策謀
「じゃ、じゃあそろそろ帰ろうか…」
苦笑いを浮かべながらそんな言葉を口にしたのは涼だった。
ヲタクが普通か否か討論及び恋愛上級者(二次元の受け売り)の格言によって、お昼の賑やかなファミレスの一席は一気に険悪な雰囲気に包まれることになり、デザートを頼んだ涼と慧は注文の品が来るなり音速の速さで平らげて帰り支度をしていた。
この険悪な空気を作り上げた当事者である烈は明らかに気を遣っている姉と親友に申し訳ないと思いつつ、自分のことは棚に上げて暴言を吐いた史上最凶のラスボスに睨みを利かせていた。
「じゃ、じゃあ…会計をしてくるから…」
「待って…!」
そう言ってレジへ向かおうと立ち上がった涼の腕をグイッと掴んで止めたのはこの後味の悪い空気を作り上げた当事者のもう一人である一二三だった。
「…お会計ならもう済ませてあるわ、だから涼は払わなくていいの」
「えっ…!!??」
いつの間にそんなスマート紳士なことをやり遂げたのか、一二三の言葉に烈は思わず驚きの声を上げる。
「あ〜…やっぱりさっき払っちゃったんだね…。相変わらず“そういうの”気取らせないというか」
涼はどうやら勘づいていたようで一二三を少し悩ましげな顔で見つめながら席に座りなおした。
一二三と食事をするとよくあることらしく、色々と言いたげではあったが涼はそれ以上その苦言を口にすることはなかった。
「い、いつの間に…」
烈はついさっきまで争っていた敵である一二三に思わず感心の念を送ってしまう。
が、やたら嫌味っぽく次の言葉を述べたので烈はその念をすぐさま撤回した。
「フッ…これくらい“普通”のことよ。如何に気づかれないように支払い済みにするのはスマートな嗜みよ…!」
「いや、一二三さん…。それ、本当は男が女性に対してした方がいい気がしますけど…」
一二三の言葉に慧が思わずツッコんでしまう。
まあ確かにスマートではあるけれど、その手のやり口は男が女を食事に誘った時によく見かけるパターンである。
女性が男性にするなんてよっぽど気取ってる女なのかか、はたまたよっぽど経済力ない男なのかを露呈してしまったような気がするが今日はその両方、といったところだろうか。
4人とも学生なのだから別に気にすることないが、少々居た堪れない。
「…ん?てか、一二三が全額払ったのか…?」
「ええ、そうよ」
烈の一人言のような小さな疑問を聞き逃さなかったように一二三は即答した。
「フフフッ……。今日は私の奢りよ!」
「ちょっと…一二三!?」
烈に向けて不敵な笑みを向ける一二三に烈は嫌な予感を感じてゾッと血の気が引いたが、一二三の発言に物申したのは一二三のお隣に座る涼だ。
「一二三、さすがにそれはダメだよ…。私が半分出すから!!」
涼が怪訝な顔で一二三を見るなんて滅多にないので烈はもちろん、一二三も少し驚いているようだった。
というより、こんな破天荒な暴君を前にしても涼はいつも盲目なのかと思う程、一二三に甘い。
烈はそれを常日頃、疑問に思っていたが何故なのか今さら聞きにくかった。
そもそも涼は性格上、助言をすることはあっても相手の意見に真っ向から反対することなんて殆どない。
本当に完璧な王子様だと思う一方、どうしてその素晴らしい性格を一年後に生まれる弟に残してくれなかったのかと悲観してしまう。
「俺もそういう性格だったらモテたかな…」
「馬鹿ね。烈がその性格だったら“ただのいい人”よ。この見目麗しさに付随してるからモテるだけで、女々しい少年がそういう性格だったらただのモブにしかならないわ」
少しくらい夢を見させてくれてもいいのに一二三は半笑いして烈に現実を突きつけてきた。
「それに性格は環境による影響が強いから遺伝要素は薄いわよ」
「環境って、俺は涼の弟なんですけど…」
「同じ環境にいてなんで貴方は捻くれてるのかしらね」
「多分絶対確信的に一二三の影響じゃないかなぁ!?」
烈は半眼して一二三を睨みつける。
が、それを物ともせずに一二三は薄く笑って烈を見つめていた。
「一二三、話をズラさないで!」
そんな烈と一二三の応酬に割って入り込んできたのは涼だった。らしくない声の荒げようにその場に同席した全員が些か驚きを隠せない。
「今日は烈と慧くんの晴れの日なんだよ?それなのに自分だけで支払っちゃうなんて….!!」
どうやらいつもは先に一二三が払っても後で割り勘にするらしく、一二三が“私の奢り”と高らかに宣誓したことに涼は憤っているようだった。
そんな涼の言葉に一二三はまるで天使のような微笑みを向けて“お願い”をする。
「ゴメンね、涼。今日は“どうしても”私が払いたかったの…」
何故、この幼馴染は烈と涼に対してここまで態度が違うのかと思う。
ここまで分かりやすいならいっそもう清々しさすら感じてしまうが、だからと言ってこの七変化を受け入れられる程烈はまだ大人ではなかった。
