第99話 魔王降臨
「ん、美味しい。そういえば今日は復活祭か」
大ぶりなビスケットを嚙み砕くと、濃厚なバターとほんのり薫るレモンの風味。
本日のお茶請けはイースタービスケットであった。
「今日のお菓子はおチヨが作ったのよ」
「ふふっ、腕によりをかけて作りました。テッドさんのお口にあいますか?」
1938年4月4日。
大使公邸ではテッドとマルヴィナ、おチヨの3人がイースターを祝っていた。
イースターはキリスト教において最も重要な祭りである。
本国では40日前から準備が始まるのであるが、ここは日本である。テッドもそこまで信心深く無いので当日のお茶請けだけで済ましていた。教会関係者が見たら激怒しそうな光景ではある。
「今日は予定も入ってないし、このままのんびり出来るといいなぁ……あっ」
失言してしまったことに気付いて慌てて口を閉じる。
しかし、既に手遅れであった。
「へぇ、今日は予定無いのね」
「たっぷり出来ますね!」
二人の目の色が変わる。
完全に発情モードである。
「いや、今日はイースターだから!? 聖なる日だからそういうのは控えようよ!?」
公務があるときは自重してくれる正妻愛人コンビであるが、逆に言えばそれ以外だと容赦が無い。このまま干からびるまで搾られる運命かと思われたのであるが……。
「ご当主さま。ドイツ大使が来訪されていますが、いかがしましょうか?」
「すぐ行く!」
「「ちっ……」」
予定にはないドイツ大使の来訪によって、その場を乗り切ることが出来たのであった。一時的にお預けを喰らう形となった二人の夜のプロレスが凄いことになるのであるが、その時のテッドはそこまで考えが至らなかったのである。
「初めまして。この度、大使を拝命したウィリー・エドゥアルド・ノーベルです」
「これはご丁寧に。イギリス大使のテッド・ハーグリーヴスです」
英国大使館の応接室。
二人の淫魔から逃げ切った(と信じている)テッドは、ドイツ大使と面会していた。
「……それにしても、急な話ですね。ヴォルチェはそんなこと一言も言ってませんでしたけど」
「事実上の解任ですな。ヴィルヘルム2世の信任があったとはいえ、ヴォルチェ殿はやり過ぎました」
ため息をつくノーベル。
急な話で最も困惑していたのは彼自身であった。
ノーベルは参事官として駐日ドイツ大使館に勤務していた。
上司であるエルンスト・アルトゥル・ヴォレチュが解任されたことで全権大使に格上げされたのである。
「ある意味状況に振り回された不運な人でしたねぇ。やる気も能力もあったのですけど」
テッドもため息をつく。
さんざんに迷惑を被ったが、居なくなってしまうと寂しいものがある。
(あの威丈高な態度も本意では無かったとはね……)
MI6日本支部は駐日ドイツ大使館の外交暗号の解読に成功していた。
その内容を精査すると、ヴォレチュがカイザーの無茶ぶりに振り回されていたことが判明したのである。
ちなみに、この世界のドイツ帝国が外交暗号に使用しているのはエニグマであった。史実では最終的には解読されてしまったものの、暗号技術者をさんざんに手こずらせた。当時としては一級品の暗号と言える。
ドイツ帝国政府関係者は暗号強度に絶対の自信を持っていた。
的確に運用されれば絶対に破られることは無いと信じていたのである。それ故にドイツ大使館はエニグマを多用していた。
外交暗号に用いられたのは、史実の3ローター型を発展させた5ローター型エニグマであった。ローターが2つ増えることで、変換に用いられるパターンが60倍に増加していた。これを人力で解くには途方も無い労力と時間が必要になる。
しかし、重要かつ緊急性のある外交関係だけでなく私信にまでエニグマを使用したのはやり過ぎであった。信じられないことであるが、それらの大半は傍受されやすい暗号電文として発信されていたのである。
MI6日本支部は暗号電を根こそぎ傍受してコンピュータで総当たりした。
こうなるとエニグマの肝であるローターやプラグを増やしたところで意味が無い。
総当たりを可能にするには高速演算が出来るコンピュータが必要になってくるが、現在の主力であるパラメトロンコンピュータで5ローター式エニグマを総当たりするには時間がかかり過ぎた。
『最近使われ出したドイツの最新暗号は解読に時間がかかりすぎて、有事の際に間に合わない可能性がある。トランジスタコンピュータの使用許可を!』
『いくらなんでもそれは無理だぞテッド君。あれはオーバーテクノロジー指定で本国からは動かせないことを知っているだろう』
『召喚リストにさらっとスパコンを捻じ込んでどの口がほざくんだか。別に召喚しなくても良いんだけどなぁ?』
『ま、待ちたまえ!? 早まってくれるな!? 送る、送るからスパコンは必ず召喚してくれたまえ!?』
事態を憂慮したテッドは、ロイド・ジョージに直訴してOT指定のトランジスタコンピュータの使用を勝ち取った。脅迫にしか見えないのは気のせいである。多分。
英国本国から空輸されたトランジスタコンピュータは、エニグマの解読だけに使われたわけでは無かった。同盟国である日本の外交暗号の解読にも用いられたのである。
トランジスタコンピュータの処理能力は、平成会が自信満々に運用していたパープル暗号を無力化した。新型暗号が導入されるまで日本の外交情報は英国に筒抜けになってしまったのである。
「……大したもてなしも出来ないで申し訳ない」
「いやいや、アポ無しで押し掛けたのはこちらですぞ。お気になさらず」
前任者と違い、新任のドイツ大使とのファーストコンタクトは無事に終了した。
というか、これが普通なのである。演技する必要に迫られたとはいえ、前任者の苦労は察してあまりあるものがある。
『噂とは違い、極めて善良かつお人好しな御仁である』
ノーベルは、その日のうちにテッドの為人についてドイツ本国に暗号電を送っている。当然ながら速攻で解読されて、本人に知られてしまうのであった。
『つまんねぇ。何処にも獲物がいないじゃないか。ゲーリング、おまえのせいだぞ!?』
『俺のせいじゃないないですよ!? 隊長がさんざんに喰っちまったせいでしょうが!?』
戦場の空を我が物顔で飛行する赤い機体と白い機体。
空軍大臣マンフレート・アルブレヒト・フォン・リヒトホーフェン空軍大将と、その副官ヘルマン・ゲーリング空軍中将は本日も『戦場視察』の真っ最中であった。
1938年4月上旬。
モスクワから撤退中のドイツ帝国陸軍は苦しい戦いを強いられていた。
ウクライナ国境まで一気に後退出来なかったため、やむを得ず陣地を構築して籠城する形となった。隙を見て後退するつもりだったのであるが、赤軍が猛攻をかけ続けているために身動きが出来なくなっていたのである。
