第31話 (ドーセット限定)内政チート
「……ロンドンに行くことは多いですから、わたしもコミケのことは存じております。しかし、この地でコミケを開催するのは現状不可能ですな」
「な、なにゆえ!?」
ドーセット州の州都ドーチェスター。
此処を拠点に定めることにしたテッドは、手始めに町長に意見を求めた。しかし、返ってきた答えは非情であった。
ドーチェスターはフルーム川の河岸に位置し、古くから市場都市として栄えてきた地区である。しかし、産業革命以後は周辺地域が勃興して相対的に地位は低下していた。
町長はドーチェスターの将来を憂慮していた。
そんなときにやってきたのが、貴重な金づる――もとい、スポンサーであるドーセット公爵ことテッド・ハーグリーヴスであった。スポンサーの意見は無為に出来ないのであるが、それでも出来ないものは出来ないと答えるしかなかったのである。
「此処の住民は一部を除いて文字が読めません」
「えっ、まずはそこからなんですか!?」
産業革命によって農村部から都市部に労働力が流出し、結果的に識字率は改善された。工場で働くためには、最低限の識字率が必要となるからである。ちなみに、史実における19世紀中盤の英国の大工業都市部における識字率は20~25%程度あるが、同時期の江戸は75%であった。史実の日本がリアルチートと呼ばれる所以である。
テッドによる同人誌販売、その延長線上であるコミケの開催も識字率の向上に拍車をかけていた。同人誌を楽しむために、自発的に勉強する子供たちが都市部には多かったのである。しかし、逆に言えば農村には文字の読めない人間しかいなくなるということでもあった。
「そういうわけですので、学校設立のために寄付をお願いしたいのですが……」
「寄付なんて生温いっ! 全額出すから早急に学校設立を! いや、学校だけでなく図書館も作らねば!」
「そ、そこまでしていただけるのですか!?」
「僕が金を出す図書館だから、同人誌が置き放題! 幼少から僕の同人誌を読めばファンになってくれるに違いない……ふ、ふははあははっ!」
動機が不純であっても、図書館まで作ってくれるテッドの大盤振る舞いに驚愕する町長であったが、町長を任されているだけのことはあって彼は強かであった。この際、コミケ開催にかこつけて可能な限り陳情する決意をしたのである。
(我らが仕えるにふさわしいお方であるか、確かめる必要があるな……)
もう一つの思惑もあったが、そんなことはおくびにも出さない町長であった。
「……酷い道ですね。というか道ですらない」
「ドーチェスターの中心部は石畳で舗装されていますが、外に出ればこんなものです」
「そういえば、ロンドンからの道もこんな感じでした……って、痛てっ!?」
ドーチェスター近郊の道を疾駆する一台のシルヴァー・ゴースト。
運転をするのはマルヴィナで、後ろに座るのは案内をかって出た町長とテッドである。
この世界の英国は、円卓チートのおかげで市街地の舗装率はほぼ100%に達していたが、田舎だと村の中心部がわずかに石畳で舗装されている程度で、その大半は砂利道であった。しかも路上のコンディションは悪く、油断するとタイヤがくぼみにはまって盛大に揺れることになるのである。
「仮にコミケを開催するのであれば、ロンドンに至るこの道の舗装が必須となるでしょう。多大な費用がかかりますので、こちらにも寄付をいただければと……」
「……」
町長の無慈悲な言葉に沈黙するテッド。
内心『吹っ掛けすぎたかな?』と思った町長であったが、直後の彼の言葉に驚愕する。
「よし、道路舗装のために建設会社を作りましょう!」
「……は?」
「油田が軌道に乗れば石油生産の副産物でアスファルトも安く手に入るし。地元の雇用も確保できて一石二鳥です」
「えええええええええ!?」
「なにか間違ってます? 仮に道路を整備しても、地元に職が無ければ人口流出が加速するだけですよ?」
「そ、それはそうですが……」
テッドの提案に仰天する町長。
このような提案は、ただの成金には出来ないことである。小賢しい理屈を並べるようなことはせずに、大局的な視点から果断な判断を下せる人間――町長には、テッドがそのような人物に思えた。本人が知ったら買いかぶりだと全力で否定すること請け合いである。
テッドの言葉に偽りは無く、年内に建設会社が設立された。
ウィッチファーム油田の傍に設立された『バーベック建設会社』によって、領内の道路舗装が急速に進められていくことになる。
ドーセット内の道路は史実のルートに準じて整備された。
A31、A35、A37、A350――いわゆるAロードと呼ばれる幹線道路を最優先に舗装し、それ以外の道路は順次行われていったのである。
