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第13話 メディア謀略

 オスマン帝国が連合国側に降伏した結果、ボスポラス海峡を通じて黒海方面でロシアと連絡が可能となった。


 英国の工業力で生産された膨大な食料と、武器弾薬が黒海経由で輸送されたことにより、ロシアは一息つくことが出来た。それどころか、冬将軍を味方につけたロシア軍は冬季大攻勢を開始。ステンガンで武装したロシア兵が、パイクリート防壁でドイツ軍の反撃を弾き返して、ベラルーシとウクライナの奪還に成功した。


 日和見していたブルガリア、ギリシャなどバルカン諸国も、勝ち馬に乗るべく連合国側で参戦し、ここに対ドイツ包囲網が完成。開戦から1年ほど膠着状態だった第1次大戦の趨勢は大きく連合国側に傾いたのである。


 この状況を大西洋の向こう側から、焦燥の念で眺めている勢力が存在した。

 言わずと知れたアメリカ合衆国である。アメリカ国内はモンロー主義が蔓延しており、国民感情的に欧州の戦争に直接介入することは難しかった。アメリカの産業界も、直接介入は望んではいなかったのであるが、戦争特需で一儲けしようと目論んでいたのである。


 しかし、国内世論は欧州との戦争に関わりたく無いという意見が大半であった。

 新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストと、MI6が結託して、戦場の悲惨さを誇張と脚色のオンパレードで国民へ伝えていたことが、国内世論に多大な影響を与えていたのである。一部の有識者が、参戦することによって得られる利益を説いたところで、耳を貸す国民は少数派であった。


 アメリカの裏庭たる南米の不安定さも、厭戦機運の高まりを助長していた。

 南米では頻繁に要人テロや銀行の襲撃が発生しており、アメリカでも連日のように新聞の三面記事を飾っていたのである。


 こちらもMI6の裏工作の成果なのであるが、アメリカの参戦を恐れたドイツの仕業でもあった。今や南米は、英独諜報機関の呉越同舟といった様相を呈していたのである。


 アメリカとは対照的に、日本は日英同盟に基づいて地中海に帝国海軍を派遣していた。彼らは勇敢に戦い、多くの戦果をあげることになる。人材・技術交流も積極的に行われ、ロイヤルネイビーと帝国海軍は良好な関係を築いていたのである。


 これに加えて、日本は『日英船鉄交換契約』を締結し、英国から供給される鋼材で船舶の大量建造をして莫大な利益を上げていた。このような状況では、アメリカの産業界が焦るのも無理もない話であった。







「僕はどうしてこんなところで、こんなに修羅場ってるのだろう……」

「テッド様、現実逃避しないでください。〆切が迫っています」

「僕は、〆切なんかに追われずに気楽に同人描きたいだけなのにーっ!?」


 とあるビルの一室で、テッド・ハーグリーヴスは悲鳴をあげていた。

 彼と、そのメイドであるマルヴィナ・ハーディングがいる場所は、ニューヨークのパーク・ロウであった。つい最近まで、世界一の高層ビルであったパーク・ロウ・ビルディング傍の新築ビルが、両名の現在の居城であった。


 パーク・ロウは、19世紀後半にはニュースペーパー・ロウと呼ばれた場所である。これは、ニューヨークのほとんどの新聞社が、この通り沿いに本社を構えていたためである。それ故に、情報収集をするには最適な立地であり、MI6が拠点を設置していた。表向きは出版社を装ってはいるが、アメリカにおけるMI6の最大の拠点となっていたのである。


 テッドが、〆切に追われる人気作家になった理由は、時系列を半年ほど遡る。

 とある日の円卓会議に参加していたテッドは、アメリカの参戦意欲を削ぐ方法について意見を求められた。『早く帰ってラジオのお葉書書かなきゃ』などと思っていた彼にとっては青天の霹靂であった。