数少ない明るい材料は制空権が維持されていることであった。
戦力的に劣勢に陥ったドイツ側が持ちこたえられている理由である。
『戦闘機だろうがなんだろうが、ワシに生産出来んものは無い!』
ヘンリー・フォードによって、赤軍の航空戦力は膨大なものとなっていた。
結果的には、先の大戦以来からのエースであるリヒトホーフェンとゲーリングを筆頭に、その教え子たちに撃墜スコアを献上するだけになってしまったのであるが。
BE〇Aの如き赤軍の航空部隊は、片っ端から撃墜されることになった。
一時期のキルレシオは1対10超という完全なワンサイドゲームであり、リヒトホーフェンとゲーリングは撃墜数200機超えを果たしていた。教え子たちの撃墜スコアも軒並み3桁超えという凄まじい状況になっていたのである。
あまりの損害にソ連側は日中の戦闘機の運用を中止せざるを得なくなった。
この時代の戦闘機に全天候性は無いので、事実上封殺することに成功したと言える。
『……ん? おい、ゲーリング! 下を見ろ!』
『こっちでも捉えました。戦車みたいですな』
結局、本日も獲物は見つからなかった。
戦場視察を終わらせて帰ろうとする二人であったが、地上に立ち上る土煙を発見していた。
『あきらかに友軍の陣地に向かっているな』
『警戒するよう地上の部隊に伝えておきましょう……って、隊長!?』
ゲーリングが無線で地上の部隊に連絡している隙に、真っ赤に塗られたメッサーシュミット Me109が急降下を開始する。その様子は3倍速では無かったが、赤い〇星の如しであった。
『戦果無しというのもつまらんからな!』
リヒトホーフェンは躊躇なく20mmモーターカノンのトリガーを引く。
狙いたがわず敵戦車の天板を貫通、弾薬が誘爆したのかびっくり箱の如く砲塔が吹き飛んだ。
「いったい何事だ!?」
「真っ赤な戦闘機だと!?」
地上を侵攻中だった赤軍の機甲師団は大混乱に陥った。
ただでさえ戦車は視界が悪いのである。太陽を背にした高速ダイブを発見出来るわけがない。
「撃て撃て! 撃ちまくれ!」
「くっそー!? なんで当たらない!?」
タンクデサントしていたロシア兵たちがPPD-24をぶっ放す。
しかし、所詮は9mmパラベラムである。リヒトホーフェンの巧みなマニューバには掠りもしない。仮に命中させたとしても、拳銃弾では機体へ与えるダメージもたかが知れていた。
『また抜け駆けして!?』
白く塗られたゲーリングのMe110が低空から敵戦車軍団に突撃する。
機首前方に固定装備された20mmと7.92mmを斉射、行きがけの駄賃で爆弾を落としていくのも忘れない。
「うぉーっ! いいぞーっ!」
「空軍さんにはマジ感謝だぜーっ!」
「戦友の仇を取ってくれーっ!」
突如始まった航空ショーに声援を送るドイツ帝国陸軍の兵士たち。
陣地から近かったうえに真昼間だったので赤い機体と白い機体の蹂躙劇は大勢の兵士たちに目撃されていたのである。
「……陸軍から感状が届きました。あなたたちは戦場視察に行ったんですよね? 戦闘しにいったわけじゃないんですよね?」
意外な戦果に上機嫌で空軍省に帰還したリヒトホーフェンとゲーリングであったが、こめかみに血管を浮き上がらせたエアハルト・ミルヒ空軍中将に出迎えられることになった。
『おい、あの赤と白の機体ってまさか……』
『しーっ! 黙ってろ。イワンどもをぶっ殺してくれるんだったら、なんだって良いんだよ!』
ドイツ軍陣地に飛来する赤い機体と白い機体の正体に陸軍側は気付いてはいたが、空気を読んで黙っていた。しかし、その日は基地から目視出来る距離での蹂躙劇であり、士気高揚にも大いに役立ったということで感状を出さないわけにはいかなかったのである。
「おいおい、戦場視察に行ったのは事実だぞ? 巻き込まれただけなんだ」
「そうそう。俺も隊長も被害者なんだよ」
「専用機に乗って空戦する戦場視察があるか!? 百歩譲って有りだとしても、戦車を破壊しまくって被害者面とかふざけんな!?」
史実のミルヒはゲーリングに請われてドイツ航空省次官に就任し、ルフトヴァッフェの戦力整備に尽力した。この世界でも同様の経緯を辿っていたのであるが、史実以上にフリーダムな上官に手を焼かされていたのである。
「お二人には、栄えあるルフトヴァッフェのトップという自覚はあるのですか!? そもそも、戦場視察に頻繁に行くこと自体がおかしいのです。士気高揚の効果は認めますが、それだって費用対効果を考えるべきで……」
日頃のストレスが爆発したのか、上官の心得だとか組織論だとか滔々と語りだす。史実のミルヒは航空郵便を開業したり、ルフトハンザ航空の重役を務めたりするなど組織運営に長けていた。それだけに空軍のトップ二人の暴走ぶりに黙ってはいられなかったのであろう。
「とはいえ、航空機搭載機関砲による戦車上面への攻撃が有効というのは良い教訓と言えるでしょう。窮地に陥っている友軍救援のために対地攻撃機の開発を……って、おい、閣下たちはどうした?」
たっぷりと1時間ほどは演説したところで、ミルヒは二人が目の前から消えていることに気付く。そんなミルヒに、傍に控えていた従兵が意見具申する。
「あの、リヒトホーフェン閣下とゲーリング閣下から伝言を言付かっておりますが……」
「話せ!」
「おまえに任せた! ……以上であります」
「あの野郎どもぉぉぉぉぉっ!?」
床に制帽を叩きつけて悔しがるミルヒ。
それ以前に1時間もご高説を垂れ流すほうもどうかと思うが。上官二人もアレであるが、ミルヒも相当なものであった。
とにもかくにも、これがルフトヴァッフェで対地攻撃機の概念が生まれた瞬間であった。窮地に陥っている友軍を救うために、突貫作業で開発されることになるのである。
「対地攻撃機か……今までにない機種だな」
「お偉いさんは生産ラインを圧迫することは避けろと言ってきてる」
「既存の機体を改造したほうが早いし確実だろうな」
なるべく早く、かつ既存の生産ラインを圧迫せずに戦力化しろというミルヒの無茶ぶりに応えるべく、空軍省内部では対地攻撃機の仕様検討に入っていた。様々な意見が出たものの、最終的な結論は既存の機体を改造することで一致していたのである。
「新型機だって!? 俺の出番だな!」
対地攻撃機を策定する会議に空気を読まずに飛び込んで来たのは、エルンスト・ウーデット空軍大佐であった。どことなく酒臭いのは気のせいであろう。真昼間から飲酒する軍人なんているはずがない。
「うわっ、酒臭っ!? また飲んでましたね!?」
「次官殿が来ないうちに退散したほうが良いですよ。捕まったら、またお説教されちゃいますよ?」
史実では享楽的な生活を好んだウーデットであったが、この世界では享楽ぶりに磨きがかかっていた。
