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第108話 グレート・レッド・フリート


「この椅子の座り心地は悪くないな」


 ホワイトハウスの執務室(オーバルオフィス)

 大統領の執務机(レゾリュート・デスク)に座ったトロツキーはニヤリと笑う。


 1942年6月下旬。

 トロツキー率いる革命軍は、ホワイトハウスを制圧していた。


 制圧といっても、実際の抵抗は皆無であった。

 ホワイトハウスは完全に無人と化していたのである。


『ここグリーンランドの地に、アメリカ合衆国亡命政府の宣言を樹立する。心あるアメリカ人よ、我らと共に立ち上がるのだ!』


 それもそのはずで、デイビス政権はとっくに国外脱出済みであった。

 彼らはグリーンランドにアメリカ合衆国亡命政府を樹立していた。世界の反応は芳しいものでは無く、半ば以上無視されてはいたが。


『我々は北米のみならず南米をも統一する。アメリカ連邦の樹立を宣言する!』


 1942年7月某日。

 トロツキーは、南北統一国家『アメリカ連邦』(米連)の樹立を宣言。世界中に衝撃が走ることになった。しかし……。


「新国家が成立したというのに、あいさつも無しとはどういうことだ?」


 不満たらたらなトロツキー。

 国内外のマスコミは米連の成立を大きく取り上げていたものの、外交ルートでの反応はなしのつぶてであった。


「要するに()められているのですよ。この国は今まで内を見過ぎて外を見ていませんでしたからな」


 軍事最高責任者のミハイル・ニコラエヴィチ・トハチェフスキーは肩をすくめる。アメリカが世界から塩対応される理由を理解していたのである。


 この世界のアメリカは、国威を世界に誇示する機会をことごとく逸した。

 第1次大戦には参加出来ず、アメリカ風邪で世界中に迷惑をかけ、さらにはヤクザ国家と化すというトリプル役満を達成していた。


 これに内戦までおまけで付いてくる。

 まともな国家として見てもらえるわけがない。


『植民地根性が抜けていないらしい。まともな国家運営は無理だろう』

『頼むからそのまま引きこもっていてくれ。リアルチートなんて相手にしたくないんだよ!?』

『世界に冠たる田舎国家のくせに何をほざいているのやら』

『ヘリウムを売ってくれるなら相手してやってもいいがな』

『トロツキーが指導する国なぞ認めてたまるか!』

『貿易出来たら美味いのだが、距離的に難しいな。何よりもソ連を刺激しかねん……』


 列強首脳陣(英日独仏ソ伊)のアメリカに対する評価はこの程度であった。

 国際舞台で何一つ活躍していないのだから残当とすら言える。


「このままでは今後の外交に悪影響が出てしまう。同志トハチェフスキー、どうすれば良いと思う?」


 トロツキーは頭を抱えたい気分であった。

 このような惨状でまともな外交など出来るはずがない。


「この問題を解決するには、適切な軍事力の行使が最適と判断します」

「それについては同感だ。具体的にはどのようにすれば良いのかね?」


 しかし、この問題を解決する方策を二人はすぐに思いついてしまった。

 外交で行き詰まったら最終的にモノをいうのは軍事力に他ならない。


「今から30年以上前になりますが、この国ではグレート・ホワイト・フリートという名の大艦隊で世界一周航海を実施しておりました。同じことをすれば良いのです」

「二番煎じは気に食わんが、有効な手段であることは確かだな」


 この世界のアメリカもグレート・ホワイト・フリートによる世界一周航海を実施していた。実際は補給面で英国に頼り切りではあったものの、世界に対してアピールすることに成功していたのである。


「現在、太平洋側にサウスダコタ級戦艦が6隻と大西洋側に4隻の合計10隻の戦艦があります。どちらかを航海させるだけでも国威発揚を狙えるでしょう」


 トハチェフスキーとしては、どちらかの艦隊のみを動かすつもりであった。

 それだけで十分効果が見込めると判断したのは、サウスダコタ級が世界最大の砲を積む戦艦と判断していたからである。もっとも、彼は知らなかったが日本には46サンチ砲や51サンチ砲を積む化け物が存在していたのであるが。


 常備4万(トン)越えの16インチ砲搭戦艦を動かすということは、莫大な燃料と食糧を消費することに他ならない。世界一周航海をするとならば、石油タンカー(オイラー)と食糧輸送船も随行させる必要が出てくる。如何に米連がリアルチート国家とはいえ、これはなかなかの負担であった。


「何を言っているんだ同志トハチェフスキー。全部動かすぞ」

「……正気ですか?」


 しかし、トロツキーの考えは違っていた。

 彼はサウスダコタ級10隻全てを投入するつもりだったのである。


「ここまでコケにしてくれたのだ。だったら、相応の対応をしようではないか」


 不敵な笑みを浮かべるトロツキー。

 コメカミに青筋が浮いているのを、トハチェフスキーはスルーしたのであった。


『今更戦艦を動かすとか正気か!?』

『最低限の整備をやっていたのが不幸中の幸いだったな……』

『クルーが足りんぞ!? 今すぐ呼び戻せ! 動かすだけだから最低限で良い!』


 この唐突な命令に現場は大混乱に陥った。

 ハワイ艦隊はともかく、大西洋艦隊は最低限の整備で放置状態だったのも状況に拍車をかけていた。


 それでも2か月後には全ての準備が完了。

 ここらへんの無理無茶ぶりは、さすがはリアルチート国家と言うべきであろう。


 1942年9月上旬。

 大西洋岸のドックで最低限の整備と補給を受けたサウスダコタ級は順次出航。洋上で艦隊を編成した。


 艦隊の目的地はハワイであった。

 出撃から10日後にはパナマ運河を通過。さらに20日かけてパールハーバーに入港したのである。







『困難を乗り越えて、よくぞ集ってくれた! 諸君らの勇気と献身に心より感謝する!』


 1942年10月某日。

 ハワイのパールハーバーでは、ハワイ艦隊と大西洋艦隊の将兵に向けてトロツキーの演説が行われていた。


『これはあくまでも演習であるが、新生赤色艦隊の一挙手一投足を世界が注目していることを忘れないで欲しい』


 トロツキーは嘘は言っていない。

 現時点で表向きはという但し書きが付くが。


『……艦隊の出撃は月末を予定している。それまで諸君らは英気を養って欲しい。以上だ!』


 演壇(えんだん)から去っていくトロツキーに、将兵から惜しみない拍手が送られる。

 史実では演説の名手だったこともあり、今回の演説でも将兵の心をガッチリ掴んでいたのである。


「よーし、沈めるぞー! ドック内の人間は退避しろーっ!」

「警報鳴らせー!」

「注水開始!」


 ハワイオアフ島のママラ湾。

 パールハーバーに近いこの海域では、巨大な浮きドックが沈められている最中であった。


『ドック沈降完了。進入どうぞ!』

『了解した。 前進微速(スロー・アヘッド)!』

『アイアイサー! スロー・アヘッド!』


 サウスダコタ級8番艦『ロードアイランド』が、沈降した浮きドックに進入する。全長300m近い浮きドックをクジラに例えるならば、ロードアイランドは子クジラであろうか。


