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beloved ZONE  作者: 鶏の唐揚げ
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【六】

【六】


 一ヶ月の活動停止処分を終え、活動を再開したサッカー部に激震が走った。それは、活動停止処分の原因になった恋を完膚無きまでに叩き潰した、帰宅部雪村柊人の入部だった。

 もちろん恋はそのことを良く思わず、柊人を釜田が部員に紹介する間も、柊人が部員に挨拶する間も一切視線を向けなかった。そして、部員達は不審感を抱くものの、形式的に挨拶を終えた柊人に疎らな拍手を送った。

 早速鴨池のランニングを終え、AチームとBチームに分かれたサッカー部はそれぞれ練習を始める。

 入部したばかりの柊人はBチームの練習に参加し、目の前でニコニコとしている李々香に訝しげな表情を向ける。そして、李々香が投げたボールを右足のインサイドキックで返しながら、一緒に言葉を返した。

「春海、なんで俺を見てニヤニヤしてるんだ」

「え? ニヤニヤなんてしてないけど?」

「してるだろ、俺を見て笑ってる」

「だって、やっとサッカー部に入ってくれたから」

 満面の笑みで言う李々香に、柊人はばつの悪さを感じる。このばつの悪さ、顧問の釜田に入部届けを持っていったときにも感じた。

 入部届けを持っていった柊人に向かって釜田は、人の悪い笑みを浮かべて「ついに折れたか」と言ったのだ。釜田は李々香が柊人を部活に誘っていることを知っていて、それで二人のことを放置していた。しかし、そう言った釜田はすぐに真面目な顔になり、活動停止になった一件に対して柊人に謝罪した。

 釜田は柊人のやったことを、李々香を助け、更に自分の頼みを聞いてくれたと取った。しかし、柊人は釜田の頼みを聞いたとも思っていないし、取った方法は間違っていたと思っている。そんな柊人に謝罪した釜田は、それと一緒に「もうあんなことはするな」と釘を刺した。

「そういえば名前、李々香でいいって言ったのに」

 過去のことを思い起こしている柊人に、前で両頬を膨らませた李々香が不満げな表情で言う。その李々香の言葉を聞いたBチームの面々が一斉に李々香と柊人に視線を向ける。

 李々香は、見た目は清楚で可愛らしい。サッカー部という部活に所属していることに違和感を抱くほどの美少女だ。だから、少なからず李々香に思いを寄せる部員は居る。それに、一時期付き合っていた恋と別れたのは、先日のやりとりで明白で、その後を狙う者は大勢居る。そして、部内で李々香を名前で呼ぶ部員は、恋と李々香が別れてから一人も居ない。

 そんな状況での、李々香の言葉だ。そういう者達を動揺させるには十分な言葉だった。

「別に春海で良いだろ。元々、春海が俺を敬称がない呼び方にしたのも、試合中に敬称を付けてたら呼びづらいからだっただろ。呼びやすさだったら春海の方が呼びやすい。春海の名前は大声で呼ぶと噛む」

「そ、そうだけど!」

「ほら、次は春海の番だろ」

 今度は柊人がボールを手に持って李々香のウォーミングアップを手伝う。

 周りで見ているBチームの面々からすれば、当然のように李々香のウォーミングアップ相手になっていることも羨ましい。以前までは、李々香以外の部員で決めたローテーションに従って相手を務める部員が決まっていたからだ。これからはそのローテーションが崩れることになる。

「で? 練習はどんなことをしてるんだ?」

「先生が居ない時はキャプテンが考えるって言う所はAとあまり変わらないんだけど、Bが使えるゴールはあれ」

 李々香が指差した方向を見ると、塗装が剥がれた錆だらけのハンドボール用ゴールが置かれている。しかも、それにはゴールネットが張られておらず、枠だけしかない。

「……俺にはゴールは見えないんだが?」

「あのサビサビのハンドボールゴールの後ろにフェンス型の防球ネットを置いて、ボールを受け止めるの」

「……後ろは分かるがゴールのサイドはどうするんだ」

「ボールがサイドを抜けたら走って取りに行ってる」

 李々香の返答に柊人は露骨に眉をひそめる。

 第一中のサッカー部にはAとBに圧倒的な差がある。それは試合に出られる出られないの差以外にも、こういった設備の格差もある。

 柊人が使っているボールも、外側のスベスベとした革が剥がれ、ざらざらとした中地が見えてしまっている。それに加え、もう随分と古いためか、一定以上の空気しか入らず、酷く柔らかい。

