第1話 円卓(自援絵有り)
ハイドパーク内の池を、まさに横断せんとする小柄な青年紳士が一人。
言わずと知れたテッド・ハーグリーヴス本人である。途中のスタンドでフィッシュアンドチップスを買ったテッドはご機嫌であった。
(人間死に物狂いになったらなんとでもなるもんだなぁ……)
フィッシュフライをパクつきながら過去に思いをはせるテッド。
ちなみにラージサイズであるので、コンビニのフィッシュフライなんぞとは比べ物にならないくらいの食べ応えがある。
ある日、突然意識を失ったかと思ったら赤ん坊になっていた――何を言っているのか分からねーと思うが以下略。幸い、転生先の両親も愛情をそそいでくれた。ハーグリーヴス家は貴族ではないものの、それなりに成功した商家であり、テッドは裕福で何不自由無い生活をおくることができた。21世紀の人間としては、娯楽面が物足りなかったのであるがこればかりはしょうがない。
そんなセレブな生活は、テッドが15歳になったときに突如終わりを迎えた。
旅行先の海難事故で両親を失い、天涯孤独となったテッドは、生前の両親の取り巻きたちに事業や遺産も全て奪われ、身一つでロンドンに放り出された。当然のことであるが、20世紀初頭の英国に人権だの、セーフティネットなどという便利なものは存在しない。このまま野垂れ死にするしか無いと思われたが、転生という人知を超えたイベントを体験した普通の日本人(過去形)は、開き直ってあらゆる手段を用いて生き残りを開始したのである。
生前(?)は売れない同人作家として活動していたこともあり、最初は漫画家として生計を立てようと考えたのであるが、彼はデジタル派であり、液タブが無いとまともな絵は描けなかった。とはいえ、今後の生活がかかっている状況でそんな贅沢なことはいってられなかった。
この時代の筆記具といえば万年筆であるが、ボールペンとは異なる書き味にテッドは散々苦労するハメになった。必死に練習してそれなりの絵を描けるまでになったが、とても本来のレベルではなかった。何よりも、写実主義の影響が未だ強いこの時代に、アニメ絵が受け入れられるかは未知数であった。そこで発想を転換して、4コマ漫画にして新聞社に持ち込んだ。4コマ漫画なら、そこまで高い画力は必要ない。着色も不要なため、紙と万年筆だけで事足りたのである。
幸いにして、英国人好みのジョークと皮肉を満載した4コマ漫画は好評であり、少なからず新聞の売り上げに貢献した。連載も決まって定収を得ることに成功したテッドは、ご満悦であった。
ちなみに、彼自身は気付いていなかったが、生前の日本でありふれた縦4コマ形式は、この世界では初の試みであり、テッド・ハーグリーヴスは4コマ漫画の生みの親としてその名を刻むことになる。
ホームレスから一転、売れっ子漫画家になったテッドであるが、不満が無いわけではなかった。売れっ子となり、競合新聞社からも連載依頼がひっきりなしであったが、それに応えられるだけの環境が整っていなかったのである。タブ描き派であった彼も、今やすっかり万年筆を使いこなしており、その延長線上にある漫画道具を欲していたのである。
漫画道具とは、ペン、インク、原稿用紙、定規、さらにトーン、カッター、雲形定規を加えたものである。当然、この時代に存在しないものであるが、彼は転生時に得た異能でこれを可能にした。入手した道具を知己になった業者に作らせたのである。
売れっ子漫画家が使っている道具ということもあり、漫画道具は同業の作家に飛ぶように売れた。しかし、漫画を描いても印刷して売ることが出来ないと意味が無い。自身が同人作家だっただけに、テッドにはその思いが特に強かった。
同人誌を出版にあたって、真っ先に大手の出版社に話を持ち込んだが、にべもなく断られてしまった。ならばどうするか? 結局、自らの手で何とかするしかないのである。
最初はコンニャク版で挑戦したのであるが、柔らかい版に漫画を描くのは思っていた以上に熟練が必要であった。頑張っても20枚程度の印刷しか出来ないうえに、版木がゼラチンのために長期保管が出来ない欠点があった。続いて、わざわざ日本から取り寄せたガリ版印刷を試したのであるが、コンニャク版よりもマシといった程度で、漫画を印刷するのには無理があった。
テッドが最終的に選択した手段は、有志達と協力して印刷工場を買収して同人専用印刷会社を起ち上げることであった。大手印刷会社よりも少ない部数、少ないページ数でも印刷を引き受けることによって、同人誌製作をしやすくしたのである。当時のロンドンの出版業界では、無謀な試みとせせら笑われたのであるが、その後の同人誌販売の急速な拡大に顔を青褪めさせることになる。
漫画を描いて製本するところまできたら、後は販売するだけである。
ロンドンの蚤の市の片隅で始まった同人誌の販売も、内容と質の高さが評判となり急速に規模が拡大していった。規模が大きくなりすぎて、個人レベルでは対処しきれなくなり、運営委員会が起ち上げられたくらいである。
テッド自身も運営委員に推挙されたのであるが、面倒ごとが嫌いな彼は、名義を貸しただけで実際の運営には直接関わらなかった。彼は、自分が好きなように漫画を描きたかっただけであり、そのために必要な環境作りをしただけなのである。その結果、ブリティッシュコミックが史実以上に隆盛して、アメコミの市場を蚕食することになるのであるが、テッド自身がそれを知るのはずっと後のことである。
何にせよ、彼は現状を謳歌していた。
新聞の連載で多額の印税は入るし、手を出した事業は全て成功して順調に利益を出している。時間を気にせず思う存分に漫画を描ける環境を手に入れたのである。築いた資産で楽隠居を決め込まないあたり、彼は生粋の同人作家であった。
(……さて、そろそろ帰ってネーム考えようかなぁ?)