「でも一二三。今日は4人分だし、さすがに値段が…」
一二三のお願い攻撃にめっぽう弱い涼だが、たじろぎつつも崖っぷちで踏みとどまって切り返してくる。
内容はただ“奢るか奢られるか”だけの話なのに、いつも2人が言い争ってるイメージがないので、見ているこっちがハラハラしてしまう。
しかし、烈と慧はどちらにしても奢られる側なのでここは大人しく様子を伺うことしかできなかった。
「気にしないで…って言っても涼は気にするだろうけど、安心して…?」
「いやいや…」
当たり前だけれども涼はやっぱり納得しなかった。
すると一二三は少し困ったように眉をひそめながら一つ嘆息するとまるで秘密結社の司令官のように急に両肘をテーブルに乗せ、同席する3人に目配せて言葉を紡ぐ。
「フッ…まさか、ここにきて涼に作戦を崩されるとは思ってなかったわ」
「「「作戦…???」」」
突然の告白に思わず司令官役以外の3人からユニゾンで同じ言葉で疑問を呈してしまうと一二三はクスッと小さく笑って口を尖らせる。
「もう…涼のせいなんだから」
その声音と表情は小悪魔ように魅惑的で烈は思わずドキッとしてしまった。
本性を知っててもこの威力だ。
恐ろしいったらありゃしない。
思わず隣の親友に視線を向けると慧もアテられてしまったのか少し顔が赤かった。
「ご、ごめん…」
そして何故か謝った涼も顔を赤らめていた。
「ちょっ…作戦ってなんだよ」
烈は冷静さを取り戻すように頭を横に振り一二三に鋭く投げかける。
この少女が何やら陰謀めいたことを仄めかしているのだから放っておく訳にはいかない。
「何…興味あるの、烈?」
「断じて興味ではないわっ!!」
クワッと目を見開いて即座に否定し唸るような声を上げる。
「一二三の思い通りにはさせないってこと!」
「あら、冷たいのね」
牙を剥いて威嚇している烈をしれっとした様子で返す一二三。
「ま、いいわ。今回は貴方は見逃してあげてもいいし…」
「はあ…??」
更に重なる意味の分からない言葉に烈は思わず抜けてた声を上げてしまった。
そんな烈を無視して一二三は残り2人に真剣な眼差しを送る。
一二三のそんな様子は今まで見たことなかった。
「2人にお願いがあるのよ!!」
「「お願い…?」」
烈と一二三の応酬に口を挟めなかった涼と慧だったが、ここにきて一二三から矢を向けられて先程と同様に声をユニゾンさせた。
「そ、お願い」
ニッコリと満面の笑みを浮かべて一二三はその眼鏡を煌めかす。
その瞬間、烈はなんだか嫌な予感がして身震いした。
“こういう時”の一二三のお願い事っていうのは今までの経験上、碌なお願い事じゃなかったからだ。
そしてその予感はやっぱり的中してしまう。
「2人に…とあるコスプレをして欲しいの…!」
その声は思ったよりも店内に響いてしまったようで、周辺の客が一斉に注目する。
もちろん、その声に同席していた3人も驚いて唖然とした表情をしている。
だが、だんだんと言葉の意味を理解した烈は先に周囲に聞かれたと思い、羞恥で顔を赤くしたがその後ゆっくりと青ざめせて思わず叫ぶ。
「は、はあぁ!!??ふざけんなっ…誰がするかよっ!!」
言うまでもないがこの声も店内に響いてしまったので周辺の客から更に注目を浴びていたが、あまりの拒絶反応に烈は全く周りが見えていなかった。
「……誰も貴方に頼んでないわよ、烈」
一二三はさっきの話を聞いていなかったのか、と非難めいた視線で烈を見下す。
「俺はもちろん死んでもしないわっ!!だけど、涼はともかく慧にまで頼むとは何様のつもりなんだよっ」
「何様も何も…今日のランチ、私が払ったのよ?」
「ぐっ……」
それを言われてしまうとぐうの音も出なくなる。
かと言って、今更払うなんて思っても恐らく一二三は受け取るつもりなんてない筈だ。だからこその“お願い”なのだから。
「えっ…と、つまり今日のランチを奢る代わりにコスプレして欲しいってこと…?」
「ええ、そうよ」
口を挟むように涼は一二三の要望を要約してもう一度確認を取り、一二三は即座に応じる。
「約1ヶ月後に少し大きめのイベントがあるの。今回、初めてサークル参加することにしたんだけど1人じゃ心細いし、どうせならコスも見たいから2人にはコスして売り子でもして貰おうかなと思って」
正直、烈にはよく分からない単語もあったが非ヲタ的センサーで何だかヤバめのことをやらされそうな感じだった。
「いいけど、私もそのイベントは周るつもりだから売り子の時間は短くなっちゃうよ…?」
「いいの!私が回収に行く間に番をしてくれたらいいし、その為に慧くんも誘ったんだから」
「それならいいよ!」
どうやら涼は既に行く予定だったらしくコスプレをすることもあっさりと快諾してしまう。
恐らくだが、これで姉の新しい世界が開拓されてしまっただろう。