 突然のことに泡を食ったテッドは、なけなしの頭脳を総動員。

 咄嗟のことであったが、史実知識をベースにしてメディア謀略論をぶち上げた。不幸なことに、これが円卓のお歴々に好評だったためにさぁ大変。満場一致で彼はアメリカに飛ばされてしまったのであった。







「やぁ、テッド君。お仕事は順調かな?」

「……出たな、疫病神っ!」

「おやおや、嫌われたものだなぁ。労働は美徳だよ?」

「限度っていうものがあるでしょうがっ!?」

「テッド様、落ち着いてください。言うだけ無駄です」


 ドアをノックして入室してきた男に敵意剥き出しなテッド。

 彼の名はシドニー・ライリー。その大胆不敵な行動と、波乱万丈な生涯からジェームス・ボンドのモデルともされる人物である。


 テッドがアメリカで活動するにあたって、最大の問題はショタ体形であった。

 彼自身も、それを理由にしてアメリカ行きを拒否ろうとしたのであるが、円卓は代理人として優秀なエージェントを付けることで、この問題を解決してしまったのである。


 史実では、史上最高のスパイと称されるだけのことはあって、シドニー・ライリーは非常に優秀であった。テッドにとっては、ありがたくないことであるが、彼は全米中を飛び回って仕事を取ってくるのである。おかげで、テッドは連日のカンヅメ生活に陥ったわけで、疫病神呼ばわりもしたくもなるというものであった。


「今度はどんな厄介ごとを持ってきたんです?」

「聞いて喜べっ! 君が書いた脚本が映画化されるぞ!」

「おぉぉぉぉぉ!?」


 映画化決定の報に驚喜するテッド。

 脚本家にとって、映画化は夢であり、ステータスでもある。まして、この時代における映画の影響力は、現代とは比較にならないくらい大きいのである。当然ながら、アメリカ国内の世論にも影響を与えることが期待出来るわけで、彼にとっては盆と正月が一緒に来たような慶事であった。







「ちなみに、どの脚本が映画化されるのです?」

「地球が異星人に侵略されるSFモノだな。異星人が人間に爆弾を埋め込むやつだ」

「あ~、アレですか。実写でやったらエグいことになりそうだなぁ……」


 テッドの提唱したメディア謀略論は、アメリカ国内で戦争の悲惨さや、反戦・平和を主題とした作品を大量投下することで、国内に厭戦機運を高めることであった。しかし、彼がアメリカで映画を作るのは容易なものでは無く、むしろ無理ゲーの類であった。


 アメリカで映画を作るにあたって最大の問題は、スポンサーを確保することであった。脚本は、最悪自ら書くとしても、スポンサーがいないと映画製作は不可能である。英国本国から映画製作の資金を出すと、足が付く恐れがあるので、アメリカ国内で資金調達する必要があったのである。円卓としても、テッドにそれほど期待していたわけでなく、成功すれば御の字程度にしか考えていなかった。むしろ失敗して、そこから何かを学んでくれればとさえ思っていたのである。


 追い詰められたテッドが取った手段は、とにかく大量に脚本を書くことであった。ジョン・スミスの偽名で、史実のアニメや映画をパク……もとい、リスペクトして大量に書きまくったのである。


 ジョン・スミス印の脚本の最大の特徴は、詳細な絵コンテが付属していていたことである。本来、絵コンテはアニメ製作に用いられるものであるが、テッドは実写にも絵コンテを取り入れた。史実における絵コンテの概念は、1930年代のウォルト・ディズニー・プロダクションが始めたものであるが、それよりも10年以上早いものであった。テッドが同人作家だからこそ出来たことであるが、当然ながら作業量が激増して自らの首を絞めることになった。


 絵コンテは非常に分かりやすく、スポンサーに売り込む際に大きな武器となった。売り込み側のシドニー・ライリーが優秀なこともあって、映画だけでなくコミック化や新聞への連載の仕事を勝ち取ることに成功し、テッドは売れっ子作家としての日々を送ることになったのである。