 現在のママラ湾では、同様の作業がそこかしこで繰り広げられていた。

 巨大浮きドック10隻に格納される10隻のサウスダコタ級。一般人からすれば壮観な光景であろうが、海軍関係者からすれば悪夢としか思えない。


 ちなみに、パールハーバー内で作業しないのは事故を避けるためであった。

 真珠湾の平均水深は12mほどしかなく、サウスダコタ級の喫水は10mなので浮きドックが着底しまう恐れがあった。多少の不便さは我慢してでも、湾外で作業せざるを得なかったのである。


「スクレーパー持ってこい!」

「そんなのでちまちまやってられるか!? 高圧洗浄機持ってこい!」


 戦艦を抱え込んで浮上した浮きドック。

 干上がったドックの床には足場が組まれて、大急ぎで点検作業が進められていた。


「錆落としは終わったか!?」

「凸凹のチェックは!?」

「コーティング剤の用意出来ました!」


 別の浮きドックでは、船体塗装前の下地チェックが進行中であった。

 全長200mクラスの巨体のため、浮きドックのクルーは総出で対応していたのである。


「チーフ、これ本当にやるんですか? 趣味悪いんですけど」

「命令なんだからしょうがないだろ。以前は白く塗ったらしいぞ?」

「まぁ、目立つことは間違いんでしょうけどねぇ……」


 これまた別の浮きドックでは点検の終わった船体の塗装が進行中であった。

 くすんだ色の船体が、大量のペンキでピカピカに塗られていく。


『いよいよ演習開始である! 赤色艦隊に世界が驚嘆することになるだろう!』


 3週間後。

 トロツキーは再び艦隊将兵の前で演説を行っていた。


『これまで秘していたが、赤色艦隊の航路を伝えねばなるまい。見よっ!』


 演壇に掲げられた地図を見た将兵からはどよめきの声が上がる。

 地図に記された赤線は世界一周していたのである。


『……今から35年前。グレート・ホワイト・フリートが世界一周航海を行った。その故事に鑑み、演習艦隊をグレート・レッド・フリートと命名する! 諸君らはアメリカ連邦の国威を存分に世界に見せつけて欲しい! 以上、解散っ!』


 演壇を去っていくトロツキーに拍手は無かった。

 艦隊将兵たちは完璧な敬礼で応えていたのである。


『ドック沈降完了。発進どうぞ!』

『了解した。抜錨! スロー・アヘッド!』

『アイアイサー! 抜錨! スロー・アヘッド!』


 沈降した浮きドックから、次々とサウスダコタ級戦艦が出航する。

 グレート・レッド・フリートの名に相応しく、艦体は真っ赤に塗装されていた。


 サウスダコタ級10隻と、随伴するオイラーと補給艦が10隻。

 合計20隻からなるグレート・レッド・フリートは、ハワイを出航した。


「針路2-7-5! 速力10ノット!」

「アイアイサー! 針路2-7-5! 速力10ノット!」

「全艦に通信。我に続け、だ」

「アイアイサー!」


 グレート・レッド・フリート旗艦『アイダホ』の艦橋(ブリッジ)

 お世辞にも広いとは言えない空間は艦隊への指示で騒然としていた。


「司令、あちらさんはどう出ますかね?」

「どうもこうも、こういうのは上で話がついているだろう。俺らが心配することじゃない。まぁ、戦争にはならんだろうよ」


 ブリッジの片隅では、艦隊司令と艦隊参謀が雑談をしていた。

 実務は艦長がやっているので、こういう時は基本的に暇なのである。


「なんでそう言い切れるんです?」

「戦争したくても戦争出来んだろう。この体たらくではな」


 艦隊司令が自嘲するのも無理もない。

 急遽呼び戻したクルーで即席の訓練を施したものの、その結果は酷いものであった。


「それはそうですが……」

「高価なおもちゃを見せびらかしに行くだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 参謀の懸念を一蹴する艦隊司令。

 彼も参謀と同じく懸念はしていたが、部下の前で弱気になるわけにはいかなかったのである。


「それよりも日本観光のことを考えよう。あの国は観光名所がたくさんあるらしいな」

「気が早すぎですよ。そもそも上陸許可が出るかも分からないんですよ?」


 史上空前の大艦隊が目指すのは日本であった。

 かつての世界大戦以来、平和を謳歌してきた極東では急速に緊張が高まっていたのである。







「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。早速ですが現状を説明をさせていただきます」


 緊張した表情で内閣調査部のモブが会議を進行する。

 内閣調査部ビルの大会議室では、5大臣会合が開催中であった。


 5大臣会合は国家安全保障会議(NSC)の司令塔であり、特定の危機や重要課題に対応するため招集される非公式の会議である。基本的に総理が招集するが、内閣調査部にも召集する権限が与えられていた。


 内閣調査部に権限が付与されている理由は、NSCの創設に関わったからに他ならない。細部をレトロフィットさせてはいるが、史実のNSCのパクりであった。


 今回は内閣調査部の要請で開催されており、総理大臣鈴木喜三郎(すずき きさぶろう)、大蔵大臣石渡荘太郎(いしわた そうたろう)、外務大臣広田弘毅(ひろた こうき)、陸軍大臣荒木貞夫(あらき さだお)予備役中将、海軍大臣及川古志郎(おいかわ こしろう)海軍大将の5人が参加していた。