この状況に烈は思わず脳を眩ませてしまい、世界を暗転しかけていた。
「慧くんはどう…?」
「俺もイイっすよ!」
「うおぉいっ!!??」
姉の新たなヲタ要素出現に頭を悩ませていた烈だったが、アッサリとコスプレを承諾した親友に烈は思わず意識を再起動させて叫ばずにはいられなかった。
「今日のお昼美味しかったですし!」
「ファミレスだからいつも美味いだろっ!!??」
あっけらかんとした様子の慧を必死に止める。
「お前っ…そんな簡単に承諾すんなっ!!何やらされるか分かってんのかっ!!??」
「えっ、コスプレでしょ…?」
「あぁ〜…そうだけどっ」
もう本日何度目かも分からなくなってきた開眼ツッコミに少々嫌気を感じながら烈は嘆息する。
「お前、ヲタクになる気なのかっ!!??」
焦燥で汗を滲ませながら烈は慧の肩を大きく揺らしたが、当の本人はアハハッと笑うばかりだった。
そんな2人を見守っていたこの要望の提案者がクッと小さく笑って口を挟む。
「コスプレしただけで“ヲタク”と決めつけるとは笑止!」
その声に思わずムッとして烈は自分の斜め前に座る人物を睨む。
だがそれに怯む訳もなく、悪巧みを思いついた為政者のようにその眼鏡をクイッと上げて鼻で笑う。
「それに…貴方には頼んでないんだから、関係ないでしょ」
「関係あるわっ…2人共俺の関係者だろ!!」
長年勝てなかった史上最悪の敵に睥睨されて怯みながらも烈はラスボスに対応する。
「自分の都合を押しつけんなっ」
「押しつけてなんかいないわ。私は“お願い”しただけよ」
頼まれた当人たちを放ったらかしに再び熱い論戦が繰り広げられる。
「それに…2人共“OK”してくれたんですもの。これ以上は無意味よ!」
「……っ!!」
言葉を詰まらせる烈にこの間を取り持つように涼と慧が苦笑気味に言葉を掛けた。
「まあまあ落ち着いて…」
「烈、俺は嫌々やる訳じゃないんだからいいじゃねぇか!」
そう言って慧はポンポンと烈の肩を叩く。
「コスプレなんて楽しそうじゃん!!」
「お前…ホント楽観的だな……」
すっかり疲れてしまった烈を余所に慧は豪快に笑う。
烈としては出来ればこれ以上の周囲のヲタク浸食を食い止めたかったが、本人がそう言ってしまったらもうどうしようもならない。
「2人共ありがとう。こんな風に快諾してくれて今日のランチを企画した甲斐があったわ」
「なっ……」
波打つツインテールを揺らして喜び溢れる少女の言葉に烈は思わず絶句する。
まさかこの昼食会の主催者も一二三だったのだ。
どういうことか姉に視線を向けると少し困ったような顔で涼はその視線の疑問に答える。
「2人の入学祝いも兼ねてご飯に行こうって言ったのは一二三なんだよ。まさかこういうお願いがあるとはね」
そう言って肩を竦める。
「でも、言ってくれたら断ったりなんてしなかったのに…」
違う…そうではないのだ。
姉の言葉に烈は内心冷や汗を流す。
一二三の最終目的は恐らくこれに乗じて烈をヲタクに引き込むことだ。
姉と親友が目の前で承諾したことに加え、今日のお昼代を大義名分に“貴方はしてくれないのかしら?”と暗に匂わせているのだろう。
けれどここで屈するわけにはいかない。
ここで折れてしまえばそれこそさっき指摘された通り、絆されて承諾し調子に乗ってしまうことになるのだ。
だが、そこまで考えてふと思う。
一二三は何故そうまでして烈をヲタクにしたいのだろうか、と。
こんなに断っているのにそれでもしつこく勧誘してくる理由はなんなのか。
今まで断ることに精一杯でそこについて言及することは考えていなかった。
ふと一二三に視線を向けるとそれに気づいた一二三がニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「あら、烈もお礼をしてくれるのかしら?」
「れ、礼は言うけど俺はコスプレはしないっ!!」
「頑なねぇ…」
一二三はそう言って苦笑していたが、こちらの思いにはどうやら気づかなかったようだ。
「どのコスプレをするかはちょっと待って頂戴。まだ検討中なのよ」
「いいよ、了解」
「分かりました〜!」
爽やかに笑う次期コスプレイヤー2人は本当に何も考えてなさそうだ。
「ったく…楽観主義者はいいな、呑気で」
烈は皮肉を込めて2人に言ったが、当の本人たちは気にも止めていない。
「楽しそうだからいいじゃん!!」
「烈もしたらいいのに…」
それどころかそんなことまで言う始末である。
「やらんわっ!?急に勧誘すなっ」
油断していると姉のポジティブなヲタクアピールが始まってしまう。
よく考えたら姉がヲタク勧誘することも正直謎が多い。
一二三と違ってこちらは聞きやすいので後で聞いてみてもいいかもしれない。
「そしたら2人共、この日は必ず空けといてね。詳細はまた後日」
一二三のこの言葉でこの会は幕を閉じることになった。