なお、住民の要望によって幹線の舗装とは別口で集落内の道路整備も行われた。
こちらはアスファルト舗装ではなく、コンクリートブロックを使用した簡易舗装であった。史実ではインターロッキングブロック舗装とも言われている舗装であり、以下のようなメリットが存在する。
・すべりにくく、長持ち。
・施工後の養生が不要。
・色あせが少ない。
・ブロックの形状や色調、敷設パターンの組み合わせにより様々なデザインが可能。
・透水性、保水性が良好。
・使用したブロックの再利用可能。
史実日本では、歩道や公園に主に用いられている舗装である。
アスファルト舗装に比べると自動車道路としての用途は少ないのであるが、施工に作業機械が不要であり、コンクリートブロックさえ用意出来れば、人海戦術で整地して並べるだけのお手軽さである。
難点として、ブロックの隙間から雑草が生えやすいことと、コンクリートブロックの破損があるが、雑草は地元住民が抜けば良いだけであるし、コンクリートブロックも、予備を用意しておけば取り換えるだけなので問題無いとされた。ドーセットの発展に伴い、交通量が増加した場所に関してはアスファルトで再舗装されている。
地元への資金投下という側面もあり、採算は度外視して実施された。
農閑期に作業は行われたのであるが、貴重な収入確保の機会ということで地元住民は大喜びで参加したという。
使用されたコンクリートブロックは、史実だと1個300円程度で購入可能なブロックであった。人件費激安なドーセットの住民によって敷設された結果、予想より少ない時間と予算で集落内の舗装が完了することになる。
「……仮に道路が出来たしましょう。しかし、車はどうするおつもりですか?」
「軍の払い下げのトラックをバスに改装します。今なら大量に安く手に入りますし」
英国陸軍では、戦後の民需増大による経済界の圧力もあって、大規模な兵員削減が行われていた。兵隊の数が減れば装備も余剰になるわけで、使われなくなった兵器類の払い下げが盛んに行われていた。
テッドが目を付けていたのは、輸送部隊で使用していたトラックである。
彼自身は、ポケットマネーで買い付けるつもりであったが、円卓が介入してきた結果、最終的に200台ほどのトラックをロハで手に入れることになる。
テッドの召喚スキルは、この世界で唯一無二である。
仮に値段をつけるとしたら、小国の国家予算に匹敵するだけのものを召喚していたのである。
円卓は巨額の報酬を渡していたが、とても釣り合う金額ではなかった。
そのため、円卓は機会があれば可能な限り便宜を図るようにしていた。本人は欠片も気にしていなかったりするのであるが。
トラックはコーチビルダーに持ち込まれて、荷台部分の改装が実施された。
この時代、自動車全てを一貫して生産しているのはフォードを筆頭とするアメリカの自動車会社くらいである。英国では基本的に自動車メーカーはシャシーだけ作り、ボディはコーチビルダーによって架装されていた。
あまりにも大量だったために、ロンドン中のコーチビルダーに持ち込まれたのであるが、シャシーは同一であってもボディを架装するメーカーが違うためか、外見も含めてかなりの差異があった。
テッドが手に入れたトラックはオースチン 15HPであった。
このモデルは、軍向けにトラックとして生産されたモデルであり、比較的小型の車種であった。軍用モデルだけあって、民間向けと比べるとエンジンの信頼性やシャシーの頑丈さ、荒れ地を走れる走破性が重視されていた。
ベース車両が小型なため、改装バスの乗車定員は10名程度であった。
輸送効率は現在の旅客バスとは比べるべくもなかったが、その分は車両の多さでカバーした。未舗装で細い道路が大半の現状では、大型の車両を走らせるのが難しいということも小型バスの採用が後押しされた理由であった。
比較的悪路に強い車種のため、黎明期には砂利道を疾駆した改装バスであるが、乗り心地が悪いという問題があった。ベース車両が乗り心地を度外視した軍用モデルであるから当然のことなのであるが、長時間乗っていると車酔いしてしまうため、ロンドン・ドーチェスター間の長距離バスの座席にはエチケット袋が備えられることになる。
「しかし、自動車を大量に確保しても運転手はどうするのです?」
「それについても、陸軍のリストラで除隊した輸送部隊の兵士を募集しようと思っています」
「な、なるほど。その手がありましたか……」
まったくもって迷いの無いテッドに感動すら覚え始めた町長。
彼のテッドに対する評価はうなぎ登りであった。