「これなら、自分のボールを持ってくれば良かった」

「それは止めた方がいいよ。先輩達が良く思わないから」

「めんどくさいな……」

 柊人はサッカーを練習するためにサッカー部に入ったのに、入った部はまともにサッカーが練習出来る環境ではない。Aチームに練習をさせるために、Bチームは満足な練習環境が与えられてはいないのだ。

 これはもう随分昔からある、第一中サッカー部の伝統という名の負の遺産だ。そして、その伝統を乗り越えてAチームに上がった人間ばかりだからこそ、Aチームの面々はBチームに対して整った設備や良い用具での練習をさせたがらない。それもこのサッカー部の問題だ。

 ウォーミングアップを終えた柊人は、Bチームの二年が決めた練習を行う。その練習とは、ドリブルで持ち込んでシュートを打つ。たったそれだけだ。でも、その練習で、柊人は周囲に嘲笑を容赦なく浴びせられた。

 フェイントを混ぜない、ただのドリブルからのシュート。しかし、ボールは枠を捉えきれず後ろへ飛んでいく。

「外したボールは自分で取りに行け、下手くそ」

 後ろから聞こえる先輩の声に、他の面々から笑い声が上がる。それに対して何かを言おうとした李々香の肩に手を置いて、柊人は李々香を制した。

 そして、次に行った練習で、柊人を嘲笑していた全員が地面に倒れ込むことになった。

 練習方法は単純。マーカーで作った範囲の中でボールを取り合うボールキープの練習。その練習で、柊人は誰一人にもボールを取られなかった。

 ムキになって追い回す部員をフェイントと細かいボールタッチでかわす柊人。それに更にムキになって追い掛ける部員。しかし、必ず追い回す方の部員が疲れ果ててギブアップした。

 今は李々香と柊人が対戦している所で、李々香は何時も柊人と練習しているからか、他の部員よりも粘る。しかし、他の部員と同じくボールを奪取出来ず、ついに膝に両手を突いてギブアップした。

 練習の間に休憩が入り、水分補給をした柊人は、誰も使っていないゴールに向かってシュート練習をする。そして、その練習にディフェンダーとして李々香が参加する。

 端から見て異常な光景だった。圧倒的なテクニックで李々香を抜き去る柊人が、ゴールに向かって放つシュートはことごとく外れる。圧倒的なドリブルテクニックと、乏しい決定力、そのアンバランスさは異常としか言えなかった。

 柊人は外れるボールを見て、そのボールを取りに行きながら、心の中でどんどん落ち込んでいく。やっぱり、対人になると格段にシュート精度が落ちる。

「柊人、練習だから気楽にやろう。肩の力抜いて抜いて!」

「ああ、ありがとう」

 優しく肩を叩く李々香にそう言いながらも、柊人は自分の足元にあるボールに視線を落とした。


 部活の時間も後半になり、釜田がAチームとBチームを合流させる。Bチームの後ろの方で釜田の方を見ていた柊人は、深くため息を吐いた。

 柊人もたった一日練習に参加しただけで、自分の決定力不足が克服出来るとは思っていなかった。しかし、久しぶりに本格的な対人練習をして、その決定力の低さに自分で自分が情けなくなったのだ。

