第9話 ダーダネルス海峡突破作戦
西部戦線で英国フランス連合軍とドイツ軍の激闘が繰り広げられているのと同時期に、ロシアは東プロイセンへ侵攻した。最終的にこの攻勢は失敗し、ロシア軍は東プロイセンから叩き出されたのであるが、その後のロシア軍は史実以上に有力なドイツ軍に押しまくられて危機的状況に陥っていた。これは西部戦線からの兵力の移送が間に合ったことが最大の要因である。
西部戦線は史実よりも早い段階で塹壕戦へ移行し、膠着状態となっていた。
これは英国海外派遣軍(British Expeditionary Force、BEF)の目論見通りであり、人的資源の無為な消耗を避けるという主目的は達成されたと言える。あとは反抗準備が整うまで西部戦線を維持するだけであるが、問題はフランス軍であった。
BEFと共同戦線を張るフランス軍は緒戦で大損害を受けたのであるが、本土防衛のスローガンのもとに大規模な志願兵募集を開始。短期間で兵力の回復に成功していた。それだけなら歓迎されることなのであるが、生命の躍動などという脳筋哲学に加えて、テッド・ハーグリーヴスの描いた熱血バトル漫画(海賊版)に精神を侵されたフランス軍は、事あるごとに攻勢を主張してBEFを巻き込もうとしていたのである。
これは本土を侵されていない派遣軍のBEFと、再度のドイツ軍侵攻に神経をとがらせているフランス軍の立場の違いでもあったので、当時のフランス軍上層部を一概に無能呼ばわりすることは出来ないのであるが、序盤の機関銃陣地への突撃で大損害を出したことから学んでいるとは思えないフランス軍はやはり脳筋なのであろう。
フランス軍の醜態を直接目にしていたBEF最高指揮官であるフレンチ卿は、独立作戦権を盾にこれを拒否し続けていたのであるが、それならばと単独でドイツ軍の塹壕陣地に突撃して屍の山を築いていた。当然であるが、両軍の相互不信は深刻化する一方であった。ここで英国が具体的な反抗作戦を提示すれば、フランス軍も少しは落ち着いたのかもしれないのであるが、反抗作戦の下準備に多大な時間と経費がかかるため、情報漏洩のリスクは可能な限り避ける必要があったのである。
消極的なBEFと脳筋フランス軍の無秩序な攻撃のおかげで、西部戦線を維持する自信を深めたドイツ軍は、密かに東部戦線へ兵力の移送を開始した。入れ替わりで二線級の予備部隊が配置されたのであるが、これは兵力の維持と東部戦線での攻勢の意図を気取られないようにするためであった。MI6はこの事実をかなり早期に把握していたのであるが、最終的にこの情報はフランス軍には伝えられなかった。突撃厨に敢えてエサを与える必要は無かったからである。
東部戦線におけるドイツ軍の大攻勢によって、ロシアはベラルーシとウクライナを失った。
特にウクライナは穀倉地帯であり、ここを失うことは食糧不足による飢えを誘発する恐れがあった。さらに武器弾薬も不足しており、このままではロシアが戦争から脱落しかねない危機的な状況だった。ロシアの戦線離脱を防ぐには、早急に食料と武器弾薬の輸送が必要であった。
ロシアに食料と武器弾薬を輸送するにあたって、問題となるのがダーダネルス海峡であった。
この地を支配するオスマン帝国は同盟国側であり、ドイツから招いたオットー・リーマン・フォン・ザンデルス中将を軍事顧問とする最精鋭の第5軍団が配置されていた。これに加えて、ダーダネルス海峡全域に大量の機雷を敷設、さらに海峡の両岸に多数の砲台を設置して海峡そのものを要塞化していたのである。
史実における英国は、この地を確保するための一連の戦闘で20万人を失い、作戦の立案者であるウィンストン・チャーチルが責任を取って海軍大臣を辞任した。第1次大戦の連合国にとって、最も悲惨な事件と言われた所以である。
当然ながら、円卓はこの悲劇を繰り返すつもりは毛頭なかった。
手始めに、英国はギリシャ政府と交渉して国内に飛行場を建設に着手した。しかし、当時のギリシャは三国協商(イギリス、フランス、ロシア)との同盟を望むヴェニゼロス首相と、中立を支持する国王コスタディノスの間で関係が悪化していたために、政府内で意見がまとまらずに交渉は難航した。
時間をかけられない英国は、地中海遠征軍をテッサロニキに上陸させた。
地中海遠征軍は、ギリシャ軍の激しい抵抗にあった……というのは、プロパガンダであり、実際はほぼ無血占領であった。
抵抗したが英国に蹴散らされたと喧伝することで、中立を標ぼうするコスタディノス派の面子を保ち、さらにヴェニゼロス派と密約を結び、戦後にスミルナ=イズミル周辺を割譲することを確約したのである。
