第20話 フランス・コミューン
ユトランド沖海戦の大勝利は、連合国側の士気を大いに上げることになった。
日本海海戦に比肩する大勝利との宣伝文句を付けることで、さり気に日本との同盟関係を重視しているところを見せつけるあたり、プロパガンダが得意な英国の面目躍如である。
同時にMI6の裏工作によって、ドイツをはじめとした同盟国側にも急速な広がりを見せており、深刻な士気低下をもたらした。しかし、連合国側であるにも関わらず、大混乱に陥っている国が存在していた。
『無能な政府と軍を打倒しろ!』
『この国を労働者の手に!』
『ゼネストで政府に対抗するんだ!』
大戦序盤からの敗退に次ぐ敗退、軍上層部による無謀な作戦指導による膨大な戦死者、これに加えて、美味しいところは全て英軍が持っていってしまったことにより、フランス軍兵士のみならず一般市民も不満を爆発させた。これに呼応するようにフランス労働総同盟が、終戦を目的としたゼネストを宣言。混乱はフランス全土に急速に広まっていった。
フランス労働総同盟は、サンディカリスムを基調とするフランス最大の労働組合連合組織である。
サンディカリスム(Syndicalisme:フランス語)は、資本家や国家主導の経済運営ではなく、労働組合の連合により経済を運営するという思想であり、現政権に不満を抱いていた労働者達がこれを全面的に支持したのである。
さらに、ゼネストに触発されたジャコバン急進派の残党が、パリ市内の官公庁や公共施設に対するテロを開始。
フランス政府は秩序を回復するために軍を派遣したのであるが、彼らまでもが革命側についてしまったのである。後に『第2次フランス革命』と言われることになる騒乱の始まりであった。
「……それで、状況はどうなっているのかね?」
「革命勢力は、フランス・コミューンを名乗っています。現在、パリ市周辺地域は完全に彼らの制圧下にあります」
「パリからマルセイユへ疎開した政府は、コミューン側と交渉を重ねていますが芳しく無いようです」
フランス騒乱の急報を受けて急遽招集された円卓会議では、英国紳士たちが頭を抱えていた。この期に及んで、フランスが戦争から脱落するなど完全に想定外だったのである。
「あとはコミューン側の要求ですが……」
「あんなもの受け入れられるわけないだろう!? 我らを馬鹿にしているとしか思えん……!」
思わず吐き捨てる口調となった現首相であるハーバート・ヘンリー・アスキス。
アスキスは、庶民派として貴族院の改革を行ってきた。そのためか、当初はフランス・コミューンを歓迎していたのであるが、それもコミューン側の要求が出るまでであった。それほどまでに、彼らの要求は非常識なものだったのである。
フランス・コミューンの要求は以下の通りであった。
・ドイツとの即時停戦。
・アルザス・ロレーヌ地方の速やかなる返還。
・フランス国土からのBEF(英国海外派遣軍)の即時退去。
上記2つは、英国にとってさして問題では無かった。
実現出来るかはともかくとして、両国で交渉でも何でもすれば良いのである。問題は3つめのBEFの即時退去であった。英国としては、フランス政府の求めに応じて軍を派遣しており、史実よりもはるかに少ないとはいえ、多数の戦死者を出していた。この状況で無条件で軍を退けというのは、到底容認出来るものではなかった。
コミューン側としては、フランス・コミューンはフランス政府とは異なる存在であり、旧政府の約束など知ったことではないという見解であったが、彼らの要求は英国紳士たちを激怒させたのである。
「アスキス首相。彼らは約束を反故にしようとしている。これは戦勝国としての権利を放棄したと見なすべきではないでしょうか?」
「……続けてくれたまえ。ロイド・ジョージ君」
怒れる英国紳士たちを鎮めたのは、ロイド・ジョージであった。
軍需大臣を務めているためか、損得勘定に聡くなったロイド・ジョージは、素早くソロバンを弾いていたのである。
「我が国は、フランス政府の求めに応じて参戦しています。従って、フランス・コミューンを容認することは出来ません」
「その通りではあるが、このままだとフランス・コミューンがなし崩し的にフランスの正統な政府となってしまうだろう」
「マルセイユの臨時政府には、亡命政府になってもらいます」
「……なるほど。正統な政府をこちらの手で確保することで、戦後処理でフランス・コミューンに口を挟ませないようにするのか」
「戦後にフランスが獲得した権益は、一時的に我が国が預かります。もちろん、フランスが正統な政府によって統治されることになれば、無条件で返還することになります」
英国は世界の警察的な立場で、今回の大戦に参加していた。
そのため、表立って戦後の権益を主張しにくい立場であったが、フランスの権益を一時的に預かるという大義名分によって、大っぴらに権益確保が可能となるのである。もちろん、本来フランスが手に入れるべき利益であるため、いずれは返還する必要があるのであるが、それまでは英国の懐に入るわけであるし、そのまま半永久的に亡命政府になってくれればベストである。
(テッドくんが無理を引き受けてくれたおかげで、我が国には余裕があるが国際社会に対するアピールもあるからな……)
実のところ、英国に戦後権益を主張する必要性は無かった。