史実のコミケの交通事情を良く知るテッドからすれば、会場への交通機関の確保は最優先事項であった。リストラされた陸軍の人材や機材を流用することくらいは、最初から考えていたのである。
英国では、ようやくモータリゼーションが本格し始めた時期であった。
円卓が望めば、アメリカ並みのモータリゼーションを早期に実現することは不可能では無かったのであるが、史実のロンドンの大渋滞を知る円卓としては、急激なモータリゼーションは避けたかったのである。そのため、現在の英国における運転手の需要は低いままであった。
しかし、今年に入ってから法整備と規制緩和によって、ロンドンではタクシー会社やバス会社が続々と誕生していた。このまま手をこまねいていては、人材の取り合いとなることは必定のため、急ぐ必要があったのである。
テッドは、当時としては高額のサラリーで自動車運転経験者を大規模に募集した。使用する自動車も軍時代に扱った車種であるため運転に問題が起きるはずもなく、輸送部隊の貴重な転職先となったのである。
1918年に設立された『ドーチェスター交通』は、ロンドンとドーチェスター間の直行便と、ドーセット内の集落を循環するバス路線である。
循環バスの料金は低めに設定されており、さらに地元民のみ購入出来るパスを提示すれば、無料で利用することが可能であった。なお、人口流出のリスクがあるため、ロンドン行きのバス料金は高めに設定されていた。
野菜を出荷する農家のために、改装していない輸送トラックを運転手付きで貸し出すサービスも行われ、こちらも地元民には大好評であった。
当初は野菜のみをロンドンに出荷していたのであるが、『加工して付加価値を高める』というテッドの日本人的思考により、ジャムやピクルスなどに加工することになる。
ちなみに、瓶の挿絵にやたらと萌え絵が採用されているのは、テッドがブランド化と称してやらかした結果である。結果として売り上げは激増したので間違いでは無かったのであるが、彼が見境なしにラベルのデザインを引き受けた結果、仕事も激増して自分の首を絞めたのは自業自得であろう。
1919年にドーセットに設立された自動車学校により、領内でも自動車を運転出来る人間が増えていった。地元民には学費の一部、条件によっては全額の免除が受けられる制度があったため、とりあえず免許を取っておこう的なノリで地元民が殺到した。ここらへんは、普通免許を身分証明書替わりに使っていた史実日本の状況と似たようなものであった。
自動車学校に続いて領内でレンタカー事業も開始された。
個人で自動車を所有することは未だ難しかったのであるが、自動車免許を持つ人間は多かったため、こちらも人気となった。
ドーセットが発展して住民の平均収入が増えると、レンタカーで車の良さを知った住民は独自に自動車を欲するようになり、ドーセット内での自動車普及率向上の要因となった。1930年の統計では、個人の自動車所有率はロンドンと同等となっている。
現在のドーセットにおける自動車の売れ筋はピックアップトラックである。
主に農機具や農作物の運搬などに利用され、休日にはセダン代わりのレジャー用として家族のドライブにも活躍しているのである。
「……全てが実現すれば、ドーセットは大いに発展するでしょう。しかし、資金面は大丈夫なのですか?」
「当面は大丈夫ですが、今後のためにも資産運用が必要ですね。財団を作りましょう」
「ざ、財団ですか……」
学校設立や道路整備の費用については、テッドのポケットマネーで事足りた。
しかし、今後も継続してドーセット領内の開発を進めるとなると、安定した資金源が必要となる。そのために必要なのが財団の設立であった。
『ハーグリーヴス財団』の名前で設立された財団は、堅実過ぎる運用で確実に利益を出した。運用益は少な目であったが、それはあくまでも原資に比して少ないという意味である。
小国家の年間予算並みの原資から生み出される運用益は、ドーセット領内を開発するのには十分過ぎる金額であった。その結果、ドーチェスター市内に路面電車が敷設されたり、地元警察に予算潤沢な特殊部隊が創設されたりと、テッドの趣味が存分に反映されることになる。
個人的な趣味に走るのに目さえつぶれば、予算も装備も大盤振る舞いしてくれるので、住民にとっては良いスポンサーであった。史実の某ゾンビゲームの地方都市と製薬会社の関係といえば分かりやすいであろう。
ドーセットは、基本的に農業で食っている地域のため、農地整理や灌漑事業にも力が入れられた。1930年代には、財団によって高収量品種の導入や化学肥料の大量投入などで穀物の生産性が向上し、穀物の大量増産を達成することになる。