軍人なのに真昼間から酒をかっ喰らうなど日常茶飯事。
バックにゲーリングがいるから軽い処罰で済んでいるものの、そうでなければとっくに除隊させられていたであろう。
「それはそれとして、こないだはゴチでした大佐」
「今度良い女紹介してくださいよ大佐!」
「また合コンに連れてってください!」
ただし、部下たちからは慕われていた。
面倒見が良いだけでなく、酒場で酒をおごるのが大好きだったからである。蛇蝎の如く嫌われているミルヒとはじつに対照的であった。
「……ほぅ、対地攻撃機に適当な機体ねぇ。Ju 87しか無いだろ」
部下に対地攻撃機に適した機体について問われたウーデッドは即答していた。
アルコール臭い息で答えられても説得力も何もあったものでは無いが。
「Ju 87か。盲点でした。確かに今の戦況なら出番は無いし、機体もそれなりにある」
「機体が頑丈で改造にはうってつけです。爆弾を下ろせば、それなりの重装備を積めるでしょう」
「考えてみれば高速性能は必要ないな。制空権はこちらのものなのだから、低速で低空を長時間飛べる機体のほうが良い」
会議室に居た人間はJu 87を改造することを満場一致で決定した。
それなり以上に説得力はあったのだが、結局はその場のノリと勢いであった。
とはいえ、さすがにそのまま採用されたわけでない。
自衛能力が貧弱な機体で敵地に飛び込むことに危機感を感じたミルヒが、次官権限でエンジン換装と対空砲火に対する防御装甲を追加することを捻じ込むことになった。
「Ju 87を改造するとして、対地攻撃に適当な兵装ってあったか?」
「歩兵砲じゃいかんのか? 37mmなら戦車の天板を確実に抜けるだろう」
「一発勝負過ぎないか? 多数の戦車を相手にするなら機関銃のほうが良いと思うのだが」
改造のベースとなる機体はすんなり決まったものの、武装については紛糾することになった。威力を重視して大口径化すると弾が足りなくなる。小口径化すると弾は足りても威力が足りない。一長一短で決め難かったのである。
考えても埒が明かないので検討会はいったんお開きとなった。
酒場でビールをがぶ飲みすれば、きっと良いアイデアが浮かぶであろう。彼らはドイツ人なのである。
「……おい、これを見ろ、これをっ!」
「なんだこれ? ライミーが描いたコミックか?」
「うちの息子が読んでいたのを強奪してきた!」
「酷い父親もいたもんだな!?」
「しかし、技術者の俺らが見ても説得力のある絵だな……」
「ガスト式機関砲? これって、我が国の技術ではないか。盗作するとはけしからん!」
事態が急展開したのは技術者の一人が持って来た同人誌がきっかけであった。
架空兵器が細かく精緻に描かれており、詳細な解説まで付いているのでミリオタなお子様も大満足なシロモノだったのである。
作者不詳(笑)の同人誌に描かれていたのは、史実ソ連の航空用機関砲GSh-23であった。これをたたき台にして対地攻撃用の機関砲を開発することになったのである。
「弾丸は23×115mm? そんな弾丸あったか?」
「少なくともドイツ軍では扱っていないぞ」
「新しく作っている時間は無い。適当な弾丸を流用しよう」
「ロング・ゾロターン弾が20×138mmだ。こいつを使おう」
設計を流用するだけなので、新型機関砲の設計は短期間で済んだ。
図面製作から試作まで、わずか半月という超スピード開発であった。
ラインメタル社で開発された新型機関砲はMG/C20と呼称された。
これをJu 87の両翼下にガンポッド形式で取り付けて対地攻撃機として運用することになったのである。
「今度こそ新型機が出来たんだな!?」
改造試作機のお披露目に空気を読まずに以下略。
とはいえ、こんなゲテモノに好き好んで乗るテストパイロットなどいるはずもない。ウーデッドの乱入は大いに歓迎された。
『意外と軽いな。普通に爆弾積んだときよりも動けるぜ』
史実のウーデッドは、リヒトホーフェンの後釜に座っていたかもしれないほどの腕利きであった。この世界でもその凄腕ぶりは変わっていない。改造試作機をぶっつけ本番で手足のように動かしていた。
新型機関砲が想定以上に軽く仕上がったことも機動性の向上に一役買っていた。
機関砲単体で50kg未満であり、両翼にガンポッド形式で搭載したとしても重量は弾丸を含めて200kg程度だったのである。
『よーし、的当ていくぞ。射場にいるヤツは退避しとけ!』
ウーデッドは低空で機体を旋回させながらターゲットへ向かう。
照準が定まった瞬間、トリガーを引く。
『うおおっ!?』
一瞬、両翼から発火したのではないかと思って焦るウーデッド。
トリガーを引いたのは一瞬であったが、両翼からは盛大なマズルフラッシュが発生していた。
発射された20mm砲弾は、狙いたがわずターゲットを粉砕した。
その威力と命中精度は従来の航空機関砲の常識を超えるものだったのである。
この性能に喜んだ空軍省は、改造試作機を『Ju 87 D-1』として採用。
ただちに既存の機体を改造するように命じた。改造は突貫作業で進められ、1938年の5月下旬には対戦車攻撃実験隊が編成された。
対戦車攻撃実験隊には選りすぐりのパイロットが集められた。
その中には史実の空の魔王たるリアルチートもいたのである。
『これより掃討作戦を開始する。各機、配置につけ』
『『『ヤヴォール!』』』
モスクワより南方に200kmほど離れた空域。
オットー・ベイス空軍少佐率いる対戦車攻撃実験隊が作戦行動に入っていた。
『隊長、下方に戦車部隊を発見しました!』
目を皿のようにして見張ること十数分。
最初に敵を発見したのは、今回の作戦が初陣のハンス・ウルリッヒ・ルーデル空軍少尉であった。
『よし、手筈通りにかかれ!』
ベイスの命令で編隊を組んでいたJu 87 D-1が散開して降下していく。
事前に入念な訓練を積んでいたおかげなのか、その動きに一切の無駄が無い。
『もらった!』
ルーデルは一瞬だけトリガーを引く。
発射された十数発の20mmロング・ゾロターン弾は、狙いたがわずT-32の砲塔天板をぶち抜いた。
ロング・ゾロターン弾は、元々は対戦車ライフル用の弾丸として開発された。
航空機関砲として有名なMG 151/20の20×82mm弾よりも初速は10%速く、弾頭重量は30%増しとなっていた。
これをマウザー20mmの4倍以上の射撃レートを持つラインメタル社製のMG/C20で撃ち出すのである。その威力たるや驚異的なものであり、数発命中しただけで砲塔天板に大穴があいた。
