所詮は砂上の楼閣だったのであるが。
「国内の労働人口はひっ迫しています。南部に回す余裕はありません」
「そもそも、連中の自業自得じゃないですか。奴らが黒人を弾圧した結果なのだから無視すべきでは?」
「しかし、南部出身の議員からの突き上げが激しい。何らかのアクションを取る必要があるぞ」
1921年1月。
ホワイトハウスでは、大統領の側近たちが頭を抱えていた。
東海岸で投票権をはじめとした黒人の権利を大幅に認める法案が採用された結果、民族大移動のごとく黒人が大挙して押し寄せた。おかげで東海岸の復興は軌道に乗ったのであるが、黙ってられないのが南部諸州である。如何な理由であろうと、貴重な労働力を奪われたのであるから当然のことであろう。
南部では、地元ギャングの影響力が急速に増大していた。
資金に物を言わせて大規模に農場を買収して、酒の原料となる作物の栽培を行っていたのである。
しかし、農場を運営するには大量の人手が必要であり、労働力である黒人がいないと闇酒作りに支障が出てしまう。そこで彼らは、地元出身の議員を買収して連邦議会に送り込んたのである。その結果、野党の共和党だけでなく身内の民主党議員からも突き上げを喰らい、進退窮まっていたのである。
「……移民の受け容れは出来ないのか?」
「副大統領閣下、移民の受け容れは過去に試して失敗しています」
「分かっている。しかし、まだ打診していない国があるだろう?」
「まさか……」
「そのまさか、だ。直ちにコンタクトを取ってくれ」
交渉はアラスカ準州において極秘裏に行われた。
当初は双方の意見の相違が大きかったのであるが、最終的に移民に対して資源と技術をバーター取引することで妥結した。
取引はベーリング海峡越しに行われた。
ソ連側からは移民が、アラスカ側からは資源と技術顧問団が行き来し始めたのである。
この取引はソ連とアメリカ両国にとって、非常に旨味のあるものであった。
英国の締め付けに苦しむソ連は、アメリカから資源と技術を手に入れることが出来、労働力不足に苦しむアメリカは大量の労働力を確保出来た。
具体例を挙げると、この時期にアメリカからヘンリー・フォードがソ連に渡って、国内の工場で大量生産技術を指導している。南部諸州の農場には、大量のスラブ系の移民が入植して、農業生産増大に多大な貢献をしていた。
喉から手が出るほどに欲しい労働力を確保したことによって、アメリカ復興への道のりは確たるものになった。しかし、そこに仕込まれた爆弾に誰も気付くことは出来なかったのである。
1921年3月。
未だ復興の途上で実施された大統領選挙は、史実通り共和党候補のウォレン・ハーディングの勝利となった。
理想主義だった前任のウィルソンに比べれば、ハーディングは現実主義者であった。ただし、自らの支持者に対して忠実という意味で現実主義者という但し書きが付くが。
彼は史実において、選挙に勝利するために自らの知己の多くを重要な政治的地位に任命した。
『オハイオ・ギャング』として知られた彼らは、自らの権限を政府からの搾取に使用したのであるが、この世界の彼の支持者は文字通りのギャングであったために、尚更質が悪かった。彼らの機嫌を損ねようものなら、その先に待ち受ける結果は言わずもがなである。
オハイオ・ギャング(物理)は豊富な資金力で復興債を購入する一方で、息のかかった人間を閣僚に送り込んで多大な影響力を行使した。あまりにも身内びいきをしたために、敵対するギャングやマフィアから報復を受け、歴代大統領の中で閣僚が途中交代することが飛びぬけて多かった。
ハーディング自身も、史実同様に任期途中で死亡することになるが、国民の誰もが脳梗塞で死んだことを信じようとはしなかったことが、この政権の暗部を象徴していた。
前政権が交代間際に締結していた秘密条約『米ソ貿易協定』は継続となった。
安く扱き使える労働力は特に南部で必要とされていた。彼らは奴隷のような扱いであり、肌の色が違うだけで南北戦争以前の光景が広がっていたのである。
「……同志諸君、報告を聞こうか」
「議長、お喜び下さい。順調に党員は増えております」
「南部の移民にターゲットを絞ったのは正解でした。彼らは同志レーニンの薫陶を受けているので、理解が早いです」
「ただ、農奴出身が多いせいか、最低限の教育すら受けていない人間が多いです。今後問題となるでしょう」
「国内の同志に声をかけて南部に学校を設立する必要があるな……」
党員の報告を受けて、渋い顔をするチャールズ・ラッテンバーグ。
アメリカ共産党議長である彼は、南部諸州で共産思想を広めていた。新大陸に希望を抱いていたスラブ系移民にとって現実は塗炭の苦しみであり、救いを求めた彼らは、急速に共産思想に染まっていったのである。