風光明媚な地形を生かした観光客誘致も精力的に進められた。
こちらは、テッドが自らポスターを作る力の入れようであり、大量の観光ポスターが作られた。そういうことをするから、仕事が増えて自分の首を絞めるというのに、まったくもって懲りない男であった。
財団の設立によって、テッドの発言力は強大化した。
財団によるドーセット内の開発が進むにつれ、地元の政治家が彼の顔色を伺うような政治をするのはやむを得ないことであろう。
テッド自身はコミケを開催することこそが最優先であり、地元への露骨な利益誘導は考えていなかった。ドーセットの発展は、コミケ開催のおまけのようなものだったのである。
既得権益を失った……もとい、古くからの地元有力者たちは結託し、『健全な政治をわが手に』などとキレイごとをほざいて騒動を起こすことになるのであるが、それはまた後の話である。
「着きました。ここが目的地です」
「此処は……?」
「……ドーセット公爵、いや、旧ドーセット公爵邸です」
町長の案内でたどり着いたのは、荒廃したカントリーハウスであった。
無人となって相当な年月が経過しているのか、窓のガラスは割れ、壁もひびだらけであちこちが風化していた。
町長は荒れ果てた庭園を案内しつつ、独白するように言葉を紡ぐ。
「わたしの一族は、祖父の代まで代々ドーセット公爵家に仕えていました」
「は、はぁ……」
「……今、此処にいる者たちもそうです」
「いつの間にっ!?」
かつては、手入れが行き届いていたであろう英国式庭園。
その物陰から、湧き出るように出てくる人間たち。いつの間にかに大勢に囲まれていることに焦るテッドであったが、マルヴィナは相変わらず鉄面皮であった。一見武器らしきものは持っていないので、この程度なら何とでもなると考えているのかもしれない。
「……代々の公爵は民に慕われていたそうです。わたし達はそのことを子供のころから聞いて育ってきました。この地はドーセット公爵家によって繁栄していたのです」
英国において、産業革命以前の貴族は大地主で荘園経営が基本であった。
執事を筆頭に厳格な主従関係が成り立っており、給金こそ雀の涙であったものの、衣食住は完全に保証されていた。その主従関係の強さは元日本人であるテッドからは想像もつかないほど強いものであった。
「……今から80年ほど前に公爵家は廃絶してしまいました。住民は離散し、かつての繁栄は失われてしまいましたが、わたし達はこの地を離れることが出来ませんでした」
「それは何故?」
「いつかドーセット公爵家が再興すると信じていたからです。そして、それは叶った! あなた様こそ我らが仕えるにふさわしい!」
眼前で跪く町長と地元民たち。
予想外過ぎて反応が出来ないテッドに対して、マルヴィナは冷静であった。
「あなたたちは、テッド様に絶対の忠誠を誓えますか?」
「「「Yes, my lady!」」」
「テッド様、彼らを雇用すべきでしょう」
「えぇぇ!? なんか眼付きがヤバいんだけど!?」
マルヴィナの意外な提案に驚くテッド。
しかし、伊達や酔狂で彼女がこんなことを言うことが無いことも理解していた。
「貴族家の発展のためには、金で買えない絶対の忠誠を持つ配下が必要です」
「それが彼らだと?」
「わたしも現役時代はそういう人間を相手にしてきたのでよく分かります。敵に回すと厄介ですが、味方にすると頼もしいものです」
「な、なるほど……」
跪いた町長たちをあらためて見やるテッド。
断るとその場で集団自決しかねない雰囲気である。既に雇用しないという選択肢は存在しなかった。
「……分かりました。全員雇います」
「ありがとうございます! 我ら一族、永遠の忠誠を誓います!」
採用された町長の一族は、あらゆる分野で活躍することになる。
館の維持管理や財団運営が主な仕事であるが、領内の情報収集も重要な仕事であった。
ネット検索が無いこの時代、領内の効率良い開発のためには独自の情報収集手段が必要となる。当時の情報収集手段はヒューミントが主流であり、地元民である彼らは最適だったのである。
マルヴィナが見込んだ一部の人間は、彼女によって徹底的に鍛え上げられた。
彼(彼女)らは、武装メイドとして館内警備や、私設SPとしてテッドの護衛につくことになるのである。
ドーセットの内政チートが始まりました。
これだけやっても、現状ではコミケを開催するのは到底無理なのでテッド君の奮闘は続きます。
忠誠心のある人材をゲット出来たので、ハーグリーヴス家が本格的に始動。
お貴族的なライフスタイルというのも、今後書いてみたいです。資料集めが凄く大変そうですけど……(汗