「……こ、これは事実なのかね?」


 鈴木は報告書に目を通して顔面蒼白になっていた。

 親善目的とはいえ、ハワイから出撃した艦隊が日本を目指しているとなれば心穏やかでいられるはずもない。


『なんだこの電報? 送り元は……アメリカ連邦?』

『あぁ、夏に樹立宣言してたヤツな。なんて書いてあるんだ?』


 事の起こりは3日前に外務省に届いた電報であった。

 外交バッグで保護された外交公電ではなく、普通の電報として送られてきたのであるが……。


『今読む……って、なんじゃこりゃあぁぁぁぁ!?』

『おいおい……って、ふざけるな!? こんな重大な内容を普通の電報で送ってくるんじゃねぇ!?』


 電報の内容を要約すると『親善目的で艦隊を派遣するからヨロシク』であった。

 外務官僚たちがパニック状態に陥ったのは言うまでも無い。


『アメリカ大使館に即刻抗議するべきだ!』

『無理だ! 断交してるから閉鎖されてる』

『それ以前に、グリーンランドに亡命政府が出来てるからアメリカとアメリカ連邦は別国家扱いになる。どのみち意味が無いぞ……』


 外交ルートで抗議しようにも抗議する相手が存在しない。

 過去の事件でアメリカ大使館は閉鎖されたままであったし、それ以前にアメリカとアメリカ連邦は別国家扱いで国交も無い。


『こうなったら内閣調査部に丸投げしよう!』

『その手があったか!?』

『貴様、天才か!?』


 あーだこーだと、ここまでで半日が浪費された。

 いかにもお役所仕事ではあるが、前例が無い故に仕方がない面もある。むしろ早いほうであろう。


『海軍大臣からの許可が出たら、ハワイへ向けて飛行艇を飛ばせ! 94式の足の長さなら艦隊に接近出来るはずだ!』

『予測進路に呂号潜を張り付けるのも忘れるなよ!』

『NSCのプレゼン資料作りを急がないと。今日は徹夜だぞこれは……』


 外務省とは対照的に内閣調査部の動きは早かった。

 考えられる限りの手段を用いて、ハワイから出撃した艦隊の捕捉に全力をあげたのである。


「……現在の米艦隊、いや、米連艦隊は日本とハワイの中間地点を航行しています。このままだと10日程度で来航するでしょう」

「「「……」」」


 降ってわいた国難に室内は静まり返る。

 その場に居合わせた誰しもが顔面蒼白であった。内閣調査部のモブ以外は、であるが。


「皆さん考えすぎじゃないですか? これは親善なのです。ならば、盛大に歓待してあげれば良いだけですよ?」

「何か手はあるのかね!?」


 平然としたモブの様子に、鈴木が全力ですがる。

 溺れる者はなんとやらである。


「こちらも迎えの艦隊を出しましょう。海軍はどれくらいの(ふね)を出せます?」

「今の時期は定時演習も無いし、必要とあれば全部出そう!」


 モブの質問に及川は即答する。

 史実では判断力不足を批判されていたが、さすがに今回の事態には危機感を感じているらしい。


「いや、新型を見せるのは止めましょう。特に紀伊はヤバイ。あれはハワイ攻略の切り札ですし」

「確かにそうだな。では、長門、陸奥、伊勢、日向、扶桑、山城に金剛型4隻も付けよう」

「10隻ですか。相手も10隻だからちょうど良いかと」

「今すぐ命令を出してこよう。失礼する」


 そう言って、及川は会議を中座する。

 海軍省からの緊急電によって各地に散っていた戦艦が出航したのは、その1時間後のことであった。


「親善であるからには上陸も認めるべきでしょう。というわけで、歓待する予算をください!」

「あまりこういうのに予算は使いたくないのだが。しかし、国難であるからな……」


 予算をねだられた石渡は渋い顔をする。

 戦艦10隻もの大艦隊の将兵を歓待するのにどれだけかかかるか想像もしたくない。


「そこはほら、平成会(うち)の系列の企業を使いますので……」

「むしろ君たちだから心配しているのだが? とはいえ、下手なのに任せたら国際問題になりかねん。分かった。臨時予算を組もう」

「ありがとうございます!」


 国家予算で歓待出来ることが決定して、小躍りせんばかりに喜ぶモブ。

 そんなモブを石渡はジト目で見つめるのであった。


「……あまり考えたくない最悪のケースですが、上陸した将兵が悪さをすることもあるでしょう。陸軍にはその対応をお願いしたいのですが?」

「そういうことなら第1師団が適任だろう。(わし)が直接指揮しよう」


 モブの要請を荒木は快諾する。

 しかし、モブの内心は不安であった。


「閣下ならば万が一は無いと思いますが……お願いですから現地での兵の暴走は避けてくださいよ?」

「大丈夫だ。皆、儂のかわいい教え子であるからな」

「そこが心配なんですってば!? 第1師団は皇道派の総本山じゃないですかヤダー!?」


 史実における皇道派の代表格と皇道派の総本山である第1師団。

 これが結びついたら何が起きるか分からない。しかし、他に代替手段も無いのが実情であった。


「総理はドーセット公に事の次第を伝えてください。うちの部長も動いていますが、こういうのは総理が動いてくれたほうが話が早いので」

「分かった。ちょっと英国大使館に行ってくる!」

「心配なので、わたしも行きましょう」


 会議室を飛び出した鈴木を広田が追う。

 こうして無事(?)に5大臣会合は終了したのであった。







「うわぁ、ホントに真っ赤だ。悪趣味だなぁ……」


 心の本音が思わず口に出てしまうテッド・ハーグリーヴス。

 HMS『ウォースパイト』のブリッジからは、双眼鏡無しでも真っ赤に塗られたサウスダコタ級戦艦を視認出来た。


 1942年11月某日。

 東京湾では臨時の国際観艦式が開催されていた。


『ドーセット公、なんとかしてくれ……この老骨の最後の頼みだ』

『わたしからもお願いします。この国難を乗り切るには公のお力が必要なのです』


 テッドが国際観艦式に参加しているのは、現職総理と外務大臣に泣きつかれたからに他ならない。日英同盟を遵守するためにも参加しないという選択肢は存在しなかった。


米連情勢(べいれんじょうせい)複雑怪奇(ふくざつかいき)


 ちなみに、鈴木喜三郎は国際観艦式終了後に辞意を表明することになる。

 史実以上に長生きしていたところに、多大なストレスがかかったことで限界を迎えてしまったのである。


「帰りたくないからちょうど良かったな……」


 急遽仕事をぶっこまれたというのに、どこか嬉しそうなのは気のせいではない。

 観艦式への参加はテッドとしても渡りに船どころか、救いの女神だったのである。


 諸々の事情で周囲が騒々しいことになっていたので、公務は逃げるのに適切な口実であった。降ってわいた災厄から逃げるために、テッドは全力で公務に励んでいた。


『……こほん、とにかくです。あぁいった下衆な連中から当家を守るためにも、友好的な親族を量産する必要があるのです!』

『セバスチャンの言い分は分かったわ』

『おぉ!? では……!?』

『ただし、お手付きに相応しい女性の条件はこちらで決めさせてもらうわ。おチヨにも協力してもらうわよ?』

『分かりました。お姉さま!』


 もっとも、テッドの窮状は貴族の義務を果たせなかった反動なので自業自得でしかないのであるが。史実21世紀の人間と、この時代の人間の感性と価値観が決定的にズレていたことから発生した悲劇と言える。