アレクサンドルーポリに建設された飛行場は、当時としては大規模なものであったが、もはや英軍の十八番と化した建機の大量投入により、1月足らずで建設は完了。地中海側から機体と武器弾薬が続々と搬入された。なお、飛行場の建設と周辺警備は、地中海遠征軍が担当したのであるが、別の英軍部隊に引き継ぎをして、再びダーダネルス海峡を目指している。
「エンジン1番から4番まで始動確認。タキシング開始」
巨大な機体がゆっくりと滑走路へ移動を開始する。
ハンドレページ V/1500は、一見したところ双発の大型複葉機のように見えるが、2基のエンジンがタンデム配置されているのが二組装備されているので、実質4発機である。史実では第1次大戦末期にベルリン空襲を実施したことで知られているが、この世界では円卓の努力によって既に量産配備が開始されていたのである。
ハンドレページ V/1500は、1番機の離陸に続いて離陸していく。その目標はダーダネルス海峡の砲台陣地であった。巡航で17時間飛行可能なこの機体にとっては、目と鼻の先の距離であった。
「目標上空に到達しました!」
「よぅし、派手にばら撒け! どうせ狙いなどあって無いようなものだしな!」
ダーダネルス海峡上空に到達したハンドレページ V/1500は、搭載した爆弾を投下する。その数は1機辺り250ポンド(113kg)爆弾30発。これが編隊を組んで絨毯爆撃するわけで、ダーダネルス海峡に構築された砲台陣地にとっては、災厄以外の何物でもなかった。連日連夜の空爆によって、ダーダネルス海峡の砲台陣地はほぼ無力化されたのである。
ダーダネルス海峡の砲台群を無力化しても、大量に敷設された機雷を処理しない限り、ダーダネルス海峡を通過することは不可能であった。しかし、両岸の砲台群を無力化したことにより、安全に掃海艇を運用することが可能となった。英国海軍は手持ちの掃海艇を根こそぎ動員し、さらに民間船舶まで徴発して人海戦術でダーダネルス海峡の掃海を進めていったのである。
この時の掃海に使用された掃海具は、オロペサ型係維掃海具であった。
史実では、第1次大戦中に英国海軍が開発した掃海具である。係維掃海具の元祖でもあり、係維掃海具のほぼすべてがオロペサ型の系譜に連なるものである。
史実21世紀においても、なお使われるくらいに完成度の高いオロペサ型係維掃海具であるが、この掃海具自体に機雷処理能力は無かった。機雷の係維索を引っ掛けて機雷を危険のない海域に移動させたり、掃海索に取り付けたカッターで係維索を切断して缶体を浮上させて、機雷を無力化するだけであり、機雷の処分は別途する必要があった。
機雷自体の処分は銃撃して爆発させるのが一般的である。
そのため、掃海艇には自衛も兼ねた機関砲が装備されていることが多い。この時代には、機雷探知機など存在しないため、機雷の発見は双眼鏡による目視が全てである。そのため掃海任務は命がけであり、ダーダネルス海峡の掃海でかなりの数の掃海艇が触雷により沈没することになる。
掃海部隊が命がけで機雷を除去しても、実際に安全を確認出来なければ意味は無い。そのため、実際に航海して安全を確認するのが試航船の役目である。
これらの船舶は一般の船舶を改装して用いることが一般的であり、触雷時に乗員を保護するための緩衝材の取り付けや、機関の遠隔操作化、浮力材としての木材の積載が行われているのであるが……。
「ふははははっ! 遂にわたしの時代が来たーーっ!」
ダーダネルス海峡を航行する一隻の船。
その船首で、やたらハイテンションな白衣を着た男が高笑いをしていた。
「危ないですよ博士!? というか、なんでそんなところで笑ってるんです!?」
「うむ、我が親友が天才科学者はこういう場面で高笑いするものだと言ってたんだ!」
一瞬、『あんたみたいな変人に親友なんていたのか』などと失礼なことを考えてしまった部下その一であるが、すぐに気を取り直す。
「そろそろ触雷の危険があります。ブリッジにお戻りください」
「むぅ、もう少し…って、痛い、痛いっ!?」
強引に部下に引きずられる男の名はジェフリー・ナサニエル・パイク。
史実では、パイクリートとそれを使用した氷山空母ハボクックを考案したことで歴史に名を遺した男である。円卓の一員である彼は、自身の発明の正しさを証明するべく、わざわざ戦場に出向いてきたのである。
「前方に浮遊物発見! 機雷です!」
「速度そのまま。左舵5度」
「右舷、触雷するぞ。総員耐ショック姿勢をとれっ!」