 精度重視の力を抑えたシュートを心掛けても、ボールが枠を捉えることは無かった。せいぜい、ゴールポストやクロスバーをボール一個分の距離で通り過ぎるくらいだった。

「今日はAとBを混ぜない。Bはポジションをみんなで話し合って決めろ」

 釜田はそう言って、チラリと柊人に視線を向けた後にAチームを集めた。

「じゃあ、ポジションだがワントップは春海だな。んで、トップ下には俺が入る」

 二年の先輩がまず先にそう宣言する。この先輩はBチームのキャプテンという位置づけの選手で、チラリと柊人に視線を向けた後、少し笑みを浮かべた。

大平おおひら先輩、なんで柊人はメンバーじゃ――」

「春海止めろ」

 メンバーの発表があった後、李々香がメンバーを決めた二年に尋ねる。それを柊人は止めるが、李々香の言葉を聞いた大平はフッと馬鹿にするような笑みを柊人に向ける。

「シュートが決められない下手くそを出しても勝てるわけないだろう」

 その言葉に、Bチームのメンバーからも笑いが起こる。それに拳を握り締めた李々香の肩を数回叩く。それには、柊人の「落ち着け」というメッセージが込められていた。

 ピッチに散っていく選手達を見ていると、隣に釜田が並んでくる。

「雪村はスタメンじゃないのか。大平は何を見てたんだ」

「シュートを決められない俺が居ても勝てないからだそうです。よく見てると思いますけど」

「全く、トラブルになるかもしれないとは思ってたが、ここまで露骨だとは」

「まあ、部員に向かってボール蹴った上に怒鳴りましたからね。そりゃあ、怒るでしょう」

 悪いのは、見て見ぬ振りをしていたサッカー部全員でもある。そう釜田も部員達に指導した。しかし、それを正しく受け止められる部員は、この反抗期真っ只中の年代には極めて少ない。そして、それは『怒られた』という出来事だけが残り、その出来事を起こした柊人は部員にとって良い存在じゃない。もちろん、その部員達の責任転嫁でしかない認識自体が間違っている。だが、どんなに間違っていることでも、圧倒的多数が持てばその集団の中では正しいことになってしまう。

「四―二―三―一、か」

 BチームとAチームのフォーメーションは全く同じ。まあ、同じ部内なのだから同じで当然だ。

 ディフェンダー四人、ミッドフィルダー五人、フォワード一人のこのフォーメーション、ディフェンダー四人は横に並ぶようなフラット型をとり、ミッドフィルダーは守備的ミッドフィルダーのボランチを二人、そして攻撃的ミッドフィルダーとして左右のサイドハーフ、中央にトップ下が入る。フォワードは中央にワントップ。

 このフォーメーション自体は珍しいものではない。それどころか世界で広く使われる一般的なフォーメーションだ。

 ミニゲームが開始された途端に、AとBの圧倒的な差を、柊人は目にした。開始して数分、Aチームが先制点を挙げた。容赦ない、恋を中心とした速攻。いくら絶対的な地位が揺らいだと言っても、その実力はまだ疑われてはいない。しかし、恋の方は苛立ちを浮かべ、サイドライン際でミニゲームを眺める柊人を睨み付ける。

 しばらくミニゲームを眺めていた柊人は、ボソリと呟く。

「フォーメーション変えた方が良いな」

 その発言に、Bチームのメンバーから「新入りのくせに」と声が上がる。その声を聞き流し、釜田が声を出した。

「雪村、理由を言ってみろ。全員、ちゃんと聞いておけ」

 ふと呟いただけの一言のつもりだった柊人は困った。しかし、顧問の釜田の指示だから仕方がない。

「Aチームは問題ないと思います。でもBの攻め方じゃ、今のフォーメーションじゃ、攻め方が合ってない。Bはさっきから中央突破をしようとしてます。でも、四―二―三―一は中央突破よりもサイド攻撃の方が合ってます。中央突破にこだわるなら四―二―三―一じゃなくて四―三―二―一の方がいいです」

 第一中の取っている四―二―三―一は、四―五―一に分類されるフォーメーションの一つだ。同じ四―五―一のフォーメーションには、柊人が言った四―三―二―一がある。このフォーメーションは単に守備的ミッドフィルダーを三名に増やしたフォーメーションではなく、“攻撃的ミッドフィルダー”を二名置いたフォーメーションだ。