フィッシュアンドチップスも完食して、そろそろ戻ろうかと思ったテッドであるが、進む先に立ちふさがる男たちに気付いた。
「「「テッド・ハーグリーヴスだな!?」」」
真正面から名指しである。否定しても無駄であろう。
ついでに言うと、テッドの言い分も聞いてくれそうになかった。
全員が親の仇を見つけたとばかりに目が血走っていた。
「倫理の破戒者め!」
「貴様の存在は神への冒涜だ!!」
「若くして成功しやがって生意気だ!」
……一人だけ方向性が違うのがいるような気がするが、重要なのはそんなことではない。こんなときに取り得る最良の手段は一つである。
「「「逃がすかぁ!!」」」
かくして、ハイドパーク内で大の大人たちが青年を追いかけ回すという、道徳的にあまりよろしくない風景が展開されることになったのである。
「つ、着いた……」
「お帰りなさいませ。テッド様」
日頃ロクに運動していない、もやしっ子が全力疾走したために汗だくで息も絶え絶えである。その様子に何かを察したのか、出迎えたマルヴィナも普段なら一言や二言では済まない小言も言わずに邸内に迎え入れ、念のためと言いつつ、玄関の鍵を厳重にかけた。
「とりあえずシャワーを。その後でディナーにしましょう」
「は~い……」
汗だくの身体を引きずるようにシャワー室へ向かおうとするテッド。
「……と、思いましたが、その前に」
「え?」
言うが早いが、マルヴィナは壁に掛けられていた猟銃を流れるような動作で発砲した。
『ぐわっ!?』
『う、撃ってきた!? 撃ってきたぞ!?』
『怯むな! 戸をぶち破れ!!』
玄関の外で響く複数の怒号。
声の様子からして、数人なんてレベルでは無いのは確かであろう。
「……こちらへ」
「え? え!?」
マルヴィナに引きずられるように2階へ移動するテッド・ハーグリーヴス。
彼の長い一日は、まだ終わりそうになかった。
「これで当面はしのげるでしょう」
「な、なんでこんなことに……」
「端的に言えば恨みを買い過ぎたのでしょう」
新しい概念を導入しようとすれば、既得権益と衝突が起こることは歴史が証明している。生きるか死ぬかという極限の状況でやむを得ない部分もあったとはいえ、テッドの行動はあまりにも旧来の勢力を無視したものであった。コミュ障な彼は、元日本人のくせに根回しということを一切合切していなかったのである。とはいえ、全てが彼の責任というわけでは無いのであるが。
「あれだけ価格破壊をしたのですから、同業者から恨まれるのは当然のことだと思いますが?」
「小部数の印刷に対応しただけで、単価は大して変わらないんだけどね……」
彼とその有志達が構築した同人誌作成から販売までの一連の流れは、当時の出版業界において衝撃的なことであった。出版社の顔色を伺う必要もなく、少量の印刷もお安く対応してくれるため、ユーザーにとっては非常に良心的であった。同人誌以外にも自伝や日記の出版、その他印刷物の注文も引き受けており、ロンドンの出版業界にとっては目の上のたんこぶであった。
「それに、わたしも買ったことがありますが、あんなに肌の露出が多いのを売ったら教会が黙っていないでしょう」
「なんでそんなの買ってるの!? というか、僕はそんなの作ってないよ!?」
「ちなみに、わたしは肌の露わな少年が載ってるのが好きです」
「そんなこと聞いてないっ!」
絵を描く者も、見る者も趣味や趣向は千差万別であり、需要があれば供給も生まれるものである。特に、エ〇に関しては、時代も洋の東西も問わず一定以上の需要があるわけで、テッド自身もそういった本が売られるのはしょうがないとあきらめていたのであるが、彼の預かり知らないところで、教会関係者が見たら神父さまはもちろん、牧師さまも卒倒するようなエ〇同人誌が堂々と販売されていたのである。
激怒した教会関係者は、この手の本を発禁処分を求めたのであるが、該当する同人誌は既に生産は終了していてどうにもならなかった。焚書しようにも、この手の本はこっそり隠し持つものなので、信者の自己申告は当てにならなかった。結果として、やり場のない関係者の怒りは、同人誌事業で大成功を収めたテッドに向けられたのである。
「最大の原因は、暴徒の数が多すぎてバックアップの連中が対処し損ねたのかと」