パイクス・ファニーズ号(Pyke's Funnies, 『パイクの愉快な仲間たち』)は、左舵をとりつつ、その横っ腹に触雷させた。衝撃で機雷の信管が作動して水面下で爆発、轟音とともに激しい水柱が上がる。
「各部、損傷チェック急げ!」
船長の命令で船内をクルーが走り回って損傷した部分が無いか確認する。
「機関異常無し!」
「冷却システム異常無し!」
「船内に水漏れ確認出来ず!」
「水面下の破孔はコンクリート部分のみです!」
しかし、損傷は極めて軽微であった。
パイクス・ファニーズ号はコンクリート船であり、極めて頑丈に出来ていた。しかし、あのジェフリー・パイクが考案した船がただのコンクリート船であるわけが無かった。
「水中セメントの準備終わりました!」
「よし、ダイバーを降ろして復旧作業を急げ」
実際、パイクス・ファニーズ号はただのコンクリート船では無かった。
コンクリートの2重船殻の間にパイクリートを充填することで、驚異的な抗堪性を獲得していたのである。
パイクリートは、重量比14%の木材パルプ(おがくずや紙等)と86%の水を混ぜ合わせて凍らせた複合材料である。通常の氷と比べ、熱伝導率の低さによる低融解性、パルプを混ぜたことによる高強度、高靭性などの特性を持つチート素材である。
パイクリートがチート素材と言われる所以は、その強度にある。
氷とコンクリート、パイクリートの強度は以下の通りである。
氷 コンクリート パイクリート
圧縮強度[MPa] 3.447 17.240 7.584
引張強度[MPa] 1.103 1.724 4.826
比 重 0.910 2.500 0.980
圧縮強度は、コンクリートが優位であるが、引張強度ではパイクリートが勝っている。さらに比重は氷よりもやや重いとはいえ、1以下であるため単体で水に浮くほど軽い。問題は氷であるために常温下では溶けるリスクがあることであるが、0℃から溶け始める氷に対して、パイクリートの融点は15℃であり、寒冷地帯で使用するには問題にならなかった。
-15℃以上で負荷をかけ続けると、たわんでしまうために寒冷地以外での使用には常時冷凍設備の使用が必要となるのが欠点であった。しかし、コンクリート船は断熱性の高いコンクリートを使用しているため、さほど冷凍設備を稼働しなくても低温の維持が可能であった。これに加えて、コンクリートに不足している引張強度をパイクリートが補う、いわゆるパイ筋コンクリートとでも言うべきものとなっており、銃撃や小口径の砲弾程度ではびくともしなかったのである。
やがて準備が出来たのか、ダイバーが水面下の破孔に手際良く水中でセメントを充填していく。
この水中セメントもパイクの発明であった。通常のセメントは、水の中では拡散してしまうため、施工にトレミー菅を使用するなど工夫する必要があった。そういった不便さを解消するために、史実では水中不分離性コンクリートが実用化された。
水中不分離性コンクリートは、セメントに水中不分離性混和剤を添加したものである。水中不分離性混和剤は、一般的に増粘剤と呼ばれる水溶性高分子であり、自然界にも多く存在している。親友にそういう物があると聞かされたパイクは、その変態的な頭脳でゼラチンやデンプンなど、片っ端から試して遂に水中でも溶け崩れないセメントを実用化したのである。
なお、ゼラチン確保の段階でうなぎのゼリー寄せが候補にあがり、必要量を確保するためにテムズ川のうなぎが乱獲されて絶滅が危惧されたのであるが、幸いにして杞憂に終わっている。
パイクの発明した水中セメントは、史実のような超速乾性では無いので一度触雷すると、破孔に重点したセメントがある程度固まるまで丸一日は動けない欠点があった。
船体そのものは内側のコンクリートで維持されているため、航海することは可能なのであるが、固まるうちに無理やり動くと充填したセメントが剥離してしまう恐れがあった。そうなると海水に直接浸されるパイクリートが溶けてしまい、機雷に対する抗堪性が低下してしまうため、緊急時以外はその海域に停泊することが一般的であった。
『こちらパイクス・ファニーズ号。触雷したが損害は軽微。位置は……』
停泊中に船長は触雷した場所と時間を無電で報告する。
ダーダネルス海峡のあちこちで同様の光景が展開されていた。パイクが開発したパイ筋コンクリート船は、あろうことか量産されてダーダネルス海峡を縦横無尽に航海していたのである。
触雷した情報は集約整理されて、ダーダネルス海峡を航行する船舶に対して情報提供された。完全な掃海には未だ時間が必要であったが、これらの努力によりある程度の航海の安全が確保されたのである。