 四―三―二―一は、第一中が使う四―二―三―一よりも、サイドに置かれる選手が薄くなる代わりに、中央に置かれる選手が増えて中央突破に向いている。だから、今中央突破にこだわっているBチームの戦略を考えれば、中央に選手の枚数が多い四―三―二―一の方が適している。柊人の呟きは、それから来ている。

「雪村が言ったことは正しい。うちの今のAチームにはサイドを走れるスタミナが多く足の速い奴が多い。だから四―二―三―一を取っている。だが、それはAだけの話だ。ちなみに雪村ならどうする?」

 柊人は釜田の問いに視線を返し、答えたくない意思を向ける。しかし、釜田はニヤッと笑うだけ。その笑みに、柊人は仕方なく言葉を発した。

「ちょっと手を加えるならさっき言った四―三―二―一ですね」

「かなり手を加えるなら?」

 ニヤニヤしながら追撃を掛けてくる釜田に、もう諦めの色を見せる柊人は口にする。

「俺が入って良いなら、三―四―一―二です」

「そのこころは?」

「AとBじゃ戦力差があり過ぎます。俺にはBの戦力が分かりませんけど、守備を厚くした方がいいのは確かです。抑えきれずに突破されて、Aのやりたい放題ですし」

 柊人の指摘に、一年の一人が声を上げる。

「バカじゃねえのか。四―二―三―一から三―四―一―二じゃ、ディフェンダーが一人減ってフォワードが一人増えてるだろうが。何が守備を厚くするだバ――」

「バカはお前だ」

 柊人をこき下ろしていた一年に、釜田が言葉を重ねる。そして大きなため息を吐いて、サッカーの作戦盤を引っ張り出して説明を始める。

「確かに四―二―三―一から三―四―一―二だと、ディフェンダーが一人減ってフォワードが二人に増えている。だが注目するのはそこじゃない。ミッドフィルダーの四の部分が重要だ」

 釜田は三―四―一―二の形に作戦盤のマグネットを並べ、四枚あるミッドフィルダーの横一列のラインを指した。

「この横に並んだ四人。おそらく雪村はこの四人の中盤からのプレッシングで守備を厚くして、奪った中盤からのショートカウンターを狙っているんだろう。それに見て分かるとおり、Bのワントップに入っている春海は潰されている。あの状況では得点は望めない、だからフォワードを二枚にしたのはそのためだろう。ちなみに雪村はどこに入る」

「左のセンターバックの先輩に変わってトップ下に。トップ下の先輩を左トップで春海は右。あとは左右のサイドハーフをウイングで、ボランチはセントラルにします」

 それを聞いた釜田は、ホイッスルを鳴らしてミニゲームを止める。

「ハーフタイム! Bは俺の所に来い」

 給水をしながら釜田の元に集まったBチームの面々は、前に立つ釜田に視線を向けた。釜田はさっき並べた作戦盤を見せて、全員に一言言う。

「フォーメーションを四―二―三―一から三―四―一―二に変える。春海はそのままフォワードの右に残れ、後は全員交替だ。もうサブの奴らにはフォーメーションについて説明はしてある。春海には雪村から説明をしておけ。ポジションは……」

 サブに残ったメンバーにそれぞれポジションを言い渡し、釜田はメンバーに呼ばれた全員に向けて言葉を掛ける。

「確かにBはAよりも総合力は劣る。個人個人の技術もな。だが、たまにはあいつ等の高くなった鼻をへし折ってやれ。Bに点を取られたら、あいつら絶対悔しがるぞ」

「「「はいっ」」」

 選手達に発破を掛けた後、急に声のトーンを低く落とす。その声に、その場に居た全員が震え上がった。

「それと、変な意地を張ってプレイしたバカはすぐに替える。全員チームメイト、一緒に戦う仲間だと言うことを忘れるな」

 その釜田の豹変ぶりに柊人は背筋に寒気を感じながら驚いた。日頃はニヤニヤ笑って人を食ったような感じの釜田が、脅すような重々しい雰囲気を放つなんて知らなかったからだ。