黒人と違って、隠れ共産党員は肌の色で判別は不可能であった。
共産主義に対する無理解さも摘発を困難なものにしていた。欧州では、英国が共産主義の危険性を大規模に喧伝していたものの、鎖国同然のアメリカではいまいち理解されていなかったのである。
南部における共産党員は増え続け、やがて数万人規模となっていった。
彼らは労働条件改善のために団結し、ストライキを敢行した。南部諸州は地元警察による鎮圧を試みたのであるが、効果は上がらなかった。
あまりにも大規模過ぎて、集会やストに参加している末端を牢にぶち込んでもきりが無かった。煽動している共産党の運動家たちは複数の州にまたがって活動しており、地元警察では対処が難しかった。彼らを捕縛するには、全米レベルで逮捕権を行使出来る組織が必要だったのである。
1921年10月。
史実より14年も早くFBI(Federal Bureau of Investigation,アメリカ連邦捜査局)が発足した。
FBIの前身である BOI(Bureau of Investigation)は、過去のジョン・スミス事件の不手際によって組織改編中であったが、予算不足やエピデミックによる混乱によって、改編は遅々として進まずに放置されていた。しかし、南部で急速に広まる共産思想に危機感を抱いたウォレン・ハーディング大統領のテコ入れで設立にこぎ着けた――というのは、あくまでも表向きの話である。
実際のFBIの設立には、裏社会の住民の意向が強く反映されていた。
彼らの収入源である南部での闇酒製造や麻薬栽培が、共産党の集会やストライキで阻害されるのは我慢ならなかったのである。
初代FBI長官には、史実と同じくジョン・エドガー・フーヴァーが就任した。
26歳という異例の若さでの抜擢であったが、これは彼が有能というだけでなくマフィアとの関係も影響していた。
史実では賭博好きで、賭博に強い影響力を持っていたマフィアを目こぼししていた彼であったが、この世界ではマフィアやギャングから多額の賄賂を受け取っていた。FBIは設立当初から真っ黒だったのである。
フーヴァーは、全米から優秀な警官をかき集めた。
さらに、捜査技術の近代化と科学的な捜査手法を導入して多大な成果を挙げたのである。
「動くなっ! FBIだ」
「くっ!? 同志、早く逃げてくださいっ!?」
抵抗むなしく捕縛される共産党員たち。
場当たり的な対処しか出来なかった従来の警察とは違い、FBIは犯人の行動を調査したうえで無防備なところを急襲するスタイルを重視していた。それを可能にしたのは全米中に張り巡らされた情報網であった。さらに、犯人に懸賞金をかけるなどして積極的な情報提供を呼び掛けていたのである。
設立の経緯からして、FBIの当初の目的は赤狩りであった。
それ故に、共産党の活動に比例して組織は巨大化していった。しかし、共産党の活動が地下に潜るとFBIは新たな敵を探す必要が出てきた。本末転倒な話であるが、組織というのは得てしてそのようなものである。
フーヴァーは、FBIの管轄権を超えて政治的な反対者や活動家に対して秘密ファイルを作成した。『公式かつ機密』な秘密ファイルには、上院と下院の全ての議員、さらに大統領のスキャンダルまで収録されたのである。
秘密ファイルはFBI、そして裏社会の住民を守るために極めて有用であった。
巨大化し過ぎたFBIの権限を削る機会は幾度もあった。しかし、その都度秘密ファイルによって政治家たちは沈黙を余儀なくされたのである。
フーヴァーファイルの存在によって、FBIは連邦議会が予算審議をいっさい行えなくなった。FBIは極めて有能でありながら、連邦政府が干渉出来ない秘密警察と化したのである。
FBIは裏社会の住民の意向に忠実であり、彼らに敵対する政治家は容赦なく逮捕された。アメリカの指導者が、ホワイトハウスの住民ではなくなった瞬間であった。
というわけで、アメリカが黒化しました。
史実でも、この時代のアメリカは真っ黒なのですが、この世界では輪をかけてヤバいことに。どうしてこうなった(汗
ギャングやマフィアは目先の金を追いかけることしかしないので、外交や軍事に興味はありません。海外利権?なにそれおいしいの?
復興債の莫大な償還で予算が圧迫されて、軍の近代化は遅れる一方。
陸軍は田舎軍隊のままだし、海軍は新型艦も建造出来なくなるわけで、いっそこのままのほうが世界平和が保たれる……わけありませんw
今のアメリカはサナギなのです。
ここから大変貌を遂げるので、あまり期待せずにお待ちください(マテ