ガンポッド形式のMG/C20は、150発の弾薬とセットでJu 87 D-1の主翼下に装備されていた。両翼で合計300発搭載していたのであるが、異様に高い発射レートのために指切りバーストのタイミングを間違えると数秒で撃ち尽くしてしまったという。
この問題を解決するためにMG/C20の後期モデルでは電気信管が使用出来るように改良が行われた。トリガーがフェザータッチ化して指切りバーストしやすくなったのであるが、逆に軽くなりすぎて暴発事故も増えることになる。
『まるで雷が落ちているようだった!』
『轟音が聞こえる度にイワンの戦車が吹っ飛ぶのは爽快だった!』
『俺らの苦労はなんだったんだろうな……』
対戦車攻撃実験隊の蹂躙劇は味方陣地の多くの兵士たちが目撃することとなった。この時の兵士たちの証言から、Ju 87 D-1の愛称が『ブリッツェンフォーゲル』(稲妻鳥)になったと言われている。
「これはいける! いけるぞ! これで友軍を救援出来る!」
報告を聞いたミルヒは小躍りせんばかりに喜んだ。
既存の機体の改造を急ぐよう命じるだけでなく、ユンカース社の尻を叩いてJu 87 D-1の生産を急がせたのは言うまでも無い。
この時期にはソ連領内で急降下爆撃で破壊出来る目標もなく、シュトゥーカはドイツ国内で持て余されていた。ベースとなる機体が用意されていたので、改造は速やかに進められたのである。
中隊規模に過ぎない対戦車攻撃実験隊であったが、作戦行動初日に破格の戦果を挙げることになった。味方陣地に押し寄せていた戦車3個大隊をせん滅してしまったのである。
『すべてが静かに、まるで死んだように見える』
特にルーデルの挙げた戦車30両撃破は初陣としては完全に異常レベルであった。さすがは、史実で唯一アンクロサイペディアに嘘が書けなかった異能生存体と言うべきかであろうか。
無尽蔵の物量を誇る赤軍と言えど、1日に100両近い戦車を喪失することは想定外であった。必死になって周辺から戦力を搔き集めていたものの、包囲網を維持することは困難になりつつあった。
『ルフトヴァッフェが奮戦してくれている。撤退するにはこの機を逃すわけにはいかん!』
守備隊指揮官であるヴァルター・モーデル陸軍少将は、撤退の準備を急がせた。
史実のモーデルは『ヒトラーの火消し屋』と言われたほどヒトラーの信任を受けており、防衛戦の名手であった。この世界ではヒトラーに代わってカイザーの厚い信任を受けており、戦力的に劣勢な状況で今まで持久していたのである。
7月に入ると対戦車攻撃実験隊は急降下爆撃航空団麾下の飛行中隊に編入された。機体改造と再訓練が済んだ急降下爆撃機部隊が続々と投入されたのもこの時期である。
ブリッツェンフォーゲルは地上に破壊を振りまいた。
ゴキブリ並みのしぶとさと数を誇る赤軍戦車軍団は、今や絶滅危惧種になろうとしていた。
『あの空の疫病神をなんとかしろ!? 可能な限り速やかに排除するのだ!』
地上部隊のあまりの損害に、さしものスターリンも悲鳴をあげた。
我が物顔で上空を飛びまわる害虫の排除を厳命したのである。
鈍足なブリッツェンフォーゲルは戦闘機のカモでしかないが、現状はルフトヴァッフェの圧倒的な制空権下にある。赤軍の戦闘機部隊を出撃させても撃墜スコアを献上するだけなのは誰の目にも明らかであった。
この状況を打破するには制空権を奪還するしかない。
そう考えた赤軍上層部は新型戦闘機の数が揃うまで戦闘を避けていた。
しかし、筆髭の命令を無視することは出来ない。
別の手段を考える必要が出てきたのである。
制空権を喪失した状態で赤軍上層部が捻りだした策が対空自走砲であった。
T-32の車体に機関銃塔を載せることで即席の対空車両に仕立て上げることにしたのである。
機関銃塔にはDK重機関銃が4門搭載されていた。
身も蓋も無い言い方をすれば、史実のヴィルベルヴィントもどきと言える。
車体は有り余るほどあり、銃塔を載せるだけなので完成までは早かった。
ZSU-12として採用された対空自走は、8月に入るころには大隊規模で運用出来るようになったのであるが……。
『イワンめ、また新型を造りおったか』
空の魔王とエンカウントして、即落ち2コマの如く全滅させられた。
最初の町を出たところでラスボスと出くわしたようなものであろう。不運にも程がある。
しかし、ルーデルに出くわさなかったとしても同じ運命を辿っていたであろう。発想は悪く無かったのであるが、ブリッツェンフォーゲルに搭載されているMG/C20に威力も射程も劣っていたので一方的にアウトレンジされるのは目に見えていたのである。
ZSU-12は対空自走砲としては早々に失敗の烙印を押されることになったが、対人及びソフトスキン目標に対しては十分過ぎる威力があった。このことに目を付けた赤軍は移動可能な重機関銃陣地として運用することになる。
実際、その威力はドイツ兵相手には過剰過ぎた。
ロシア兵からは『фарш』の愛称で頼りにされていたのである。
ちなみに、愛称の意味はロシア語でひき肉である。
攻撃を喰らったドイツ兵は哀れとしか言いようがない。
結局、赤軍が採れる最善の手段は攻勢を止めて新型戦闘機の量産配備と新たな対空戦車の開発に専念するしか無かった。それはドイツ側に撤退の時間を稼がせることと同義であったが、他に手段が無かったのである。
1938年の夏は『シュトゥーカの懲罰』と後に呼ばれることになった。
様々な偶然と幸運があったにせよ、二線級になったかと思われた旧式機が理不尽かつ一方的に破壊を振りまくことになったことを後世の歴史家がそう呼んだのである。
『英雄帰還兵 ベルリンに凱旋す』
『家族との再会を喜ぶ兵士たち』
『カイザー 直々にモーデル将軍を労われる』
1938年9月上旬。
ドイツと二重帝国諸国連邦の国内メディアは、撤退成功の記事で埋め尽くされていた。
モスクワ攻略を成功出来ずに撤退したので事実上の負け戦である。
しかし、ベルリンに帰還した兵士はまるで凱旋の如く扱いであり、戸惑った兵士たちも多かったという。
このようなことになったのは、国内のマスコミが忖度したからである。
前回のやらかしで多方面から批判を受けた報道各社は、政府批判を避ける方向で動いていたのである。
『モーデル将軍 圧倒的な戦力相手に一歩も引かない戦い』
『カイザーの火消し屋 防衛戦の達人』
『ドイツ帝国の精鋭戦車軍団の激闘』
『精強無比 生身で戦車を撃破した兵士たち』
戦果を盛る報道も盛んに行われていた。
嘘ではないが真実ではないといったレベルで、事実が混じっているので史実の大本営発表に比べればマシな部類ではあった。
『帝国軍の新兵器ブリッツェンフォーゲル ソ連戦車を壊滅させる』
『ハンス=ウルリッヒ・ルーデル 単独で戦車軍団を潰した男』
『ルーデル少尉 少佐に特進へ 新たな英雄の誕生』
