プロローグ
日曜日。
休みの人も休みでない人もいるとは思うが、大抵朝っていうのは穏やかで静かな始まりの方がそれっぽい。
遅刻しそうになってバタバタしたり、何もないからダラダラしたりなんてやりがちではあるが、朝日が昇る頃に起きて朝食を食べながら少しのんびりコーヒーなんて理想中の理想である。
だが、仮世家の日曜日の朝は静かになんて始まらない。
大音量のテレビから流れるカッコよく決まった音楽と効果音、そして決め台詞。
『……今日も始まるぜっ!!スーパーヒーロータイム!!』
「始まった、始まった!!」
お決まりの流れで始まったヒーロー物語にホクホクと嬉しそうな顔で画面の前のソファーに正座して見ている様子がキッチンからよく見える。
年頃の16、17で髪型は前下がり気味のボブショート。中性的な顔立ちではあるが列記とした少女。だが、少女というより静かな朝焼けのような爽やかな雰囲気の美少年みたいである。
日曜朝のヒーローものといえば彼これ40年近くの歴史が流れているが、基本的にこの番組の視聴者は幼少期の子供、そしてその年代の子供を持つ親世代である。
少なくとも青年期に入り始めた少女が見るものじゃない、と思う。
だが、仮世家の長女は高校生となった今でもこの番組を毎週欠かさずに見ているのだ。
ヒーローものだけではない。
アニメやマンガ、ゲームなど謂わゆる二次元物に仮世家の長女、仮世涼は好むになった。
世に言う“ヲタク”と呼ばれるものになってしまっている。
「……暇だね、涼」
そんな彼女を不満と呆れ顔でキッチンから眺めているのは同じ年頃合いの少年だった。
テレビにかぶりついている少女と血を分けた姉弟であるが、姉に比べると残念ながらこちらの容姿はごくごく普通で少々女っぽく、声色もこの頃の青少年にしては少し高めなので余計に男っぽさが抜けている印象を受けていた。
「コレを見なきゃ日曜は始まらないよ!烈もハマったらいいのに…」
「ハマんないよっ!?コレを見なくても日曜は始まるし……大体、こんなの見てる女子なんて涼ぐらいだと思うけど?」
そう叫んだ烈と呼ばれた少年は冷蔵庫から卵と牛乳を取り出して作業台に置く。
烈はヲタク化してしまった姉に度重なる侵略という名の二次元推しをなんとか逃れながら一緒に暮らしている非ヲタ側の人間だ。
アニメやマンガが嫌いという訳ではないが、姉のようにそこまでのめり込む程好きなものも無いし、とある理由からヲタクになることを恐れていた。
そんな弟を余所に気軽に爽やかに勧めてくる姉は烈にとって二次元の世界へと誘う魔王の手先のようだった。
しかし本人に悪意がない故、余計に性質が悪いし、皮肉と悪態をついて断っても断ってもめげることなく推し続けてくるので、烈のここ近年の頭の悩ませどころである。
烈としては出来れば姉のヲタク化を止めたいし辞めさせたいがどうにも儘ならず、この攻防は一進一退を繰り返すばかりであった。
「…まあ、同い年の子ではあまり見かけないよね」
「『あまり』じゃない、『全然』でしょうがっ!!」
弟の心からの嘆きの叫びにテレビから目を離さずして囁くように呟く姉に対し、烈は間髪入れずにツッコミを入れた。
「本当はショーも観に行きたいくらいなんだけどね。さすがにお子さんが多いからな〜」
「…もう、そうなったら俺は涼との縁切りを検討するからな!?」
実の姉のとんでもない発言に烈は冷や汗を滲ませながら訴える。そんな羞恥心のないようなことだけは血縁者として勘弁願いたい。
出来れば見るのもやめて欲しいとどれだけ星に願ったことか。
「縁切りって…そんな大袈裟な」
苦笑しながらもテレビの中のスーパーヒーローに魅入っている姉は弟の本気の言葉を冗談のように受け取ってしまっている様子だった。
「烈だって前は一緒に見てたじゃん?」
「『前』っていつの話だよっ!!小学生とか幼稚園くらいの時だろ!?」
「ん〜…でも、見てたじゃん?」
「見てたけども!もう10年前のことだからね!?最近まで見てた風に語るなよっ!!??」
渋いお茶を一気飲みしたような表情で睨む烈を一瞥することなく、はいはい、と聞き流していく少女。
思春期というこの微妙な時期に実姉がヲタクな上、それを隠す気配すらなく世間一帯に見せびらかされたら思春期男子の繊細な魂は罅どころか粉々に砕け散ってしまう。
そう思えるくらい恥ずかしいということをこの人はいつ理解してくれるだろうかと烈は常々思う。
そして今からの時間は戦隊ヒーローもの、仮面ヒーローもの、幼女向けアクションもの、少年マンガ原作アニメとリビングのテレビを3時間近く占拠されることとなる。
別に何か見たい番組があるという訳でもないし、毎週毎週のことなのでそこにツッコミを入れることは諦めたが、姉はこのままだと飲まず食わずで3時間の時を経過させてしまいそうだ。
さすがにそれは家族として心配になる。
烈は温めたフライパンに卵を落としながらリビングの方に声を掛ける。
「…ったく、テレビ見るのもいいけどさ、ちゃんと朝飯食べろよ?」
「うん、分かってる…」
虚ろげな声で生返事を返してくる姉はもう完全にテレビに意識を飛ばしてしまっているようで、恐らく全然分かっていない。
テレビの中ではカラフルな戦士達が地球を守るために奮闘している様子が見える。
「はあ〜…」
思わず大きな溜息を吐きながら、烈は手元の作業を続けることにした。
この調子だと今日の姉の最初の食事は朝食ではなく昼食になってしまう。
急いで作って姉の前に置いておけばCM中に食べてくれるだろう。
「…なんだかんだ言っても姉弟だからな…」
ムカつくことも呆れることもあるが、やっぱり心配は心配なのだ。
「俺に実害さえなければ涼の趣味にここまでとやかく言うつもりはないけどね。あと、ペラペラと公の場でヲタク話に花を咲かせなければ…!」
憤然と苦言を呈してはいるが彼女にこの声は届いていない。
フィクション世界の戦士には悪いが、出来れば姉をそちらの世界から是非とも救って頂きたいものである。
「聞いちゃいないだろうけど言っとく。俺は絶対にヲタクにはならんからなっ!!」
烈はビシッとリビングに向けて宣誓をするが、その声はテレビから響き渡る爆発音にかき消されてしまうのであった。