「春海、先生ってあんなに怖かったのか?」

 釜田がAチームの元に歩いて行くのを見て、小声で李々香に柊人が尋ねる。李々香は苦笑いを浮かべて頷いた。

「うん、怒ると凄く怖いよ。怒鳴り声はあんまり上げないんだけど、静かな分凄く怖い。それより、フォーメーションについての説明って?」

「ああ、今から教える」

 春海に説明をしながら、柊人は横目で釜田の後ろ姿を眺めていた。


 ミニゲームが再開されてしばらく経った時、それは結果として表れた。目に見えてAチームのシュート本数が減ったのだ。それはAチームのフォワードはもちろん、Aの司令塔としてプレイする恋もすぐ気が付いた。恋はその原因が、中盤で攻撃を潰されているからだと分かった。

 Bチームはボールを完全に奪ってショートカウンターという理想の流れは出来ていないものの、サイド攻撃を防いでAチームのやりたいような攻撃はさせていなかった。そして、更に不審な点もある。

静岡しずおか出ろ。替わりに横倉よこくら。静岡は良いって言うまでピッチの周りを走れ」

 ミニゲームが再開されてからもう五人も交替させられ、その交替させられた五人は例外なく何かの罰としてピッチの周りを走らされている。それの理由が分からず、恋は眉をひそめる。

 恋とは離れた位置でボールを受けやすいスペースに動く柊人は、ボールを受けるため右手を挙げてパスを要求する。

「パス!」

 ボールを持った左のセントラルミットフィルダーが柊人から視線を逸らし、左のウィングへボールを回す。柊人にマークが付いている訳でもパスコースが無いわけでもなかった。明らかに、柊人を無視したのだ。

大堀おおほりに替わって越村こしむら。大堀は周りを走ってろバカタレが」

 ピッチ外からその声が飛び、さっき柊人にパスを出さなかった選手が交替させられる。

 釜田は柊人を無視してプレイした選手をことごとく替えて走らせている。それを柊人自身は分かっていたし、替えられた選手も分かっている。そして交替で入った選手ももちろん分かっている。釜田が入れる前に釘を刺したからだ。

 そして、メンバーの半数以上が入れ替わった時、その変化は起きた。

 柊人の要求にパスが渡り、柊人が反転した瞬間、ピッチ外を走っていた選手、そしてライン際でミニゲームを見ていた選手が全員息を呑んだ。

 圧倒的な個人技で二人を抜いた柊人が、鋭いグラウンダーのパスを左トップの二年に送る。

 ボールを受けた左トップはボールを受け、ディフェンダーを背にしてボールをキープする。その左トップは左のライン際にボールをはたく。その先にはサイドを駆け上がった左ウイングの選手が居る。その選手が出したアーリークロスに、中盤から飛び出した右セントラルの選手がヘディングで合わせた。しかし、合わせたボールはゴールの右側に逸れた。

「クソッ!」

 悔しそうな声を上げるヘディングシュートを放った選手は自分の守備位置に戻っていく。その選手を見ていたAチームの面々は驚いた表情を浮かべる。

 全員が感じていた「さっきまでのBチームと全然違う」と。さっきまで自由に好き放題攻め込んでいたのに、今はその攻めを潰され、更には決定的な場面を作られた。自分達が明らかに劣っていると思っているBチームに。

 それに対してBチームには淡い期待が沸き上がっていた。これはもしかすると、本当にAチームから一点取れてしまうかもしれない、と。だが、その中で柊人はあまり楽観視していなかった。さっきの左トップの動きは、決定的チャンスに繋がったこともあり一見したら良い動きに見える。しかし、柊人の目には消極的なプレイに映っていた。

 左トップの選手は、一切前を見ようとしなかった。端から突破をする気は無かったのだ。柊人からすれば、自分のドリブル突破から出したパスの時点では、Aのディフェンダーの人数は足りていなかった。Aの全員が余裕をかまして攻撃に人数を掛けていたからからだ。だから、ドリブル突破で決定的なチャンスを作ることが出来た可能性が高い。でもそれを選択肢にも入れないプレイをした左トップに、今後はドリブル突破を期待したパスは出せない。出せるとしたら、さっき左トップが見せたポストプレイが必要な場面だろう。