そんな中で国内マスゴミが注目したのが、一人の急降下爆撃機乗りであった。
そのパイロットが、史実ではリアルチート呼ばわりされたハンス・ウルリッヒ・ルーデル空軍少佐であることは言うまでも無い。
この世界のルーデルも、しっかりルーデルしていた。
わずか数か月でアホみたいな戦果を挙げていたのである。
史実21世紀の某日本人メジャーリーガーの如く、マスコミの報道は加熱していった。取材すればするほど仰天するような話題に事欠かなかったのである。
ルーデルはベルリンに帰還していなかったので取材は不可能であった。
そのため、異常な戦果について憶測記事が飛び交うことになったのであるが……。
『戦車10両撃破ではなく20両撃破でした。お詫びして訂正いたします』
『ソ連の新型対空戦車大隊をチームで撃破したのではなく単機で撃破でした。お詫びして訂正いたします』
『ルーデル少佐の異常な戦果はチーム戦果の誤認ではなく、逆に戦果をチームに譲っていました。お詫びして以下略』
後になってから戦果が過少だったことが判明して、お詫び記事を出すハメになった。過剰ではなく過少だったというところが、とってもルーデルである。
なお、当の本人は今日も元気にウクライナ国境で任務に従事していた。
出撃厨なルーデルは、ベルリンへの帰還を拒んで今日も元気に出撃していたのである。
『俺らだって必死に戦ったのに……』
『なんで空軍ばかり注目されてんだよ』
『ちょっとばかり活躍したからって、いい気になりやがって!』
報道が空軍に、というよりルーデルに偏重していくのは陸軍としては面白くないことであった。必死になって戦ってきたのに、おいしいところは全部ルーデルに持っていかれた形になったのであるから。
しかし、ルフトヴァッフェに救援を頼んだのは他ならぬ陸軍なのである。
表立って文句を言うことなど出来るはずも無かった。
『空軍にいつまでもデカい顔をさせてられるかよ!』
『次戦うときは空軍無しで戦えるようにせねばならねば!』
『そのためにも装備の刷新は急務だ。次こそはイワンどもを殲滅してくれるわ!』
参謀本部内部では戦力の拡充が叫ばれていた。
戦いが終わったばかりだというのに、既に次の戦いを想定して動いていたのである。
『今回の戦争、後半は機動戦が主体で戦闘正面が広範となる傾向があった。それに対して、歩兵の火力が不足している』
『従来は火力は機関銃に頼っていたが、陣地戦ならともかく機動戦となると重量過大で追従は難しいな』
『サブマシンガンは近距離で火力をばら撒くには向くが長距離射撃には向かない。一方で、ライフルは瞬間火力が不足してしまう』
『可能ならばサブマシンガンとライフルの機能を一体化することが望ましい』
独ソ戦の反省点で真っ先に上げられたのが歩兵火力の不足であった。
元々ドイツ軍は歩兵火力を機関銃に頼っているところがあったが、MP18が制式採用されてからはその傾向に歯止めがかからなくなっていたのである。
サブマシンガンは至近距離で瞬間的に火力をばら撒くのには向くが、遠距離射撃には適さない。
この欠点を埋めるために従来のGew98を狙撃銃として運用していたのであるが、歩兵小隊の中でサブマシンガンとライフルを混用するのは望ましくない。分隊として運用するにも不便が生じており、早急な改善が求められていた。
この問題に対して、ドイツ陸軍兵器局は史実のStG44もどきを開発することで応えることになる。既に英国や日本で同様のコンセプトの小銃が配備されているのを参考にして開発したのである。
参考にするものが既に存在したので新型小銃は短期間で開発することが出来た。
演習で運用した兵士たちからも好評であり、MP40の名前で制式採用されることになる。
『4号戦車の実戦配備を急がねばならん。重戦車の開発も必須だろう』
『3号戦車の成功から鑑みても、重戦車に機動力は不要だ。ただ装甲と火力があれば良い』
『重戦車は足回りの設計が難航しています。大重量に耐えるサスペンションがなんとも……』
その結果、4号戦車のロールアウトは大幅に前倒しされることになった。
攻守走のバランスが取れた陸軍期待の中戦車は、年内に部隊編成が開始されることになる。
開発に苦戦している重戦車については、高名なフェルディナント・ポルシェ博士を招聘して一から再設計することになった。こちらは史実の某ネズミや陸上戦艦が具現化することになる。
『やはり戦艦の主砲にはペーネミュンデ矢弾を積むべきだ! 今回の戦争に全く出番が無かったではないか!?』
『ちょおまっ!? もう艤装も終わろうというのに何言ってんだてめぇ!?』
『しかし、一理あるな。攻撃出来ない戦艦など無用の長物ではないか』
『ふざけんな!? やっと完成したまともな戦艦をゲテモノにしてたまるかぁ!』
なお、今回全く出番が無かった海軍でも将来の軍備についての議論が盛り上がっていた。海軍総司令部内部では幕僚たちが顔を突き合わせて喧々諤々、時には手も足も出る勢いであった。
『ライミ―や、ヤーパンみたいに我が海軍も空母部隊を創設するべきだ!』
『むしろUボートで航空機運用するべきじゃないか? 実際、ヤーパンもイゴウでやってるし』
『空母を作るノウハウは我が海軍には無いぞ。まずは実験艦を作る必要がある』
『そもそも、そんな予算あるわけないだろ。陸軍と空軍に予算取られてるのに……』
とはいえ、ドイツ海軍にロイヤルネイビーや大日本帝国海軍のようなことが出来るはずもなく。長大なシーレーン防衛任務があるので史実よりは大規模にはなっているが、現状では本格的なブルーウォーター・ネイビーになることは難しいと言わざるを得なかった。結局、限られた予算で最大限の戦力を保持することを確認しただけで終わったのである。
『この機体は赤く塗ってないな』
『隊長……塗りたいんですか? 俺も白く塗りたいですけど』
『ゲーリングのアニキ、俺も機体にでっかく『撃たないで』と書きたいぜ!』
『おまえら仕事しろぉぉぉぉぉぉっ!?』
陸軍と海軍がやる気になっているのとは対照的に、空軍はマイペースであった。
現有戦力で問題無いことが判明したために、露骨なムーブを取る必要が無かったのである。
1938年10月某日。
まるで示し合わせたようにドイツ帝国と二重帝国諸国連邦、ソ連は軍事行動の停止を世界に宣言した。
終戦ではなく、あくまでも停戦である。
いずれ再戦することは見え見えではあったが、とにもかくにも戦争は終わったのである。
「まさかバチカンが黒幕だったとは」
「まったく、生臭坊主どもはロクな事をせんな」
「史実でも反共目的でナチスに手を貸していたからな。理解出来なくは無いが……」
1938年11月某日。