ダーダネルス海峡を地中海遠征軍が通過し始めると黙っていられないのが、守備を任せられていたオスマン帝国第5軍団であった。6個師団からなるオスマン帝国最精鋭部隊は、塹壕を深く掘って英軍の空爆を凌いでいた。彼らは英軍が上陸するのを手ぐすね引いて待ち受けていたのである。
しかし、彼らの期待は裏切られた。
制空権、制海権ともに連合軍のものであり、ダーダネルス海峡の航行が可能であるならば、敢えて上陸作戦を実施する必要は無いのである。初期の空爆によって、砲台陣地と重装備を無力化された彼らに出来たのは、海峡を通過する地中海遠征軍を見送ることのみであった。この艦隊がイスタンブールを目指していることは明白であり、慌てて後を追ったものの彼らが到着するころには、全てが終わった後であった。
「それにしても、あの煩いカエル喰いどもがいないのにはせいせいするな」
「まったくです。おかげで余計な横やりを入れられることもありません」
「あいつらの意見を採用したら、今ごろ我らは壊滅していたでしょうな……」
艦隊旗艦『オーシャン』のブリッジでは、サックヴィル・カーデン提督とその幕僚たちが雑談していた。
イアン・ハミルトン大将を総司令官とする地中海遠征軍の内訳は、英国自治領オーストラリアとニュージーランドからの志願兵よりなるオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)と英軍第29師団、英国海軍師団である。
史実ではフランス軍も参加していたのであるが、今回の作戦に不服であったため参加は見送られた。その結果、英軍のみの作戦となってしまったのであるが、指揮統制が明確になったことでやりやすくなったことも確かであった。
(あとは、あの船がどれだけ役に立つかだが……)
カーデンは、ブリッジから双眼鏡であらためて視認する。
その船は、自身の座乗する前弩級艦よりも小さく、船体に比して浅い喫水のせいか、不必要に揺れているように見えた。
以下、今回登場させた兵器のスペックです。
ハンドレページ V/1500
全長:19.51m
全幅:38.41m
全高:7.01m
重量:8000kg(空虚重量)
:14000kg(最大離陸重量)
翼面積:260.0㎡
最大速度:159km/h
実用上省限度:3350m
飛行可能時間:17時間
武装:ヴィッカース機関銃×3(機首、胴体、尾部) 250ポンド(113kg)爆弾30個(主翼)
エンジン:ロールスロイス イーグル8 水冷エンジン 375馬力 × 4
乗員:8~9名
第1次大戦末期にベルリン空襲に投入された4発爆撃機。
この世界では円卓技術陣の努力により大戦序盤から量産配備。
オリジナルとの相違点は、ルイス機関銃の代わりにヴィッカース重機を装備していること。
パイクス・ファニーズ号
全長:93.0m
最大幅:13.8m
喫水:7.6m
速力:10kt
主機:三連成レシプロ機関 1100馬力
円卓メンバーであるジェフリー・パイクが開発した掃海海面の安全を確認する試航船。
なお、船名を和訳すると『パイクと愉快な仲間たち』号となる。
コンクリート製の二重船殻の間にパイクリートを充填し、冷凍設備によって凍結させているのが特徴。
コンクリートに不足している引張強度をパイクリートで補う、いわゆるパイ筋コンクリート構造により、銃弾や小口径の砲弾は言うに及ばず、水面下における機雷や魚雷の爆発も小破で済んでしまう驚異的な抗堪性を獲得している。
パイクリートを凍結させ続ける必要から、常時冷凍設備を稼働するために燃料を消費するのが難点であるが、分厚いコンクリートは断熱性に優れており、当初想定されたほど燃料は消費しなかったようである。
冷凍設備とエンジンを除けば、水とパルプとコンクリートで船体は作れるため、作る手間を度外視すれば非常に安く作れる船であった。
ダーダネルス海峡の掃海のために大量に建造されたが、戦後は維持費の問題で大半が漁礁や防波堤にされた。
英軍のみでダーダネルス海峡を突破してしまいましたw
煩いフランス軍がいないので、イスタンブール攻略も捗ることでしょう。
東部戦線で使おうと思っていたジェフリー・パイクとパイクリートが何故かこんなところで出てきました。
ステレオタイプなマッドサイエンティストなので、筆者的にはすごく動かしやすいです。
今後も大いに暴れまわってくれることでしょうw
ギリシャの扱いは正直悩んでいます。
密約でスミルナ=イズミル周辺を戦後割譲するのは史実通りです。
というか、ギリシャの近代史を見てみたら暗殺とクーデターと王政廃止と復古の繰り返しで、こんなんどう扱えば良いのやら…(困惑