「……前々から思っていたけど、マルヴィナさんってどうみても普通のメイドさんじゃないよね」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
「褒めてない褒めてない」
出版業界や教会関係者から多大な恨みを買っていたテッドであるが、彼の敵はそれだけではなかった。天涯孤独であり、どこの組織にも所属していない金の卵を産む鶏をほうっておく組織は、合法非合法問わず存在しなかっただけである。その顔触れは、他国の間諜やマフィア、その他ろくでもない人材のサラダボウルであり、さらに救いようのないことにマルヴィナもその同類だったりするのであるが。
「……今の音は!?」
「玄関を破られましたね。救援要請は間に合いませんでしたか」
玄関でひと際大きな音が発生し、続いて複数の足音。
ついでに、探せ、殺せと物騒なスラングも遠くから聞こえてくる。
はっきりいって、絶体絶命のピンチである。
「マルヴィナさん、僕を置いて逃げて欲しい」
「……」
「彼らの目的は僕だ。僕さえいなければ……!」
「寝言は寝ているときに言うべきものですよ? テッド様」
「ひ、酷い……」
「それよりも机の下にでも隠れていてください。すぐに片付けますので」
貧弱ぼーやの一世一代の決心を鼻で笑うマルヴィナ。テッド涙目である。
訓練を受けたエージェントである彼女にとって、素人が束になろうと物の数では無いのである。
『ぎゃぁぁぁぁ!?』
『ひぃぃ――!?』
『た、たすけてくれ!』
実際、マルヴィナの強さは圧倒的であった。
というか、見てるほうがいたたまれなくなるくらいえげつない。
彼女の容赦ない攻撃で暴徒が全て無力化するのにさほど時間はかからなかった。
彼女が部屋になだれ込んだ暴徒どもを鎮圧するのに前後して、下の階が騒々しくなった。窓から覗き見ると、警官隊が暴徒たちを取り押さえている。
「すまん、遅くなった!」
バーバリー社のタイロッケン・コートを粋に着こなした偉丈夫が、部下らしき警官を引き連れて部屋へ入ってくる。
「もう少し早く来れないのですか? 救援要請は早めに出したはずですが」
「思ったよりも暴徒どもが多くてなぁ。それに、この程度なら何とでもできるだろ?」
男の言い分にため息をつくマルヴィナ。
そんなマルヴィナを半ば無視してテッドに挨拶する偉丈夫。
「よぅ、アンタが噂の敏腕実業家さんかい! 俺はアーチボルド・ウイットフォード。ヤードで警部をやってる。よろしくな!」
「あ、よろしくお願いします」
ぶんぶんと擬音がしそうな勢いで、テッドと握手するアーチボルト。
テッドには知る由も無かったのであるが、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)の警部であるアーチボルトと、ハーグリーヴス家のメイドであるマルヴィナ。じつは同じ組織に所属している同僚であった。
「あぁ、それとマルヴィナ」
「はい?」
「彼をエスコートしてくれないか? さすがにもう限界だろう。お偉方には話を通してある」
「……分かりました。今すぐにでも?」
「玄関に車を回してある。そいつを使ってくれ」
「了解。では、テッド様。参りましょうか」
「えっ? え!?」
またしても、マルヴィナに引きずられるテッド・ハーグリーヴス。
彼の長い一日は、まだまだ終わりそうになかった。
玄関に停車していた車はロールスロイス・シルヴァー・ゴーストであった。
高級車の最高峰の名は伊達ではなく、素晴らしい速さと快適な乗り心地で二人を運んでいく。
「着きました」
「ここって……ナンバー10じゃないですか?」
ハイドパークから10分少々のドライブでたどり着いた先はナンバー10、いわゆるダウニング街10番地であった。要するに英国首相官邸であり、マルヴィナやアーチボルトの所属している組織は親方ブリテンということでもある。
およそ自分には縁のない場所で、ビビりまくりなテッドを他所に、何らかの符丁なのか独特なリズムでドアをノックするマルヴィナ。ほどなくドアが開けられる。
「さぁ、行きましょう」
「ちょ、置いてかないでマルヴィナさん!?」
邸内の警備を顔パスで次々と通過してたどり着いた先は、会議室であった。
マルヴィナが先ほどとは違い、やや緊張した面持ちでドアを丁寧にノックして入室する。