 既に英国屈指どころか、ぶっちぎりの経済力と権勢を誇るドーセット公爵家の存続は英国どころか世界に影響を与えかねない。後継ぎ問題は常に注視されていた。


 いったんは女公爵を新設する流れで妥協されかけたところを、立て続けに男児が産まれたことでひっくり返ってしまった。そういう意味では正妻と愛人のやらかしが原因なのであるが……。


『なんで今更、男児なんてこさえやがったんだこの野郎!?』

『うちの息子を婿入りされる予定が台無しじゃないか!?』


 テッド自身に落ち度が無くても、周囲がそのように受け取ってくれるかは別問題であった。家庭では飢えたメスライオンに夜討ち朝駆けされるし、貴族社会ではヘイトを溜めまくる状況では海の上に逃げ道を求めるしかなかったのである。


『東京湾上空です。眼下には真っ赤な戦艦と我が海軍の戦艦、同盟国英国の戦艦が勢ぞろいしています!』


 ブリッジに置かれたラジオからは、艦隊の様子が実況中継されていた。

 上空を騒々しく飛行しているオートジャイロからのものであろう。


 グレート・レッド・フリートは、東京湾内に2列5隻ずつで停泊していた。

 対する日本側の接伴艦隊は、2列6、4隻という変則的な配置となった。


 停泊する艦隊の具体的な配置は以下の通りであった。


第一列 『アイダホ』『インディアナ』『モンタナ』『ノースカロライナ』『アイオワ』

第二列 『サウスダコタ』『マサチューセッツ』『イリノイ』『ロードアイランド』『ネバダ』

第三列 『長門』『陸奥』『伊勢』『日向』『山城』『扶桑』

第四列 『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』


 外周部には、テッドが座乗する駐日艦隊旗艦『ウォースパイト』とグレート・レッド・フリートの随伴艦が停泊していた。合計21隻の戦艦と随伴艦によって東京湾は埋め尽くされていたのである。


(長門と砲力は互角か。16インチ3連装12門とか凶悪過ぎるだろ)


 テッドは双眼鏡でサウスダコタ級を詳細に観察していく。

 なんといっても目に付くのは、ウォースパイトよりも大口径な主砲であった。


(でもまぁ、あの図体は砲力全振りだから足は遅いだろうなぁ)


 サウスダコタ級は前後が切り詰められた寸詰まりな艦形をしていた。

 全体的にスマートな印象がある長門とは対照的であった。


(あと気になるのが……)


 テッドはグレート・レッド・フリートの動きが気になっていた。

 気のせいかもしれないが、疑問を確信に変えるべく艦長に質問していた。


「艦長から見て、連中の動きはどう見えた?」

「はっきり言って素人です。連携がまるでなっていない」


 グレート・レッド・フリートを容赦なくこき下ろすウォースパイトの艦長。

 艦隊全体だけでなく、艦単体の動きも彼の基準では平均以下であった。


「あ、やっぱり?」


 テッドは艦長の意見に納得してしまう。

 自前で大型漁船やメガヨットの舵輪を握る身からすれば、彼らの動きは稚拙に感じられた。


「えぇ。ジャパニーズネイビーの動きが素晴らしいだけに余計に下手さが目立ちます」

「世界2位の海軍は伊達じゃないねぇ」


 車庫入れでちんたらやってる素人と、バックで一発入庫出来るベテランくらいの技量差が双方にはあった。グレート・レッド・フリーチ側が1隻ずつ時間をかけていたのに対して、日本側はマスゲームのように全艦が同時に動いて艦隊の集結を短時間で終了させていたのである。


『じつは大したことないんじゃないかアイツらは?』

『あれじゃあ、宝の持ち腐れだぞ』

『親善航海ってのは本当だったんだな。とてもじゃないが、戦闘に耐えられんぞ』


 見る者が見ればモロバレなわけで、テッドと同様の考えに至った海軍関係者は多かった。主に予算的な意味で仮想敵が弱いのは都合が悪いので黙っていたが。


『赤船来航 揺れる日本社会』

『40サンチ砲120門の脅威 我が方は84門で圧倒的不利』

『問われる我が国の防衛体制 退役軍人に聞く勝利の方程式』


 しかし、素人から見れば脅威以外の何物でもない。

 到着前からマスゴミが派手に書き立ててくれたおかげで、日本国内では深刻な社会不安が巻き起こっていたのである。


『戦艦はそこに在るだけで意味がある。中身が張り子の虎(ペーパータイガー)であろうとも大衆は気付けないのだよ』


 ここまではトロツキーの思惑通りであった。

 中〇派モブから送られてきた日本の新聞を見て、我が意を得たりとばかりに大笑いしたという。


 しかし、この時のトロツキーは知る由も無かった。

 散々に手を焼かせてくれる赤いモブの出身国が、世界の常識に当てはまるとは限らないことを……。







「ここが日本か。想像以上に発展してるなぁ」

「高層ビルが無いが、それ以外はニューヨークにも引けは取らないんじゃないか?」

「すげーカワイイ子が歩いてるぞ。ナンパしよう!」


 帝都港区の竹芝桟橋。

 普段はフェリー客で賑わう場所であるが、今日はヤンキーな水兵(セーラーマン)によって占拠されていた。


 傍から見れば占領行為そのものであるが、彼らは正式に上陸を認められていた。

 遠巻きにはしていたものの、周囲の人間がパニクってないのがその証拠と言える。


 日本政府からの上陸許可をグレート・レッド・フリート側が快諾したことで目の前の光景が実現した。東京湾内に停泊した艦隊からは、ピストン輸送で続々と送り込まれている最中であった。


「はーい、それではグループ分けをしますので希望するグループへ移動をお願いしまーす!」


 英語堪能なツアコンが指差す先には、プラカードを持ったガイドたちが立つ。

 プラカードには、『喰い倒れ(Gourmet)』『ラジオ(Radio)』『サブカル(Subculture)』などジャンル分けがされていた。


「これって、一度選んでしまったら変更出来ないのか?」


 珍しい光景なのか、水兵の一人が興味津々といった表情でツアコンに尋ねる。


「ジャンル毎に巡るコースは違いますが、いつでもジャンル変更してOKです!」


 訛りが強い南部英語であったが、ツアコンは普通に会話する。

 生前にテキサスに住んでいた経験が活きていた。


 生前にアメリカで生の英語に触れているモブが多いことが平成会の強みと言える。この時代の教条的な堅い英語しか話せない日本人に比べると、意思疎通がしやすいというメリットがあった。