テッドが召喚した戦略資源は、戦費を補って余りあるものであった。フィッシャー提督がヴァンガード型戦艦をリクエストしたのに負けず劣らず、ロイド・ジョージのリクエストも相当に無茶なものだったのである。
これらの戦略物資は、世間に公開されれば相場が暴落しかねないシロモノであった。彼が召喚した金塊やレアメタルといった膨大な資源は『T資金』として英国の各地に分散して秘匿されたのである。
「しかし、そう簡単に事が運ぶかね? 臨時政府が素直に亡命に応じてくれるとは限らないが」
「その時は適当な人材を据えて傀儡政権を作れば良いかと」
「なるほど、悪くない。後は亡命先だが……」
「臨時政府はアルジェリアに脱出させればよいでしょう」
「ふむ、地理的にも地中海を挟んでいて適当であるな」
当時のアルジェリアはフランスの植民地であった。
フランス本土と同等の扱いを受けており、多くのヨーロッパ人が入植してインフラ開発が進められていた。亡命政府を樹立するのに適した立地だったのである。
「MI6からも提案があります。政府要員のみではなく、人材の亡命も進めたいのですが」
アスキスとロイド・ジョージの会話がひと段落したのを見計らって、MI6のマンスフィールド・スミス=カミング少将が発言する。
「フランス・コミューンの基本的思想としてサンディカリスムがあります。これは、極論すると労働組合のみで経済を運営するものです」
「ふんっ、とどのつまりはアカの親戚か」
スミス=カミング少将の発言に露骨に不快感を示す海軍大臣チャーチル。
世界線が違えども、この男の共産主義嫌いは健在であった。
「……話を続けます。このサンディカリスムにフランス国内の資本家たちが強い不満を持っています」
「なるほど。彼らを亡命させて新天地で旗揚げさせるのか」
「アルジェリアは人件費が安く、豊富な労働力があるので利益を出すのは難しくないでしょう」
「その分、フランス・コミューンの経済力を削ぐことが出来ると。悪くないな」
英国は世界初の産業革命を成し遂げた国である。
それ故にチャーチルをはじめとした円卓の重鎮は、資本家の重要性を理解していた。資本家と労働者がタッグを組んでこそ、工場が動いて利益を生み出すのである。
実際、フランス・コミューン成立後にアルジェリアに亡命した資本家たちは、英国の援助によって建てられた工場と、人件費の安いアルジェリア人を雇用することによって、莫大な利益をあげた。これに対して、フランス・コミューンは国内に残された工場を接収して稼働させたものの、非効率な生産計画によって、慢性的な赤字体質に陥ることになるのである。
「そうなると、残る懸案は派遣軍ですな。こちらはフレンチ卿から作戦案が提示されたので承認をいただきたい」
陸軍大臣を務めるホレイショ・ハーバート・キッチナー元帥は、史実では1916年5月にオークニー諸島で乗艦が沈没して死亡しているのであるが、この世界では未だに現役であった。険悪だったチャーチルとの関係も、良くも悪くないといった関係に落ち着いていた。
戦争を知らない政治家が、軍の作戦に口を出すことに対して反感を抱く軍人が多いのは、洋の東西と歴史を問わず共通であるが、この時代の英国では特にその傾向が強かった。史実のチャーチルとキッチナーの関係はその典型といえる。しかし、この世界ではそのような軋轢は比較的抑えられていた。ぶっちゃけると元ショタのせいである。
召喚という異能と、未来知識による圧倒的な説得力に加えて、単純に高い交渉能力のおかげで、水と油に対する石鹸水としての働きをテッド・ハーグリーヴスはこなしていたのである。この事実をロイド・ジョージとチャーチルは非常に高く評価しており、是が非でも自分の手元に置くべく暗躍していた。
閑話休題。
キッチナーが円卓に提出した作戦案は、陸軍と空軍が連携した電撃作戦であった。
「現在BEFが配置されているベルギー領内のドイツ軍の塹壕陣地を抜いて、そのままベルリンを目指す」
「そう上手く事が運びますか? さすがに国土を侵されたらドイツ軍も死に物狂いで反撃してくるのでは?」
「そこは戦車の集中運用と航空機による爆撃で対応する」
BEF総指揮官ジョン・フレンチ卿から提出された作戦案は、陸軍と空軍が連携する当時としては画期的なものであった。
実際に作戦立案したのは、フレンチ卿配下の円卓所属のMob参謀たちである。相も変わらず、一歩間違えば己の命がヤバイ立場に晒されている彼らは、必死になって作戦を練ったのである。その結果が、史実のエアランドバトルの雛形とでも言うべく空地統合戦であった。
作戦内容の一部変更と、日本陸軍の2個師団とフランス軍の義勇兵を追加する修正を加えて、最終的にフレンチ卿の作戦案は円卓で承認された。
日本陸軍とフランス義勇兵の参加は、当然ながら政治的要素が絡んでいた。前者は日英同盟の強調であり、後者は亡命政府の箔付け兼、フランス・コミューンの正統性を損なわせることが目的であった。
後日実行された、この一大作戦は『ブリテンの背進』、または『ブリテンの前退』と日本人歴史家から称されることになる。
仕事が修羅場ってるのと、お絵かきに忙しくて更新が遅れてしまって申し訳ないです…m(__)m
責任をもって完結させるつもりなので、温かい目で見てもらえると幸いです。
海の決戦が終わり、次は陸の決戦となります。
そろそろWW1を終わらせて次の場面を書きたいのですが、戦後処理もあるのでまだまだかかりそうですね…( ´Д`)=3