本日の円卓会議の議題はバチカンの暗躍とその対処であった。
事の発端は英国の軍事介入の打診であった。
独ソ戦の戦況不利と見た英国宰相ロイド・ジョージは、極秘裏にドイツ帝国大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクに軍事介入を打診したのであるが……。
『なんとしても軍事介入を潰す必要がある。しかし、我らの仕業と知られるわけにもいかぬ。どうしたものか……そうだ!』
情報をキャッチしたバチカンの妨害工作によって軍事介入はご破算となった。
そのやり口は完璧であり、当時の関係者は誰もバチカンを疑うことは無かった。
『……このレポートの内容は本当なの?』
『うむ。MI6が総力を挙げて調査した情報だ。まず間違いは無いだろう』
『なるほどなるほど。あのクソ坊主どもが、僕の休暇と尊厳を奪ったわけだ……』
しかし、諸々の事情で引き籠ったテッドを奮起させる材料を探している過程でバチカンの妙な動きが見受けられた。不審に思ったロイド・ジョージは、MI6に徹底的な再調査を命じていたのである。
「バチカンはドイツ、オーストリア両議会に浸透しています。既に一部の議員が金や女でバチカンに手懐けられているようです」
MI6長官ヒュー・シンクレア海軍大将が再調査の結果を公表する。
その内容は驚くべきものであった。
「てっきり二人の皇帝の独断だと思っていたが。まさかバチカンが絡んでいたとは」
「このままでは世界がバチカンに好きなようにされてしまうぞ」
「我が国も他人事ではない。至急、政界内部のクリーニングを実施するべきだ!」
報告を受けた円卓のメンバーはバチカンの動きに危機感を抱いた。
明日は我が身にならないとは限らない。それどころか、既にバチカンの勢力が国内に蔓延っているかもしれないのである。
「残念ながら我が国にも、バチカンに下った者がいます。こちらのリストをご覧ください」
そう言って、シンクレアは裏切り者のリストを配布する。
その場にいた全員が食い入るようにリストをチェックしたのは言うまでも無い。
「リストに載っている人間は、全て監視下に置いていますのでご安心ください」
シンクレアの言葉に安堵の空気が流れる。
さすがは世界最強の情報部と言うべきか、恐ろしく仕事が早い。
リストに載っていた人間は後にMI6によって事情聴取された。
一部の悪質な者や監視に気付いて逃亡した者は不幸な目に遭うことになったが、残りの大半は二重スパイとして働くことになる。
二重スパイとなった者は、これまでの生活を保障された。
極まれにMI6から指令を受けて仕事をする必要はあったが。
しかし、二重スパイとなった者の人生は既に詰んでいた。
用済みと判断されたら即刻逮捕されかれないのである。彼らに出来たことは、これまでの輝かしいキャリアを捨ててひっそりと生きていくことのみであった。
「しかし、どう対処すれば良いのだ? まさか教皇を暗殺するわけにもいくまい」
「万一、教皇を暗殺したことが露見すれば我が国が受けるダメージは計り知れないものになる。最悪世界が敵に回りかねないぞ」
「かといって、このまま手をこまねいていては……」
円卓はバチカンを脅威に思うと同時に困惑していた。
軍事力なら軍事力をぶつければ良い。経済なら経済で戦えば良い。しかし、宗教には宗教でどう戦えというのか?
「いっそカンタベリー大主教にお出まし願うか? 我が国の宗教家で教皇に対抗するにはあの方しかいないだろう」
「聖公会の影響力は我が国と植民地に限られている。とてもじゃないが勝ち目はないな」
それでも、円卓ではカトリックに聖公会で対抗することを一応検討した。
端から勝ち目が無いと判明して速攻で却下されることになったのであるが。
英国の国教は聖公会であるが、プロテスタントに分類されることが多い。しかし、実際の教義はカトリックに準じている。その一方でプロテスタントと同じく聖職者を牧師と呼称するなどの面もある。カトリック教会とプロテスタントの中間というのが公的な立場である。
この世界の聖公会の勢力は英国本国と植民地、自治領に限定されていた。
日本は数少ない例外であり、その他の地域はカトリックが圧倒的であった。
「それ以前にあの方は世俗的に過ぎる。とてもじゃないが国民の支持は得られないだろう」
「王室だけでなく政治家に近過ぎるのも問題だ。政教分離の原則に反するからな」
「ヴィジュアル的にもちょっとなぁ。昔はハンサムだったけど、今は禿散らかしたおっさんだし……」
現カンタベリー大主教コスモ・ゴードン・ラングはいろいろと問題のある人物であった。円卓は教皇のカリスマにラングでは対抗出来ないと判断したのである。
「……この問題を解決出来る男を一人だけ知っている。わたしに任せて欲しいのだが?」
円卓議長にして英国宰相ロイド・ジョージの意見は満場一致で採用された。
バチカンの動きに円卓メンバー全員が危機感を抱いていたのである。
「……と、いうわけなのだが頼めるかね?」
『もちろんOKです。今度こそ完膚なきまでに叩き潰します!』
受話器から聞こえる声はやる気満々であった。
言うまでも無く、国際電話の相手は日本にいるテッドであった。
「あー、テッド君。分かっているとは思うが……」
『分かっています。人死には出しませんよ。前回もそうだったでしょう?』
「う、うむ……」
他に手段が無いとはいえ、ロイド・ジョージはテッドに依頼することに不安を感じていた。
テッドの暗躍でバチカンの動きを掣肘出来たことは確かなのであるが、どんな手を使ったのか全く分からなかったのである。本人に聞いても笑って誤魔化すだけであったし。
ならばと、ロイド・ジョージは密かにバチカンにも探りを入れさせた。
しかし、こちらも異様にガードが固くてテッドの工作の痕跡すら掴むことが出来なかったのである。
『じゃあ準備があるのでこれで。さぁ、忙しくなるぞー!』
「……」
テッドの上機嫌な声を最後に通話が切れる。
本当にこれで良かったのかと、ロイド・ジョージはその場に立ち尽くすのであった。
「アニキ、ブツの積み込み終わりました!」
「燃料の積み込みとエンジンの試運転も終わってます!」
「ご苦労! 俺はチェックリストを済ませるから先に乗り込んでいてくれ」
ローマ県北西部チヴィタヴェッキア。
『ローマの外港』と称される重要な港湾都市であり、その湾岸倉庫では作業が急ピッチで進められていた。
現在作業中の人間を除いて周辺に人気は絶無であった。
ただでさえ人気の少ない場所で時間帯は深夜なのである。ダメ押しで新月の夜とくれば人がいるほうがおかしい。
(さすがは師匠。前回よりも難易度を上げてきやがった。だが、それだけに燃えてくるぜ!)