「お勧めはグルメですね。ミシュランの三ツ星クラスの店がたくさんありますよ!」

「ミシュラン? 星? なんだそりゃ?」


 欠点をあげるとすれば、会話にのめり込むと無意識に史実21世紀の言葉が出てしまうことであろう。


 今のところは笑って誤魔化してはいたが、うっかりこの時代では禁忌なワードが出てしまうとヤバイことになる。そんなわけで、平成会では英会話のガイドラインを鋭意製作中であった。


 ちなみに、ジャンル分けは平成会の有志による独断である。

 さらに言えば、15年前に出したメニューを丸パクリしていた。


 今や日本の観光業でも屈指の存在となった平成トラベル。

 そんな彼らに悪夢と言わしめた案件が、ウォッチガードセキュリティの慰安旅行であった。


 1927年に実施されたウォッチガードセキュリティの慰安旅行はいろいろな意味でぶっ飛んだものであった。一例を挙げればこんな感じである。


・行先は〇鉄ルールで行き当たりばったり。全国のスジ師を発狂させた。

・さすがに無茶だということで〇鉄ルールは中止。代わりに夜間移動で全国の鉄道関係者に徹夜を強いた。

・日本全国の観光地に出現して、ぺんぺん草も残らないほどに土産物を買い占めた。

・英国全権大使が同行していたとの噂が立った。(事実)


 こんな無茶苦茶な案件を引き受けられる観光会社は当時は存在しなかった。

 それ以前に、この時代の日本にはまともな観光会社すら存在しなかったのであるが。


 平成トラベルもこんな無茶苦茶な案件は引き受けたくなかった。

 予算は青天井で美味しい案件ではあったが、あまりにも不確定要素が多すぎる。


 しかし、テッドから一社特命という形だったので断ることが出来なかった。

 腹いせにオプションを山ほど追加してやったのであるが、そのことが自分の首を絞めることになったのは言うまでも無い。


『今回は帝都のみだから楽なものだな』

『ウォッチガードセキュリティの時は日本全国でしたからねぇ……』

『あの青い服を着た変態どもに比べれば、今度のヤンキーは純朴そうで扱いやすそうだな』

『史実でも日本のサブカルにがっつりはまっていたからな。今回もいけるだろ』


 当時、筆舌に尽くし難い苦労をしたことに比べれば今回の案件はベイビーサブミッションでしかない。平成トラベルのモブたちの目は、目の前のヤンキーどもをカモネギとしか見ていなかった。