「それと、ジョージア州まで出張るので、1週間ほど留守にする。その間はボブの指示に従ってくれ」

「……また『裸足のトム』で『あしながおじさん』するんですか?」

「それもあるが、例の反対運動の支援がメインだな」

「あれ本当にやるんですか? 僕は半ばジョークで言ったんですけど……」


 裸足のトムは、史実の反戦漫画をパク……以下略。

 さすがに舞台や人物設定などは、オリジナルから変更されているが、史実の名作がベースなだけあって、高い評価を得ていた。


 あしながおじさんは、アメリカの女性作家ジーン・ウェブスターが、1912年に発表した小説・児童文学作品であるが、MI6では秘密作戦のコードネームとして用いていた。作戦の内容は、匿名の篤志家が無料で作品を孤児院に進呈するというものであり、当時の新聞でも善行として報道されることが多かったのであるが、もちろん真の狙いは別であった。


 当時の児童向け作品というのは高価なものであり、予算難に喘ぐ孤児院にはまず置けないシロモノであった。そのようなものを気前よく全巻セットで孤児院へ寄贈すれば、子供たちは大喜びである。孤児たちは、主人公に感情移入して平和主義に感化され、大人になれば立派な平和市民の出来上がりである。アメリカの牙を抜く10年先を見据えた恐るべき計画であった。


 テッドはこの他にも、史実の『火〇るの〇』などのパクリスペクトした戦争の悲惨さを訴えるコミックを描きまくって、それらも孤児院へ寄付されることになる。パクリ元が大人の鑑賞にも耐える質の高い作品群であり、ハースト系の新聞で大々的に宣伝された結果、孤児院の子供たちだけでなく、大人たちにも広まっていったのである。


 テッドの作品がアメリカ国内で広く読まれるようになった結果、これまでのMI6の工作によって、ただでさえ欧州の戦争への興味が薄かったのが、絶無になってしまい、アメリカの産業界は挽回に必死であった。大々的に『ヨーロッパの同胞を助けよう!』キャンペーンを連日のように開催するも、反応は乏しいものであった。そんな悪足掻きにとどめを刺すべく、英国紳士は次なる策を発動したのである。







「……今月の活動資金だ。有効に使ってくれたまえ」

「ありがとうございます! これで人殺しどもに一泡吹かせみせますっ」

「その意気だ。君たちの運動によって、我がステイツは真の平和を勝ち取るのだっ!」


 薄暗い一室でシドニー・ライリーは、男たちに札束を手渡していた。

 彼らは、テッドの作品に感銘を受けた平和運動家であった。現在のアメリカ国内には、彼らのような存在が大量に湧いており、MI6は彼らを組織化して、極秘裏に援助していたのである。


「……軍曹。例の奴らがまた来ていますが」

「無視しろっ! 下手にやつらに手を出すと面倒なことになるからな」


 ジョージア州コロンバス。

 ここには、キャンプ・ベニングという陸軍の駐屯地があり、その入口に平和を愛する市民(自称)が大勢押しかけていた。


 彼らは『人殺し』や『戦争反対』のプラカードを掲げて兵士たちを罵倒し、酷いときには基地へ侵入しようとした。


 直接手を出してこない以上、軍人が民間人をどうにかすることは出来なかった。さすがに基地に侵入を試みた民間人は、不法侵入で取り押さえたのであるが、その瞬間をスクープされて大いに非難された。ちなみに、スクープしたのがハースト系の新聞だったことは言うまでもないことである。


 平和運動は、燎原の火の如く全米に広がり、陸軍だけでなく海軍基地に対しても行われた。ただでさえ、国内に吹き荒れるモンロー主義で肩身の狭い思いをしていたアメリカ軍は、反対運動に萎縮してしまい、消極的な対応を取らざるを得なかった。