飛行前チェックリストを消化しながらも、ニヤケ顔が止まらないハワード・ヒューズ。前回に引き続き今回もテッド直々に指名されたことで、テンション爆上がり中だったのである。
「待たせたな! 早速出発するぞ!」
チェックリストを全て終わらせたヒューズは、機体に乗り込むとエンジンを始動させる。搭載された3機のターボプロップエンジンが唸りを上げて回転数を高めていく。
「天井シャッター開放!」
「ラジャー! 天井シャッター開放します!」
ヒューズの舎弟の操作で密かに改装された倉庫の天井が解放される。
動力がローターに接続されたことで、周囲の物が派手に吹き飛ばされていく。
「テイクオフ!」
倉庫から浮上する異形の機体――シエルバ W.11U エアホースは最短距離で目的地を目指す。目指すはここから直線距離で60kmほどの距離にあるバチカン市国であった。
「アニキ! 目的地上空に到達します!」
ストップウォッチ片手に舎弟その2が報告する。
報告を聞いたヒューズは機体をホバリングさせた。
「サーチライト点灯!」
「ラジャー!」
機体下に搭載された大出力サーチライトが地表を照らす。
舎弟たちは目を皿にして捜索を開始する。
「見つけました! サン・ピエトロ寺院です!」
「よぅし!」
舎弟の報告を聞いてガッツポーズするヒューズ。
機体を無事にバチカン市国まで到達させたのである。
新月の夜であるのに加えて時刻は深夜なので地文航法は不可能。
かといって、天測航法をするには距離が短すぎる。ヒューズは方位と巡航速度から時間を逆算して位置を計算してのけたのである。
航法装置が充実している史実21世紀ならともかく、この時代ではとんでもない偉業である。そもそも、この時代にはまともに夜間飛行出来る機体がほとんど存在しない。
「よし、おまえら手筈通り行くぞ!」
「「「ラジャー!」」」
しかし、悦に浸る時間は短かった。
ここからが本番なのである。
「そーれ、こいつを聞きやがれっ!」
機内倉庫に陣取った舎弟が、コンパクトカセットをセットする。
機外スピーカーから大音量で再生されたのは、地獄から聞こえてくるような異様な迫力の音声であった。
ちなみに、テープはテッドが直々に吹き込んでいた。
内容は馬鹿だのアホだの罰が当たるだの……要するに悪口である。電気的に変調されて低音域がブーストされているのでテッド本人とは分からないようにはしてあったが。
「なんだなんだ!?」
「いったいなんの騒ぎだ!?」
「煩くて眠れないじゃないの!?」
騒音で建物から寝間着姿の人間が出てくる。
彼らは混乱しており、まったく事態を把握出来ていなかった。
「お次はこいつだ! そぉれっ!」
地上に人が集まったのを確認してから、機内倉庫に山と積まれたエロ同人誌を投下する。積まれたエロ同人誌は重さにして5t分。ばら撒き終わるまでには、それなりの時間が必要であった。
「アニキ! 全部投下しました!」
「長居は無用! 離脱するぞ!」
来た時とは違い、ヒューズは最大速度で機体を離脱させる。
前回みたいに空軍が出張ってくるとは思えなかったが、目撃者は少ないに越したことないのである。
夜が明けてバチカン市国内部は大騒ぎになった。
罰当たりなエロ同人を焚書するべく、徹底的な回収が命じられたのは言うまでも無い。
結局、前回よりも多くのエロ同人誌が焚書されることになった。
その場にいる関係者は知る由も無かったのであるが、回収された分量を割合で見るとむしろ低下していた。つまりは、それだけ持ち帰った信徒が多かったということである。
前回同様に今回の事件もバチカンはひた隠しにした。
それ以前に目撃者が絶無で事件にすらならなかったのであるが。
『一度ならず二度までも……おのれっ!? おのれぇぇぇぇぇっ!?』
ローマ教皇ピオ11世は心労によって伏せることが多くなった。
そのまま回復することなく、1939年3月にピオ12世が選出されることになる。
『あの時現れたのは間違いなく魔王だった。わたしも含めて大勢の信徒を堕落と悪しき探求心へと誘ったのであるから……』
――と、当時の信徒は後になってから述懐している。
カトリックの教義ではルシファーは進歩と知的探求心の神であるが、魔王サタンの別名でもある。18禁なエロ同人で堕落を誘わんとする行為を信徒は魔王サタンに見立てたのであろう。
とにもかくにも、魔王の降臨によってバチカンの暗躍は阻まれることになった。
ピオ12世は先代と違って穏健派であり、独ソ戦よりも周辺国と政教条約を結ぶことを優先したのである。
以下、今回登場させた兵器のスペックです。
ユンカース Ju 87 D-1
全長:10.8m
全幅:13.82m
全高:3.84m
重量:3550kg(全備重量)
翼面積:31.90㎡
最大速度:305km/h
実用上昇限度:7000m
航続距離:1000km(増槽使用)
武装:MG/C20 20mm ガスト式機関砲×2(ガンポッド形式 両翼装備)
:爆弾1t(胴体下搭載)
エンジン:ユンカース ユモ 211 液冷V型12気筒 1000馬力
乗員:2名
ルフトヴァッフェが配備した対地攻撃機。
使い道が無くて持て余していたシュトゥーカの改造機である。
史実のJu 87 D-5に相当する機体であるが、武装はMG 151/20ではなく新規開発されたラインメタル社製MG/C20である。
MG/C20は従来の機関銃とは一線を画する動作機構を持つガスト式機関砲である。その発射レートは、マウザー20mmの4倍以上の毎分3400発以上という驚異的なものであった。
使用する弾丸は20×138mmのロング・ゾロターン弾である。
元々は対戦車ライフル用の弾丸として開発されており、マウザー20mmの20×82mm弾よりも初速は10%速く、弾頭重量は30%増しであった。
MG/C20はガンポッド形式で両翼に装備された。
携行弾数は合計で300発である。
携行弾数はマウザー20mmの1000発から大幅に減少しているが、1発当たりの破壊力、射程、命中精度はそれを補ってあまりあるものであった。