「それでは出発します。皆さん、ガイドの指示に従ってください。ご武運を祈りますっ!」


 コースごとに用意されたバスに水兵たちが分乗していく。

 グレート・レッド・フリートの艦隊将兵へのおもてなしが始まった瞬間であった。


『アテンションプリーズ。皆さま、左側の景色をごらんください。見えている赤色の電波塔が東京タワーでございます』

『『『おおおおお!?』』』


 水兵たちにとって、初めての日本観光は快適そのものであった。

 ツアコンが英語に堪能なので、何があってもすぐに対処してくれる。致せり尽くせりであった。


『こちらがミシュラン……じゃなかった。帝都でも評判の洋食屋です。魔改造された西洋料理をお楽しみください』

『ハンバーグ? ビーフパテと違うのか……って、美味ぇぇぇぇぇぇぇっ!?』

『なんだこれ!? なんだこれ!? オムライス!? 奇麗過ぎるだろ!? もったいなさ過ぎて手が付けられないぞ!?』

『このヌードル美味ぇ! この匂いが病みつきになるぜっ!』


 グルメコースを選んだ水兵たちは、帝都内の美味しい店を連れまわされた。

 今まで食べたことない料理を思う存分に食べることが出来て大満足であった。


『こ、こんな小さなラジオがあるのか!? ステイツには持ち運べるラジオなんて無いぞ!?』

『真空管がバカみたいに安い。え? プレゼントしてくれるって!? さすがにそれは……国から金が出ている? そういうことなら喜んで!』

『なんだこの素子は!? こんなの見たことが無い……』

『ひょっとして、日本って俺らの国より進んでいるんじゃないか……?』


 ラジオコースを選んだマニアな水兵たちは、自分たちよりも進んだ技術に驚愕するハメになった。マニアの(さが)でポケットラジオや真空管を買い漁ったのは言うまでも無い。


『こ、ここここんな破廉恥な!? いや、でも目が離せない……おぉ、神よ!?』

『こ、これは効くぜ……この角度からが特に……』

『なんでジャパンとイギリスの艦はいるのに、我がステイツの艦はいないのだ!? 不公平だろ!?』

『うおおおおおおおっ!? お小遣いが無くなるまでガチャを回すぜぇぇぇぇっ!』


 サブカルコースを選んだ水兵たちは、速攻で沼にはまっていた。

 ジャンキーもかくやな勢いで、お小遣いを消費していったのである。


『腹が減ったから次はグルメコースに行くぞ!』

『俺はサブカルコースで。なんかダチがヤバいって言ってたからな』

『ラジオコースだとラジオが安く買えるらしいな。行ってみるか』


 1週目のツアーから帰ってきた水兵たちは、すぐさま2週目に突入する。

 日本の、というより平成会のおもてなしを繰り返し受けることになった水兵たちは完全に骨抜き状態と化したのであった。







「はぁ、夢のような時間だったな」

「そうですねぇ……」


 グレート・レッド・フリート旗艦『アイダホ』のブリッジ。

 その片隅で艦隊司令と艦隊参謀が腑抜(ふぬ)けていた。


「まだ先は長いというのに、先が思いやられるなこれは……」

「でも、あの時間を忘れたくないです。俺にとっては人生のベストでしたよ」


 彼らだけでなく、グレート・レッド・フリートの艦隊将兵全てが同様であった。

 飯は絶品で観光も大いに楽しめた。これがプライベートだったら間違いなくリピーターになっていたことであろう。


「だが、我らは物見遊山で来たわけではない。任務は果たさねばならん」


 キリッとした顔で断固たる決意を表明する艦隊司令。

 制服の胸ポケットから顔を出す人形が全てを台無しにしていたが。


「ネバダの針路がズレているぞ!? 何をやっている!?」


 アイダホの艦長が後続艦の動きの拙さを怒鳴る。

 艦隊全体に蔓延してしまった弛緩した空気は、艦隊行動に悪影響を及ぼし始めていた。


「これは綱紀粛正が必要だな」


 事態の深刻さに気付いた艦隊司令は、弛緩した空気の原因を取り除くことを考えたのであるが……。


「将兵から土産物を取り上げるつもりですか? そんなことをしたらタダじゃすみませんよ?」


 よりにもよって、腹心である艦隊参謀から反対されてしまった。

 彼は黙ったまま傍にいる水兵を指差す。


「……」


 二の句が継げなくなる艦隊司令。

 一見すると普通にセーラー服を着こなしているが、よく見ると中のシャツがキャラクターTシャツであった。


「あぁ、この顔を見ていると怒りが消え去るようだ。シンプルなのに、じつに奥深い。これぞ東洋の神秘か……」


 先ほど怒鳴っていた艦長は、ポケットから取り出した手帳を見て和んでいた。

 左耳の赤いリボンがとってもチャーミング。無表情に見えるが、多才な表情を内包するネコのキャラクターにメロメロであった。


「任務に支障が出ない程度にするよう通達するしかないか……」


 このような状態で日本土産を取り上げようものなら反乱を起こされかねない。

 艦隊司令に出来たことは、自粛するように通達することのみであった。


 このようなことが起きてしまったのは、艦隊将兵の大半が元民間人だったからに他ならない。今回の航海に間に合わせるために民間の船員を急遽雇い入れており、その傾向は大西洋艦隊で特に顕著であった。


 鉄の規律で己を律する将校が耐えられないのを、ペーペーのなんちゃって水兵にどうこう出来るわけがない。平成会が用意した『おもてなし』は、モブたちが想定していた以上の心理的ダメージをグレート・レッド・フリートに与えていたのである。


「司令、電文であります」


 通信兵から電文を受け取る艦隊司令。

 その発信元はイタリア王国政府からであった。


 日本を発ったグレート・レッド・フリートは、マハルリカ共和国でにらみを利かせてからマラッカ海峡を通過。インド洋に抜けることには11月も下旬になっていた。


「……んなっ!? そんな馬鹿なことがまかり通ると思っているのか!?」


 艦隊司令は電文の内容に驚愕する。

 イタリア王国はグレート・レッド・フリートの地中海通過を拒否してきたのである。


 艦隊司令と艦隊参謀が知る由は無かったが、イタリア王国が艦隊の通過を拒否したのはスターリンの圧力であった。大量の軍艦を発注してくれる大のお得意様の意向を無視することなど出来るわけがない。


 イタリア王国も地中海(自分の庭)を通過されるのを良しとしなかった。

 日頃地中海の覇者を気取っているのに、大艦隊をそのまま素通ししたら笑いものになりかねない。


「困ったことになったぞ。このままでは地中海経由で大西洋に出ることが出来ない」

「喜望峰経由で戻るしかありませんな」

「止むをえんか。航海長、航路変更だ。必要な燃料の計算も頼む」


 スエズ運河を経由して地中海を横断、そのまま大西洋に抜けるのが当初の計画であった。それがダメとならば、喜望峰を経由して大西洋に出るしかない。


「燃料が心もとないですな。どこかで補給を行いたいのですが」

「簡単に言ってくれるな。この周辺にステイツに友好的な国家などあるはずがない」


 事態の深刻さに頭を抱えてしまう艦隊司令。

 このままでは燃料切れで漂流することになりかねない。アイダホのブリッジ内が沈黙に包まれる。


「いや、なんとかなるかもしれません。針路をマダガスカルに向けてください」


 沈黙を破ったのは艦隊参謀であった。

 彼は元々航空畑の人間であり、事態を打開する心当たりがあったのである。


「……いやぁ、なんとかなるものだな」

「連中は未だに飛行船に執着していますからね。ちょっとヘリウム提供を匂わせればイチコロですよ」


 1週間後。

 グレート・レッド・フリートは、マダガスカルで燃料補給を受けていた。


 マダガスカルは、フランス共和国の植民地である。

 フランス・コミューン時代は英国によって取り上げられたものの、アルザス・ロレーヌ地方のドイツ割譲に伴い返還されていた。


 フランス共和国とアメリカ連邦を結び付けるもの。

 それは飛行船に用いられるヘリウムに他ならない。


 フランス・コミューン時代に飛行船による世界初の航空艦隊を編成するなど、フランスは飛行船宗主国であった。往時ほどでは無いが根強い飛行船の需要があり、現在でも喉から手が出るほどヘリウムを欲していた。


「この歓迎ぶりは物凄く罪悪感を感じるな……」

「良いじゃないですか。あちらさんの願い通り、政府上層部に伝えておけば良いのですよ」


 ヘリウムを手に入れることで本国に対して優位に立つことを目論んでいたマダガスカル自治政府は、グレート・レッド・フリートを歓迎した。二人とも総督の屋敷に招待されて歓待を受けることになったのである。


耐候(たいこう)用意! ここが踏ん張りどころだぞ!」


 艦隊司令の言葉に、クルーたちに緊張が走る。

 ここから先は今までのような温い場所では無い。


 12月初旬。

 グレート・レッド・フリートは、喜望峰を目指していた。


 喜望峰周辺はかつて『嵐の岬』として船乗りから恐れられていた。

 当時の帆船よりもはるかに巨大な戦艦だとしても、その脅威は変わらない。


「飛ばされそうなものは艦内に収納しろ!」

「カッターの固定を念入りにしろ! いざというときの命綱が吹き飛ばされたら助かるものも助からんぞ!」


 艦外では、水兵たちが準備に大わらわであった。

 喜望峰はまだ先だというのに、風も波も強くなっていたのである。


「……南緯40度を超えました。もう大丈夫でしょう」

「そうか……」


 航海長の宣言に、艦隊司令はぐったりとした表情で返す。

 『アイダホ』のブリッジ内は死屍累々であった。


 『吠える40度』『狂う50度』『叫ぶ60度』は船乗りならば、誰もが知っている。この緯度帯は陸地が少ないため遮るものがなく、強い西風が常に吹き荒れるので海が非常に荒れやすいのである。


「現在位置を割り出せ。最短航路でニューヨークへ向かう」

「「「アイアイサー!」」」


 艦隊司令の命令に反対する者は誰もいなかった。

 その後は特にトラブルも無く、年が明けた1月下旬にニューヨーク港に入港した。


 グレート・レッド・フリートの世界一周航海は成功裡に終わった。

 アメリカ連邦建国まもない偉業に国民たちは大いに熱狂した。艦隊将兵たちは英雄としてもてはやされ、艦隊上層部はトロツキー直々に表彰される栄誉を賜ったのである。







「同志トロツキー、日本から荷物が届きました」

「おぉ!? 待っていたぞ!」


 側近が持って来た荷物を奪い取るトロツキー。

 乱雑に箱を開けるとお目当てのモノを取り出す。


「……」


 興奮するトロツキーとは対照的に、荷物を持って来た側近は箱に入っている新聞紙を回収する。緩衝材替わりに詰められて皺くちゃになったものを丁寧に開いていく。


「くぅ、このガツンとくるのがたまらん!」


 そう言って、トロツキーはミント臭い息を吐き出す。

 彼が手に持つ紙巻タバコのようなモノ。それは紛れも無く史実の禁煙パイポであった。


 この世界では、平成会傘下の企業が禁煙パイポを販売していた。

 喫煙による健康被害がクローズアップされている時期であり、大ヒットとまではいかないものの堅調に売れていた。


『このままでは同志トロツキーの健康が損なわれてしまう』

『世界革命成就のためにも、長生きしていただかないと』

『禁煙パイポをお勧めするべきではないか?』


 この世界のトロツキーは度を越えた喫煙家であった。

 そんなトロツキーを心配して、中〇派モブは禁煙パイポを定期的に贈っていたのである。


(こんな良いものを作るなんて、やはり日本人は侮れんな)