広大な会議室の中には、巨大なラウンドテーブルが置かれており、幾人かの男女が疎らに着席していた。その中から立ち上がって、声をかけてきたのは、禿げ上がった白髪の老人であった。
「やぁ、やっと来てくれたか。」
「あ、あなたは!?」
立ち上がった男を見て驚愕するテッド。
コミュ障で、上流階級との関わりを極力避けている彼でさえ知っていた。
新聞に頻繁に登場するので、庶民でも知らない人間はまずいないだろう。
彼の名は、サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン。
国王エドワード7世の信任を受けて、英国宰相を務めている男であった。
「テッド君、君は前世というものを信じるかね?」
「……」
バナマン卿に、いきなり核心を突かれて内心動揺するテッド。
思わずテーブルに出された紅茶をすするが、のどの渇きは癒えなかった。
そんな彼の様子を興味深く観察するように話を続けるバナマン卿。
「まさか、信じていないなんてことはあるまいね? 君も転生者だろう」
「何を根拠に仰っているか分かりませんが……」
「あれだけやらかしておいてかね?」
呆れ顔のバナマン卿の指摘に頭を抱えるテッド。
史実を知っている人間からすれば、彼の行動は大声で犯罪を自供しているようなものであった。
「ここにいる人間は、前世の記憶を持っている。そういった人間が集まって作り上げた組織が円卓なのだ」
「閣下も円卓の一員なのですか?」
「そのとおり。我らはあらゆる分野に大勢いる」
テッドとて、自分と同様に史実を知る人間が存在する可能性を考えないわけではなかったが、まさかこれほど大規模に、国家権力の中枢に喰いこんでいるとは予想だに出来なかった。同時に自分の置かれている立場のヤバさを理解して青褪める。彼らを敵に回すことになれば、この国で居場所が無くなるのは確実であった。
「……円卓の目的は何なのです?」
「無論、より良い歴史を掴むためだ」
「より良い歴史……ですか」
死後のことで私は直接は知らないのだが、と前置きしてバナマン卿は話を続ける。
「このままでは、将来2度の世界大戦に巻き込まれ、凋落の一途を辿ることになる。この国に前世と同じ轍を踏ませるわけにはいかんのだ。我々に協力してくれないか?」
バナマン卿の表情は真剣そのものであり、少なくともテッドには彼が嘘を言っているようには思えなかった。というよりも、元々テッドに選択肢は存在しなかった。国家権力に目を付けられた時点で詰んでいたのである。
「……分かりました。協力させてください」
「君の賢明なる選択に敬意を表する。これからは我らは同志だ」
彼に出来たのは、ため息交じりに肯定することのみであった。
しかし、たとえ組織に協力するのはやむ得ないにしても、最低限譲れないものがある。こればかりは確認しておかないといけないとばかりに、テッドはバナマン卿に問いかける。
「さしあたって、僕の立場はどうなるのでしょう?」
「円卓会議への出席義務と、必要に応じて得意分野で協力してもらうことになるが、これまでどおり活動を続けてかまわない」
円卓へ強制的に協力させられることになるのではと戦々恐々なテッドであったが、当面の活動に問題に無いことに安堵した。しかし、ここで余計なことを思いついたことが彼の将来を決定付けることになる。
(自分をいかに高く売り込むかが転職の秘訣。ならば、ここしかない!)
円卓での立場を盤石にするために、隠していたカードを切る。そのこと自体は間違っていないのであるが、カードの切り方を間違ってしまってはどうにもならないのである。
『あそこで余計なことを思い付かなかったら、私は同人作家として平凡な一生を終えることが出来ただろう』
テッド・ハーグリーヴスは、後に当時のことをこのように述懐している。
平穏な生活を望んだはずが、余計なことをやらかしたおかげで馬車馬の如くこき使わることが決定したのである。
テッド君の異能は次回明らかになります。
ついでにいらんことまで明らかになって変態も増えます(オイ
提督たちの憂鬱の支援SSもヨロシク!
提督たちの憂鬱 支援SSほか@ まとめウィキ
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