 調子に乗った彼らは、道路に寝転がって物資搬入のトラックを妨害をしたり、兵士の目の前で幼子に人殺しと名指しさせたりと、着実に兵士の士気を削っていったのである。


 この作戦はテッドの発案であった。

 本人は、半ばジョークで『史実でアホサヨがこんなことをやってたよ』くらいに言ったのであるが、MI6は極めて有効であると判断して、史実よりも大々的に、かつ徹底的にやらかしたのである。扇動工作は英国紳士のお家芸であった。 






 テッドとMI6のえげつない工作によって、アメリカ国内では戦争のことを語ることさえ禁忌になりつつあった。戦争特需を見込んで、大規模な設備投資をしてしまったアメリカの産業界は、あらゆる手段を用いて世論を変えようとしたのであるが、大勢を変えるには至らなかった。


 追い詰められた彼らは、大量の政治献金で政界に働きかけた。

 アメリカ政界では、国益追及という観点で考えると、何らかの形で欧州の戦争に関わるべきという意見が根強かったのである。


 アメリカが、最初に行ったことは連合軍側への物資・武器の提供や戦費の貸付の提案であった。しかし、その提案は連合国の盟主である英国から丁重に断られた。史実では当時世界一の工業力であった英国は、円卓チートでさらに強化されていた。さらに史実知識で、インサイダーも真っ青になるくらいアコギに稼いでいたので、未だに余力があったのである。史実よりも戦争が優位に進んでおり、犠牲者が少ないことも大きかった。


 最近の急激な左傾化が、外部から何らかの干渉を受けているためではないかと考えから、国内の捜査機関も動員された。明白な証拠が見つかれば、侵略行為を受けていることを喧伝して世論に訴えられるからである。


 さすがに侵略行為を受けていることが判明すれば、平和ボケしたアメリカ国民も欧州の戦争へ目を向けてくれるはずである。うまくいけば、大手を振って欧州の戦争に関われると関係者たちはほくそ笑んだのであるが、その結果は無残なものであった。尻尾を掴むどころか、散々に赤っ恥をかかされたのである。


 アメリカ合衆国は、50の州(当時は48)の集合体である。

 州の持つ権限は、日本の地方自治体よりも遥かに大きいものであり、独自の軍(州軍)、警察を持つために準国家といっても過言ではない。しかし、州単位での権限が強いために、州をまたぐ広域な犯罪に対処することが難しかった。極端な話、州境を越えれば逮捕不可能なのである。


 その問題を解決するための組織がFBIなのであるが、この当時はまだ設立されておらず、前身のBOI(Bureau of Investigation:司法省直轄の捜査局)が捜査を担当した。当時は権限も弱く、捜査官の質も劣悪であった。そのような状態で、世界最強のスパイ組織に勝てるはずもなく、逆に散々に翻弄された。元より低かったBOIの権威は失墜し、史実よりも早くFBIが設立されることなるのである。






 もはや、内政・外交共に打つ手の無くなったアメリカは、第1次大戦を対岸の火事として見つめるしかなかった。アメリカの産業界も、戦争に協力するよりも戦後復興に協力したほうが有益と判断し、今まで行っていた戦争協力キャンペーンを全て中止。設備投資を少しでも回収するべく、政界に働きかけて大規模な経済対策を実施したのである。


 アメリカ国内は、未だに未開発の地域も多く、経済対策と相まって空前の好景気となった。消費財が飛ぶように売れていくために、戦争目当ての設備投資は結果的に無駄にはならなかった。アメリカ国民は、戦争に参加することが無くなったことを喜び、平和を謳歌した。テッドも修羅場を乗り切って、好きな同人活動に精を出すことが出来たわけで、誰も損はしないWINWINな関係であった。


 なお、脳筋なフランスとは違い、著作権に煩いアメリカでは収益はしっかりと確保されており、テッドはジョン・スミス名義で莫大な資産を築くことに成功していた。その大半は、海外へ持ち出すことを前提に金塊に変えられ、一部はMI6の機密費として流用されたのである。

アメリカの参戦フラグが折れましたw

ここからどうやって、アメリカを破滅させるかが火葬戦記作家の醍醐味ですよね!(違

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