 中〇派モブを生理的に受け付けないトロツキーは、大失態をやらかした彼らをこれ幸いと遠ざけていた。それでも送り続けられる禁煙パイポは、ありがたく受け取っていたりするのであるが。


「……日本(イポーニャ)では社会不安が巻き起こっているようですね」


 日本語が堪能な側近が新聞を翻訳して報告する。

 その内容は、グレート・レッド・フリート来航で揺れる日本の世論であった。


 トロツキーが中〇派モブの贈り物を重用するもう一つの理由が、緩衝材に使用されている瑞穂新報(みずほしんぽう)であった。


 モブたちは何も考えずに手元にあるから使っていたのであるが、これが日本の情勢を知るうえで重要な情報ソースになっていたのである。


 瑞穂新報は平成会が作った新聞社であり、政治系の情報の速さと正確さは他紙の追随を許さない。日本の国内事情を把握するためにはうってつけの高級紙(クオリティ・ペーパー)であった。


「そうだろうそうだろう! これだけでも手間をかけて艦隊を派遣した意味があった!」


 禁煙パイポを一気に吸うトロツキー。

 強烈なミントが鼻腔を満たしていく。


「戦艦はそこに在るだけで意味がある。中身が張り子の虎(ペーパータイガー)であろうとも大衆は気付けないのだよ」

「さすがは同志トロツキー。ご慧眼です」


 ミント臭い息を吐き出しながら大笑いする。

 その表情は、まさに我が意を得たりといった様子であった。


 グレート・レッド・フリートが戦闘に耐えないことをトロツキーは理解していた。しかし、戦艦には戦闘以外にも砲艦外交としての使い道がある。


 この時代には(英国以外は)核兵器は存在しない。

 それ故に、戦艦は核兵器と同等の戦略性を持つ。


 最強の戦艦として世間に広く喧伝されているのが16インチ砲搭載艦である。

 長門改級2隻、伊勢改級2隻、扶桑改級2隻、リコンキスタ級2隻、サウスダコタ級10隻の合計18隻が該当する。


 その半分以上が動いたのであるから、世間の耳目が集まらないわけがない。

 アメリカ連邦の本当の目的を隠すには好都合であった。


「……同志トロツキー。ただいま戻りました」


 トロツキーが新しい禁煙パイポに手を伸ばしたところで、ドアがノックされる。

 入室してきたのはトハチェフスキーであった。


「待っていたぞ。首尾はどうかね?」


 充満するミントの香りに辟易した表情を浮かべるトハチェフスキー。

 しかし、それも一瞬のことであった。


「同志の命令さえいただければ、いつでもいけます」


 トハチェフスキーは、現地に行って部隊の展開を陣頭指揮していた。

 相も変わらず、現場が好きな男である。


「気取られてはいないだろうな?」

「完全にノーマークでした。拍子抜けするくらいでしたよ」


 師団規模で戦力を動かしているのに誰も米連軍の動きに気付いていなかった。

 グレート・レッド・フリートの動きを注視し過ぎたせいで、警戒が疎かになってしまったのだろう。


「攻撃のタイミングを間違えてくれるなよ?」

「心得ております同志トロツキー。新生赤軍の雄姿をお見せいたしましょう」


 敵に気取られずに戦力を展開出来たのであるから、奇襲効果を最大限活かすべきであろう。トロツキーとトハチェフスキーは、宣戦布告と同時に侵攻することを目論んでいた。


「世界革命の始まりだ。派手に狼煙をあげてやろうではないか」


 不敵に笑うトロツキー。

 くわえた禁煙パイポが恐ろしく似合っていなかった。






以下、今回登場させた兵器のスペックです。


川西/平成飛行機工業 九四式飛行艇


全長:28.13m   

全幅:38.0m      

全高:9.15m     

重量:18120kg(空虚重量)

  :32500kg(最大離陸重量)    

翼面積:160.0㎡

最大速度:468km/h(最大) 300km/h(巡航)

実用上昇限度:8850m

航続距離:7153km(偵察過荷)

飛行可能時間:24時間

武装:20mm旋回銃5基 7.7mm旋回銃4基

   爆弾最大2t(60kg×16 or 250kg×8 or 800kg×2)

エンジン:三菱 火星二六甲型 1760馬力×4

乗員:10~13名


1934年に制式採用された海軍の大型飛行艇。

実も蓋も無い言い方をすれば、史実の二式大艇である。


サンダース・ロー プリンセスを見た平成飛行機工業の技術者モブたちは、実用的な大型飛行艇を欲した。彼らは史実の二式大艇を再現することを狙ったが、飛行艇製造ノウハウを持たないために不可能であった。


単独で無理ならば巻き込んでしまえとばかりに、平成飛行機工業側は史実で二式大艇を設計した菊原静男に接触。アイデアを伝えたうえで、川西航空機に資金と技術を提供して協業することで史実よりも早期に開発することに成功した。


心配されていた初期トラブルも無く、史実の二式を襲名(皇紀2592年に採用が内示されていた)するはずであったが、量産段階で平成飛行機工業がライセンス生産したエンジンにトラブルが多発したため、他の国産エンジンを搭載して試験を継続することになった。


最終的に三菱の火星エンジンを搭載して制式採用されたのは2年後であった。

史実二式大艇は、この世界では九四式飛行艇として採用されたのである。



※作者の個人的意見

エンジンを火星に載せ替えたら、エンジン単体で80kg軽くなりました。

合計で320kg軽くなったので、少しばかり飛行性能が向上しています。






サウスダコタ


排水量:43200t(常備) 

全長:208m 

全幅:32m

吃水:10.1m

機関:蒸気ターボ電気推進4軸推進

最大出力:60000馬力

最大速力:23ノット

航続距離:12ノット/7000浬 

乗員:1120名

兵装:50口径41cm3連装砲4基

   53口径15.2cm単装砲16基

   50口径7.62cm対空砲8基  

   53cm水中魚雷発射管単装2基

装甲:水線345mm

   甲板64~89mm

   主砲塔457mm(前盾) 127mm(天蓋)