 柊人は右に視線を向ける。そこには李々香が居て、柊人に笑顔を向けていた。

 日が落ちかけ、ほぼ空が闇に染まった頃、そのチャンスは来た。

 Aチームのボールを奪った左セントラルミットフィルダーが柊人にパスを送る。そのパスに自ら近付いてボールを受けようとした柊人に、Aチームの選手がプレッシングを掛ける。しかし、その選手が近付く前に、すぐ側を速いボールが抜けていく。

「ノールックのヒールパス、だと!?」

 柊人は近付いて走り、近付くボールが自分の足元を抜ける瞬間、ボールの軌道をグラウンダーからロブに変え、さらに速度を上乗せする様に右足の踵を後ろに振り抜いた。その一連の行動を、後ろを確認せずに行った。そうAチームの選手には見えた。しかし、全く確認せずに行ったわけじゃない。ボールが出される前に、右のオープンスペースへ走り出す李々香の姿を見ていたのだ。確認せずに行ったパスではなく、李々香の走り込みを予測したパスだった。

 その予測は正しく、柊人が蹴り出したボールは李々香の足が届く範囲にピッタリと送られる。そのボールを受けようとした李々香の前に、李々香よりも遥かに大きい三年のディフェンダーが接近する。李々香はその三年がくるのを確認し、足元に来たボールを右足のアウトサイドで触れた。

「なっ!?」

 目の前で起きた出来事に驚いた三年は、思わず声を上げる。李々香は、柊人から送られたロブパスをファーストタッチコントロールで三年の“股の間を抜いた”のだ。難しい勢いのあるロブパスを難なく処理した上に、たった一回触れただけでディフェンダーを置き去りにする。部活停止期間中に李々香が柊人との練習で身に付けた技術だ。

 李々香はまだまだ完璧に自分のものに出来たとは思っていない。でも、実戦で上手く行き胸が高鳴った。

「春海! 決めろ!」

 後ろから聞こえる柊人の声に押されながら、李々香はシュートコースを防ぐように接近してきたゴールキーパーの位置を冷静に確認し、右足を振り抜いた。

 李々香の蹴り出したボールはゴールキーパーの左側を抜け、僅かにゴールに向かってカーブしながら、ゴールの左サイドネットを揺らす。

「やっ、やったー!」

 自分の放ったシュートがゴールネットを揺らしたのを確認した李々香は、その場で飛び上がって喜ぶ。Bチームのメンバーも遂にAチームから点を取ったことに顔を綻ばせる。そんなBチームとは対照的に、Aチームのメンバーは呆然と自分達のゴールを見詰める。自分達より劣っている格下のBから、綺麗な速攻で点を取られた。しかもその得点の起点となったのは、自分達に罵声を浴びせた新入部員の一年で、得点を決めたのは一年の女子。それがAチームの悔しさに、更に追い討ちをかけた。

「柊人!」

「春海、ナイスシュー……ト?」

「「「なっ!」」」

 駆け寄って来た李々香に声を掛けようとした柊人は戸惑う。そして、見ていた部員全員が驚いて声を上げる。

「柊人のパスのおかげだよ! ノールックのヒールパスなんて凄い!」

 李々香は柊人に抱きついて大喜びしながら、柊人のパスを褒める。しかし、柊人は自分の胸に李々香の柔らかい胸が当たる感触に居心地の悪さを感じ、困った表情を浮かべる。

「春海近い。少し、離れてくれ」

「えっ? …………――ッ!?」

 李々香は柊人の指摘に、自分の状況、自分が柊人に抱きついていることに気付き、顔を真っ赤にして柊人から飛び退く。

「ご、ごめんなさい!」

「いや、嬉しかったのは分かるから。ナイスシュートだった」

「ううん、柊人のパスが良かった」

 柊人の言葉に、李々香は微笑んでVサインを柊人に向ける。柊人は李々香に少し照れた笑いを返した。

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