その威力は驚異的なものであり、数発命中しただけで砲塔天板に大穴があいたという。しかし、異様に高い発射レートのために指切りバーストのタイミングを間違えると数秒で撃ち尽くしてしまう欠点があった。
この問題を解決するためにMG/C20の後期モデルでは電気信管が使用出来るように改良が行われた。トリガーがフェザータッチ化して指切りバーストしやすくなったのであるが、逆に軽くなりすぎて暴発事故も増えることになった。
異様に高い発射レートによる派手なマズルフラッシュと高初速による轟音は稲妻(Blitz)を連想させ、そこから愛称の『ブリッツェンフォーゲル』(稲妻鳥)が付けられている。
この世界では空の魔王ことハンス・ウルリッヒ・ルーデルが初陣で搭乗した機体として有名であり、いきなり敵部隊を壊滅させて赤軍を恐怖のどん底に叩き落した。
※作者の個人的意見
ルーデルのデビュー年なのだから、気の利いた機体を用意しようと考えてたらガスト式機関砲を思い出して作った機体です。史実だと結構な数を作っていたみたいなので、もう少しWW1が長引いていたら実戦投入されてたかもしれませんね。そうなったら東側専用にはならなかったんじゃないかなぁ。
ZSU-12
全長:5.76m(車体のみ)
全幅:3.00m
全高:2.60m
重量:20.5t
速度:65km/h
行動距離:340km
主砲:12.7mm重機関銃×4(砲塔)
装甲:16mm~65mm
エンジン:4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル500馬力
乗員:4名
T-32の車体を流用して開発されたソ連初の対空戦車。
我が物顔で戦車を破壊するシュトゥーカ(ブリッツェンフォーゲル)対策に急遽開発した車両である。
T-32の車体にDK重機関銃を4連装で装備した砲塔を載せている。
ロシア版ヴィルヴェルヴィントもどきである。
搭載されるDK機関銃は車載用に改良されており、ドラムマガジンからベルト給弾に変更されている。これを鋼板を溶接した砲塔に左右2基ずつ装備している。
発射速度は毎分600発であり、4基合計で2400発/分の弾幕を張ることが可能であったが、仮想敵であるブリッツェンフォーゲルのMG/C20に威力も射程も負けていた。そのため、先に発見されてアウトレンジで一方的に破壊されることになった。
早々に対空戦車としては失敗の烙印を押された本車であるが、対人及びソフトスキン目標に転用された。12.7mm4連装の火力は人体相手には過剰なほどの威力があり、ロシア兵からはфаршの愛称で親しまれた。なお、ファッシュはロシア語でひき肉の意味なのでロシア版ミートチョッパーと言える。
※作者の個人的意見
そういえば、ソ連側に対空戦車が無かったなと思って作りました。
初っ端からダメ兵器扱いされていますが、今後はミートチョッパーとしてなら出番はあるでしょう。
シエルバ W.11U エアホース
乗員数:4~5名
全長:27m(ローター含む)
全幅:28.96m(同上)
全高:5.41m
メインローター径:14m
空虚重量:7437kg
最大離陸重量:18438kg
発動機:ロールスロイス ダート RDa.10/1 2750馬力+残留推力3.34kN ×3
最高速度:260km/h
巡航速度:170km/h
上昇限度:3640m
航続距離:570km
武装:非武装(ドアガン設置可)
戦前にテッドが召喚したシエルバ W.11エアホースを、この世界のシェルバオートジャイロ社が改良したもの。胴体前部に単一ローター、後部に横並びローターという現時点では世界唯一のトライローター機である。
試験運用されていた11T型をさらに改良したタイプであり、エンジンが航空用レシプロからターボプロップに変更されている。エンジンの搭載数も2基から3基に増やされており、総出力が増強されたことでペイロードも飛躍的に増大している。
胴体中央部にエンジンを置き、そこから延長軸で3つのローターを駆動する機構となっている。胴体後方部は荷物室となっており、貨物なら10t程度の積載が可能である。
※作者の個人的意見
史実ではペーパープランだった11Tをさらに改良したモデル。
カタログスペック的にはチヌークを参考にしているのでこの程度の性能は出せるはずです。
今年初めての本編の更新です。
今後もマイペースで更新していきますので、よろしくお願いいたしますm(__)m
>ウィリー・エドゥアルド・ノーベル
史実ではヴォルチェの後釜としてドイツ大使になっています。
少数民族問題に積極的に取り組んでいたみたいです。
>エアハルト・ミルヒ空軍中将
史実ではゲーリングが空軍省にスカウトしてます。
この世界でも同様の経緯を辿っていますが、上官が軒並み脳筋なので苦労していますw
>エルンスト・ウーデット空軍大佐
史実では急降下爆撃を強力に推進した人。
第1次大戦ではリヒトホーフェンに次いでナンバー2のエースで彼の死後は隊長になる可能性が高かったのですが、ゲーリングに隊長の座を奪われています。機体に『撃たないで』とでっかく書いたり、享楽的な生活を送ったりと逸話に事欠かない人だったりします。
>ハンス・ウルリッヒ・ルーデル空軍少尉
言わずとしれたリアルチート。
この世界では初陣で理想の機体に出会っているので、史実以上に理不尽な戦果を挙げるのは確定でしょう。
>前回のやらかしで多方面から批判を受けた報道各社
本編『第98話 同人爆撃(物理)』参照。
余計なことをやらかして国内不安を煽ったということで、カイザーを激怒させていました。
>『ふざけんな!? やっと完成したまともな戦艦をゲテモノにしてたまるかぁ!』
条約明けのドイツの新型戦艦はビスマルクもどきになりました。
そのうち出番があるかもしれません。
>カンタベリー大主教コスモ・ゴードン・ラング
wikiの若いころの写真を見ると超ハンサム。
第1次大戦後は禿散らかしたおっさん。差が激し過ぎる…(;^ω^)