   司令塔406mm


アメリカ海軍が建造したサウスダコタ級戦艦の1番艦。

同型艦は『インディアナ』『モンタナ』『ノースカロライナ』『アイオワ』『マサチューセッツ』『イリノイ』『ロードアイランド』『ネバダ』『アイダホ』


ヴィンソン計画によって追加で建造されたサウスダコタ級戦艦。

これまでの運用実績により、7番艦『イリノイ』以降は小改良が施されているためサウスダコタ改級と呼称されることもある。



※作者の個人的意見

メラ手形でおかわりが入ったサウスダコタ級です。

10隻で済めば良いんですけどね……(震






長門(近代化改装後)


排水量:48800t(常備) 

全長:252.4m 

全幅:32.3m

吃水:9.45m

機関:艦本式重油専焼缶20基+技本式(高圧低圧)タービン10基4軸推進

最大出力:160000馬力

最大速力:32ノット

航続距離:14ノット/9000浬 

乗員:1190名

兵装:45口径41cm3連装砲4基

   50口径14cm砲16基

   45口径12cm高角砲4基  

装甲:水線260mm(傾斜12度) 

   甲板95mm(最大)

   甲板側面230mm(最大)

   主砲塔457mm(前盾) 250mm(天蓋)

   主砲バーベット部280mm(最大)

   司令塔330mm(最大)


世界初の16インチ砲搭載戦艦。

同型艦は『陸奥』『尾張』(未完成)


当初は連装5基10門の砲配置であったが、近代化改装時に4基3連装12門に配列を変更。空いたスペースに機関を増設することで艦形を弄ることなく攻撃力を向上させている。



※作者の個人的意見

過去のコメントで3番艦の存在を仄めかしたことを忘れていました(滝汗

あんなクソデカい艦何に転用しろってんだ…_| ̄|○






扶桑(近代化改装後)


排水量:39600t(常備) 

全長:240m 

全幅:30.1m

吃水:8.7m

機関:艦本式重油専焼缶18基+技本式(高圧低圧)タービン10基4軸推進

最大出力:143000馬力

最大速力:30ノット

航続距離:14ノット/7500浬 

乗員:1190名

兵装:45口径41cm3連装砲3基

   50口径15cm単装砲16基

   40口径8cm単装砲4基  

   40口径8cm単装高角砲4基 

装甲:水線330mm 

   甲板70mm

   甲板側面230mm

   主砲塔305mm(前盾) 130mm(天蓋)

   主砲バーベット部300mm

   司令塔330mm


扶桑型戦艦の1番艦。

同型艦は『山城』


準同形艦である『伊勢』『日向』も近代化改装後は同等に扱われている。

大規模な改装で艦を弄り過ぎて原型が無くなったあげくに、区別のつけようがなくなってしまったためである。


近代化改装は大規模かつ徹底的ものであり、砲塔の換装、船体の延長、機関の増設など多岐に及んでいる。カタログスペックこそ優秀であるが、実際のところは扱いづらい艦だったようである。



※作者の個人的意見

近代化改装で長門の新型砲塔を載せてしまっています。

3連装40サンチ砲3基9門で30ノット発揮可能な有力な戦艦になってしまいました。


史実のイタリア戦艦魔改造に比べればこれくらいなら許容範囲だと思います。

でも、アメリカに対抗するためとはいえこんなに戦艦作ってどうしましょうかねぇ…(汗

世界から無視されていたアメリカ連邦が世界にむけて猛アピール開始。

はた迷惑極まりないです。いったいどこを攻めるんでしょうねぇ?


>どちらかを航海させるだけでも国威発揚を狙えるでしょう

史実のグレート・ホワイト・フリートも国威発揚と、新しい戦艦の建造予算をゲットすることが目的でした。


>さすがはリアルチート国家と言うべきであろう。

H〇I系ゲームでもリアルチート国家呼ばわりされていますが、リアルのほうがもっと質悪いです。火葬戦記書きからすれば、如何に敗北させるかが腕の見せ所ではあります。


>真珠湾の平均水深は12mほどしかなく

これが原因で史実の真珠湾攻撃では低深度に対応出来るように魚雷の改造をやったり、真珠湾に地形が似ている鹿児島県の錦江湾で地元民から『海鷲のサーカス』と拍手喝采されるほどの猛訓練をするハメになりました。


>グレート・レッド・フリートの名に相応しく、艦体は真っ赤に塗装されていた。

悪目立ちすること間違いなしw

なお、オリジナルのほうも真っ白に塗装されていました。


>外交バッグ

外交文書を輸送する際に用いられるバッグです。

外交特権が適用されており、中身はノーチェックで通過出来るので『いろいろな目的』で使用されてたりします。


>海の上に逃げ道を求めるしかなかったのである。

このまま通商破壊任務よろしく、ずっと海の上なんてあるわけないじゃないですか(フラグ


水兵(セーラーマン)

セーラーマンと聞いて思い出すのが『ポパイ・ザ・セーラーマン スピニッヂ・パワー』あの有名なポパイの主題歌です。


>見えている赤色の電波塔が東京タワーでございます

この世界だと超高級料亭が空襲で焼けていないので、東京タワーは別の位置に建っています。


>なんでジャパンとイギリスの艦はいるのに、我がステイツの艦はいないのだ!?

アメリカの艦なんてまともに実装したら、数が多すぎて大惨事になるからだよ。


>無表情に見えるが、多才な表情を内包するネコのキャラクター

史実では仕事を選ばないことで有名なキャラクター。

というか、もはや節操無しですよね……(汗


>大失態をやらかした彼らをこれ幸いと遠ざけていた。

本編第107話『分断と崩壊と再結成』参照。

タンカー1隻を丸々炎上させていますw

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― 新着の感想 ―
アメリカ皇帝トロツキー陛下即位ばんざーい。 各国の無関心に憤っていたが、どう見ても今のアメリカは「分不相応な装備持ってるタリバン政権」以外の何者でもないぞ!(ぉ >彼は知らなかったが日本には46サン…
長門型戦艦の3隻目?捕鯨母艦にでも流用すれば良いんじゃないかな(棒) やっぱ当時だと戦艦の威力は絶大よね。もう1942年も終わるのか。
元の家主が夜逃げしてその後に住み始めたやつが回りが挨拶に来ないからと銃片手に挨拶に来たみたいな感じになってねwww 陸軍がうごいたとすると行けるところは限られるから…………いや、陸軍とは限らないかさて…
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